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2021年1月

2021年1月26日 (火)

風魔(中) 宮本昌孝著 祥伝社文庫

『・・・家康は、秀吉より5歳下の53歳だが、当時の常識では、40歳を初老という。50歳ともなれば、天から授けられた寿命、すなわち天命を知る年齢である。もはや新しく業を興すのではなく、すべてを後進に譲って、きたるべき死に備えねばならぬ。今川義元42歳。織田信長49歳。上杉謙信49歳。武田信玄53歳。北条氏康57歳。秀吉と家康が関わったひと昔前の名だたる戦国大名は、いずれも60歳までもたなかった。

・・・蒲生氏郷は、戦場では猛将ぶりを発揮するが、殿中での挙措は優雅であった。穏やかな佇まいをみせ、廊下を渡るときなど、ほとんど足音を立てぬ。

・・・「暗愚でも、死に時を自分で選んだあんたは、秀吉より立派だよ」小太郎は、ちょっと頭をさげてから、聚楽第の湯屋を出た。

・・・善悪を表裏一体と心得、腹芸の得意な家康なら、多くの選択肢をもつ。武士という、家の子郎党の生死に責任をもつ人間からすれば、そこに安心感を見いだせる。三成のように正直すぎる男は、逃げ道の用意を拒むので、かえって危ういのである。

・・・琵琶湖南端の大津は、園城寺の門前町として栄えた。と同時に、東国と畿内を結ぶ軍事上の要地としても、陸運・水運両方の交通の要衝としても、大いに発展してきた。関東や北国から京へ上がるとき、逆に逢坂山を越えて東国へ下るとき、いずれも大津を中継する。人も物も、である。織田信長が堺・草津と同じく、この地に奉行を置いたのも、その重要性を認識すればこそであった。

・・・堅田衆は、堅田海賊ともよばれる。地侍層の殿原衆と、漁民・農民・商人らの全人衆とが、互いに強く結びつき、武力を有して、湖上に大いなる力をふるい、山門(比叡山)という巨大な領主権力にも屈しなかった人々である。されだけに、京畿やその周辺でいくさの起る際は、必ず味方につけようとしてきたのが、堅田衆であった。

・・・手練れの厳心に隙をつくらせるため、挑発的な言葉をはいたのである。玄蕃の思いどおりになった。

・・・鷹狩というのは、本来、人間の狩猟本能を充たす遊興のひとつであって、それ以外のなにものでもない。これに、軍事訓練の側面を持たせたのは、徳川八代将軍吉宗であった。惰弱になり過ぎた武士に、尚武の気風を呼び覚まさせようとしたのである。

・・・「武士はいつでも死ねるという覚悟をもっておらねばなり申さぬ。なれど、死ぬことが目的であってはなりますまい。お判りいただけまするな、殿」いつもは義宣を次郎とよぶ義重が、父としてではなく、佐竹氏の家臣を代表するような物言いで、穏やかに主君を諭した。

・・・兵法者の中には、何時なんどき不意を打たれても対応できるよう、常住坐臥、決して油断しないという、己に緊張を強い続けて暮らす者がいる。野宿でもあるまいに、足袋も脛巾も草鞋も解かずに寝るとは、異常というほかない。

・・・楓屋敷で小太郎に助けられたことを、厳心は、ひとりの武士として、恩を受けたと感じたのに違いない。受けた恩には報いるのが、武士の正しい道である。』

2021年1月25日 (月)

新聞記事から 中国共産党、怪物となった百年(楊 海英氏 産経新聞 令和3年1月25日朝刊)

内モンゴル人出身で日本に帰化された方の記事です。日本人はこのような歴史的事実をしっかりと認識しておかなければならないと強く思います。

『 「一つの幽霊がヨーロッパを彷徨っている。共産主義という幽霊だ」マルクスとエンゲルスの共著「共産党宣言」の冒頭の名句である。「幽霊」の意味は諸説があるが、人間の生き血を吸って巨大化した怪物だ、との哲学的解釈に私は首肯している。そして20世紀最大の怪物幽霊は、中国共産党(中共)以外にない。今年で結党100年を迎えるので、その歴史を振り返ってみる必要があろう。

