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2019年11月

2019年11月27日 (水)

嶽神(上) 白銀渡り (長谷川卓著 講談社文庫)

久しぶりに読んでいて時間を忘れるほど面白い、時代小説に出会いました。シリーズで10冊以上あるので、楽しみ半分、他にもやりたいことがあるので時間が惜しいような気も半分します。

『・・・この乱世を生き抜くには、知恵と金が要る。知恵と金があれば、戦えるからの。

・・・儂ら小国の者はな、あちこちに種を蒔いておかねばならぬのだ。あちらに芽が出たら、こちらの芽を抜き、こちらに芽が出たら、あちらの芽を抜くという具合にしながらの。抜くにも、芽が出てなければ抜けぬ。選ぶ道は、より多くあった方がよいのだ。

・・・一度見たこと聞いたことは、決して忘れるな。それが生き残る法だとも教えられた。

・・・山の者の中から、時としてとてつもなく知力と技に長けた者が出ることがあるそうだ。その心根はかくまでも清く、出会うた者は皆、その心に打たれるという。彼の者どもは《嶽神》と呼んでおった。

・・・歩く。歩く。歩く。そして、振り返る。歩いてきた道筋が見え、今いる高さを知ることができる。それが山を歩く醍醐味なのだ。振り返れ。己が歩みを確かめろ。それをさせてくれるのが山だ。

・・・狸には、肛門の近くに臭腺があり、誤って切ると肉ににおいがついてしまい、食べられなくなる。

・・・「生きるというのは」と言って、勝三が大真面目な顔をした。「大変なことなのだ」

・・・「切れ者と言われ、己もそう思うておる輩は危ないからの」「正に」「御屋形様はご幼少の頃から人質暮らしをなされ、長じても築山殿の一件などなど思うに任せぬことが多かった御方だ。相当ひねくれておられる。そのような御方の前では、表裏なく振舞うのだぞ。そなたは切れるゆえ、敢えて言うておくが」』

・・・この乱世を生き抜くには、知恵と金が要る。知恵と金があれば、戦えるからの。

・・・儂ら小国の者はな、あちこちに種を蒔いておかねばならぬのだ。あちらに芽が出たら、こちらの芽を抜き、こちらに芽が出たら、あちらの芽を抜くという具合にしながらの。抜くにも、芽が出てなければ抜けぬ。選ぶ道は、より多くあった方がよいのだ。

・・・一度見たこと聞いたことは、決して忘れるな。それが生き残る法だとも教えられた。

・・・山の者の中から、時としてとてつもなく知力と技に長けた者が出ることがあるそうだ。その心根はかくまでも清く、出会うた者は皆、その心に打たれるという。彼の者どもは《嶽神》と呼んでおった。

・・・歩く。歩く。歩く。そして、振り返る。歩いてきた道筋が見え、今いる高さを知ることができる。それが山を歩く醍醐味なのだ。振り返れ。己が歩みを確かめろ。それをさせてくれるのが山だ。

・・・狸には、肛門の近くに臭腺があり、誤って切ると肉ににおいがついてしまい、食べられなくなる。

・・・「生きるというのは」と言って、勝三が大真面目な顔をした。「大変なことなのだ」

・・・「切れ者と言われ、己もそう思うておる輩は危ないからの」「正に」「御屋形様はご幼少の頃から人質暮らしをなされ、長じても築山殿の一件などなど思うに任せぬことが多かった御方だ。相当ひねくれておられる。そのような御方の前では、表裏なく振舞うのだぞ。そなたは切れるゆえ、敢えて言うておくが」』

2019年11月23日 (土)

新聞という病 (門田隆将著 産経eブックス)

かつて「情報」を「独占」することで、世論を操作して我が世の春を謳歌していた新聞は、時代の流れを読み誤るとともに、自分たちを「正義の味方」だと過信し、国民、特に若い世代から見捨てられつつあります。そういったことについて、まさにいろいろと書いてありました。私自身も時代の流れを読み誤らないように、また、自己に与えられている「力」を自分自身で獲得したものだと勘違いしないように、他山の石としたいと思います。

『・・・ネット時代は彼等反日勢力のこともすでに炙り出しており、「ああ、まだそんなことやっているのか」と、多くの日本人を呆れさせてもいる。・・平成が始まった頃、我が世の春を謳歌していた新聞は、やがてインターネットの登場により、次第に窮地に追い込まれていった。記者クラブに記者を潤沢に配置して情報を独占し、恣意的にこれを加工して大衆に“下げ渡していた”新聞が、個人が情報発信のツールを持ったネット時代の到来に対応できなかったのだ。

・・・たしかにツブシが利かない。抜く抜かれるという勝ち負けだけが新聞記者の世界でもある。私は、こういう人物、あるいは、その精神が日本の新聞を支えてきたのだろうと想像する。

・・・時を経るにつれ、新聞記者は大きな変貌を遂げた。なにが変わったのか。ひと言で尽くせば、新聞記者が「偉くなってしまった」のである。もちろん、物理的に偉くなったのではなく、彼らの「意識として」である。いつの間にか、天下国家をあたかも自分が回しているかのような錯覚を抱くようになった新聞記者たちは、退職したら学生相手に現役時代の話でもして大学の教壇にも立ってやろう、などと考える人間が増えていった。・・記者会見を記者である自分の「意見表明」の場であるかのような勘違いをする者まで現れた。

・・・水面下で、日本国内の反日勢力は、懸命に工作を行っている。だが、その存在こそ今の事態の“元凶”であることに多くの日本人が気づいたのだ。・・朝鮮は強い者には徹底して卑屈になり、弱い者には居丈高になるという特性を持っている。

・・・米国の銀行、そして韓国の銀行の東京支店を迂回して自民党有力者への巨額の資金が還流したソウル地下鉄事件(1977年)は、その後の日韓議連の「利権構造の基本」となった。日本企業が韓国内で事業を行うには日韓議連の議員を通して、韓国政府、あるいは地方行政府に話を通してもらわなければならず、議員にとっては日韓議員連盟に所属すること自体が、途轍もないメリットとなってきたのである。

・・・「私たちは、戦争をしたい人たちとペンで闘っている。」そこには新聞特有のそんな自己陶酔がある。それは、刻々と変わる内外の情勢に対して、平和を守るための「現実的対応」を懸命にとろうとする現実的平和主義者たちを勝手に「戦争に向かう人たち」と決めつける傲慢さに支えられたものにほかならない。

・・・一方的な謝罪外交の時代はもう終わった。いつまで誤ればいいのか、という「常識」が日本の若者に広がっている。韓国人によって世界中に建てられている慰安婦像なるもので直接、被害を受けているのは海外に飛躍しようとするその日本の若者だ。

