« 2020年10月 | トップページ | 2020年12月 »

2020年11月

2020年11月27日 (金)

新聞記事から  六十の旅立ち (佐々木 閑氏 日本経済新聞 令和2年11月27夕刊)

勇気づけられるというか、奮起させられる記事でした。

『・・・法顕さんは今から1600年もの昔に、中国の長安を仲間たちと一緒に徒歩で出発。旅の目的は、インドへ行って、まだ中国に伝わっていない仏教の聖典を持って帰ること。そしてそれを中国語に翻訳すること。つまり求法の旅である。白骨累々たる砂漠や、吹雪荒れ狂う雪山を延々6年かけて踏破しインドにたどり着いたが、その間、たくさんいた仲間たちは、旅を諦めて戻ったり、病死したり、遭難して亡くなったりと、次々にいなくなり、最後は1人きりになった。インド到着後は各地の仏跡を巡礼してから、インド本土で5年、スリランカで2年勉強を続けてインド語をマスターし、多くの経典を手に入れ、そして帰りはなんと、スリランカから船に乗って東南アジア経由で中国に戻ってきた。最後の船旅は暴風雨で難破し、青島の近くに漂着した。初めから終わりまで艱難辛苦の連続で、足掛け15年をかけて東アジアを一周する長大な旅であった。この旅の様子は「法顕伝」という旅行記にまとめられ、今も残っている。「命懸け」という言葉を地で行くような法顕さんの旅姿がいきいきと記録された名著である。今から肝心なことを言うのでよくお聞きください。その法顕さんが長安を出発したときの年齢は60歳を越えていたのである。60過ぎで志を立て、6年かけてインドまで歩き、インド語を学び、山のような聖典を集め、船旅で難破しながら中国にたどり着いた時には、80に近かった。しかもまだ先がある。持って帰ってきたインド語の本を中国語に翻訳するという仕事。それこそがインドまで行った目的なのだから、法顕さんの本当の仕事は、青島に漂着した後に始まったのである。亡くなったのは82歳とも86歳とも言われているが、ともかくなく〇までずっと、翻訳作業を休まず続けた。こんな法顕さんの一生を俯瞰すると、60までは準備期間で、そこから本当の人生が始まったというふうに見ることができる。足腰やおつむの調子を考えると、法顕さんのような生き方はとうてい敵わないが、せめて志だけでも剛毅質実で通したい。人生百年時代の一つの手本をご紹介した。』

2020年11月14日 (土)

統合幕僚長  我がリーダーの心得 (河野克俊著 ワック)

前統合幕僚長の著作です。直接お話したこともありますが、この著作にあるとおり、穏やかな方でした。リーダーとして心得ておくべき事項や在任中は発言できなかったことなどが書かれ、私にとっては大変得難い内容でした。

『・・・このようなリスクを伴う決断はトップにしかなし得ないこと、そしてトップは腹をくくる覚悟が必要だと痛感した。

・・・木村中将が、指揮官としての心得として次の事項をあげているそうである。「無理やり突っ込むは匹夫の勇」 「部下を思う至情と指揮官の気迫と責任」 「部下が迷ったときに何らかの指示を与え、自分の立場、責任を明確にせよ。

・・・函館にはロシア正教の協会があるが、神父さんと思われる人の遺体が浮かび上がってきて、救命胴衣を着けず、胸のところで手を組んでいたという。他の人を助けるため、自分の救命胴衣を渡して、亡くなったのであろう。その神父さんのことを、父は「立派だった」といつも言っていた。

・・・様々な改革、改編をやる際は重々注意をしなければならない。ある配置につくと何らかの後世に残る業績を残したいという誘惑にかられる場合がある。・・もちろん変えるべきものは変えなければならないが、その際にも「伝統」を踏まえることが重要だと思っている。

