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2020年5月 9日 (土)

「失敗の本質」と戦略思想 ---孫子・クラウゼヴィッツで読み解く日本軍の敗因(西田陽一・杉之尾宜生著 筑摩書房)

「失敗の本質」は幅広く読まれた有名な書ですが、その著者の一人が共著者となり、軍事的な面から再度分析し直したものです。私にとっては極めて示唆に富む書でした。また、これまで私が考えてきたことに一致する部分もあり、意を強くすることもできました。

『・・・日本陸海軍はたがいに戦略思想・用兵思想の違いを徹底的に議論して整理するのを等閑にした。その無理を埋めるために各種の言葉を都合よく使い作文し、希望に基づいて解釈した結果、大きな失敗に導かれた。

・・・「孫子」は、気まぐれや独善的な目的で軍事行動を起こし、武力戦をすることを戒め、同時に国家の国益を守り、安全保障にかなうものであれば選択肢として認めたのである。

・・・「統帥権」は帝国憲法第11条の「天皇は陸海軍を統帥す」とういわずか10文字の意味内容をいつしか、政府から干渉なく軍自体が独断で作戦を遂行し得るとの解釈に拡大しており、軍はそれを当然としていた。・・政治が軍事行動の枠を決め、政治目的を達成するために軍事力が存在し、武力戦という選択肢はその目的を達成するためにあるとの発想が辻に限らず、当時の軍人たちには程度の差こそあれほとんどなかった。

・・・要は、軍事行動が「主」であり、政戦両略、政略しどうといったなかに当然含まれる政治的目的は「従」となる。読み方によっては、政治的目的などから完全に独立して軍事作戦を行ってもよいとなる。これは孫武、クラウゼビッツの主張とは正反対といってもよい。

・・・「統帥綱領」が基本的に軍事的領域に限られるのに対し、「孫子」「戦争論」は、外交という領域を踏まえて戦争・武力戦を論じているのも特徴である。・・「孫子」は・・武力戦に伴う流血や戦闘を生起させずに、外交によって政治的目的を達成することで、勝利をもぎ取るのが理想的な戦い方であるとする。・・「孫子」は外交と武力戦は常時それがコインの表と裏のごとく不即不離の関係にあるとする。・・クラウゼビッツは外交が破たんしてからの武力戦をいかに実行していくかに重きを置いて研究を進めている。

・・・この一文の要は、南方への武力行使に際しては、英米はわけて考えることを原則としつつ、同時にそれがもし不可能ならば米国との武力戦も考えるという内容である。

・・・支那事変の解決を有利に運ぶために、勝ち馬に見える独と同盟を結び、米国と交渉に臨むという理屈を都合よく取り組む一方で、それが米国の対日態度にどう影響していくかを総合的に見積もったとも思えない。

・・・軍事にとって都合のよい形での外交を期待し、それを軍事戦略上の所与として織り込む。一方で、軍事にとって都合の悪い形で外交が浮かび上がる場合は、軍事を独立させて、そこに特化して解決法法や方針を考えていく思考方式であった。

・・・経済の観点に切り込み、現実的かつ徹底的にシミュレーションせよというのが「孫子」の大眼目である。・・「戦争論」は戦場においていかに武力戦を遂行するかに論考の重点を置き、加えて、当然、軍に必要とされる経済面やロジスティクスに関する支援は提供されるのを前提としている。

・・・①国防大学設立の目的は、平戦両時を通じて、軍部と他の政府諸機関との協調連絡を図るために、その要員を養成するにある。・・②・・現在の学長は、シビリアンではなく、陸海いずれかの将官といわれている。教官には優秀な佐官クラスの将校と、政治・経済・文化等の学識経験豊かな、それぞれの文官が任命されている。・・そこには可能な限り無駄なセクショナリズムは排除させる工夫がなされていた。

・・・研究生全員で模擬「内閣」を組閣し、シミュレーション方式で日米開戦を総力戦の観点から研究していくことになった。

・・・現状のまま(南方の資源地帯の確保がないまま)では、そもそも武力戦を長期間戦えるだけの国力がない。ゆえに、南方の資源地帯を占領確保するしかない。だが、南方を確保してもそこから石油などの戦略物資を必要な分だけ輸送を続ける見込みがたたない。したがって、日米が開戦すれば敗戦は必至となる。これが基本的には「総力戦研究所」研究報告の一部主旨であった。

