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2020年4月

2020年4月29日 (水)

死ぬことと見つけたり 上巻 (隆慶一郎著 新潮社)

私の最も好きな作家の絶筆となった作品です。電子版を購入し、久しぶりに読み返してみました。再び感動したところ、また年を取って、新たに感じるところところもありました。

『・・・「武士の本分とは・・・」父が云った。奇妙にもどこか楽しそうだった。「殿に御意見申し上げて死を賜ることだ」・・わしの云うのは違うぞ。武士たるものの本分を尽くすために、何事にも耐え、悪口にもさげすみにも耐え、ひたすら殿にとり入り、御老職にとり入り、死にたくなるような恥辱にも耐えて、その地位を掴めと云うのだ

・・・〈殺しに酔うとる〉鉄砲の名手には間々あることだと云う。獲物を殺すことに異常な恍惚感を味わうようになるのだ。「そうなったら、人間は終わりだ。気をつけろ」そう父が戒めたのを思い出した。

・・・「お侍の鉄砲や。綺麗ごとじゃ」杢之助は首を振って否定した。杢之助の鉄砲は常に真剣勝負の鉄砲である。金作のは違った。楽しみの鉄砲であり、淫虐の鉄砲だった。

・・・さすがに牛島萬右衛門だけは、杢之助の様子が変わったことに気付いた。だがこれもひとかどの男である。やはり、どうした、などと馬鹿な問いは発しない。黙って立ってゆくと井戸端にゆき、釣瓶一杯の水を飲んで後架にゆき、胃の中を空にした。座に戻ると、杢之助の斜め前に坐り根が生えたように動かない。何事が起るにせよ、杢之助と共に死ぬつもりなのである。杢之助はそれを感じて、泣けそうになった。この時以降、萬右衛門を生涯の友と決めた。

・・・自分一人で責任を負い、自分一人が腹を切ればすむ。そして万一の時は、幕閣はじめ江戸市民のすべての脳裏に佐賀鍋島武士の恐ろしさを、一生忘れられないほど叩き込んで死んでやろう、というのだ。壮烈といえば壮烈、危険といえば危険すぎる謀みだった。・・常時死んでいろ、という鍋島武士の覚悟のほどは、勝茂も知っている。そんな鍛錬は一度も本気でやったことがないし、この太平の御代に藩士だってそんなことをしていないのは百も承知だった。だがこの男は、確実にそれをやっている。毎朝々々先ず死んでいるのだ。

・・・登城の際の老中の駕籠は常に駆け足で矢のように走る。これは大事のあった時だけ早く走ると、世人が何事が起きたかと不安に思うのは必定なので、それを防ぐために、していることだった。

・・・「大体城攻めは茶の湯と違って、期日を定めて行うべきものではない。戦機が熟したら即刻、乗っ取るべきだ。これはいくさに慣れた者でなければ、分からないものだ。

・・・お上から拝領した屋敷を不逞の徒に襲われ多くの家臣を殺され、あまつさえ火をかけられては、たとえ老中といえども無事ですむ筈がなかった。拝領屋敷は城と変わりない。自分の城ひとつ守れないで老中が勤まるわけがなかった。

・・・「若き衆は随分心掛け、勇気をお嗜み候へ。勇気は心さへ附くれば成る事にて候。刀を打折れば手にて仕合ひ、手を切落とさるれば肩節にてほぐり(押し)倒し、肩切離さるれば、口にて、首の十や十五は、喰切り申すべき候」と、毎度申され候由』幼時からこんな言葉で育成されてきた男たちの剣がどんなものになるか想像がつくと思う。

・・・求馬は無意識に大きなため息をついた。生命を拾ったと思ったのだ。犬死をせずにすんだ。杢之助と萬右衛門を見ると、別段どういうこともない顔をしている。この二人にとって、犬死などというものはないのだ。犬死という言葉には価値観が含まれている。・・それはその人間の判断による。要するにそれは計算であり、損得ということになる。・・若し図にはづれて生きたらば腰抜けなり。この境危うきなり。図にはずれて死にたらば、犬死気違ひなり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。

・・・高い金はとったが、それはいわばつき合い料であり、人肉代ではなかった。江戸吉原の太夫のいわゆる「張り」はここから来ている。

・・・戦国時代、高野山には「遁科屋(たんかや)」が存在し、いかなる罪科人もこの門の中に足を踏み入れれば、その科を遁れうる建物といわれた。

・・・人間のすることに理屈はどうにでもつく。だがすべて嘘である。何を考えるかではなく、何をするか或いはしないかで男の評価はきまる。杢之助はそう云っているのだ。

・・・それは一方的で無意味な殺戮にすぎない。杢之助はたとえ相手が猪でも、対一で至近距離から撃つ。自分も殺されるかもしれぬ場でしか撃たぬ。かたくそうきめていた。

・・・術とも法とも呼べないような、粗雑な剣法である。近世のあらゆる剣法は、本来こうした荒っぽい剣法の否定の上に成り立っている。精緻な計算されつくした動きと剣さばきが、介者剣術の粗さを見抜き、冷静に後の先をとって一瞬に鎧武者を斬る。