・・・「この事故は、自衛隊が一方的に悪いと思う」と記者会見で語り、その発言が繰り返し報じられた。・・後に、この女性の発言は間違いであったとして、後日事実上の小さな訂正記事が出たが、訂正記事など誰も読みはしない。一度間違った情報が流れたら終わりである。「腕組みして眺めるだけ」といった潜水艦甲板上での自衛官を撮影した写真も、救助活動が一段落した後の入港時のものであって、衝突直後のものでもなかった。今で言えば「フェイクニュース」ということだろう。

・・・山崎豊子の小説「約束の海」は、この「なだしお」事故もモデルにしており、この作品中にも、左翼系新聞の記者が、遊漁船に乗船していたアルバイト女性にウソの証言をさせたことが取り上げられている。

・・・後から、「とっちゃん」の副長から聞いた話だが、私が艦長に着任する前、「今度来る艦長は将来有望な人らしかぞ、絶対傷つけたいかんばい、傷つけたらオイたちの恥ぞ」と、「とっちゃん」たちで話し合ったそうである。私はありがたいことに、「とっちゃん」みんなに支えられていたのである。

・・・人の覚悟とは本当は大上段に振りかざすものではなく、静かなものだと思った。

・・・部下は上司の責任ある配置に敬意を払い命令・指示に従うわけである。それを自分個人が敬意を払われていると勘違いする人が時々いる。そこをはき違えると謙虚さが失われ、組織が誤った方向に向かうのである。もちろん配置を通じてその人個人に敬意と尊敬が集まるのが理想ではある。

・・・米国側は、ポカチェンコフ大佐に渡った資料はもとより、萩崎三佐の所持していた資料は100%ロシアに抜けた、からスタートである。そして、解析を進めていくうちに抜けていなかった資料を特定していくというアプローチである。すなわち、ダメージ100%からスタートして本当のダメージを追いかけるアプローチである。行き着く先は同じになるかもしれないが、この米国のアプローチこそ危機管理の基本だと思った。

・・・私の指導方針は、徹底的に自由を与えるけれども、責任は持たせるというものだ。

・・・帝国海軍では出港時刻に遅れることを「後発航期」と言い、大罪であった。

・・・一般論だが、「天皇」と呼ばれて悦に入ったら人間はお終いである。

・・・この「守屋事件」を契機に石破大臣主導で、「商社不要論」が巻き起こった。簡単に言えば、商社は使わず勝者の仕事は防衛省でやれというものである。しかし、できるはずもなく、その後この方針は雲散霧消した。

・・・後年、海上幕僚長、統合幕僚長となり定例に記者会見を行うことになったが、絶対笑わないことを心掛けた。

・・・危機管理に失敗した「あたご」事故への対応から、私なりに教訓を導き出した。第一は、情報発信の一本化である。・・要するに司令塔がいなかったのである。・・第二は、危機対応の態勢はシンプルであるべきだということだ。・・じっと耐えて単純明快、シンプルに行くべきであり、少数精鋭が基本だと思う。危機管理において複雑怪奇は失敗の元である。第三は、トップの顔を見せるということである。・・危機対応において、部下がトップではなく、ナンバーツーの顔を見るようになれば、危機対応はうまくいかなくなるように思う。

・・・私が非常に大事だと思うのは紙を触るということだ。その意味で本の電子版は読まない。ペーパーレスが世の流れだが、紙に触ることによる精神の安定という効用は、自信の体験からもあるように思う。・・文庫本で全二十六巻の「徳川家康」を購入して読み始めた。その中で家康が言ったとされる次の言葉に勇気づけられた。「堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。勝つことばかり知って負くることを知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるにまさるものぞ」・・勝ってばかりでは油断が生じて失敗する。人生は負けを知らないといけないということを家康の人生は教えてくれた。

・・・「即応態勢=オフの人間が絶対必要」。頑張りすぎる日本人に対しては、この点をあえて強調しなければいけないと思っている。ある意味、即応態勢とは余裕綽々でやらなければならないものだ。

