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2019年1月

2019年1月27日 (日)

新聞記事から (【日曜経済講座】 待ったなし、消費税増税凍結 破綻中国の道連れになるな 編集委員 田村秀男 産経新聞(平成31年1月27日 朝刊))

 今の世界経済の状況を見ると、景気に冷水をかけるような消費税増税は、今年は見送るべきだと思いますが、声をあげる人が少ないのを見ると、本当に腹が立ちます。経済学者や経済評論家というのは、前回の消費税増税の際もそうでしたが、本当に自分の発言に責任を取らない人ばかりだと感じます。そのような中、当時も消費税増税に反対していた、数少ない気骨のある経済記者の論評を残しておきます。

『 失速する中国経済は今や、破綻危機に直面している。安倍晋三政権はこの機を逃さず、今秋予定の消費税率10%への引き上げの凍結を決断し、膨張中国、委縮日本の流れを逆転すべきだ。
 日本や米欧の中国専門家やエコノミストの多くは習近平政権が融資と財政支出を拡大すれば、従来のように回復可能とみるが、そんな楽観論は基本的に間違っている。中国の特異な市場経済モデルを西側と混同しているからだ。
 中国の金融経済は、共産党の司令のもと、中央銀行である中国人民銀行が流入するドルを買い上げて人民元を発行し、国有商業銀行を通じて融資する。企業や地方政府は工業や不動産開発に資金を投入し、景気を拡大させる。その異質さゆえに、中国はこれまでは高度経済成長を遂げ、2008年9月の「リーマン・ショック」を乗り切ったが、今回は不可能だ。中国からのドルの流出が増え、流入が細っているからだ。
 トランプ米政権の対中貿易制裁が追い打ちをかける。人民銀行は景気対策に必要な融資拡大に向け、人民元の発行を思い通り増やせない。ドルの裏付けのない人民元は暴落リスクが高まるからだ。無理やり、人民元資金を増発しても、先行き不安が高まり、中国からの資本逃避が加速、株式や不動産市場は崩壊危機にさらされる。今、それらが同時進行している。グラフは以上のドラマを端的に表す。
 まずは、新規融資総量。国有商業銀行を通じた正規の融資と、「シャドーバンキング」と呼ばれるノンバンクによる金融の合計である。18年は前年比14%減と落ち込んだ。正規ルートの融資は国有企業向けを中心に新規融資は伸びているが、中小企業向けや、「融資平台」と称する地方政府の不動産開発資金調達機関向けのシャドーバンキングは大きく縮小している。
 景気拡大に必要な資金(「成長通貨」と呼ばれる)は人民銀行が発行、供給する。その前年比増加率は18年末で2.8%増にとどまり、当局発表の実質経済成長率6.6%を大きく下回った。原因は、人民元資金発行の裏付け資産である人民銀行の外貨資産(外貨準備に相当)減にある。人民銀行はリーマン後の景気拡大期には人民元発行量を超える外貨資産を保有していたが、人民元レートを切り下げた15年夏以降に資本逃避が激しくなって以来、外貨減の傾向が止まらない。
 外準は16年には前年比10%以上減った後、最近ではほぼ横ばいの水準で落ち着いているように見えるのだが、「粉飾」のおかげだ。実際には、海外からの借り入れを前年比で3千億ドル前後増やして、ほぼ同額の資本流出を穴埋めしている。
 景気や不動産市場下支えのためには、人民元資金増発を続けざるをえない。その結果、18年末には人民銀行の外貨資産は人民元発行量の64%にしかすぎなくなった。同比率が100%を超えていたリーマン後に比べ、人民元はドルの裏付けに不安を抱え、信用不安、あるいは悪性インフレを引き起こしかねないと、党官僚が恐れる。
 通貨価値毀損こそは、毛沢東率いる共産党が大陸から追い出した蒋介石の国民党政権最大の敗因だ。その二の舞を恐れる習政権は景気が悪化しても金融を緩和するどころか、引き締めるしかない。まさに苦渋の決断だ。
 習政権が大掛かりな財政出動を行い、インフラ投資などで景気を拡大できるかというと、やはり金融上の障害がたちはだかる。財政出動のためには国債を発行し、人民銀行が市場から買い上げるので、どうしても金融を量的に拡大せざるをえないのだ。
 金融引き締めが続く中で、地方政府は傘下の融資平台の債務不履行が続出する一方、融資が受けられなくなった中小企業の倒産が続出している。実物経済も大きく縮小しており、18年の年間自動車生産は前年比4割減である。
 そこに米中貿易戦争による重圧がかかる。3月1日が期限になっている米中貿易交渉が不発に終われば、中国の金融市場も不動産市場も一斉にパニックに陥りかねない。
 日本はどうすべきか。工作機械など一部の業種は対中受注減だが、日本の対中輸出依存度は国内総生産(GDP)の3.5%にすぎず、同1割にも達する韓国とは大違いだ。安倍政権はこの際、内需主導による脱デフレと経済再生に全力を挙げるべきだ。10月からの消費税脱税は内需を圧殺し、デフレを招く。対中巻き返しの好機を自ら放棄する愚行ではないか。』

2019年1月24日 (木)

新聞記事から(【正論】言論の自由を守るために戦おう 麗澤大学助教 ジェイソン・モーガン、【緯度経度】トランプ政権丸2年の総括 古森義久  産経新聞 平成31年1月24日朝刊)

日本にいるとなかなかわからない内容を教えてくれる記事が2件ありました。

【正論】言論の自由を守るために戦おう 麗澤大学助教 ジェイソン・モーガン

 私はアメリカで生まれ育った。アメリカにいたときは、アメリカの位置付けが簡単にできていた。われわれアメリカ人は、自由な国民であり、ソ連や中国、その他の共産主義の国々と違って、言いたいこと、やりたいことは自由にでき、開放感にあふれている。一般国民もそれに感謝をしていた。

 アメリカン・ジョークかもしれないが、少年の頃、はやっていた決まり文句がある。例えば家に遊びに来る友達が「トイレを借りてもいい?」と尋ねたら「もちろん。自由な国だよ」と必ず答えた。さほどに自由に満ちたアメリカに育てられた。

 《トランプ大統領はゴジラだ》

 しかし時が経つにつれ、微妙に事情が変わってきた。ポリティカル・コレクトネス(PC)による「言論弾圧」が登場して、少しずつ解放感が圧迫されるようになった。文化マルクス主義者が徐々に学校、教会、政府などあらゆる組織に潜り込んで言論の自由を侵食した。

 スピーチ・コード(規則)やルール、洗脳などによって異論をもち出す人を追い出すケースも多くなってきた。

 正直でぶっきらぼうな古典的アメリカ人が少なくなり、ジョン・ウェイン、クリント・イーストウッド、チャールトン・ヘストンのような男らしいタイプが珍しくなってきた。そして、ビル・クリントンやマーク・ザッカーバーグ、バラク・オバマのような人ばかりが増えてきた。自分が言いたいことではなく、自称エリートが言ってほしいことを言わなければならない。言論の自由が枯れてしまった。なぜアメリカはPCの国になったのか。

 「平和」を保つために、対立、多様性、異論などを抑えなければならない。それがPCの環境を助長する。文化マルクス主義者や反文明的な分子などが現れて、気に入らない意見を持つ人を村八分にし、迫害する。その状態が今のアメリカだ。トランプ大統領はなぜ人気があるかというと、一般国民がずっと言いたかったことを、代わりにぶっきらぼうに言ってくれるからだ。PCという怪獣と戦ってくれるゴジラは、トランプ氏なのだ。

 《日本にも行く末の不安を感じる》

 日本に来て初めて聞いたことがある。「アメリカは正論の国だ」と。今も時々聞くフレーズだが、聞く度に悲しまざるを得ない。アメリカから「正論の自由」は消えた。言論の自由がリベラルに奪われて、われわれの最も大切にしてきた自由が、完全に静かに強奪されてしまったのだ。

 「正論の国」ではなくなってからこそ、今味わえる自由のおいしさ。自由は当然のことであり永遠に続くと思っていた。アメリカという国が存在さえすれば、自由も存在すると。まるで無防備だった自分を振り返ると悔しさが込み上げる。もっと自由のために戦えばよかった。

 しかし神は哀れみ深い。母国がダメになっても、その暗黒の中に光がともった。日本に来てこの国の素晴らしさ、この国の良さを肌で感じることを許された。エジプトから逃走してもイスラエルまで向かえる。失った故郷よりも素敵な故郷が待っていた。日本を心から愛している。とても素晴らしい国である。絶対にアメリカの二の舞を演じないでほしい。

 しかし私は今、この国の行く末をとても憂えている。作家の百田尚樹氏や、周議員の杉田水脈さんのケースにもあったように、「ヘイト・スピーチ」などのレッテルを一回でも貼られれば、言論の自由の「敵」の勝利になる現象が日本でも頻繁に起きている。

 中国や韓国、北朝鮮という自由の敵国による言論の脅迫を受けても、反論や反撃をしない日本政府や日本国民は、まるで「爆睡中」であるかのようだ。どうしても目を覚ましていただきたい。

