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2020年6月

2020年6月21日 (日)

人は、なぜ 他人を許せないのか? (中野信子著 アスコム)

この著者の前著でも感じましたが、表題に関係することが直接的には書かれていない感じが強く、特に本著の第2章などは不要であると考えます。そういう感じでかなり「水で薄められている」内容のような気がして、価格ほどの価値があるとは思いませんでしたが、それでも脳科学的に関して役に立つことも多くありました。

『人の脳は、裏切り者や、社会のルールから外れた人といった、分かりやすい攻撃対象を見つけ、罰することに快感を覚えるようにできています。他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出されます。この快楽にはまってしまうと簡単には抜け出せなくなってしまい、罰する対象を常に探し求め、決して人を許さないようになるのです。・・正義中毒が脳に備わっている仕組みである以上、誰しもが陥ってしまう可能性があるのです。・・正義中毒の状態になると、自分と異なるものをすべて悪と考えてしまうのです。・・許せない自分を理解し、人をより許せるようになるためには、脳の仕組みを知っておくことが有用なのは確かです。

・・・SNSは、正義中毒の人にとって、なかなか手軽で、魅力的なツールなのでしょう。

・・・1984年、ニュージーランド・オタゴ大学のジェームズ・フリンが提唱したところでは、人類は20世紀以降、知能指数(IQ)を年々向上させていると云われています。・・1年に0.3ポイントずつ上昇していくというのです。これは「フリン効果」と呼ばれています。

・・・多様性を狭めた集団は、短期的には生産性を向上させ、出生率も上昇して成功を収めるのですが、進化の歴史の上では滅亡に向かいます。言い換えれば、種としての健全な繁栄のためには、多少コストと感じたとしても、ある程度の多様性を担保しておかねばならないということです。

・・・人間は大脳を発達させてしまったばかりに、・・大脳新皮質と呼ばれる、思考を司る部分が増設されていきました。・・人間は、生き延びて種として繁栄していくことと引き換えに、生きている意味をわざわざ考えなければいけない、というやっかいな宿命も背負ってしまったわけです。知性があるからこそ愚かさがあり、愚かさのない知性は存在し得ないという裏表の関係があると言っても良いでしょう。

・・・日本人は摩擦を恐れるあまり自分の主張を控え、集団の輪を乱すことを極力回避する傾向の強い人たちだと感じます。これをあえて自省的に弱点として考える視点で見れば、日本は「優秀な愚か者」の国ということになるでしょう。・・集団のルールを守り、前例を踏襲し、集団の上位にいる人の教えや命令に忠実に従う、従順な人が重用される傾向は否めません。

・・・社会学には「一般的信頼」という尺度があります。簡単に言えば、「見ず知らずの人に対してどれだけ親切にできるか」という尺度なのですが、社会心理学者の山岸俊男氏の研究によれば、実はこの値、日本では低いのです。つまり、よそ者は信用しない、ということです。そして、意外にも北欧の値が高くなっています。

・・・アイヒマン実験の結果は、一定の状況におかれた場合、結局のところ多くの人が集団の意思を優先させるし、それが集団内では「賢明だ」と考えられてしまうということを示しているのです。

・・・いったん立ち止まって自らの行動を見直し、自らのことを制御するという一連の流れはすべて、前頭前野が担っているわけです。・・前頭前野がよく発達している(つまり脳科学的にいう、知能の高い)人は、指示や命令を与えられても、「すぐにとりかかれない」「学歴の割に動きが鈍い」「理屈ばかりこねる」などと評価されてしまうことがありそうです。

・・・結論を述べてしまえば、そもそも人間の脳は誰かと対立することが自然であり、対立するようにできています。

・・・人は、本来は自分の所属している集団以外を受け入れられず、攻撃するようにできています。そのために重要な役割を果たしている神経伝達物質の一つが、ドーパミンです。・・自分たちの正義の基準にそぐわない人を、正義を壊す「悪人」として叩く行為に、快楽が生まれるようになっているのです。

・・・自分が見慣れていないグループの人間は、みんな同じに見えてしまうのが、外集団同質性バイアスです。見慣れていない人たちに対しては、その人の外見的な特徴にまず注目してしまうため、人格や感情の動きに注意が向かなくなる、という現象が起きます。