・・・米海軍は世界で一番原子力の専門家集団である。彼らは原子力空母と原子力潜水艦を運用し、日夜、原子力の安全性についてチェックしている。

・・・日本が原発の対応でもたついていた時期に、米軍のトップであるマレン統合参謀本部議長から折木統合幕僚長に電話がかかってきた。要旨次のようなものである。「国家、国民の生命、財産が危機に直面している時に、命をかけて守るのが軍隊、自衛隊ではないのか。なぜ、自衛隊は動かないのか?」

・・・高坂氏も「彼は、昭和25年にはダレスの再軍備を断固として拒否したが、いつまでも日本の防衛を米国に大きく依存しようとは思っていなかった。彼があとから、能力に応じ、必要に応じて武装すべきであると説いたことはよく知られている事実である」と認めている。吉田茂自身が、1960年代には日本人に軍事防衛の重要性をもっと説くべきだったと後悔しているのである。現在の日本の政界、官界、経済界、マスコミ界等の多くの人たちは、「吉田ドクトリン」を誤解しているように思う。

・・・新機軸を打ち立てることは、伝統を壊すことではない。伝統の上に打ち立てるものだ。伝統を大切にし、継承している組織は土台がしっかりしていると思う。

・・・なぜ帝国海軍は広瀬中佐を軍神としたのか、それは「船内隈なく、尋ぬる三度」、この行為を高く評価したのである。このように命を顧みず部下を大切にする、これぞ指揮官の鑑としたのである。軍賛美でもなければ、軍国主義とは何の関係もない。指揮官のあるべき姿である。

・・・私の経験から簡単に言えば、「いじめ」は、「いじめ」られた側が「いじめ」と感じれば「いじめ」である。これはセクハラにも共通する。・・私は隊員に対して、「いじめ」において一番悪いのは「いじめ」た奴である。次に悪いのは、周りで見て見ぬふりをした奴である。「いじめ」た奴も、周りで見て見ぬふりをした奴もともに「卑怯者である!」と絶叫した。「卑怯者」で強い「軍隊」が創れる訳がない。「いじめ」を見かけたら「弱い者いじめはやめろ!」「卑怯な真似はするな!」と止めに入る組織文化でないと精強な「軍隊」は決して育成できないと確信している。

・・・私は「当事者である海上自衛隊は絶対に動くべきではありません。捜査に協力します一本ヤリでいくべきです」と進言した。

・・・ゼークトは、「参謀本部はこれという間違った作戦をやっていない。ただ、上手くいかなかったのは、司令官が途中でおたおたしたところである」と述べたという。つまり、ドイツ陸軍は完璧なる理想的な参謀をつくることには成功したが、司令官すなわち指揮官をつくることには失敗したわけである。ではどうしたらいい司令官ができるか、と問われて、ゼークトは「それはわからない」と答え、ただし、これだけは言えるとして、「いつでも上機嫌でいる」こと「朗らかな気分を維持できる人」が司令官にとっては一番重要であると指摘したのである。

・・・ダグラス・マッカーサー元帥は、日露戦争当時、観戦武官である父親とともに来日している。その際に大山巌元帥、乃木希典対象にも会い感銘を受けている。その彼が第二次世界大戦時の日本軍人と比較して同じ国の軍人とは思えないと述べたという。どうも明治期以降の軍人教育はドイツの轍を踏んだとも言えなくもない。・・各幕僚長は卒業を控えた防大生に講話をすることになっている。私はその中で必ず「指揮官を目指すべきこと」を述べている。防大の卒業生は配置として参謀即ち幕僚の配置をほとんどの者が経験する。だから、「自分は優秀な幕僚を目指します」というのは自衛官の目標としては少しおかしい。幕僚配置は、あくまで優秀な指揮官を目指すための通過点と心得るべきだ。

・・・階級が上がると守備範囲が広くなり、部下も多くなるし、責任も重くなる。それを若い頃の仕事のやり方で通すと、細かいことに引っ張られ、大局を失うことになる。階級が上がるにつれて、仕事のやり方は変えていかなければならない。ところがやり方を変えられない人が結構いる。

