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日記・コラム・つぶやき

2017年10月 1日 (日)

新聞記事から (【緯度経度】「朝鮮半島有事」への教訓 黒田勝弘、【日曜経済講座】衆院選・北朝鮮問題を考える 真の脅威は中国の膨張主義) 産経新聞朝刊 29.9.30、29.10.1)

2件とも、傾聴すべきものだと思います。

先ごろ日本で天皇、皇后両陛下が埼玉県日高市にある高麗神社を訪問されたというニュースを、韓国のマスコミは写真付きで大々的に伝えていた。この神社が古代・朝鮮半島の高句麗から渡ってきた渡来人を祭っているということで、両陛下が古代史における朝鮮半島の日本への影響に強い関心を持たれていることを歓迎し、大喜びしているのだ。

 このところ韓国人との会食でよくこの話が出る。陛下は日韓共催のワールドカップ・サッカーを前にした2001年の誕生日会見でも「(奈良時代の)桓武天皇の生母は百済王の子孫」という「続日本紀」の記述を紹介され「韓国とのゆかり」を語られている。したがって天皇陛下は韓国では“親韓派”と思われているのだ。

 韓国人は古代史というと朝鮮半島が一方的に日本に恩恵を与えたように思っていて、いわば“先輩気分”で意気揚々となる。今回もそうだ。そこで韓国人にいうのが7世紀、日本が百済復興の支援軍を派遣した「白村江の戦い」だ。

 百済・日本連合軍と唐(中国)の支援を受けた新羅・唐連合軍の戦いだったが、日本軍は大敗し水上で壊滅する。そのときの派遣兵力は「最低でも3万7千余」(中村修也著「天智朝と東アジア」NHKブックス刊)にもなる。あの時代にこの数はすごい。

 日本にはそれほど百済への“義理”があったということだが、この故事は韓国ではまったくといっていいほど教えられていない。最近、旧百済の遺跡を観光旅行してきた日本の友人は「どこにも何の記念物もなかった!」と怒っていた。

 日本には高麗神社のほか百済神社や新羅神社などが大昔からある。佐賀県の有田焼の里には「陶祖」として朝鮮陶工を祭った100年前に建てられた記念碑もある。韓国人は与えた恩恵や自らの被害はいいつのるが、支援されたことには全く知らん顔で伝えないというのは、古代史ばかりではないようだが…。

 朝鮮半島をめぐる戦争の歴史としては、「白村江の戦い」の後、13世紀の「元寇」はモンゴル族の元(中国)が高麗を手先に日本に侵攻してきた。16世紀の文禄・慶長の役(韓国でいう壬辰倭乱)は、最後は朝鮮半島侵攻の豊臣秀吉の日本軍と朝鮮支援の明(中国)との戦いになった。

 下って19~20世紀には日清、日露戦争など朝鮮半島を舞台に日本は清(中国)やロシアと戦っている。1950年代の朝鮮戦争では、北朝鮮・中国連合軍の侵略と戦う米(国連軍)韓連合軍を支援する後方基地となった。

 この後方支援があったから米韓軍は何とか北からの共産主義侵略軍を撃退し韓国は国を守れたのだが、韓国では「日本は戦争特需でもうけて経済復興した」という話ばかりで「日本の支援」の効果など全く無視されてきた。

 最近の北朝鮮の弾道ミサイルや核開発は日本への軍事的脅威でもありその備えは当然、必要だが、コトの本質は朝鮮半島の南北の内部対立であり「朝鮮半島有事」の問題である。その際、来るべき日本の関わり方は歴史的に見て、どのパターンになるのだろう。

 歴史的経験として「白村江の戦い」の直接派兵はもちろん、直近の後方支援でさえ感謝されていないのだから「朝鮮半島有事」の際の支援の在り方には慎重を要する。過去のように“深入り”して逆に後世に禍根を残してはまずい。(ソウル駐在客員論説委員)』

『朝鮮半島危機の中で衆院選を迎えるというのに、争点がぼやけている。北朝鮮問題とは何か、国連による対北制裁の効力はなぜ乏しいのか、そもそも何が日本の脅威なのか、を再確認しよう。

 1950年1月30日「われわれには鉛が大幅に不足している。もし指示した量の鉛を送ってくれるなら、多大な支援を行う用意がある」

 同3月9日「われわれが示した通りの量の鉛を送るとの連絡を受け取った。支援に感謝する。あなたの要請通り、武器、弾薬および技術設備を提供する」

 以上は、ソ連のスターリン共産党書記長から北朝鮮の金日成(キムイルソン)首相への極秘電報で、ワシントンのシンクタンク、W・ウィルソン・センター収蔵の「スターリン文書」から拾い出した。

 この年の6月25日、ソ連の軍事支援の確約を取り付けた北朝鮮軍は暗号命令「暴風」を受けて北緯38度線を越えて侵攻を開始した。悲惨を極めた朝鮮戦争(53年7月休戦)の始まりである。

 上記電文のキーワード「鉛」は核兵器の原料、ウランの隠語である。ソ連は49年8月に初の核実験に成功したが、当時ウラン資源は国内で見つかっていなかった。スターリンは東欧産に加えて北朝鮮からも確保し、核で米国に対抗できるようになった。

