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2020年11月14日 (土)

統合幕僚長  我がリーダーの心得 (河野克俊著 ワック)

前統合幕僚長の著作です。直接お話したこともありますが、この著作にあるとおり、穏やかな方でした。リーダーとして心得ておくべき事項や在任中は発言できなかったことなどが書かれ、私にとっては大変得難い内容でした。

『・・・このようなリスクを伴う決断はトップにしかなし得ないこと、そしてトップは腹をくくる覚悟が必要だと痛感した。

・・・木村中将が、指揮官としての心得として次の事項をあげているそうである。「無理やり突っ込むは匹夫の勇」 「部下を思う至情と指揮官の気迫と責任」 「部下が迷ったときに何らかの指示を与え、自分の立場、責任を明確にせよ。

・・・函館にはロシア正教の協会があるが、神父さんと思われる人の遺体が浮かび上がってきて、救命胴衣を着けず、胸のところで手を組んでいたという。他の人を助けるため、自分の救命胴衣を渡して、亡くなったのであろう。その神父さんのことを、父は「立派だった」といつも言っていた。

・・・様々な改革、改編をやる際は重々注意をしなければならない。ある配置につくと何らかの後世に残る業績を残したいという誘惑にかられる場合がある。・・もちろん変えるべきものは変えなければならないが、その際にも「伝統」を踏まえることが重要だと思っている。

・・・「この事故は、自衛隊が一方的に悪いと思う」と記者会見で語り、その発言が繰り返し報じられた。・・後に、この女性の発言は間違いであったとして、後日事実上の小さな訂正記事が出たが、訂正記事など誰も読みはしない。一度間違った情報が流れたら終わりである。「腕組みして眺めるだけ」といった潜水艦甲板上での自衛官を撮影した写真も、救助活動が一段落した後の入港時のものであって、衝突直後のものでもなかった。今で言えば「フェイクニュース」ということだろう。

・・・山崎豊子の小説「約束の海」は、この「なだしお」事故もモデルにしており、この作品中にも、左翼系新聞の記者が、遊漁船に乗船していたアルバイト女性にウソの証言をさせたことが取り上げられている。

・・・後から、「とっちゃん」の副長から聞いた話だが、私が艦長に着任する前、「今度来る艦長は将来有望な人らしかぞ、絶対傷つけたいかんばい、傷つけたらオイたちの恥ぞ」と、「とっちゃん」たちで話し合ったそうである。私はありがたいことに、「とっちゃん」みんなに支えられていたのである。

・・・人の覚悟とは本当は大上段に振りかざすものではなく、静かなものだと思った。

・・・部下は上司の責任ある配置に敬意を払い命令・指示に従うわけである。それを自分個人が敬意を払われていると勘違いする人が時々いる。そこをはき違えると謙虚さが失われ、組織が誤った方向に向かうのである。もちろん配置を通じてその人個人に敬意と尊敬が集まるのが理想ではある。

・・・米国側は、ポカチェンコフ大佐に渡った資料はもとより、萩崎三佐の所持していた資料は100%ロシアに抜けた、からスタートである。そして、解析を進めていくうちに抜けていなかった資料を特定していくというアプローチである。すなわち、ダメージ100%からスタートして本当のダメージを追いかけるアプローチである。行き着く先は同じになるかもしれないが、この米国のアプローチこそ危機管理の基本だと思った。

・・・私の指導方針は、徹底的に自由を与えるけれども、責任は持たせるというものだ。

・・・帝国海軍では出港時刻に遅れることを「後発航期」と言い、大罪であった。

・・・一般論だが、「天皇」と呼ばれて悦に入ったら人間はお終いである。

・・・この「守屋事件」を契機に石破大臣主導で、「商社不要論」が巻き起こった。簡単に言えば、商社は使わず勝者の仕事は防衛省でやれというものである。しかし、できるはずもなく、その後この方針は雲散霧消した。

・・・後年、海上幕僚長、統合幕僚長となり定例に記者会見を行うことになったが、絶対笑わないことを心掛けた。

・・・危機管理に失敗した「あたご」事故への対応から、私なりに教訓を導き出した。第一は、情報発信の一本化である。・・要するに司令塔がいなかったのである。・・第二は、危機対応の態勢はシンプルであるべきだということだ。・・じっと耐えて単純明快、シンプルに行くべきであり、少数精鋭が基本だと思う。危機管理において複雑怪奇は失敗の元である。第三は、トップの顔を見せるということである。・・危機対応において、部下がトップではなく、ナンバーツーの顔を見るようになれば、危機対応はうまくいかなくなるように思う。

