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2020年2月

2020年2月22日 (土)

嶽神伝 風花(下) (長谷川卓著 講談社文庫)

この作品がシリーズの最終作となるので、読み終えてしまうのが惜しくて、なかなか手を付けられませんでしたが、ついに読み終えて爽やかな読了感を感じています。しばらくしたら、このシリーズを時系列でまた読み返してみようと思っています。

『・・・この世は何でできていると思うか、と空木に尋ねた。戸惑っている空木に幻庵が言った。「裏切りと諦めと忍耐、それに駆け引きだ」

・・・陣城とは、戦の時、攻めやすいように俄かに柵を設けたりすることで、戦が終わると取り壊された。

・・・狐は群れない。一生のうちの殆どを、ひとりで眠り、一人で過ごす。

・・・一冬を過ごすことは、それだけ大変なことなのだ。焚きつけの薪を用意する。鳥獣を獲り、薬草を摘み、街道の宿で、味噌、塩、米、蕎麦の実などと交換する。自分の食べる分は、茸や山菜を採って干す。足りないものは、宿などで贖うか交換する。それらを始めるのは秋風が立った頃では遅い。梅雨が明ける頃には始めなければ間に合わない。

・・・鍋に水を足し、日干しした昼顔の葉と茎を入れた。昼顔を煎じると、疲れをとる薬湯が出来る。』

2020年2月11日 (火)

リーダーのための「人を見抜く」力 (野村克也著 詩想社)

野村克也氏が逝去されました。野村氏の著作ではいろいろなことを学び、まだまだ野村氏の経験に基づく深い考えを知りたかったので、大変残念です。昨日も氏の著作についてアップしたのですが、御冥福を祈りつつ、少し前に読み終えた別の著作についても急いでアップすることにしました。こちらも大変勉強になる内容でした。

『・・・選手観察をして、一人ひとりの性格や人間性にあった育て方、起用が必要となってくる。

・・・私は常々「鈍感は悪である」と言い続けてきた。はっきり言って、鈍感な人間は何をやってもダメだ。「感じる力」がないと、人は伸びていかないのだ。・・どんな世界でも同じだと思うが、やはり自分の頭を使って考えるやつが伸びていくものだろうし、それが「感じる」ことのできる人間なのだ。

・・・失敗をしてベンチに戻ってくるときの、選手の表情を私は横目でしっかり見ている。本当に悔しがっているのか、それともあまり感じていないのかという点を見ているのだ。悔しがっている選手は必ず伸びていく。・・何が失敗をする。そのときに悔しさを感じられる人間だけが伸びていく。だからこそ、リーダーは部下が失敗したときこそ、その一瞬の表情を見逃してはならない。

・・・「人をダメにする方法、それは褒めることだ」と常々言っているくらいで、まず、選手を褒めることをしない。的確なタイミングで褒めない限り、褒めるということは、その人間を潰しかねないと考えているのだ。・・まず、入団したての選手は「無視」の段階だ。・・ようやく実力がついてきて、一軍に上がれるような段階になると、それは「省さん」のステップだ。指導者もその人間の努力を認めてやり、よく頑張っていることを褒めてやる必要がある。・・やっと監督に認められたと、さらなるやる気につながっていく。・・その後も順調に成長し、チームの主軸にまで成長したとしたら、そこからは「非難」の段階だ。どんな人間でも、常に向上心を持ち続けることは難しく、気が緩むときがある。・・指導者は非難することでそういった選手に気付かせ、育てる必要があると考えている。・・指導者が「ほめる」には、タイミングを見極めなければならない。ちょうどその相手が、実力をつけ始めた時期、そこでその人間のやる気を後押ししてやるように褒めることが大事なのだと私は考えている。

・・・個人差はあるが、努力の効果は必ず出るものだと私は考えている。・・忍耐強く歩み続けられる不器用人間こそ、実は成功への近道を歩んでいるのではないかと私は考えている。

・・・聞いていないようなふりをしながらさりげなく近くで会話の内容や受け答えの仕方を見る。・・このような情報は、なまじ監督の私がコミュニケーションを取るより、ちょっと離れたところから観察しているほうが得られやすい。