・・・いまの新聞に往時の輝きはない。いつの頃からか、自己の主義・主張、すなわちイデオロギーに固執し、事実そっちのけで紙面がそのことを「訴える場」であるかのように錯覚してしまった。読者は敏感で、そんな臭みが増すにつれ、そして特筆すべき情報が少なくなるについて、新聞離れを加速させた。受け皿は、もっぱらインターネットだ。

・・・かつての新聞と昨今の新聞の最も大きな「差」は、どこにあるかと聞かれたら、読者は何と答えるだろうか。私は、「それは写真にある」と迷わず応えさせてもらう。・・それを短時間に探し出し、しかも説得して写真を借りるのだ。そこでは、怒鳴られたり、塩をまかれたりするのが当たり前の取材活動が展開される。若い記者はこの取材を通じて、物事の核心に迫る。すなわち当事者や関係者に肉薄する必要性を知らず知らずに学んでいたのである。・・彼らは地道な取材活動よりも記者会見がすべてであると思い、そこで執拗な質問を繰り返して失言を誘い、それを特筆大書することがスクープであると勘違いするようになった。

・・・「55年体制」の思考からいまだに抜け出すことができないメディアの有様は“マスコミ55年症候群”とでも呼ぶべきものだろう。・・世の中はとっくに違う段階に移っている。それは、「左右」の対立ではなく、「空想と現実」との対立である。

・・・ファクトと根拠を示して読者に「判断をゆだねる」のが新聞の本来の使命であったはずだ。だが、それをしないまま、ただ自己の主張を感情的に展開する―――こんな「不安商法」がいつまでも通用するはずがない。

・・・朝日の記事の見出しを見て、最初は、ふざけんなよ、なにデッチ上げて書いてんだよ、と思いました。でも、記事を読んで、吉田さんの発言を曲解すれば、ここまで書けるのか、とわかり、呆れてしまいました。

・・・朝日は、〈28時間以上にわたり吉田を聴取した政府事故調すなわち政府が、このような時間帯に命令違反の逸脱行動があったのを知りながら、報告書でまったく言及していないのは不可解だ〉と書いている。不可解なのは「政府事故調」ではなく、「朝日新聞」の方である。・・最悪の事態と必死で闘った部下たちを、今は亡き吉田氏は心から称賛した。一方、朝日は日本を救うために奮闘したそんな人々を世界中から嘲笑されるような存在に貶めた。

・・・目前に迫った中国による人権抑圧と必死に闘う台湾と香港の学生たちの運動と、逆に、1992年に定めた「領海法」によって日本領の尖閣を「自国の領土」とし、紛争を前提に挑発を繰り返す中国の側を喜ばす主張を展開するシールズを「同列に位置づける」神経に言葉を失ったのだ。彼らの主張は若者にさえ受け入れられず、逆に参院選では、20代の若者の43%が、比例投票先が自民党となる結果を生んだのではなかったか。・・新聞には、世の中の出来事を正確に伝え、警鐘を鳴らす役割がある。しかし、日本には悲しむべきことに、相手に“ご注進”を続けて外交カードを与え、自国を決定的に不利な立場に追い込む新聞が存在する。

・・・「自国民の命を守る」という国家としての資格を放棄する日本の「世界の常識からかけ離れた姿」を、テヘラン在住の邦人たちは付きつけられたのである。・・救出を待っているとき、他の国のボランティア団体の人たちから、“なんで日本はお金があるのに、救援機が来ないのか。もっと貧乏な国だって来ているじゃないか”と言われました。それが他国の人たちの率直な感想です。安全保障問題でよく普通の国になる、ということを言いますが、しかし、ふつうの国というのがどういうものか、ということを、日本の国民のほとんどが知らないと思います。私はむしろ、そっちの方が問題じゃないかと思っています」・・国民の「命」を守ることは、言うまでもないが、「究極の自衛」である。そのことが「憲法違反になる」という倒錯した法理を説く政治勢力や学者、ジャーナリストが、日本では驚くほど多い。どこの国でも腹を抱えて笑われるような空虚な言論が日本では大手を振り、実際にマスコミの大勢はその意見によって占められているのである。

・・・記者だけでなく、組織自体が、単なる「いい子」になってはいないか。この“情報ビッグバン”の時代に新聞社と記者が「いい子」になって、そこに安住したら、もう終わりである。

・・・国連加盟193カ国のうち、実に94.3%に当たる182カ国が締結している「国際組織犯罪防止条約」なるものをご存じだろうか。これを締結していない国と、・・そして日本を入れた11ヵ国だ。言うまでもなく、先進国では「日本だけ」である。・・「思想や言論の取り締まりに使われかねない」「市民の自由な活動が阻害される恐れがある」「これは、現代の治安維持法だ」と主張する勢力が日本では力を持っているからだ。その中心で旗を振ってきたのは、新聞だ。

・・・かつて新聞は、人々を目覚めさせ、教え導く存在として「社会の木鐸」を自任していた。しかし、今は誰もそんなものとは考えていないし、新聞人自らもその意識はかけらもない。単に、偏った考え方によって印象操作や国民の感情をあおるだけの存在になっている。・・自分の主張に都合のいい一方だけの情報を伝えて、都合が悪い情報は決して報じない日本の新聞。もはや、そんなものは「新聞」とは呼ばない。

・・・昨今の新聞は、単に自らの好き嫌いに基づき、それに都合の良い情報と意見を表明する場になり果てていることに気付く。・・ストレートニュースである報道面からして、既に「歪められている」からだ。

・・・野党議員のレベルの低さはもはや国民の「常識」ともいうべきものであり、驚くにはあたらない。むしろ、それを後押しする新聞の罪のほうがよほど深いのかもしれない。証拠もなく、抽象論だけで、内外の諸課題をそっちのけにして国会で気の遠くなるような時間が費やされた森友・加計問題。

・・・2017年夏、読売が・・興味深い記事を掲載した。早稲田大学現代政治経済研究所との共同調査で、若者が、リベラルとは「自民党や日本維新の会」であり、保守とは「公明党や共産党」であるという認識を持っていることをリポートしたのだ(8月11日づけ)。・・国内外のさまざまな現実に対応していこうという人々と、イデオロギーに固執して現実を見ようとしない理想論、すなわち観念に縛られた人々との意識の差について考えさせられる記事だった。・・全盛代の中で若年層が安倍政権の支持基盤になっていることが浮き彫りになった。だが、現実を分析できない新聞は、これを「若者の保守化」と論じた。観念論の代表は朝日である。