 《嘘には真実で反撃すべきだ》

 先日、キャスターの我那覇真子さんに招かれ、沖縄で講演会に参加した。札付きのアンチ・リベラルの私の講演にはきっと、反対派が詰めかけるだろうと考えていた。我那覇さんがハワイで講演会を開いた時には講演が邪魔され大騒ぎとなった。私はこれを聞いて申し訳なく恥ずかしく思った。

 幸い沖縄の講演会では、混乱は起きなかった。でももしかしたら、反対派が小さなパフォーマンスを披露するような事態があるのではないかと身構えていた。そう考えた自分自身が悲しかった。日本でも少しずつ言論の自由がなくなりつつある。

 「言論の自由を失った国」から来た私は、言論の自由がまだまだ残っている国のみなさんに訴えたい。起きて、気付け。

 文化マルクス主義者や悪質な左翼と戦うときは今だ。「そのことを言ってはいけない」と言われたら、もっと大きな声で言おう。「日本はダメな国だ」と言われても信じないでほしい。それは嘘だ。嘘を認めたら言論の自由が危ない。嘘には真実で反撃すべきだ。私は言論の自由の悲劇が日本でも起こらないように肩を並べて戦う覚悟だ。』


【緯度経度】トランプ政権丸2年の総括 古森義久

 米国のトランプ政権の登場から丸2年の総括が日本側でも盛んとなった。その基調は「トランプ大統領は長年の対外的な同盟関係の縮小あるいは解消を意図している」という警鐘が目立つ。その日本側“識者”の間での「負の断定」には奇妙なほど画一性がある。

 画一性といえば、昨年11月の中間選挙までは「トランプ氏は選挙のため前のめりになっている」という指摘が顕著だった。北朝鮮、中国、メキシコ国境の壁建設と、トランプ氏はとにかく中間選挙の与党勝利のため本来の方針を捨てて、人気取りに走っているとする指摘だった。

 だが中間選挙が終わった今、諸懸案へのトランプ氏の施策は選挙前と変わっていない。「選挙のための前のめり」はそもそも空疎な批判だったようなのだ。

 この2年、同様に空疎な指摘としては、第1に「トランプ政権の終わり」論があった。日本側の主要メディアではトランプ政権の「崩壊」や「終末」が何度、断言されたことか。

 第2はトランプ支持の堅固さの無視である。最新の世論調査は支持率44%で、就任時よりも、オバマ前大統領の同時期よりも高い。だが、日本側の論評はトランプ支持層の存在や主張にはまず触れないのだ。

 第3は日本のトランプ政権の効用の無視である。尖閣防衛の誓約に始まる日米同盟の堅持、日本人拉致事件解決への支援、中国の脅威の抑止など日本にとって明白なプラスが、肝心の日本側でまず語られない。

 この種のトランプ論は誰もが一斉に同じことを述べる画一性では群集心理という言葉を連想させる。その主張で、いま最大の流行は「マティス前国防長官の解任でトランプ氏はいよいよ同盟関係の解消へ傾く」という指摘だろう。

 この種の指摘は米側の反トランプのメディアからの情報が基礎となる場合が多い。「トランプ大統領は北大西洋条約機構(NATO)首脳会議直後の昨年夏、米国のNATOからの離脱の意向に等しい発言をした」と報じたような実例である。

 ところが同じ報道の中に、トランプ政権がこの報を公式に否定し、「米国とNATOの絆は非常に強く同盟関係は重要だ」としていることは日本側ではほとんど伝えられない。

 トランプ氏が就任前から米国の軍事同盟に批判的な言辞を述べてきたのは確かだ。だが、その趣旨はみな防衛負担の不平等への不満であり、同盟そのものの否定ではない。それをいかにも同盟解消論のようにゆがめて伝えるのは米国側の反トランプのメディアや中国の政治宣伝だった。

 トランプ政権の同盟の保持や教科の政策は昨年末に大統領が署名した「アジア再保証イニシアチブ法」でも明示された。アジアでの同盟・友好の相手の日本、韓国、台湾などとの安保面での絆の強化を具体的な予算額を明示して公約した新法律だった。

 トランプ氏自身が17日に発表した新戦略「ミサイル防衛の見直し」でも、アジアや欧州の同盟諸国との共同のミサイル防衛網強化を宣言していた。

 こうした予算措置まで明示した同盟強化政策と、断片的な未確認情報を集めた同盟解消説をまず比べるよう日本側の”識者”には勧めたい。』

2019年1月23日 (水)

中国に勝つ日本の大戦略 -プーチン流現実主義が日本を救う- (北野幸伯著 育鵬社)

知り合いから勧められ読んでみました。約1年前に出されたものですが、誠に示唆に富んだ素晴らしい著作です。私が何となく感じていたことなどもわかりやすく説明してくれています。

『・・・同年(2009年)12月、小沢一郎幹事長は、大使節団を率いて中国を訪問。小沢氏は、胡錦涛国家主席との会談時、「私は、人民解放軍の野戦軍司令官です」といい、アメリカ政府と日本国民を仰天させました。要するに、小沢さんは、「私はあなたの手下です!」と宣言した。

・・・この事件で、私たちは、重要な教訓を得ることができます。2010年9月、アメリカが日本を守ったということ。といっても、「尖閣は日米安保の適用対象である」という声明を出しただけですが。それでも中国をおとなしくさせるのには十分だった。

・・・オバマは、「これからは戦略の中心を、中東からアジアにシフトさせる」と宣言した・・「シェール革命」で中東の重要性が薄れてきたこと・・アメリカは、2015年時点で「世界一の産油、産ガス超大国」になっています。

・・・年間予算120億ドルということは、一ドル100円換算で一兆2000億円。中国は、こんな大金をプロパガンダに投じている。

・・・安倍首相は習近平主席が控室に入ってきたとたん、まっしぐらに駆け寄って行って握手を求めた。・・「アメリカと仲良くするためには、ここまでしなければいけないのか・・・」一国民として情けない感じですが。しかし、「ここまでできる」安倍首相は、立派だろうと思います。なんといっても、世界中で自分(安倍総理)の悪口を言いふらしている人物に、走って握手を求めるのですから。

・・・アメリカ大統領が2013年8月に、「戦争する!」と宣言し、翌月に「やっぱりやめる!」と前言を撤回した。これは、「オバマ最大の失敗」と言われています。オバマが、「史上最弱の大統領」と批判されるのは、主にシリア戦争ドタキャンのせいなのです。・・さて、シリア戦争ドタキャンは、アメリカ、欧州、ロシアのパワーバランスを大きく変えました。変化の一つ目は、イギリスがアメリカを裏切ったこと。

・・・二つ目の変化は、アメリカとロシアの関係が、決定的に悪化したことです。

・・・アメリカには、「G8は我が国を頂点とする組織で、その他の国々は部下だ」という意識がある。

・・・「クリミア併合」という歴史的大事件、靖国参拝で孤立していた安倍総理を救いました。アメリカは、日本を「対ロシア制裁網」に加えなければならなくなった。

・・・なぜ中国は、米欧日を敵に回すリスクをとって、ロシア側についたのでしょうか?中国がロシアを取り込むことに成功すれば、自国の欠点を克服し、世界最強になれるからです。

・・・AIIB事件の本質は、「同盟国がアメリカのいうことを聞かなかったこと」です。

・・・毛沢東と周恩来の、「中国は、絶対超大国にならない!」宣言です。これを、アメリカは、つい最近まで愚直に信じてきました。100万回繰り返される、「中国は超大国にならない」「平和的台頭」という言葉。これらの言葉が、アメリカを油断させ、中国が同国の覇権を脅かす大国になることを許したのです。

・・・1972年の時点で、米中関係は、「事実上の同盟関係になった」とキッシンジャーが断言している。

・・・ピルズベリー氏は、アメリカが鄧小平の時代、どれだけとんでもない支援をしたか、詳細に記しています。彼によると、鄧は、経済発展に直接関わり合いのあるものだけでなく、それこそ「すべてのもの」をアメリカから受け取る(あるいは奪う)ことに成功した。

・・・世界銀行は普段、「なんでもかんでも民営化しろ!」なのに、中国に限っては、正反対のアドバイスをしています。「国家が貿易を牛耳れ!」と。ちなみに、ソ連崩壊後ロシアは、IMFや世界銀行のアドバイスを聞き、大々的な民営化を行いました。結果、新生ロシアのGDPは、1992~98年で43%も減少した。一方、世界銀行、中国には、「本当に経済出来る提言」をしたのでしょう。

・・・ビル・クリントンは、大統領に就任した1993年1月当時、反中だったそうです。・・なんとアメリカ政府内に「強力な親中派グループを組織し、「反中政策」を転換させることにしたのです。

・・・アメリカが中国を助ける本質的動機はこれまで「ソ連に対抗するため」でした。ところが、もはやソ連はいない。「クリントン・クーデター」後、アメリカは、中国を「大儲けできる国」と見なすようになった。米中関係は、「対ソ同盟」から、「金儲け同盟」に移行しました。

