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2022年5月 8日 (日)

古の武術から学ぶ 老境との向き合い方 (甲野善紀著 山と渓谷社)

著者は古武術で著名な方です。私もそろそろ老境に入りつつあり、興味をもって読んでみました。若い時とは異なる観点もあり、若い時のままの観点もあり、参考になりました。また、年をとっても上達できる武術について、改めて関心が高まり、かつてやっていた武道を再開してみようと思っています。

『・・・ずっと研究していれば、「人間はどういう感覚を、どう使って動くのか」といったことが次第にわかってきて、技も月単位、時には週単位で改良されていくのです。

・・・大事なのは、単なる力の強さや反射能力といったことではなく、身体全体の使い方であり、また「表の意識」を消して、私が「もう一人の自分」と呼んでいる「裏の意識」とでもいうものによって身体の運用を行う、といった研究工夫を常にし続けることなのです。

・・・日本の武術は、「夢想剣」に代表されるように、「我ならざる我」が技を行うことが昔から理想とされています。

・・・自分自身が今までに培ってきた経験を基に、社会に、あるいは周囲の人々に対してそれなりの能力を発揮していれば、邪魔者扱いされることなく、大事にされるはずです。

・・・私にしてみれば、他人から生きがいを与えられるなんて人として一番恥ずかしいことのように感じますが、周りが「生きがいを」と言わざるを得ないほど、現在、少なからぬ数の高齢者が、そういわれても仕方のない状況にあることも事実でしょう。

・・・思えば、昔の長老や古老といわれた人は、特別に保護されて高齢になったのではなく、さまざまな環境を乗り越えた末に高齢になったのであって、何かあったときに若い人たちの力になれるような知恵が身についていたのでしょう。それに引き換え今は、守られて当然という厚かましい老人が増えているように感じます。・・やりたいことがいろいろとあり、年をとっても魅力的に活動できているのは結構なことですが、同時に「いつ死んでも悔いはない」という覚悟、例えるならば、植物が花を咲かせ、実を実らせて枯れていくように、自分の死を自然の流れとして受け入れていける心境が育つことは、人として重要なことだと思います。

・・・散々考え抜いた末に辿り着いた結論が、先にお伝えした「人間の運命は完ぺきに決まっていて、同時に完ぺきに自由である」ということであり、それが、武術を始めるきっかけにもなったのです。・・私が解き明かしたかったのは、「運命は決まっていると同時に自由であるとは、いったいどのような構造になっているのか」ということです。

・・・現在はというと、生活においても仕事の場面でも、身体を使う機会は劇的に減りました。それに伴って、繊細な身体感覚、上手に身体を使う技がずいぶん失われているように感じます。

・・・子供たちにとっては、特に0歳から1歳くらいのネイティブな感情や缶買うがどんどん育まれるときに、入るべき情報がなかったら、その子たちの成長がどうなるのか、まったく予測のできない問題が生じるのではないか思う

・・・「三脈の法」は「三脈探知」とか「吟味」などとも呼ばれ、修験者や一部の武術家らの間に伝わっていたもので、三つの脈を抑えて、それらがずれていないかを確かめるというものです。・・普段は同時に打っている三か所の脈がもしずれていたら、それは身体が危険を知らせているということです。

・・・筋トレで効果を上げようとする人は、早く疲れたい願望があるように感じます。筋肉に早く負荷をかけて早く疲れさせよう、これだけ疲れたのだから筋肉が刺激されて太くなるだろう。そんなふうに「早く疲れよう、早く疲れよう」として筋肉に負荷をかけていると、確かに筋肉は希望通りに太くなります。ですが、早く疲れるというのは、身体のある部分に多くの負荷をかける「下手な身体の使い方」なのです。下手に身体を使い、筋肉を太くすることで、うまく身体が使えるようになるわけがありません。・・その点仕事は違います。仕事であれば、当然、疲れるためにやっているわけではありませんから、なるべく疲れずに効率よくやろうとします。ですから、子どものころから家事労働を行っていた時代には、おのずと、上手に身体を使えるようになったのです。昔の力士が強かったのは、農作業や山仕事など、仕事で作った身体がその基礎にあったからでしょう。

