新聞記事から 中国共産党、怪物となった百年(楊 海英氏 産経新聞 令和3年1月25日朝刊)
内モンゴル人出身で日本に帰化された方の記事です。日本人はこのような歴史的事実をしっかりと認識しておかなければならないと強く思います。
『 「一つの幽霊がヨーロッパを彷徨っている。共産主義という幽霊だ」マルクスとエンゲルスの共著「共産党宣言」の冒頭の名句である。「幽霊」の意味は諸説があるが、人間の生き血を吸って巨大化した怪物だ、との哲学的解釈に私は首肯している。そして20世紀最大の怪物幽霊は、中国共産党(中共)以外にない。今年で結党100年を迎えるので、その歴史を振り返ってみる必要があろう。
中共という幽霊の生みの親は日本である。その創設者たちの中の李大釗は早稲田大学政治学科の出身で、陳独秀は新宿の成城学校で薫陶を受けていた。その他の主要なメンバーたちも皆、大なり小なり日本経験を共有していた。近代の自由な気風が定着した東京で共産主義思想の著作を読み漁り、帰国後に革命運動を起こすのでは、1945年までの中国の知識人たちの共通した思想的・政治的遍歴であった。何よりも、共産という言葉自体が日本から逆輸入されたものだ。中共が49年に打ち立てた「中華人民共和国」という名称に、「人民」と「共和」という日本が創成した近代思想概念が組み込まれている事実を、今日の中国人は果たして認識しているのだろうか。中共とは一卵性双生児のような政党が、国民党だった。創設者の孫文は日本とゆかりが深いし、後継者たち、例えば蒋介石も日本に留学していた。
中華民国内で反乱を起こし、南中国で「中華ソビエト共和国」をつくった中共はその憲法の中で、諸民族の自決権を認めていた。内モンゴルとチベット、それに新疆とは少なくとも連邦制を組み、協力、彼らの独立を支持するとのリベラルな政策を標榜していた。
諸民族の独立どころか、存在すら否定していた国民政府は中共掃討に乗り出す。敗れていく中共はその不名誉な逃亡を「北上抗日」と言い換えた。内モンゴルに入って満州国の日本軍と戦う、とのスローガンだった。当の内モンゴル人は日本軍の力を借り中国からの独立を目指していたのを知った毛沢東は35年末に「中華ソビエト共和国対内モンゴル宣言書」を公布し、内モンゴル人はチンギスハンの子孫で、独立する権利を有する、と語っていた。
毛の宣言を信じたモンゴル人は「北上」してきた中共軍を攻撃しなかったので、内モンゴル南部と陜西省北部の延安に割拠して生き延びた。毛の軍隊は国民政府軍が戦う前線に行こうとしなかったが、宣伝はうまかった。米国人ジャーナリストで共産主義シンパのエドガー・スノーを延安に招待し、国民政府軍の包囲網を突破した武勇伝を語った。
スノーの「中国の赤い星」は世界的ベストセラーとなり、日本軍と死闘を繰り返す国民政府軍よりも、中共こそが真の抗日勢力だとの神話を作り上げた。同署は戦後日本の学界と市民にも悪影響を与え続け、日本は「正義の軍隊」に負けたとの間違ったイメージを定着させてしまった。実際の中共軍は抗日どころか国民政府軍を背後から攻撃し、アヘンを栽培して人民に毒を販売していたことは、今日では広く知られている。
日本との戦闘で疲弊しきった国民政府を台湾に追い払った中共は人民に対して善政を行ったかというと、答えは否だ。まず諸民族に約束していた自決権、即ち分離独立権を否定し、限られた地域自治権しか付与しなかった。中国人即ち漢人の土地と遊牧民の草原を略奪して公有化し、58年に人民公社という漢代の秘密結社を彷彿させる制度を全国に定着させた。公有化政策の結果、およそ3千万人が餓死した。
続いて66年から文化大革命を発動し、少なくとも110~160万人もの人々が殺害された。分離独立権を与える、と騙された内モンゴル人は34万人が逮捕され、12万人が暴力を受けて負傷し、2万7900人が殺された。死屍累々の建党史と言っていい。
国際的に孤立していた中共は72年に「生みの親」の日本と外交関係を結んだ。賠償金は不要、との寛大のパフォーマンスを演じて日本の政治家を虜にした。
善良な日本国民は国を挙げて中国の復興に尽力し、賠償金以上の巨額の援助が投じられた。日本の援助で強力な軍隊を養うようになった中共は陸上から海上へと進出し南シナ海を自国の海として要塞化したし、沖縄県尖閣諸島も自国領だと主張するように豹変した。
陸上では相変わらず諸民族を弾圧し続けている。ウイグル人を百万人単位で強制収容施設に入れ、内モンゴル人では母語による教育権をはく奪した。英国から返還されて香港でも容赦なく市民と学生の民主化の運動を鎮圧している。
中国・武漢発の新型コロナウィルスは、情報隠蔽も加わり、一昨年末から世界でパンデミックを引き起こしたもの周知の通りだ。生みの親としての責務からも、日本は中共と毅然と向き合い、戦わなければならないだろう。』