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2020年10月

2020年10月26日 (月)

新聞記事から 新聞に喝! 事実とは“真逆”の報道(門田隆将氏 産経新聞 令和2年10月25日朝刊)

この記事を読むまで、この事実を知りませんでした。一部野党と一部マスコミの厚顔ぶり、卑劣さを、しっかり残しておきたいと思います。少なくともこの記事に書かれている野党、マスコミは百害あって一利なしの存在と思いました。

『 唖然とする新聞の印象操作は当欄で何度も取り上げてきた。そこに新たな1頁が加わったのでご紹介したい。

 14日、森友文書改竄問題で自殺に追い込まれたとされる財務省近畿財務局職員の妻が上司の音声データを大阪地裁に提出した。職員の死後、上司が妻に語った音声だ。

 「あの売り払いをしたのは僕です。国の瑕疵が原因で小学校が開設できなかったら損害額が膨大になることを考えたときに相手に一定の価格、妥当性のある価格を提示し、納得できれば丸く収まる。撤去費用を試算した大阪航空局が持ってきたのが8億円だったのでそれを鑑定評価額から引いただけなんです」

 「安倍さんや鴻池さんから声が掛かっていたら売るのはやめていると思います。あの人らに言われて減額するようなことは一切ないです」

 「少しでも野党から突っ込まれるようなことを消したいということでやりました。改竄なんか、やる必要もなかったし、やるべきではありません。ただ追いつめられた状況の中で少しでも作業量を減らすためにやりました。何か忖度みたいなのがあるみたいなことで消すのであれば、僕は絶対に消さないです」

 そこには部下の自殺に対する悔恨の言葉が並んでいた。この上司は籠池夫妻と直接話し合った当事者で「とんでもないことを言うな。学校建設は中止、訴訟する」「新たに地中からダイオキシンが出たという情報もある。とんでもない土地だと踏まえて金額を出せ」と夫妻に繰り返し迫られていた。いかに追いつめられていたか想像できる。

 国会で野党が安倍晋三首相や佐川宣寿理財局長を糾弾し、同時に公開ヒアリングと称して官僚がつるし上げられていたことを思い出してほしい。平成30年3月5日、福島瑞穂氏(社民)、森裕子氏(自由)ら野党は近畿財務局に乗り込み、数時間も居座り、押し問答を続けた。また東京では翌6日、民進党の杉尾修哉、小西洋之両氏が財務省に乗り込み、約1時間、職員をつるし上げている。当該職員の自殺はその翌日の7日だった。

 だが今回の上司の言葉を朝日、毎日など森友糾弾の急先鋒は〈特定の政治家に配慮して減額したわけではないと言いつつ、契約について繰り返し悔いを口にした〉(朝日・10月17日付社説) 〈動機と経緯が明らかにならない限り、改ざん問題は終わらない〉(毎日・19日付社説)と報じた。改竄理由が野党にあったと吐露した部分は完全カット。つまり事実とは真逆。読者が呆れて去っていくはずである。』

2020年10月24日 (土)

娘のトリセツ (黒川伊保子著 小学館eBOOKS)

この著者の書にはいつも心に残るものと勉強になる部分が共存しています。第1章では、思わず涙ぐんでしまいました。娘を持つ父として必読とも感じました。

『・・・父の愛は、娘の一生を守る。けれど、娘を守るためには、その表現の仕方に、少しだけコツがいるのである。恋人同士のように、ただ仲良くしていればいいってものじゃない。「娘の父」となることには、ちょっとした覚悟と、少しの知識がいる。

・・・「母さんは、万年少女だな」が、父の口癖だった。いいときも悪いときも、それですべてを呑み込む。妻を守り抜き、少女のような無邪気さを保ってやれることが、父の誇りだったのかもしれない。私に言わせれば、父も「万年青年」であった。

・・・娘は、「父が自分にしてくれること」な中にではなく、「父が妻にしていること」の中に、「男の理想」を見るのだ。

・・・娘を持った以上、男は、妻をけっしてないがしろにしてはいけない。「未来の娘」に、男性を信じ切る力と、明るい不屈の精神を授けてやるために。

・・・昭和の父たちは、平成のパパたちのように、娘と恋人同士のようにじゃれ合うことはなかった。少し遠巻きのまま、成長していく娘を案じる気持ちをうまくことばにできずに、ときに悲しそうな顔をする。その不器用さが、娘の心を打つことも多かった。