・・・組織のトップは、細かいことに気をとられて、大局を見失ってはならない。そこで大事なのが、何が任せられて、何が任せられないのかを判断する能力だ。こらは、自己の経験、修養、勉強がすべて集大成されたものの上に築かれると思う。前にも述べたが読書しているか、いかいかも大きな差となって出て来るように思う。

・・・江戸後期の儒学者の佐藤一斎は「大臣の職務は、仕事で一番大切なところだけをだいたい押さえておけばよい。日常の細かい事柄は、従来のやり方に依拠することもできる。ただ大臣の重要な職務は、人の言いづらいことを語り、人の処理が難しい事柄を処理する点にある。このようなことは一年間に数回に過ぎないほどだ。従って、平素から細かいことに関わりあって疲れ、心を乱すことがあってはならない」(言志四録)と言ったそうである。

・・・私が4年6か月の統合幕僚長勤務で使ったノートは実質大学ノート1冊。しかも、我ながら恥ずかしいが、大きな字で書かれているので、実質は大学ノート三分の一冊だろうと思う。

・・・私のリーダー論はシンプルである。一 組織に対して目標を明確に示す。 二 その目標を達成する強い意志を持つ。 三 結果に対して責任を取る。 この三つのうち、何が一番大事かと問われれば、三番目の「結果に対して責任を取る」である。・・指揮官の根本は突き詰めると覚悟だと思う。これは一般の社会にも共通することだろう。

・・・かねてよりの私の持論は、日本の防衛上の役割を拡大し、日米の関係を極力「双務性」に近づけることが日米同盟の信頼性向上のために不可欠というものである。

・・・軍同士はお互いの国益を背負って戦場で戦うが、その崇高な使命ゆえにお互いを尊重するというのが軍人精神であり、いわば紳士協定だ。そこが、路上の喧嘩とは違うのである。そのためお互いの軍旗は尊重する。私は、韓国の軍旗を尊重するし、中国の軍旗も尊重する。北朝鮮の軍旗も尊重する。したがって、国家主権を象徴する自衛官の旗を降ろしてこいということは、軍の世界では、国家、自衛隊を侮辱する暴挙なのである。ハリス駐韓米大使は「真珠湾を攻撃された米国は旭日旗を受け入れているのに、日本と戦争していない韓国がなぜ受け入れないのか」と述べたという。

・・・韓国はビデオを見て「やはり、火器管制レーダーが照射されたのは日本の作り話だ」と言ってきたのである。その理由を聞いてこれまた腰を抜かした。何と韓国は「火器管制レーダーを照射されたにしては、日本の哨戒機のクルーがあまりに冷静に対応している」というのである。韓国軍は、こういう場合慌てふためくのかもしれないが、自衛隊のクルーの冷静な対応はまさに訓練の賜物である。

・・・「専守防衛」の日本は、「戦略的守勢」ではあるが、一朝有事の際には、「戦術的攻勢」をとれる国であるべきだ。それが戦術、戦闘のレベルにまで「専守防衛」という制約をかけるから話がややこしくなり、世界の軍事常識から外れていくことになる。

・・・日米安全保障体制は、「縦と矛」の関係と言われる。・・この考え方には二つの問題点がある。第一は、日米で共同対処する場合、米国も戦闘に従事することになる。米国にも米国の都合があるということだ。・・第二は、国家の品格の問題だ。日本は「専守防衛」の平和国家であり、他国に脅威を与えない、としながらも、何かあった時には米国に他国を攻撃してもらう国ということだ。自分では手を汚さず米国に他国を攻撃してもらいながら、それでも「専守防衛」を高らかに唱えるのは、抜け目のない偽善であり、品格ある国家とは言えないと思う。