・・・問題は、2003年に開始されたイラク戦争です。・・これが、「アメリカの没落を加速させた」ことが分かっています・・グリーンスパンさんに言わせると、「イラク戦争の動機が石油利権だったこと」は「誰もが知っている事実」(!)なのだそうです。

・・・国際金融資本家は、資本の流れを妨げる国境を嫌います。さらに、自分の都合で国内のルールをコロコロ変える独裁者を基本的に嫌います。国際金融資本家たちは、資本の移動を制限する国境がなく、全世界が同じ法律でわかりやすく、資本家を弾圧する独裁者がいない世界を夢見ている。

・・・現在の国際法では、「戦争をしていいケース」が二つだけあります。一つは、「他国が攻めて来た」とき。これは、「自衛権の行使」ということで、戦争が認められます。もう一つは、「国連安保理が認めた」とき。

・・・人は誰でも、「私が見るように、他の人も見ている」と思いがち。しかし、日本から見た中国と、アメリカから見た中国が全然違うことを知っておく必要があります。

・・・ロシアのまわりの「勢力圏」で、どんどん革命がおこり、「親米反ロ政権」が生まれていく。「このままではいずれロシアでも革命が起きる!」こういう危機感を持ったプーチンは、中国との(事実上の)同盟を決意します。

・・・大戦略の重要なポイントは、「味方を増やすこと」と「敵を孤立させること」です。

・・・親ロシアの代表は、ティラーソン国務長官です。彼は、エクソンモービルCEOとして、ロシアと関わってきた。ロシア政府から「友好勲章」を受け取っています。もう一人の新ロ派は、マイケル・フリン大統領補佐官です。

・・・キャリー・グレイシー氏はこう書いています。〈中国では民間企業にさえ共産党の末端組織が存在しており、国家の戦略的利益になると政府の命令に従うよう求められる〉。

・・・「親中民主党」「反中共和党」という一般的な定義は、必ずしも当てはまらない。・・中国は、アメリカで、強力なロビー勢力になっている。それで、反中大統領が登場しても、短期間で懐柔することができる。

・・・私は1990年、モスクワに留学しました。1991年12月にソ連は崩壊したので、共産主義時代最末期です。来てみて最初に驚いたのは、ソ連人が皆、親日だったこと。

・・・私は、「日本は善い国なのか?悪い国なのか?」という論争の他に、とても重要な議論が必要だと感じています。それは、「勝敗論」です。意味は、「日本は善い国なのか?悪い国なのか?」ではなく、「日本は、第2次大戦でなぜ負けたのか?」を分析することです。そのうえで、「日本は、どうすれば勝てたのか」を考える。

・・・日本が、ロシアに勝てたのは、もちろん日本人が必死で戦ったから。しかし、他にも理由はあります。たとえば、当時の覇権国イギリスと、同盟関係にあったこと。さらに、アメリカは資金面で、巨額のサポートをしてくれました。・・ところで、なぜアメリカは、日本を助けたのか?「満州利権に入り込みたかったから」です。・・アメリカは、「日本に多額の資金を援助し、ロシアに勝ったら満州利権に入り込める!」というもくろみだった。しかし、日本は「満州の利権にアメリカは入れないよ!」と拒否したのです。アメリカは激怒しました。・・日本は、日露戦争時多額の資金援助と和平の仲介をしてくれたアメリカの恩に報いなかった。そして、アメリカの国益を尊重しなかった。その結果アメリカは激怒し、「対日本戦略」(日本との戦争に勝つためのプラン)を策定した。

・・・日本が、アメリカを満州利権に入れなかったことは、日米関係を悪化させただけでなく、日英関係にも悪影響を及ぼすようになっていったのです。

・・・などなど、最大限のサポートをしてくれたのです。そんなイギリスですが、日露戦争から10年目、史上最大の危機に直面します。そう、第1次世界大戦が勃発したのです。日本は、地中海に艦隊を派遣し、大いに貢献しました。しかし日本は、陸軍派兵の要求を拒否し続けた。イギリスは、同盟国日本の冷淡さに、心底失望します。・・第1次大戦中、駐日大使だったウィリアム・C・グリーン氏は、いいます。〈戦争が勃発しわれわれが手一杯の時、我が同盟国がいかに失望したかを語る必要はないであろう。任期中に加藤高明、本野一郎、後藤新平、石井菊次郎の4人の外務大臣に接したが、イギリスの協力要請に対する対応は常に同一態度、すなわち、直ちに拒否するか、後ほど回答すると述べて拒否するか、未だ考慮中と述べて時間切れを待って拒否するかのいずれかであった〉・・当時の日本政府には、「同盟国イギリスを助けよう」という気持ちは「まったくなかった」ようです。外務次官ニコルソンさんは、いいます。〈私は日英同盟を全然信用していない。日本は最小のリスクと負担で最大の利益を引き出そうとしている〉

・・・第一次大戦の結果、イギリスは「日英同盟破棄」を決意します。そればかりではありません。大戦時イギリスを救ってくれたアメリカと急速に接近していった。米英はこのときから、「日本をいつか叩きつぶしてやる!」と決意し、「ゆっくりと殺していく」ことにしたのです。

・・・「おまえ(アメリカ)が俺(日本)のために死ぬのは当然だ。だが、俺(日本)は、おまえ(アメリカ)のために、決して死なない。なぜなら、俺(日本)は『平和主義者』だからだ」こういう論理は、果たして「尊い」のでしょうか?

・・・アメリカの覇権は衰え、中国にその地位を脅かされるようになっています。日本も、世界とアメリカの変化に対応し、変わっていく必要がある。そうでなければ、イギリスが日本との同盟を破棄したように、アメリカも日米同盟破棄を通告してくるでしょう。それを喜ぶ人もいるでしょうが、喜びは、長く続きません。なぜなら、中国が、「固有の領土である」と主張する尖閣、沖縄を奪いにやってくるからです。

・・・藤原先生ご自身の「リットン報告書」と日本政府の対応についての評価が続きます。<リットン報告書を受諾して、すなわち名を捨てて実を取り、アメリカやイギリスにも満州国の利権の一部譲ってやるくらいのことをしておけば、日本は英米と協力し共産ソ連の南下に対抗できたのです。絶好の機会を逸した上に日本は世界の孤児となったのです。冷徹な計算のない、余りに稚拙な外交には嘆息が出ます。>

・・・「なぜ日本は、先の大戦で負けたのか?」私が出した結論は、「日本は、孤立したから負けたのだ」です。

・・・日本は、中国に対し連戦連勝でしたが、結局最後に敗北しました。中国は、連戦連敗でしたが、結局最後に勝利しました。なぜ、もう皆さんはおわかりですね。中国は、アメリカ、イギリス、ソ連を味方につけていたからです。・・「外的バランシング」(同盟関係増強)を重視した中国は、「内的バランシング」(軍備増強)を重視した日本に勝った。

・・・1.米国との同盟関係をますます強固にしていくこと。 2.ロシアとの友好関係を深化させていくこと。 3.韓国と和解すること。

・・・ジアラ氏は、どういう見解だったのでしょうか?<・・たとえ今後、北朝鮮が核兵器を所有することになっても、アメリカ政府は、日本が自主的な核抑止能力を獲得することを許さない。東アジア地域において、日本だけは核抑止力を所有できない状態にとどめておくことが、アメリカ政府の対日方針だ。この方針は米民主党だけではく、共和党政権も賛成してきた政策だ。>

・・・孤立せずに、「事実上の核保有」を実現する方法があります。「ニュークリア・シェアリング」です。これは、核兵器を持たないベルギー、ドイツ、イタリア、オランダがアメリカと結んでいる条約。・・これらの国々は日常的にアメリカの核を使って訓練しています。

・・・日本政府は、「人民解放軍が尖閣に上陸したら、即日排除する!」と決意し、実行する必要がある。電光石火の早業で尖閣を取り戻した後、アメリカ政府、国連安保理に相談するのです。この順序が逆であってはなりません。人民解放軍が、日本への攻撃をつづければ、米軍は動き、国際社会は「クリミア併合」後の対ロシア同様、経済制裁に動くでしょう。

・・・日本が得られる教訓は、「アメリカに利用されるとロクなことがない」ということ。もし、トランプ・アメリカが、「中国と覇権争奪戦はしない。アジアのことは中国に任せる」となれば、アメリカ抜きで日中戦争になる可能性が出てくる。だから、日本は中国に「動く口実」を与える挑発を慎むべきです。・・日本は、アメリカに利用されロシアと戦うハメになったジョージアやウクライナと同じ道を進まないよう、細心の注意が必要なのです。日本が目指すのは、あくまで「アメリカを中心とする対中国バランシング同盟の構築」です。そのためには、中国を挑発してはいけない。中国批判のレベルは、決してアメリカの対中批判レベルを超えてはいけません。

・・・アメリカと、インドが日本の最重要国家です。次に、・・EUです。・・二つの理由で、大事です。まず、経済規模が大きい。(イギリスを含む)EUは、世界GDPで約23%を占めている。もう一つは、情報戦に強いこと。・・最重要の国々=アメリカ、インド 重要な国々=EU、ロシア、中国の脅威を感じている国々(台湾、ベトナム、フィリピン、オーストラリアなど)

