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2021年7月14日 (水)

野村の教え方 (野村克也著 学研)

このブログでもたくさん紹介させていただきました。野村監督のお話です。私も直接教わったわけではありませんが、著作などによる野村氏の教えで育ててもらったところはあると思っています。まさに多くの人を育てた方だと思います。改めてご冥福をお祈りいたします。

『・・・超一流になれる才能を持つものの数は限られる。だが、才能に劣るからといって、あきらめるのは間違っている。・・まずは他人と差があること、自分は劣っていることを認めて、受け入れる必要がある。そうしてその差を自分の頭で考えて、努力によって埋めていく。それこそが、弱者が強者に勝つための唯一の道だといえる。

・・・伸び悩む選手、自信を失っている選手に共通しているのは、「自己限定」である。・・では、なぜ彼らは自分の能力や可能性を自ら限定してしまうのか。現状に満足して納得してしまっているからだ。・・彼らは自己限定の範囲で一生懸命やっているに過ぎない。

・・・指導者の言葉なら無条件に聞いてもらえると思うのは誤った考えだ。・・指導者はついつい自分の知識を教えたくなるものだが、それ以前にやるべきなのは、じっくりと選手を見ることだろう。まずは興味を持ち、常に気にかけて、選手の未来を思いやることだ。言い換えれば、愛情を持つということに尽きる。・・選手一人ひとりの長所や短所、性格などを知る。その上で、どうしたら選手が活躍できるかを考え、適切なタイミングで声をかけていく。決して簡単ではないが、これを地道に繰り返す以外に選手の未来を変えることはできない。

・・・変えていく対象は無数にある。だが、人間は変化を恐れる生き物でもある。・・変化を恐れず、前向きに変わろうとチャレンジした者だけが成長を掴み取ることができる。変化は進歩するための唯一の道なのだ。

・・・教育の理想は「教えないこと」だと公言してきた。選手に接する際に必要なのは「問いかけ」であり、自ら考えさせることが大切であると考えている。

・・・もし、指導者が「あの選手は自分が育てた」などと自負しているとするなら、思い上がりも甚だしい。・・指導者にできるのはヒントや気づきを与えてやることだけであり、実際に水を飲むかどうかは“馬”次第だ。つまり、戦車が自らの意思で変わっていくのを、ただ見守ってやるしかないのである。指導者は「育てる」立場にいることに思い上がってはならないし、教えられる側も「育ててもらえる」と甘えてはいけない。・・原則と呼ぶに足る心得をいくつか見出した。 ①愛情を持つ ②媚びない ③固定観念で見ない ④教えない ⑤信頼関係を築く ⑥言葉を重んじる ⑦理をもって接する

・・・圧倒的な才能に恵まれない弱者にとって、何よりも自信になるのは結果を出すことである。芽を出してほしければ、結果を出すまで辛抱強く使い続けるしかない。

・・・指導者は、自分の発する言葉の裏に、相手に対する愛情があるかどうかを常に自問自答すべきである。・・それが愛情に基づいた言葉でないと感じれば、やはり選手は動かないのである。

・・・人を教え導くうえで、必要以上に優しくある必要はない。かといって、厳しすぎるのも問題である。厳しさと優しさのバランスが保たれると、教え子との間にほどよい緊張感が生まれる。

・・・教える立場に変わったら、他人である選手たちを努力させるように仕向けなければならない。そのためには、時には耳の痛い忠告をする必要もある。つまり、ただ優しくするという段階を乗り越えて、選手との間に厳しい言葉をかけても信じてついてきてもらえるような関係をつくることが肝心なのだ。

・・・断定した結果、その選手の可能性をつぶしてしまうかもしれない・・人を教えるに当たっては、相手の経歴や評判にとらわれず、真っ新な目で観察する必要がある。

・・・コーチに言われたことを、言われたとおりにやっていると、選手は自分で考えることをしなくなる。教えてもらわないと動かないように習慣づけられてしまう。

・・・「この人についていけば確実に進化できる」「この人のアドバイスは間違いない」 人望とは、周囲の者にそう思わせる人間力に他ならない。

・・・たった一つの言葉で人生が変わるという体験も、教育の場では決して珍しいことではない。だから、指導者は言葉の力を強く認識することが大切である。

・・・鶴岡監督から褒めてもらったのは、16年間の中で、このたった2度だけである。しかし、その2回の言葉があったからこそ、今の私があると言っても過言ではない。・・表現のあるなしで、選手の理解度には天と地ほどの差が生まれる。

・・・私は監督というものを、三つのタイプに分けている。 「力で動かすタイプ」「理をもって動かすタイプ」「情で動かすタイプ」

・・・「理」とは知識や知恵、考え方を指す。戦術も試合運びも理がなければいけない。私は野球が技術だけで勝てるとは思っていない。・・選手が戦略・戦術の必要性を理解し、自ら考えて動くようになるまでには時間がかかる。じっと我慢して粘り強く教え続けるのだ。