・・・人間は誰でも、どんなに気を付けていても、集団を形成している仲間をその他の人より良いと感じる内集団バイアスを持つものです。

・・・脳科学的に見て、こうした「正義のためにある種、身を挺して戦う」ということの効用は大きく、脳内の報酬系を活性化させる行為だと言えます。・・宗教が内部で分裂、分派していくときも、同じような流れとなることが多いようです。

・・・私たちがネットで新しい知識を得た、新しいニュースを知った、と思っていても、実はそれはフィルターにかけられた情報ばかりで、自分の世界は非常に限定的であるかもしれないということを、意識する必要があるでしょう。

・・・どのような相手に対しても共感的に振舞い、人間として尊重し、認めていくという機能はとても高度なもので、前頭葉の眼窩前頭皮質という領域で行われています。ここは25~30歳くらいにならないと成熟せず、さらに、しっかり発達させるためには、相応の刺激(教育)も必要になります。また、重要な部分なのに、アルコール摂取や寝不足といった理由で簡単に機能が低下してしまいます。しかも、その機能が得られるまでには人生の3分の1近い長い時間がかかるのに、衰えてしまうのは早いのです。・・老人が相手に有無を言わせず、自分の論理だけを信じて、直情径行的に行動してしまうのは、前頭葉の背外側前頭前野が衰えているからかもしれません。

・・・脳科学的に見ると、理性と直感が対立すると、ほとんどの場合、理性が負けるようになっています。

・・・脳科学では、前頭前野が決定したことに認知的に従うことをトップダウンと呼びます。・・しかし、トップダウン的思考を行ったとき、実は後から振り返ると、意外に賢い選択がなされていなかった、ということも多いのです。・・前頭前野で・・自分のあるべき姿を設定して・・本能、つまりボトムアップからの欲求をそれこそ365日、起きている間中、抑制していなければならなくなります。・・他にやらなければならないことはたくさんあるのに気が回らなくなります。すると次第に面倒になり、あるいはあまり面白みのなさ、つらさに嫌気がさし

・・・実際は、人間が人間であり続けるため、脳は前頭前野に従い過ぎないように、つまり「賢くなり過ぎない」ように設計されていると考えざるを得ないような作りなのです。

・・・人間の能力の一部に過ぎない記憶力をことさら重要視する現代の教育や受験制度は、せっかく最適化されてきたはずの人類の生存戦略をかえってゆがめてしまっている可能性があるのではないかと思います。

・・・脳の機能の一部です。他者を攻撃することによって、脳も何らかのネガティブフィードバック(ここでは、怒りや攻撃性を誘発するホルモンの分泌を抑制すること)を受けることがあるのです。

・・・正義中毒を抑制してくれる機能を持つ脳の前頭葉は加齢とともに委縮していく傾向にある

・・・昔を懐かしむ行為は脳の前頭前野が老化しているサインかも知れず、正義中毒と根が同じかもしれないからです。脳は、過去の記憶を都合よく書き換えるようにできています。辛かった経験や日常的な要素は削ぎ落され、良いことだけを都合よく組み合わせます。・・老化によって前頭前野の働きが衰えると、どうしても新しいものを受け入れにくくなっていく

・・・実は、自分の前頭前野がどのくらい発達あるいは衰退しているのかは、MRI(核磁気共鳴画像法)検査で前頭前野の皮質の厚みを測ることである程度推測することができます。前頭前野の厚みには個人差があり、さらに成熟に至るまでには長い時間が必要です。その間に個人差がついていき、ピークから衰退するときも同じように差がついていきます。その背景には当然、生得的な要素もあるのですが、現在わかっているエビデンスに基づくと、実はかなり環境要因が大きいのです。

・・・俗に「若気の至り」と呼ばれる事象の背景を脳科学的に考察すれば、まだ前頭前野が完成しきっていないために、抑制が聴かなかったり、危険をうまく予測できずに蛮勇を振るったりするのではないかということが言えるでしょう。・・脳科学的な言い方で言うと前頭前野が成熟していないことで相手への共感や抑制が不足し、適切な判断ができないためだ、と言えるのです。・・ピークを迎える30歳前後からは、この厚さをどうキープしていくかが大切であると言えるでしょう。