・・・国力でドイツに劣るイギリスが勝利できた要因は二つです。・「外交力」によって、有力な国々を味方につけることができた(そのために、イギリスは大きな譲歩をしている)。 ・外交を導く、確固たる「大戦略」があった。一方、強い経済、強い軍隊があったドイツは、それにあまりにも頼りすぎ、「大戦略」でイギリスに負けたのです。

・・・「歴史は80年ごとに繰り返す」という説があります。ウィリアム・ストラウス、ニール・ハウの著書「フォース・ターニング」(ビジネス社)は、まさに○○「歴史は80年ごとに繰り返す」に関する本です。・・しかし、歴史は、「正確に」繰り返すわけではありません。なぜなら、人間は、「歴史から学ぶことができる」生き物だからです。』

2019年1月18日 (金)

成功する人は、「何か」持っている 凡人の私がプロで成功できた本当の理由 (野村克也著 詩想社新書)

野村元プロ野球監督の著作です。別の本でも書かれていたことも含まれていますが、人生において参考になることが多々示されていました。

・・・数は少なくても、見てくれる人のために懸命に努力する。それが私の自負でもあった。

・・・子ども心にも思ったのは、どんなに貧乏をしていても、満足に食べられないような生活でも、親がそばにいて一つ屋根の下で一緒に暮らしているという以上の幸せはないということだった。

・・・人生で夢をつかみ、何らかの成功を手にする人には、目に見えない「運」がある。

・・・所詮はその他大勢から、どう一歩抜け出すかということだ。まわりの人間たちとは違った「取り組み方」をしているから、抜け出すことができるわけで、その「取り組み方」は人よりも頭を使うことであったり、他人と違った目標設定の仕方であったり、誰よりも諦めずに挑戦し続けることといった個々の方法論だ。

・・・もちろん自分が、死に物狂いで必死に努力することも大切だ。しかし夢を掴み取るためには、人の「縁」がなければかなわない。夢をつかみ、大成している人たちは、この縁を持っているのだ。

・・・夢を追うのもいいが、それは分析に基づいた目標設定がなくては実現しない。自分の力量を冷静に判断し、そして対象の実態を把握する。彼我の現状分析がなされたうえでの目標、夢だからそれがかなうのである。・・どういうステップを踏んでいくのか、冷静に現状分析をし、実現可能性の高い道筋を選んで、夢に近づいていくことが、最初の第一歩だと私は思っている。

・・・人生の師と仰いでいた評論家の草柳大蔵さんに相談に行くと、「悪かったという人が九人いても、いいという人が一人でもいれば、それで勝ちなんですよ。見ている人は必ずいますから、どんなときも一生懸命やればいいのです」と教えられ、肩の力が抜けた。・・「誰も見ていないようでいて、必ず見ている人はいる」。この言葉は、私に監督としての新たな人生をもたらした言葉である。

・・・まず、夢をかなえるために必要なのは、夢に向けた正しい目標設定と、夢に対する行動力だ。・・いろんな夢があるだろうが、その夢に至る道は、それぞれ無数にあるものだ。どういったステップで登っていくのか、その目標設定を自身の実力、環境などを加味し、客観的に設定する。また、夢があるのなら、それに向かって常に具体的に行動を起こすことが重要だ。夢をかなえられない人の多くは、行動すら起こしていないことがその原因ではないだろうか。

・・・人は、自分の発言には「責任」を持つようになるという側面もある。

・・・努力は継続することが難しい。・・自己限定をした瞬間、人の成長は確実に止まる。だから、努力に即効性はないことを常に意識し、淡々と努力を継続することが重要だ。そうして心血を注いだ努力は、必ず裏切らない。・・皆ができないのだから、あなたがやり続けさえすれば、それだけで他の人に差をつけられるのだ。また、努力をするにも、正しい努力をしなければならない。そのためにはまず、「己を知る」ことが必要だ。・・自分を知り、現状を知り、方針や計画を立てるというプロセスに必要なのは、「考える力」だ。頭を使い、考えるものだけが、成功に近づける。・・この「考える」ことの起点となるのが、「感じる力」だ。常々、ミーティングでも、「すべての始まりは感じる力だ」と選手たちに言っていた。人は感じるから、考える。

・・・実力がなければ、運をものにすることはできない。まずは、実力をつけることが先決だ。・・あらためて考えてみると、運があったとはいえ、その機会をものにできたのは、私が日ごろから厳しい努力を重ね、その実力を蓄えていたからということもできる。何事も実力があっての、運なのだ。

・・・親孝行とは親への感謝の気持ちであり、その感謝の思いが、困難にぶつかってもくじけない、夢を追い続ける力になるのだろう。・・人は自分のためだけにがんばるよりも、「誰か」がいてこそ、ここ一番でより踏ん張りがきくのではないだろうか。その誰かへの感謝の心が、これからの人が夢を追う原動力になって行くと私は考えている。』

2019年1月17日 (木)

新聞記事から (【半島考察】韓国 なぜ約束を守れない 産経新聞(平成31年1月17日 朝刊)

短いコラムでしたが、韓国の大統領がなぜ退任後投獄されるのか、また韓国には伝統文化が残っていないのか、などの理由を端的に知ることができ、目からウロゴか落ちた気分です。

「韓国は歴史を書き換えるので気をつけないといけない」。韓国の大学で歴史学を学んでいた日本人留学生から以前、聞いた話だ。

 小倉紀蔵(おぐら・きぞう)京都大教授によれば、日本と韓国とでは歴史観がだいぶ違うという。小倉氏は「なぜ日本人は過去の糾弾をしないのかということを韓国人はよくいう。過去の糾弾というのは、儒教的な意味でいえば毀誉褒貶の「春秋の筆法」によって、どれが悪くて、どれが善かったという、必ず善悪の価値をつけて歴史を描くことをいう。そういう歴史観こそが文明だと思っている」(「心で知る、韓国」)と指摘する。

 ◇歴史の立て直し

 春秋の筆法という言葉は、中国の孔子の編集による歴史書「春秋」に由来する。韓国でよく耳にする言葉に「ヨクロ パロセウギ」というのがあるが、直訳すると「歴史の立て直し」だ。韓国版「春秋の筆法」といえるかもしれない。埋もれた真実を掘り出すという側面もあるが、政権が代わると自分たちの都合のいいように歴史を書き換えるという面もある。

 「歴史の立て直し」は日本人にはなかなか理解しづらいが、それ以上に驚かされるのが、過去に日韓間で結ばれた合意や協定が事実上“反故”にされることだ。慰安婦問題をめぐる2015年12月の日韓合意に基づき設立された「和解・癒し財団」の解散問題やいわゆる徴用工訴訟の最高裁判決がそれだ。

 「約束を守ることが正しい」とする日本人には到底許されない。だが、くだんの知人によれば、韓国人は約束を守ることよりも、その約束が韓国でいう「オルバルダ(正しい)」かを重視する。韓国人は、この「オルバルダ」を基準に歴史もみているという。

 ソウル在住の通訳者に聞いたところ、「オルバルダ」は「道徳的に正しい」「人間として正しい」といったニュアンスがあるという。

 韓国人にとって、朝鮮半島の統治をはじめ元慰安婦や元徴用工の問題は「日本が人間として正しくないことをした」ために起きたということが大前提にある。

 そこに「歴史の立て直し」が加わり、韓国には1910年に締結された日韓併合条約も、65年に結ばれた日韓基本条約も「無効」という考え方がある。

 ◇遡及される法律

 さらに韓国では法そのものに対する考え方が、日本人の常識とはずれている。韓国の場合、法を遡及して適用されることがよくある。他の法治国家ではあまり見られないことだ。

 韓国では実際、新たに制定された法律により、二人の大統領経験者が過去の事件で投獄されている。80年5月に韓国南西部の光州で、軍が民主化を求める学生らを武力鎮圧した責任者を処罰するため、95年に「5・18民主化運動などに関する特例法が制定された。同法により、全斗煥、盧泰愚両大統領が逮捕された。これも当時の金泳三政権下で行われた「歴史の立て直し」の一環だ。

 こうした韓国の持つ特殊性から、韓国ソウル市立大学の鄭在貞名誉教授は今後の日韓関係に悲観的だ。

 「日韓関係はこれまで65年体制の中で対話によって解決が図られてきた。しかし、昨年に徴用工訴訟をめぐる最高裁判決が出て以降、法廷闘争の様相を呈している現在、われわれ(知日派)の出番はなくただ見守るしかない」(編集委員 水沼啓子)』

2019年1月15日 (火)

誰も教えてくれない 田舎暮らしの教科書  (清泉亮著 東洋経済新聞社)

私も田舎出身ですが、いくつか当てはまるところも確かにあるなと感じました。

・・・永住を視野に入れた「根差した移住」を前提にした瞬間に、小さな集落、日本中の地方は、都会人に対してガッチリと、かたくなに心の扉を閉ざしている・・本質は、住めば地獄、であることさえ少なくない。むしろそのほうが多いだろう。日本列島はどこまで行っても、ムラ社会であるからだ。

