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2022年5月

2022年5月30日 (月)

賢者の書 (喜多川泰著 ディスカバー・トゥエンティワン)

数年前に著者の講演を聞き、とてもよかったのですが、この著作もその内容のことを言っているだけかと思って、気にはなっていましたが読んでいませんでした。実際に読んでみると、講演の内容とは全く違う物語でした。でも、はっと思わせられたり、繰り返し読んでみたい言葉がちりばめられた、読後感さわやかな話でした。

『・・・行動の結果手に入るものは、失敗でも成功でもない。絵を完成させるために不可欠なピースのひとつであり、それ以上でも、それ以下でもない・・その絵を完成させたときに自分の手に入れてきたピースの一つひとつが、どこでどう使われているのかを見て、ようやくわかるのだよ。・・パズルを組み合わせて一枚の絵を完成させるのは自分ひとりの力ということなのだよ。

・・・夢はまだ、こうなればいいなあとか、こういう絵が描けるかもしれないといった弱い段階なのだ。一方ビジョンとは、必ず到達することが約束された場所であり、そのためにお前の人生があるという確固とした信念をもとに描かれる絵だ。

・・・宇宙を創造した大いなる力が、我々人間を生み、その一人ひとりの中に自らと同じ大いなる力、つまり心を与えたという一つの事実だ。・・私たち一人ひとりの持つ大いなる力、つまり心も、世の中に新しいものを創り出す能力があるということだ。

・・・自分を他人よりも価値のないものと卑下してはいけない。 自分を他人よりも優れているものとして傲慢になってもいけない。 自尊心と他尊心は常に同じ高さでなければならない。 自尊心を高めるということは、同じ高さまで自分以外のすべての人間に対する他尊心を高めるということを意味しているのだ。一部の、ではないぞ、すべての人間の、だ。

・・・何になるのかというのはさほど重要なことではない。どんな人間になるのかということのほうが、はるかに重要なのだ・・何になるかを目標にしても成功を収めることはできない。まず真剣に考えなければならないのは、どんな人間になりたいのかである。

・・・人間は自らが努力して作り上げたものの上にしか、安心して立つことはできんものだ・・人間は、今この瞬間しか生きることはできない。そのことを正しく理解する者だけが人生において成功をおさめることができる。

・・・大きな夢ばかりを見て、時間を過ごしている人もいる。今日、その夢に一歩でも近づく努力をしていないなら、結局、未来を恐れてオロオロしながら、今日を過ごす人と大して変わりがない。大切なのは昨日までの人生と、明日からの人生に心をとらわれることなく、今日一日に集中して生きるということなのだ。

・・・君の伝記を読んでいる人間が、今日のページを読んでいるときに、『あぁ、こいつは成功して当然だ』『この人は、絶対に成功する人だ』と確信できるような一日にすることだ。何しろ、その確認は外れないし、どこかでそう思われない人間が自らの伝記の最後の方で大きな成功を手に入れるなんてことは決してないのだから。・・君は、君の伝記を読んでいる人間が、君は将来絶対に成功する人間であると確信できるような一日にすればいいだけなのだ。そうすれば残りの人生は成功できるかどうかというものではなく、成功するのはわかっている。あとはそれをどうやって手に入れるのかを見るに等しいものになるのだよ。

・・・尊い働き方もあれば、そうでない働き方もある。

・・・自らの人生という貴重な財産を、時間という財産を投資したのだ。そしてその結果として、自らの描く、壮大なビジョンを完成させるために必要なパズルのピースをすべて受け取ったのだ。これが正しい投資である。この投資は、現状としてお金があるないに関係なく、すべての人が平等に、しかも今すぐ始めることができる。賢者とはそのことをよく知り、時間を投資することを欠かさない人なのだ。

・・・この世は、自分の幸せばかりを願う者にとっては、辛いことが多く、思うようにいかず、楽しいことの少ない試練の場かもしれないが、他人の幸せばかりを願う者にとってはこれ以上ないほど、楽しいことの多い、そしてチャンスに満ちた輝ける場所なのだよ。

・・・人は病気によって生きる希望をなくすわけではないの。言葉によって生きる希望をなくすのよ。もちろん上手に使えば、生きる気力・勇気を与えることだってできる。

・・・あなたの言葉を一番聞いているのはあなた自身なの。そしてあなたは誰の言葉よりも自分自身の言葉に強い影響を受けて人生をつくっているの。あなたは、実際にあなたが口にすることも、心の中で考えることもすべて聞いているわ。そしてそのすべてから影響を受けて自分の心というものは作られているの。あなたの周囲を満たす言葉の大部分はあなた自身の言葉なのよ。

・・・せっかく持って生まれてきた心であり、口でしょ。・・どうせ使って生きるのなら、人に勇気、元気、感動を与えたり、良いものを生み出すために使って生きた方がいいでしょ。もちろん、自分に対してもね。

・・・知っているだけでは最高の賢者にはなれません。つまり、この旅だけでは最高の賢者になることはできないのです。僕はただ賢者の教えを知っただけですから。これからが本当の人生の旅です。

・・・自分と出会うすべての人や出来事に対して、心から思わなければならない。『ありがとう』と。そして大切なことは、それを伝えなければならないということだ。

・・・感動させる側になって初めて、真の感動を十二分に味わうことができるのだ。これは感動に限った話ではない。

・・・真に学ぶ姿勢がある者にとっては、世の中のあらゆる人が師となり得るのだ。教えた側が賢者なのではない。学んだ側が賢者だったのだ。そして最高の賢者とは、誰よりも多くの人からいろいろなことを学べる素直な心を持つ人なのだろう。』

2022年5月29日 (日)

ウクライナ人だから気づいた 日本の危機 ロシアと共産主義者が企む侵略のシナリオ (グレンコ・アンドリー著 育鵬社)

今回のウクライナ侵攻ではなく、2014年のクリミア侵攻後に書かれたものです。この書籍の存在は知っていたのですが、今回2022年の侵攻後に初めて読みました。この書を読んでいれば、今回のロシアの苦戦は予想できたかもしれません。この書には、日本に対する重要な助言が多数記されています。しっかりと心にとめておきたいと思います。

『・・・ウクライナは国家としてしっかりしてなかったから、非常に弱くなりました。だから隣国のロシアは無防備だったウクライナを攻撃して、戦争になってしまいました。

・・・ウクライナに対して用いられたロシアの共産主義的手法は、今、中国によって日本に対して用いられています。その最も顕著な例が沖縄と尖閣諸島です。

・・・日本人が知るべきは「ロシアの本質」である。つまり、ロシアはどういう国か、ロシア国民は自国の歴史や国際情勢をどう認識しているのかなど、日本に直接影響し得る問題についてである。・・ロシアの歴史認識は大国意識に基づいている。過去にどんなにひどいことをしていても、それを正当化する。一切間違いを認めない。だからロシアは、過去に犯したすべての侵略を称賛するのだ。

・・・ロシア人は、自国が世界中から恐れられている、脅威として思われているということを、最も誇りに思う民族である。つまりロシア人がロシアに対して

世界に共有してもらいたいイメージは「尊敬」ではなく、「恐怖」なのだ。

・・・よく勘違いされるのだが、「ロシアは都合がいい時だけ約束を守るが、都合が悪くなったら約束を平気で破る」と言われている。そうではない。ロシアは最初から約束を守るつもりはまったくない。・・ロシアにとって約束というものは、相手を油断させる道具に過ぎない。

・・・自らが一方的に押し付けた契約ですら、ロシアは時間が経てば平気で破り、さらに悪い条件でガスを売ろうとしているのだ。

・・・日本文化が好きな人が多いからといって、その国は親日になるのか?答えはもうでている。決してそうではない。中国と韓国は、世界で最も過激な反日国家である。同じように、日本文化が好きなロシア人がいくらたくさんいてもロシアも反日国家である。・・彼らはあくまで日本のアニメだけが好きであり、政治的には反日であるということだ。・・日本はかつて、ヒトラーの味方であったため、政治的に日本に一切の配慮をするべきではないとも言っていた。