・・・GDPという観点から見た場合、日本の経済は昭和14年がピークでそれ以降は、低下していく。明治20年(1887年)以来国家の直接軍事費・臨時軍事費を合計した額(軍事予算)はおおおむね一般会計の3~4割を占めており、戦時(日清戦争、日露戦争)はこれが9割に上ることもあった。

・・・実際の政府や統帥部の議論をさらにみていくと気付くことがある。南方の原油を、どれぐらい日本に輸送できるのかと客観的な可能性を探るところから議論が始まったものが、いつの間にか「日本が戦争を遂行するためには、理論上どれだけの数字が必要か」に主軸が置かれて議論がすり替えられ、都合のいい数字に置き換えられる。閣僚レベルに数字が示される前の省庁の段階で「戦争をするために数字を何とかしなければならない」という空気が醸成されていき、結果的には「これなら何とかなるだろう」という甘い見積もりが出される。

』・・・あまりにも自らの軍事能力を過信して、軍事にとって都合のよい形での資源や石油の確保できるのを戦略の前提とする。一方で、軍事にとって都合の悪い形で経済的な側面が浮かび上がる場合には、軍事を独立させて考え、予想される軍事的「成果」を過大に見積もり、そこで都合よくつくりあげた「成果」でもって、経済的な側面のふりを補うのを可とするのが陸海軍の思考方式であった。

・・・戦争での合理的な見積もりはさほど簡単ではないというのがクラウゼビッツの基本的な考えとなる。・・孫武がいう戦争における合理的な見積もりの基本になるのは度(空間・時間的な考察)であるが、これが十分に整理されているかどうかでその後の戦いが根本的に変わってくる

・・・「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」は「戦争指導構想」ではなく実際には「武力戦指導構想」であったが、・・同床異夢で三つのベクトルに分裂したままであった。これは「軍事の統合構想」ではなく、陸海軍の異なる武力戦指導構想を三論併記した折衷案文であり、当然のことながら陸海軍の統合(共同)というコンセプトは皆無であった。

・・・力とは「敵を撃破する基礎要素」、時間とは「時機及び明暗、寒暑、晴雨等の天然現象、空間とは「地形の特性等の自然現象と広さ及び体制」を指す。

・・・クラウゼビッツは絶対的な兵力数の優勢を強調しつつも、武力戦の上で重要なのは全体で見たときの絶対的な兵力数ではなく、むしろ決定的会戦や交戦地点における相対的な兵力数の優勢であるとする。・・「孫子」「戦争論」はともに要時要点における相対的な兵力の優勢確保を重視している。

・・・血栓を企図する戦場を敵に分からせてはならない。

・・・こういったマニュアルを絶対的価値のあるものとして扱うのは危険であり、どれほどの知力と労力をかけた力作であっても、戦争や武力戦のすべてを網羅できるものではない。・・戦争・武力戦という社会現象には科学のみならず術(アート)としての側面があり、・・結局のところ、この理論をどの程度使いこなせるかは、軍事それぞれの能力に委ねられる。

・・・「孫子」は、欺瞞というテクニックは開戦前の外交戦、大戦略・軍事戦略レベルにおいても使えるものだとしている。一方でクラウゼビッツは欺瞞の概念を作戦戦略よりも下位の戦術レベルで論じており、欺瞞でもって敵をだますのは簡単ではないとする。

・・・奇襲については、クラウゼビッツは戦略レベルでは成功させるのは難しいとし、戦術レベルにおいては成立し得るが容易ではないとする。一方で「孫子」は奇襲を重要な要素とする。ただ孫武はここで、クラウゼビッツよりもいっそう広い範疇、つまり戦略、作戦、戦術といったあらゆるレベルにおいて奇襲という概念を当てはめて考えている。・・クラウゼビッツが奇襲の成功が難しいとするのは、それは主に作戦戦略レベルについてであり、他方で、孫武が奇襲の効用を説いたのは、主に戦術レベルであったといえる。したがって、基本的には奇襲については両者ともどのレベルの視座でそれをみるかといったアプローチの違いとなる。

・・・このような自ら招いた大虐殺を生み出した根拠はなんだろうか。その答えの一部は、当然のことであるが、一木大佐の情報不足であろう。しかし、もっと重要なことは、彼の傲慢な現実無視、固執、そして信じがたいほどの戦術的柔軟性の欠如ではないか。