 金日成はウラン提供の見返りに、スターリンから核技術協力を得た。子の金正日(キムジョンイル)、孫の金正恩(キムジョンウン)が執念を燃やす核兵器開発は、金日成後継の正統性の誇示でもある。いくら国際社会から非難されようとも、後ろには引かない。

 今年9月3日、北は6回目の核実験を強行した。大陸間弾道ミサイル(ICBM)などミサイル開発の進化に合わせている。

 国連安全保障理事会は11日、対北制裁強化を決議した。目玉は対北石油輸出の制限だが、輸出のほぼ全量は中国からである。米国は全面禁輸を提案したが中国とロシアの反対で譲歩し、原油は現状維持、ガソリン、重油など石油製品は年間200万バレル(1バレルは約0・135トン)という上限を設けた。メディアの多くはその「厳しさ」を伝えたが、とんでもない解釈だ。

 グラフは中国当局公表の北向け石油製品輸出実績である。昨年末までの年間の総量はこれまでの最高水準で、200万バレルどんぴしゃり。今年8月までの年間では147万バレルまで落ち込んだが、これからは国連の容認のもとに白昼堂々、輸出を増やせるではないか。

 もう一つ、目を引くのは中国からの対北輸出の急増だ。石炭など北からの輸入は減っているので、中国の輸出超過額がうなぎ上りだ。国内総生産(GDP)が日本の最貧県程度でしかない北朝鮮は外貨不足で、貿易赤字分を払えないはずだが、中国の銀行が信用供与すれば可能だ。

 トランプ政権はそのからくりを見破り、北と取引する企業・銀行を制裁すると言い出した。そのターゲットはもちろん中国だ。米国から名指しされた銀行は米銀からドル資金を調達できない。つまり、国際金融市場から締め出されることになり、信用パニックに見舞われかねない。

 今月18日からの共産党大会を控えた習近平政権はあわてて、中国人民銀行を通じて大手の国有商業銀行に対し、北朝鮮関係の口座封鎖を命じた。これなら北を経済的に封じ込められそうだが、実際はどうか。

 まず、石油。平壌ではガソリン価格が高騰しているという。米軍情報筋に聞くと、「強欲な中国の輸出業者のせいではないか。中国側はこれまでにも北向けの輸出価格を国際相場よりも2割程度高くしてきた」との答えだ。朝鮮戦争以来の「血の友誼(ゆうぎ)」など無関係だという。

 高く売りつけても、相手が代金を払えないなら、当然貿易取引は止まる。ところが、相手の弱みにつけ込むのが中国商法だ。米軍筋は「中国は債権の担保に北の鉱山利権を確保する」とみる。これまで中国資本は、かつてスターリンも瞠目(どうもく)した豊富な北の鉱物資源獲得を狙ってきたが、金正恩政権のナショナリズムに阻まれてきた。制裁によって困窮している今こそ好機だ。

 習氏が目指す現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」の東の終点は朝鮮半島だ。特に半島北部には金や銀、戦略物資であるウランや希少金属が埋蔵されている。ロケットマンこと金正恩氏の命運を問わず、日本などにとって中国という脅威が増大することだけは間違いない。

 総選挙では、与野党を問わず候補者たちに冷徹な危機感を持ってほしいところだ。』

2017年5月26日 (金)

新聞記事から (【正論】安全保障避ける学術会議の錯誤 東京大学客員教授・米本昌平) (産経新聞 29.5.26朝刊)

日本の学者さんたちには是非読んでほしい内容でした。

≪冷戦の過酷さとは無縁だった国≫

 3月24日に日本学術会議は「軍事的安全保障研究に関する声明」をまとめ、軍事目的での科学研究を行わないという半世紀前の方針を再確認した。その直接の動機は、一昨年から防衛装備庁が「安全保障技術研究推進制度」を発足させたため、これに対する態度表明を迫られたからである。

 どんな国であれ大学が防衛省関係から研究費助成を受ければ、軍事機密や達成目標などで条件をのまなければならず、大学側は当然これに対する原則を明確にする必要が出てくる。だが、声明や学術会議報告「軍事的安全保障研究について」を読んでみると、日本のアカデミズムは安全保障の議論をするのに恐ろしく逃げ腰である。

 その理由の一つに、日本が20世紀後半の世界を決定づけた冷戦の過酷さを体感しないまま21世紀に抜け出た、唯一の先進国であることがある。冷戦とは米ソ両陣営が最悪時には7万発の核弾頭を備え、国内総生産(GDP)の5~10%を国防費に割いて核戦争の恐怖に耐えた時代であった。

 この未曽有の恐怖の時代を通して日本は「冷戦不感症」国家であったため、科学技術と軍事の関係を冷静かつ客観的には語りえない欠陥をもつようになった。この点について軍民両用(デュアルユース)技術を軸に論じておきたい。