・・・私は、昔の国会との差をどうしても考えてしまう。かつて野党には、論客がそろっていた。・・だが今は本質をずらす印象操作と揚げ足取りに終始するクレーマー国会と化してしまった。これを後押ししたのは、いうまでもなく新聞である。

・・・朝日新聞の動揺は、言うまでもなく販売店の“悲鳴”にある。もともと慰安婦報道の検証記事(2014年8月5日・6日付)で強まった朝日批判が読者の動揺を呼び起こし、部数は激減し、販売からの激しい突き上げが顕在化していた。これが「謝罪会見」の引き金になったのは、間違いない。

・・・記事が悪質だったのは、朝日は5月20日付の紙面で、吉田証言の中のこの「伝言が伝わっていない」部分と、福島第二原発に撤退したことが「良かった」と語っている部分を“欠落させて”報道していたことだ。有料でしか見られないインターネットの「朝日デジタル」のみ、これを掲載し、一般の読者からはこの部分を隠していたのである。朝日は省略したことについて記者会見で、「必ずしも必要なデータではないと考えていた」と釈明した。ジャーナリストして、信じられない言葉である。・・私は吉田調書を読んで、吉田さんの真意を踏みにじり、その部下をどこまでも貶めようとする朝日新聞の手法に、同じジャーナリストとして怒りを抑えることができなかった。なぜ朝日新聞はこのような報道を行うのか。それは、朝日新聞が長く続けてきた独特の「手法」と「姿勢」によるものである。それを私は「朝日的手法」と呼んでいる。朝日新聞の編集方針には、ファクトが先にあるのではなく、自分が言いたい「主張」や「イデオロギー」が先にある。

・・・大新聞が情報を独占し、加工して大衆に下げ渡していく時代がとっくに終焉しているのに朝日はそのことの目を向けなかった。インターネットの登場によるニュースメディア時代は、マスコミが情報を独占する時代を終わらせ、逆に大衆によって監視され、検証される時代に入っていることを示している。

・・・私が驚くのは、彼等には、日本を貶めている意識はなく、むしろ国家権力に対して厳しい記事を書いていると思い込んでいる点だ。中国や韓国を喜ばせるというような意識よりも、むしろ過去の日本を糾弾することで、「平和を愛する自分」に陶酔感を抱いているようなタイプが多いのだ。すなわち、朝日の記者は、「日本を貶めることを、権力と戦っているものと勘違いしている」としか、説明できないのである。

・・・「異論には耳を貸さず、力で踏みつぶせばいいのだという考えは許されない」という論調を掲げ、一方では自分と異なる意見や質問を問題視して、牙をむく姿勢、果たしてあなた方は言論の自由を守る意思はあるのですか、とつい聞きたくなる。問われているのは、言論人の「節度」ではないだろうか。

・・・風評被害を一刻も早く脱し、前進していこうという地元紙と、自主避難者への住宅無償提供を尚も税金負担で続けろ、と主張する全国紙―――さて、真の意味で、「福島復興」に寄与するのは、どちらなのだろうか。

・・・重要なのは、朝日・毎日には、一方のそういう受け取り方が書かれていないことだ。両紙が「安倍政権打倒」に執着したメディアであることは、もとより承知している。だが、自分の主張に都合の悪い情報は読者に提示せず、一方的な煽情記事を書くのが新聞の役割といえるのだろうか。自分たちが、すでに「新聞記者」ではなく「活動家」となり果てていることを認識することをこの際、強くお勧めしたい。

・・・新聞は、報じなければならないことを書かない。・・ただ法務省に迎合するような「総論」記事しかなかったからだ。本来の新聞ジャーナリズムの役割を完全に放棄していたのである。

・・・日本には、いつから恥ずべき“揚げ足取り文化”が定着してしまったのだろうか。国会やマスコミの報道を見ていると、誰しもそんな感想を抱かざるをえないだろう。・・野党やマスコミに、そもそも「見識」がないのだから、本質的な議論ができるはずもなく、国民もこれに我慢して付き合わなければならない。

・・・昨今、一部の新聞は、自分への批判は「ヘイトだ」と糾弾し、自分が批判するときは「差別だ」と言えば、世の中に通用するとでも思っているらしい。映画やテレビの制作者は、こんなレベルの低い新聞の批判など気にする必要はない。

・・・出版社の社長が、こうした見解を表明することなど厳に慎むべきなのはいうまでもない。いとも簡単に反対勢力の批判に屈してしまったことで、新潮社は取り返しのつかない禍根を後世に残してしまった。・・大切なことは、記事や書籍にはそれぞれの読み方があるということである。言論・表現の自由と共に、そうした自由に読んだうえでの「思想空間」もまた、同じように保証されるべきだということだ。・・言論・表現の自由の一翼を担う出版社には、いうまでもなく、批判に対する「対処の仕方」が求められる。それは「筆者と言論空間を守る」ということだ。これは絶対原則である。新潮社がやったことは、その原則を捨て去ったということに他ならない。

・・・「僕は君の意見には反対だ。しかし、君がそう主張する権利は、僕が命を懸けて守る」 言論・表現の自由がいかに大切かということの本質を、18世紀に生きたこのヴォルテールは語っている。

・・・酒鬼薔薇事件当時の新潮社には、元「週刊新潮」編集長・山田彦彌氏や元「フォーカス」編集長・後藤章夫氏という編集出身の両常務がいた。外部の作家に動かされて安っぽい正義感を振りかざす編集者たちを、二人が“一喝”して、いささかの揺らぎも外部に見せることはなかったのだ。新潮社は、一貫して「超然」としていたのである。

・・・私がいた頃の週刊新潮は、世の中の権威に対する「闘いのメディア」だった。・・あるいは、大新聞などのマスコミに至るまで、あらゆる「権力」が報道の対象となった。・・しかし、週刊新潮編集部には「俺たちは権力を監視している」などと大それたことを語る人間もいなければ、そんなことを実際に思っている人間もいなかった。なぜなら、ジャーナリズムにとって、それは、当たり前すぎることであり、同時に、どんなに粋がってみても、ジャーナリズムには「限界があること」を知っていたからだ。その一方で、さまざまな権力や圧力団体に対して、新聞やテレビといった大メディアは本当に弱かった。圧力団体にはひれ伏し、広告スポンサーの前では可哀想なくらい卑屈になっていた。・・新聞記者たちの中に、冒頭のように「権力の監視」などと大仰な言い方をする人間が増えてくるにつれ、逆に、新聞記事がファクト、つまり、事実ではなく、観念論にシフトしていることをより感じるようになった。自己陶酔した記者やジャーナリストたちは、本当にタチが悪い。』

