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2020年1月 2日 (木)

嶽神伝 鬼哭(下) (長谷川卓著 講談社文庫)

令和2年になりました。読んでいただいている方々、本年もよろしくお願いいたします。

今年最初の投稿は、嶽神伝の続きです。この書になぜ「鬼哭」という題がつけられているのか、まだ分からないでいます。

また、著者にとっては、上杉謙信は矛盾に満ちた、奇人と映っている様で、彼に畏敬の念を持っている私には別の視点を与えてくれました。

『・・・「分からぬ男よの。一方で、京でばらまく金を作るため、段銭(税)を取り、領民を苦しめるかと思うと、一方で義を唱える。私欲に走るな。無欲であれ、ともな。これでは豪族どもの中には特進出来ぬ者も出て来るはずだ。そこを信玄に狙われ、調略されるのだが、義の御方には分からぬであろうな」

・・・しかし、何よりも気にいっているのは、ぎざぎざとした鋸のような葉の有り様であった。このぎざぎざとした葉が、老木となると丸くなる。人も斯くありたいものよな、と雪斎に言ったことがあった。

・・・今川家は足利将軍家に繋がる名家として、輿に乗る許しを得ていた数少ない大名家のひとつであった。

・・・「御館様にはこの次があるが、儂らにはこの次はないのだ。それが、臣従している者の有り様というものなのだ・・・・」

・・・「≪戦働き」で頭角を現す方は、強欲な方か、頭より体が先に動く方です」無坂が言った。

・・・「いよいよだな」 勘助が、美味そうに杯の酒を飲み干した。勘助からは、己の死に場所に行き着こうとしている焦燥など微塵も感じられなかった。

・・・ただ景虎という奇人は、己は損得抜きで義のために戦っているのだから、弾などに当たるはずがない、と思い込んでいたのだろう。その思い込みが外れた時は死ぬだけである。死んだら、後は任せる。勝手だが、それが景虎という男だった。

・・・興奮の極みに達すると、采配を宇佐美定満や本庄実乃に託し、己は馬を駆って戦場を駆け回ってしまうのだ。実に始末が悪い。恐らく、戦国という時代にあって戦の最中に我を忘れるという大将は、政虎以外にはいないのではないか。信長も、桶狭間では兵のひとりとして斬り込み隊の先頭に立ったことはあったが、味方を鼓舞するためであった。我を忘れてはいない。

・・・鍋と器は、政虎が懐に収めていた川中島の大絵図の端を切って漏斗状に丸めたものを器にし、残りを折って鍋にした。紙であろうと、中に水気のものがあれば燃えない。草庵に被せる渋紙は、戦場には籠を持ち込めないので、月草と真木備が背帯に織り込んでいた。渋紙さえあれば、被れば雨除けになるし、敷けば濡れたところでも寝られる。山の者の心得としては、これだけは置いてくることは出来なかった。』 

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