・・・杢之助にかかると剣法も芸事である。戦場での生き死にを賭けた格闘を、芸事でさばけると思われてはたまらなかった。戦場では意外の剣が夥しい剣法の達者を殺している。所詮は運だが、その運を呼ぶのは気力である。口にこそ出さないが、杢之助はそう云いたかったのだ。

・・・「狩りをしたことのない奴だ」猟師なら絶対に頭は狙わない。面積も狭いうえに、一番動く場所だからだ。初弾は必ず広くて動かない胴を狙う。

・・・人を使う立場にある者は、常に身辺を清潔に保たねばならぬ、と五郎兵衛は信じている。決して「我が身よかるべき」という保身のためではない。だが同時に、その点が自分の小ささであることも、五郎兵衛は感じていた。悪臭をふりまきながら、尚平然と一藩のために己がよしと思った道に猛進する為政者の馬力を自分は持っていない。どうしても廉潔さが邪魔をするのである。

・・・五郎兵衛に云わせれば、求馬は去年一杯手柄を立て過ぎた。だからこそ一躍近習頭に抜擢されたわけだが、あまりに急速な出頭は家中の反感を買うおそれが大である。この一年は、鳴かず飛ばずの状態で抑えた方が後々のために宜しい、というのが五郎兵衛の意見だった。

・・・人に慣れた飼熊が、突然飼主に重傷を与えることがある。時に殺してしまうことさえあった。熊に殺意はない。突然兇暴になったわけでもないのだ。熊はいつもの通り、じゃれただけなのに、力が強すぎて、或いは相手の人間が弱すぎて、怪我をしたり死んだりしてしまうのである。』

2020年4月26日 (日)

野村再生工場---叱り方、褒め方、教え方 (野村克也著 角川oneテーマ21)

著者の野村氏が亡くなって、改めて注目を浴びてきた感があります。参考になる記述が多数ありました。

新型コロナウィルスの問題が大きくなる前に亡くなりましたが、今のプロ野球の状況をご存知になったらどう発言されたかも知りたかった気もします。

『・・・とくに若手選手と接するときに大切なのは、絶対に結果論でしからないことである。・・全力を尽くした上での失敗から学ぶことは少なくない。・・大切なのは、失敗を次につなげることなのだ。・・何も考えないで、つまり技術だけで勝負にいったバッターは絶対に許さない。そういう選手は、次も同じ過ちを犯す。手抜きプレーをした選手も同様である。・・指導者は選手を好き嫌いで判断してもいけない。意外とそういう指導者は多いのではないか。そのような指導者は組織を私物化しているという誹りを受けても仕方がない。

・・・リーダーと呼ばれる人間は、つねに自分がレベルアップしていくことを目指す必要がある。

・・・教えすぎると、選手自ら考えることをしなくなる・・何も考えていないに等しい。あるいはとんでもなく鈍感・・いずれにせよ、そんな選手に対してすぐに教えてしまうのは逆効果である。まずは選手のなかで問題意識が高まるようなアドバイスをし、本人に疑問が生まれるように仕掛けることが必要だ。・・選手が自ら教えを乞いにくるときは、選手の向上心や知識欲が最高潮に達しているとき・・そんなときの選手は、聞き入れ態勢が整っているから、スポンジが水を吸い込むようにコーチの言ったことを吸収する。その結果、見違えるような成長を見せることがあるのである。

・・・ただし、・・技術を教えるのは最後でいいと私は思っている。その前に、自ら取り組もうとする意欲を促すことが必要だからだ。・・技術を教える前に、自ら能動的に取り組む意識を植え付けることが大切なのである。

・・・目標を達成するために「足りないものは何か」「何をしなければならないのか」を考え、課題に対して自ら真摯に向き合える者だけが一流になれるのである。依頼心が強ければ強いほど、人間の思考能力は衰える。

・・・ピッチャーの投げるボールには、一球一球根拠がなくてはいけないのだ。

・・・私の考えるエースの条件とは、①チームが危機にある時救ってくれる存在であること ②チームの鑑であること 端的にいえば、この二点である。・・「人間的成長なくして技術的成長なし」というのが私の信念である。野球選手である前に、一人の人間であり、社会人なのだという自覚と認識を持たなければ、チームの鑑たりえない。

・・・欲は確かに必要だ。だが、最後は欲を捨てなければならない。すなわち、「欲から入って、いかに欲から離れるか」―――ここが、ことに勝負ごとにおいては肝心なのである。欲を自制する能力を、セルフコントロールと呼ぶ。これを身につけることができるかどうかが、結果を大きく左右するのである。

・・・選手を育てるために大切なのは、何よりも自信をつけさせることだと私は思う。とくに実績のない選手は、自信をつけることで大きく化ける可能性がある。

・・・人間の感じ方はそれぞれ違う。同じことを言っても、しれで大きく化ける選手もいれば、傷ついてしまう選手もいる。・・まさに「人を見て法を説け」である。

・・・人間は自己愛で生きている。だから、自分に対する評価はどうしても甘くなる。適正なものではない。言い換えれば、他人が下す評価こそが、その人間の真の価値であり、評価なのだ。