2019年11月17日 (日)

日本の路地を旅する (上原善広著 文春ウェブ文庫)

被差別部落を「路地」と呼ぶことは初めて知りました。本書は「路地」出身の著者が全国の「路地」を訪ねた書いたものです。路地に関することのほか、日本の歴史の一面を知ることができました。また、本書の中に記されていましたが、人として生き方についての著者の強い信念には心を打たれるとともに、そのとおりだと思いました。

『・・・路地と一般地区との違いと言えば、見てわかるのは食べ物くらいなものだ。・・あぶらかすというのは牛の腸を煎り揚げたもので、さいぼしというのは牛や馬肉の燻製のことだ。いずれも路地でしか食べられてこなかった物

・・・中上健次とは逆に、私は伝統的で、土俗的な路地の料理を食べて育った。・・歴史的にも、あぶらかすというのは土着の食べ物だと言える。日本のかつての最下層民が、農民たちが使役に使って斃れた牛馬を解体し、食べやすく傷みにくいよう工夫し、あみだした食物。

・・・非人たちは、後に足を洗ってその身分から抜けることもできたが、かわたは生涯、かわたであった。だからエタと非人は違う系譜をもつ者たちだが、どちらも身分としてはインドの不可触民のような存在であった。

・・・東北の路地の多くは、元戦国大名が徳川幕府の命により移封されてきたときに従ってきた路地の者たちによってつくられたため、城下町にあることが多い。西日本に比べると戸数が少ない

・・・「今でも南部地方では意地っ張り、強情、変り者のことを『勘太郎』と呼ぶのですが、これはエタの勘太郎からきています」・・東北では牛よりも、小動物や犬皮をなめすことが多かったようだ。

・・・それにしても、猛烈な臭気だ。生皮は毛を取るためには発酵させなければならないので、どうしても強烈な臭いがでる。

・・・東北のエタは自由な風で立派な着物を着ており、商いも成功しているようだった

・・・路地では皮なめしの仕事の他に、万歳など門付け芸もよくしていた。門付けというのは玄関先で人形芸や祝いの言葉をしゃべり、なにがしかの米や金銭をもらって歩く仕事だ。乞食と同じ所業といわれ、多くは路地の者のなりわいであった。・・万歳は現在の「漫才」のルーツとなるものだが、もともとは路地の人々の芸能であった。

・・・面影橋という名も、東京山谷にある「泪橋」と同じく、刑場へと見送るのはここまでという意味がある。

・・・膠というのは皮に含まれる成分で、昔は接着剤やフィルムの材料になった。それだけでなく、毛を取り、脂を削り落とすために発酵させるので、どうしても異臭が漂う。

・・・剥製っていうのは室温が0度にならないとできないんだ。0度以上だと作業している途中からすぐに毛が抜けていくんだ・・馬はそう違いはないが、牛皮はやはり黒毛和牛の雌のものが一番上等だ。・・亀だけは臭くて駄目だ。一度、海亀の依頼がきたんだけど、海草の腐ったような臭いがして大変だったんだ。ワニはすべて甲羅みたいなものだから、意外にこれが簡単なんだ。土地柄で比内鶏の注文がけっこうあるな。ただ山鳥は脂が多いからたいへんだけど。

・・・墨田の路地の歴史は、明治初期に滋賀県から移ってきた路地の者たちに始まっている。彼等は当初、江戸の路地の近くにおかれた浅草新谷町というところに集まって暮らしていたが、環境改善のために、東京府の命令で明治6年(1873)、現在地に移転してきた。・・水害に悩まされながらも、工業地帯として発展し続け、戦後になると東北地方からの出稼ぎ者が流入するようになる。そのために現在、東京23区内の路地に住む人のほとんどは、路地とは直接関係のない地方出身者で占められている。もちろん路地出身者もいるが、かなり混在が進んでいる。・・王貞治の父、王仕福も一時この路地で働いていたことがあると言い、好景気でさまざまな人々が流入して働いていたことがよくわかる。

・・・「路地の王」であった弾左衛門は、関八州の路地の頭で、多くの手下とともに現在の浅草辺りに住んでいた。その影響力は関八州から北は東北地方、西は広島地方にまで及んだとされる。・・弾左衛門のルーツは大阪にあったとされる。

・・・明治維新後に、「家康は賤民の子だった」とする説が登場するのだが、そうした噂が実しやかに語られるのも、家康自身がこうしたエタや非民を使った統治に長けていたからである。

・・・肉仕事をしてたやろ。あれは重労働やんか。みんな結婚も早い。そこに法律ができて急に金回りがようなったもんやから、青春を取り戻すかのように遊びに出て家庭崩壊。子供はぐれて「やっぱり部落は怖い」と、こうなるわけや。更池にはこんな家が多いわな」

・・・昭和11年(1936)の記録にはこう記されている。「江戸時代から明治の末葉にかけ、大東京で最も酷い貧民街は、下谷の万年町と芝の新網及び四谷の鮫ヶ橋であったが、今日、輪郭の大きな貧民窟は何処かと言へば、三河島、日暮里、南千住、西新井、吾嬬、板橋などに集まつてゐる」

・・・東京の老舗で出されるブランド牛は「近江牛」が中心となっている・・東京の路地を歩き始めると、これは滋賀の路地の者たちが移ってきたことに関係が深いことを知るようになる。彼等は明治に入ると次々に東京に進出し、歴史的に得意とする食肉や皮なめし関係の仕事を始めるのだ。・・「四つ足の動物は食べない」風習が一般的であった江戸時代を通し、古来より日本人は牛肉を食べ続けてきた。より正確に言うなら、百姓や町人身分、下級武士の者たちは忌避して食べなかったが、大名周辺と最底辺の民であったかわただけは食べていた。・・記録が残っているのは江戸中期にあたる天明元年(1781)以降で、全国でも彦根藩だけが藩をあげて堂々と牛の屠畜をしていた。・・この役を担ったのは彦根藩のかわた達で料理法も確立されており、味噌漬けの他には干し肉を作っていた。干し肉製造については藩から役人が派遣され、その製造過程の検査もしている。

・・・隣同士の路地でも、まったく傾向が違うことがよくわかる。違うどころか、どちらかというと仲が悪かった様子が窺える。なにしろ死牛馬が出た際の引き取り範囲(なわばり)について、近隣の路地同士で何度も喧嘩沙汰になっているほどだからだ。