 ≪表層的な日本の軍民併用技術論≫

 最も基本的なことは、米国の科学技術は1940年を境に一変してしまったことである。第二次大戦以前の米国では、大学は東部の法文系が主流だった。ところが40年に国家防衛研究委員会が置かれ、戦争中にこの委員会が通信技術、レーダー、航空機、核兵器などの戦時研究を組織し、理工系大学がその一部を受託して力を蓄えた。戦後間もなく冷戦が始まったため、米国は41年の真珠湾攻撃から91年のソ連崩壊まで50年戦争を戦ったことになる。

 そんな中、57年10月にソ連が人類初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げた。米国は衝撃を受け、高度な科学技術研究を維持することが安全保障に直結すると確信し、翌年に国防高等研究計画局や航空宇宙局を新設する一方、理工系大学の大幅な拡張を促した。

 国防総省からの大規模な研究委託によって、マサチューセッツ工科大学(MIT)やスタンフォード大学などは急速に力をつけ、「研究大学」という特別の地位を獲得した。60年代末に大学紛争が起こると、軍からの委託研究は批判にさらされ、キャンパスの外に移されたが、これがベンチャー企業の先行形態となった。結局、冷戦の最大の受益者の一つは米国の理工系大学であった。

 冷戦後、米国の科学史の研究者は精力的に冷戦研究を行い、この時代の米国の科学技術は、核兵器の開発・小型化・配備体制の開発を最大のミッションとする「核兵器研究複合体」を形成していたと自己診断を下した。日本の議論は、この米国における科学技術史の研究成果を咀嚼(そしゃく)していない。

 90年代の米国は、科学技術を軍事から民生へ転換する「軍民転換」政策を採用した。この時、冷戦時代に開発されたコンピューター技術、インターネット、衛星利用測位システム(GPS)などが民間に開放され、巨大な情報産業が誕生した。この政策を正当化したのが「軍民併用技術」という概念であった。これと比べ、日本の軍民併用技術論は何と表層的でひ弱なものなのであろう。

 ≪米科学技術史の成果を踏まえよ≫

 かつて核戦争の危機は2度あったが、2度とも日本は重度の「冷戦不感症」を呈した。62年のキューバ危機に際し、ケネディ大統領は事態を説明するためフランス、西ドイツ、カナダに特使を派遣したが、池田勇人首相には親書で済ませた。核戦争が起こるとすれば大西洋を挟んだ撃ち合いになると考えられたからだ。この時、日本は親書の意味が読み取れないまま経済政策に邁進(まいしん)したのである。

 83年欧州のミサイル危機の時には、相互確証破壊を前提とする戦略核ミサイル体制は両陣営で完成していたから、核戦争になれば日本は全滅してしまうはずだった。だがこの時、日本で議論されたのは欧州の反核運動であった。

 冷戦時代、日本が核戦争の脅威を認知しようとしなかった理由はほぼ3つに集約される。第1に日本における核兵器の議論はヒロシマ・ナガサキで凍結されてしまい、その後に本格化する核兵器の大量配備の現実を視野に入れようとしなかったこと。第2に核戦争になれば全てが破壊されてしまうという虚無感。第3に東アジアには東西対決の緩衝地帯として中国共産党政権が存在し、日本がソ連との直接的な軍事対決にさらされることが少なかったことである。

 大学の研究と軍事研究との間に線引きが必要になった事態をもって右翼化と言ったり、戦前の日本と重ねる論法は、冷戦期に日本社会が孕(はら)んだ時代認識の欠陥の残滓(ざんし)でしかない。いやしくも日本学術会議である以上、最低限、米国の科学技術史の研究成果を踏まえた論を展開すべきだったのである。』

2017年2月 4日 (土)

新聞記事から (【緯度経度】国際的変動の時代、認識を 古森義久)(産経新聞 29.2.4 朝刊)

これからの日本、世界の行方を考えるうえで、参考になるものでした。

米国のドナルド・トランプ大統領の新たな動きが日本の主要メディアの総攻撃を浴びている。とくに同大統領の「テロ懸念」7カ国からの入国制限は全米が一致して非難しているかのような構図が描かれた。だが肝心の米国民はこの制限策への支持が57%と、反対の33%を大幅に上回る世論調査結果が出た。米国の現実のどこかが日本側のレーダーに映されないのでは、という疑問がわく。

 そんな現実の一つは米国の国際関係の権威たちの「世界も米国もいまや戦後最大の安保面での転換点を迎え、既存の国際秩序の瓦解(がかい)の危機に直面するにいたった」という見解である。その危機がトランプ氏という異端の人物の選出の基盤となったともいうのだ。

 こうした見解の第1は、民主党系のブルッキングス研究所上級研究員、ロバート・ケーガン氏が1月下旬に発表した「自由主義世界秩序の衰退」と題する論文だった。米国有数の国際戦略の権威とされる同氏は本来、保守志向だが、オバマ前政権にも起用されてきた。

 同論文は第二次大戦以降、米国主導で構築し運営してきた自由主義の国際秩序がいまや、中国とロシアという反自由主義の軍事重視2大国の挑戦で崩壊への最大の危機を迎えた、と指摘する。その原因は1991年のソ連崩壊以後の歴代米国大統領が「唯一の超大国」の座に安住し、とくにオバマ前政権が「全世界からの撤退」に等しい軍事忌避の影響力縮小を続けたことだという。