・・・ムラ意識とは、究極には無条件に習慣を踏襲し、全体に一切抗わない生き方であり、それは地方や過疎地だけにあるものではなく、何よりも移住を希望する都会の人間の内側にも、潜むものとも言える

・・・「同じ長野の人間でも感じるのは、村人は、決して自分のことはしゃべらない。特に人前では絶対にしゃべらない。だけれども、村の人ひとりが知ったことは、それこそ瞬時に村をめぐっている。・・」・・元駐在さんは、「自分のことは絶対に語らない」、それが小さな集落での和を保つ秘訣なのだろうと、そう教えるのだった。

・・・「村の人たちも、自分のところで採れた野菜やキノコなんかをよくもてきてくれるのですが、もらったら必ず返さないといろいろ言われます。・・」

・・・国民健康保険は、自治体ごとの収益で運営されていて、当然、人口の少ない自治体ではプールされる額が少ないので、一人当たりの負担が超高額・高率にならざるをえないんです」

・・・「実は、過疎地域の健康保険料は地獄の出費だと、先に移住した友人から聞いていて、・・退職したあとも2年間は会社の社会保険を利用できる制度を利用して、緩衝期間にしています。翌々年になって年金の収入での算定になれば、ほぼただ同然ですから」

・・・「・・俺なんかもね、村に帰ってきてすぐこう言われたんだ。おい、お前さんざん東京でいい思いしてきて、年とったからって戻ってきて、俺たちのカネで暮らすのかって。結局は、カネの話ばっかり。もう、息が詰まりますよ。・・」

・・地方の自治体が移住者に期待するのは、決して人口増ではなく、村への実入り、つまり税収増への期待なのだ。だがその期待の一方で、年金生活者や就農希望者など、地方に来る人たちは、大きな納税余力を持っていないという現実がある。そこに、地方のいら立ちが見える。

・・・固定費が都会よりも高くつくとなれば、限られた収入しかない年金生活者にとって負担は重い。

・・・田舎暮らしとはそれすなわち、こちらから異なる世界に飛び込む行為にほかならないのだから、相手もこちらに譲歩してくれる、妥協してくれる、理解してくれる、と考えることは大きなつまずきの原因となりかねない。・・考えられない振る舞いが地方では常識である。・・理由が判然としないまま、何度挨拶しても、何度会釈をしても、まるでそこに人などいないかのように無視されることなど、日常茶飯事である。もちろん、これも究極は個々人によるが、地方は個人では行動しないが作法である。集団で行動し、集団で意思を統べるので、個人の振る舞いは都会の比ではないほどに、地域全体に通じていると見た方が無難である。

・・・「新住民」は、地元組織にとってはあくまでも新入りにしかすぎず、住民となってから初めて、まるで新入社員のように集落の仕事を覚え、雑巾がけさながらの修行が始まるのだ。

・・・都会の高度経済成長から取り残されてきた地方は、もとよりそうして互助会同様の作法を徹底し、集落全体で共倒れを防いできた伝統がある。それゆえに、集落全体で収入を得る共同事業は数多いのだ。・・「とにかく、無償奉仕の仕事ばかりがやたらと多いのが地方で、それを無視すると暮らしていけない」

・・・自給自足はカネも人手もかかり、決して安くはない。しまいには生活に必要な最低限度の支払いさえ滞り、生活保護を申請するケースまで生まれている。都会の公営住宅は一度引き払ってしまえば再入居はまず不可能なので、結局、地方に流れたかたちで、都会に戻ることさえままならないのだ。

・・・本当に肝心なものは何か。周辺の地図、である。縮尺が異なるものから、歴史の舞台や遺跡、あるいは樹木の植生など、テーマごとに分かれた周辺の地図をとにかくたくさん集めるのがポイントだ。

・・・旧街道が抜けている土地はやはり、歴史的に往来があったため、人間や地域が新しいものに慣れており、意識が開けていることが少なくない。

・・・山であれ、海辺であれ、高原であれ島であれ、どんな場所にも、四季の中でもっとも住みづらい季節がある。それが冬。

・・・何の摂理か、田舎暮らしというのは、男女ペアでの分業生活があって初めて成り立っているかのようでさえある。

・・・還暦をまわって田舎暮らしをする知人男性の生活スタイルは、ひと月のうち10日間は必ず横浜に戻り、その間に病院通いや銀行での出納管理などを集中して行い、残る20日は地方に戻ってくるパターンである。

・・・一歩、市町村を越えて隣の自治体に行けば事情は異なる。自分の土地と人間のことを決して語らないのは一貫しているが、一方で、よそのことは饒舌に話すのである。

・・・地方は古老を頂点に、そこを仰ぎ、職を預かる市町村長など首長、その下に、青年会、婦人会、消防団と完全なるヒエラルキーが形成されている。・・その中において唯一、その地域性の中でヒエラルキーを超越した存在がある。それが、住職と駐在さんに他ならない。最長老、最有力者をもってしても、菩提寺の住職と、完全なるよそ者でありながら警察権力という圧倒性の前に手も足も出ない駐在さんだけには頭が上がらないからだ。

・・・住んでみたことで覚える住みづらさにかなう情報ありえないのだ。だからこそ、移住を決めたら、まず賃貸がいい。

・・・シダやクルミ、クリなど大量の水分を必要とする樹木がある場所は土中に水気が多い。

・・・日本全国、あらゆる地方に共通するのは、移住者が求める物件として人気なのが別荘利用されていたもの、という点。移住者が求める永住にも向いた物件は、都会の者が利用してきた別荘物件こそがニーズにマッチしていることが多い。

・・・個人的には、いい加減なものの方が圧倒的に多いように見受けるのがバブル期に建てられた物件の数々である。・・バブル期の建築ブームの折り、そうして未熟な職人を現場に投入したことの影響が大きかった。とりわけ海外からの出稼ぎ職人と日本人の親方とは、身振り手振りがしょせんで、コミュニケーションさえままならないのだから当然であろう。

・・・人気の別荘地周辺では、それこそ山のようにある。不動産会社のホームページに載っている物件だけが売り物件でないという視点で眺めていくといい。

・・・物件探しでは、最初に点検口の有無を確認するくらいの気持ちでいた方がいい。住めば必ず必要になるのが点検口だからだ。

・・・LPガスは都市ガスに比べて極めて割高であり、値引き交渉も容易ではない。

・・・ウッドデッキは屋内にある家屋の設備以上に経済的にもメンテナンスが厄介で重荷になりうるのだ。

・・・値下げ交渉で有利なシーズンでまず間違いないのは、やはり冬場。それも、誰もが部屋の中に籠りがちな真冬である。11月下旬から1月、くらいまでであろうか。・・値引きには根拠と説得力が不可欠なのだ。それも、オーナーが納得するような。本来はオーナー側の代理人であるかに見える不動産会社だが、しかし、オーナー側も見立てが甘い場合がほとんどだ。

・・・戸建てであれ、マンションであれ、都会に資産があるものは絶対に売ってはならない。戻る瞬間が必ず訪れる。戻りたいときが必ず、戻らなければならないときが必ず訪れる。それが移住生活の最後の瞬間である。・・目先の負担で、戻るべき場所を失ってはいけないのだ。

・・・住民税を含めた税金は都会の方が安く、人口の少ない地方では高くなるのが基本的な前提だ。・・都会では年収1000万円あればこの程度、という課税額が、人口1000人の村では、年収が200万円程度で課税されてしまうこともある。・・年収がほとんどない者にとっては、田舎暮らしは課税額も少なく理想郷。一方、多少でも副業や何らかのまとまった収入がある者にとっては都会とは比べものにならない額を課税される恐れがある。

・・・降雪地域で走っていた車は、融雪剤の塩化カルシウムを車体の奥に巻き上げている。その字のごとく、山にも塩害はあるのだ。

・・・中古車に馴染みのないあ素人が購入するに当たってまず間違いないのは、大阪や東京などの国道沿いで買う、ということだ。・・多くは都会で車庫に眠っていた車である。都会の車庫に眠っていた車の方が、本質的な傷みは少ない。

・・・地域の業者はパイを奪い合って生きているわけではない。共存共栄で、限られたパイを共有し合って生きているので、仕事とりたさの突出した行為は、それこそ、業者のなかで村八分ものの非難を受けることになる。

・・・集落絶対、一糸乱れぬ協調精神こそが集落の掟のなかで、自主性を主張していると思われればアウト、なのだ。だからこそ、返礼は高くつく。人情は高くつくのだ。気が付く人ならばすぐに思い至るだろう。返礼は倍返しにしておかなければ、必ず恨み節が囁かれる。

・・・地方行政の最大の難所は、行政の指導が及び得ない領域があり、それが地域を取りまとめる、区であり、組でありといった集落にほかならない。行政がその方針を徹底させるにしても、そうした区や組の最有力者である長老組が納得しなければ物事は動かないのだ。