・・・中国とロシアは事実上の同盟国であり、経済関係も深いからである。ロシアにとって中国は第一の貿易相手でもある。ロシアと中国は切っても切れない関係なのである。・・ロシアも中国に経済面で大きく依存しているので、中国の拡張主義を抑止することに協力できない。

・・・これはロシアがよく使うやり方である。元々ロシアの権益がどこにもないところへ侵入してきて、権益の存在を主張する。そして、その後「妥協しよう」と言い出して、その権益の半分を相手に認めさせようとする。それは形としては妥協に見えるが、実際はロシアが一方的に権益を得るだけだ。なぜなら、そこにはロシアの権益は存在しなかったのだから。

・・・第一のポイントは返還の期限を設けないことである。そして、第二のポイントは立場を一貫して、全島全域返還という立場を崩さないことだ。・・準備を万全にして、機会をうかがうのだ。ロシアは将来必ず弱くなる。弱くなった時、実力で取り戻すか、実力を背景にロシアに全面返還を迫るのだ。それは十分可能の展開だが、その力を持てるかどうかは日本の頑張り次第である。・・深い入りせずに、国際的な礼儀だけを守り、適当に付き合ったらいい。ロシアの言うことには適当にうなずいておけばいい。だが、絶対に信じてはいけない。これは最も現実的であり、最も日本の国益に適うロシアとの付き合い方である。

・・・共産主義思想の根本的意義は周知のとおりであるが、あえて端的に再言及するとすれば、それは「私有財産の否定」と「伝統文化・信仰の否定」にほかならない。この共産主義は、世界に最も多くの悲劇をもたらした思想である。・・共産主義者は人の命にまったく価値を見出さず、目的のためならばいくらでも存在の抹消を正当化してきた。

・・・国内が一致団結しなかったため、民族が一丸となり赤い化け物に対抗することができなかったのだ。

・・・共産党幹部はウクライナの民族アイデンティティを徹底的につぶすことにした。そのために、そのアイデンティティを最も色濃く保っていた農民層の大量虐殺を起こした。この農民層を潰せば、ウクライナ民族を骨抜きにできると考えたのだ。そして、残されたウクライナ人を「ソ連人」として作り変えることが最終目的であった。・・文字通り一切の食料を没収されたので、明らかに農民を餓死させることが目的だったといえよう。しかも食料がなくなった地域から誰も逃亡せぬよう、道路も封鎖された。このような人工飢餓やその規模を隠ぺいするため、ソ連公式の見解では、不作のため限定的な飢餓が発生したとされている。人工飢餓の犠牲者数はまだ確定されていないが、当時の人口統計や出生率などの分析によれば、飢餓で200万人から600万人多死亡したと推定される。

・・・フルシチョフは、ソ連共産党ウクライナ支部に長くいたことから、ウクライナ人と誤解されることがあるが、民族的にはロシア人である。彼はウクライナイを担当していたころ、積極的にスターリンによる抑圧や虐殺に加担した人物だ。

・・・ウクライナはせっかくソ連から独立したときに受け継いだ強い軍隊の大部分を、主として経済的な事情と平和ボケの風潮により手放してしまった。そのた、め、ウクライナには抵抗する力がなかった。・・しかしロシアは、絶対服従しか認めるつもりはなかったので、ウクライナ新政府の交渉要請を一切蹴って、クリミア占領作戦を続けた。

・・・この事件の直後、マレーシア機はウクライナの戦闘機が撃墜したという説が出回った。一方、この直後、武装集団のリーダーの一人が、「ウクライナ軍用機を撃墜した」と非常に喜んでいる様子でSNSで投稿をしていた。ロシアのニュースサイトも、親露派勢力がウクライナの軍用機を撃墜したと報じた。しかし、数時間後、その投稿と、アカウントそのものが削除された。マレーシア機を撃墜したのがロシア正規軍の部隊であることは疑いようがなかった。なぜなら、非正規の武装集団が、地対空ミサイルシステムという複雑な兵器を扱うことが出来ないからだ。特別の訓練が必要なのである。つまり、これはロシア軍による誤射であった。

・・・ウクライナ国民の過半数はロシアが友好国であるという認識を持ち、現実として侵略が始まった時、驚愕した者が大多数だった。ロシアがウクライナを攻撃するなどということを信じたくない人は非常に多かった。

・・・現代の侵略のやり方とは、まず、侵略対象の国の協力者を利用して、混乱状態を作る。その後、その混乱を口実に正規軍を送るのだ。ウクライナ東部では、ロシアによってまさにそれが実行されたのだ。

・・・ウクライナが1991年末にソ連から独立した時点で、ウクライナ軍は次のような編成であった。兵士780万人/戦闘車両7000両/大砲7200門/軍艦500隻/軍用機1100機、そして1500発以上の戦略核弾頭と176発の大陸間弾道ミサイルという、当時世界第3位の規模の核兵器も保有していた。しかし、独立してから大規模な軍縮が始まった。・・見返りとして、「米英露はウクライナの領土的統一と国境の不可侵を保証する」という内容の覚書だけを発表した。だが、覚書は国際条約ではないので、それを守る法的義務はない。実際の国際関係では、法的拘束力のある国際条約ですら守られていないことが多いという事実を踏まえれば、最初から法的拘束力のない「覚書」など守られるはずもない。

・・・1998年に未完成の航空巡洋艦ヴァリァーグが中国に売却された件は有名である。中国側が水上カジノにし、軍事的使用はしないと約束したが、ご存じの通り、その後、船が中国で完成されて、今は中国軍の空母、遼寧として稼働している。・・ヴァリァーグと同様に多くの船が外国に売却された。また、削文された船も多かった。

・・・最も大きな問題とは、この少ない予算であっても軍のために使われなかったということだ。軍の腐敗や堕落も甚だしいものとなった。軍や防衛省の中で、汚職と賄賂は蔓延し、軍の幹部は任務をはったらかしにし、私腹を肥やすことだけに専念した。

・・・2014年3月、ウクライナはロシアにクリミア半島を占領された。ロシア軍がクリミアを占領し始めた時に、ウクライナは武力による抵抗をせず、国際社会に対して、ロシアの暴挙を止めるように要請した。・・形としてはウクライナは100%正しい行動をとり、国際法に則り、正当な要請をした。それに対し、国際社会は声明を発表するという形で、ロシアの行動を批判し、クリミア半島のウクライナへの帰属を確認した。そして、ロシアに対して、直ちにロシア軍を栗見は半島から撤退するように要請した。しかし、実際にロシアの侵攻を止めるための行動をした国は一国もなかった。

・・・2014年4月以降、ロシアはウクライナ東部への侵攻を開始した。何もせずに国際社会に訴えることの無意味さに気付いたウクライナは、ようやく自分の手で抵抗を始めた。形骸化してしまったウクライナ軍を少しずつ復活しながら、血を流す戦いに臨んだ。そのようにしてやっと、自力で自国を守る覚悟を示したのだ。そうすると、国際社会の反応は少しずつではあるが、変わり始めた。・・それらすべてが可能になったのは、ウクライナが自分で血を流す覚悟を示し、最後まで戦う姿勢を見せたからにほかならない。つまり、ウクライナ人はちゃんと自分で戦っているから、支援する意味があり、その支援は無駄にならないという風に、西洋諸国が考え始めたのだ。

・・・「日本人は戦う意思がある」と見せかけなればならない。実際に国民は戦うつもりがなくても、それを隠して、日本人は一丸となって戦うつもりでいるというイメージを国際社会に見せて、国際社会を少しでも日本を支援する気にさせなければならないのだ。・・ウクライナは2014年3月に一度、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、それが幻想だと知った。日本はウクライナイと同じく愚かな期待をしてはならない。