・・・個人の目標しか話さない選手たちのいるチームは、強くなることはあり得ない。強い組織とそうでない組織との差は、こうしたところから読み取ることができる。

・・・いまの若い選手は、何をモチベーションにして頑張っていけばいいのだろうか。私はそれは「人に対する感謝の気持ち」だと考えている。・・「感謝の心」こそ、感じる力の源ではないだろうか。

・・・さらにその下には「超二流」がいるが、彼らは努力はしているものの、突き抜けることができないタイプだろう。・・そういったタイプの選手は、基本的に鈍感人間だ。もう一歩成長するために、自分に何が足りないのか。どうすれば自分はレギュラーとして、生き残れるのか。感性の鋭い人間であれば、自分なりの生き残りの術に気付き、試行錯誤しながら成長していくことができるのだ。この部分に欠けているのが、このタイプの選手だ。

・・・二流選手とは、いい素質をもっているのに、努力もしないタイプ。・・こういった選手は、「自分の実力はこの程度だ」、「これくらい練習しとけばいいだろう」といった自己限定人間がほとんどだ。一流になる人は、絶対、満足しない。限定や満足がなく、常に「もっと」、「もっと」というタイプだ。ここが、一流と二流の大きな違いでもある。

・・・プロの高いレベルでの戦いになると、最後はそういった人間性の部分になってくるのだ。プロ野球選手の看板を外しても、一般の社会人として恥ずかしくない人間か。そういった部分が、野球における最終的な差になって表れてくるものなのだ。

・・・プロとは何かという問いに、私は「当たり前のことを当たり前にやることがプロである」と定義していた。プロであればできて当然のことは、きっちりでき、また難しいことも、さも簡単なことのようにこなしてしまう、それがプロだと思うのだ。・・「プロとして恥ずかしい」という、恥の意識がない人間は、伸びていかないものだ。「恥ずかしい」と思わない人間は、「まぁ、この程度でもいいだろう」という現状維持の意識につながっていく。現状に満足してしまった瞬間、人の成長は止まる。

・・・私は、8割がたは環境や育ちで、残り2割が持って生まれた素質、たとえば血液型などだと考えている。絶体絶命のピンチや、千載一遇のチャンスがやってきた際には、もって生まれた2割の部分が顔をのぞかせることが多い。そう考えている。

・・・リーダーたるもの、部下の成長に情熱を傾け、功は人に譲る精神を持つことが大前提だ。

・・・人に言われたからやるのではなく、自らやるものでなければ、プロの厳しい世界では生き残っていけない。

・・・結果を出して、生き残っていきたいと考えるなら、何かを変えなくてはならない。・・プレースタイルが変われば、必然的に練習方法やフォームなども変わるかもしれない。これら一連の変化こそ、「進歩」そのものだ。しかし人間にとっては、「変化」することは難しいことでもある。一般の社会においても自己変革ほど難しいものはない。

・・・ ・変化することは、進歩の証である。 ・変わることに楽しみを見出す ・変わることは何かを失うことではなく、何かを得ることだ

・・・目の前にある障害を乗り越えていくには、自分が変わるしかない。最大の障害は、実は自分自身のなかにあるのだ。

・・・長所はある程度放っておいても、時間とともに上達していくものだが、短所は意識して本格的に取り組まなければよくならない

・・・技術的限界を感じたところから、プロとしての本当の戦いが始まるのだ。限界を知って、初めて自分のもっている新たな可能性に気付くことができるのだ。・・限界にぶつかるということは、「自分を知る」ことでもある。・・技術的限界はあっても、挑戦するということにおいて限界はないということを知らなければならない。新たな可能性を探求することに限界はない。

・・・私は選手個々がプロとしての自覚を持ち、誰かに強制されるのではなく、自分の頭で考えながらレベルアップし、組織の勝利のために自主的にまとまっていって結果を勝ち取るような組織がベストだと考えている。アマチュアは強制でもいい。しかしプロは自主性の世界であるはずだ。