 同種の見解の第2は、共和党系のアメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)の安保研究部長、トーマス・ドナリー氏が1月下旬に公表した「冷戦後時代の次の時代」というタイトルの論文である。国際戦略や軍事史を専門とする同氏は議会の超党派の安保関連各委員会の顧問などを務めてきた。

 同論文によると、ソ連崩壊で始まった「冷戦後時代」は米国が唯一の超大国としてなお世界の安全保障の基本を押さえてきたが、オバマ前政権の国際関与からの「離脱」や「漂流」でその時代も終わった。いまやその混迷の世界の力関係を変えようとする最大の主役は中国であり、それを抑止してきた米国の軍事力がオバマ前大統領の政策で実効力を失ってきた、というのだ。その結果、世界は戦後でも最大の地域戦争の危険に面し、米国は軍事面での抑止のためのリーダーシップ再発揮を迫られているという。

 第3の見解は、政治雑誌「ウィークリー・スタンダード」の編集長、ウィリアム・クリストル氏が同誌1月下旬号に掲載した「長い休日」と題する論文だった。同氏は共和党政権の副大統領首席補佐官なども務めた保守派の論客である。

 同論文は米国がソ連崩壊後の25年ほど根本的な危機や脅威のないまま「休日」に近い安逸を過ごしてきたが、いまや荒波への真剣な航海を強いられるのだ、と警告する。その理由は中国の軍事的な膨張やロシアのクリミアへの侵略などを放置したオバマ前政権の消極策だという。

 これら3論文は、米国でこうした国際的変動への意識が「危機での強い指導者志向」とも相乗してオバマ氏的な統治を排し、従来の枠組みを破るトランプ氏への期待に寄与したという判断をも示していた。日本側でも認識すべき現実だといえるだろう。』

2015年10月14日 (水)

新聞記事から(【正論】科学の力とノーベル賞ラッシュ 動物行動学研究家、エッセイスト・竹内久美子  27.10.14 産経新聞)

政府の予算編成を、長期的視点から行えなければ、杞憂では終わらないでしょう。文部科学省だけでなく、財務省にも自覚してもらいたいものです。

先ごろ、2015年ノーベル医学・生理学賞に、北里大学特別栄誉教授の大村智氏、同じく物理学賞に、東京大学宇宙線研究所教授の梶田隆章氏の受賞が決定。2日続けての日本人の受賞に誰もが胸躍り、勇気づけられた。

 ノーベル賞の科学部門については1949年の湯川秀樹氏(物理学賞)から始まり、87年の利根川進氏(医学・生理学賞)まで、約40年を要して5人が受賞している。しかしその次の受賞者である白川英樹氏(化学賞)の2000年からは状況が一変。たった15年で16人という怒濤(どとう)の受賞ラッシュが続いている。この件についてもわれわれは大いなる勇気をもらっている。

 そして今回の2人の受賞では、これまでとは違う流れを私は感じ、科学の研究のために本当に必要なものとは、やはりこういうことであったと確信することになったのである。

 ≪好きでたまらないことの大切さ≫

 大村氏は山梨大学、梶田氏は埼玉大学(それに昨年の物理学賞の中村修二氏は徳島大学)と地方の国立大学の出身である。これまでのノーベル賞受賞は、東大や京大などの出身者に独占されていたが、科学の研究をするための能力と大学受験時の学力などというものは、実際にはあまり関係がないということである。

 本当に必要なのは、今自分が身を置いている分野のこれまでの研究の歴史と、今何が問題になっているかを把握すること、これからどんな研究をすべきで、そのためには実験などをどう組み立てるか、といった物事を見極める能力、あるいは勘やセンスのよさのようなものである。

 もちろん共同研究者や他の研究者との議論なども重要であるし、そのための基礎知識が必要だ。英語の論文を読み、書く能力も求められる。しかし、それらは大学に入るための学力とは別物なのである。

 そしてこれらの能力以上に欠くことができないのは、その分野が好きでたまらないということだ。好きであればおのずと努力し、精進することになるだろう(当の本人にとっては、努力でも精進でもなく、好きの延長でしかないのだが)。

 ≪理系は難しいという思い込み≫

 大村氏が、土壌細菌を得るための土を持ち帰るため、チャックつきの小さなポリ袋を常に財布に忍ばせていること、梶田氏が幼少期に「鉄腕アトム」のアトムではなく、お茶の水博士に憧れたというエピソードからは、まさに研究は「好き」から始まり、「好き」が持続し、やがて形のあるものになっていくのだということがよくわかる。

 科学や科学の研究というと何かとんでもなく遠い世界、一部の選ばれし者たちしか踏みこめない、特別な領域と思っている方も多いと思う。

 しかしこのように、科学の研究のために必要な能力を一つ一つ検討していくならば、好きという気持ちさえあれば、どれもこれもクリアするのに、そう特別な力を必要としないことがわかってくる。

 近年、理系離れといわれているが、もしかしたら理系は難しい、理系は特別という思い込みがそうさせているのではないかと思う。何度も言うが、科学の研究に必須なのは「好き」であることであり、数学の難問が解けるとか、難しい英文法を理解し、使いこなせることではないのである。