・・・私が非常に大事だと思うのは紙を触るということだ。その意味で本の電子版は読まない。ペーパーレスが世の流れだが、紙に触ることによる精神の安定という効用は、自信の体験からもあるように思う。・・文庫本で全二十六巻の「徳川家康」を購入して読み始めた。その中で家康が言ったとされる次の言葉に勇気づけられた。「堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。勝つことばかり知って負くることを知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるにまさるものぞ」・・勝ってばかりでは油断が生じて失敗する。人生は負けを知らないといけないということを家康の人生は教えてくれた。

・・・「即応態勢=オフの人間が絶対必要」。頑張りすぎる日本人に対しては、この点をあえて強調しなければいけないと思っている。ある意味、即応態勢とは余裕綽々でやらなければならないものだ。

・・・米海軍は世界で一番原子力の専門家集団である。彼らは原子力空母と原子力潜水艦を運用し、日夜、原子力の安全性についてチェックしている。

・・・日本が原発の対応でもたついていた時期に、米軍のトップであるマレン統合参謀本部議長から折木統合幕僚長に電話がかかってきた。要旨次のようなものである。「国家、国民の生命、財産が危機に直面している時に、命をかけて守るのが軍隊、自衛隊ではないのか。なぜ、自衛隊は動かないのか?」

・・・高坂氏も「彼は、昭和25年にはダレスの再軍備を断固として拒否したが、いつまでも日本の防衛を米国に大きく依存しようとは思っていなかった。彼があとから、能力に応じ、必要に応じて武装すべきであると説いたことはよく知られている事実である」と認めている。吉田茂自身が、1960年代には日本人に軍事防衛の重要性をもっと説くべきだったと後悔しているのである。現在の日本の政界、官界、経済界、マスコミ界等の多くの人たちは、「吉田ドクトリン」を誤解しているように思う。

・・・新機軸を打ち立てることは、伝統を壊すことではない。伝統の上に打ち立てるものだ。伝統を大切にし、継承している組織は土台がしっかりしていると思う。

・・・なぜ帝国海軍は広瀬中佐を軍神としたのか、それは「船内隈なく、尋ぬる三度」、この行為を高く評価したのである。このように命を顧みず部下を大切にする、これぞ指揮官の鑑としたのである。軍賛美でもなければ、軍国主義とは何の関係もない。指揮官のあるべき姿である。

・・・私の経験から簡単に言えば、「いじめ」は、「いじめ」られた側が「いじめ」と感じれば「いじめ」である。これはセクハラにも共通する。・・私は隊員に対して、「いじめ」において一番悪いのは「いじめ」た奴である。次に悪いのは、周りで見て見ぬふりをした奴である。「いじめ」た奴も、周りで見て見ぬふりをした奴もともに「卑怯者である!」と絶叫した。「卑怯者」で強い「軍隊」が創れる訳がない。「いじめ」を見かけたら「弱い者いじめはやめろ!」「卑怯な真似はするな!」と止めに入る組織文化でないと精強な「軍隊」は決して育成できないと確信している。

・・・私は「当事者である海上自衛隊は絶対に動くべきではありません。捜査に協力します一本ヤリでいくべきです」と進言した。

・・・ゼークトは、「参謀本部はこれという間違った作戦をやっていない。ただ、上手くいかなかったのは、司令官が途中でおたおたしたところである」と述べたという。つまり、ドイツ陸軍は完璧なる理想的な参謀をつくることには成功したが、司令官すなわち指揮官をつくることには失敗したわけである。ではどうしたらいい司令官ができるか、と問われて、ゼークトは「それはわからない」と答え、ただし、これだけは言えるとして、「いつでも上機嫌でいる」こと「朗らかな気分を維持できる人」が司令官にとっては一番重要であると指摘したのである。

・・・ダグラス・マッカーサー元帥は、日露戦争当時、観戦武官である父親とともに来日している。その際に大山巌元帥、乃木希典対象にも会い感銘を受けている。その彼が第二次世界大戦時の日本軍人と比較して同じ国の軍人とは思えないと述べたという。どうも明治期以降の軍人教育はドイツの轍を踏んだとも言えなくもない。・・各幕僚長は卒業を控えた防大生に講話をすることになっている。私はその中で必ず「指揮官を目指すべきこと」を述べている。防大の卒業生は配置として参謀即ち幕僚の配置をほとんどの者が経験する。だから、「自分は優秀な幕僚を目指します」というのは自衛官の目標としては少しおかしい。幕僚配置は、あくまで優秀な指揮官を目指すための通過点と心得るべきだ。