・・・ついアドバイスをしたくなるが、もし選手の成長を本当に願うのなら、選手自らが自分なりの答えを導き出すまで、先に指導者が答えを言ってはいけないのだ。・・コーチの最大の仕事は、選手が自分の力で正解を見つけられるように導くことだ。・・選手自身が自分で学び、選び取っていったものしか、身にはつかないものだからだ。

・・・素振りというのは単純作業で、面白みもなく即効性もないものだから、どうしても続かない。しかしその面白みのないものだからこそ、コツコツと続ければ絶大な効果があるものといえるのかもしれない。

・・・自分の思い込みで物事を見ていると、真実を見誤ることもある。

・・・指揮官として見極めるべきことは、アピールの上手、下手にかかわらず、その選手が地味な努力をコツコツ継続している人間かどうかという部分だと考える。・・「努力に即効性はない。効果が現れるのは個人差がある」ということを、ことあるごとに選手たちに説き続けることが大切だ。

・・・野球以外の技術や知識以外の教養や、社会人としての常識を身につけ、人間性を高めることの方が、引退後の人生にはよっぽどプラスなんだということを、選手たちによく言い聞かせていた。

・・・礼儀作法がなっていなかったり、生活態度がよくないような親だと、その選手もそういう部分を持っていることが多く、普段は気づかなくても、何かのタイミングでその本質があらわになることもある。

・・・不摂生な生活を続けることで、コンディション不良になって成績を残せなくなることだって考えられる。そうなると、やはり、早いうちに嫁さんをもらって、私生活の部分もケアしてもらった方が、選手生活にもプラスだと考えられるのだ。・・結婚をすれば家族を守り、養っていかなければならないという自覚がでてくるのは事実だ。そうした考え方ができることによって、落ち着きや安定感といったものが、自然と備わってくることもある。

・・・読書を通じて知った言葉の一つに、「鞍上(あんじょう)、厠上(しじょう)、枕上(ちんじょう)」という言葉がある。鞍上とは馬の鞍の上、いまでいう乗り物の中、厠上はトイレの中、そして枕上は枕元、つまり寝室である。人間はこうした場所にいるとリラックスし、じっくりと物事を考えることができるのだという。

・・・気をつけなければならないのは、目的意識もなく、ただ漠然と読んでいるだけでは意味がないということだ。私は常に野球を意識しながら「野球だったらどうなるか」と頭の片隅で考えながら読書をしていた。

・・・チームは機能性と協調性である。

・・・人間にはそれぞれ異なった個性や才能がある。それを指導者が正しく見抜いて、適してポジションに配置して、個々の果たすべき役割を明確にしてあげることが必要だ。

・・・奇襲作戦などは、相手チームとの実力差を考えたときに自チームが圧倒的に劣っている時しか必要性がない。実行に移しても、成功する確率は低くリスクは高い。むしろ大切なのは、「動くと見せかけて、相手を混乱させること」にあると考えていたのだ。

・・・監督と選手が親分・子分の関係をつくると、そのなかにいる選手だけで結束する。だが、派閥に入れなかった選手は疎外感を持つことになる。そこからチームの結束力が崩れることもある。・・特に監督人事などは、派閥など情によって流されてはいけないものだ。適性のあるものがその任に当たらなければ、組織は必ず腐っていくことになる。

・・・私はいつも、一つだけ彼らに注意することがある。それは、「新しいチームでは自分の考えを言うとき、オレの名前は出すな。自分の考えとして話せ」ということだ。

・・・「非難」とは、チームの中心として活躍するようになった選手に対する、指揮官のあるべき態度だと考える。

・・・精神力さえあれば何事も可能になるというのは、合理的な工夫や努力を蔑ろにする考え方であるに違いない。

・・・「チームのために」という自己犠牲の精神と責任感をもてる人間こそが、チームリーダーにふさわしいのである。

・・・もっとも注意すべきことは、指導者は一切の固定観念や先入観を排除して選手を見なければならないということだ。

・・・私が生まれ育った時代のように、戦争によって食べるものがないという経験をしていると、毎日生きることに必死だから、食べるもの、見るもの、聞くもの、すべてに敏感になってくる。・・昔に比べて日本人の生活水準が上がった・・一方で人間が本来持つべき大切な感性を鈍らせてしまったと思えてならないこともある。』