・・・地方は今でも厳然とした長幼の序が徹底している。表に立っている者の背後にある、揺るぎない序列と権力を把握することが大事だ。・・移住して見極めるのは、表に立たされている藻のではなく、裏に潜む実力者なのだ。

・・・そんなやり取りをどれだけ積み重ねても、いったん、不作法だと思い込まれれば、即、掌を返されるのが集落の掟でもある。

・・・ただ一つ、間違いないと思えることがある。彼等もまた、そうして露骨な無視の文化のなかで育ち、そして今日までなおその無視をし、され、の文化圏に生きているということだ。・・無視が文化、という地域が確かに存在するのだ。さらっと無視し、さらっと無視される。・・とにかく、無視されても深いことは考えずに、形通りのあいさつを繰り返しておくのが最善である。

・・・集落では、移住者の全てを知りたがる。もちろん、それに抗う術はない。都会と異なり、遠慮の作法はそこにはない。聞きたいことを直接に、聞きたいだけ、聞かれるのだ。・・安全なのは、訊ねられたことでも、5割引きの半分くらい話しておけばいいのだ。さらに訊ねてくれば残りを話す。相手の気がそこで済めば止めておく。

・・・孫の話は、集落における生意気な自慢話でしかない、ということを肝に銘じたい。・・どこまでいっても、地元民は移住者を決して快く思っていないか、快く思いつつあっても、心中どこかに、楽に生活しやがって、といったそねみの種のようのものを抱いていると思った方がいい。・・孫の話は、地元民の身内話としてだけ許されるものであり、移住者がそんな話を繰り出せば、すべてが自慢話にとられ、それはいずれ、集落のヒエラルキーに下克上を諮ろうものかという油断ならない危険思想であるやの、恐るべき話にさえなりかねないのだ。

・・・地方に生きる人間にとっては、都会暮らしをしてきた人間に対するまなざしは唯一つ、「持てる者か持たざる者か」に尽きると言ってもいい。地方の集落が認める「持てる者」の条件とは何か。それは東京や大阪といった都市圏に戸建てやマンションを持っているか、に尽きる。・・とにかく、大阪や東京に、その郊外に家をもっている者は、自分よりも上、それ以外は都会からの脱落者であり下、という意識だと心得ておけば間違いはない。・・持てる者には弱く、持たざる者には強い、これが地方集落の一面の人間心理である。あくまでも一面の、だが、かなり決定的な意味を持ってくる。

・・・不遇を囲うのも一緒でなければとにかく罵詈雑言、なのが田舎暮らしの日常の空気なのだ。

・・・かつても今も、この登記簿だけは住所も含めて個人情報が誰でも閲覧できるようになっている。

・・・もっとも気を付けるべきは「せんせい」と呼ばれる商売の人々。移住先で最も難儀な隣人は上から目線の「せんせい」と、指摘意識が強い「元記者」である。

・・・得てして移住希望者が誤解しがちなのが、移住地人気ランキングだ。ランキングには一定程度の説得力があり、またそれぞれの裏付けもある。しかしそれはあくまでも、移住するまでの人気ランキングであり、定住してからの人気ランキングとは異なる。・・移住すれども定住せず。それが今日までの一つの大きな流れとなりつつある。もちろん、「定住」の評価基準をどう定めるかにもよってくるが、私のみるところ、10年が一つの区切りである。移住しても、10年居れば大成功と言えるだろう。だが、ほとんどの場合は、10年どころか、4、5年さえ居着かない。

・・・手抜き工事。新築の場合、これがもっとも問題となる部分にほかならない。その手抜きが極めて、ごく当たり前に行われるのが残念ながら地方の実態である。・・地方における大工仕事は、農家の農閑期の仕事だ、くらいに構えておいた方がいい。

・・・最初の挨拶の順序が、集落移住ではとにかく決定的だ。

・・・灯油にLPガス、ガソリンに、田畑のない移住者は競争力の乏しい地方の割高な食材購入と、とにかく都会生活以上に生活費がかかるのだ。1円でも2円でも必要に感じる瞬間がやってくる。さらに家屋の老朽化や補修、手入れにもコストはかかる。

・・・年齢を増してもスキルとして重宝される翻訳家やデザイナーといった職種の人々は田舎暮らしも成功しているケースが多い。

・・・現在、外国語教育は、都会並みに地方でも熱心である。いずれは東京や大阪に出て就職をさせなければ生きていけないという逼迫感の強い地方の教育熱と危機感は、都会とはまた違った教養への枯渇感を生んでいるからだ。

・・・地方の人間は決して都会の人間を尊敬もしていないし、快くも思っていない。ここが出発点であり、大前提である。

・・・持てる者から多くを得ることは当然であり、そうでなければ地方の集落はこれまで存続できなかったのだから、そこに敬いや感謝といった感情は生まれようもない。

・・・移住は不都合と不条理の宝庫である。自分が想定するメリットよりもデメリットが必ず上回るのが都会に対する地方であり、田舎である。・・山間部であれ海沿いであれ、共通するのは、開拓の苦労である。田舎はことごとく開拓、開墾の地である。どこまで行っても山岳地帯しかないこの日本列島に田園風景、畑が広がるのは、彼らが戦前から戦後もく、開墾し続けてきたからである。』

2019年1月14日 (月)

新聞記事から (【iRONNA発】平成30年史 日本人の意識はどう変わったか 呉智英氏 産経新聞 31.1.14朝刊)

平成30年間の日本人の精神的移り変わりを簡潔にまとめてありました。

『 平成が終わる。「平成最後の」という言葉は世にあふれるが、2019年は文字通り新たな時代の幕開けである。「衰退の時代」とも揶揄される平成は、どんな時代だったのか。

 平成31年4月30日、今上天皇の退位をもって平成は終わる。元号にしろ、西暦にしろ、紀年法では序数詞(英語で言えばfirst、second・・・)を使うので、必ず「数え年」になる。従って平成は満30年で終了ということになる。

 平成は、1989年1月8日、前日の昭和天皇崩御の翌日から始まった。この30年間の総論として文明史・精神史的に振り返ってみよう。日本人の意識、感覚がどんな事件によってどのように変わったかということである。

 ◆「保守と左翼の混乱」

 まず、平成元年、西暦1989年という年である。この年、世界的な大変動があった。国内に直接的な影響はなかったように見えるが、じわじわと日本にもこの変動が波及してきた。

 それは、同年秋のベルリンの壁崩壊であり、それに続く東欧社会主義の解体である。2年後の91年には、ついに本家ソ連が瓦解した。これによって、世界的な政治バランスが変わるとともに、社会主義の評価が決定的に覆ることになり、保守と革新、左翼と右翼という対立項の意味付けも変わることになった。

 最近の世論調査などによると、特に若い世代では、保守とは左翼のことであると思っている人が多いという結果が出ているが、混乱はここに始まっていると見るべきだろう。

 また、言論人などが競うようにして保守派を名乗る風潮も軌を一にしている。これに拍車をかけたのが、平成14年10月の北朝鮮拉致被害者の一部帰国である。これによって北朝鮮の犯罪性は明々白々となり、たとえその「社会主義」が変質を遂げた偽りのものであったとしても、左翼と革新の言説の信頼性は著しく低下することになった。

 こうした中でナショナリズムの風潮も台頭するようになった。これが従来のナショナリズムと様相を異にするのは、思想界・言論界から始まったものではなく、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)が典型的なように、一般市民の運動、発言として出現したことである。

 これには平成期に驚異的発達を遂げた通信、情報の拡大が背景にある。要するにパソコン、携帯電話、スマホが爆発的に普及し、これによって「大衆的言論空間」とでも呼ぶべきものが出現したのである。このことは出版文化の低迷を招くことにもなり、かつて出版界にあった知識、情報の階層秩序も崩れ始め、悪しき平準化が観察できるようになった。

 ◆「安心」とは何か

 また、平成7年に、社会の「安全」にかかわる大災害、大事件が続いて起こった。一つは、1月17日の阪神淡路大震災である。もう一つは、3月20日のオウム真理教による地下鉄サリン事件である。この凶暴かつ異常な宗教団体の犯罪によって、信教の自由論を含む日本人の宗教観は大きくゆさぶられ、治安意識にも変化が現れ出した。

 6年後の01年9月11日、ニューヨークの世界貿易センタービルにイスラム系テロ組織のハイジャックした旅客機が突入自爆し、約3千人の死者がでた。宗教の種類は異なるものの、宗教が常に平和を実現するものとは限らないことを、内外のテロ事件は教えている。

 そして、平成23年3月11日の東日本大震災は、千年に一度の規模の広範な巨大災害であり、「安全」と同時に「国土」という意識をも喚起したと言えよう。死者は約1万6千人にも及び、今なお行方不明者の遺体が発見されている。この大災害は原発破損ももたらし、直後に関東圏から西日本に非難する人たちもあった。保守系の反原発論者の主張には、安全な国土という意識が垣間見られる。

 ただ、これほどの大災害にもかかわらず、日本国民は冷静に対応して世界から称賛され、ボランティアなどの支援活動は現在も継続している。「国民意識」が健全な形で定着していたことが、期せずして明らかになったと言えよう。』

