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2020年2月11日 (火)

リーダーのための「人を見抜く」力 (野村克也著 詩想社)

野村克也氏が逝去されました。野村氏の著作ではいろいろなことを学び、まだまだ野村氏の経験に基づく深い考えを知りたかったので、大変残念です。昨日も氏の著作についてアップしたのですが、御冥福を祈りつつ、少し前に読み終えた別の著作についても急いでアップすることにしました。こちらも大変勉強になる内容でした。

『・・・選手観察をして、一人ひとりの性格や人間性にあった育て方、起用が必要となってくる。

・・・私は常々「鈍感は悪である」と言い続けてきた。はっきり言って、鈍感な人間は何をやってもダメだ。「感じる力」がないと、人は伸びていかないのだ。・・どんな世界でも同じだと思うが、やはり自分の頭を使って考えるやつが伸びていくものだろうし、それが「感じる」ことのできる人間なのだ。

・・・失敗をしてベンチに戻ってくるときの、選手の表情を私は横目でしっかり見ている。本当に悔しがっているのか、それともあまり感じていないのかという点を見ているのだ。悔しがっている選手は必ず伸びていく。・・何が失敗をする。そのときに悔しさを感じられる人間だけが伸びていく。だからこそ、リーダーは部下が失敗したときこそ、その一瞬の表情を見逃してはならない。

・・・「人をダメにする方法、それは褒めることだ」と常々言っているくらいで、まず、選手を褒めることをしない。的確なタイミングで褒めない限り、褒めるということは、その人間を潰しかねないと考えているのだ。・・まず、入団したての選手は「無視」の段階だ。・・ようやく実力がついてきて、一軍に上がれるような段階になると、それは「省さん」のステップだ。指導者もその人間の努力を認めてやり、よく頑張っていることを褒めてやる必要がある。・・やっと監督に認められたと、さらなるやる気につながっていく。・・その後も順調に成長し、チームの主軸にまで成長したとしたら、そこからは「非難」の段階だ。どんな人間でも、常に向上心を持ち続けることは難しく、気が緩むときがある。・・指導者は非難することでそういった選手に気付かせ、育てる必要があると考えている。・・指導者が「ほめる」には、タイミングを見極めなければならない。ちょうどその相手が、実力をつけ始めた時期、そこでその人間のやる気を後押ししてやるように褒めることが大事なのだと私は考えている。

・・・個人差はあるが、努力の効果は必ず出るものだと私は考えている。・・忍耐強く歩み続けられる不器用人間こそ、実は成功への近道を歩んでいるのではないかと私は考えている。

・・・聞いていないようなふりをしながらさりげなく近くで会話の内容や受け答えの仕方を見る。・・このような情報は、なまじ監督の私がコミュニケーションを取るより、ちょっと離れたところから観察しているほうが得られやすい。

・・・個人の目標しか話さない選手たちのいるチームは、強くなることはあり得ない。強い組織とそうでない組織との差は、こうしたところから読み取ることができる。

・・・いまの若い選手は、何をモチベーションにして頑張っていけばいいのだろうか。私はそれは「人に対する感謝の気持ち」だと考えている。・・「感謝の心」こそ、感じる力の源ではないだろうか。

・・・さらにその下には「超二流」がいるが、彼らは努力はしているものの、突き抜けることができないタイプだろう。・・そういったタイプの選手は、基本的に鈍感人間だ。もう一歩成長するために、自分に何が足りないのか。どうすれば自分はレギュラーとして、生き残れるのか。感性の鋭い人間であれば、自分なりの生き残りの術に気付き、試行錯誤しながら成長していくことができるのだ。この部分に欠けているのが、このタイプの選手だ。

・・・二流選手とは、いい素質をもっているのに、努力もしないタイプ。・・こういった選手は、「自分の実力はこの程度だ」、「これくらい練習しとけばいいだろう」といった自己限定人間がほとんどだ。一流になる人は、絶対、満足しない。限定や満足がなく、常に「もっと」、「もっと」というタイプだ。ここが、一流と二流の大きな違いでもある。

・・・プロの高いレベルでの戦いになると、最後はそういった人間性の部分になってくるのだ。プロ野球選手の看板を外しても、一般の社会人として恥ずかしくない人間か。そういった部分が、野球における最終的な差になって表れてくるものなのだ。

・・・プロとは何かという問いに、私は「当たり前のことを当たり前にやることがプロである」と定義していた。プロであればできて当然のことは、きっちりでき、また難しいことも、さも簡単なことのようにこなしてしまう、それがプロだと思うのだ。・・「プロとして恥ずかしい」という、恥の意識がない人間は、伸びていかないものだ。「恥ずかしい」と思わない人間は、「まぁ、この程度でもいいだろう」という現状維持の意識につながっていく。現状に満足してしまった瞬間、人の成長は止まる。

・・・私は、8割がたは環境や育ちで、残り2割が持って生まれた素質、たとえば血液型などだと考えている。絶体絶命のピンチや、千載一遇のチャンスがやってきた際には、もって生まれた2割の部分が顔をのぞかせることが多い。そう考えている。

・・・リーダーたるもの、部下の成長に情熱を傾け、功は人に譲る精神を持つことが大前提だ。

・・・人に言われたからやるのではなく、自らやるものでなければ、プロの厳しい世界では生き残っていけない。

・・・結果を出して、生き残っていきたいと考えるなら、何かを変えなくてはならない。・・プレースタイルが変われば、必然的に練習方法やフォームなども変わるかもしれない。これら一連の変化こそ、「進歩」そのものだ。しかし人間にとっては、「変化」することは難しいことでもある。一般の社会においても自己変革ほど難しいものはない。

