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2019年12月

2019年12月30日 (月)

嶽神伝 鬼哭(上) (長谷川卓著 講談社文庫)

休みに入り、どんどん読み進めています。

見事な男たちの生き方です。

『・・・この時代、男の身長は、157、8センチメートルであった。ちなみに、豊臣秀吉は150から160センチメートル、徳川家康は156から160センチメートル、織田信長は165から170センチメートル くらいだと言われている。・・義元の176センチメートルに至っては、かなり背が高いことになる。

・・・「余程出来た者でないと、己が腕が上がると、周りの者を見下すようになる。一軍の大将になる者や、一国を統べる者には何が肝要か。人を打ち負かす力ではなく、人を使う力ではないか」

・・・無坂も、十を数える頃には、己の腹回りほどの太さの木なら斧で割っていた。その呼吸で鹿の首を刎ね、骨を断つのだ。すべてが生きてゆくことに繋がっているのだと知り、だからこそ日々の些事もおろそかにしないようになる。

・・・常市が言い、弥蔵とともに深く頭を垂れた。「死ぬのだぞ。弥蔵、其の方、死ぬには若いが良いのか」 「人は、いつか死にます。それが多少早いか遅いかに過ぎません。手前は己に恥じずに死ねますゆえ本望でございます。ただ、死ぬに際し、ひとつだけお願いがございます」 「申してみよ」 「これからは、里の戦を山に持ち込まぬよう、お願い申し上げます」・・「殺しても殺さぬでも、悔いは残る。ならば、人として、武士(もののふ)として、潔くありたいではないか。殺すと悔いが残る。それを一生引き摺るは苦しい」

・・・それはどこからきたのであろうの。山を慈しみ、山を敬い、山のために尽くすことを当然と思う。あの者の有り様からではないか。無坂と二ツ。あのふたりと同じように、弥蔵もまた私欲という桎梏の外にいるのであろうな。』

2019年12月29日 (日)

嶽神列伝 逆渡り (長谷川卓著 講談社文庫)

このシリーズの続きものですが、主人公がこれまでのわき役だった「月草」に代わっています。しかし、これまでの作品同様に、今にも通じる戦国時代のさまざまな事象、事柄が記されています。

『・・・離れたところでは大声を上げず、指で意図を告げる。山の者の遣り方だった。

・・・姫飯(ひめいい)は釜で炊いた柔らかな飯のことで、甑で蒸し炊いだ飯を強飯(こわめし)と言った。

・・・一人か二人の行(こう)ならば、引き回しだけで十分だったが、陣中は泥棒の巣である。他の者らとは隔絶しておく必要があった。

・・・何事はなくとも、陣中での飯は手早く済ませなければならない。

・・・陣中の朝は早い。丑の刻(午前二時)には一番貝が、寅の刻(午前四時)には二番貝が鳴り、行軍ともなれば寅の刻には出立する。

・・・盗人や溢れ者上がりの足軽には、端から敵も味方もない。金を持っているか、いないか、だ。だから、御領主様にしてみれば、危なっかしくて、とても傷の手当などには出せない、という訳だ。・・「では、盗みのために加わっていると?」楡が、辺りを見回した。 「順番を付けるなら、一番目を白い飯を腹一杯食うことだろうな。腹が満たされると、欲が出てくる。金か、金目のものを盗む。これが二番目だ。三番目は、勝ち戦に乗じて、敵の領地の女子供を攫い、連れ帰ることだ」

・・・「・・≪戦働き≫に出る度に、人は変わる。見てはいけないものを見るからだ。だが、二人とも、目を背けるな。」

・・・「石でやられた跡だ。武田が強いのは、騎馬ではない。石を投げる技があるからだ」・・「殺し合いの後始末をするのは、人ではない。蛆と、鼠と、山犬だ」 月草が言った。墓穴を掘り、埋めている暇もなければ、手も足りなかった。死体は打ち捨てるしかない。

・・・危難を招くことでもあったが、身体や着衣に染み付いた死臭を洗い落とすには灰で洗うしかなかった。

・・・生きるために渡るのに対し、仲間との再会を期さず、死に向かって一人で渡ることを、山の者は≪逆渡り≫と言った。

・・・「里を治めたとて、天下を取ったことにはならぬ、か」 「里よりも山の方が、深く、広いですから」

・・・小枝を折り、火床にくべた。炎が巻き付いている。小枝は赤い棒になり、崩れて落ちた。また小枝をくべた。野鼠が梟にでも襲われたのだろう。鋭い泣き声が聞こえた。この静けさの中でも、命の遣り取りは行われているのだ。