・・・NATOは集団安全保障の組織であると同時に集団防衛の組織でもあるということだ。

・・・実際は集団安全保障が平和を維持している体制なのだ。日本における集団的自衛権行使反対の主張は、完全なでたらめであることをウクライナやヨーロッパの状況は明確に語っている。これも机上の空論や仮定、創造の話ではなく、実際に世界で起きていることなのだ。

・・・現代の戦争では、非戦闘諸国、国際社会が、当該の戦争についてどのような考えを持っているかが、勝敗を決める極めて重要な要素になる。・・ところが国際世論は必ずしも事実によって動くとは限らない。・・国際社会に伝えることが出来なければ、国際社会の場で評価されることはない。

・・・西洋諸国を始め、世界各国の国民はウクライナを支持しているとは言えない。なぜそのようなことが起きているのだろうか。それは、ロシアが繰り広げた巧妙なプロパガンダの結果である。ロシアは国家戦略として、全世界に向かって大々的な情報発信を行っている。そのために高額の国家予算を使っている。極貧者の人口が多く、下水道すら通っていない地域も多いロシアだが、対外プロパガンダの予算だけは毎年しっかりと確保してある。

・・・プロパガンダの一つ一つのデマは短期間の効果しかないということをロシアも承知の上だ。だから効果的なプロパガンダのために、次から次へと新しいフェイクニュースを作り出し、前の嘘が暴かれた頃には既に新しいデマが多く出回っているのだ。

・・・日本も情報戦において遅れをとり、それによって被害を受けている・・中国共産党や南北朝鮮政府を始めとする反日勢力が、史実に基づいていない虚偽を世界に拡散し、国際的に日本の印象を悪化させている。

・・・内政干渉もひどいものであった。ロシアは常に、ウクライナ国内におけるロシア語の使用について口出しをして、ウクライナ語ができない人がウクライナ国内ですべてのサービスをロシア語で受けられるように要求していた。

・・・現実のロシアの行動は、この期待と真逆であった。ウクライナがロシアの要求を呑めば呑むほど、新たな要求は突き付けられた。弱腰の姿勢はむしろロシアを調子に乗せて、要求の規模はエスカレートした。・・このように、独裁国家の理不尽な要求を呑んでも、最終的に攻撃を免れることはできない。むしろ、その要求を早い段階で断った方が、要求がエスカレートする可能性の上昇を抑え、相手の軍事行動を避けられる可能性が出てくるのである。

・・・ソ連崩壊後、ロシアはいくつかの戦争を起こしている。・・いずれの戦争も、ロシアは侵略者であり、首謀者である。・・民族紛争という形を取っているが、戦争を掻き立てて、実際の戦力をもってジョージアを攻撃したのはロシア軍である。

・・・侵略者はまったく違う理屈で動いているのだ。侵略者の理屈とは、「侵略を物理的にできるか、できないか。攻撃する力があるのか、ないのか」ということである。もし侵略者がそれをできると判断したら、攻撃するだろう。・・やるべきことの一つは、現在侵略で苦しんでいる国を支援することだ。侵略を受けている国を支援すれば、その国が侵略に対抗する力が強くなる。そうすれば、侵略者は現在の侵略で手一杯になって、次の侵略を断念するか、延期するかもしれない。

…なぜウクライナの軍隊は腐敗したのであろうか。最も大きな原因は、指導層や国民の多くが軍の重要性をわからなかったということである。つまり、ウクライナ社会はその時完全に「平和ボケ」してしまったのだ。当時、国民に広まっていた考えは以下のようなものであった。「軍は金がかかるだけ」「これからは平和の時代だ。戦争が起こるはずがない」「そもそも戦う相手がいない」と。だから、ウクライナ軍がだんだん衰退していくという状態について、ウクライナ国民が声を上げなかった。

・・・平和ボケとはどの国、どの社会にでも起こりえる現象なのである。・・平和ボケとは、平和が長く続くと自然に現れてくる現象である。

・・・明らかなロシア工作員がウクライナ防衛大臣を務めたのだ。

・・・ロシアが、ウクライナは反撃できないと確信していたからこそ、侵略を強行したのだ。

・・・実際は日本の周りに、中国やロシア、北朝鮮や韓国がある。その中で、韓国とロシアは、既に日本の領土を何十年も不法占領している。また中国は日本に対して不当な領土主張をしているだけではなく、日本全体を支配しようと、さまざまな工作をしている。

・・・一国の軍事力が強ければ強いほどその国が攻撃される可能性が低くなる。だから、平和を維持し、戦争を防ぎたいのであれば、軍事力を強化するしかない。

・・・共産主義は、基本的人権、平等、自由などを尊重する民主主義国家とは相いれないものであると定められ、その理由で共産主義が禁止される。

・・・今はソ連もナチスドイツも悪であり、ウクライナはその二つの化け物の犠牲者だったという史実に基づく見解が広まっている。

・・・正教会は、カトリックやプロテスタントに並ぶキリスト教の一大宗派だ。正教会が主流であるすべての国には、・・それぞれの正教会がある。ロシア正教はその一つなのだ。・・正教会の仕組みは、最上位がコンスタンディヌーポリ総主教庁で、

・・・日本の自虐史観の大きな柱は「日本は植民地支配をした」「日本は侵略戦争を起こした」の二つであろう。まず、一つ目についてだが、日本は植民地支配をしていない。台湾と朝鮮は日本に征服されたのではない。朝鮮はロシア帝国に支配される寸前というところで、日韓併合が実行された。日本は朝鮮を過酷なロシア支配から救ったといってよい。ましてその支配は植民地どころか、優遇とすら言える。・・本土と同水準の教育を与えただけでなく、ハングルも広めて朝鮮語そのものを発展させた。

・・・日本は「侵略戦争」を起こしていない。侵略戦争とは、領土や権益の拡大、もしくは資源の獲得のために、当該国が自分の意志で開始する戦争である。しかし、日本はそのような戦争をしていない。支那事変も日米開戦も、ソ連の謀略の結果である。・・もし日本に大東亜戦争において責任があるとしたら、それはソ連の謀略を見抜けなかったことである。

・・・国際社会では、正しい事実を訴えればわかってくれるとは限らない。そういった心情面にも十分配慮して情報発信をしないといけない。

・・・もちろん、不可能を可能にするには、多くの努力を重ねる必要があるのだが、意識が変われば、日本の核武装だって、国連の常任理事国入りだって可能だ。

・・・残念ながらよくならない。自衛隊を明記しても、戦力の不保持と交戦権の否定はそのままであるからだ。だから、この改正案は現状を少しも改善しないにもかかわらず、次の改正の可能性を非常に低くしてしまうため、筆者は有害だと考えている。

・・・反対意見が優勢の場合は、様々な形で情報発信を行い、今の世論を変えようとするべきだ。そのために政治家や言論人、オピニオンリーダーというものが存在する。・・「何が何でもとりあえず憲法改正をすれば、日本は良くなる」という考え方は、左翼が言う「憲法改正すれば戦争になる」と同じぐらい現実とかけ離れたスローガンではないだろうか。大事なのは「何が何でもとにかく憲法改正だ」ではなく、「どの条文をどう変え、それによって今の日本はどの点でよくなるのか」ということである。

・・・再軍備は憲法改正より重要だ。なぜなら、実際の国力となっているのは軍事力で、憲法の条文ではないからだ。どんなに立派な条文であっても、もし軍事力という「中身」が弱かったら、国を守ることはできない。

・・・数百名の日本人が北朝鮮に拉致されていると言われている。これはとんでもない犯罪であり、主権侵害行為である。しかし、日本は自国民を拉致されても取り返しに来ない。日本は、他国に侵された自国民の人権を守ることが出来ない国である。・・世界中のほとんどの人が、日本人が何百人も北朝鮮に拉致されているという事実を知らない。国際世論を味方につけるには、その事実を知らせる必要がある。