 ≪基礎研究の大切さの再確認を≫

 理系離れと並んでもう一つ深刻な問題は、科学の基礎研究に対する国家からの予算の少なさである。私が学び、研究した動物行動学、進化論などは、それがいったい何の役に立つのか、と問われると返答に困る分野の典型例だ。

 当然、予算案は通らず、常に資金不足。実験用具はなるべく廃品利用ということで、コーヒーやワンカップの空き瓶を利用していた。国内の学会に参加する際、交通費は出るが、宿泊費は各自の負担。海外の学会では全額自己負担ということもあった。いくら好きでも、好きをくじかれそうになることもある。

 2000年以降のノーベル賞科学部門の受賞ラッシュについては、山中伸弥氏のiPS細胞の研究発表が06年で受賞が12年と、業績の発表から受賞までがかなり短い例もあるが、たいていは20年、30年たってからの受賞である。つまりこれらの研究の多くは1970年代、80年代に行われたものだ。

 では、今後も受賞ラッシュは続くだろうか。それは国が過去10年、20年の間に科学の基礎研究のためにいかに予算を費やしたかどうかにかかっているだろう。

 ラッシュが止まらないことを願うが、少なくとも国が今すぐにでもすべきことは、科学の基礎研究の大切さの再確認と予算の増額である。

 中高生やその親御さんたちにとっては、理系を特別な領域とみなさず、本人が好きなら親はその道をとことん突き進ませるための力になってあげることだろう。』

2015年9月16日 (水)

新聞記事から (産経新聞朝刊 (【清水満のSPORTSマインド】旅をした賢者の方法論  産経新聞27.9.16)

一年目の監督ですが、素晴らしいと思います。

「長生きする者は多くを知る。旅をした者はそれ以上を知る」。アラブのことわざ。ひとつのことにとらわれず、いろんなことに積極的に挑戦していくことで、新たな世界が広がる…と理解する。

 快進撃をみせるソフトバンク。就任1年目の工藤公康監督こそ“旅をした賢者”に他ならない。指導者の経験を経ずに監督の座に就いた。周囲から懸念する声もあったが、その思考にブレはなかった。

 現役時代から何度か話を聞いた。「人は常に新しいことに挑戦しなければ、進歩はない。きっかけはどこにでもある。それに気づくか、気づかないか。知ろうとする思考が大事。僕の役目はソレを気づかせること…」

 今春のキャンプ、そんな工藤流が見えた。ピッチング練習を終えた投手たちが、その場でリポート用紙に何やら書き込んでいた。その日投げた球数と短い文章ながら、投げた感想と次回への課題であった。

 どの球団でもコーチが球数をメモし、気づいた点は口頭で簡単なやり取りをする。指導は「ああしろ」「こうしろ」と“上から目線”であるが、工藤流は「いまどうしたのか、これからどうしたいのか…。書かせて考えさせることで、進む方向が見えてくる」のだという。

 たとえば、ある投手が新球を覚えようとした場合、(1)企画立案(球種の選定)(2)実行(投げる)(3)検証(なぜうまくいったのか)(4)マニュアル化(精度をあげる)-へ。検証という思考により、次にとる行動が明確になる。一般ビジネス世界では当たり前の方法論を取り入れた。

 現役時代の工藤は米1Aの教育リーグ参戦で意識改革に目覚め、誰よりも早く身体理論に触れ、いまでいう体幹トレーニングを実践するなど新しいものへ挑戦してきた土壌があった。

 とはいえ、自らの経験を押しつける姿はない。「求められたらアドバイスはするけど、“やれ”とは言わない。まず、お前はどう思う?って聞く」。選手との対話を絶やさない抜群のコミュニケーション能力で自発意識を促し、気づかせる。そんなシーンをシーズン中にも何度も見た。

 “書かせる”という行為について、名将といわれた野村克也さんの言葉が工藤流を裏付ける。

 「小学生の漢字の練習と一緒で、たとえヤル気がなくても書いた手に記憶が残る。それがやがて知恵や技能となって身につく。書くこと、考えることは上達の第一歩」

 ソフトバンクの強さの底辺には、整備されたスカウト網に豊富な資金力という組織力があるが、“考えさせる”という工藤流エキスがなければ、こうはうまくいくまい。(特別記者) 』

2014年11月14日 (金)

新聞記事から (【話の肖像画】書家・齋藤香坡(77)(4)紙の上に「命」を託して 産経新聞(26.11.14) 朝刊)

味わい深い記事でした。

『 〈大胆かつ繊細な筆運びで行草の世界に独自の華麗な書体を開拓。平成21年に文化庁長官表彰を受ける。近年は字に水墨画を添える「書画一体」の世界に挑戦している〉

 書は(芸術で)一番遅れている世界。いつも過去ばかりみている。昔の人がやったことから逃れられない。言葉を伝えるという意味から抜け出せない。ところが絵は自然を相手にして、しかも青い空を絵描きによっては違う色で描いたって、文句はないよね。中国では「書画一致」という。日本と違って書と画を分けていなかった。何千年も歴史を持つ中国がそうなんだから、「俺もやってみよう」と思った。