・・・「楽しむ」という言葉は、じつは非常に深い言葉である。英語では「ENJOY エンジョイ」というが、それは持てる力すべて出し切るという意味合いが強いそうだ。すべてを懸けて全力を尽くしてこそ、「楽しい」のである。そこが「FUN ファン」との違いなのである。

・・・ヒンズー教にある、心が変われば態度が変わる、態度が変われば行動が変わる、行動が変われば習慣が変わる、習慣が変われば人格が変わる、人格が変われば運命が変わる、運命が変われば人生が変わる。という教え

・・・選手は「自分が打つことが、投げることがチームのためになる」と考えるのではなく、「チームが勝つためには自分は何をすればいいか、何ができるか」を常に念頭におかなければならない。・・チームの中心は率先してそのことを態度で示すことが求められる。

・・・知力・体力・気力のうち、体力と気力に左右される野球である。だが、プロとしてこの三つは持っていて当然。それを問題視せざるをえないなどというのは、実に嘆かわしいし、悲しいことである。

・・・専門家に聞いたところでは、人間の行動は九対一で無意識に左右されているそうだ。つまり、脳は一割程度しか働いていないらしい。「来た球を打つ」のが無意識とすれば、「狙い球を絞ったりする」のは有意識のなせる業である。ということは、有意識の占める割合が高くなればなるほど、それだけ無意識で打つより成功する確率は高くなるはずだ。

・・・もちろん、充分に準備をしたからといって、必ずしも成功するとはかぎらない。だが、成功する確率ははるかに高くなる。

・・・もちろんデータは万能ではない。データを盲信するのは自殺行為につながる場合もある。データはあくまでも無形の力を構成する一つの要素に過ぎない。無形の力をあげていけばきりがないが、あえてまとめるとすれば、「分析」「観察」「洞察」「判断」「記憶」ということになろうか。データはそのうちの「分析」の根幹をなすものである。・・洞察力があってこそ、データもまた活きるのである。

・・・意識させようとしたのである。さらに、・・心理的に揺さぶりをかける

・・・強い組織をつくるためには、適材を適所に配置することが非常に大切なのだ。・・したがって、指導者にはそれぞれの人材をよく観察し、彼らの個性を理解するとともに、適性を見極めるだけの眼力というべきものが求められる。同時にそれぞれの選手はほんとうに自分を活かせる働き場所を与えられているのか、常に気を配らなければならないだろう。

・・・強い組織をつくるために、もう一つ徹底させなければならないのが、「フォア・ザ・チーム」、すなわちチーム優先主義だ。

・・・だからといって、チームは“仲良し集団”になってはいけない。弱いチームは往々にしてそうなりがちだ。・・「ミスを笑って許すとは何事だ!そんなだから同じ過ちを繰り返すのだ。傷をなめ合うのはアマチュアのすることだ。闘うプロの集団がすることではない!」以来、ヤクルトでは慰めの言葉はいっさい禁止された。

・・・編成は球団のいわば心臓だ・・チーム強化というものは、補強と育成の両面でなされなければならない。このふたつがうまくかみあってこそ、チームは強くなるのである。・・弱いチームは往々にして編成部が機能していない。

・・・よいチームの条件のひとつに、先輩が後輩に自然にアドバイスできる環境ができていることがあげられる。

・・・「チームの中心はよほどのことがない限り、休んではいけない」―――これは私がたびたび指摘していることだ。「休まない」ことは中心選手の責任である。

・・・こういう恐い先輩が何人かいると、チームに緊張感が生まれるし、全員が「しっかりやらなければならない」と思うようになる。監督にとっても非常にやりやすいし、ありがたいことなのだ。

・・・素直さや謙虚さが欠如しているわけだ。だが、人間の価値は他人の評価で決まる。他人の評価が正しいのだ。・・自分から「変わろう」という意思が見られないのでは、いくらこちらが変えようとしても変えられない。

・・・言いたいことは山ほどある。けれども、我慢して、あくまでもヒントを出すだけだ。そうすることで嶋に自分で考えさせる。そこが大切なのだ。

・・・ひとつ型をつくると、そこから冒険しない。だが、一流のキャッチャーはそれではダメなのだ。ときには奇策を交えないといけない。配球とは正攻法と奇策の組み合わせで成り立つものなのである。

伸び悩んでいる選手には共通していることがひとつある。それはマイナス思考であるということだ。・・言葉を買えれば、いわれなき自己限定をしているのである。

・・・投手というのは、新しい球種を一つ覚えただけで、寿命が延びる。

・・・再生するためには絶対に欠かせない資質がある。第一は「闘争心」。「なにくそ!今に見ていろ。絶対に復活してやる」という強い気持ちがなければ、いくら尻を叩いても再生など望むべくもない。・・再生するためにもうひとつ備えていなければならないのが「感じる力」である。「考える力」と言い換えてもいい。

・・・「考え方を変える」ためには本人が「気づく」ことができるかにかかっている。したがって、指導者は「気づかせてやること」が大切になる。・・いかに気づかせるかがわれわれ指導者の役割なのである。では、そのために必要なことは何か。第一は、その選手をよく「観察する」ことだ。・・力があるのに引退せざるを得なかった選手は、指導者の怠慢の犠牲者だといっていい。そんな指導者は、失格の烙印を押されてかまわない。指導者の能力如何で、その判断ひとつで、選手の人生は大きく変わってしまう可能性がある。しかも、ほとんどの場合、マイナスの方向に変わってしまう。