・・・外交に国の安全保障を100%委ねるのは、これは政策論ではなく、宗教論だ。

・・・信頼は一瞬で崩れ去るものであり、「築城10年、落日1日」との格言にもあるとおり、慢心することなく常に謙虚な心を忘れず、同時に防衛省・自衛隊の一員であることに誇りと自信を持ち続けてほしい

・・・東郷平八郎連合艦隊司令長官が、日露戦争が集結し、連合艦隊を解散した際の辞の一節である。「神明は唯平素の鍛錬に努め戦わずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足し治安に安んずる者より直ちにこれを奪う。古人曰く勝って兜の緒を締めよと』

2020年11月 2日 (月)

東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話 (池田渓著 飛鳥新社)

私も実は東大を目指して駄目だったクチで、当時は「合格最低点でもいいから合格したい」と思っていました。しかし、入ったら入ったで、いろいろな苦労があり、卒業後成功するか否かは、当然ながら属人的なものであることを改めて思い知りました。また、野党の官僚たたきのひどさの一端も記されていましたので、残しておきます。

『・・・「実際には集団でもなんでもないマラソン大会の上位3000人に『東大生』というレッテルを貼って一位集団扱いしている」という表現の方が、東大生だった僕の感覚には近い。

・・・東大生は失敗して人から批判されることを極度に恐れる

・・・第3のタイプは、東大入試を主にテクニックでクリアしてきた「要領型」だ。東大生の3割くらいはここに属するだろう。

・・・長い目で見た時、果たして東大に入ることが夢をかなえるために最善の道であるかはわからない。毎年、進振りによって子どものころからずっと抱いていた夢を断たれる学生は大勢いる。東大に入ったがゆえに、望んだ形で社会に出られないということが起きるのだ。

・・・実は、東大は留年率が例年20%を超えている。この日本の大学の中でも突出して高い留年率は、講義のレベルの高さに加え、東大生同士の熾烈なつぶし合いが繰り広げられる進振りというシステムの負の側面を反映していると言えよう。

・・・「就職活動ってのは、学生の全方位的な資質が試されるはじめての戦いなんですよ」

・・・一般的に大学のランクと学生の就職活動の質は驚くほどに一致するものなのだそうだ。・・ところが、・・学歴社会の頂点である東大生に限って、就職活動の場での評価が極端にお粗末なものがいるのだそうだ。・・「東大までの人たちは、社会に興味がないんです。正確に言えば、興味がないわけではないんですが、社会で成功したいという欲求は人一倍強いのに、その過程をまったくイメージできていないんです。・・願望だけは強いのですが、それをかなえるためにはどんな仕事について、どんなふうに成功するかという具体的なビジョンがまったくもって貧困なんです。それなのに、なぜか自身だけは満々なので、そういう子がクライアントだと本当に困りますね」・・「これまでどおり一生懸命勉強してれば、誰かが評価してくれると思っているんでしょう。甘えですよ。

・・・近年、大学卒業時点でもっとも社会人として即戦力に近い実力を備えており、出世頭を務めるのは、東大でも早慶でもなく、明治大学出身で飲食店アルバイトかインターンの経験のある学生だ――― そう、小林さんは断言した。

・・・一人暮らしの在宅ワーカーにとって、人と会話をする機会は貴重なのだ。

・・・銀行と言っても、邦銀と外銀で話はだいぶん違う。外銀は狭き門だよ。経済学部卒のなかでも特にできるエリートしか行けないところだね・・外資系の金融機関やコンサルタント企業は東大のなかでもとりわけトップ層の学生に人気の業種である

・・・充実したキャリア形成において東大合格は単なるワンステップでしかない。大学からの勉強こそが重要だ。肝心なのは東大に入った時点でそのことにきちんと気づいているかどうかで、それによって後の人生はかなり変わってくる。

・・・金融業界って新卒を大量採用するうえに学歴をかなり重視する

・・・他学部のことは寡聞にして知らないけど、俺たちの文化では東大法学部を出ていて民間に行くような奴は「落ちこぼれ」なのよ。それで、自分が落ちこぼれる先としてまだ許せる、世間一般に対して体裁がとれる、そういう就職先が銀行なんだよね。