・・・部分にかかりそうになる負荷を身体全体でうまく受け止めて、部分が負荷を感じないようにする。そして、筋肉の緊張と弛緩のグラデーションが速やかに変化するようにする。それが身体を上手に使うということです。・・ところが筋トレで作り上げたような大きな筋肉というのは、緊張から弛緩へ、弛緩から緊張への速やかな変化が決して得意ではありません。

・・・細かく筋肉が分かれて発達したころによって、目まぐるしく緊張と弛緩を切り替えることが可能になり、前述のような信じがたいほどの動きが可能となったのでしょう。

・・・役に立つ筋肉をつくり、動きの質を高めるには、「今行っていることが自分にとって高い必然性がある」ということが、最も重要です。・・力だけでなく働きのある筋肉をつくり、身体をうまく使えるようになるには、単なる筋トレではなく、興味をもって取り組めるもので、必然性を感じながら身体を動かすことができる状況が不可欠だと思います。

・・・肥田翁は「この頭脳の澄み渡って如何なる宗教的哲学の真の真まで見極めることが出来たのは(肥田翁にはそういう自信があったようです)何たる幸福であろうかと今迄思っていたが、その頭脳の透徹がその反面に、非常な苦悩を伴うものであるということが今になって分かった」と、最晩年の亡くなる一か月半ほど前に述懐されています。それは、これからはるか先の世界が、まださまざまな混乱や争いがなくなっていないことをハッキリと感じ取り、絶望感にさいなまれたからのようです。

・・・20年以上もの間、起きているときは片時もカードを手放さず、手で触り続けて訓練したそうです。トランプには赤と黒のカードがありますが、「赤と黒では温かさが違う」とのことです。

・・・ただ丸紐を身体に巻くだけで、普段よりも強い力が出せたり、動きがスムーズになったり、身体の痛みが和らいだり、誰でもすぐに効果を実感することが出来ます。・・ただ言えることは、紐を感知することで、身体の各部位があるべき位置を確認し、身体各部のつながりがよくなり、自ずと身体をうまく使えるようになるのだと思います。・・「紐を緩く巻く」ことが大切で、ギュッときつく巻くと、紐を巻いていない時と同じように力を発揮できなくなります。・・また一人の例外もなく、丸紐か、丸紐を鎖網した紐でなければダメなのです。

・・・専門性が、かえって新しい技と取り組むことの邪魔をしているのです。

・・・目の前に起こっていることは同じなのに、なぜ怖さを感じなくなるのでしょうか。それは、手と指を、私が「蓮の蕾」と名付けた形にすることで横隔膜が縮み上がることを阻止するからです。・・横隔膜が上がらないように身体をもっていくと、目の前に起こっていることを、ただ「目の前で起こっているな」ととらえるだけで、怖さや不安を感じることが出来なくなります。

・・・紐は、根本の原因である「身体の使い方」を全身に強調させる使い方に導く働きがあるようです。ですから、紐を巻くだけで楽になるのでしょう。

・・・やけどをしていない部分を入れても耐えられる程度の熱さの湯にやけどした部位を浸して温めると、冷水で冷やすよりも、はるかに早くきれいに治るのです。

・・・傷口から染み出る体液には、傷の修復や皮膚の再生を促す成分が含まれているので、乾かすことで傷の治りが遅れます。消毒しない、乾かさない湿潤療法は、湿った環境を保つことで、細胞がどんどん活発に再生してくるのを促す治療法なのです。余計なことは一切せず、もともと身体に備わっている回復力や再生力を促そうという、ごく単純なことです。

・・・冷え性の人は、下半身は素肌状態で寝た方がかえって身体は温まる、ということもあまり知られていないことの一つです。特に大事なのが、太腿を布で覆うようなもの、つまりはズボン状のものははかないということです。・・特に重要なのが、左右の太腿が直に触れ合っていることだそうで、そのためズボン状の寝巻はおすすめできないのです。

