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2021年1月19日 (火)

風魔(上) 宮本昌孝著 祥伝社文庫

嶽神シリーズで親しみを持つようになった、風魔に関する面白そうな小説を見つけたので読み始めました。予想以上に面白かったです。

『・・・戦国の世では、敵同士がいつも憎しみ合っているわけではない。別して、小太郎のような名高き勇者から、何かしらあやかりたいと望むのは、少しも異常なことではなかった。

・・・「失くしてしまったとき、刀はまた贖えばいいけれど、人は取り返しがつかない。おれは、甚内を恃みとしている」また小太郎は破顔した。その無邪気とも思える笑顔は、右近の心に鮮やかに刻み込まれた。

・・・いましがた小太郎と酒杯を交わしたばかりの兵たちも、状況が変われば、心のありようも変わってしまう。これが、食うか食われるかの戦国の世というものであった。

・・・生死の懸かった極限状況では、何事かをいったん疑えば、心の目は鬼を見ることになり、その鬼の姿は、大きくなりこそすれ、消えることはないのである。

・・・かつて小牧・長久手合戦で、家康はみずから指揮した局地戦の一勝の価値を最大限に利用した。最後は、政治的駆け引きで秀吉に敗れて臣従することになったものの、家康は、領地を減らされることもなく、それどころか逆に、豊臣麾下の大名中ひとり別格の立場を得るに至った。

・・・「男は、死に時、死に場所をみずから選ぶ」幼い頃より、峨妙に言われ続けてきたことばを、小太郎は口にした。

・・・(さすが峨妙はんの跡継ぎや・・・・)死と隣り合わせの世界の住人とはいえ、父親の突然の訃報に接しても狼狽もせぬとは、日常の覚悟のほどが察せられる。

・・・北条方の諸城の多くが、あっさりと落とされたり、戦わずしてみずから城門をひらいたりした大きな原因はふたつある。ひとつは各地の支城は、それぞれの籠城が始まれば、本城である小田原城からの後詰があるものと期していたのに、上方勢の小田原城完全包囲により、それが不可能となったこと。いまひとつは、城主不在の城がほとんどだったことであろう。各地の城主の大半は、小田原城に籠っている。

・・・風魔には、一党中から忍びとして一人前と認められるための、最後の試練がある。それは、眠り薬で眠らされ、他国のどことも知れぬ山中に置き去りにされたあと、一定の日数のうちに、自力で風祭に生還するというものである。

・・・「一寸たりとも身動きできなかったわけじゃない。寝たままでも、筋の動かし方ひとつで衰えはふせげる。風魔の体術だ」

・・・「降伏を不名誉というは、猪武者の申し条」「なに」「幾十万の家来、民人を統べる御大将は、武運拙きとき、降伏こそ潔しとする勇気をお持ちにならねばならぬ。兄弟げんかの様相を呈してきた氏照と氏規の論争

・・・関東武士の生活というものは、この戦国末期の段階に至っても、大袈裟に言えば、衣食住全てにおいて鎌倉期とさして変わらなかったのである。

・・・戦の勝敗は、実際に干戈を交えるそのときより、そこに至るまでに、どれだけの準備ができるか否かにかかっている。この貞慶の教えを、弟子たちは忠実に守ったのであった。』

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