・・・外国人労働者受け入れは、間違いなく将来大きな社会問題となる。これを労働力不足問題の解決策として考えてはいけない。外国人は、異なる文化や世界観の持ち主であるので、日本に既にある文化や生活様式と相いれないものが多い。ヨーロッパの例で分かるように、何れ混乱や衝突が生じる。外国人の定住は、日本の社会に溶け込む意思のある外国人のみ認めるべきである。・・正しい思考は、「移民はいらない。しかし少子化は深刻な問題だ」ということだ。この二つの関係ない問題を分けて、少子化問題の解決に取り組むべきだ。・・人口減少そのものがはるかに大きな危険性を持っているという事だ。その理由の一つとして、日本国全体の国力衰退が考えられる。つまり人口とともにGDPも減少するという事だ。・・二つ目は、さらに恐ろしい展開だ。すなわち人口減少の傾向が一度軌道に乗ってしまえば、それは止まることなく、出生数は下降の一途をたどるということである。

・・・外国人観光客への過度の期待は禁物だ。なぜなら、外国人旅行者を商売の対象にすることによって、依存性が生じるからだ。・・最初から外国人の需要を計画に入れると、その外国人需要がなくなった場合は、商売が成り立たなくなる。

・・・国際法上、他国の軍用機に領空侵犯された場合は、撃墜可能である。しかもその時期、ロシアによるトルコへの領空侵犯は頻繁に起きていた。だから、トルコは我慢しきれずに10回以上の警告を繰り返したのち、撃墜を実行した。このトルコの行為に問題はない。しかしその後、ロシアは多面的な圧力をかけて、特に、ロシアの観光客にトルコに行かないよう呼びかけた。トルコの観光業やホテル業は、かなりロシア人旅行客を当てにしていたため、2016年にトルコの観光業は大きな打撃を被ってしまった。1年後、トルコのエルドアン大統領はなくなったロシアの搭乗員の遺族に謝罪した。

・・・チベットやウイグルは中国によって既に国家の体をなしておらず、全土が中国に支配されており、自国では抵抗が極めて困難な状態にある。国際社会の助けが必要なのである。では、日本は何をするべきなのか。少なくとも中国の暴挙を糾弾して、国際社会に対してチベットやウイグルの虐殺について積極的に継続して情報発信をするべきである。・・「できるが、しない」というのは「事なかれ主義」だ。やるべきことを、できるところからやるのが「現実主義」である。

・・・実はほとんどの動物の寿命はおおよそ人間の三分の一から四分の一である。そのため、体にたまった放射線による影響が現れる前に、寿命が尽きてしまう。だから、動物は元気な生活ができるのだ。むしろ人間がいない分、動物にとっては他の地域よりいい環境かもしれない。

・・・脱原発を叫ぶ「進歩主義」を名乗る人たちは、実は強烈な「後退主義者」なのだ。・・「脱原発」「反原発」を主張している日本人たちに言っておきたい。まずは自らが文明的な暮らしをやめて、洞窟へ行けばいかがだろうか。私たちから見たら、この恵まれた豊富な電力が十二分に安定供給されている日本で、あなた方の主張にまったく説得力がない。反原発の運動家は、人類の安全や、環境、市民の暮らしについては一切考えていない。

・・・日本と似たような歴史を持っている国は世界で他にない。神話時代から現在まで歴史が続いている国はない。2679年も同じ王朝が続いている国はない。連綿と、おおよそ同じ領土で、同じ民族が同じ言葉を反して、一度も他国の一部になったことがないのは、日本だけである。

・・・左翼は、伝統の重要性を皇室の尊さを理解できないのだ。左翼知識人にも非常に頭のいい人はいる。しかし、彼らは自分だけの知恵に頼り、先人の智の集積を重視しない。私は、日本の皇室は日本だけではなく、全人類の宝物であると思う。さまざまな悲惨なことが起きている今の世界は、日本の皇室のような、何千年も続く尊いものを求めているのではないだろうか。

・・・日本が外国との戦争に敗北したのは歴史上、3回ある。白村江の戦(663年)、豊臣秀吉の朝鮮出兵(1590年代)、そして、大東亜戦争(1941~1945年)である。2679年の間にたったの3回。これも世界で他に例のないことであろう。

・・・白人以外で初めて近代化に成功した日本は、他の有色人種にとっても近代化の道しるべとなった。日本の成功があったからこそ、他の有色人種も白人に劣っていないことに気付き独立と発展を目指す動機となった。

 

・・・日本の再軍備を妨げているのは事実上、日本の世論と、それに縛られている指導者の根性のなさのみである。

・・・世界平和をもたらすには、平和主義を実行している国が世界のリーダーにならなければならない。もちろん、それは左翼が主張しているような空曹平和主義ではなく、正当な力に基づく本当の平和主義でなければならない。正当な力に基づく平和主義を実行する国が、世界に平和主義の模範を示し、凶暴な国や勢力を抑えるのが理想である。・・平和主義とは、戦わないという事ではない。自国に対する脅威がある時、攻撃される時には戦わざるを得ない。しかし、自分から戦いを挑む、必要のない戦いをする、または欲に基づいて誰かを攻撃するようなことをしてはならない。

・・・議論する時には、誰も否定できない「事実」に基づくことが有効です。』

2022年5月16日 (月)

防衛事務次官 冷や汗日記 失敗だらけの役人人生 (黒江哲郎著 朝日新書)

官庁の事務次官まで務めた方の著作です。個人的にも存じていますが、本当に腰が低いのですが、信念をもった聡明な方だと感じていました。本著作にも、ご本人の人柄があちこちに感じられました。失敗を含む自分の経験を後世に役立ててほしいという思いも感じました。

『・・・部隊指揮官のレベルではなく総理や防衛庁長官が自衛隊の行動についてどうやって意思決定するのか、という点こそが課長の問題意識なのではないかと思い当たった

・・・どんな仕事にもストレスはつきものですので、上司の言動で過剰なストレスを上乗せするべきではありません。その意味で、やってはいけないことの典型がパワハラ・セクハラです。・・組織を管理する立場の者は十二分に注意を払わなければなりません。

・・・畠山先輩は持ち前の飾らない気さくな性格と率直な物言い、そして何よりも仕事に対する真剣な姿勢から、すぐに防衛庁に溶け込み、内局職員のみならず各幕の自衛官の信頼をも得るに至りました。「自分は大蔵省からきて防衛に関する知識が乏しいので、自分の発言に素直に従われるとかえって不安になる。反論してくれる方が有難いので、どんどん議論してくれ」というのが口癖でした。その言葉通りにブレーンストーミングを奨励し、自ら積極的に発言するだけでなく、課長も部員も、時にはもっと若い係員の意見も分け隔てなく扱ってくれました。

・・・揺れる車内でわざわざ小皿に醤油を注いで出そうとした時点でアウトでした。これから表敬や国会審議に臨まれなければならない大臣の服を自らのうっかりミスで汚してしまったということで、当時まだ30代だった私はパニックを起こしかけました。・・衛藤大臣は全く動ぜずに何事もなかったかのようにそのまま表敬に臨まれ、国会へ戻られました。

・・・大臣から沖縄県議会のある議員へ電話をつなぐよう指示されました。当時携帯電話はさほど普及しておらず、総理公邸の固定電話で沖縄県議会へかけようとしたのですが、ボタンが多く複雑でなかなかうまくいきません。四苦八苦していると、なんと見かねた村山富市総理ご自身が懇切丁寧に電話のかけ方を教えてくださったのです。総理が気さくな方で本当に助かりましたが、日本国内閣総理大臣に電話のかけ方を直接教えてもらった秘書官はそういないのではないかと思います。

・・・総理がつかつかとやってこられたかと思うと、まっすぐに私を指さし、委員会室に残っていた人たちが一瞬静まり返るほどのものすごい剣幕で「秘書官、そういう情報はすぐに大臣に上げなきゃダメだ!」と怒鳴ってから立ち去って行かれたのでした。・・今は貴重な経験だったと笑って振り返ることができますが、大臣の目の前で総理に怒鳴りあげられたのは心理的に結構大きなダメージがありました。