 最初に絵に興味を持ったのは、元鎌倉市長で仏画家としても知られた小島寅雄さん(平成14年死去)のところによく遊びにいって、仏像を描くのを見せてもらったから。

 何か一つだけ描ければいいと、最初はとっくりを描いた。次は土瓶と、自分に課題を与えていった。すべて空想画の世界。あの花びらは何枚で、葉っぱはどんな形だろうか、と想像する。子供のころ、大船から北鎌倉の円覚寺あたりまで山をかけずり回ったから、松とか梅とか知らないうちに自然というものを吸収していたんだろうね。何でも小さいうちに経験を踏んだほうがいい、というのはそこなんだ。

 書も小学生や中学生の間にしっかり基礎を作っておけば、10年後にまた始めたときすぐ元に戻れる。基礎は崩れていない。でも30代、40代で始めたら、基礎は作るのが大変。基本だけで10年、20年かかるんだから。自分の我(が)、くせが出てくるから、意識して書かなきゃならない。でも意識していたら疲れちゃうでしょ。子供のときに書を学ばせるのは、しつけと同じです。

 〈書道界は指導者が高齢化する一方、流派や会派に属さずメディアや海外を舞台に活躍する若手作家もでてきた〉

 いいと思いますよ。その人と自分との戦いだから。ところが最初から自分との戦いだと限度があるの。プラスアルファがないのよ。いくらかっこいいことを言っても、人の中でもまれていかなければ、本当のものは得られっこない。

 書の世界でも、本当にいい人はどっかに品を残していくんだね。その品って何だ。生まれながらにしてのものもあるけど、品はやさしさではなく厳しさの中に育っていくものじゃないか。書いて、書いて、書きまくっても、同じ一本の線には薄っぺらいものと奥深いものがある。型に追われるだけではどうしても表面的になる。だから、最後は心だよ、と。紙の上に自分の魂を託さなければ成り立たない世界だから。それが書の怖さでもある。

 だから弟子たちには言うの。点を打つときに「あ・り・が・と・う」って気持ちを込めれば、何かが違ってくる、と。全神経がその一点に集中する。これが筆を通して紙の上に「命」を置いていくってことなんだよ。(聞き手 渡辺浩生)』

2014年10月27日 (月)

新聞記事から (【視線】編集長・井口文彦 警視総監と新聞記者 産経新聞(26.10.27)朝刊

土田氏のことは個人的にも知っていますが、改めて素晴らしい方だと思いました。自分が同じ立場にいた時にどのようにふるまうか、考えさせられました。

『情報は、得ることよりも、実際に紙面で記事化するほうが難しい。「知る」ことと、「書く」ことは次元がまるで違う。

 例えば重大事件の逮捕が近いと報じるのは「知る権利」にこたえる重要なニュースだが、犯人を利する恐れもはらむ。書かれる側と書く側は衝突する。それでも意義あるスクープが登場するのは、書かれる側に報道への理解があるからこそだと思う。

 5日、帝京大の福井惇(あつし)名誉教授(84)が逝去した。産経新聞記者時代、昭和50年5月19日付朝刊1面トップで「連続企業爆破犯グループきょう一斉逮捕」をスクープした取材班代表、警視庁キャップである。

 昭和49~50年、東京・丸の内の三菱重工ビルなど11カ所を爆破、多くの犠牲者を出した連続企業爆破事件。極左過激派のテロが頻発する中で、群を抜き悪質な重大事件だった。その後の日本の治安のありようは、この事件で警察が犯人を逮捕できるか否かにかかっていたといってもいい。

 50年5月半ば。福井率いる取材班は文字通り地を這(は)うような取材で、警視庁が追う犯人グループを割り出し、一斉逮捕が19日朝の予定であるとつかむ。書くなら「きょう逮捕」。超一級のスクープだ。じりじりとした思いで取材班は確認を続けた。

 出稿する18日夜、福井は警視総監の土田国保(くにやす)(故人)を公舎に訪ねる。明日逮捕が間違いないかを確認するため。そして、不慮の事態が起きぬよう、「明日朝刊に載せる」と通告し対処を促すためである。

 この4年前、土田は爆弾入り小包を自宅に送られ、夫人を亡くした。テロへの憎しみは強い。表情が豹変(ひょうへん)した。「相手はテロだ。爆弾が手元にあるとの情報もある。自爆し、一般人や捜査官を巻き添えにするかもしれん。輪転機を止めてください」

 土田の必死の説得に、福井は揺れる。

 …確かに産経が書いたために爆破が起きる可能性はある。だがこのニュースを見逃すのは新聞の自殺行為だ。社長や編集局長に人命を理由に待ったをかけられれば、新聞は屈服せざるを得ないだろう。「2人とも欧州に出張中です」。嘘(うそ)をついた。

 後に福井はこう書いている。

 《この日私は2つの嘘をついた。『出稿した』と過去形にしたこと、『出張中である』ということだ。良心がうずいた》

 編集局長だった青木彰(故人)は、犯人らが住む地域への遅配を決断した。犯人に記事を読ませないためだ。「報道の使命」と「社会的責任」を両立させるための、ぎりぎりの判断であった。スクープは実現し、犯人グループは無事に逮捕された。

