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2020年4月29日 (水)

死ぬことと見つけたり 上巻 (隆慶一郎著 新潮社)

私の最も好きな作家の絶筆となった作品です。電子版を購入し、久しぶりに読み返してみました。再び感動したところ、また年を取って、新たに感じるところところもありました。

『・・・「武士の本分とは・・・」父が云った。奇妙にもどこか楽しそうだった。「殿に御意見申し上げて死を賜ることだ」・・わしの云うのは違うぞ。武士たるものの本分を尽くすために、何事にも耐え、悪口にもさげすみにも耐え、ひたすら殿にとり入り、御老職にとり入り、死にたくなるような恥辱にも耐えて、その地位を掴めと云うのだ

・・・〈殺しに酔うとる〉鉄砲の名手には間々あることだと云う。獲物を殺すことに異常な恍惚感を味わうようになるのだ。「そうなったら、人間は終わりだ。気をつけろ」そう父が戒めたのを思い出した。

・・・「お侍の鉄砲や。綺麗ごとじゃ」杢之助は首を振って否定した。杢之助の鉄砲は常に真剣勝負の鉄砲である。金作のは違った。楽しみの鉄砲であり、淫虐の鉄砲だった。

・・・さすがに牛島萬右衛門だけは、杢之助の様子が変わったことに気付いた。だがこれもひとかどの男である。やはり、どうした、などと馬鹿な問いは発しない。黙って立ってゆくと井戸端にゆき、釣瓶一杯の水を飲んで後架にゆき、胃の中を空にした。座に戻ると、杢之助の斜め前に坐り根が生えたように動かない。何事が起るにせよ、杢之助と共に死ぬつもりなのである。杢之助はそれを感じて、泣けそうになった。この時以降、萬右衛門を生涯の友と決めた。

・・・自分一人で責任を負い、自分一人が腹を切ればすむ。そして万一の時は、幕閣はじめ江戸市民のすべての脳裏に佐賀鍋島武士の恐ろしさを、一生忘れられないほど叩き込んで死んでやろう、というのだ。壮烈といえば壮烈、危険といえば危険すぎる謀みだった。・・常時死んでいろ、という鍋島武士の覚悟のほどは、勝茂も知っている。そんな鍛錬は一度も本気でやったことがないし、この太平の御代に藩士だってそんなことをしていないのは百も承知だった。だがこの男は、確実にそれをやっている。毎朝々々先ず死んでいるのだ。

・・・登城の際の老中の駕籠は常に駆け足で矢のように走る。これは大事のあった時だけ早く走ると、世人が何事が起きたかと不安に思うのは必定なので、それを防ぐために、していることだった。

・・・「大体城攻めは茶の湯と違って、期日を定めて行うべきものではない。戦機が熟したら即刻、乗っ取るべきだ。これはいくさに慣れた者でなければ、分からないものだ。

・・・お上から拝領した屋敷を不逞の徒に襲われ多くの家臣を殺され、あまつさえ火をかけられては、たとえ老中といえども無事ですむ筈がなかった。拝領屋敷は城と変わりない。自分の城ひとつ守れないで老中が勤まるわけがなかった。

・・・「若き衆は随分心掛け、勇気をお嗜み候へ。勇気は心さへ附くれば成る事にて候。刀を打折れば手にて仕合ひ、手を切落とさるれば肩節にてほぐり(押し)倒し、肩切離さるれば、口にて、首の十や十五は、喰切り申すべき候」と、毎度申され候由』幼時からこんな言葉で育成されてきた男たちの剣がどんなものになるか想像がつくと思う。

・・・求馬は無意識に大きなため息をついた。生命を拾ったと思ったのだ。犬死をせずにすんだ。杢之助と萬右衛門を見ると、別段どういうこともない顔をしている。この二人にとって、犬死などというものはないのだ。犬死という言葉には価値観が含まれている。・・それはその人間の判断による。要するにそれは計算であり、損得ということになる。・・若し図にはづれて生きたらば腰抜けなり。この境危うきなり。図にはずれて死にたらば、犬死気違ひなり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。

・・・高い金はとったが、それはいわばつき合い料であり、人肉代ではなかった。江戸吉原の太夫のいわゆる「張り」はここから来ている。

・・・戦国時代、高野山には「遁科屋(たんかや)」が存在し、いかなる罪科人もこの門の中に足を踏み入れれば、その科を遁れうる建物といわれた。

・・・人間のすることに理屈はどうにでもつく。だがすべて嘘である。何を考えるかではなく、何をするか或いはしないかで男の評価はきまる。杢之助はそう云っているのだ。

・・・それは一方的で無意味な殺戮にすぎない。杢之助はたとえ相手が猪でも、対一で至近距離から撃つ。自分も殺されるかもしれぬ場でしか撃たぬ。かたくそうきめていた。

・・・術とも法とも呼べないような、粗雑な剣法である。近世のあらゆる剣法は、本来こうした荒っぽい剣法の否定の上に成り立っている。精緻な計算されつくした動きと剣さばきが、介者剣術の粗さを見抜き、冷静に後の先をとって一瞬に鎧武者を斬る。

・・・杢之助にかかると剣法も芸事である。戦場での生き死にを賭けた格闘を、芸事でさばけると思われてはたまらなかった。戦場では意外の剣が夥しい剣法の達者を殺している。所詮は運だが、その運を呼ぶのは気力である。口にこそ出さないが、杢之助はそう云いたかったのだ。

・・・「狩りをしたことのない奴だ」猟師なら絶対に頭は狙わない。面積も狭いうえに、一番動く場所だからだ。初弾は必ず広くて動かない胴を狙う。

・・・人を使う立場にある者は、常に身辺を清潔に保たねばならぬ、と五郎兵衛は信じている。決して「我が身よかるべき」という保身のためではない。だが同時に、その点が自分の小ささであることも、五郎兵衛は感じていた。悪臭をふりまきながら、尚平然と一藩のために己がよしと思った道に猛進する為政者の馬力を自分は持っていない。どうしても廉潔さが邪魔をするのである。

・・・五郎兵衛に云わせれば、求馬は去年一杯手柄を立て過ぎた。だからこそ一躍近習頭に抜擢されたわけだが、あまりに急速な出頭は家中の反感を買うおそれが大である。この一年は、鳴かず飛ばずの状態で抑えた方が後々のために宜しい、というのが五郎兵衛の意見だった。

・・・人に慣れた飼熊が、突然飼主に重傷を与えることがある。時に殺してしまうことさえあった。熊に殺意はない。突然兇暴になったわけでもないのだ。熊はいつもの通り、じゃれただけなのに、力が強すぎて、或いは相手の人間が弱すぎて、怪我をしたり死んだりしてしまうのである。』

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