・・・英国民は今も大英帝国的な意識を持ち続けており、国際社会のリーダーとして世界平和に責任を負うのは当然だと考えていることに気づきました。

・・・この時には、生意気な言い方ですが、「こういう場面で他人の助けを期待してはいけないのだ」と悟りました。

・・・「君、こんなわかりにくい説明じゃ国民には全く理解できないよ」と小泉総理ご自身からたしなめられたこともありました。政治家である総理や大臣の答弁は、使い手の立場に立って考え抜いて作るべきであり、事務方の常識に漫然と従って書いてはならないということを痛感させられた出来事でした。

・・・古川貞二郎内閣官房副長官(事務担当)は、かねがね「官邸内には五つの山がある」とおっしゃっていました。五つというのは総理、官房長官、衆・参の政務の官房副長官、それに事務の官房副長官です。事務の副長官以外は全て政治家ということもあり、必ずしも総理を頂点とする一つの山とはなりません。それぞれの山が違う意向を持っている場合には、官邸としての合意形成に大いに苦労することとなります。

・・・こういうイデオロギー的な課題には、国民意識を踏まえた政治判断を下してもらう必要があります。そのために役人がすべきことは、大義を信じ、情熱をもって政治家に訴えることです。

・・・行事は計画通りに進むのが当然だと思われており、問題なく終了しても誰も褒めてはくれません。他方、何か不手際があると、迷惑をかけた相手方からばかりでなく省内幹部からも叱責されることになります。相手方とのトラブルが長引いてしまっても、もちろん誰も助けてはくれません。行事の運営はなかなか「割に合わない」仕事なのです。

・・・最後の受診で鍼治療を受けてその劇的な効果に驚かされました。鍼を打たれて15分ほどベッドにうつぶせになっていただけで、最後まで腰に残っていた鈍痛が嘘のように消えてしまったのです。東洋医学の効果を実感し、心から感謝しました。

・・・「防衛庁関係者が私一人しかいないのだから、自衛隊関連の質問には全て私が答えるものと期待されているのだ」というごく当然のことに気づかされました。もちろん、間違ったことを答えてはいけませんが、自信がなければ「正確な資料を持ち合わせていないので間違っていたら後刻改めて訂正します」と留保をつければよいだけのことです。それ以来、部外の会議に出席する時には、自分の所掌外の質問であったとしてもできる限り答えようと努力するようになりました。

・・・ポジティブ・コミュニケーションの中で、相手に不快感を出ださせないための代表的な技が「Dことばのタブー」です。・・「ですから」と「だからですね」という言葉を使うたびに、確実に会議の雰囲気が冷えていくのです。・・「Dことば」とは対照的に、サ行の言葉には相手の気分を上向かせる効果があります。・・「さ」=「さすがですね」、「し」=「知りませんでした」、「す」=「凄いですね」、「せ」はやや苦しいのですが、「センスありますね」、そして「そ」=「そうなんですか」

・・・井上局長は日頃から現場に赴いて自分の目で見て考えるというスタイルを大事にされており、・・自らレンタカーを運転して米軍基地エリアを見て回ったという逸話の持ち主でした。・・ここぞという時には、臆せずにリアリティに基づいた直球で押す正攻法が効果的です。

・・・当時上司だった江間清二官房長(のちに事務次官)が、「記者との接触を怖がる必要はない。マスコミと付き合う際に大事な点は、記者が知りたいことを隠すのではなく、知りたいことを正しく伝えることだ」と教えてくれたのです。・・要するに、味方を増やしたいと思ったら自分たちの考え方を正確に理解してもらうことが第一歩であり、かつ最も効果的だということです。・・記者と良好な関係をつくり、政策を丁寧に説明して正しく理解してもらい、内容を正確に報じてもらうよう心掛ける必要があります。

・・・人と人との付き合いには日本人も外国人もなく、本音を語り誠実に対応していれば相互理解は深まるということを実感した

・・・事柄の重大性を考えれば、詳細は後日改めて報告することとしていも、第一報だけは大臣・総理の耳に入れておくべきだった、というのがポイントでした。

・・・昔「ミスター防衛省」と言われた西廣時間が国会答弁に臨む姿勢について語っていたのを思い出しました。彼は、「特にテレビ入りの委員会は、視聴者の印象が大事なんだ。下を向いて答弁資料を読み上げてばかりいたら、答えが正しかったとしても議論には負けているようにしか見えない。そうならないため、気合負けしないように質問者の顔をクァッとにらみつけて、絶対負けないという気持ちで答えるんだ」と言っていたのです。

・・・平和安全法制は各界から厳しい批判を浴びましたが、「存立危機事態」のような極限状態において国が生き延びていくためには、必要なことは何でもやらないといけません。防衛行政に携わってきた者としては、この法制により法的基盤が整い、極限状態に対応するための政策の選択肢が広がったことを率直に喜ばしく感じるのと同時に、強い緊張感で身が引き締まるのも感じました。・・今後はこれまで以上に我が国を取り巻く安全保障環境に気を配り、緊張感をもって対応しなければならなくなったのです。防衛省・自衛隊の真価が問われる段階に入ったということだと思います。

・・・私の言いたい「3K職場」とはこれとは違います。その「3K」とは、「企画する(考える)」「形にする(紙にする)」「(関係者の)共感を得る」という三つのKのことです。

・・・上司としてお仕えしていた古川貞二郎内閣官房副長官(事務担当)から「いずれ幹部になろうとする者は、自ら責任を負う覚悟を決めておかなければならない」と言われました。・・古川副長官は、「若いうちから自分よりも2階級上の上司が何を考えてどう判断するのかをよく見ておくことが役に立つ。2階級上の上司は、君には見えないものが見えるし、手に入らない情報にも触れられるから、君とは異なる見地から判断することが出来る。それをよく観察して、自分がそのポストに就くための準備をしておくといいうことだ」とおっしゃいました。普段から意識を高く持って準備しておけば、自然に覚悟も身につくということだと思います。

・・・私の調整相手はみな10年以上年次が上の先任や班長で、しかも多くは「余計な仕事はしない」という強固な意志と理屈で武装していました。こういう人たちに資料作成や議員説明をお願いし引き受けてもらうのは非常に骨が折れました。さらに、文書課の先任部員を務めた時には、答弁作成の割り振りで揉めた時(通称「割り揉め」)に関係者を集めて引導を渡すという嫌な役回りも経験しました。こうした業務を通じて、仕事から逃げようとする姿勢がみっともないだけでなく、本人にとっても組織にとっても有害だということがよくわかりました。

・・・若い人たちに喧嘩を奨励するつもりはありません。しかし、冷静に考えてどうしてもおかしいと思ったら、相手が先輩でも正々堂々と(敬語で)反論すればよいと思います。独りよがりではいけませんが、正当な反論はプロフェッショナリズムの表れでもあります。

・・・職業人たるものは、同僚や部下、家族に対して思いやりをもって接しなければなりません。同僚や部下への思いやりは職場の雰囲気を明るくし、職員の士気を向上させます。・・乱暴な指導が横行している職場はピリピリして雰囲気が暗く、職員は疲れ切っていました。逆に、雰囲気の明るい職場は風通しが良く、職員の士気も高くてよい仕事をしていました。実は、そうした対照的な職場の差は、ほんの些細なことなのです。上司が職員に対してほんの少し思いやりを示し、言葉にして口に出すだけで、雰囲気は大きく変わります。

・・・私の郷里・山形県出身の詩人、吉野弘さんが作った「祝婚歌」という素敵な詩を朗読してくださったのを聞いて、私は思わず膝を打ちました感銘を受けったのは、詩の中の次の一節でした。 正しいことをいうときは 少しひかえめにする方がいい 正しいことをいうときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい 

・・・伝える相手や状況によっては追い込む方が効果的な場合もありますが、私の経験からすると、たいていの人は展望を感じさせる前向きな言い方をされる方がやる気も元気も出るのではないかと感じます。