・・・道具探しを切り上げた月草は、薪作りに掛かった。春までに燃やす薪の量は、小屋一杯分は要る。伐り出し、軒下に積み上げておかなければならない。それが、雪囲いにもなり、熱を外に逃さぬ壁にもなるのだ。

・・・山が水を吸い過ぎているのだ。渋紙があろうと、濡れた落ち葉を敷いては眠れない。身体を芯から冷やしてしまう。乾くのを待たなければならなかった。

・・・出立を、春先にやり過ごした後にしたのも、山の者としての知恵だった。今頃なら、熊と出くわしても、向こうが避けてくれるものだ。

・・・戸を押した。雪に埋もれた時の用心のために、戸は必ず内側に押し上げる形になっている。

・・・二十年ならば、俺はまだ八十前だ。無理な数字にも思えたが、彼らが来るまで、ここで墓守として生きよう。そのためにも薬草を採り、米と塩を欠かさぬようにし、薬湯を飲んで、身体をいたわらねばならない。』 

2019年12月26日 (木)

嶽神伝 孤猿(下) (長谷川卓著 講談社文庫)

題名の「孤猿」の意味は、最後まで読んで初めてわかりました。また、「嶽神伝」の表題の意味も何となく分かってきました。私にとってはいろいろと含蓄のある言葉がちりばめられています。

『・・・飛び加当、すなわち加当段蔵は、長尾家に仕官を申し入れた時の話によると、常陸国に生まれたと言う。

・・・湯気が甘く香っている。頃合いだな、と幻庵が言った。何事にも、頃合いがある。早過ぎてもならず、遅過ぎてもならず、難しいものだ。

・・・「敵に回らねばよいのでございますが」 「その心配は無用じゃ。二ツにせよ、無坂にせよ、あの者らには野心というものがない。そこが、恐ろしいところでもあるのだがな。

・・・「起きて半畳、寝て一畳。それだけあれば足りるのに、広いお屋敷に住んでいる御方のお言葉とも思え那せぬが」 うっ、と唸って無坂を見た勘助が、事ほど左様に、と言った。「己のことは見えぬものだ、と言いたかったのだ」

・・・冬虫夏草だった。この頃から初夏にかけて、蝉の幼虫などに寄生した菌が、宿主の養分を吸い取って殺し、茸となって地表に現れ出て来たものである。生薬屋に持ち込むと、高値で引き取ってもらえた。

・・・よいことを教えてやろう。戦う時は、貧しい者と戦うのだ。分限者と戦うてはならぬ。戦いは、蔵にどれだけの金と米があるかで決まるからな。

・・・「あの男は、これまでに二度晴信に勝っている。だから、まだ勝てる気でいるのかも知れぬが、負けていたはずの晴信は、衰えるどころか、周りの諸城を攻め落とし、確実に力をつけている。そこが、分かっておらぬのだ。もう二度と勝てぬと悟らねばな」 「越後と甲斐。どちらが勝つのでしょうか」 「両者は、ともに戦う時と所を知っている。ここが並の者どもとは違う。察するに、五分だな」 幻庵は茶を啜ると、だが、と言った。双方とも命を落とさなかった時は、晴信の勝ちであろうな。 「景虎は戦に勝つことしか考えぬが、晴信は目の前の戦に負けても、周りの豪族を切り崩して肥え太るという術を身に付けておるからな」

・・・「国主は虎である必要はないのだがの。手柄話を聞き過ぎると、碌なことにはならんでな」

・・・「今川は尾張まで攻め込むであろう。序でに、今川家発祥の地である、幡豆郡今川荘を手に入れるためにもな。発祥の地など、後でゆっくり取ればよいものをな」

・・・「・・・婚姻による絆は、青菜と同じでな、摘みたてでなければ直ぐに萎れてしまうのよ」

・・・「だからだ。百人が嘘を吐けば、ひとりの実は消されてしまうという話だ。」

・・・「負けると決まった戦いはございません。必ず勝機はどこかにあります。それを見つけられるか否かで勝敗は決まります」

・・・付城とは、向かい城とも言い、攻める敵城の動きを封じる働きをした。

・・・「運は引き寄せるもの。引き寄せるは、才覚ある者のみがなしうること、と雪斎様から教えられた。まさに、其の方がことと思うぞ」』

2019年12月20日 (金)