2019年1月10日 (木)

軍事の日本史 鎌倉・南北朝・室町・戦国時代のリアル (本郷和人著 朝日新聞出版)

よくお名前をあちこちで見かける歴史学者の著作で、初めて知ること、興味深い指摘などが多くありましたが、一方で、軍事についてはこんなことも知らないんだ、という個所もあり、そういう意味で印象にも残る著作でした。

・・・専門は狭ければ狭いほど尊い、というのが研究者の言い分です。でもそれは、怠け者の自己弁護ではないでしょうか。
・・・(1)戦術(タクティクス)(2)戦略(ストラテジー)(3)兵站 この3つがどうしても必要になります。・・戦いに勝つにはさらに3つの要素が重要になります。(4)兵力(5)装備(6)大義名分
・・・二人の武士を殺している人はほとんどいなかったということが分かります。つまり、この頃ですら「一人殺すのも大変なことだった」。それが戦いのリアルだということになります。
・・・主君の人間性で家来たちを惹きつけていたことではなかったか。そうした仮説を立てることができるくらい、家臣の忠誠心が厚く、結束の固い家の軍事は優れている、と言えそうです。
・・・戦国時代にとどまらず、戦いを仕掛けた側が、その戦いには勝ったものの得たものは何もなかったという例はあります。結果的にみればそれは「失敗だった」と言えるのではないでしょうか。
・・・ここで有名な大風雨が起きてモンゴルの船は沈没したといわれましたが、今は否定的な見解が優勢です。つまり、文永の役では大風雨ではなく、モンゴル軍は戦いに敗れて退却していった。
・・・彼は子孫に、「朝倉敏景17ヵ条」という大変合理的な言葉を書き残しています。「我が朝倉家は、重臣を世襲で決めてはいかん」。要するに、重臣の子どもだから重臣にするという安易なことをしていたらわが家はつぶれる。能力のある者を重臣にしなさい。
・・・1568年(永禄11年)、織田信長は、将軍足利義昭を擁立して京都に入り、天下人への道を突き進んでいくことになります。この時くらいから「天下布武」の判子を信長が使ったことが分かっています。天下に武を敷く(布く)とは、「天下を武力で統一する」という意味です。・・ところが最近の研究によると、この「天下」という言葉は、あくまでも近畿地方を指す言葉だ、あるいはもっと狭く、京都を指す言葉だと言われるようになっています。・・だけど、それには異を唱えたいと思っています。「天下」という言葉は鎌倉時代から日本全体を指す言葉として使われていることは間違いない。・・信長も「世の中が平和になりますように」と考えていたんじゃないか。もちろん信長の場合、ただそう願うのではなく、「俺が世の中を平和にする」という強烈な意思を持っていた。
・・・日本では「勝負の精神」という言葉があり、武を尊び、武を重んじる精神に高い価値が与えられています。一方「文弱」という言葉もあって・・反対に「尚文」という言い方は辛うじてあるかもしれないけれど、「武弱」という言い方は全くない。
・・・江戸時代はいわゆる「衆道」といって男同士の恋愛は男女の恋愛より精神性が高く価値が高いと思われていました。現代において「源氏物語」は日本文学の最高峰といわれますが、江戸時代にはその価値が低かった。「伊勢物語」もそうです。・・元来、日本は恋愛に対しておおらかだったのですが、武士が台頭してくると、男女のやりとりが否定され、恋愛の価値が貶められていきます。そこから、「源氏物語に価値はない!」という乱暴な意見が出てきて、人情の機微が隅に追いやられるようになります。こうして「女性の社会的価値」は平安時代を頂点に、時代を追うにつれ、どんどん高みから引きずり降ろされていきます。武士の社会になればなるほど、それは低下していく。江戸時代で武士の社会が完成したことは、女性にとっては息苦しい社会が完成したことを意味します。
・・・日本において重要視されるのは、「地位より人である」と考えられる・・天皇と上皇の関係は、権力的にみれば上皇の方が上。「上皇は天皇というポストに優越する」。それが日本の特徴と言えます。
・・・「軍事を握っている人こそ天下人である」という結論はピクリとも動かない事実である。そう僕は思います。・・武力の在り方を考えたとき、権力を掌握するのに必要なものが軍事である。天下人とは最強の武力を握った人であり、その証となるのは軍事力であると言えるのです。
・・・「御家人」とは鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝に仕えた武士たちのことを特別にそう呼んだことから、この名が一般的になりました。
・・・戦場で手柄を立てたときに新しい土地を将軍が与えてくれる。それを「新恩の給与」と言います。新しい御恩の給与という意味です。主人が家来に対してやってくれることは、土地の所有を保証してくれることであり、その保証の在り方として「本領の安堵」と「新恩の給与」という二つがあるんだ、ということが基本中の基本になります。
・・・石田三成としては、主君秀吉が家康と戦った1584年の「小牧・長久手の戦い」(和議に持ち込まれた)を再現すべく、尾張か三河に防衛ラインを設定したかったようですが、わずか1日の籠城で岐阜城(信長の孫・織田秀信が主)が東軍に落とされたため、やむなく関ケ原付近に変更したようです。
・・・兵力算定の「百石で3人」という数字がベース
・・・当時博多は、堺に次ぐ2番目の商業都市です。それも古くから伝統のある都市です
・・・交戦規則(ROE)というものが時代ごとにあるから、室町時代にはどんなルールで戦いが行われていたのか。そういう指標を当てて、分析するべきだろうと思います。
・・・やはり数が大事だということを、頼朝がよく理解していた・・頼朝がそう考えていれば鎌倉武士たちが知らないはずはなく、当時すでにこうした地に足の着いた考え方が広まっていたのでしょう。でも当時の御家人には、領内の農民を戦場に駆り立てる強権は保有していなかった。
・・・鎌倉時代の考え方としては・・現実的にはまだ一人一人の家来の質が重要なのであって、多少、質が悪くても数があればいいという発想はまだありません。・・鎌倉時代にはまだ槍がありません。平安時代の終わりごろから鎌倉時代には長刀が使われました。
・・・南北朝時代になると、今度はいかに多くの兵を集めるかということに重きが置かれるようになります。いわば「戦いの素人」が大勢集められて戦場に連れて行かれるようになるのです。・・足軽が出てくるのは室町時代になってからです。このころから総力戦が始まります。「数は力なり」。本当の意味で数が物をいう時代の幕開けです。こうして数の力で相手を圧倒するという戦い方が、戦国時代にスタンダードになっていくのです。
・・・室町時代になると、守護大名と言われる存在が幅を利かせてきます。守護大名は一刻を与えられ、そこの武士たちを手なずけていきます。この守護大名から「大名」を取って「守護」と呼ばれていたのが鎌倉時代です。彼らはその国の武士のリーダーではあるものの、実態としてはあくまでも役人でした。・・鎌倉時代の守護は自分の国の武士に対して影響力を行使することが、正式にはできなかった。ところが室町時代になると、守護は自分の才覚で自分の国の武士たちをどんどん家来にしていくようになります。・・鎌倉時代は三百とか多くて五百。それに比べると、室町時代は二千とか三千。桁違いに増えていることが分かります。
・・・戦場で死ぬ最も多い理由は、鉄砲で撃たれること。2番目に多いのは弓矢で射かけられること。3番目は、馬に踏みつぶされることだと言われています。いかに斬りあいで死ぬ人が少ないかがここからもわかります。・・戦いの最中よりも、むしろ決着がついて、「やっつけたぞ!根こそぎ殺してしまえ!」と敗走する敵を後ろから斬りつける。そのとき大勢の死人が出る。これが追撃戦です。もっとも死者が出るのは、この追撃戦だと言われています。
・・・信長を挟み撃ちにしようとした浅井・朝倉軍の一部が、延暦寺を拠点として信長に対抗していたため、その報復として比叡山をことごとく焼き払ったものでしたから、厳密には宗教上の戦いではない。実は、鎌倉時代に「承元の法難」という事件が起きています。・・法然の門弟たちが後鳥羽上皇の寵愛する女官たちと密通したうえ、上皇の留守中に彼女たちが出家してしまったのです。それが後鳥羽上皇の逆鱗に触れたという話
・・・都合のいい歴史だけを並べて現代の状況を補強する。そうした「御用歴史学」のようなものこそ、まさに皇国史観の正体だと思います。それが生まれてくるのは、実は大正年間なんですね。「大正デモクラシー」と言われ、大正は自由な風潮が花開く時代だと言われているけれど、案外、歴史学を見てみると大正からなんとなく時代がおかしくなっていることが分かります。
・・・日本の歴史上、最初の「錦の御旗」が現れたのが、1221年(承久3年)の承久の乱と言われています。そこで後鳥羽上皇が下賜した旗こそ、官軍の旗と考えられています。
・・・皇統は「万世一系である」と言い続けられていました。一方で中国の王朝であれば、易姓革命という考え方が浸透していましたから万世一系にはなりません。中国哲学を専門にされる溝口雄三先生によると、中国で「天」と言った場合、日本の天のように漠然としたものではなく、むしろ天帝という絶対神と考える方がよい。・・この天帝という人(神?)格を持った神様が天命を下す。天命を下された天子、つまり、天の子どもであるところの天子が皇帝となって人々を導くと考えます。天子が自分の受けた天命を忘れ、それに背く愚かな行為をすると、天はさまざまな災害を与え・・注意を喚起する。それでも天子が行いを改めないとき、易姓革命が起こる。つまり、天子の家を滅ぼし、新しく天命を違う姓、異なる家の人に与えます。
・・・現在のイギリスでは、国王の頭に冠を載せるのは、英国国教会の大主教と決まっています。まさにこの務めを果たしたのが、権力を失った天皇です。また、その図式を定めたのは豊臣秀吉ではないか。政治権力は失ったけれど、武家の棟梁=天下人に「お墨付きを与える人」としての役割を担っていたという考え方です。
・・・鎌倉時代は不安定な時代でしたから、武士の社会で秩序が重んじられることはあまりなかった。時代を通じて激しい権力闘争が続き、多くの血が流れます。室町時代は一定の秩序意識が重要だと考えられ、争いは起きても合戦は減じます。
・・・「天皇は絶対だ。」「天皇は昔から君臨していた」というような話がなされるのは、実は、明治以降のこと・・室町時代の三法院満済というお坊さんが書いた「満済准后日記」という日記があります。この満済准后が書いた日記を読むと、日本全体は二つから成り立っている、と考えられていたことがわかります。・・京都を含む畿内がまず「都」地域。まあSクラス、ですね。ついでこれの東で隣接する中部地方、西で隣接する中国地方、それから四国、このあたりがAクラスです。このSクラスとAクラス地域の守護大名はつねに京都にいて、幕府政治に参加しなくてはいけない。一方、Bクラス、満済のいう「鄙」の地域の守護大名は京都に住むことを義務化されていません。まあ地元で適当にがんばってね、と。その二軍の地域が関東地方、東北地方、九州になります。
・・・このやり方を踏襲して、完成させたのが家康です。家康は、江戸周辺には江戸幕府の政治に参加する譜代大名を配置する。この譜代大名の石高は少ない。すなわち領地はみんな小さい。一方、江戸から離れた地域に、石高が多い、すなわち領地の大きい外様大名を置く。外様大名は江戸から離れたところにいて、しかも幕府に口出しができないという、非常に合理的な配置をしています。』

