植物はなぜ薬を作るのか (斉藤和季著 文芸春秋社)
薬草や漢方に興味がわいてきて、この書を読んでみました。我々が自然の恩恵にあずかっていることを、あらためて痛感しました。
『・・・植物成分は、すべての植物あるいは動物にも共通して存在する「一次代謝産物」と、ある植物種にしか存在しない「二次代謝産物」に分けることができます。二次代謝産物は植物種特異的に存在するので、「特異的代謝産物」あるいは「特異的正文」「特科代謝産物」などとも呼ばれています。薬などに用いられている植物成分は、多くの場合この二次(特異的)代謝産物です。
・・・植物は、進化という厳粛な自然の審判に耐えながら、極めて巧みに設計され、洗練された方法で、多様な化学成分を作るという機能を発達させてきたのです。私たち人間はそれを薬として少しだけお借りして使わせてもらっているに過ぎません。
・・・チンパンジーなどの霊長類ですら、植物を薬として使っているという証拠があります。・・明らかに病気と判定されたチンパンジーが、普段は口にしない苦味の強いキク科の植物の髄液(茎から染み出た液)を飲み、約1日後に体調が回復するということが観察されたというのです。
・・・薬となる植物の発見は、いわゆるセレンディピティ―(偶然の所産)と言われるものです。
・・・たくさんの物質が混ざり合った混合成分から、単一の成分だけを取り出す作業を精製というのですが、生薬はこの精製作業をせずに、たくさんの成分が混じり合ったままで薬として使います。
・・・このようにいわゆる「草根木皮」を素材とすることが多いため、生薬を“木薬”とみなして「キグスリ」と呼ぶこともあります。
・・・「生薬学」と訳したのは明治時代に入ってからです。それまでわが国では、薬学はすなわち「本草学」でした。
・・・「神農本草経」では「三品分類」といって、365種類の生薬を「上品」「中品」「下品」の三つに分類しています。・・一番上等なのは不老長寿を支える薬で、根底には医食同源の考え方があります。現代において病気を治そうとして使っている薬はすべて下品の薬であり「新農本草経」から見ると、最も望ましくない使い方ということになるわけです。
・・・西洋における要素還元主義と、東洋における全体システム主義の違いとして端的に捉えることができます。西洋の要素還元主義とは、古代ギリシアの自然哲学に始まる分析的な科学体系が規範になっています。・・東洋医学では要素還元主義的な考え方は追求されず、全体システム主義的な考え方が貫かれました。・・個別に分割された人体要素よりも、むしろ患者個人を全体的なシステムとして、その振る舞いを重視する考え方です。
・・・モルヒネとその誘導体・・の使用量は過去20年で20倍以上に増えてきています。それでも欧米に比べるとその使用量はまだ10分の1以下です。他方、欧米では使用への抵抗が少ないことで問題も起きています。・・モルヒネは血圧低下や呼吸抑制のような強い毒性作用もあり動物がケシを大量に摂取した場合は死に至ります。植物であるケシにとっては、捕食者となる動物から自分を守るために防御物質がモルヒネであり、そのために作っているのです。
・・・日本でも爪楊枝にはヤナギの枝を使いますが、これはヤナギの枝に歯痛を予防する効果のあることを、昔の人が知っていたためと考えられています。
・・・実はサリチル酸は、植物が病原菌などの攻撃を受けたときに、その攻撃を植物の全身に伝えるという重要な役割を担っています。
・・・ニコチンは猛毒で「毒物及び劇物取締法」によって規制されており、毒薬として有名な青酸カリよりも強いと言われる毒性をもっています。・・人が喫煙しても死なないのは、タバコに含まれているニコチンのすべてが一度に体内に吸収されるわけではないからです。・・ニコチンは・・神経に作用します。この神経を刺激する作用により一時的にスッキリして気持ちが良くなるので、多くの人々に喫煙の習慣が広まりました。・・ニコチンも植物体内では昆虫、小動物などの捕食者に対する防御物質として働いていると考えられています。