・・・中学や高校の同窓生との交流は、殊の外大切にしていました。定期的に開かれる同窓会や恩師を囲む会、有志による郷土名物の「芋煮会」などは、災害対応や行事対応で参加できないこともありましたが、顔を出せば必ず心がリフレッシュされる貴重な機会でした。忙しい時期は、職場の人間関係に閉じ込められて誘致な気分になりがちです。そんな時こそ職場から離れた交友関係が大切だと感じます。

・・・問題を過小評価した上に冷静さを失って判断を誤り、自ら問題を大きくした結果、大臣をはじめ多数の関係者に多大なご迷惑をおかけした・・あえて一言で総括すれば「謙虚さを欠いていた」ことがこの失敗の最大の原因だったように思います。

・・・しかし、父が私の防衛庁入庁に強く反対したのです。‥父は「お前が自分自身の命を懸ける自衛官になろうというのなら百歩譲って理解するが、文官になって他人を戦争に送り込むような仕事をするのは絶対に許さない」と言い出しました。・・辞職した後、当時防衛大学校長を務めておられた國分良成先生から「もう一度人生を送れるとしたらどんな職業を選ぶか」と問われました。その時は即答できませんでしたが、考え抜いた末にたどり着いた結論は「やはり防衛省の役人を選ぶ」でした。』

2022年5月 8日 (日)

古の武術から学ぶ 老境との向き合い方 (甲野善紀著 山と渓谷社)

著者は古武術で著名な方です。私もそろそろ老境に入りつつあり、興味をもって読んでみました。若い時とは異なる観点もあり、若い時のままの観点もあり、参考になりました。また、年をとっても上達できる武術について、改めて関心が高まり、かつてやっていた武道を再開してみようと思っています。

『・・・ずっと研究していれば、「人間はどういう感覚を、どう使って動くのか」といったことが次第にわかってきて、技も月単位、時には週単位で改良されていくのです。

・・・大事なのは、単なる力の強さや反射能力といったことではなく、身体全体の使い方であり、また「表の意識」を消して、私が「もう一人の自分」と呼んでいる「裏の意識」とでもいうものによって身体の運用を行う、といった研究工夫を常にし続けることなのです。

・・・日本の武術は、「夢想剣」に代表されるように、「我ならざる我」が技を行うことが昔から理想とされています。

・・・自分自身が今までに培ってきた経験を基に、社会に、あるいは周囲の人々に対してそれなりの能力を発揮していれば、邪魔者扱いされることなく、大事にされるはずです。

・・・私にしてみれば、他人から生きがいを与えられるなんて人として一番恥ずかしいことのように感じますが、周りが「生きがいを」と言わざるを得ないほど、現在、少なからぬ数の高齢者が、そういわれても仕方のない状況にあることも事実でしょう。

・・・思えば、昔の長老や古老といわれた人は、特別に保護されて高齢になったのではなく、さまざまな環境を乗り越えた末に高齢になったのであって、何かあったときに若い人たちの力になれるような知恵が身についていたのでしょう。それに引き換え今は、守られて当然という厚かましい老人が増えているように感じます。・・やりたいことがいろいろとあり、年をとっても魅力的に活動できているのは結構なことですが、同時に「いつ死んでも悔いはない」という覚悟、例えるならば、植物が花を咲かせ、実を実らせて枯れていくように、自分の死を自然の流れとして受け入れていける心境が育つことは、人として重要なことだと思います。

・・・散々考え抜いた末に辿り着いた結論が、先にお伝えした「人間の運命は完ぺきに決まっていて、同時に完ぺきに自由である」ということであり、それが、武術を始めるきっかけにもなったのです。・・私が解き明かしたかったのは、「運命は決まっていると同時に自由であるとは、いったいどのような構造になっているのか」ということです。

・・・現在はというと、生活においても仕事の場面でも、身体を使う機会は劇的に減りました。それに伴って、繊細な身体感覚、上手に身体を使う技がずいぶん失われているように感じます。

・・・子供たちにとっては、特に0歳から1歳くらいのネイティブな感情や缶買うがどんどん育まれるときに、入るべき情報がなかったら、その子たちの成長がどうなるのか、まったく予測のできない問題が生じるのではないか思う

・・・「三脈の法」は「三脈探知」とか「吟味」などとも呼ばれ、修験者や一部の武術家らの間に伝わっていたもので、三つの脈を抑えて、それらがずれていないかを確かめるというものです。・・普段は同時に打っている三か所の脈がもしずれていたら、それは身体が危険を知らせているということです。

・・・筋トレで効果を上げようとする人は、早く疲れたい願望があるように感じます。筋肉に早く負荷をかけて早く疲れさせよう、これだけ疲れたのだから筋肉が刺激されて太くなるだろう。そんなふうに「早く疲れよう、早く疲れよう」として筋肉に負荷をかけていると、確かに筋肉は希望通りに太くなります。ですが、早く疲れるというのは、身体のある部分に多くの負荷をかける「下手な身体の使い方」なのです。下手に身体を使い、筋肉を太くすることで、うまく身体が使えるようになるわけがありません。・・その点仕事は違います。仕事であれば、当然、疲れるためにやっているわけではありませんから、なるべく疲れずに効率よくやろうとします。ですから、子どものころから家事労働を行っていた時代には、おのずと、上手に身体を使えるようになったのです。昔の力士が強かったのは、農作業や山仕事など、仕事で作った身体がその基礎にあったからでしょう。

・・・部分にかかりそうになる負荷を身体全体でうまく受け止めて、部分が負荷を感じないようにする。そして、筋肉の緊張と弛緩のグラデーションが速やかに変化するようにする。それが身体を上手に使うということです。・・ところが筋トレで作り上げたような大きな筋肉というのは、緊張から弛緩へ、弛緩から緊張への速やかな変化が決して得意ではありません。

・・・細かく筋肉が分かれて発達したころによって、目まぐるしく緊張と弛緩を切り替えることが可能になり、前述のような信じがたいほどの動きが可能となったのでしょう。

・・・役に立つ筋肉をつくり、動きの質を高めるには、「今行っていることが自分にとって高い必然性がある」ということが、最も重要です。・・力だけでなく働きのある筋肉をつくり、身体をうまく使えるようになるには、単なる筋トレではなく、興味をもって取り組めるもので、必然性を感じながら身体を動かすことができる状況が不可欠だと思います。

・・・肥田翁は「この頭脳の澄み渡って如何なる宗教的哲学の真の真まで見極めることが出来たのは(肥田翁にはそういう自信があったようです)何たる幸福であろうかと今迄思っていたが、その頭脳の透徹がその反面に、非常な苦悩を伴うものであるということが今になって分かった」と、最晩年の亡くなる一か月半ほど前に述懐されています。それは、これからはるか先の世界が、まださまざまな混乱や争いがなくなっていないことをハッキリと感じ取り、絶望感にさいなまれたからのようです。

・・・20年以上もの間、起きているときは片時もカードを手放さず、手で触り続けて訓練したそうです。トランプには赤と黒のカードがありますが、「赤と黒では温かさが違う」とのことです。

・・・ただ丸紐を身体に巻くだけで、普段よりも強い力が出せたり、動きがスムーズになったり、身体の痛みが和らいだり、誰でもすぐに効果を実感することが出来ます。・・ただ言えることは、紐を感知することで、身体の各部位があるべき位置を確認し、身体各部のつながりがよくなり、自ずと身体をうまく使えるようになるのだと思います。・・「紐を緩く巻く」ことが大切で、ギュッときつく巻くと、紐を巻いていない時と同じように力を発揮できなくなります。・・また一人の例外もなく、丸紐か、丸紐を鎖網した紐でなければダメなのです。

・・・専門性が、かえって新しい技と取り組むことの邪魔をしているのです。

・・・目の前に起こっていることは同じなのに、なぜ怖さを感じなくなるのでしょうか。それは、手と指を、私が「蓮の蕾」と名付けた形にすることで横隔膜が縮み上がることを阻止するからです。・・横隔膜が上がらないように身体をもっていくと、目の前に起こっていることを、ただ「目の前で起こっているな」ととらえるだけで、怖さや不安を感じることが出来なくなります。