・・・結果が出ず、選手との間の信頼関係が揺らぎそうになっても、毎日のミーティングや練習を通して根気よく李をもって接していくしかない。その苦しみを乗り越えたところに、指導者として一段も二段も成長できる余地がある

・・・本来は逆である。自信をもって臨むから結果が出るのである。・・ここで大切なのは、私が事前の準備、備えを入念に行って自信をつけたということだ。

・・・人は失敗したとき、初めて自分の間違いに気づく。何がいけなかったのか、どうすればよかったのかを真剣に考えるようになる。・・指導者は常に教え子に寄り添い、成功したときも失敗したときも、自身を持ち続けられるようサポートしつづけなければならないのだ。

・・・同じことを言っても響く選手もいれば、かえって力を出せなくなる選手もいる。指導者は、選手をよく観察した上で、適切なやり方で自信をつけさせなければならないのだ。

・・・「無視」というと冷たく放置しているように聞こえるが、相手を全く見ないということではない。「観察して見守る」という表現が実態に近い。

・・・人は褒められているうちは半人前である。「あいつが打たないから勝てない」などと言われて、初めて本物になるのだ。

・・・努力を認められれば、人はやる気と自信が得られるのである。特に、「自分自身に下している評価よりも、ちょっと上の評価をする」というのは、いい褒め方だと言えるだろう。

・・・「叱る」と「褒める」は結果的に同じ行為だと思っている。どちらも根底には愛情があるからだ。

・・・失敗には二つのパターンがある。しっかり準備をして臨み、たまたま結果が出なかった時の失敗と、やるべき準備を怠った末の失敗である。指導者には、そこをしっかり見極める目が求められるということだ。

・・・事細かに指示したわけではない。言いたいことは山ほどあったが、あえて口出しせずに、ヒントを出すにとどめた。そうすることにより、自分で考えさせるように心掛けた。

・・・躓いた時は、自分に何が足りないのか、あるいは自分の強みは何か、つまり己を客観的に知り、どこに自分の生きる道があるのかを探っていくことだ。それが見えてきたら、目標を設定し直し、正しい努力をすれば、必ず自信を持つことはできる。

・・・過去の幻想は再生の足かせとなる。過去の成功体験が忘れられないから、変わることに恐怖を覚え、いつまでも同じやり方にこだわる。

・・・言われたことだけをやっていたのでは、あるレベル以上への成長は望めない。だから、一流を目指すのであれば、自分で考えて、よりよい行動をとる必要がある。

・・・目標を達成させることのカギは「動機づけ」である。動機づけが弱いと、高い潜在能力と強い意志を持ち合わせていても、それを十分に生かすことができない。

・・・テーマのない努力ほど、無駄なものはない。・・何も考えずに、ただ遅熊仕事をしているなら、そこから大きな成長は望めない。実際に「忙しい」を連発している人の仕事ぶりを観察すると、必要のない仕事をしていることがある。何も考えずに取り組んでいる証拠だ。

・・・自分の頭で「~とは」を問いかけさせる。私は教育の本質を、この「とは教育」だと考えている。・・「~とは」を考えない選手は「~だろう」で野球をしている。根本を問い直すことなく「これくらいでいいだろう」という中途半端な理解で臨む。

・・・自分を客観的に見つめるとは、口で言うほど簡単なことではない。・・自分の役割に徹して、やるべきことを地道にやり続ける。これが厳しいプロの世界で生き抜くための唯一の道である。・・自分を見つめ直し、自分を生かす道をしっかり認識すれば、正しい努力もできるし、成功もできる。

・・・指導者は、部下が何でも気軽に聞きにいける空気をまとうことが必要だ。まずは自分の頭で考え、一人で問題を解決できないときは潔く指導を求める―――。こうしたクセをつけさせることが、選手の成長のためには不可欠なのである。

・・・自ら勉強を怠らない人間は、表情にも余裕がある。野球においても、その余裕がプレーに生かされるものだ。

・・・なぜメモを重視したかというと、何より人間は忘れやすい生き物だからだ。人間の記憶力というのはおおよそ当てにならない。・・メモをすることの効用には、感性が高まることも含まれるだろう。・・細かいところに気付く感性があれば、どうすれば対応できるかも考えられる。

・・・人は他人からの評価の中で生きている。人間は時代と年齢には勝てないのだから。

・・・まだ十分な力と可能性があるのに、人の強みに気付かず才能を引き出せないのは、指導者の怠慢である。

・・・「基礎」とはあらゆるプレーをする上での土台を固める段階であり、「基本」は判断や行動をする際の原理原則を身につける段階である。その二つが備わったところで、初めて実地で「応用する」という段階を迎えることになる。・・「基礎」「基本」をおろそかにし、「応用」から身につけたがる選手が多かった。中途半端な選手ほど「強み」という言葉に安易に逃げ込み、誰もが共通して身につけるべき根幹の部分を固めようとしない。・・基礎をおろそかにして基本や応用に取り組んでも、本物の力がつくとは思えない。