・・・内臓(ホルモン)料理は昭和になってから朝鮮方面から入ってきたとされているが、これも日本では江戸時代から食べられており、落とした牛の内臓をそれぞれ路地の者同士で配ったという記録も残されているから、日本人は内臓も江戸時代から味わっていたのである。

・・・路地は大体、「解放運動の盛んな地域」、「寝た子を起こすなの地域」に大別されるが、近江の路地は全般的に寝た子を起こすなの傾向が強いと評される。

・・・全国的に見ても非人とかわたは、たいてい仲が悪い。

・・・彼らの違いは、仕事によって分けることができる。「茶筅」とは、竹細工や芸能を生業とする者たちで、ほとんどが周防地方にまとまって住んでいた。また「宮番」は神社に仕えてキヨメと呼ばれる掃除役や、社周辺の警備などをしていたが、各地に一戸から数個程度の少数点在だった。・・城下町では、警備的観点から街道の出入り口に路地を置くことが多く、

・・・日本は犬肉なんか食べなかったという人がいるけど、あれは嘘ですよ。戦前まではよく食べてました。・・近づいている間に口の中に唾をいっぱい溜めておいてね、十分に近づいたら、吠えている犬の口の中にプッと唾を吹いて入れてしまう。そうすると、不思議と犬はおとなしくなるんですよ。

・・・「犬皮と猫皮は、やっぱり音が違いますか」「ぜんぜん違うよ。なんていうかな、犬の方がしゃりーんて鳴る。猫はまろやか。一般的には犬の方が値段も質も落ちるんだけど、津軽三味線にはってある犬皮だけは、上等なものを使ってるね」「猫皮の中にも良し悪しがあるんですよね。」「もちろんある。薄いのと厚いのがあって、厚い方が上等だね。丈夫ってのもあるけど、音がいい。

・・・肌が白く、前腕と指がとても太くなっているので、すぐに食肉の職人だとわかった。

・・・大分県別府というと・・湧出量は米国イエローストーン国立公園に次ぐ世界第2位、人が入る温泉地としては世界最大を誇るという。

・・・同じ路地でもエタ系は一種の職人集団であったため、現代まで残っていることが多いが、逆に非人系は完全な世襲ではなかった。

・・・城と路地とは関係が深く、全国的にも城下町には必ずと言っていいほど路地がある・・古い温泉上では、警備のために路地が置かれていることが多い。・・湧出量の多い温泉地であればよく見られることで、路地も自分たちの温泉を持っている。・・路地のなかでも表役と裏役に分かれていて、それぞれ別の公務に就いていた。表役というのは城に上がって挨拶し、御用向きを聞き、また書き物もする役につく者のことで、裏役というのは処刑などの汚れ仕事をしていたという。

・・・湯治というのは自炊しながら体を癒すのが目的だから、宿も木賃宿にちかい。だから古い温泉場では、今でも湯治の面影を残す古い建物が残っている。これが明治以降、短期滞在型の高級志向に変わり、現在のような形になった。・・江戸時代の温泉は湯治場が主だった

・・・佐渡の歴史は、流人の歴史でもある。有名な流人に順徳天皇、能楽の世阿弥、日蓮などがいるが、彼らはそれぞれ路地との縁が深い人物である。・・佐渡では路地の者を「ホイト」と呼ぶ。ホイトという呼び方は、本州では「乞食」の意味で使われることがあるが、佐渡では路地を表現する言葉として、現在でも一部で通用している。・・佐渡の路地の特徴の一つは、本州と違い非人とエタの区別がないことだ。

・・・同和関連の助成金は国から佐渡にも出ているはずなのだが、路地そのものには使われず、海岸線の整備のために使われたという。確かに、海岸線の道路は立派なものだ。路地に対する理解がない土地や、解放運動が盛んでない町では、国から出た金がこうして違う目的で使われている。これは行政の怠慢でもあるが、路地というもののとらえ方の難しさも一因にある。

・・・「蜂洞」だった。筒状にした木を箱代わりにして、そこに屋根をのせてあるだけの物だが、言われないと何かのおまじないの碑のように見える。それがあちこちの山の斜面に並べられている。この形は、朝鮮半島の影響を受けたものだ。

・・・この佐賀の路地が、対馬の路地のルーツであった。もともと路地のなかった対馬では、死んだ牛の皮剥ぎのできる者がいなかった。そのため寛政元年(1789)に、佐賀県の路地から皮職人として路地の家族を呼んだのである。しかし、路地の者の取り扱いに苦慮し、呼んでから7年後にはもう帰してしまっている。対馬の人々は路地の者など知らないために、一般の職人として路地の者たちと接したことから、藩は身分制度という秩序を守るために返してしまったのだ。しかし、やはり皮細工の需要によって文化10年(1813)に再び呼び寄せている。

・・・三重の山中の路地に住む老人から聞いた言葉だと思い当たった。老人は「私らは幼いころに仲間外れにされてるから、やっぱりちょっとひねくれてしまっています」と、片山と同じようなことを私に語ったのである。

・・・どんな生活であっても、その人の持っているものによって後々の生活が決められていくのではないだろうか。どのような生き方を選ぶのかは、結局は本人次第なのではないだろうか。・・生まれた環境は選べないのだから、それを嘆くよりも、これからどう生きていくのかが最も重要なことになるのではないだろうか。自らの不幸の原因を差別や貧困、障害、家庭事情に求めることもできるだろう。しかし自分がどのような知識を得るのか、そして誰に出会い、選択し決断していくのか。人それぞれに違うもので、そこに生い立ちが関係していたとしても、選択は自分にある。

・・・日本では誰でも真面目な職業の職人だということは不名誉とされないどころか、いずれも芸術とも技能とも見なされている。ただし草履づくりや皮なめし、奴隷や婦女売買の仲介者は例外で、こういうものはやはり、卑しい職業とかんがえられている」(『日本王国記』アビラ・ヒロン 大航海時代叢書Ⅺ 岩波書店)

・・・路地という「身分階級的思想」が、牛を特別視しているインド、ネパールを発祥とするといわれるのも道理である。牛は生きていると神聖視されるが、死ぬと一転して穢れたものとなり、唯一、不可触民たちによって解体処理される。そう考えると牛というのは、特にアジア人にとって非常に重要な意味を持つ家畜だったのだろう。長崎市内で鹿皮を扱っていた所は「毛皮屋町」と呼ばれ、路地は「皮屋町」と呼ばれて区別されていた。毛皮屋町が市内にあったのと比べて、皮屋町は市外におかれた。