・・・軍事指導者・指揮官は戦闘が開始以前の段階から、将兵の勇気・勇敢さといった精神諸力を必要以上に判断に織り込むのを良しとしていない。・・「孫子」は、戦闘が始まってからの将兵各個の勇戦敢闘を恃むのではなく、あくまでも部隊全体が組織的な勢いをもって戦闘に加入し、戦闘し勝利できる方策が必要としている。

・・・日本は米国の反抗の前に大量の人的損耗を出していくが、その遠因の一つとしては攻撃精神を過度に強調すると同時に将兵に過度な勇戦敢闘を期待し、組織戦力としていかに文字通り楽勝できるかについての研究や準備を等閑にしたことが挙げられる。・・必要以上の攻撃精神を求めると同時に将兵各個の指揮や勇気に依存し、白兵による突撃の反復で事を決しようとすることである。

・・・「孫子」は戦闘が始まってからの将兵個人が主体的に勇戦敢闘することだけに期待するのを戒めており、作戦準備と戦闘直前までに勢いをもって戦闘に加入できる態勢を整えておくべきと説いている。

・・・「孫子」はこの一文の中で食料を現地調達せよととれる言及をしているが、これは効率性を考えたうえで可能なものは現地調達を行えとの意味を出るものではない。

・・・「孫子」には「迂直の計」という概念があり、・・ここではシンプルに敵味方双方の直接戦略と関節戦略を知った上で、指揮官は自らの裁量を行使しなければならないという意味に解釈したい。

・・・日本陸軍という組織の通弊として、軍事合理的に考え抜くことの至難性を垣間見る思いがする。

・・・一戦場における作戦戦闘や戦術レベルにおいては、攻撃と防御の概念は比較的線引きしやすい。だが、戦場が複数に跨って戦域となり、それがさらに複数の戦域に跨る事態となった場合には、攻撃と防御という概念自体は相変わらずシンプルでも、そこに含まれる意味合いはより広義なものとなる。

・・・佐藤一斎は次のように考えた。孫武は「戦力が足りないから守り、戦力があるから攻撃する」というが、自分は兵学者としてそうは思わないとした。・・1972年に発掘された「竹簡孫子」により、佐藤一斎の主張は理屈に適っていたことが証明された。・・孫武はこの一文で、攻撃と防御(守備)の二つの概念を取り上げて相対的に比べながら、防御(守備)により重心を置くと述べた。・・攻撃の成否については、敵軍の動きに影響をされる不確実性が増すからである。第二の理由は、攻撃をかけて勝利をもぎ取るよりも、敵軍の攻撃によって敗北を喫しないことを優先するからである。そして第三の理由として、防御(守備)に重点を置くのはその戦力を保全させるうえでも有利であって、より一層強力な形式だからである。なお、ここで孫武のいう防御とは自軍が十分な防御の大勢を整え、敵軍が攻勢・攻撃に出てくるなかで、敵軍は次第に消耗を重ねていくことを考えている。さらに、そのなかで自軍は戦力を保持しつつ敵軍の消耗すなわち攻勢・攻撃の極限点を見極め、攻撃・攻勢へと転移していく積極的な性質を有している。・・価値の優先順位を明確に定めて整理し、防御の態勢・不敗の態勢をつくったうえで決戦を挑んで戦果を勝ち取り、そのエンドステートとして戦争・武力戦を終わらせることにつながってくる。

・・・大本営の主張を軍事戦略レベル・作戦戦略レベルで分けて考えてみると、いくつかの行動が見られる。

・・・絶対国防圏の考えに基づき、大本営はその新作戦方針を陸海軍に対し命令したが、その受け取り方は部隊によって差異が生じた。

・・・これ以上は撤退することができないという観念上あらわれてくる防衛線と、艦隊や部隊を運用してどこで戦うのが一番有利かという実態から生まれてくる戦とは一致していたわけでなく、そうした部分からも海軍は大本営の新作戦方針をストレートに受け入れるのは難しかったのである。

・・・昭和18年9月30日に絶対国防圏を定めるとき、先に述べたように軍令部総長の永野は「日本海軍はマーシャルで雌雄を決する」と威勢のよい発言をしていたが、実際には連合艦隊は出動する暇もなく失陥した。大本営が予想もしていなかった速さでマーシャルが失陥すると、今度はマリアナ、カロリンの線がむき出しになる格好となった。