・・・階級が上がると守備範囲が広くなり、部下も多くなるし、責任も重くなる。それを若い頃の仕事のやり方で通すと、細かいことに引っ張られ、大局を失うことになる。階級が上がるにつれて、仕事のやり方は変えていかなければならない。ところがやり方を変えられない人が結構いる。

・・・組織のトップは、細かいことに気をとられて、大局を見失ってはならない。そこで大事なのが、何が任せられて、何が任せられないのかを判断する能力だ。こらは、自己の経験、修養、勉強がすべて集大成されたものの上に築かれると思う。前にも述べたが読書しているか、いかいかも大きな差となって出て来るように思う。

・・・江戸後期の儒学者の佐藤一斎は「大臣の職務は、仕事で一番大切なところだけをだいたい押さえておけばよい。日常の細かい事柄は、従来のやり方に依拠することもできる。ただ大臣の重要な職務は、人の言いづらいことを語り、人の処理が難しい事柄を処理する点にある。このようなことは一年間に数回に過ぎないほどだ。従って、平素から細かいことに関わりあって疲れ、心を乱すことがあってはならない」(言志四録)と言ったそうである。

・・・私が4年6か月の統合幕僚長勤務で使ったノートは実質大学ノート1冊。しかも、我ながら恥ずかしいが、大きな字で書かれているので、実質は大学ノート三分の一冊だろうと思う。

・・・私のリーダー論はシンプルである。一 組織に対して目標を明確に示す。 二 その目標を達成する強い意志を持つ。 三 結果に対して責任を取る。 この三つのうち、何が一番大事かと問われれば、三番目の「結果に対して責任を取る」である。・・指揮官の根本は突き詰めると覚悟だと思う。これは一般の社会にも共通することだろう。

・・・かねてよりの私の持論は、日本の防衛上の役割を拡大し、日米の関係を極力「双務性」に近づけることが日米同盟の信頼性向上のために不可欠というものである。

・・・軍同士はお互いの国益を背負って戦場で戦うが、その崇高な使命ゆえにお互いを尊重するというのが軍人精神であり、いわば紳士協定だ。そこが、路上の喧嘩とは違うのである。そのためお互いの軍旗は尊重する。私は、韓国の軍旗を尊重するし、中国の軍旗も尊重する。北朝鮮の軍旗も尊重する。したがって、国家主権を象徴する自衛官の旗を降ろしてこいということは、軍の世界では、国家、自衛隊を侮辱する暴挙なのである。ハリス駐韓米大使は「真珠湾を攻撃された米国は旭日旗を受け入れているのに、日本と戦争していない韓国がなぜ受け入れないのか」と述べたという。

・・・韓国はビデオを見て「やはり、火器管制レーダーが照射されたのは日本の作り話だ」と言ってきたのである。その理由を聞いてこれまた腰を抜かした。何と韓国は「火器管制レーダーを照射されたにしては、日本の哨戒機のクルーがあまりに冷静に対応している」というのである。韓国軍は、こういう場合慌てふためくのかもしれないが、自衛隊のクルーの冷静な対応はまさに訓練の賜物である。

・・・「専守防衛」の日本は、「戦略的守勢」ではあるが、一朝有事の際には、「戦術的攻勢」をとれる国であるべきだ。それが戦術、戦闘のレベルにまで「専守防衛」という制約をかけるから話がややこしくなり、世界の軍事常識から外れていくことになる。

・・・日米安全保障体制は、「縦と矛」の関係と言われる。・・この考え方には二つの問題点がある。第一は、日米で共同対処する場合、米国も戦闘に従事することになる。米国にも米国の都合があるということだ。・・第二は、国家の品格の問題だ。日本は「専守防衛」の平和国家であり、他国に脅威を与えない、としながらも、何かあった時には米国に他国を攻撃してもらう国ということだ。自分では手を汚さず米国に他国を攻撃してもらいながら、それでも「専守防衛」を高らかに唱えるのは、抜け目のない偽善であり、品格ある国家とは言えないと思う。

・・・外交に国の安全保障を100%委ねるのは、これは政策論ではなく、宗教論だ。

・・・信頼は一瞬で崩れ去るものであり、「築城10年、落日1日」との格言にもあるとおり、慢心することなく常に謙虚な心を忘れず、同時に防衛省・自衛隊の一員であることに誇りと自信を持ち続けてほしい

・・・東郷平八郎連合艦隊司令長官が、日露戦争が集結し、連合艦隊を解散した際の辞の一節である。「神明は唯平素の鍛錬に努め戦わずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足し治安に安んずる者より直ちにこれを奪う。古人曰く勝って兜の緒を締めよと』

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