 中共という幽霊の生みの親は日本である。その創設者たちの中の李大釗は早稲田大学政治学科の出身で、陳独秀は新宿の成城学校で薫陶を受けていた。その他の主要なメンバーたちも皆、大なり小なり日本経験を共有していた。近代の自由な気風が定着した東京で共産主義思想の著作を読み漁り、帰国後に革命運動を起こすのでは、1945年までの中国の知識人たちの共通した思想的・政治的遍歴であった。何よりも、共産という言葉自体が日本から逆輸入されたものだ。中共が49年に打ち立てた「中華人民共和国」という名称に、「人民」と「共和」という日本が創成した近代思想概念が組み込まれている事実を、今日の中国人は果たして認識しているのだろうか。中共とは一卵性双生児のような政党が、国民党だった。創設者の孫文は日本とゆかりが深いし、後継者たち、例えば蒋介石も日本に留学していた。

 中華民国内で反乱を起こし、南中国で「中華ソビエト共和国」をつくった中共はその憲法の中で、諸民族の自決権を認めていた。内モンゴルとチベット、それに新疆とは少なくとも連邦制を組み、協力、彼らの独立を支持するとのリベラルな政策を標榜していた。

 諸民族の独立どころか、存在すら否定していた国民政府は中共掃討に乗り出す。敗れていく中共はその不名誉な逃亡を「北上抗日」と言い換えた。内モンゴルに入って満州国の日本軍と戦う、とのスローガンだった。当の内モンゴル人は日本軍の力を借り中国からの独立を目指していたのを知った毛沢東は35年末に「中華ソビエト共和国対内モンゴル宣言書」を公布し、内モンゴル人はチンギスハンの子孫で、独立する権利を有する、と語っていた。

 毛の宣言を信じたモンゴル人は「北上」してきた中共軍を攻撃しなかったので、内モンゴル南部と陜西省北部の延安に割拠して生き延びた。毛の軍隊は国民政府軍が戦う前線に行こうとしなかったが、宣伝はうまかった。米国人ジャーナリストで共産主義シンパのエドガー・スノーを延安に招待し、国民政府軍の包囲網を突破した武勇伝を語った。

 スノーの「中国の赤い星」は世界的ベストセラーとなり、日本軍と死闘を繰り返す国民政府軍よりも、中共こそが真の抗日勢力だとの神話を作り上げた。同署は戦後日本の学界と市民にも悪影響を与え続け、日本は「正義の軍隊」に負けたとの間違ったイメージを定着させてしまった。実際の中共軍は抗日どころか国民政府軍を背後から攻撃し、アヘンを栽培して人民に毒を販売していたことは、今日では広く知られている。

 日本との戦闘で疲弊しきった国民政府を台湾に追い払った中共は人民に対して善政を行ったかというと、答えは否だ。まず諸民族に約束していた自決権、即ち分離独立権を否定し、限られた地域自治権しか付与しなかった。中国人即ち漢人の土地と遊牧民の草原を略奪して公有化し、58年に人民公社という漢代の秘密結社を彷彿させる制度を全国に定着させた。公有化政策の結果、およそ3千万人が餓死した。

 続いて66年から文化大革命を発動し、少なくとも110~160万人もの人々が殺害された。分離独立権を与える、と騙された内モンゴル人は34万人が逮捕され、12万人が暴力を受けて負傷し、2万7900人が殺された。死屍累々の建党史と言っていい。

 国際的に孤立していた中共は72年に「生みの親」の日本と外交関係を結んだ。賠償金は不要、との寛大のパフォーマンスを演じて日本の政治家を虜にした。

 善良な日本国民は国を挙げて中国の復興に尽力し、賠償金以上の巨額の援助が投じられた。日本の援助で強力な軍隊を養うようになった中共は陸上から海上へと進出し南シナ海を自国の海として要塞化したし、沖縄県尖閣諸島も自国領だと主張するように豹変した。

 陸上では相変わらず諸民族を弾圧し続けている。ウイグル人を百万人単位で強制収容施設に入れ、内モンゴル人では母語による教育権をはく奪した。英国から返還されて香港でも容赦なく市民と学生の民主化の運動を鎮圧している。