・・・ ・変化することは、進歩の証である。 ・変わることに楽しみを見出す ・変わることは何かを失うことではなく、何かを得ることだ

・・・目の前にある障害を乗り越えていくには、自分が変わるしかない。最大の障害は、実は自分自身のなかにあるのだ。

・・・長所はある程度放っておいても、時間とともに上達していくものだが、短所は意識して本格的に取り組まなければよくならない

・・・技術的限界を感じたところから、プロとしての本当の戦いが始まるのだ。限界を知って、初めて自分のもっている新たな可能性に気付くことができるのだ。・・限界にぶつかるということは、「自分を知る」ことでもある。・・技術的限界はあっても、挑戦するということにおいて限界はないということを知らなければならない。新たな可能性を探求することに限界はない。

・・・私は選手個々がプロとしての自覚を持ち、誰かに強制されるのではなく、自分の頭で考えながらレベルアップし、組織の勝利のために自主的にまとまっていって結果を勝ち取るような組織がベストだと考えている。アマチュアは強制でもいい。しかしプロは自主性の世界であるはずだ。

・・・ついアドバイスをしたくなるが、もし選手の成長を本当に願うのなら、選手自らが自分なりの答えを導き出すまで、先に指導者が答えを言ってはいけないのだ。・・コーチの最大の仕事は、選手が自分の力で正解を見つけられるように導くことだ。・・選手自身が自分で学び、選び取っていったものしか、身にはつかないものだからだ。

・・・素振りというのは単純作業で、面白みもなく即効性もないものだから、どうしても続かない。しかしその面白みのないものだからこそ、コツコツと続ければ絶大な効果があるものといえるのかもしれない。

・・・自分の思い込みで物事を見ていると、真実を見誤ることもある。

・・・指揮官として見極めるべきことは、アピールの上手、下手にかかわらず、その選手が地味な努力をコツコツ継続している人間かどうかという部分だと考える。・・「努力に即効性はない。効果が現れるのは個人差がある」ということを、ことあるごとに選手たちに説き続けることが大切だ。

・・・野球以外の技術や知識以外の教養や、社会人としての常識を身につけ、人間性を高めることの方が、引退後の人生にはよっぽどプラスなんだということを、選手たちによく言い聞かせていた。

・・・礼儀作法がなっていなかったり、生活態度がよくないような親だと、その選手もそういう部分を持っていることが多く、普段は気づかなくても、何かのタイミングでその本質があらわになることもある。

・・・不摂生な生活を続けることで、コンディション不良になって成績を残せなくなることだって考えられる。そうなると、やはり、早いうちに嫁さんをもらって、私生活の部分もケアしてもらった方が、選手生活にもプラスだと考えられるのだ。・・結婚をすれば家族を守り、養っていかなければならないという自覚がでてくるのは事実だ。そうした考え方ができることによって、落ち着きや安定感といったものが、自然と備わってくることもある。

・・・読書を通じて知った言葉の一つに、「鞍上(あんじょう)、厠上(しじょう)、枕上(ちんじょう)」という言葉がある。鞍上とは馬の鞍の上、いまでいう乗り物の中、厠上はトイレの中、そして枕上は枕元、つまり寝室である。人間はこうした場所にいるとリラックスし、じっくりと物事を考えることができるのだという。

・・・気をつけなければならないのは、目的意識もなく、ただ漠然と読んでいるだけでは意味がないということだ。私は常に野球を意識しながら「野球だったらどうなるか」と頭の片隅で考えながら読書をしていた。

・・・チームは機能性と協調性である。

・・・人間にはそれぞれ異なった個性や才能がある。それを指導者が正しく見抜いて、適してポジションに配置して、個々の果たすべき役割を明確にしてあげることが必要だ。

・・・奇襲作戦などは、相手チームとの実力差を考えたときに自チームが圧倒的に劣っている時しか必要性がない。実行に移しても、成功する確率は低くリスクは高い。むしろ大切なのは、「動くと見せかけて、相手を混乱させること」にあると考えていたのだ。

・・・監督と選手が親分・子分の関係をつくると、そのなかにいる選手だけで結束する。だが、派閥に入れなかった選手は疎外感を持つことになる。そこからチームの結束力が崩れることもある。・・特に監督人事などは、派閥など情によって流されてはいけないものだ。適性のあるものがその任に当たらなければ、組織は必ず腐っていくことになる。

・・・私はいつも、一つだけ彼らに注意することがある。それは、「新しいチームでは自分の考えを言うとき、オレの名前は出すな。自分の考えとして話せ」ということだ。

・・・「非難」とは、チームの中心として活躍するようになった選手に対する、指揮官のあるべき態度だと考える。

・・・精神力さえあれば何事も可能になるというのは、合理的な工夫や努力を蔑ろにする考え方であるに違いない。

・・・「チームのために」という自己犠牲の精神と責任感をもてる人間こそが、チームリーダーにふさわしいのである。

・・・もっとも注意すべきことは、指導者は一切の固定観念や先入観を排除して選手を見なければならないということだ。

・・・私が生まれ育った時代のように、戦争によって食べるものがないという経験をしていると、毎日生きることに必死だから、食べるもの、見るもの、聞くもの、すべてに敏感になってくる。・・昔に比べて日本人の生活水準が上がった・・一方で人間が本来持つべき大切な感性を鈍らせてしまったと思えてならないこともある。』

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