・・・カフェインの類縁体もカフェインと同じようにアデノシン受容体にくっついてしまい、痛みを和らげたり炎症を鎮めたりするのです。カフェインにも毒性があり、成人では一度に10グラム以上摂取すると危険と言われています。・・いわゆるエナジードリンクと言われるドリンク剤には同じ量のコーヒーを上回るカフェイン(数十~150ミリグラム)が含まれている場合があります。・・コーヒー豆は、親の木から地面に落ちて芽生えをするときに大量のカフェインを周りの土中に放出します。すると、この放出されたカフェインによって、他の競合植物の芽生えが阻害されてしまうのです。その結果、コーヒーの木は他の植物より有利に生存することができます。・・他の植物の生長を抑えたり、微生物や昆虫、動物から身を守ったり、あるいは引き寄せたりすることを「アレロパシー」あるいは「他感作用」と言います。
・・・甘草、桔梗、遠志などサポニンを含む植物は、鎮咳虚誕作用を持った生薬としてよく用いられます。サポニンは、ポルトガル語で石けんを意味する「シャボン」と語源が同じです。
・・・ポリフェノールにはいくつかの作用がありますが、最も重要な作用がいわゆる抗酸化作用です。・・ポリフェノールはベンゼン環などに複数の水酸基を持っていると言いました。このポリフェノールの水酸基が生体にとって不都合な活性酸素分子種を捕捉して解毒することを、抗酸化作用と呼びます。野菜や果物に含まれるポリフェノールをたくさん摂るのが体に良いというのは、このポリフェノールの抗酸化作用によります。
・・・タンニンを含んだ植物の葉や果物の渋みは、動物や昆虫にとって(人間にも)好ましいものではありません。結果的にこれらの植物は、タンニンによって捕食者による食害から身を守ることが出来るのです。
・・・がんは昭和50年代の後半から日本人の死因の1位となっており、現代人の三人に一人はがんで亡くなっています。このがんの治療に有効な薬も、植物成分に由来するものが多数あります。
・・・動かないという生存戦略を選択した植物は、生存を脅かす様々なストレスに襲われても動物のように逃げ出すわけにはいかないので、独自の科学的な防御戦略を発展させました。・・植物は化学成分による防御戦略を発達させました。
・・・植物の器官や細胞、細胞内小器官の形や動きを機械的に変えて、ストレスに抵抗する植物も少なくありません。・・このように、動かないという生存戦略を選択した植物は、様々な環境ストレスに対抗するために植物成分を作り出しました。そして、これらの植物成分は、同時に人間の健康にも役立つのです。さらに、植物にとっては大切な栄養素である窒素や硫黄、リンなどが不足する栄養飢餓ストレスに備えて、窒素や硫黄、リンを多く含む成分を作り蓄えておくという戦略も見られます。
・・・種子植物の種は最大で35万~42万種あると大きく見積もる人もいますが、少なく見積もっても22万~26万種程度というのが専門研究課のコンセンサスのようです。
・・・一種の植物種だけに含まれる特異な成分は、平均して4.7個であることと、先ほどの植物種の総数が22万~26万種であることを合わせて考えると、地球上の植物種全体に含まれる成分の総数は、・・約100万個ということになります。
・・・植物は実に巧みな方法によって多様な化学物質をたくさん作っています。植物は、自然を汚さず自然と共存した、あたかも精密化学工場と言える存在なのです。・・この植物が有している精密化学工場の仕組みと設計図は、植物を含む生物が、その30億年の進化の歴史の中で獲得してきたゲノム(DNAに刻まれたすべての遺伝情報)の中に潜んでいるのです。
・・・代謝経路は、どの生物種にもほぼ共通して存在する「一次代謝経路」と、ある生物種やその仲間にだけ存在する特異な「二次代謝経路」に分類することが出来ます。一次代謝経路で作られる一次代謝成分は生物が最低限“生きるための成分”であるのに対して、二次代謝経路で作られる二次代謝成分は”より良く生きるための成分”です。