・・・父親の悲しみが娘の自尊心をつくる。その一方で、男の子の社会性は、母親の悲しみがつくる。男子は、母を悲しませないために、きっと歯を食いしばれる。男なら、きっと誰でも、その気持ちがわかるのに違いない。

・・・世界史の誕生の現場を、父は見つめていたのだ。「戦後すぐに、世界史という学問が作られた。しかし、現場の教育学者たちは頭を抱えたのさ。西洋史と東洋史は相容れない。十字軍遠征だって、西から見たら遠征だが、東から見たら侵略だ。1つのことばにもできやしない。そこで、困った学者たちは、西洋史と東洋史をバラバラにしてつなげて、しのいだんだ。いつか何とかしようと言いながら。しかし、戦後60年を超えても、”世界史”は未完成のままだ。そんな学問を習わせてしまって、本当に申し訳ない」

・・・人間の脳とは見事なもので、水分とブドウ糖が供給されなくなると、ほどなく、”脳内麻薬”と呼ばれるホルモンが出てくる。これらは、恐怖心などの極度の緊張や痛みから、私たちを解放してくれる脳内物質だ。その最期のとき、脳は、とても気持ちよく逝くのだと思う。

・・・男たちはことばが足りずにときに真実をあの世にまで持って行ってしまう。

・・・対話には、2種類ある。「心の対話」と「問題解決の対話」である。・・この世には、もう一つの対話方式=「心の対話」があるのである。そして、それこそが、娘や妻と、うまく交信するためのプロトコルなのだ。・・心の対話は、「相手のことを尋ねる」のではなく、「こちらの話」から始める。わたしは「話の呼び水」と呼んでいる。・・「話の呼び水」には、3種類ある。「相手の変化に気づいて、ことばにする」「自分に起こった出来事を話す」「相談する」である。・・オチなんか要らない。オチてしまったら、自己完結して、「へぇ」と言われておしまいである。宙に浮いてしまう話だからこそ、相手の言葉を誘発するのだ。

・・・脳の機能性から言えば、親切にされた側の脳より、親切にした側の脳の方に充実感がより多く残る。親切にされた者より、した者のほうが幸せだし、得である。

・・・そこで、父親の出番である。母親が赤ちゃんにかかりきりなら、父親は、上の子に目を向けよう。

・・・心をつなぐテクニックの奥義は、「弱音を吐いて、なぐさめてもらう」である。

・・・男性に多く分泌するテストステロンは、やる気、好奇心、縄張り意識や独占欲、攻撃性に寄与するホルモンで、「男らしさ」の源なのだが、女性にも分泌されている。女性ホルモン・エストロゲンの起爆剤にもなっているため、思春期の女子もまた、縄張り意識や攻撃性が強く出がち。・・育て方に失敗したわけじゃない。それが、「生殖能力が成熟するとき」の、一般的な症状なのである。

・・・娘に、弱音の一つも吐かず、正しく強く生きてきたお父さんは、本当に立派だと思うけど、残念ながら、絆を一つ、結び損ねている。

・・・思春期の娘との対話について、お父さんに注意点をお教えしよう。13歳になる少し前に、脳の演算装置が、子ども脳型から大人脳型に変わる。しかし、記憶データがこれに1~2年遅れて大人脳型に変わるので、14歳くらいの脳は演算装置をデータに齟齬があって、混乱している。自分の気持ちがよくわからないのである。

・・・中学2年生のある時期、理系の科目が一気に難しくなるときがある。このとき、足りないのは、意外にも計算力ではなく、国語力だと言われている。「文脈」を理解する能力が低いと、微分・積分や、運動方程式が持つ「ものがたり」を理解できないからだ。

・・・低血糖は、「空腹時に甘いものを食べる癖」から起こることがほとんどなのである。

・・・女性脳は、自分の周囲をつぶさに観察するのが得意。男性脳は、遠くにあるものや、動くものに興味がある。これは、赤ちゃんのときから、鮮明に現れる。・・男の子は、生後8か月でおよそ3メートルの鳥瞰(上から見下ろす仮想目線)があると言われている。