・・・人間の脳は、自らの構造を観察し、フィードバックを得て自らを変えていく機能を持っています。つまり、脳自体が自分の働きを一つ上の層から俯瞰することができ、「自分にはこういう傾向があるから、今後はこうしよう」という具合に修正できるのです。これは生存戦略上、大きなアドバンテージで、私たちはこの働きの高い人を「頭が良い」と形容するようです。

・・・日常的に合理的思考、客観的思考ができるようなクセをつけておく、あるいはそうせざるを得ない状況に身を置いておくと、前頭前野は鍛えられ、衰えを抑制することが期待できる可能性があります。前頭前野の働きが保たれていると、前頭前野の重要な機能である「メタ認知」を使うことができます。メタ認知とは、自分自身を客観的に認知する能力のことです。

・・・慣れている物事とは少し違う物事を撰ぶようにしてみましょう。・・「日常とは異なる行動」が前頭前野の活動を促します。そうすることで、今まで気づかなかったような、新しい視点からの発見の喜びも得られるでしょう。

・・・特にお勧めしたい方法は、あえて不安定な、あるいは過酷な環境に身を置いてみることです。・・新しい環境に身を置けば、メタ認知の力は上がります。・・また、近年注目されているマインドフルネスにも同様の効果があります。マインドフルネスを実践することで、自分の思考や行動を認識し直すことができ、それをしっかり意識し、観察することが、メタ認知につながるからです。

・・・本を読むことで私たちは、異なる環境に身を置くのと同じような体験を手軽に、疑似的に味わうことができます。最も効果的なのは、普段の自分なら「絶対に読まない本」「関心のない本」を手にとってみることです。

・・・安易にカテゴライズしたり、別の事象に結び付けて納得したりすれば、面倒なことを考えずにすんで楽かもしれませんが、その分だけ前頭前野を働かせるせっかくのチャンスを失っていることにもなります。

自分の頭で考えるということは、前頭前野を働かせる、ということとほとんど同じと考えてよいのですが、そのためには、他の領域にそれほどリソースを割かなくて済んでいる状態、つまり、脳に余裕がある状態を保つ必要があります。・・自分の頭で考えることにリソースを振る向ける余裕がない自分の状況を少し見直してみた方がよさそうです。

・・・食事や生活習慣の改善は、前頭前野の働きを良くするのに非常に大切です。・・前頭前野の働きをできるだけキープするためには、オメガ3脂肪酸(不飽和脂肪酸)の積極的な摂取が欠かせません。なぜなら、オメガ3脂肪酸は、前に述べた髄鞘化(ミエリン化)の際、神経細胞に巻き付く髄鞘(ミエリン)の材料になるからです。・・オメガから数えて3番目に不飽和が存在する脂肪酸なので、「オメガ3脂肪酸」と総称しているわけです。

・・・睡眠不足は、一時的なものにせよ習慣的なものにせよ、脳にとって良いものではありません。・・睡眠が不足するとスパイン(神経細胞においてシナプス結合をつくる基点となる棘突起)が肥大してしまってシナプスができにくくなったりするからです。また、長期増強(シナプスにおける信号の伝達効率が持続的に向上すること)も起きにくくなります。つまり、新しい学習をしにくくなると考えられるのです。・・睡眠不足を補うためには、わずかな時間でも休息を取ったり、昼寝をしたりすることが重要だということがわかっています。

・・・眠気は、睡眠ホルモンであるメラトニンによって起こります。・・歳を取ると速やかにメラトニンを分解できるようになるため、若い頃よりも眠りにくくなったと感じるのです。加齢によって眠りにくくなってきたと感じたなら、メラトニンの元であるセロトニンの量を増やす方法を考えるのも一つの手です。・・セロトニンの量を増やすには、出来るだけ日光を浴びることが大切です。

・・・メタ認知の能力は、一度身についてしまえば、その後はよほど衝撃的に、人生を左右するような事件にでも遭遇しない限り、突然大きく変化することはありません。』

2020年6月14日 (日)

~身体理論から解き明かす~ バレエ力 (田中紀行著 ギャラクシーブックス)

バレエというと主に女性が行う芸術で、少し軟弱なイメージを持っていました。一方、かつて著名な空手家が、バレエダンサーは最強の格闘家になり得る旨の発言をしていましたが、この著作で、後者の方が正しいと認識しました。バレエのトレーニングには、高齢になっても、健康体を維持できるノウハウもたくさん含まれていることがわかりました。