嶽神伝 孤猿(上) (長谷川卓著 講談社文庫)

前作からの続きでした。山の者たちの生き方がまさに生き生きと描かれています。

『・・・「しかし、鶴喰は扱いが難しく、気が向いた時にしか働かぬと聞いたことがございます」 「得てして、出来る者とはそのようなものだな」

・・・山の形や、白い縞模様が入っていて、滝を思わせる石や、観音様に似た石があるだろう?」 「あるかもしれん」 「そうした形の面白い石を、水石と言うのだ」

・・・出掛けても日を置かずに戻る短い渡りを、≪山彦≫とか≪山彦渡り≫と言った。

・・・「お前はいつか、小頭か、それ以上の役に就き、巣雲を率いてゆかねばならん。それは、取りも直さず、≪集い≫の中心として働くということだ。何事があろうと、山の者に関わることは、細大漏らさず心に留め置かねばならん。忘れた、は二度と許されぬぞ」

・・・この時代、食事は、一日二回、辰の中刻(午前8時)と羊の中刻(午後2時)に摂るのが普通であったが、山の者は酉の中刻(午後6時)頃に、三食目を採っていた。それだけ身体を動かしていたのだが、三食を賄えるだけの食糧を山から得られたことにもよる。ちなみに、世間が皆三食になるのは、元禄(1688年から1704年)の頃である。

・・・山の者は木を削って作った槍を木槍、山刀と杖で作った槍を手槍と言った。

・・・「命を助けた者は、見守らねばならぬ、などがございます。これは、命を助けた者が真っ当に生きてゆくか見守ることです」月草が言った。「もしその者が、誤った生き方をした時は、何とするのだ?」「言うても聞かぬ時は、助けた責がございます。矯めねばなりません」

・・・「そうか。ひとには、世話をしたくなる奴とならぬ奴がいる。世話をしたくなる奴は、どこか真っ直ぐなところがある奴だ。二ツの背子、お前はこれからたくさんのひとに世話になると思う。心は汚すなよ」

・・・「使うか。気持ちがいいぞ」亦兵衛が無坂と二ツに柳の小枝を差し出した。「先の方を噛んでいると、口がすっきりするのだ」 ぐずぐずになったら切り落とせば、明日また使える。何も口にできない時には、実によいぞ。咽喉の渇きも抑えられるしな。

・・・「後で、気にするな。深く考えなかった儂の所為だ。嫌な思いをさせて済まなんだ、言ってくださったので、何とか堪えられた・・・・・」

・・・年を重ねたからと言って、たくさんのものを見ている訳ではございません。たくさんのことに触れ、たくさんのひとに会い、見聞を広められるのが大切と心得ます。

・・・「後の者の楽しみを作るのは、今の者の楽しみでございますので」』

2019年12月15日 (日)

嶽神伝 無坂(下) (長谷川卓著 講談社文庫)

前作にくらべると、地味な感じがしましたが、読みだすと止まらないところは変わらず、またはっと思わせる個所もいくつかありました。さらに、まだ完結ではなく、この後の作品に続いているようです。

『・・・「鋭い奴よの。しかし、それでよいのだ。生き延びる最良の方法は、逃げることだからな。」「逃げ道のない時は?」「ある。探せば、必ずある。見つけられぬのは、見栄と、驕りのせいだ。そのようなものは捨てればよいのだ」

・・・覚えておけよ。人を殺そうと思うたら、人を雇わずに、どんなに危なくとも己でやることだ。己を死地に追い込まねば、人は殺せぬぞ」

・・・線香は乾燥させた杉の葉を粉に碾いたものを松脂などで固め、線状にしたもの

・・・「腹が減るとつまらぬことで不安になる。特に夜とか、雨だとな。火を熾さずに食べられる物を、必ず籠に入れておくことだ」

・・・「人と違い、獣は己の死期を悟ると聞いたことがある。もしそうなら、見送ってやるのが、俺たちの務めだ。」「寂しい。皆があしの側からいなくなってしまう・・・・・」「お前には玄三がいる。年を取るとは、そういうことだ。親とか兄弟とか、与えられた者がいなくなり、自ら得たものが残る。そうやって、また生きていくんだ」』

2019年12月14日 (土)

嶽神伝 無坂(上) (長谷川卓著 講談社文庫)