 中国・武漢発の新型コロナウィルスは、情報隠蔽も加わり、一昨年末から世界でパンデミックを引き起こしたもの周知の通りだ。生みの親としての責務からも、日本は中共と毅然と向き合い、戦わなければならないだろう。』

2021年1月19日 (火)

風魔(上) 宮本昌孝著 祥伝社文庫

嶽神シリーズで親しみを持つようになった、風魔に関する面白そうな小説を見つけたので読み始めました。予想以上に面白かったです。

『・・・戦国の世では、敵同士がいつも憎しみ合っているわけではない。別して、小太郎のような名高き勇者から、何かしらあやかりたいと望むのは、少しも異常なことではなかった。

・・・「失くしてしまったとき、刀はまた贖えばいいけれど、人は取り返しがつかない。おれは、甚内を恃みとしている」また小太郎は破顔した。その無邪気とも思える笑顔は、右近の心に鮮やかに刻み込まれた。

・・・いましがた小太郎と酒杯を交わしたばかりの兵たちも、状況が変われば、心のありようも変わってしまう。これが、食うか食われるかの戦国の世というものであった。

・・・生死の懸かった極限状況では、何事かをいったん疑えば、心の目は鬼を見ることになり、その鬼の姿は、大きくなりこそすれ、消えることはないのである。

・・・かつて小牧・長久手合戦で、家康はみずから指揮した局地戦の一勝の価値を最大限に利用した。最後は、政治的駆け引きで秀吉に敗れて臣従することになったものの、家康は、領地を減らされることもなく、それどころか逆に、豊臣麾下の大名中ひとり別格の立場を得るに至った。

・・・「男は、死に時、死に場所をみずから選ぶ」幼い頃より、峨妙に言われ続けてきたことばを、小太郎は口にした。

・・・(さすが峨妙はんの跡継ぎや・・・・)死と隣り合わせの世界の住人とはいえ、父親の突然の訃報に接しても狼狽もせぬとは、日常の覚悟のほどが察せられる。

・・・北条方の諸城の多くが、あっさりと落とされたり、戦わずしてみずから城門をひらいたりした大きな原因はふたつある。ひとつは各地の支城は、それぞれの籠城が始まれば、本城である小田原城からの後詰があるものと期していたのに、上方勢の小田原城完全包囲により、それが不可能となったこと。いまひとつは、城主不在の城がほとんどだったことであろう。各地の城主の大半は、小田原城に籠っている。

・・・風魔には、一党中から忍びとして一人前と認められるための、最後の試練がある。それは、眠り薬で眠らされ、他国のどことも知れぬ山中に置き去りにされたあと、一定の日数のうちに、自力で風祭に生還するというものである。

・・・「一寸たりとも身動きできなかったわけじゃない。寝たままでも、筋の動かし方ひとつで衰えはふせげる。風魔の体術だ」

・・・「降伏を不名誉というは、猪武者の申し条」「なに」「幾十万の家来、民人を統べる御大将は、武運拙きとき、降伏こそ潔しとする勇気をお持ちにならねばならぬ。兄弟げんかの様相を呈してきた氏照と氏規の論争

・・・関東武士の生活というものは、この戦国末期の段階に至っても、大袈裟に言えば、衣食住全てにおいて鎌倉期とさして変わらなかったのである。

・・・戦の勝敗は、実際に干戈を交えるそのときより、そこに至るまでに、どれだけの準備ができるか否かにかかっている。この貞慶の教えを、弟子たちは忠実に守ったのであった。』

2021年1月14日 (木)

新聞記事から  石平のChina Watch 一帯一路 こっそり下した一枚看板(産経新聞 令和3年1月14日朝刊)