・・・地球上で最も大量に存在するタンパク質は何でしょうか?答えは、植物の光合成に関わる重要な酵素タンパク質「ルビスコ」です。・・しかし、この触媒としてのルビスコの働きはあまり効率がよくないため、植物は大量に作ることで効率の悪さを補わなければなりません。そのため、植物は大量のルビスコを蓄えています。
・・・植物の二次代謝産物は、「動かない」という生存戦略をとった植物が、外敵に対する化学防御や繁殖戦略のために進化の中で発達させた、極めて重要な役割を担っています。
・・・トウガラシのカプサイシンには、哺乳動物などの捕食者には食べられないよう身を守りながら、鳥にだけを果実を食べてもらい、なおかつ種子散布してもらうという、二つの優れた役割があります。
・・・蓄えておいたジャガイモから出てきた芽や緑になったイモの皮の部分、地上部の葉、茎、花に、この毒性ステロイドアルカロイドは多く含まれています。これを摂取すると、下痢、吐き気や嘔吐、腹痛、頭痛、悪寒などの神経毒の症状が現れます。今でも毎年何件か、こうしたジャガイモ中毒が報告されています。
・・・メタポロミクスは、ある細胞に含まれている全ての代謝産物(メタポローム)を、質量分析計や核磁気共鳴分析計などの精密な化学分析装置によって明らかにする研究のことです。
・・・外来遺伝子を導入した植物を「遺伝子組み換え植物」「トランスジェニック植物」あるいは「GM(遺伝子改変)植物」とも言います。
・・・日本の畜産は遺伝子組み換え作物なくしては成立しないと言っても過言ではありません。また、世界の綿花の75%は遺伝子組み換えです・・初期の遺伝子組み換え作物は、除草剤耐性などの農業的な生産性を上げることを目的としたものでしたので、消費者にとっては直接的にそのありがたみがわかるというのではありませんでした。
・・・最近は、この突然変異をゲノム上の狙った場所にだけ正確に引き起こす「ゲノム編集」という技術が新しい育種法として開発されてきました。
・・・実は、石油や石炭は、太古の時代に植物を中心とする光合成生物が残した遺産なのです。約2億年前、地球が温暖で二酸化炭素濃度も高かった時代に植物や光合成をする微生物が繁殖し、その大量の遺骸が蓄積したものが高温、高圧の条件下で液化し、石油が出来たと考えられています。
・・・リン肥料はほとんどがリン鉱石から作られていますが、これも実は太古の生物の遺産なのです。動植物、微生物や海洋プランクトンの死骸が堆積し、これらの生物がもつ大量のリン化合物が鉱物化したものがリン鉱石と考えられています。
・・・植物は太古の昔から現代にいたるまで、地球を決して汚さず、環境浄化をしながら有用な化学物質を作り出す、最も高度に設計され、注意深く運転されている浄化機能と物質生産機能を兼ね備えた理想的な精密工場であるということができるでしょう。
・・・私たち人類はまず、出来る限り植物の種とゲノムの多様性を保全しなければなりません。同時に、ゲノムに隠されている植物の機能や、そこから産み出される多様な植物成分とその生産の仕組みを解き明かすことが必要です。そして、明らかになった成分や原理を、植物に敬意を払いながら有効利用する、という道筋を考えなければならないと思います。
・・・21世紀中に100億人に達するだろうと予想されています。この地球が今まで経験したことのない人口を支えるためには、今まで以上に食料や水の安定的な供給が不可欠です。そのためには、まず二酸化炭素を固定して食料や家畜飼料の一次生産を担う商物の生産性を向上させないといけません。
・・・植物は、厳しい進化の歴史の中で、極めて巧みに設計された精密化学工場によって、多様な化学成分を作るという機能を発達させて、進化の歴史の厳粛な審判に耐えてきたのです。それを、私たち人間は少しだけお借りして使わせてもらっているに過ぎません。』
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