・・・現役引退後、評論家として外から野球を見たことで、野球の本質とはいかなるものか、どうすれば勝てるかということが、おぼろげながらもわかってきた。

・・・草柳先生は相談を持ちかけた私にこうおっしゃったのである。「見ている人は見ているよ。仕事は絶対に手を抜いたらダメだ。全知全能を使ってベストを尽くしなさい。必ず誰かが見ているから」

・・・そのときは杉浦のことをうらんだ。「余計なことをしやがって」と思った。だが、振り返ればかえって良かったのだといまでは思っている。相手が対抗手段を講じてくれば、こちらはさらなる対抗策を考えればいい。それがおたがいの成長を促すことになる。知力と知力の戦いという、私の目指す野球がそこにはあった。お互いが相手を倒すために全知全能を尽くす。それがほんとうのプロの野球というものなのだ。・・オールスターというお祭りの舞台を通して、稲尾と私はたがいに手の内を隠したり、微妙にさらしたりしながら、あるいは裏をかきあいながら、化かし合いながらおたがいの腹を探り合っていた。それはまさしく真剣勝負だった。稲尾がいたからこそ、私の技術力や思考力は磨かれた。だからこそ私は8年連続ホームラン王を獲得できたし、三冠王を達成することができたと言っても過言ではない。

・・・禅に“生涯一書生”という言葉がある。人間は生涯勉強です。

・・・選手を納得させるには、やはり言葉が大切なのである。』

2020年4月21日 (火)

病気の原因は汚血にある (蔡篤俊著 幻冬舎)

まだ大病にまで至っていない人には、大きな教訓を与え、また勇気を与えてくれる書だと思います。

私自身は、幸いまだ病気の症状はありませんので、この書に記されていることを参考にしていきたいと思います。

『・・・がんは体力の闘いでもあります。ステージⅡやステージⅢの患者には、まだ体力があります。体力があるうちに、体に害を及ぼす毒素や異物を含んだ汚血(瘀血)を取り除くことで、がんを克服できます。

・・・病は急に起きるのではなく、実は徐々にできていきます。その途中の段階で体の不調に気づけば、病気を未然に防ぐことができます。そのために大切なのは、自分の体の声を聞くこと、そして自然治癒力を高め、体をいい状態に戻すことです。では、どうして人は病気にかかるのでしょう。病気を起こす要因を整理すると、次の7つの要因が考えられます。①腐敗したタンパク質、以上タンパク質 ②腐敗した脂肪 ③細菌 ④ウィルス ⑤化学薬品 ⑥疲労 ⑦ストレス

・・・60歳を過ぎると細胞の老化が始まるため、排出機能が衰えてきますから、排出機能が衰えない生活習慣を身につけるとともに、溜まってしまった老廃物は取り除くことが大事です。

・・・病気が発生する根本的な原因はバクテリアや病原菌ではなく、体内から排出できない毒素の累積、蓄積によるものです。バクテリアや病原菌は、病気を引き起こすトリガーつまり、きっかけにすぎません。

・・・汚血は、ゼリーやレバーのような塊です。汚血が体内にたまると、血流を阻み細胞への栄養や酸素の供給、逆に細胞からの不要なものの排出を妨げます。いわば、体の中で渋滞を起こしている状態です。その結果、細胞が正常に機能しにくくなり、あちこちで故障が発生するわけです。

・・・汚血がもっとも溜まりやすいのが背中です。そのほか、両脇下、頸椎、肩甲骨の周辺、肩甲骨と胸椎の間、腰椎と両脇と骨盤の上部など数多くあります。

・・・肝臓は、自然に由来する食べ物や飲み物を分解する能力には優れています。ところが人口的に作られた化学薬品などの処理は苦手です。そのため処理しきれなくなり、肝臓組織がダメージを受けます。

・・・短期的なストレスなら、体の反応によって、このようにストレスに対応できます。しかし精神的なストレスなど、長期にわたる場合はそうはいきません。・・慢性的に交感神経が働くため常に緊張状態が続き、免疫機能が疲労してしまいます。

・・・不要なタンパク質と脂肪は、まず腰、坐骨、骨盤など大きな関節の隙間にたまり、次に両肩甲骨のまわりなど中関節の隙間に、その次に脊髄、骨の隙間、最後に手足など小関節の隙間の順でたまります。その結果、痛みが随時出てきます。・・本来排出すべき毒素がうまく排出できなくなると、血液によって全身をめぐり、その人の持って生まれた体質や病気の因子などに応じてあちこちにたまり、悪さをします。

・・・脳梗塞を防ぐには、老廃物を取り除くとともに、脂肪分の多い食事を控え、野菜を中心とした食事に変え、軽い運動を習慣にする。それだけでもかなり予防効果があります。

・・・現代西洋医学は、けっして万能ではありません。急性の病気や事故など救急医療が必要なケースや、手術が最適な治療法である病気などでは、西洋医学は効果的であり、その治療を受けることは大きな意味があります。しかし慢性疾患に関しては、西洋医学は延々と対症療法である薬物療法を続ける以外、打つ手はないと言っていいでしょう。