『・・・エイジレスライフを達成するためには、健康面や体力面において30代後半や40歳ぐらいから少しずつ準備を始め、エイジレスライフに向けての助走を始める必要があります。

・・・バレエでは、姿勢をきれいにする、人間の動きに正しい筋肉を使うなどの基礎トレーニングをするために、バーを持ったレッスンを行います。また、バレエでは手の置く位置、足の置く位置も決まっており、バーにつかまり、正しい姿勢で基本の動作を身体に染み込ませます。・・バレエダンサーは、外面的に素晴らしいパフォーマンスを見せるだけでなく、内面的には人間の身体の動きの基本である、前後左右の動き、上下の動き、回転の動きが、しっかりととり入れられたトレーニングを毎日繰り返し行っているといえます。

・・・ルーティーンを用いた一連のレッスンは、身体能力を向上させるだけでなく、集中してレッスンを取り組むことを求められるため、集中力を必要とし、精神面も養われるという側面があります。

・・・自分自身がルーティーン化されていることさえ気づいていない可能性が高いです。この時の脳の神経活動は、限りなく低いといえます。・・同じパターンの繰り返しは脳の成長という点から考えると、あまりよいことであるとはいえません。・・ルーティーンにしていいことというのは、やりたくないけどやることに意味があります。・・基礎の重要性を理解している教師は、身体の正しい動きを徹底的に指導し、毎日の基礎レッスンの中で手取り足取り教えてくれます。常に正しい動きを意識して行うことで、身体に起こる小さな変化が、大きな成果となるといっても過言ではありません。

・・・生活がルーティーン化されてしまうと、身体や精神への刺激も少なくなり、あっという間に時間が過ぎて行ってしまいます。そうなってしまうと、身体は衰え、考えることを忘れてしまい、気がつけば歳を重ねてしまうということになりかねません。・・それぞれの世界で活躍する人は、多くの視点を持っており、ライフスタイルにさまざまな工夫やこだわりを持っていたりします。・・人間の脳の特性として、具体的になされた目的や目標には、力を発揮しやすいといわれています。

・・・身体は一朝一夕で作られるわけではないということです。日々の生活の積み重ねが、あなたの身体を変えていきます。

・・・自分自身をかえていくにあたり最も重要なことは、目標を定める、その目標に対する本質を理解する、本質をクリアするための具体的な戦略を立て、達成に向けてストレスなく継続できる環境と期間を設定することです。

・・・行動を変えることは、やりたくないことをうまくルーティーン化していくことです。

・・・第一に考えることは、動きの「質」であり、質の高い動きを繰り返しできることで初めて「量」が確保できます。・・基本的なこととして、先ほどの「ストレスがない」や「身体が楽である」といったセンサーを働かせて運動に取り組むことは、質を向上するうえで重要です。

・・・バレエダンサーの場合は、バーを用いた基礎レッスンを必ず行い、身体の軸、中心、重心の意識などを高めることで、高いパフォーマンスを実現しています。

・・・体幹を鍛えるはずのトレーニングであるプランクですが、実は落とし穴もあります。・・キープするというのは、剛構造の考え方と同じになります。ある一定の外力までは耐えられますが、それを越えると大きくバランスを崩してしまいます。柔構造のような本質的な体幹の強さとは、身体をがっちり固定するばかりではなく、外力に対してしなやかに受け流すことができる、脊椎の可動性も必要不可欠です。

・・・股関節は、骨盤と大腿骨で形成される球(臼)状の関節です。球状の関節の特徴は、球というだけあって、どの方向にも自由に動く構造となっています。他の関節に比べて、自由度が高い作りになっています。・・よいバレエダンサーの条件のひとつである、柔軟性が高くアンディオールしているということは、この自由度の高い股関節を使いこなしているということになります。

・・・アウターマッスルは、身体の表層部にある大きな筋肉で、大腿四頭筋の場合、使い過ぎると脚が太くなり、太ももが固くなってしまいます。つまり、効率よく身体を動かすには、アウターマッスルである大腿四頭筋を常に使うことは適していないことがわかります。・・大腿四頭筋は、前に行き過ぎないようにする重要なブレーキの役割となります。行進などで足を上げて振り出すのではなく、むしろ歩いていた推進力を止める方向に働きます。・・無駄に力を使って筋肉が鍛えられて太い足になる必要はありません。