 後日、警察幹部から土田批判が噴出した。「総監は産経に『明日の逮捕はない』と嘘をつくべきだった」。伝え聞いた福井は「確かに、総監から完全否定されれば、報道できなかったと思う」と吐露した。

 《私の2つの嘘を見抜きながら、土田氏はあえて情報操作、情報統制をしなかった。戦争を体験したこの人には、言論の大切さというものを、官僚でありながら新聞人以上に自覚されていたように思う》

 青木も後に書いている。《あの夜、総監は社長にも私にも一切連絡してこなかった。もし電話があったらどう答えようか、考えなかったといえば嘘になる。スクープでは完勝したが、土田総監には完敗したという思いがいまだに強く残っている》

 報道の自由は、土田が示したような「無言の理解」に支えられてきたのだろう。「理解」は新聞の努力なしに続くまい。

 福井名誉教授逝去の報に接し、39年前のあの夜に産経へ電話してこなかった警視総監の胸中を察すると、新聞人として、襟を正される思いになる。』

2014年8月15日 (金)

新聞記事から (【話の肖像画】シンクロ日本代表ヘッドコーチ・井村雅代(3)) (産経新聞朝刊 26.8.14)

本日(平成26年8月15日)、仕事が終わってから靖国神社に参拝してきました。午後6時を過ぎていましたが、多くの人が列を作っておまいりしていました。これまでも何度か靖国神社に参拝しましたが、今回はいつもと違う感じがしました。おそらく数百人の人が並んでいるのに、ほとんど話声がなく、聞こえてくるのは蝉の鳴き声と柏手だけでした。多くの人々が静かに祈っている場所にいられて本当に感動しました。

さて、昨日の新聞記事から感銘を受けたものを書き留めておきます。

『優しくては勝てない

 〈シンクロナイズドスイミングで1984年(昭和59年)ロサンゼルス五輪から6大会連続で日本にメダルをもたらした。その指導は厳しいことで知られている〉

 スポーツはどの競技でも、優しいことを言っていては勝てません。人間にはもともと怠けたいという気持ちがありますし、人に追い込まれて力を発揮できる場合は多いと思います。自分で自分を追い詰めることができるほど強い精神力の人は、この世にそういないのではないでしょうか。

 私の指導のこだわりは、正確な技術を身につけさせることに尽きます。「だいたいこんな感じ」では終わらせず、強化期間は1日3回練習で朝8時から夜11時ごろまでやっています。選手の成績は私の責任。選手に「自分が悪かった」と思わせてはいけない。「追い込む」とは選手にとって苦しいことですが、選手を追い込めば追い込むほど、私の責任も大きくなっています。常に考えているのは、選手の持っている力を最大限に引き出す方法。2001年世界選手権で金メダル、04年アテネ五輪で銀メダルなどを獲得したデュエットの立花美哉、武田美保組をはじめ、過去に多くの選手が私のやり方を信じてついてきてくれました。

 〈試合会場では、引退した選手たちが笑顔で寄ってくることも多い〉

 私は五輪メダルだけを望んでやっているのではなく、彼女たちが練習で上手になって、自信をつけてくれることがうれしくて指導者をやっています。選手の人生は、競技を辞めてからの方が長い。私の教えが正しかったかどうかの答えは、社会人になったときに初めて出てくるのではないでしょうか。私は毎日恐ろしい存在だったと思いますが、引退して社会に出た選手の多くはこう言ってくれます。「今は自分が間違っていても、誰も注意してくれないし、何も言ってくれない。だからここで先生に教わったことはありがたいです」と。

 10年ぶりに指導している今の日本代表に対しても、あいさつや競技に取り組む姿勢がだらしなければ、「悪い」とはっきり口にします。また、練習や試合で「頑張ったかどうかは私が決める。自己申告するものではない」とも言っています。外から見ればすごく厳しいでしょう。でも、そういう言葉は、しっかり相手を見つめていなければ伝えることはできません。

 コーチとしてのやりがいは、五輪でメダルを取ることだけではない。自分の意見を言えなかった子が積極的になったり、先を考えて行動できるようになったり、人間として成長していく姿を見られることが、私の指導人生の醍醐味(だいごみ)であると思っています。(聞き手 青山綾里)』

2014年7月28日 (月)

東京新聞亡びよ!

本日は、酔っ払っているので、あえて言います。

東京新聞、亡びよ。ついでに親会社の中日新聞もよろびよ。

プロ野球の中日ファンの方々、よく中日新聞を読みなさい。

その内容が国益に合致すると思うならばそのまま応援すればよい。

合致しないと思うならば、合致するように圧力をかけるべきです。

今のまま中日ドラゴンズを応援することは間違いなく、国益に反します!