一気に読みました。前の作品とはやや異なる趣のものでした。

『・・・山中で猿に襲われたら、土に潜るか、水に身を沈めるかしか、助かる道はない。しくじれば、死あるのみである。・・土を掘ればにおいが立ち、大気が騒ぐ。

・・・「この時、熊は右の前脚しか使いません。左の前脚は戦いには使いません」「必ずか」頼重が訊いた。「はい。手前の父の頃も、祖父の頃も、その前もずっとそうでした。」「どうしてなのじゃ」小夜姫が訊いた。「そういう生き物であるとしか、わかりません」

・・・病を得たり、足を怪我するなどして渡りに耐えられなくなった者の中には、長の許しを得て集落を出、里に居付いて暮らす者がいた。これを≪居付き≫、あるいは集落によっては≪五木≫と言った。

・・・里者は山の者を一段低く見ている

・・・木や草の群生を覚えるのは、人が食べられる草や薬になる草と、牛に害になる草や木の在処を知っておくためである。例えば馬酔木の葉を牛や馬が食べると酔ったようになり、ひどい時は死ぬこともある。しかし、馬酔木の葉を煎じた汁は疥癬によく効く。

・・・「百姓衆には領主様がいるが、我らにはおらん。それを妬んでか、野山を勝手に駆ける猿と同じだと見下すことで、何とか心を抑えているのだろうよ」

・・・重い荷を担ぎ急坂を上るには、蹄が割れている牛の方が踏ん張りが利き、また牛ならば飼い葉を用意しなくとも、道端の草をはみながら歩き、どこでも横になり寝ることが出来たために、大量の荷を担ぎ、幾つもの峠を越えて、何日も掛けて街道をぐるりと回るとなると、牛が使われたのである。

・・・自分が青地の立場になった時も、同じように耳許で言われるのだろう。それが遠い先なのか、それとも間近のことなのか、分からなかったが、もしあの時猿の群れが自分に気付いていたら、黒い影に取り付かれていたら、盗賊に殺されていたらと考えると、俺は幸運であったに過ぎないのだ、と思わずにはいられなかった。

・・・気持ちのいい走りだった。誰に合わせるのでもない、己の呼気に合わせ、足を出す。それが、ひとり行のよさだった。

・・・これと約束した木に、どちらに向かって渡ったか、彫って知らせる。それが木印だった。

・・・遠いところの声が、何かの拍子に近くで聞こえることがある。あれか。山では、よくあることだった。

・・・「国が弱いと、泣くのは民百姓でございます。国は、強くなければなりません」弥左衛門が、拳で目許を拭うと、怒ったように言った。

・・・長い冬の備えに入る。一番大事なことは、食糧と薪の備えである。

・・・次の代に渡すために、自分たちがやれることはきちんとやる。それが、先に生まれ、先に死んでゆく者の務めでもあった。

・・・日高の顔付きが居付きの者になりきっていた。上原城や桑原城の出来事が、居付きとしての己を目覚めさせたのだろう。

・・・「俺たち山の者には、破ってはならないふたつの定めがある。ひとつは、命を助けた者は、見守らねばならぬ。もう一つは、山で難儀をしている者は助けなければならぬ、だ」二つ目は、正確な言い方ではなかった。死にかけている者は、命が尽きるまで看取らねばならぬ、が本当のところだった。』

2019年12月 2日 (月)

嶽神(下) 湖底の黄金 長谷川卓著 講談社文庫

やはり、読み始めると止まらなくなりました。シリーズ3作目も購入してしまいました。面白さの中に、はっと思わせる記述もあります。

『・・・「家が大きくなってゆく時は、すべてが上手く回るものよ」

・・・いったん臍を曲げると、頑として譲らぬのが信濃人だからな。

・・・「この世に安泰などないわ。ひとつ纏まれば、そこからまた別の火種が生まれる者よ」

・・・徳川の禄を食み、忍び働きとともに槍働きにも力を注いだ服部方は、忍びとしては確実に腕が落ちていた。

・・・静けさの中にも、様々な音があった。・・己の生涯に、そのような小さな音に心を動かす日々が来ようとは、若い時には思いもよらなかった。

・・・「不安になる。このまま死ぬのではないかと、怯え、震える。そんな時は、木の実をゆっくり食べるのだ。噛んで噛んで、口の中に何もなくなるまで噛むのだ。そうしている間に、落ち着くものだ。』

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