・・・理想的な身体の軸は、脛骨直下にあることでしたから、体重が母趾球にかかり続けると足部の機能が破綻してしまいます。

・・・ある研究結果ではバレエダンサーは一般の人と比較すると、腸腰筋の断面積が2倍になるほど鍛えられ、発達しているといわれています。・・腸腰筋の一部である大腰筋は背骨の前面を通って、最終的に横隔膜と連結しています。つまり、腸腰筋は、呼吸筋である横隔膜にも影響するということです。・・腹式呼吸としてお腹を膨らませて横隔膜を最大限活用できる人は、そのつながりがある腸腰筋の活動も活発であることが予測されます。呼吸のやり方ひとつでも、インナーユニットを含めた体幹の機能を向上することができるということです。胸式の浅い呼吸に対して腹式呼吸は酸素の交換が行いやすく、細胞が活性化しやすいのでアンチエイジングに役立ちます。 

・・・ちょっとやそっとでは動じない精神(こころ)を持つために大切な第一歩は、日常の生活リズムを安定させることです。・・大事なのはあなた自身が感じ、選択する力です。

・・・心身基底的な状態とは、自ら意識できている部分と予測もできず影響している部分があります。

・・・指導する立場でもっとも重要なことは、どんな場面においても、相手を尊重する気持ちを持って接することです。・・素晴らしい指導者といわれる人ほど、常にフラットでニュートラルな思考を持って、目的を遂行できるように行動されています。

・・・バレエ教室には、レッスンの際に全身を見ることが出来るほどの大きな鏡がついています。脳の予測やイメージと身体の動きのギャップを解消する一つの方法は、自分の身体の状態を目で見て、傾きを修正することです。繰り返しギャップを修正することで、脳で思った通り動きが実際にできるようになります。

・・・いつまでも動ける理由は、小さなころからの積み重ねを、いくつになっても続けていることです。

・・・バレエの先生が「お腹を使いなさい」ということは、深層にある腸腰筋、腹横筋、多裂筋などを使って姿勢を整え、お腹を引き上げるように使うことを意味します。深層筋を使うポイントは、足部からの押す力になります。特に踵の意識がとても重要になります。・・・1回に行うトレーニング時間は、両側5分くらいで大丈夫です。足の裏をほぐして、反復して踏むというシンプルなトレーニングを繰り返してみてください。これが、引き上げるための体の基本です。』

 

 

2020年6月13日 (土)

新聞記事から 「極言御免 横田家がメディアに求めた猛省」(阿比留瑠比氏 産経新聞 令和2年6月11日朝刊)

私は、安倍首相は不世出の政治家であると考えています。しかし、自分たちに都合が悪いからと、あることないことを言い立て貶めようとする、卑劣なマスコミ、政治家、評論家(もどき)たちのせいで、そのことに気付かない国民も多くいると思います。安倍晋三首相の立派さを見失わないために、数日前の新聞コラムの一部を書き留めておきます。

『・・・そもそも安倍首相は父の安倍晋太郎元外相の秘書官時代から拉致問題に取り組んできたが、当時はメディアも政治家も、ほとんど誰も拉致を信じず、相手にしないような時代だった。「当時は拉致問題は誰からも顧みられなかったし、私も随分批判を受けた」安倍首相自身、国会でこう振り返ったことがあるが、金総書記が拉致を認めるまで、拉致問題にかかわることは政治家にとって、リスクはあってもメリットなどまずなかった。筆者は小渕恵三内閣の平成10年秋ごろ、当時の野中広務官房長官と鈴木宗男官房副長官が、「(拉致問題などで)北朝鮮を批判して跳びはねている安倍みたいなやつはけしからん」と話しているのを目撃している。拉致問題に熱心だと、かえって政権幹部らににらまれたのである。実際安倍首相は当選同期の中で政府のポストに就くのは最も遅かった。』

2020年6月 6日 (土)

死ぬことと見つけたり(下) (隆慶一郎著 新潮社)

未完の著作ですが、登場人物たちの見事な生き方や、はっとさせられる描写にまた心をうたれました。

『・・・〈餓鬼なんだ〉子供の残酷さと無知を今尚保っているのだった。だが主水は二十歳である他の九人はもっと齢がいっている。この齢で餓鬼だということは、一生餓鬼であり続けるということだろう。それはまた一生無智で残忍だということになる。〈殺ろう〉杢之助は迷いを振り切るように首を振った。