・・・エイサーとは踊りながら行進し、時には隣町と競い合うこともある激しい祭りだ。袋中(たいちゅう)上人という浄土宗の念仏者が慶長8年(1603)頃、琉球へたどりついた際に伝えて浄土念仏がルーツとされていたことから、庶民の間に広まったと云われている。つまり、京太郎の伝統芸の進化したものが、現在のエイサーであるともいえる。

・・・この歌は、京都から来た京太郎たちの恨み節なのである。京太郎にはこのような歌が多い。淡々と続いていく京太郎の歌と舞を見ていると、数百年前の彼らの生きざまを見せられているような気すらした。

・・・路地の肉屋は西日本ではよく見られるが、東北ではどちらかというと皮革加工の人々が多い。だいたい太鼓屋か剥製屋が東北の路地の特徴だが、会津若松には太鼓屋などが無くなってしまい、代わりに肉屋がいくつか並んでいる。・・会津若松では、肉の中でも馬刺しがとくに有名で、郷土料理とされている。・・会津若松の馬刺しは赤身肉が主に使われているが、これは熊本など他地域の馬刺しと比べ、脂の旨みを重視する日本人にとって異色だ。・・それまで会津若松は「黒川」という地名で呼ばれていたが、蒲生氏により「若松」と名付けられた。

・・・何気ない褒賞の記録であるが、路地の者に対して藩がきちんと褒賞を与えている点は以外でもある。路地の者として差別しながらも、市井の人々として取り扱われていたことがうかがえる。

・・・白山神社があると差別されるので、なくしてしまったのだ。関東以北の路地ではよくあることだ。』

2019年11月 3日 (日)

キレる! (中野信子著 小学館eBooks)

「キレる」ことに関する脳の働きなどや、実際の対処要領について、いろいろと役に立ちそうな内容でした。覚えておきたいと思いました。

『・・・キレるという行為は、上手に使うことで、人間関係において自分の居場所をつくり、成功するためには欠かせないコミュニケーションスキルであると言えます。

・・・いい人には二種類います。まず、いい人として他人から信頼される、つまり“尊敬できるいい人”。もう一つは、いい人として搾取される人、つまり、“都合のいい人”です。・・本当に困った時には役に立たないのでむしろ軽蔑されてしまいます。・・都合のいい人”と“尊敬できるいい人”は、どのような組織・会社に属しているかによって、どちらの“いい人”が得をするのかは変わってきます。

・・・“得するキレ方”は、自分の感情を素直に受け止め、できるだけストレスが小さくなるようなタイミングを逃さずにキレます。伝えたいことを伝えたいタイミングで、過不足ない熱量で表現できるのです。・・“損するキレ方”をするひとは、怒りの感情を怒りに任せて衝動的な言動をとるため、周囲の人も巻き込み、相手だけでなく、多くの人に嫌な思いをさせ、最後には自分も後味の悪い思いをして取り返しのつかないことになってしまいます。もっと残念なのは、肝心の相手には自分の本えにゃ物事の本質が伝わらず、逆に相手を優位に立たせてしまうような場合です。

・・・ダメなキレ方をしやすい人が知り合いにいる場合の最善策は、極力近くに寄らないことです。

・・・慣れていなくても、自分の怒りをキレるという形で、はっきりと相手に示す必要があります。相手に悪意をもって不利益を与える人は、反撃してこない人を探し、その人を狙って攻撃し続けるからです。・・キレなければならないときに、慣れている人と慣れていない人では、慣れている人の方が圧倒的に強いのです。

・・・”よいキレ方“と”悪いキレ方”があるとすれば、”よいキレ方”は正当な怒り、相手に強くこちらの気持ちや意思を伝えるためのものであり、“悪いキレ方”は、自分本位の身勝手な怒りを相手にぶつけ散らすことです。

・・・言い返さないでいると、それが洗脳やマインドコントロールの入り口になってしまうこともあります。DVの人間関係もまさにそれです。・・洗脳されそうになったら、最初のうちにキレることで、周囲に容易ならざる相手であることを知らしめる必要があります。

・・・日本人の“キレ”下手は、教育にも原因があるかもしれません。学校で「すぐにキレたらいけない」と教えられ、その背景として、日本では「いい人は起こらない人」というイメージが強くあります。

・・・怒りの原因として主に考えられる脳内物質は、ノルアドレナリンやアドレナリンです。・・ノルアドレナリンは、ストレスに反応し、神経を興奮させる神経伝達物質で、やる気を出させるホルモンですが、同じく怒りや興奮を感じさせる物質でもあり、“闘うホルモン”ともいわれています。・・ノルアドレナリンによる興奮状態になるとともに、扁桃体の反応で相手に対する恐れや不快さを感じる。それらが脳が“怒っている”という状態です。・・ノルアドレナリンの働きによって、脳が覚醒し、集中力、注意力、判断力が高まります。さらに、筋肉に酸素や栄養を送るために血圧や心拍数が上昇します。・・ノルアドレナリンが分泌されると、同時にアドレナリンも分泌されます。ノルアドレナリンが主に神経に作用するのに対し、アドレナリンは主に筋肉に作用する

・・・今の社会では、キレている人の姿を見て周りの人は不快になります。しかし、人間の歴史では、上手にキレる人が武勲を上げ、のし上がっていく時代の方が長かったわけです。闘わない人よりも、うまく闘える人が選ばれてきたという歴史がある

・・・アドレナリンは運動機能を高めますが、その持続効果が短いという特徴があります。・・アドレナリンは別名ストレスホルモンともいわれ、分泌されている間は血圧が上がり心拍数が増えます。つまり、身体の負担が増え、それが長期に及ぶと突然倒れたり高血圧になったりします。

・・・時間が経っても怒りが収まらず、キレ続けるような場合は、脳内で怒りの感情を抑制するブレーキの領域である前頭前野がしっかり働いていない状態だと考えられます。前頭前野は大脳の前方部分の領域で、理性や思考、感情、意欲など最もヒトらしい部分を司る部位です。他の動物の脳と比べてもヒトが最も発達している部位でもあります。

・・・睡眠不足であったり、お酒を飲んでいたりする状態では、前頭前野の機能が低下し、判断力が鈍くなり、強い意志が利かなくなってしまうこともあるのです。・・飲酒や睡眠不足のほか、体調不良や麻薬の使用、そして脳の老化現象が挙げられます。・・脳の老化というと、記憶力の低下というイメージがありますが、老化によって記憶を司る“海馬”よりも先に、前頭前野が委縮することがわかっています。・・老化は後頭葉より前頭葉の方が影響を受けやすいということがわかったのです。前頭葉はキレる自分を抑えたり、相手の気持ちを理解したりして、自分の行動を決めるという理性を司る部位です。・・年をとると・・相手に合わせて柔軟に物事を理解するということができなくなるのです。