2014年1月14日 (火)

新聞記事から (【スポーツ茶論】別府育郎 ザックの日本人選手観、【風を読む】論説副委員長・西田令一 第一次大戦百年後の今日性 26.1.14 産経新聞朝刊)

ザック監督の日本人観には勇気づけられます。一方で、ヨーロッパ人のアジア情勢の見方の冷徹さに気を引き締められます。

『 ワールドカップ(W杯)イヤーだ。ブラジルで6月12日に開幕するサッカーW杯で日本代表を率いるザッケローニ監督をゲストに招いて、昨年末、日本記者クラブの会見で司会を務める機会があった。

 興味深かったのはザック監督の日本人観、日本選手観だった。以下-。

 「日本人の文化やふるまいについては非常に素晴らしいと思っている。選手たちも同様で、彼らはチームワークのなんたるかを知っており、グループを形成することを得意とする選手ばかりがそろった。

 これまで多くのチームを率いてきたが、これほど短期間にいいグループを形成できたチームを、過去にみたことがない」

 「長所しか思い当たらないが、どうしても一つ短所をあげろというなら、チームへの愛着や思いが強すぎるためだろうが、結果がついてこない時に落ち込みすぎるところがある。

 落ち込んだ選手には結果論ではなく、何が、なぜ良くなかったのか。冷静に説明するようにしている。メディアやサポーターの方が結果論に徹するのはいいが、少なくとも選手はそう考えてはいけない。結果ありきで話した時点で、それ以上チームは成長しない。

 たった一つの負けはそのチームの評価を左右しないし、一つの勝利もチームの評価に直結しない。

 例えば(昨年)10月の2試合(対セルビア●0-2、対ベラルーシ●0-1)では、このままではダメだという論調が流れた。11月の2試合(対オランダ△2-2、対ベルギー○3-2)には非常に楽観的な意見があった。

 私個人は、そのどちらでもないところに真実はあるのだと考えている」

 「日本は世界的に見ても急レベルで成長している。日本選手の学び、表現する姿勢は特筆すべきもので、それこそが成長させる一番の要因となっている。日本の国民の皆さんには、素晴らしい向上心を持つ代表選手がいることを誇りに思ってほしい。

 日本サッカー協会は、2050年までに世界一になる目標を持っているが、それより前に達成する可能性があると感じている」

 --では14年の可能性は

 「私は何かを宣言するタイプではない。日本協会から依頼されたのは、日本のサッカー全体を成長させることだ。私が行った仕事の成果がみられるのは、おそらく14年以降のことになるでしょう」

                  □  □

 今年のW杯で日本の優勝は、ないということだ。なんという正直、誠実。はったりのかけらもない。

 エスニック(国民性)ジョークでイタリア人は、好色でおしゃれで、どこかいいかげんに描かれる。

 だがザック監督は、およそそうしたイメージからは程遠い。スタッフが忘年会会場に注文があるか聞くと「掘りごたつのある店」と答えたという裏話を聞いたこともある。

 この、らしからぬイタリア人監督の指揮に日本代表は命運を託す。もっともイタリアでは、かつてザック監督も率いた名門ACミランで「10番」を背負う、本田圭佑が堂々たる入団会見を行った。

 イタリア人記者に「サムライ精神とは何か」と聞かれて「サムライに会ったことはない」と笑わせ、「日本男児は決してあきらめない」と言い切った。引っ込み思案でも控えめでもない、らしからぬ日本人がこちらにいた。』

『オーストリア=ハンガリー帝国皇太子が訪問先のサラエボで、民族主義に使嗾(しそう)されたセルビア人青年の放つ凶弾に倒れた。第一次世界大戦の発端となった事件である。

 時は1914年6月28日。今年は第一次大戦の勃発からちょうど100年後という節目になる。

 だから今夏、主戦場となった欧州の各地で記念行事がめじろ押しだ。関連の特集記事や論文も欧米などのメディアをにぎわすだろう。すでにその前兆は散見している。

 中で目を引いたのが、昨年12月13日付の米紙ニューヨーク・タイムズに「第一次世界大戦の不吉な響き」と題して載った、著名歴史家マーガレット・マクミラン英オックスフォード大教授の寄稿である。

 教授は大戦の背景の一つに、「世界最大の海軍国英国と世界最大の陸軍国ドイツ」の角逐を挙げ、「今日の中国と米国の関係を1世紀前の独英のそれと比較」し、「中国の軍事費増大と海軍力増強は多くの米戦略家に、太平洋の大国としての米国に中国が挑戦するつもりだとの念を抱かせている」と指摘する。

 米国は、なお世界一の大国ながらかつてのような力はなく、大統領の資質や国内分断状況もあって指導的役割を果たせないとし、「米国はその前の英国のように力尽きつつあるのか」と問いかけている。

 英紙フィナンシャル・タイムズの外交コラムニスト、ギデオン・ラックマン氏は1月6日付同紙で、「1914年、既存覇権国の英国は台頭するドイツへの対抗…ゆえに戦争に引き込まれた。今、明白な危険は、米国が中国の台頭を懸念し日本との同盟によりアジアの紛争に引き込まれることだ」とし、「サラエボ」にもっと思いを、と論じる。

 現実となってはならない類推である。そんな危機認識を持って日本独自の抑止力と日米同盟を強化する一方、中国の挑発には乗らずに粘り強く押し返さなければならない。厳しい「百年後の今」である。』

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