2020年2月10日 (月)

侍ジャパンを世界一にする!戦略思考 (野村克也著 竹書房)

久しぶりに野村元監督の著作を読んでみました。指揮官としての考え方に色々と学ぶところが今回もありました。

『・・・今、日本のプロ野球は何をすべきか。それは、アメリカを倒すことである。メジャーリーガーとお互いに本気で戦って、日本が勝つこと。日本のプロ野球の価値観をメジャーリーグに負けないものにしないかぎり、いまの流れは止められないのだ。

・・・勝負の世界において真の勝者とは、「なぜ勝ったのか」「なぜ負けたのか」を正しく分析し、反省して、それを踏まえて次の戦いに挑むものを言う。・・組織論として考えるべきは、どんな場合でも、トップリーダーの力量である。リーダーの力量以上に組織は伸びない。

・・・勝負の世界において、経験に勝るものは何一つない。

・・・どんなに優秀で人格者だったとしても、監督の器であるとは限らないのだ。

・・・監督になった人がどういう野球観を持っているかは、やはり自分が現役時代にどういう視点でプレーしていたかということが原点となる。

・・・短期決戦であるから、いかに相手の弱点を早く見出して対処するかが勝負を決める。

・・・毎試合ごとに想定野球、本番、反省野球の三試合を行った。1シーズン130試合の時代は毎年、そうやって390試合を重ねていたわけだ。

・・・いつでもだれでもプロ野球全球団の細かいデータを入手できるようになった。しかしそういうデータから何を読み取るかという分析力で差が付く余地はまだまだ残っている。

・・・あのアメリカとの試合は、改めて日米のパワーとスピードの差を痛感させられるものだった。そういう目に見える力の差を補って勝つためには、目に見えない力、つまり無形の力を総動員して戦わなければいけない。

・・・人間は楽をしたいという本能を持っている。・・トップが楽な方向を目指したら、組織はダメになる。・・たとえ苦しい道であっても、1対0で勝てる野球を目指していれば、そういう間違いは起こさないのだ。

・・・日本シリーズはしばしば「キャッチャー対決」などと呼ばれてきた。両チームのキャッチャーはシリーズに備えて、穴が開くほどデータを見つめて相手の各バッターの弱点や特徴をつかみ、味方ピッチャーの特徴を考えて傾向と対策を分析して攻略法を考える。みなそうやって、開幕前から頭が痛くなるような思いをしているのだ。

・・・キャッチャーが配球のコツというものをマスターするには、失敗の許されない試合でマスクをかぶってサインを出して、痛い目にあったり何とか抑えたりという経験を繰り返すことが一番の薬なのだ。

・・・野球場のベンチというのは、ただ休憩する場所ではなくて、試合の流れの中で次に起こりえることへ備えるための場所であり、監督やコーチが選手に現場教育をするための場所なのだ。

・・・「失敗」と書いて「成長」と読む。ただし、根拠なき失敗に成長はない。その失敗にも根拠さえあれば、私は一切、文句を言わない。だが、根拠のない失敗だけは容赦しなかった。

・・・大事な試合の勝負どころで自分がピッチャーにどんなサインを出すかということが冴えてくると、バッティングにもそれが活かされて好結果につながってくるのがキャッチャーという人種なのだ。

・・・観察力、洞察力、情報収集力、分析力、判断力、思考力、記憶力、感性といった目に見えない力を磨いてチーム力をアップする。

・・・人間の最大の悪は鈍感である。私は常々そう言ってきた。人間にとって、感性が優れているということは、大きな力となる。

・・・かつての監督たちには、それなりの器というものがあった。ベンチに監督が座っているだけで、選手たちがピリッとするような存在感や重みがあった。ところがいまは、みな軽量級である。いったいどうしてこんなことになってしまったのか。その理由はいくつかある。まず我々世代の監督経験者が次世代の人材育成をしっかりできていなかったことだ。・・「人間教育」や「管理」という面が次第に風化していき、そうした教育をする人も受ける人も減っていってしまい、指導者然とした監督がいなくなっていったのだ。・・そういうことをうるさく言いたがらない監督や言う術もない監督が増えてしまったから、選手たちが何も知らないまま、ただ野球だけをやっていればいいとさえ思うようになったのだ。