・・・紐は、根本の原因である「身体の使い方」を全身に強調させる使い方に導く働きがあるようです。ですから、紐を巻くだけで楽になるのでしょう。

・・・やけどをしていない部分を入れても耐えられる程度の熱さの湯にやけどした部位を浸して温めると、冷水で冷やすよりも、はるかに早くきれいに治るのです。

・・・傷口から染み出る体液には、傷の修復や皮膚の再生を促す成分が含まれているので、乾かすことで傷の治りが遅れます。消毒しない、乾かさない湿潤療法は、湿った環境を保つことで、細胞がどんどん活発に再生してくるのを促す治療法なのです。余計なことは一切せず、もともと身体に備わっている回復力や再生力を促そうという、ごく単純なことです。

・・・冷え性の人は、下半身は素肌状態で寝た方がかえって身体は温まる、ということもあまり知られていないことの一つです。特に大事なのが、太腿を布で覆うようなもの、つまりはズボン状のものははかないということです。・・特に重要なのが、左右の太腿が直に触れ合っていることだそうで、そのためズボン状の寝巻はおすすめできないのです。

・・・なぜゴム紐がよくないのかというと、どんなに緩いゴムだとしても、持続的に圧をかけ、伸びたり縮んだりすることで絶えず皮膚に働きかけてくるからです。皮膚にとっては絶えずワーワーという騒音を聞かされているような状態になるのでしょう。

・・・武術は、対応の一つの雛形を追及するものです。スポーツのように人が作ったルールに則って対応するのではなく、心身にもともと備わっているルールを駆使して対応を工夫するものであり、まさに「どう対応していくか」が常に問われます。だからこそ、武術での気づきは、日常生活の中で「どう対応するか」にもいきます。

・・・「倍返し、倍返し」で印象付けておいて、サッと帰るわけです。多少のお金はかかりますが、向こうは何かきっかけをつくって入り込んでこようとしますから、後々のややこしいことを未然に防ぐには、こういう時にケチってはいけないのです。

・・・健康やダイエットなどを目的に食事量を減らせば、我慢することになるため、ストレスが大きくなります。・・身体に「どんな状態化」を問いかけ、自分の身体と向き合って食事をするようになったところ、本当に量が減ってきました。・・私が実感したのは「この先、自分が面倒な病気というか、体調が悪くなった時、少しずつ食べる量を減らしていけば、本当に静かに安らかにこの世を旅立てるな」ということです。

・・・昔から米を主食としてきた日本人には、米食に合った腸内細菌がいたことは間違いありません。・・同じ食べ物を食べても、「その人がどういう腸内細菌をもっているのか」によって、栄養効率は全く異なるということです。・・性格や思考といった心理的な面も、腸内細菌によって左右されるといいます。

・・・特に人間を対象とした医学や体育に、心理的要素を除いて考えること自体、おかしなことです。なぜなら、人が生きているということは、常に心理状態と切り離して考えることが出来ないからです。・・人間というのは、同じ行為でも、どういう心理状態で行うかによって身体に与える影響は非常に異なるものです。

・・・私は、大人が子供たちに言えないようなことはやるべきではないと思います。・・イスラム教では動物の肉を食べる際、その動物が苦しみを最小限で殺されたかどうかを問題にしていますが、これは人として当然の配慮だと思います。

・・・組織をカッチリ作るよりも、緩いつながりのほうが、むしろ気持ちの面では深くつながることができるのではないでしょうか。・・解散してからのほうが、稽古会に参加する人の実力も上がり、そうした人たちの研究も深まり、それを私に紹介してくれるので、私自身の技の研究も進みました。

・・・私の稽古会では、・・学んでいる一人ひとりが、“自分流”の開祖になることを目指して稽古を行っています。・・一緒に稽古をしながら、ともに原理を考えるという、共同作業をやっている感じが、人が育つのには一番有効なのだと思います。・・飛行兵が飛行機に乗る相棒として操縦を教えることになったときのこと。教えるほうも、少年が一刻も早く覚えてくれなければ困るので、偉そうに教えるわけではなく、親身になって教え、少年のほうも憧れの飛行機に乗れるということで熱心に学び、驚くほど短い期間で操縦できるようになったそうです。

・・・「それぞれが自分流の開祖になってくださいね」と言っているので、他のできる人を嫉妬しないで済みます。上手な人を妬むのではなく、素直に参考にするからでしょう。他人の優れた技は自分を完成させるための大事な資料になるわけです。・・講道館柔道の開祖である加納治五郎師範の晩年は門弟同士の嫉妬や足の引っ張り合いの調停にずいぶん骨を折られたそうです。・・各自が自分流の開祖を目指せば、できる人を素直に認められ、面倒な組織内での勢力争いや、ややこしい人間関係は生じません。

・・・「老境との向き合い方」について私に言えることがあるとすれば、・・「陣減にとっての自然を考える」「人が生きているとはどういうことかを考える」ということに尽きるような気がします。』

2022年5月 1日 (日)

ヨガの教えと瞑想 (岡本直人著 Amazon Service International)

長く雑事に紛れて更新していませんでした。

気にしていただいた方々には、本当に申し訳ありませんでした。今後は適宜更新していきます。

さて、本書はAmazonの電子書籍でしか読めないようですが、これまで私が坐禅をしながら疑問に思っていたことのほとんどに答えてくれるものでした。この教えを参考にして、坐禅を続けていきたいと思います。

『・・・ラージャ・ヨガで想定している瞑想は長い時間座ることを前提いるので、そのための準備が欠かせません。例えば、結跏趺坐で長い時間座ろうと思えば、足首の柔軟性や上体をまっすぐ支えるための筋力をつけておく必要があります。このために、瞑想に取り組む前にヨガのポーズを練習しておかなければいけません。

・・・日常生活を見直し瞑想に向く落ち着いた心を養っていきます。・・外的な印象によって心は動揺するので、これらを自分の感覚器官から遠ざけるようにすると欲望は起こりづらくなります。具体的に言えば、欲望が生じる物を見ないとか、そういった場所に行かないようにするのです。また、瞑想中はできるだけ微細な感覚、呼吸をするときに空気が鼻を通過する感覚や、体に感じるかすかな風や体温などに集中すると良いでしょう。

・・・心はあなたのものではない・・ヨガの教えでは、この「私とは何か?」を理解することが悟りだとされている

・・・ヨガの教えでは、この二つは私でないと考えるのです。では何が私かと言えば、心や体を認識している「意識」が私なのです。・・ヨガの教えでは心や体を見ている意識が私の本質であり、心がその中で働いていると考えます。・・この顔や体はこの人生のものですが、死ねば私たちはこの肉体から離れ次の体へと移っていきます。

・・・私たちは本当に自分の意思で自由に心を動かしていると言えるでしょうか?具体的に考えてみましょう。・・私たちは自分の心をそれほど自由には扱えていない・・瞑想とは自分の思い通りにならない心を思い通りに使いこなすということが一つのテーマ

・・・心には欲望という心の働きがあります。・・欲望は私たちの心の大きな要素ですが、心の性質が欲望だけかといえばそうではありません。・・心には欲望を抑える思考の働きもあります。

・・・思考の不必要な働きが心の問題を起こす原因であると考え、思考の働きを制御することに注目・・思考を制御する目的は、必要な時は集中して使う、必要でない時はできるだけ止めておくということです。

・・・何か聖典のようなものを読むときにも、それが理論的に正しいというより、直感的に自分の胸の内で深く納得させられることがあります。・・これらの心の動きは生まれてから獲得するわけではなく、すでに備わっているものの想起であると考えたのです。このような心の働きを、日常生活の中で使う知恵と区別して、智慧という難しい呼び方をします。・・智慧のような高い心は私たちを本当の幸福に導いてくれるもの、欲望のような低い心は常に移ろいやすく、身体的なものであり、喜びが起きたと思えばすぐ失われてしまうものです。思考はその中間にあって、智慧のためにも使えますし、欲望のためにも使えます。・・ヨガという実践においては、智慧を実現するために思考を使わなければいけません。

