« 嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか (鈴木忠平著 文藝春秋) | トップページ | 古の武術から学ぶ 老境との向き合い方 (甲野善紀著 山と渓谷社) »

2022年5月 1日 (日)

ヨガの教えと瞑想 (岡本直人著 Amazon Service International)

長く雑事に紛れて更新していませんでした。

気にしていただいた方々には、本当に申し訳ありませんでした。今後は適宜更新していきます。

さて、本書はAmazonの電子書籍でしか読めないようですが、これまで私が坐禅をしながら疑問に思っていたことのほとんどに答えてくれるものでした。この教えを参考にして、坐禅を続けていきたいと思います。

『・・・ラージャ・ヨガで想定している瞑想は長い時間座ることを前提いるので、そのための準備が欠かせません。例えば、結跏趺坐で長い時間座ろうと思えば、足首の柔軟性や上体をまっすぐ支えるための筋力をつけておく必要があります。このために、瞑想に取り組む前にヨガのポーズを練習しておかなければいけません。

・・・日常生活を見直し瞑想に向く落ち着いた心を養っていきます。・・外的な印象によって心は動揺するので、これらを自分の感覚器官から遠ざけるようにすると欲望は起こりづらくなります。具体的に言えば、欲望が生じる物を見ないとか、そういった場所に行かないようにするのです。また、瞑想中はできるだけ微細な感覚、呼吸をするときに空気が鼻を通過する感覚や、体に感じるかすかな風や体温などに集中すると良いでしょう。

・・・心はあなたのものではない・・ヨガの教えでは、この「私とは何か?」を理解することが悟りだとされている

・・・ヨガの教えでは、この二つは私でないと考えるのです。では何が私かと言えば、心や体を認識している「意識」が私なのです。・・ヨガの教えでは心や体を見ている意識が私の本質であり、心がその中で働いていると考えます。・・この顔や体はこの人生のものですが、死ねば私たちはこの肉体から離れ次の体へと移っていきます。

・・・私たちは本当に自分の意思で自由に心を動かしていると言えるでしょうか?具体的に考えてみましょう。・・私たちは自分の心をそれほど自由には扱えていない・・瞑想とは自分の思い通りにならない心を思い通りに使いこなすということが一つのテーマ

・・・心には欲望という心の働きがあります。・・欲望は私たちの心の大きな要素ですが、心の性質が欲望だけかといえばそうではありません。・・心には欲望を抑える思考の働きもあります。

・・・思考の不必要な働きが心の問題を起こす原因であると考え、思考の働きを制御することに注目・・思考を制御する目的は、必要な時は集中して使う、必要でない時はできるだけ止めておくということです。

・・・何か聖典のようなものを読むときにも、それが理論的に正しいというより、直感的に自分の胸の内で深く納得させられることがあります。・・これらの心の動きは生まれてから獲得するわけではなく、すでに備わっているものの想起であると考えたのです。このような心の働きを、日常生活の中で使う知恵と区別して、智慧という難しい呼び方をします。・・智慧のような高い心は私たちを本当の幸福に導いてくれるもの、欲望のような低い心は常に移ろいやすく、身体的なものであり、喜びが起きたと思えばすぐ失われてしまうものです。思考はその中間にあって、智慧のためにも使えますし、欲望のためにも使えます。・・ヨガという実践においては、智慧を実現するために思考を使わなければいけません。

・・・思考の働きは私たちの生活に必要不可欠なものですが、一方で思考は様々なストレスも引き起こしています。・・思考は自分の意思に反して勝手に動いています。・・考えたくないことに対しても思考は引き寄せられてしまうからです。

・・・私たちは常に思考のフィルターを通して世界を見ています。・・しかし、思考が作り出すストーリーはそれほど正確ではありません。

・・・意識とは言わば映画のスクリーンのようのものです。私たちはこの意識のスクリーンに様々なものを映し出して生活しているのです。

・・・心は私のものではないので自分の力で止めることができない・・結局のところ、思考を止めようとする努力は、血液の流れや呼吸を止めようとするような馬鹿げた努力なのです。・・「思考を止める」とは、思考の働きそのものを止めるのではなく、意識の思考を映し出さないということです。・・こういった感覚に集中し、意識が思考を映し出さないように注意します。考え事が始まったら、意識のスクリーンに思考が映し出されたということですから、もの一度瞑想の対象に集中していきます。・・頭の中に様々なイメージが浮かんできてもそれにとらわれず、身体の感覚などに注意を戻していきます。

・・・逆に、ある特定の思考だけを映しておく瞑想・・問題のない思考(読書など)や問題のない思考を含む行為(料理やスポーツなど)に対して集中することでも瞑想と同じ効果があると考えることができます。

・・・心に苦しみを起こす思考について、二つの原因を考えることができます。一つは欲望、もの一つは自我意識、つまりエゴです。・・思考を欲望や自我意識の対象と切り離して使うとき、それは瞑想と同じなのです。

・・・悩み事は考えれば考えるだけ臨場感が増して、存在感が強くなってしまいます。

・・・私たちが日常的に瞑想のテクニックを利用する目的は、思考を自分の道具として、自分の意思で自由に使いこなすということです。

・・・私たちの心には体や心を「私」だと思わせる精神的な作用があることがわかります。これを自我意識、エゴ、ヨガではアハンカーラと呼びます。このアハンカーラは何か自分に近い対象を見つけるたびに、「これが私だ」と言い続けています。それは単に体や心だけではなく、様々な対象に及びます。・・アハンカーラは日々様々な対象と「私」を結びつけてしまいます。これが、私たちを悩ませる原因なのです。