・・・4球団で監督を務めたが、常に念頭にあったのは「人を残す」ということ、つまり、いかに人材を育成するということだった。

・・・監督は選手がプレーをしやすいように導いてあげるのが一番大事な役目である。本来、監督は「自分は裏方だ」という自覚が必要なのだ。

・・・「人望がある」というよりも、権力を持っている人に気に入られたり、取り入ったりするのが得意で、権限のある人に自分を売り込むのが上手い。つまり処世術が優れているのだ。

・・・本来、ヘッドコーチの資質として必要なのは、細事小事に目が届くことだ。・・どのチームもおおまかなところは変わらない。敵も味方も同じようなことを考え、似たような野球をやろうとしている。では、どこで両者の差が出るかと言えば、やはり細事小事に目が行くかどうかなのだ。だからこそ細事小事に行き届くヘッドコーチは重要な戦力なのである。

・・・ピッチャーにはピッチャーにしかわからないことがたくさんある。ピッチングコーチの仕事というのは、まさにそこにある。

・・・指導者に必要なことは、正しい理論や技術を言葉で伝える能力だ。

・・・監督たるもの、選手に「話が長いなあ」と感じさせるような冗長な話ではなくて、選手に響くような的確な話ができれば、「長い」と感じさせることなどないのだ。選手の受けを狙う必要はないが、興味深くて飽きさせない話ができるようでなければいけない。

・・・私は現役時代、よく森祇晶とこんな話をした。「川上監督って、どんなミーティングをするんや?」「野球の話は、ほとんどしないよ。野球の話は牧野コーチたちに任せて、監督は人間教育の話ばかりだよ」 私はヤクルトの監督になったとき、まさにそういう川上監督の姿勢をお手本にしようと思っていた。野球以前に大切なのは、川上監督のように人間学や社会学を選手に教育することなのだ。

・・・人間は感情の生き物である。その選手の感情をどう動かすかというのが、監督の腕の見せ所なのだ。そして、選手の感情を動かすのは、言葉の力だ。

・・・そういう貴重な人材を潰してしまうことがないように、指導者としての教育を受けさせてから監督にするべきだ。

・・・「人には添うてみよ、人には会ってみよ。馬には乗ってみよ」という言葉がある。外見や印象や噂だけで判断しないで、実際に会って話してみなければ、その人の本当のことはわからない。

・・・サッカーは、指導者になるためのライセンス制度がしっかりしている。どんなにJリーグや海外のチームで活躍した選手であっても、指導者になるための講習を受け、資格を得なければ、基本的には監督やコーチになることができない。しかも、プロの選手への指導者だけでなく、下部組織のコーチや監督もそのライセンスがなければ指導することはできないのだ。

・・・どんな言葉をかけてあげれば、この選手は自信を持てるようになるのか。どういうタイミングで言葉をかけてあげれば自身がつくか。それを見極めるためには、そのときだけでなく、いつでも選手をよく観察していなければいけない。・・自信がない選手には自信を育ててやり、うぬぼれている選手は引き締める。それが監督の大事な務めなのだ。

・・・力はあるのに自信を持てない選手というのは、とても真面目な人が多い。そういう人には、褒めて自信を育ててあげることが必要なのだ。

・・・そうボヤいていたら、プレイボーイで知られている人に、こう言われた。「監督は女性を褒めないからモテないんですよ。女の人は、何でもいいから褒められたいんです。顔かたちやスタイルだけでなくても、『その髪型よく似合うね』とか『その洋服、かわいいね』と言ってあげれば喜ぶし、好かれるんですよ。男の顔なんて、たいして関係ないんです」』

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