2019年1月 6日 (日)

フランス外人部隊 その実体と兵士たちの横顔 (野田力著 角川新書)

想像していた通りの部分と、そうではなく初めて知る部分とが混在していましたが、読んでよかったと思いました。

・・・戦地に派遣される場合にしても、在籍している間のごく限られた期間だけです。それ以外の時間はどのように過ごしているのかといえば、“鍛錬と我慢の毎日”です。大抵の人のイメージとは程遠いと思います。多くの時間は、掃除などをはじめとした雑用をしているのが現実なのです。
・・・フランス外人部隊は、フランス陸軍に属し、主にフランス国籍を持たない外国人志願者から構成される軍隊です。現在は、百か国以上の国から志願してきた8千人ほどの兵士で構成されています。・・基本的に過去は問われないので、さまざまな事情を持つ人間が集まってくるのは事実です。しかし、面接や試験によって、入隊が許される者は絞られます。現在、その採用倍率は十倍近くになるほどの狭き門になっています。
・・・弾丸がヘルメットを貫こうとした際に軌道が変わり、ヘルメットの内壁をなぞるようになったので、頭蓋骨を撃ち抜くのではなく頭皮をえぐるだけで済んだというのです。出血はおびただしくても脳は守られました。ヘルメットの重要性がわかる話です。
・・・RPGがさく裂した地面には直径1.5m、深さ1mのクレーターができていたそうです。
・・・村に住んでいる人たちは、自分たちの村が戦闘地帯のようになっても、村から離れようとはしません。それくらいその土地に根付いているのでしょう。銃撃戦などが始まれば台風が来たかのように家の中に隠れ、銃撃戦が終われば、家を出て日常に戻ります。
・・・600mほど離れた場所から狙撃されたようでした。ヘルメットのアゴひもは締めていたのに、ひもを固定するマジックテープがはがれてヘルメットが飛んでいったと言います。「まだ痛いです。吐き気はないですが、めまいはします。」と話していました。このときにもあらためてヘルメットの重要性を知りました。頭を狙撃されても、ヘルメットを被っていれば命が助かることもあるのが実証されたのです。
・・・助かるとは考えにくい兵士のためにできる限りのことをやろうとして、他の兵士が犠牲になることは避けなければなりません。そのあたりは難しいところです。ギリギリのところで判断して行動しなければならないのが戦場です。
・・・アフガニスタンでの任務が終わる時には、「もっと、アフガニスタンにいたい」という気持ちにもなっていました。理由はいろいろあります。世界情勢の中でも、“最前線”といえる場所に自分がいて、任務を果たしている充実感が大きかったのもひとつです。これまでの私の人生の中でも、このときほど充実した日々を過ごせた時期はほかにありません。・・心のクーリングダウンを考えて、戦場の任務を終えた兵士たちをリラックスさせるためです。キプロス島ではヨガなどのようなプログラムが用意されていました。そこまでのケアを考えなければならないことをフランス軍や外人部隊は認識しているのです。戦場に足を踏み入れ、戦争を経験するというのはそういうことだと思います。
・・・外人部隊に入ることを考えている人に対して私はよくこう言います。「雑用が9割の日々になるので、行くなら、清掃スタッフになるつもりで行くべきだ。」
・・・今現在の印象としていっても、彼らに限らずフランス人には、困った人がいればすぐに手を差し伸べるような心温かいタイプが多い気がします。
・・・入隊を志願すると、そのときから“本名をはく奪”されるのが外人部隊のルールです。名前だけではなく、生年月日や出身地、親の名前などが変更されて“それまでの自分とは決別”することになるのです。
・・・M・・大量出血の制御
・・A・・気道確保
・・R・・呼吸の管理
・・C・・循環の管理
・・H・・低体温の予防
・・E・・搬送 がMARCHEです。
・・・“見捨てる勇気”も必要なのだということをまず理解しなければいけません。負傷者のいる現場に行くことができ、攻撃を受けない遮蔽物のある場所まで運ぶことができたなら、大量出血の制御から始めていく。そこからMARCHEの優先順位に従い治療を進めていけば、助けられる命は助けられます。

・・・「死生観というほどの立派な心構えはありませんでした。死ぬことを考えていてもしょうがないから、その時々の状況において自分のやるべきことをひとつひとつこなしていこうと思っていたんです」』

2019年1月 5日 (土)

新聞記事から(【直球&曲球】野口健 もう一度、自分の人生を生きよう 産経新聞(平成31年1月3日 朝刊))

新年を迎えたばかりの頃に読むにふさわしい記事でした。生死の狭間を生き抜いてきた一流の人の心の様子が読み取れ、多くのものを感じました。

『 この原稿をヒマラヤで書いている。学生の頃から年末年始は決まってヒマラヤで過ごすものだったが、今回は久々にヒマラヤで年越し。

 何故に、ヒマラヤで年を越してきたのか。表向きには厳冬期のヒマラヤに身をさらすことで心身共に鍛えることが目的であったが、最大のテーマは信念を登山仲間やシェルパたちとテントの中で迎えながら互いにこの一年を生き延びた幸運に感謝し喜び合い、新たな一年も精一杯挑み、一年後に同じように乾杯しようと、僕らにとっては儀式のようなものだった。

 しかし、2011年のエベレスト登山で雪崩に打たれ頸椎を痛めてからはシビアなヒマラヤ登山から遠ざかっていた。幸いなことに2年前に頸椎手術が成功し、昨年春には久々にヒマラヤの6千メートル級の山に登頂した。あまりに長かったこのブランクの間に自分の中で発見も多かった。最後のエベレスト以来、日本で当たり前に生き、年越しも実家に戻ってはボケーッと過ごしたりもした。身内からは「こういう年越しもいいでしょ」と言われた。確かにテントの中、ブルブルと震えながらのヒマラヤよりも快適に違いなかったが、しかし、あのテントの中で一年を生き延びたことをシェルパたちと喜び合ったあの瞬間の方がはるかに生きていた。

 圧倒的な努力をしなくても生き延びられてしまう日常生活。それはそれで恵まれた環境に違いない。「今更、生き死にの世界に戻る必要もないか。けがのおかげでヒマラヤで死なずにすんだのだ」と何度自身に言い聞かせてきたことか。しかし、その一見平和で穏やかな時間が長く続くと自分の心が腐っていくのがわかる。心の腐敗がさらに蔓延すると精神がカサカサに乾いていく。そして、生きることに飽きてしまう。この冬、ヒマラヤに戻ってきて感じたことは、やはり自分は山屋なのだということ。あのエベレストに挑んでいたときのように、虫眼鏡で一点を焼くようにジリジリと生きたい。もう一度、自分の人生を生きようと。けがをしたことによって人生と向き合えたのだからけがにも感謝しなければならない。』

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