・・・自然界にないものは、自ら体外に排出するのが容易ではありません。そのため肝臓で処理しきれず、毒素になって体内に蓄積してしまいます。・・薬を飲んだ後に、湿疹が生じることがあり、「薬疹」と呼ばれます。排出されずに体表近くの毛細血管に集まった化学薬品に対し、体内の免疫機能が排除しようとして、炎症が起きるのです。・・そういう異物は体内に入れないように心掛ける必要があります。

・・・風邪をひいた時の熱や鼻水、咳は、自分自身の体が持っている自然治癒力が風邪のウィルスと闘い、自力で「排出」している証拠と言えます。風邪薬はウィルスを殺すのではなく、炎症を抑え、鼻水や咳を止めるだけです。つまり本来人間が持っている免疫反応に、相反する働きをしてしまうのです。

・・・人間の自然のメカニズムでは、尿で体内の余分な水分と毒素を出します。腸内のカスと毒素は便として排出します。

・・・これらの薬は、皮膚病を完治させるものではありません。毒素が体のなかで暴れるのを抑え、皮膚病の症状であるかゆみや発疹、浮腫などを一時的に抑えるだけです。

・・・私たちの体は、約60兆個の細胞からできています。そのうち約1パーセントが毎日死んでいくので、その分は細胞分裂によって補っていかなくてはいけません。・・コピーミスが生まれてしまい、突然変異を起こす細胞が出てきます。それが、がん細胞です。がん細胞そのものは、健康な人の体内でも一日に5000個くらいは作られているといわれています。・・健康な人であれば異常を起こした細胞は、アポトーシスによって取り除かれます。これがうまく機能すれば、がん細胞は増殖できず消滅していくので、生命を脅かさないと考えられています。しかし老化などが原因で、通常アポトーシスで自然に消滅していくはずのがん細胞が消滅せず、増殖して巨大化していくのが「がん」です。人間が生きている中で、一番エネルギーがあり、五臓六腑が元気で若いのは、20歳から45歳までです。

・・・体力とがんが五分五分のステージⅢのときに、体力を増強することが大事です。言い換えれば、ステージⅢまでのがんなら十分に回復の見込みがあるのです。

・・・がんはがん細胞が暴走して分裂が止まらなくなる病気です。・・しかし抗がん剤は、がん細胞と正常細胞を区別できません。そのため実際にはがん細胞だけではなく、体内のすべての細胞の分裂も阻害してしまいます。ですから、体に大きなダメージを与えます。・・必要であれば手術を受けたうえで静かに静養し、副作用のない治療をするのがいいと私は確信しています。とにかく自らの免疫力を高めて、副作用や害のない治療を選ぶことが大事です。

・・・できることなら、次のようなライフスタイルを目指してもらいたいと思います。 ①仕事を軽くし、充分な休養をとる。・・②一日に8時間以上睡眠をとり、熟睡出来るように工夫する・・③マッサージ、鍼灸療法などで、体の毒素を散らす。④源泉温泉に入り、体を芯から温める。⑤がんを転移させないために、がん因子を取り除く。・・⑥栄養バランスの良い食事を心掛ける。食べ過ぎは禁物。⑦汚血(がん因子、炎症因子、累積した化学薬品などの異物)を排出する。⑧体に合った漢方薬を服用する。⑨化学薬品や健康食品を常用しない。⑩外科手術はなるべく受けない。⑪瞑想などを生活に取り入れ、心を安定させるよう修養を積む。

・・・突然変異を引き起こして細胞をモンスター化させてしまう因子は、さまざまな種類があり、体のあちこちに存在しています。がん因子とは、分かりやすく言うと、細胞を突然変異させてしまう毒素です。なかでも最大のがん因子が、がん細胞が出す分泌物です。

がんが見つかると、あたかも「人生の終わり」と思ってしまう人が少なくありません。しかし、実は終わりではなく、「療養生活の始まり」です。・・がんは老化と生活習慣によって生じる病気とも言えます。食事、仕事の仕方など長きにわたって続けた週刊で、病気が作られるのです。

・・・中国に「病は口から入り、禍は口より出ず」ということわざがありますが、そのくらい食べ物は重要です。・・私たちは、毎日の生活で、気付かないうちに体に毒をどんどんため込んでいます。その毒はいつしか体のなかで限界量を超えてさまざまな病気の原因となります。

・・・摂取と排泄のバランスがとれているのが、体にとっては最も無理のない状態です。・・なかでも気を付けたいのがタンパク質や脂肪の摂り過ぎです。タンパク質を過剰摂取すると、消化・吸収されなったタンパク質が腸内の悪玉金のエサになり、悪玉菌を増殖させ、腸内環境が悪化します。悪玉菌が増殖すれば、腸内では腐敗が進み、便通も悪くなり、悪玉菌が排出する毒素が腸から吸収され、大腸がんや腎臓障害、皮膚病などの原因になりかねません。・・脂肪分の過剰摂取も、肥満を招くだけではなく、アレルギー体質や多くの病気の原因になります。・・汚血をためないためには、理想を言えば、野菜や豆類、雑穀などを食生活の中心にし、タンパク質は旬の魚をお勧めします。できればシンプルな調理法で、素材に手を加え過ぎない方がいいでしょう。