・・・私はよく、新人教育で、「こうなりたい」を目標にしてはいけない、「こうしたい」を目標にしなさいとアドバイスしている。・・目指すべきはプロフェッショナリティだ。・・失敗しても、「自分の目標は高いんだなぁ。まだまだだ」と思える。誰かに叱られたら、「どうすれば正解だったのか」が気になって、落ち込んでいる暇なんてない。

・・・娘への愛は、無条件でなくては意味がない。そこに娘がいるだけで愛おしい。その気持ちを、ただ、ことばや態度にすればいい。

・・・この世に、自分よりも尊重されている人間がいると知らせること、そして、そのことを素直に喜べることが大切だ。父親が母親を大切にすることは、だから、娘の自我のリストラに大いに効果があるのである。

・・・妻が娘の愚痴を訴えたからといって、別に妻は夫に娘を叱って欲しいわけではない。ましてや、なだめるつもりで「○○(娘)も別に悪気じゃないんだから」などとも言って欲しくなんかない。あくまでも、妻の味方をしながら、優しく話を聞いてくれればいいだけなのだ。

・・・正義で裁かず、「父さんの大事な人に、そんな口を利かないで欲しい」という気持ちを告げる。どちらが正しいかは、あえて口にしない。これがコツだと思う。』

2020年10月 8日 (木)

老いて、自由になる。 智慧と安らぎを生む「禅」のある生活 (平井正修著 幻冬舎)

しばらく更新を怠っておりました。失礼しました。

心を改める意味で、禅の本を読んで、新しく知ったこと、気付きがあった個所を記録させてもらいます。

『・・・仏教では、「物事の理(ことわり)をはっきりした上で、その理に合わないことを捨てる」という意味があります。

・・・全生庵のある谷中の近くの根津も、今は海からかなり遠いですが、昔は海のすぐ前でした。

・・・肉体の衰えこそが「老い」だと思うわけです。しかしそれは、精神の比重が大きくなること。であるならば、心はおいていないのかもしれません。むしろ、豊かになっていく可能性を秘めているのではないでしょうか。

・・・野鳥の雀は二年くらいしか生きられないそうですが、自由に空を飛んでいます。一方で、大切に室内飼いされている小鳥たちは、限られた空間の中だけで、十年近く生きるものも多いようです。しかし、どちらがいいのでも、悪いのでもありません。

・・・帰復自然に求められるのは、日常的なことに、丁寧に心を尽くすこと。・・帰復自然ができれば、生きるということはとてもシンプルになります。花や動物たちのように、そのときを精一杯、生きられるようになります。それを、自分の心身が欲しているとわかるからです。

・・・お釈迦様は、人間が「昨日にこだわり、明日を夢見て、今日を忘れる」愚かさを指摘しています。私たちは、もう絶対に元に戻ることも、変えることもできない過去を悔やみ、それに縛られて、来てもいない明日のことばかりを考え、一番大切な今日をおろそかにしてしまっているのです。

・・・あらゆることは必ず終わる。すべてのものは変化する―――。ところが、ほとんどの人がその事実を「わかっているようで、わからないまま」過ごしてしまっていました。

・・・「ダニング=クルーガー効果」といって、優秀な人よりも、能力の低い人の方がはるかに自己評価が高いのだそうです。・・能力の低い人は、自分のレベルも他人のことも正しく評価できない・・よくわからないから、理想像に自分を当てはめてしまうのかもしれません。

・・・仏教の教えに「三学」があります。戒学・定学・慧学の三つで、仏道を修行する人間が必ず修めるべき徳目とでも言うべきものです。「戒定慧」とも表現します。戒学は、戒律を守り続けること。定学は、心を定め乱さないこと。慧学は、煩悩を離れ真実を知る智慧を持つこと。戒律を守って規則正しく暮らしていくことで、心の平安が生まれ、心の平安が生まれることで、自ずと人間本来の智慧も出てくるということです。

・・・・・・阿難という弟子が、いよいよお釈迦様の命が終わろうとしているときに、嘆き悲しむのを見て説かれたとされています。「阿難よ、泣くことはない。もうすべて教えたではないか。それを拠り所にして生きていきなさい。そして、最終的には自分の心に火をともし、それを拠り所に生きていけるようになりなさい」と弟子に諭したわけです。