・・・思考の働きは私たちの生活に必要不可欠なものですが、一方で思考は様々なストレスも引き起こしています。・・思考は自分の意思に反して勝手に動いています。・・考えたくないことに対しても思考は引き寄せられてしまうからです。

・・・私たちは常に思考のフィルターを通して世界を見ています。・・しかし、思考が作り出すストーリーはそれほど正確ではありません。

・・・意識とは言わば映画のスクリーンのようのものです。私たちはこの意識のスクリーンに様々なものを映し出して生活しているのです。

・・・心は私のものではないので自分の力で止めることができない・・結局のところ、思考を止めようとする努力は、血液の流れや呼吸を止めようとするような馬鹿げた努力なのです。・・「思考を止める」とは、思考の働きそのものを止めるのではなく、意識の思考を映し出さないということです。・・こういった感覚に集中し、意識が思考を映し出さないように注意します。考え事が始まったら、意識のスクリーンに思考が映し出されたということですから、もの一度瞑想の対象に集中していきます。・・頭の中に様々なイメージが浮かんできてもそれにとらわれず、身体の感覚などに注意を戻していきます。

・・・逆に、ある特定の思考だけを映しておく瞑想・・問題のない思考(読書など)や問題のない思考を含む行為(料理やスポーツなど)に対して集中することでも瞑想と同じ効果があると考えることができます。

・・・心に苦しみを起こす思考について、二つの原因を考えることができます。一つは欲望、もの一つは自我意識、つまりエゴです。・・思考を欲望や自我意識の対象と切り離して使うとき、それは瞑想と同じなのです。

・・・悩み事は考えれば考えるだけ臨場感が増して、存在感が強くなってしまいます。

・・・私たちが日常的に瞑想のテクニックを利用する目的は、思考を自分の道具として、自分の意思で自由に使いこなすということです。

・・・私たちの心には体や心を「私」だと思わせる精神的な作用があることがわかります。これを自我意識、エゴ、ヨガではアハンカーラと呼びます。このアハンカーラは何か自分に近い対象を見つけるたびに、「これが私だ」と言い続けています。それは単に体や心だけではなく、様々な対象に及びます。・・アハンカーラは日々様々な対象と「私」を結びつけてしまいます。これが、私たちを悩ませる原因なのです。

・・・「私」からあらゆる対象が切り離されてしまえば、心に怒りや不安が起きる原因はなくなってしまうのです。・・私たちが怒りや不安と呼んでいる感情の多くは思考が作り出しています。では、思考が活動するために必要なものは何でしょうか。思考が働くには何か対象が必要です。つまり、思考の働きにはその原因となる「もの」や「こと」があるのです。

・・・「心の働きを止める」ということですが、これは二つの意味で考えることができます。一つは、心を一点に集中して余計な動きを止めること。もう一つは、心そのものの働きを止める、つまり心を失くしてしまうという意味です。

・・・苦しみはアートマンである「私」に起きているわけではなく、心に起きているだけだからです。ですから、瞑想をするときは、意識に心が映らなければ苦しみは何も起きていないという点をよく理解して瞑想に取り組むようにしましょう。

・・・純粋意識である私は変化せず、根源物質である心と体は常に変化しているのです。したがって、心や体で得る幸福感は必ず変化するもので、手に入れるとすぐ失われてしまうものなのです。

・・・欲望が与えてくれる幸福は必ず衰えるもので、それによって至福にとどまり続けるということができないのです。これは欲望の幸福感の非常に明確な性質です。

・・・思考は常に様々なものと自分を比較し続けているので、一度満足しても、また別のものを見て不満を感じてしまうのです。思考はいつも自分の外側のものに幸福を見て、「あれがあれば私は幸せになれるのに」と思ってそれを追いかけていきます。

・・・「ヨーガ・スートラ」で「ヨガとは心の働きを止めることである」と言っていることの意味は、「移り変わる心を意識から離して、あなた自身の内側にある至福に集中しなさい」ということです。そしてこれが、ヨガが教えている瞑想の本質的な目的でもあります。

・・・瞑想によって心の作用が完全に止まった人にとって、世界はただあるがままに存在し、世界がその人に苦しみを与えることはなくなります。なぜならその人は、世界に苦しみが存在しているのではなく、心がそれを作り出していたことを完全に理解したからです。

・・・何も期待せずに、悟りたいという願望すら捨てて瞑想に取り組む姿勢がとても大切です。あなたはすでに最高の至福と悟りを得ているので、これ以上何も求める必要がないからです。

・・・そのような神秘体験の誘惑から、かえって道を踏み外す人が非常に多い‥結局、体験はいずれ失われてしまうものなので、このような経験に執着したり期待してはいけません。

・・・瞑想はとにかく、波のように揺れ動く心を意識に移さない努力です。・・私たちは本来皆が悟っており至福であるのに意識に心が映っているので「私はまだ悟っていない」とか「幸せになりたい」と思うのです。この点によく注意して瞑想に取り組んでみてください。・・一方で自分自身の心の性質を変えていくことはとても大切です。

・・・あなたが何か悩み事を抱えていて、ずっとそれに苦しめられているとすれば、あなたは心に支配されているのです。そうではなく、あなたが心を支配しなければいけません。必要でないと思えば、すぐその思考から離れたり、必要な思考に対しては一心に集中したり、心を自分の意志で自由に使えるように練習すべきです。・・きちんと座って一つのことに集中できるように、自分自身の心を指導していかなくてはいけません。これは、あなたがこの人生で取り組むべき最大の仕事でもあります。・・「これは私が本当に考え続けるべきことだろうか?」という観点でよく思考を吟味し、あなたが本当に有益だと思うことだけに使うよう心がけてみてください。

・・・私たちが悟るために努力する必要は一切ありません。しかし、心を制御するためにはあらゆる努力をするべきです。これを逆に考えてはいけません。

・・・このように他人と比較したところであなたの本質的な利益にはなりません。結局のところ、他人を気にせずに、自分の仕事に真摯に向き合うしかないのです。・・怒りは思考が比較したことから起きているので、あなたが旦那の姿を見て比べることをやめてしまえば、このようなイライラは起きてこなくなる・・こういった比較も自分で行っているのではなく、思考が勝手に行っているのです。

・・・思考そのものが起こらないようにするという対処法も考えられます。それが、「見ない」、あるいは「聞かない」という実践です。

・・・日常生活の中で、思考は多くのエネルギーを消費しています。また、一日は24時間しかなく、私たちの一生も限られた時間しかありません。ですから、思考を何に使うのかということはよく吟味しなければいけません。

・・・私たちの頭の中では、いつも一人喋りが起きています。この声は自分の声のように感じますが、実際は思考の声なのです。・・思考が喋り出したら、できるだけその声を聴かず、呼吸や音などに集中してみましょう。

・・・容姿は毎生ごとに変化するものですから、その姿はあなた自身の本質というわけではありません。このようにとらえて、容姿そのものの執着から離れてしまえば、怒りは起きてこなくなります。・・「会社の先輩と後輩という立場は私の本質ではない、アドバイスが正しいものであれば素直に聞き入れよう」「仕事の知識は私ではない。知らないことに対して、なぜ恥をかかされたと思う必要があるだろう」と考え、怒りから離れます。

・・・欲望の幸福は決して長続きしないということに気付き、それを手放すことはヨガの最初の実践です。

・・・優越感を感じると確かに気分は良くなりますが、この感情を私たちの幸福の本質にすれば、人生は非常に苦しいものとなるでしょう。

・・・瞑想をするとき、「私は永遠不変のアートマンであり、常に至福であり、一切の苦しみから離れている」と念想してみましょう。アートマンに集中している間、私は至福です。』

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