・・・美作と求馬たちは深堀の本邸に泊まっていたが、杢之助と萬右衛門だけは市中の旅籠屋にいた。遠慮したわけではない。権力の中枢にいる者のそばにひっついていることが、何となくいやだったからである。

・・・懸命に自分に云いきかせ、ぽるとがる人たちの顔を、姿を思い描いた。忽ち心がしんと静まった。急に、彦右衛門の顔と仕草が道化じみてみえた。はかない権勢を頼みに、思い上がっている下らない男だった。殺す価値もない悪餓鬼の顔だった。

・・・その合戦の中で肚を据えて突っこんでゆく鍋島武士の姿は、二人にとって眩しいばかりに見えた。とてもそんな真似は出来なかった。日頃の覚悟と鍛錬が足りないのだ。それを痛感した。と云ってもそれだけのことだった。合戦が終われば又ぐうたらな日々が戻ってきた。覚悟も鍛錬もよその国のものとなった。

・・・「判りました。死にます」ごく自然に二人ともそう云った。顔付が変わっていた。なんとか鍋島武士らしい「いくさ人」の顔になっていた。高浜も喜多も多比良も、泣けそうになった。三右衛門と武右衛門は駄目な武士の典型のような男たちだった。要領ばかりよくて責任をとる立場を極力避け続けてきた。そのくせ遊びには熱心で、精力はすべてそのためにとってあるような感じだった。それがどうだ。素直に、「死にます」と云っただけで、顔つきまで変わってしまった。どんなに駄目武士でも、武士は武士だった。

・・・大兵の武士たちばかりが殿様の駕籠脇を守る光景は堂々として美しい。だからこれは勝茂ばかりではなく、大方の大名の慣習だった。禁裏の駕輿丁をつとめる八瀬童子にも、五尺七寸(約一メートル七十センチ)以上という規定があったようだ。

・・・どんなすぐれた船長でも、船酔いするものはする。要は船酔いしても仕事ができるかどうかであって、船酔い自体は恥でも何でもない。

・・・兄杢之助と同様に、幼時から死ぬ稽古はさせられてきたが、長じてからはふっつりやめている。常時死人であることの緊張に耐えられなくなったからだ。彼には妻も子も大切だった。手明槍のささやかな、庶民に近い日々の生活も大切だった。それを死人の眼で無視するには、権右衛門の心は温かすぎたのかもしれない。・・権右衛門を臆病者だとか、士道不覚悟というのは間違いである。島原の戦でも結構勇敢に働いたし、武芸の腕も決して人に劣るものではない。ただそれはすべて家のため、斎藤家の一員としての名誉のためだった。武人としての猛々しい気性が、権右衛門には欠けていたのである。

・・・勝茂が権右衛門の切腹を止めておきながら、打ち返し禁止の命令を出さなかったのは、それが鍋島士道に反するからだ。一度でも打ち返しを禁じれば、それが先例となって、以後あらゆる打ち返しは禁止されることになりかねない。それでは無念に死んでいった身内の者の怨念を晴らすすべがなくなってしまう。

・・・八朔とは八月一日の称で、このころには早稲は既に収穫を終わっている。農家ではこれを祝って「田の実」の節句と云った。「田の実」は「頼み」に通じる。だからいつの頃からか主従契約を結んだ家臣が、「頼む」お方、つまり主君に感謝の礼物を贈るならわしが起り、武士社会の式日となった。

・・・杢之助にはまだ家臣の方が主君を撰ぶという戦国武士の遺風が残っている。勝茂がしたことをすべて認めるつもりは毫もなかった。

・・・鍋島の主君たる者は酒について厳しい戒律を持っていた。いくら飲んでも酔うことは禁じられていたのだ。勝茂公は酒が好きで毎夜飲んだが、酔って寝床に入ることがなかった。必ず完全に醒ましてから寝所に入る。そして必ず、普段差しの刀を抜き、眉毛を斬って切れ味を確かめてから、その刀をわきに置いて寝たこれを一日も怠ることはなかったと云う。