・・・本来の「戒」とは、もっと自律的で自らの心に戒めていくものでなければならないのです。

・・・とにかく教えられたままを毎日やる。毎日やっているうちに、あるとき気づく。そうした境地に達すると、心はどっしりと落ち着きます。それが「〇道」の「道」たるゆえんです。

・・・「少欲・知足・遠離・精進・不忘念・禅定・智慧・不戯論」からなっています。この八つによって、悟りの境地にたどりつけるというものです。

・・・仏教の「精進」とは、「雑念を去り、一心に修行すること」です。大事なのは、「雑念を去り、一心に」であって、なにかすごくつらいことをしろというわけではありません。むしろ、とても地味な行いです。・・大袈裟に頑張ることではありません。日々の生活のひとつひとつを丁寧に、地道に行っていくことです。

・・・「初発心時便成正覚(しょほっしんべんじょうしょうがく)」という言葉があります。最初になにかをやろうと思ったとき、人は最も純真な気持ちになり、そのときに、すでに悟りは開けているという意味です。逆に言うと、その純真さはだんだんなくなっていきます。だからこそ、必要とされる「不忘念」であり、「正念相続」なのです。・・最初の感激を忘れないことが大事。「不忘念」を続けていられたら、邪念が入り込む隙は生まれません。

・・・いくら心を乱したからといって局面が改善されるわけではありません。それどころか、乱れた心が余計な行動をとらせてしまえば、かえって問題は複雑になっていきます。

・・・「門より入るもの、是れ家珍にあらず」という一節があります。外から入ってきたものは、自分の本当の宝にはならない。見たり聞いたりという外から得た学問は、ただ学ぶだけでは自分の宝にはならないという意味です。・・言葉を知っているだけでは不十分で、自分でそれを咀嚼し、使いこなすことではじめて真の学びと言えるのです。

・・・「新到三年皓歯を見せず」としつけられました。皓歯というのは白い歯のこと。入門して三年間はしゃべるなということです。これは、しゃべるとうるさいからというのではなく、若い修行僧に「口は禍の元」を徹底的に教え込むためです。

・・・大事なのは、我慢はするのであって、させられるものではないということ。「我慢させられている」というスタンスでいる限り、まったく修行にはなりません。

・・・いくら坐禅だけをしていても、日常の生活に丁寧な心を向けられなければダメなのです。・・心を整えるには、まず体を整えること。そのために、日常の些細な事柄を丁寧に扱い、生活の在り方を整えることから始めるといいでしょう。

・・・歳をとると、体の状態はもちろん、心の状態も顔に出やすくなるのです。だから、毎日の「顔チェック」は必須。

・・・龍澤寺の師匠は、「健康の秘訣は、粗食、少食、日湯、陀羅尼」とよく言っていました。日湯(にっとう)というのはお風呂に入ること。つまり清潔を保つことです。陀羅尼は呪文みたいな短いお経で、声を出すことがその目的です。

・・・「噛む」という行為は、心にも通じます。・・噛んで噛んで噛んでいると、「ああ、そういうことか」と、その正体が見えてきます。

・・・美味しいお茶のための一連の動作が、あなたの心を落ち着かせてくれるでしょう。

・・・原始仏教において生産活動は禁じられていたのです。なぜ、それをしてはいけないのか。なにかを生産すれば、「それは私のものだ」という所有欲が生まれるからです。

・・・美しいものに触れながら、その美しさが損なわれることがないように調える。それによって自分の心も調います。

・・・一日の終わりの静かな時間に客観的に心の整理をしましょう。・・その一日がそう悪いものではなかったと気づくでしょう。そういう気持ちで一日を終えることはとても大切です。

・・・少しでも受け取った人たちに喜んでもらえるよう、記念切手などを探しては使うようにしています。そうした人手間が、つい忙しなくなりがちな心を調えてくれます。

・・・ある程度の年齢になったら、安くて軽い言葉は手放しましょう。心を落ち着かせ、一語一語を大切に口にしましょう。

・・・法界定印の意味は「静かに慮る」。まさに禅の心です。』

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