・・・孫武の本意としてはどちらが戦力を保全し、自軍の損耗を可能な限り避けられるかを慎重に天秤にかけた上で、攻撃と防御を決心するべきということだろう。

・・・廟算とは私利私欲から身を離し、国家のために戦についてしっかり考えることである。

・・・適切なインテリジェンスとそれに基づく作戦があり、軍隊が戦場で行うオペレーションにおいて、指揮・統率・通信機能が確保されていれば、大部分はコントロールできる。これが孫武の基本的な考え方である。

・・・戦場における戦況は指揮官が随意にコントロールできるものではなく、武力戦は計画通りに進むものではない。直観に基づいて戦況の本質を読み取り、それを瞬時に作戦戦闘指導に生かすことができる者が軍事的天才である。クラウゼビッツはこのようなスタンスをとっているが、直感というのは必ずしも合理的なものだけではない。この点は孫武とクラウゼビッツの大きな違いである。

・・・クラウゼビッツは必ずしも、戦略レベルにおける情報の価値までを否定しているわけではない。・・計画や情報収集を難しくする摩擦が存在し、作戦を綿密に計画・実行していくのがいかに至難な業であるか、彼は体験的に熟知していた。クラウゼビッツが情報を重視しなかった理由はそこにあるといっていい。・・軍事的天才に伴う直観力、軍隊の物理的強さ、戦争術(兵法)自体の三つがしっかりしていれば、インテリジェンスの不足は十分に補えるとの考えを持っていた。

・・・日本軍は米軍の空母11隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻、巡洋艦または駆逐艦1隻を撃沈し、さらに空母8隻、戦艦2隻、巡洋艦4隻、巡洋艦または駆逐艦1隻、艦種不明2隻を劇がしたと報じた。・・しかし実際には米軍艦艇で撃沈されたものは1隻もなく、損害空母1隻、軽巡2、駆逐艦2隻の計5隻のみであった。日本軍は戦果確認のための偵察部隊の編制装備の余裕が乏しく、戦闘機のパイロットに対する戦果確認教育が不足していたため、台湾沖航空戦の大戦果の誤報が起きたといわれる。

・・・クラウゼビッツは戦争における不確実性、戦場におけるそれ以上の不確実性といったものがつきまとう中では、詳細な作戦計画を実際に遂行するのは極めて困難であるとし、そうしたものにほとんど信頼を置かなかった。・・そしてクラウゼビッツは、信頼できるインテリックスの欠如を補うためには物理的な強さ、戦力の集中こそがもっとも重要な要素であるとした。

・・・端的に言えば、合理性とは目的と手段の関係で、物事を因果関係で見ることである。物事をしっかりと対象化し、主観と客観に分けて考えていく力のことと付言しておく。

・・・作戦戦略レベルに視点を向けてみると、レイテ海戦以前の段階ではそもそも情報の収集・分析、作戦の起案の一連のプロセスで合理性が機能していなかった。

・・・戦後の日本における軍事戦略は「専守防衛」であるが、この言葉は日本陸軍・海軍には存在しない。専守防御とはある特定の目的達成のため、一つの正面で防御に専心することである。

・・・孫武は合理的かつ沈着冷静であることに重きを置き、バランス感覚に優れたリーダー像を理想としている。・・クラウゼビッツは知力がダイレクトに勇気や決断につながるわけではないと述べ、最終的に勇気・勇敢に重きを置いている。

・・・沖縄線は昭和20年4月1日から6月23日まで続き、・・日本軍は結果的に6万5000人が戦死し、非戦闘員である沖縄県民が10万人以上犠牲になった。米軍は1万2281人が戦死している。

・・・堀の暗号電報が解読されて作戦課に回ってきた際に、参謀を務めていた瀬島龍三は血相を変え、手を震わせながら、「いまになってこんなことを言ってきても仕方がないんだ」と言葉を吐き、この電報を丸めてゴミ箱に捨ててしまったという。優秀と言われた瀬島までもが見たくないものは見ない、信じたいことだけを信じるというムードに覆われていた

・・・どれほどの激情に駆られたとしても、理性と知性を冷静に運用できなければリーダーは務まらないということである。

・・・国軍伝統の攻勢至上主義とは観念的なもので、戦理的にも合理性はない。

・・・孫武はここで、時と場合によっては命令に逆らってもよいと述べている。・・合理性のあるリーダーがいつも必ず正鵠を射るわけではない。少し安易かも知れないが、長勇はクラウゼビッツが重視する勇敢さ、八原博通は孫武が重視する軍事的合理性の貫徹を典型的に体現していたともいえる。