・・・「私」からあらゆる対象が切り離されてしまえば、心に怒りや不安が起きる原因はなくなってしまうのです。・・私たちが怒りや不安と呼んでいる感情の多くは思考が作り出しています。では、思考が活動するために必要なものは何でしょうか。思考が働くには何か対象が必要です。つまり、思考の働きにはその原因となる「もの」や「こと」があるのです。

・・・「心の働きを止める」ということですが、これは二つの意味で考えることができます。一つは、心を一点に集中して余計な動きを止めること。もう一つは、心そのものの働きを止める、つまり心を失くしてしまうという意味です。

・・・苦しみはアートマンである「私」に起きているわけではなく、心に起きているだけだからです。ですから、瞑想をするときは、意識に心が映らなければ苦しみは何も起きていないという点をよく理解して瞑想に取り組むようにしましょう。

・・・純粋意識である私は変化せず、根源物質である心と体は常に変化しているのです。したがって、心や体で得る幸福感は必ず変化するもので、手に入れるとすぐ失われてしまうものなのです。

・・・欲望が与えてくれる幸福は必ず衰えるもので、それによって至福にとどまり続けるということができないのです。これは欲望の幸福感の非常に明確な性質です。

・・・思考は常に様々なものと自分を比較し続けているので、一度満足しても、また別のものを見て不満を感じてしまうのです。思考はいつも自分の外側のものに幸福を見て、「あれがあれば私は幸せになれるのに」と思ってそれを追いかけていきます。

・・・「ヨーガ・スートラ」で「ヨガとは心の働きを止めることである」と言っていることの意味は、「移り変わる心を意識から離して、あなた自身の内側にある至福に集中しなさい」ということです。そしてこれが、ヨガが教えている瞑想の本質的な目的でもあります。

・・・瞑想によって心の作用が完全に止まった人にとって、世界はただあるがままに存在し、世界がその人に苦しみを与えることはなくなります。なぜならその人は、世界に苦しみが存在しているのではなく、心がそれを作り出していたことを完全に理解したからです。

・・・何も期待せずに、悟りたいという願望すら捨てて瞑想に取り組む姿勢がとても大切です。あなたはすでに最高の至福と悟りを得ているので、これ以上何も求める必要がないからです。

・・・そのような神秘体験の誘惑から、かえって道を踏み外す人が非常に多い‥結局、体験はいずれ失われてしまうものなので、このような経験に執着したり期待してはいけません。

・・・瞑想はとにかく、波のように揺れ動く心を意識に移さない努力です。・・私たちは本来皆が悟っており至福であるのに意識に心が映っているので「私はまだ悟っていない」とか「幸せになりたい」と思うのです。この点によく注意して瞑想に取り組んでみてください。・・一方で自分自身の心の性質を変えていくことはとても大切です。

・・・あなたが何か悩み事を抱えていて、ずっとそれに苦しめられているとすれば、あなたは心に支配されているのです。そうではなく、あなたが心を支配しなければいけません。必要でないと思えば、すぐその思考から離れたり、必要な思考に対しては一心に集中したり、心を自分の意志で自由に使えるように練習すべきです。・・きちんと座って一つのことに集中できるように、自分自身の心を指導していかなくてはいけません。これは、あなたがこの人生で取り組むべき最大の仕事でもあります。・・「これは私が本当に考え続けるべきことだろうか?」という観点でよく思考を吟味し、あなたが本当に有益だと思うことだけに使うよう心がけてみてください。

・・・私たちが悟るために努力する必要は一切ありません。しかし、心を制御するためにはあらゆる努力をするべきです。これを逆に考えてはいけません。

・・・このように他人と比較したところであなたの本質的な利益にはなりません。結局のところ、他人を気にせずに、自分の仕事に真摯に向き合うしかないのです。・・怒りは思考が比較したことから起きているので、あなたが旦那の姿を見て比べることをやめてしまえば、このようなイライラは起きてこなくなる・・こういった比較も自分で行っているのではなく、思考が勝手に行っているのです。

・・・思考そのものが起こらないようにするという対処法も考えられます。それが、「見ない」、あるいは「聞かない」という実践です。

・・・日常生活の中で、思考は多くのエネルギーを消費しています。また、一日は24時間しかなく、私たちの一生も限られた時間しかありません。ですから、思考を何に使うのかということはよく吟味しなければいけません。

・・・私たちの頭の中では、いつも一人喋りが起きています。この声は自分の声のように感じますが、実際は思考の声なのです。・・思考が喋り出したら、できるだけその声を聴かず、呼吸や音などに集中してみましょう。

・・・容姿は毎生ごとに変化するものですから、その姿はあなた自身の本質というわけではありません。このようにとらえて、容姿そのものの執着から離れてしまえば、怒りは起きてこなくなります。・・「会社の先輩と後輩という立場は私の本質ではない、アドバイスが正しいものであれば素直に聞き入れよう」「仕事の知識は私ではない。知らないことに対して、なぜ恥をかかされたと思う必要があるだろう」と考え、怒りから離れます。

・・・欲望の幸福は決して長続きしないということに気付き、それを手放すことはヨガの最初の実践です。

・・・優越感を感じると確かに気分は良くなりますが、この感情を私たちの幸福の本質にすれば、人生は非常に苦しいものとなるでしょう。

・・・瞑想をするとき、「私は永遠不変のアートマンであり、常に至福であり、一切の苦しみから離れている」と念想してみましょう。アートマンに集中している間、私は至福です。』

« 嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか (鈴木忠平著 文藝春秋) | トップページ | 古の武術から学ぶ 老境との向き合い方 (甲野善紀著 山と渓谷社) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか (鈴木忠平著 文藝春秋) | トップページ | 古の武術から学ぶ 老境との向き合い方 (甲野善紀著 山と渓谷社) »