・・・なぜゴム紐がよくないのかというと、どんなに緩いゴムだとしても、持続的に圧をかけ、伸びたり縮んだりすることで絶えず皮膚に働きかけてくるからです。皮膚にとっては絶えずワーワーという騒音を聞かされているような状態になるのでしょう。

・・・武術は、対応の一つの雛形を追及するものです。スポーツのように人が作ったルールに則って対応するのではなく、心身にもともと備わっているルールを駆使して対応を工夫するものであり、まさに「どう対応していくか」が常に問われます。だからこそ、武術での気づきは、日常生活の中で「どう対応するか」にもいきます。

・・・「倍返し、倍返し」で印象付けておいて、サッと帰るわけです。多少のお金はかかりますが、向こうは何かきっかけをつくって入り込んでこようとしますから、後々のややこしいことを未然に防ぐには、こういう時にケチってはいけないのです。

・・・健康やダイエットなどを目的に食事量を減らせば、我慢することになるため、ストレスが大きくなります。・・身体に「どんな状態化」を問いかけ、自分の身体と向き合って食事をするようになったところ、本当に量が減ってきました。・・私が実感したのは「この先、自分が面倒な病気というか、体調が悪くなった時、少しずつ食べる量を減らしていけば、本当に静かに安らかにこの世を旅立てるな」ということです。

・・・昔から米を主食としてきた日本人には、米食に合った腸内細菌がいたことは間違いありません。・・同じ食べ物を食べても、「その人がどういう腸内細菌をもっているのか」によって、栄養効率は全く異なるということです。・・性格や思考といった心理的な面も、腸内細菌によって左右されるといいます。

・・・特に人間を対象とした医学や体育に、心理的要素を除いて考えること自体、おかしなことです。なぜなら、人が生きているということは、常に心理状態と切り離して考えることが出来ないからです。・・人間というのは、同じ行為でも、どういう心理状態で行うかによって身体に与える影響は非常に異なるものです。

・・・私は、大人が子供たちに言えないようなことはやるべきではないと思います。・・イスラム教では動物の肉を食べる際、その動物が苦しみを最小限で殺されたかどうかを問題にしていますが、これは人として当然の配慮だと思います。

・・・組織をカッチリ作るよりも、緩いつながりのほうが、むしろ気持ちの面では深くつながることができるのではないでしょうか。・・解散してからのほうが、稽古会に参加する人の実力も上がり、そうした人たちの研究も深まり、それを私に紹介してくれるので、私自身の技の研究も進みました。

・・・私の稽古会では、・・学んでいる一人ひとりが、“自分流”の開祖になることを目指して稽古を行っています。・・一緒に稽古をしながら、ともに原理を考えるという、共同作業をやっている感じが、人が育つのには一番有効なのだと思います。・・飛行兵が飛行機に乗る相棒として操縦を教えることになったときのこと。教えるほうも、少年が一刻も早く覚えてくれなければ困るので、偉そうに教えるわけではなく、親身になって教え、少年のほうも憧れの飛行機に乗れるということで熱心に学び、驚くほど短い期間で操縦できるようになったそうです。

・・・「それぞれが自分流の開祖になってくださいね」と言っているので、他のできる人を嫉妬しないで済みます。上手な人を妬むのではなく、素直に参考にするからでしょう。他人の優れた技は自分を完成させるための大事な資料になるわけです。・・講道館柔道の開祖である加納治五郎師範の晩年は門弟同士の嫉妬や足の引っ張り合いの調停にずいぶん骨を折られたそうです。・・各自が自分流の開祖を目指せば、できる人を素直に認められ、面倒な組織内での勢力争いや、ややこしい人間関係は生じません。

・・・「老境との向き合い方」について私に言えることがあるとすれば、・・「陣減にとっての自然を考える」「人が生きているとはどういうことかを考える」ということに尽きるような気がします。』

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