・・・クラウゼビッツは「可能的な戦闘は、その結果からして現実的なものと見なされるべきである」と述べ、軍事的に意義あることだと主張している。・・軍事学(防衛学)を奉ずる者にとって現実に行われなかったがが、その時点で実行することが可能であった有力な作戦・戦闘の策案(選択肢)について真剣かつ真摯な態度で分析・研究することは、将来のために教訓を抽出する必要不可欠な組織学習であると確信している。

・・・戦争における支配的な傾向に関して独特な三位一体をなしている。すなわち、一つには、盲目的な本能とさえ見なし得る憎悪や敵意を伴った本来的な暴力行為、二つには、戦争を一つの自由な精神活動たらしめる確からしさや偶然性の賭け、そして三つには、戦争が純然たる知性に帰属する政策のための手段であるという従属的性質という三つの要素からなる。この三つのうちの第一の側面はより多く国民に向けられ、第二はより多く将軍とその軍隊に向けられ、そして第三は政府に向けられる。

・・・59個師団のうち、3個師団だけがまともに戦える師団であった。関東の防衛を担当する第12方面軍の銃剣の充足率が30%、小銃に至ってはわずか40%、弾薬はそれぞれ定量の5%しかなかった。砲門(大砲)の数はあったが、砲弾はゼロに近かった。これが昭和20年4月8日における日本陸軍の戦力であった。

・・・鈴木貫太郎はポツダム宣言に対してノーコメントという立場であったがこれは「黙殺」と受け取られ、8月6日に広島に原爆が投下され、8月9日にはソ連が日本に宣戦布告する。

・・・武力戦についてきちんと把握し、それが及ぼすであろう結果について十分に考えた上で臨むべきだ。孫武はここでそう述べている。なお、大東亜戦争の最終段階においてはGDP(国内総生産)の50%近くを費やして戦争を遂行したが、その結果、日本人だけでも民間人を含む300万人以上が犠牲となり、国富の25%を失うこととなった。・・政戦略において政治・戦略の双方で調整がされておらず、エンドステートについて十分に話し合わないまま戦争をずるずる続けてしまった。その意味においては、戦争目的について十分に検討しなかった戦争であった

・・・あくまで本書の意見ではあるが、日本は米国を「本気にさせない戦争」を追求し、米国と第一種の戦争ではなく、第二種の戦争をする方向へとシフトすべきではなかったのか。

・・・本書としては、山本の戦い方は妥当ではなかったと考える。孫武的な観点からすれば、鈴木貫太郎が述べているように防御の役割を重視するような戦い方はなかったのか。そしてクラウゼビッツ的な観点からすれば米国に第一種の戦争をさせず、第二種の戦争に持ち込むことはできなかったのか。

・・・現在の自衛隊も国土・国民・主権の三つを守ることを国防の目的としているが、現実の戦いにおいてすべてを守り切るのはあまりに難しいことを知っておかねばならない。

・・・辻政信の代表されるように、いかに日本軍が政治を含む政戦略という領域を軽視し、軍事を独立した要素として考える傾向を強く懐胎していたか・・日本軍は外交と軍事が互いに影響を与え合う変数であることを忘れ、外交を軍事にとって都合よく考えて積極的に織り込む一方で、不都合なことは軍事の力でねじ伏せる傾向があった

・・・軍事という専門知に通じた日本軍のプロフェッショナルたちがその領域に特化した思考をする一方で、自分たちが未知もしくは無知の領域については無視する、捨象してしまう、都合よく考えるかという傾向が極めて強かった。言葉を換えれば物事を徹底的論理的に整理すること、そのために知力の限りを尽くして議論することを避け、単純化したがる傾向を強く懐胎していた。・・陸軍軍人も海軍軍人も自ら所属する組織に対する帰属意識が強く、各組織の部分最適は追求するものの、全体最適を追求することはできなかった。

・・・戦略は結局のところ、国家理念、国家目的、大戦略とはなんであるかという問いと無縁ではいられない。その問いをしない人間には本来、戦略を語る資格はないのかもしれない。

・・・孫武とクラウゼビッツに共通するのはその視野の広さ、思慮の深さであろう。そして、両社とも武人・軍人にとどまることなく、その所属や帰属する組織を越えて、国のために丸裸になり自由に考えることができた。・・徹底的に戦争の本質を問い、自らに都合のよいようなことだけで考えず、理性的かつ現実的に思考し、軍事力や武力戦の限界を認識していたことだと思われる。』

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