・・・しかし実は、理性的な行動を促す前頭前野の機能が強すぎる場合も、相手を過剰に攻撃する言動につながることがあります。最も恐ろしいのは「自分には怒る正当な理由がある」と判断した場合です。なぜなら怒りがどんどん加速してしまうからです。

・・・正義感から制裁行動が発動するとき、脳内にはドーパミンが放出され、快感を覚えることがわかっています。・・ドーパミンは“快楽物質”とも呼ばれ、脳内に快感をもたらします。快楽からその行動がやめられなくなり、麻薬やアルコールなどの依存症を引き起こしてしまうことがあります。・・ドーパミンは一度で始めると、前頭葉をはじめ、脳のさまざまな神経を刺激し、快感を届けようとします。ですから、理性が働かなくなります。・・ドーパミンが放出されている怒りからはできるだけ”逃げるが勝ち”です。

・・・テストステロンが増えると、身体だけでなく、精神にも大きな変化が表れます。孤独を好むようになり、親子でべたべたした人間関係をあまり好まなくなります。一人でいることのほうが、心が休まり、自分の部屋で一人の時間を過ごしたがる傾向が強くなります。さらに、攻撃性や支配欲が高まり、自分でも理由がよくわからないまま攻撃衝動が出てくることがあるのです。

・・・前頭前野が最も成熟する時期というのは、30代から60歳ごろです。それまでは、なかなか怒りの衝動が抑えることが難しい時期なのです。

・・・実は女性もテストステロンは分泌されています。一人でいることを好み、「自分よりも優れた人がいることが許せない」と感じるなど、支配欲の強い女性はテストステロンの濃度が高いと言えるかもしれません。

・・・家族への愛情と非暴力は必ずしもイコールではありません。

・・・濃厚な愛情には、ある脳内物質が関わっています。それが“オキシトシン”です。オキシトシンは“愛情ホルモン”と呼ばれ、脳に愛情を感じさせたり、親近感を持たせたりして、人と人との絆をつくるホルモンです。オキシトシンが最も分泌される瞬間は、セックスと分泌の時です。・・さらに、誰かと同じ空間に長い時間一緒にいるというだけでも、オキシトシンの濃度が高まるということがわかっています。・・オキシトシンが増えることで、デメリットもあることがわかっています。愛着が強すぎるあまり、“憎しみ”“妬み”の感情も強まってしまうという側面もあるからです。・・愛情を裏切るような行為や、お互いの信頼を裏切るような人や行為に対して、攻撃して阻止するという行動を促進するのです。・・オキシトシンの濃度が高いとき、私たちの心理には興味深い現象が起こります。“外集団バイアス”と“社会的排除”です。外集団バイアスとは、“自分たち”の集団に含まれず、“自分たち”と異なる人たちを不当に低くみなす認知バイアスのことです。・・社会的排除とは、“自分たち”の中にいながら“自分たち”とは異質な人たちを不当に攻撃したり無視したりして起こる排除のことを言います。この仲間は認めるが、異質なものの存在を認めない、というのがオキシトシンの働きの大きな部分です。

・・・セロトニンは脳内で神経伝達物質として働いていて、“安心ホルモン”とも呼ばれています。・・セロトニンは脳に多くの影響を与えています。セロトニンが多く分泌されているとリラックスして、満ち足りた気持ちになり、セロトニンが少ないと、不安を感じやすくなると言われています。さらに、セロトニンの量が減ると前頭前野の働きが悪くなってしまいます。・・そのため社会性が低下して、理性を保てず衝動的な行動が多くなることもあります。またセロトニンの低下がうつ病につながることもあります。・・セロトニントランスポーターの濃度が低い人、つまり不安になりやすいが普段は真面目でおとなしく、人を信用しやすい人が、相手がズルをしている、自分に不当なことをしていると感じると、自分の時間やお金などコストをかけても相手を懲らしめたい、報復したいと思ってしまう傾向があるということです。

・・・同類の上に立ち、支配したがるというのは、霊長類の特徴です。・・誰かを支配し、自分の立場を守るというのは、人間の歴史そのものでもある

・・・初動がものすごく大事です。相手が監督や上司など、自分より明らかに立場が上だとわかっていても、「ここから先は入ったら困ります」というところを、しっかりと示しておかなければならないのです。関係が深まってから突然訴えても、相手はなかなか納得してくれない

・・・「自分の誠意を差し出せば相手は黙ってくれる」と思ったら、それが逆効果のときもあります。何かを言えば、なんでも差し出してくれる人だと思われるだけです。

・・・“系統的脱感作法”とは、不安や恐怖に対する行動療法の一種です。不安を引き起こす刺激に順位をつけて数値化し、弱い刺激から強い刺激へと段階的に繰り返し経験することで、恐怖や不安を克服する方法です。

・・・思春期の男子がイライラする、人や物に当たろうとする、これは攻撃性の強いテストステロンが急激に増えている時期だからかもしれません。10代前半の男子の脳と身体は、闘いたくて仕方がない状態になっているのです。・・自分の中に育ってくる攻撃性や自立したいという気持ちを、上手にコントロールできずに困っているからこそ、さらにイライラしてしまうのです。特に男子に対して、叱ったり説教したりするのは逆効果です。なぜなら言葉で伝えようとしても、その言葉を受け入れることをよしとしない気持ちが育っている時期だからです。・・細かいことに口を出したりしないで、男の子の攻撃したい気持ちが間違った方向にいかないよう、目は離さず、しっかりと見守ることが重要です。

・・・思春期の女の子は、女性ホルモンである“エストロゲン”の分泌が活発になり、異質なものに対する拒否反応を示すようになり、好き嫌いがはっきりしてくることのある時期です。

・・・高級車に乗った時ほど、テストステロン値が上がることが観測されています。・・原因として挙げられるのが、高級車は自分の方が優位だと思いやすい車だからです。より“俺の方が強い”という意識から、テストメール増えていくのです。

・・・あおられるだけでなく、相手が車から降りてきて、車をバンバン叩いて「車から降りろ」などと怒りをあらわにするような状態は、ドーパミンが放出されている状態なので、何を言っても聞く耳を持ちません。理性の利かない“キレている猿”の状態です。こういう状態の人からは逃げるのが一番大事です。一刻も早く警察を呼んで解決はプロに任せましょう。

