新聞記事から (正論 中国による「尖閣諸島奪取作戦」 東京国際大学教授 村井友秀)(1.7.30 産経新聞朝刊)
昨日の産経新聞に掲載されていた、村井友秀教授の論評です。よく整理され、わかりやすく、そして結論は極めて冷徹なものです。
『現在、尖閣諸島(沖縄県石垣市)は実質的に日本の統治下にある。しかし、中国は尖閣諸島が中国固有の領土だと主張し、さまざまな手段を講じて尖閣諸島を支配下に置こうとしている。
≪戦争で尖閣は取れるのか≫
中国が尖閣諸島を日本から奪取しようとする場合、3つのシナリオが考えられる。①軍事作戦②国際裁判③外交交渉である。
軍事作戦で奪取する場合は中国が戦争に勝たなくてはならない。戦争に関与する国は、中国、日本、米国であろう。3カ国の軍事力を比較すると、米国が圧倒的に強く、次いで中国、日本は3番手である。しかたがって、中国は米国と戦争すれば負ける。中国が戦争に勝つためには米国と戦争しないことが条件となる。
日本と中国の戦争は3つのレベル、すなわち核戦争、通常兵器による全面戦争、小規模な局地戦争に分けられる。核戦争や全面戦争では核兵器を持たず中国軍の10分の1の兵力しかない日本が、数百発の核兵器とミサイルを持つ軍事大国の中国に勝つ可能性はない。
しかし、中国と日本の間に大戦争が発生すれば米国が介入する可能性が高くなる。米国本土の安全や米国の世界支配を脅かすような深刻な脅威に対抗するためには、米国は大規模に軍事介入する。日本が中国に負けて中国の支配下に入れば、米国はインド太平洋戦略の要石を失い、米国の世界戦略は重傷を負うことになる。
したがって、日中間の核戦争や全面戦争には米国は軍事介入するだろう。米国が大規模に介入すれば、中国は戦争に負け、共産党政権は倒れる。中国共産党は共産党による独裁政権の維持を何よりも重視する合理的なアクターであり、自殺行為はしないだろう。
核戦争や全面戦争になれば負けた国の政府は倒れる。しかし、参加兵力が千人以下、死傷者が百人以下といった小さな戦争に負けても政府は倒れない。局地戦争に負けても、小さな戦争に負けただけで、戦争を拡大すれば最終的に勝てると政府は国民に主張するだろう。その主張を国民が信じれば政府は倒れない。
また、1万キロ離れた海上に浮かぶ小さな島が、米国にとって死活的に重要な島であると米国政府が説明しても多くの米国民は納得せず、米軍が介入することに米国民は同意しないだろうと中国政府が考える可能性がある。
米国が介入しなければ、局地戦争は日中の戦いになる。兵力と戦場が限定され中国の物的優位が生かせない局地戦争では日中の軍事バランスは中国に有利ではない。米国が介入すれば中国に勝ち目はないが、局地戦争の場合は米国が介入しなくても中国軍が勝てる保証はない。中国共産党が合理的なアクターなら軍事行動に慎重になるだろう。
≪死傷者感受性が高い日本人≫
ただし、もう一つ重要な側面がある。それは日本国民の損害許容限度である。もし、日中両国が尖閣諸島をめぐって局地戦争を戦い、日本側に100人、中国側に200人の損害が発生し、戦争は日本が勝利して尖閣諸島を日本が確保した場合、200人の損害は中国にとって恐らく許容限度内であるのに対して、日本国民が100人の損害に耐えられなければ、日本は戦争に踏み切ることはできない。中国が200人の損害を覚悟して戦争すると日本を脅迫すれば、日本はたとえ局地戦争に勝利できるとしても100人の損害を避けるために中国に屈服する道を選ぶだろう。日本から尖閣諸島を奪取する戦略として、局地戦争は中国にとって負ける可能性があっても魅力的な選択肢である。
国際裁判の場合はどうか。中国は500年前の古文書を根拠にして尖閣諸島が固有の領土であると主張している。日本の主張は、1895年以来尖閣諸島を実効支配してきたという国際法上の権原(先占)が根拠である。中国は南シナ海の島をめぐるフィリピンとの争いでも同様に古文書を根拠にして領有権を主張したが、2016年に仲裁裁判所は中国の主張を全面的に否定した。国際裁判で中国が勝利できる可能性は低い。
外交交渉はどうか。外交交渉は基本的にギブアンドテイクであり、尖閣諸島をテイクするためには日本に何かをギブしなければならない。尖閣諸島は中国固有の領土であると主張してきた中国政府が、元来自分のものである島を取り返すために日本に何かをギブすると説明しても国民は納得しないだろう。領土や主権を何か別のものと交換することは政治的に困難である。固有の領土はギブアンドテイクの対象にならない。
≪自国の領土を守る気概≫
以上の状況を勘案すれば、日本から尖閣諸島を奪取できる最も可能性が高い戦略は局地戦争である。したがって、日本が局地戦争を抑止し尖閣諸島を守るためには、日本人が正義のためには犠牲を恐れない勇気ある国民であることを明確なメッセージとして中国に伝えなければならない。』