・・・プロの世界には輪をかけて努力する人間がいた。その一人が、巨人の王貞治だった。・・「ノムさん、悪いけどお先に失礼します」「めったにない機会なんだから、少しくらいいいじゃないか」「いえ、荒川さんを待たせてるんです」 それを言われたら、それ以上引き留めるわけにはいかない。そのとき私は、いずれ王という人間に野球人として追い抜かれることを確信した。かたや銀座で遊び、かたや荒川道場でバットを振っているのである。懸隔が埋まるのは時間の問題である。果たして私の予感は的中し、王は日本一のホームランバッターへと成長した。

・・・確かに基礎の徹底は退屈な作業だ。すぐに結果が出ないから「努力なんてしてもムダだ」と言い出す。しかし、基礎練習に即効性を求めるのは間違っている。むしろ、基礎練習は即効性がないことに意味があるのだ。・・すぐに結果が出ないからこそ、地道に続ける必要がある。指導者はそれをわすれてはならない。・・若い時に基礎をおろそかにしていた人は、本当に大切なことが身についていないから、年齢を重ねて大きな仕事を要求されると、まるで通用しなくなる。

・・・短所を放置して長所だけを伸ばそうとすると、残された短所が影響を与えて、長所が損なわれてしまうことがあるからだ。だから、長所を伸ばしたかったら、短所を克服するのが先であると思う。・・そもそも、長所とは放っておいても自分で自然と伸ばしていけるものである。だが、短所は違う。短所は意識的に直さない限り、絶対に克服することはできないのだ。

・・・ただ、相手が対策を講じてきたら、こちらもさらなる対策を考えるまでである。そうやって知力を尽くして戦うのがプロ野球であり、ライバルというものだ。・・切磋琢磨できる環境は、人を成長へと導いてくれるのである。

・・・指導者の自信のなさ、それに起因する「型にはめる指導法」が、せっかくの才能をつぶしてしまう。教える立場の人間は、その恐ろしさをくれぐれも自覚すべきである。

・・・人にものを教えるときには、失敗を成長の糧にできるよう前向きな言葉がけをしていくことが重要である。

・・・失敗を生かすうえで重要なのは、失敗したときに言い訳をしないことだ。・・私の経験上、言い訳の多い選手は、一定のレベル以上に成長することはなかった。・・他人のせいにして言い訳をするキャッチャーは確実に伸びない。それだけでなく周囲からも信頼を失うだろう。・・失敗を成長につなげるには、責任感を持たせることが重要なのだ。指導者は選手の責任感を養って言う必要がある。・・成長とは変化することであり、その変化には責任が伴う。その責任を受け入れることの大切さを教えることが重要である。

・・・監督が非を認めてしまったら、威厳を保つことができないという声もあったが、私が「責任を取る」といって選手を送り出した以上、潔く責任を負うのが指揮官としての筋の通仕方であると考えていた。

・・・恥の意識が欠けているから、「二度とミスをしたくない」とも思わないし、改善に向けて努力しようとも思わない。

・・・多くの人が忘れがちだが、親への感謝の気持ちは人生の原点というべきものである。親がいたから、自分が存在できている。だから、親には当然感謝の念を持つべきだ。・・実際に、名選手の多くは親孝行であると言われる。それは、長年プロ野球の世界を見てきた私の経験、実感とも合致する。

自分の成績がチームの勝利につながる」という考え方と、「チームの勝利のためにプレーする」というのは似ている様で実は中身が異なっている。前者は個人記録優先主義であり、後者はチーム優先主義といえるだろう。

・・・自主的と自己中心的には、天と地ほどの差がある。自由の意味をはき違えてもらっては困る。組織である以上、最低限の常識やルールを身につけておく必要がある。・・外見で目立とうとしている時点で、本業に対する真剣みが足りないのである。

・・・欲を自制することをセルフコントロールという。これを身につけられるかどうかが、一流と二流を分けるといってもいい。・・日頃から「人としてどう生きるか」「人の役に立つために何ができるか」を考えていれば、肝心なところで欲に振り回されることはない。

・・・「何のために生きているか」を自覚する人は、どんな仕事をしても一流にたどりつく可能性がある。

・・・すぐに結果を出したいと思うから、安易な手法に飛びつく。安易な手法だから、一時的な効果しか得られない。一次的な効果しか得られないから、また新たな手法に飛びつく・・・の繰り返しである。・・教育において即効性を求めるのは、間違っているという以上に危険である。中でも人間教育などは、一朝一夕に答えが出るものではない。・・相手の将来を見越して、大事なことを教えておくのが人間教育というものである。

・・・事業を残すよりもさらに尊いのは、人を残すことである。有能な人間を何人も育てることができたら、事業を残すことはもとより、後世にわたって、さらに有能な教え子が育つことにもつながるだろう。そうやって、脈々と自分の教えが受け継がれ、記憶されるような人物になれたら、どれだけ素晴らしいことだろう。

・・・人を育てるというのは、ただ選手をプレーヤーとして一流にするだけにとどまらない。人間として一流にできたかどうかが問われる。』

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