・・・「当たり前でしょう。殿も家臣も一箇の男です。男と男として忍び難きことがあれば意趣を抱くは当然。そのために殿を斬ることがあってもこれも当然」 「そんな馬鹿なこと!」 「何が馬鹿なことですか。ご主君たるもの、常に家臣に意趣を持たれ狙われることは百も承知の上で行動なされるべきではないか。勝茂公が夜ごと佩刀を改められるのを、何のためとお思いか。御主君にはご主君なりの責任と覚悟が要り申す」

・・・所詮失うもののある方が負けなのである。失うべき何物も持たない死人の方には負けはないのだ。彼らは勝つことさえ望んではいない。勝っても負けても、やるべきことはやる。それだけのことだった。

・・・子どもが刀術で大人を斬るのは難しい。だが鉄砲は別だ。子供の撃った弾丸でも大人は確実に死ぬ。そのための鉄砲術だ。そのつもりで腕を磨け。

・・・大猿に死なれた寂しさは骨身にこたえたが、だからと云って悲しげな顔など見せては、男がすたると云うものだ。だから恐ろしく陽気だった。

・・・信綱は自分が人に好かれないのをよく知っている。いわゆる人徳というものがからっきしないのだ。才気のある人間にあり勝ちなことだった。・・この頑固一徹な古武士には、信綱の才気が不快だったのである。・・つまりは効率的ではあるが、肝心な背骨が一本通っていない感じがするのだ。

・・・当時の庶民の戸籍はすべて寺社が扱うのである。だから寺社奉行は今日の法務省ということになる。・・幕府の上級裁判所ともいうべき評定所を構成するのは、寺社・勘定・江戸町奉行の三社であり、後の二つが徳川譜代の直参で占められるのに対して、寺社奉行は小禄の外様大名があてられるのが通常だった。つまりすべての外様大名の意見を代表する形になる。』

・・・何時渡すことが出来るかも判らない刻明な手紙を、軟禁された一室で細々と書き録しながら、土山五郎兵衛はひたすら求馬に話しかけていた。〈頼むぞ、中野、お主だけが頼りだ〉

・・・この当時の武士階級の結婚適齢期は、男女ともに十三歳から十五歳である。

・・・この問題ばかりはさすがの勝茂も手に余った。光茂の人間が変わらない以上、どんな解決の法もないのである。そして既に成人となった男の人格を変えることは、人間にできることではない。それは神の領域だった。

・・・家康が天下の覇権を握ると、もういけなかった。諸国の武将が、忍びの者を雇う必要が一応はなくなってしまったのである。それに太平の世に、下手に忍びを雇ったりしたら、それだけで大名家は取り潰されかねない。忍びは無用の長物と化した。

・・・勘助の眼から見れば、剣術使いという人種はひどく傲慢だった。・・礼もせずに始めるのは無礼であり、剣の届かぬ遠くから攻撃するのは卑怯だと云う。〈いくさに卑怯もくそもなか〉 勘助はそう信じている。祖父から聞かされた嘗ての「いくさ人」はそんな阿呆ではなかった。どんな得物、どんな距離からの攻撃も充分に予想していたし、それに備えていたと云う。剣術使いは所詮「いくさ人」からは遠い生き物だった。

・・・嘘つきは自分をかばうために嘘をつくわけではない。相手を失望させたくないばかりに嘘を云う。相手の心が傷つくのが見ていられなくて嘘をつくのだ。その心は優しさに溢れていると云っていい。それに較べて正直者の心はむごい。相手の傷みより、自分が嘘をつく傷みの方を避けようとするのだから当然である。かたくなであり、頑固であると云うよりも先に、自分を守る心が強い。利己的だと云うべきだろう。

・・・この天涯孤独の男にとっては勝茂公のいない、いや、もっと正確に云えば斎藤杢之助のいない鍋島家など、どうなり果てようと知ったことではない。滅びるものなら、さっさと滅び去ればいいのである。鍋島は滅びても佐賀の大地は残る。佐賀の庶人もまた残るだろう。それでいいのだ、と強く思っていた。

・・・あたりは凄まじい黒煙と一面の火の海だった。いずれも町方の者の家財道具が燃えているのだ。〈人間の欲が人間を殺す〉杢之助はちらりとそう思ったが、貧しい庶人にとってその荷物は人生のすべてだったかもしれない。哀れだった。』

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