・・・特に女性は男性に比べてセロトニンが少なく、不安を感じやすく、さらに女性ホルモンであるエストロゲンは、共感を求める性質があります。

・・・脳の老化によって、相手を信頼できなくなるのです。相手を信頼するということは、脳が“計算”して決めています。信用するための解を得る”計算”は、単純なようでいて意外と難しいのです。

・・・脳にはよいことは忘れてしまうのに、悪いことや嫌な経験の記憶は最後まで残ってしまいます。これはヒトの性質として仕方のないことです。よいことは別に覚えていなくても危険でないからです。悪いことは憶えておく必要があります。・・また次にも同じ痛い目に遭うかもしれません。

・・・老化によって前頭葉の委縮が起こってしまうことは事実ですが、その委縮の度合いは個人差があります。90歳近くでもまったく衰えを感じさせない人もいます。その理由として考えられることとしては、脳を鍛えているかどうかです。

・・・セロトニンを分泌させるためには、その材料となるトリプトファンを摂取するため、肉やナッツは積極的に食べさせましょう。・・セロトニンの分泌には食事に加えて、軽い散歩などの運動が重要です。散歩などで身体を動かし、できるだけ外に出ることを促しましょう。

・・・キレやすい脳として考えられるのは、“前頭前野”の働きが不十分な場合です。・・お酒や寝不足などでも、この前頭前野の働きが不十分になりますが、親子関係と生まれ育った状況が、前頭前野の発育に影響することがわかっています。幼少期に養育者との関係が良好でなく、十分な愛情を受けることができないことで、前頭前野の発育に必要なホルモンが不足して、前頭前野が十分に発育できない場合があるという調査報告があるのです。・・オキシトシンには、前頭前野が育つように働きかける役目があるので、愛着の形成によりオキシトシンの分泌が豊富になれば、脳の前頭前野を発達させることになり、”キレにくい”人になります。

・・・落ち込んだ日は、ストレス発散のために肌触りの良い服やパジャマ、寝具など、上質なものを選んでみてはいかがでしょうか。ライブコンサートもおすすめです。ライブでは、CDでは聞こえない、幅広い周波数の音を感じることができます。それらの領域の音圧が刺激として立毛筋に入ると、オキシトシンの分泌を促す効果があります。

・・・ポイントは、相手の言葉尻に反応しないことです。・・これは実はカウンセリングの技術です。・・相手の言葉に直接反応すると、売り言葉に買い言葉となって争いに発展します。ですから、これは相手の気持ちに客観的に共感するという技術です。・・売り言葉の理由は必ずあるので、その言葉に反応するのではなく、言葉を発した売る理由に共感して一緒に解決しようという姿勢を見せるか、それができないようであれば、相手にその攻撃の理由を示すことで、相手に自覚させて理性が働くのを待つという方法があります。

・・・いきなりキレるのではなく、余裕を見せつつ、不愉快であるという意思は伝えておくのです。

・・・セロトニンは男性に比べ女性の分泌量が少なく、季節やストレス、食べ物などによって分泌量が変化することがわかっています。特に生理中や生理前のほか、日照時間が短くなる6月や秋にはセロトニンの合成が上手くできず、分泌量が減りやすいのです。

・・・特に心にダメージを受けるのは、自分が軽んじられていると感じるときです。

・・・海外で暮らしていると、ときにキレるということが必要な場面に多々出会います。彼女自身のキレキャラも、訓練して身につけた自分の守り方であり、自分の主張を通すための手段だったのかもしれません。

・・・日本はみんなと仲良くすることがプライオリティの高い文化なので、正々堂々ハンドの優劣で勝敗を決めるのが“正しく”て、駆け引きやはったりで相手にゲームを棄権させるのは“狡い”という思いがあるのかもしれません。騙すようで嫌だというのもあるのでしょう。・・残念ながら現在は、ポーカーに限らず、海外では「日本人=カモ」という概念が定着しているフシがあります。何をされても言い返せずニコニコしているからです。

・・・日本では、もめ事を起こした人をそれだけで「ダメな人だ」と思ってしまう風潮があります。

・・・自分の不利益が見えてきたら、テクニカルに切り返すべきです。さもないと、相手は搾取してもよいターゲットとして見て、さらに攻撃をエスカレートさせてきます。

・・・日本語では論破すると言うと、“誰々を論破する”と、人を目的語にすることが多いのではないでしょうか。しかし、フランス語では、この動詞は“人”を目的語にとる用法の頻度が低いのだと聞いたことがあります。あくまで、“議論の対象物”を目的語として、ある問題点や疑問点についてなど“○○を論破する”という使い方をするのだとか。・・ところが、日本では、“誰々を論破する”という言い方をします。“人”を破る。結局、目的は相手を黙らせること、否定することになり、ともすることになり、ともすると喧嘩になってしまうのです。

・・・あえて空気を読まず、できないことや苦手なことをきっぱり断る。あえていい人にならない。そしてよい結果を出し、自分も相手もよい思いを共有する、WIN-WINの関係の好例だと思います。

・・・任侠の世界で交渉上手な人は、自分たちに非があった場合、とにかく相手に喋らせるのだそうです。あえて相手にありったけの文句を言わせるのです。言わせるだけ言わせて「お前はいつもそうだ」などと人格攻撃が始まったときに、「確かにこちらにも火がありましたけど、そういう言い方はないんじゃないですかね」「そこまで言うってのは、どういうおつもりですか」と反撃するそうです。相手に人格攻撃したことを後ろめたく思わせて、劣勢から優勢の立場にひっくり返すのです。

・・・彼女は誰かにキレるとき、人格ではなく、行動だけを否定するよう心掛けてました。・・最大に称賛の言葉をかけて持ち上げます。相手がいい気分になったところで、ルールを守らないことに対して「あれはないよね~」とさらっと伝えるのです。

・・・相手の話をよく聞き、相手に対する尊敬の念や気遣いを見せつつも、主張は譲らず、いつの間にか自分の主張が通るように相手を巻き込んで言ったそうです。相手のプライドを傷つけることなく、自分たちのやり方の方がお互いに得であると思わせるような言い方をするのです。

・・・“アサーティブ”なコミュニケーションは、相手も自分も大切に扱うのが特徴です。自分の気持ちを正直に、その場にふさわしい表現方法で伝えようとします。・・ポイントは“私は”を主語にして伝えることです。「私は~と思う」と言うことで、自分の感情を素直に表現でき、相手を責めているのではないという姿勢なので相手からのリベンジを避けることができます。・・相手を主語にして言うと、相手は責められていると感じて反発してしまうかもしれません。・・ポイントは約束を破られた直後に言うか、相手の機嫌のよいときに言うこと。』

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