・・・僕たちは論理的な読み書きといった言語スキルは高いが、他人との会話やコミュニケーションといった対人関係スキルでは世間の平均値にもおぼつかない。

・・・「職部は常に空気がギスギスしているよ。仕事がキツくて、みんなストレスを溜めているんだよね。そんななかで東大卒は昇進とかなにかと優遇されるから、他大卒の人たちの妬み嫉みの対象になりやすいんだよね」

・・・「質問通告を故意に遅らせる野党議員がいるんです」川上さんによれば、野党議員の中には、官僚に答弁作成のための十分な時間を確保させないように、わざと質問通告をギリギリに出すものもいるのだそうだ。・・深夜残業が常態化している霞が関は「不夜城」とも呼ばれ、そこでは多くの官僚たちが寝ずに働いている。過重な労働によって心身を壊し、自殺や突然死をする官僚は決して少なくない。・・官僚を呼びつけてあんな公開リンチを行っても意味はないはずだ。あれは野党議員による人気取りのためのパフォーマンスではないのか。「ええ、そうですよ。あの人たちは次の選挙で当選することしか考えていません。有権者に自分の顔を覚えてもらいたい。だから、わざわざテレビカメラを連れてきて、その前で私たちを叩いて見せるんです。

・・・環境によっては東大卒の学歴はその人のウィークポイントになる。・・それまで高学歴の人間がいなかった職場に東大卒という「異物」が一つ混入するだけで、組織全体の人間関係がギスギスすることもあるのだ。

・・・しかし、「自分はここを辞めてもなんとかなる」という態度はその組織でやっていこうとしている人には傲慢に見えたことだろう。彼が職場でうまくいかなかった原因はそういうところにもあったのかもしれない。・・それが潜在意識下のものであっても「自分はこんな職番なんて何時でも辞められる」という思いは、言葉や言動の端々からまわりの人に伝わってしまうものなのだろう。

・・・十分な指導やフォローをしてくれない教員がいることに驚く人もいるかもしれないが、この類の話は大学院ではごくありふれている。まず大前提として、大学院は「勉強」ではなく「研究」をする場所だ。すでに知られている知識を学ぶ「勉強」とは異なり、「研究」ではすでに知られている知識を前提に、自分の力でこの世界の新しい事実や解釈を発見しなければならない。

・・・日本の博士課程取得後のキャリアパスの不透明さは尋常ではない。東大出身であろうが、理系であろうが文系であろうが、苦労して博士号を取得したところで、大学教員になれるものは10人に1人もいない。

・・・大学を卒業して学習漫画でも描こうと思い立ってから、そういう絵の練習を1日10時間、1年間続けたんだよね。それくらいやれば、よほど不器用な人間じゃない限り、美しい線を引けるようになると思うよ。

・・・マンガを仕事にすることのネックは、文学モノに比べてとにかく手間がかかるということだ。

・・・出版に関わる人なら思い知っているが、本というものはびっくりするほど売れない。売れない本は即座に絶版とされ、在庫は再生紙工場粋だ。いくら著者が労力をつぎ込んでいたとしても、ひとたび絶版となった本はもはや一切の金を生まない。

・・・警備員の業務は特殊なスキルを必要としない単純作業が多い。その給与水準の低さから警備業界は慢性的な人手不足で、犯罪歴や破産歴があったり、精神障害や薬物中毒だったりしなければ、たいていの人は雇ってもらえるのだと斉藤さんは言った。

・・・たかが東大に入るために大きな犠牲を払わなければならなかったという人というのは、およそ凡人なのだ。凡人が東大という環境で学べたことなど知れている。東大でたいして学んでもいないのに、社会に出た後も東大卒という学歴にとらわれ続けることは無駄でしかない。そのプライドは精神的な枷となり、自らの可能性をジワジワと殺していくだろう。』

« 2020年10月 | トップページ | 2020年12月 »