・・・健康を保つには、食生活の見直しが必要です。その基本となる次の3点に留意してください。①食生活の質を見直し、なるべく「独」となるものを食べない。②食べ過ぎに注意し、タンパク質過多、脂肪過多にならないよう気をつける。③排泄する量を多くするため、水分を充分にとって尿の量を増やし、食物繊維を意識してとって便通をよくする。

・・・病を治すのは自然治癒力です。人は生まれながら持っている生命力と、自然治癒力という原動力のお陰で、生き続け、病を乗り越えることができるのです。・・体の違和感や痛み、かゆみは、「このままにしておくと健康を害しますよ」という体の声です。・・どのくらい自然治癒力があるのか、ひとつの目安が、「快眠」「快食」「快便」です。

・・・自然治癒力を養うためにはどうしたらいいのでしょうか。まず、一番必要なのは「休養」です。・・なにより家でゆったりと過ごす時間を持ち、充分に睡眠をとって心身を癒すことが自然治癒力を養う第一歩です。・・健康を維持するためには、なにごとにおいても、「過ぎる」を避けるべきです。・・「過ぎる」と体力を消耗させ、抵抗力や自然治癒力が落ちてしまうからです。

・・・本来、70歳を過ぎたら、夜は8時から9時の間に眠り始めて、朝6時に起きるサイクルができあがるのが、健康的である証拠とも言えます。・・できれば毎日8時間以上、質のいい睡眠をとりたいものです。・・そのために必要なのは、静かに心を落ち着かせ、肉体を弛緩させること。

・・・細胞が老化しているかどうか、その目安となるのが爪の状態です。爪が軟弱になって割れやすくなってくると、老化の始まりです。

・・・血の巡りがよくなれば、気の流れ、水の流れもよくなります。・・運動をして血流がよくなると、栄養素や酸素が体の隅々にまで行き渡り、エネルギーが活発になります。代謝物も血液によって運ばれ、排出するので、体内に溜まりにくくなります。・・運動によって汗をかいていることが重要なのです。日常的に汗をかくと、汗とともに毒が排出され、毒が溜まりにくい体になるのです。・・筋肉が減ると代謝力が低下し、血流も悪くなります。すると、汚血の渋滞が起きやすくなるのです。

・・・五臓とは肝、心、脾、肺、腎の五つ、六腑とは大腸、小腸、胆、胃、三焦、膀胱の六つです。・・三焦とは、横隔膜より上部の「上焦」、横隔膜からへそまでの「中焦」、へそから下の「下焦」の総称です。

・・・気や血、水の通りが滞ると、さまざまな病が生まれます。その通り道の滞りを改善してくれるのが、鍼による治療です。

・・・365種の生薬を「上品(じょうほん)」「中品(ちゅうほん)」「下品(げほん)」に三つに分類している・・「上品」は生命を養い無毒で、長期間服用してもかまわないもの。・・「中品」は体力を養い、使い方次第で有毒にも無毒にもなるもの。・・「下品」はいわばくらいの低い「召使」に相当するランクの薬で、有毒なので長期間服用してはならず、病気になった時に使うものです。

・・・西洋医学の化学薬品は、対象となる症状や体の部位にピンポイントで効き目を発揮するように作られています。一方、漢方薬は体全体に作用し、結果として症状を緩和し、病気を治す働きがあります。そのため漢方薬と化学薬品では同じ効果を持つ薬でも、体への作用の仕方が違います。

・・・中国医学には「三通」という概念があります。身体を循環する「気」「血」「水」の三つの流れがスムーズであれば、健康は維持できるという考え方です。「気」とはわかりやすく言えば、エネルギーや生命力そのものと言ってもいいでしょう。・・「血」は血液循環に加え、血液の状態や造血機能の状態などをさします。・・「ドロドロ血液」より、さらに悪い状態が「汚血」です。ドロドロで流れにくいばかりでなく、不純物、老廃物を含んでいます。・・「水」とは体液のことです。体液には、リンパ液、細胞外液などがあり、体内を循環して関節の動きや体温調節も助けます。・・「気」「血」「水」の三通は、単独で成り立つものではなく、お互いに密接な関係を保っています。・・この三通のバランスは、ちょっとしたことで崩れます。ストレスや疲労で免疫力が低下すれば、「水」の流れが悪くなり、「血」の巡りも滞り、「血色が悪い」状態になるのです。・・「気」「血」「水」のバランスがとれ、すべて滞らずスムーズに流れているのが「健康」な状態です。

・・・汚血が溜まりやすい場所は、・・後頭部と頸椎の間、耳と目と咽頭の三角地帯、頭蓋骨の空洞、背中、両脇下、肩甲骨の周辺、肩甲骨と胸椎の間、腰椎の両脇、骨盤の上部、大小関節の隙間などです。なかでも背中は、汚血のタンクとでもいうべき場所。

・・・鍼灸の原理は、体内にたまっている毒素の塊を散らしてやっつけます。・・体内毒素は、生活していると知らず知らずのうちに硬くなり潜んでいます。それをまず散らす必要があります。そのために役立つのが運動をする、マッサージをする、鍼灸をする、という方法です。