そういえば最近「一帯一路」を聞かなくなったなあと思います。石氏が我が国では初めて指摘したのではないかと思いますので、書き残しておきます。

『 今月1日、中国共産党機関紙、人民日報の1面に恒例の習近平国家主席の新年祝辞が掲載された。それを丹念に読んでいくと、異変が起きていることに気がつく。これまでの新年祝辞に必ず登場していた「一帯一路」という言葉が今年の祝辞から完全に消えたということである。・・習主席は昨年まで新年の抱負を語る時に必ず、この「共同体構築」の目玉プロジェクトとして「一帯一路」を持ちだしてきたのである。しかし、今年の習主席新年祝辞は、「(昨年1年間を経験して)われわれはどの時よりも人類運命共同体の意義を深く会得している」との表現で「共同体」に一度言及したものの、「共同体構築」への抱負は特に語っていないし、それとセットにされている「一帯一路の共同建設」は一切出てこない。「一帯一路」は、新年祝辞から見事に消えたのである。主席祝辞というのは練りに練り上げられたもので丹念なチェックが入っているはずだから、重要なキーワードの書き忘れはまずありえない。「一帯一路」が消えた唯一の理由は、習主席自らが「一帯一路」という一枚看板をひそかに取り下げ、鳴り物入りのプロジェクトの推進を自ら放棄したということであろう。考えてみれば、それは当然の成り行きである。・・今、多くの途上国はそのインチキさと危険性を察知して敬遠している。・・この数年間、アジアやアフリカで「一帯一路」関連のプロジェクトの中止・中断・延期が相次ぎ、各国の「一帯一路離れ」は、もはや世界の潮流となっている。習主席提唱の「一帯一路」がほぼ失敗に終わっていることは明白だ。だからこそ習主席は、今年の新年祝辞で自分の一枚看板を下したわけである。しかし、多くの国々を巻き込んで大々的に推進したこの国際事業が散々な結果になったのに対し、習主席自身からきちんとした釈明もなく、看板をこっそりと取り下げるようなやり方はいかにも姑息であろう。それは、習主席の指導者としての卑怯さを改めて露呈したと同時に、中国という「無責任大国」の本質を浮き上がらせている。中国を信じてはならないのである。』

2021年1月 6日 (水)

新聞記事から 話の肖像画 郷ひろみ5 「今日ぐらいはいいか」はダメ (産経新聞 令和3年1月6日朝刊)

新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

久々の更新となってしまいました。申し訳ありません。産経新聞の連載記事です。

65歳ですがいまだにお元気で活躍中の郷ひろみさんのことを、若作りのナルシストのようなイメージがあり、それほど好きではありませんでしたが、この記事を読み、見方が変わりました。やはり、長く活躍する人は考え方と実行力が素晴らしいと感じました。

『・・・ライブをこなすには体力づくり、トレーニングは欠かせません。もう35年ほど続けています。基本的には月、水、金の午前中、ジムに通って1時間くらい、トレーナーに付いてマンツーマンでやっています。・・必ずやるのは腹筋です。・・理論を知ることは無駄ではないし、修正能力を高めてくれると思っているので。・・効果的で安全に筋肉を刺激するためには、正しいフォームや動作が大事なので、専門家の存在は欠かせません。・・たとえば、ベンチプレスで(バーベルの)10回の上げ下げをする。その場合に大事なのは終盤の8、9、10回目です。最後は上がらなくてもいい。フォームが崩れるのは絶対ダメです。崩れるのは胸で上げていない。肩を使ってあげているから。それでは大胸筋を鍛えたことにならない。上がらないなら止める勇気が必要です。・・むやみにやり続けると、腰や肩など間接に負担がかかり、大切な部分を痛めかねない。正しくやって初めて効果が出るんです。・・基本的にスクワットだけは毎日1分ぐらい、40回ぐらいやるようにしています。それに月に1度は歯医者に行きます。予防検診ですね。虫歯はない、歯周病もないです。・・よく年をとると歯茎が下がると言われますが、僕はない。それは普段から(小まめな歯磨き、予防などを)やっているたまものなんです。普段からずっとやってないとなかなか難しい。普段って、この1回というのは大事なんですよ。僕もそうですが、今日ぐらいやらなくてもいいかと思っちゃうと、大体その気持ちが2回、3回と増えていく。だから今日ぐらいいいか、という考えは実は大きいんです。トレーニングもそうですが、何事も地道に継続することは大事なんです。』

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