・・・すべての基本となるのが肝臓です。肝臓を助ける生薬として、一番効果があるのが、熊胆と牛黄です。』

2020年4月 5日 (日)

脳パフォーマンスがあがるマインドフルネス瞑想法 (吉田昌生著 主婦の友社)

キンドルで安売りしていたので、気軽に購入してみたのですが、たいへんわかりやすく、私の座禅などに対する理解も深めることができました。

『・・・マインドフルネスとは、「今」という瞬間に常に注意を向けて、「あるがまま」を観察する「気づき」のトレーニングです。

・・・リラックスしながら、「集中する」と「集中が切れたことに気付く」を繰り返すことで、一点に注意を集中させる力が鍛えられます。

・・・考えすぎることが減ります。また、気付く力(アウェアネス)が高まり、ストレスを感じるような思考自体が減っていきます。

・・・特に、就寝前に瞑想してから寝ると、一日に起こった様々な出来事が一度リセットされるので、翌朝すっきり目覚めることができます。・・瞑想を習慣化していくと、脳の構造が変わります。恐怖や不安を感じる部位(扁桃体)が小さくなり、イライラや恐怖、不安とうまく付き合えるようになります。・・自分の中で起こっていることに気付く力(アウェアネス)が高まります。

・・・瞑想は心身がリラックスしていながら覚醒した状態

・・・慈悲の瞑想を習慣化すると、幸せホルモンのオキシトシンやセロトニンなどが分泌され、自然治癒力が向上し、生理不順、更年期障害、ホルモンバランスにも良い影響を与えます。

・・・脳の神経回路は、意識的、意図的なことをしていない時でも常に働いています。これを「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」といいます。DMNとは、車に例えるとアイドリング状態のこと。・・DMNが過剰に働き続けると、無意識のうちに未来について考えて不安になったり、過ぎ去ったことを思い出して後悔したりするようになります。脳のアイドリングが激しくなると、怒り、後悔、不安、心配、嫉妬、悲しみ、優越感や劣等感を感じる思考が癖になり、心がゆらいで、不安定になります。

・・・マインドフルネスでは、普段は一体化している自分の身体の感覚や心(思考や感情)を、少し引いたところから、観察していきます。今に意識を向けることで、不安や後悔を生む妄想が止まります。・・マインドフルネスを実践すると、ストレスに対する過剰な反応を抑えられ平常心を保ちやすくなるのです。

・・・近年の研究で、私たちは一日の半分近くの時間を、無意識の自動思考状態(マインドレスネス)で過ごしており、それによりストレスを感じていることが明らかになってきました。

・・・この無意識の自動思考が過剰にネガティブに偏ると、心身の健康や、仕事や人間関係に悪影響を及ぼします。

・・・「思考」は「私」の一部でしかありません。心には大きく分けて二つの領域があります。マインド(考える)とハート(感じる)です。この二つは反比例する関係にあります。・・100%何かを感じているとき、感覚に意識を集中させているときには、思考がオフになります。それとは逆に、何かを考えているときには、感じるセンサーが鈍ります。・・100%感覚に集中したとき、思考は静まります。感覚に意識を向けることで、心の動きが静かになり、心身の一体感が増してきて、安定していきます。だから、瞑想では感覚に意識を向けることを大切にします。・・考えないようにしよう!無我になろう!とするのではなく、感覚に意識を向け続けることで、結果として訪れるものです。瞑想は、マインド(考える)をしずめて、ハート(感じる)を活性化させる時間と言えます。

・・・瞑想や日常生活で今この瞬間、自分の内側と外側で起こっていることを自覚する力(メタ認知能力)を鍛えるメンタルトレーニングであるともいえます。・・気付くことで自分の心を浄化することができるからです。・・・子どものときのように、まっさらな心で、世界をありのまま見ることが難しくなってくるのです。だから、ときおり、自分の心を観察する必要があるのです。一般的な瞑想(サマタ瞑想)では、呼吸をコントロールして、一点に集中します。対象に極度に集中した状態を作り、この集中力が強くなり、長続きするようになると、心の動きが止まります。・・気付くことで、自分の心の癖やパターンがわかり、それを変えることができるのです。

・・・マインドフルネス瞑想でやることは、意識を「今ここ」に向けて、心が「今ここ」から離れたことに気付いたら戻し、また離れたら気付いて戻しを繰り返す、これだけです。

・・・基本は、呼吸です。呼吸の身体感覚に意識を向けて、意識が別のところに行ったら「ハッ」と我に返って「戻す」、というのを繰り返していきます。その繰り返しによって、「注意する力」と、注意がそれたことに気付く「メタ注意」(自分を越えた視点)が養われ、集中力が長続きするようになります。

・・・「今、ここ」とは、瞬間、瞬間に、注意を向け続けること。一つの瞬間から次の瞬間へと、気付きが連続していくことが大切です。

・・・ジャッジしないとは、快、深い、よい、悪いなどの評価や判断をしないこと。・・音や感覚、その刺激のみを五感で受信し、その感覚刺激からイメージやや判断、解釈に発展させないように気を付けましょう。脳を受信専用に切りかえるイメージで、その刺激だけを受け取り続けていきます。・・ジャッジしないとは、「受容」すること・・「痛み」や「かゆみ」などの不快な感覚も、その感覚がそこにあるのを許し、そのままにしておきましょう。

・・・思考に気付いて手放す、これを繰り返すことで、思考を、空の雲のように自分と関係なく流れるものと見なす視点(脱同一化)が養われます。

・・・マインドフルネスでは、自分と思考・感情を同一視しません。自分の心を客観的に見つめていきます。思考「そのもの」ではなく、その思考を観察する側にいます。・・この脱同一化を理解するために、仏教や禅では、無我(これは「私」ではない)と教えます。また、ヨガでは、思考や感情は「偽の」自分で、「本当の」自分(真我)は観察している意識(アウェアネス)であると表現します。・・思考と自分を区別できていない人は、自分の考えが真実の自分であると思い込んでしまいます。思考と自分を区別できるようになると、心を上手に使うことができるのです。

・・・止の瞑想(集中瞑想)・・一つの対象を決め、そこに意識を集中させる瞑想です。基本的に意識を向ける対象は呼吸です・・観の瞑想(観察瞑想)・・開放的な注意(オープンモニタリング)です。注意を一つの対象に定めずに広げていき、皮膚の内側と外側で起こっていることをあるがまま観察する瞑想です。・・慈悲の瞑想・・思いやりを養い、心を理想的な状態に維持する瞑想です。瞑想を深める穏やかな心を育みます。他人の幸せを願うと、幸福感が高まります。

・・・私たちの日常行動は、そのほとんどが自動化して、無意識にやっているのです。では、どうやってパターンを変えるのか?それは、自覚することです。つまり、「無意識の意識化」です。

・・・自動的にわいてくる思考に気づいて、疑ってみることで、自分を苦しめるイメージや考え方と「脱同一化」することができます。

・・・この自覚という能力は人間だけが持つ、特別な能力です。・・この力があるおかげで人間は進化してきました。

・・・身体の感覚を基本としながら、少しずつ注意の対象をずらし、思考や感情など心まで観察していきます。慣れてきたら注意の対象を広げ、徐々にパノラマ的な注意に切りかえていきましょう。注意の対象を替えたり、範囲を広げたりすることで、柔軟な心を養います。

・・・大切なことは、何もしないことです。考えたり、がんばったり、呼吸を操作したりせず、瞬間、瞬間、自分の外側と内側で起こっていることに気づき、あるがままを観察します。・・さらに慣れてきたら、注意の対象を開放していきます。意識を空間全体に広げていきましょう。・・瞑想をしているという意識も手放して、ただ存在していることを意識します。

・・・マインドフルネス瞑想では「注意の質」を大切にしていきます。呼吸はゆっくりでなくても、浅くてもかまいません。一つ一つの呼吸に気づいていることが重要です。

・・・思考や感情がわいてきたことに気づいたら、「雑念」もしくは「妄想」とラベリングします。まるで、思考や感情にペタッとラベルを貼るようなイメージです。すると、その感情や思考を対象化することができ、自分と思考や感情の間に少し距離ができます。

・・・身体にかゆみや痛みを感じたときは、瞬間的に無意識のままその感覚に対して反応せず、その感覚を客観的に観察します。

・・・瞑想で大切なのは、ジャッジしないこと、出来ていない自分を責めないこと。うまくいっているときも、うまくいっていないときも、どちらも認めることが大切です。

・・・マインドフルに自分が感じている感情に対して共感的に接していくことで、自己受容が深まり、自分のBeingを強めることができます。

・・・「深める練習」とは、ちゃんと時間をとってヨガや瞑想の時間を持つこと、「正式な練習」といってもいいかもしれません。一方で、マインドフルネスには「広げる練習」もあります。瞑想で深めた感覚を日常生活でも意識すると、「広げる練習」になります。

・・・90歳以上の方に「90年の人生を振り返って、後悔していることは何ですか?」というアンケートをとったところ、90%以上の人が同じ答えをしたそうです。「もっと冒険をしておけばよかった」

・・・人生を変えたいと思ったら、現状の価値判断の基準を知り、それを変えることが大切です。

・・・本当の幸せは、今やっていることに心を込めることで内側からわいてきます。何かを得るためでなく、その行為そのものが喜びになるのです。

・・・人は成長するにつれ、「価値観」も変化していきます。「価値観」が変わり続けることで、人は成長しているのです。・・何を優先するかは、人生のフェーズにおいて変わります。

・・・瞑想で自分の心を観察すると、いろいろな自分がいることに気づきます。・・そのどれも大切な自分の一部であるのですが、湧いてくる欲求や感情のままに生きると、エネルギーが分散しがちです。

・・・別々の価値観を持った者がともに協力し合って生きていくうえで、それぞれの価値観と結びつけ、方向性、ベクトルを合わせることが重要です。

・・・瞑想は本来、出家者が煩悩を手放し悟る(解脱)ための精神鍛錬法です。

・・・人がチャレンジできない原因は、失敗が怖いからです。そして、失敗を恐れる理由は、自己受容できていないからです。・・自己受容とは、ありのままの自分を受け入れることです。』

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