私も過去にこのような人々に遭遇したことがありましたが、腑に落ちた点が多かったです。
『・・・自分自身の経歴や肩書を過大評価し、特権意識の塊のようになって暴走した挙句躓くのは、高学歴エリートにありがちな話である。
・・・このような状況判断の甘さも、高学歴エリートにときどき認められる。「あんなに優秀で、経歴も立派なのに、なぜ状況判断が甘いのか」と驚くことも少なくない。これは、二つの理由によると考えられる。まず、過去の成功体験があるだけに、「今度もうまくいくはず」と楽観的に考えてしまうことが大きい。また、しばしば自分自身の能力を過大評価しており、「自分は何でもできるはず」と万能感を抱いていることにもよるだろう。
・・・特権意識が強く、想像力と共感が欠如しているせいで、衝動コントロールができない代議士は少なくないと推測される。
・・・医学部に入るために犠牲にしてきたものを取り戻したいという欲望もあるように見える。というのも、子供の頃から塾通いで忙しく、あまり遊べなかったうえ、中学・高校の性に目覚める時期にも、医学部受験のためには異性との交際などもってのほかと勉強を強要されてきた医師が少なくないからである。このようにやりたいことを我慢してきたせいで、”失われた青春”を取り戻したいという欲望が強いのか、たががはずれたように遊び回る医師がいる。
・・・過去の栄光が輝かしいほど、①強い特権意識を抱きがちで、少々のことは許されると思い込みやすい。
・・・若いころは、完璧を期すための確認作業に少々時間がかかっても、自分が納得するまでやっていれば、それですんだかもしれない。だが、上司になってからも同じやり方を続け、周囲にも完璧を求めて「マイルール」を押し付けようとすると、ちょっと困ったことになる。部下は息苦しさを感じるし、何よりも間違いがないように綿密に確認することに時間をとられて、肝心の仕事ができなくなるだろう。場合によっては、細かいことにこだわるあまり、大きな問題が見えなくなりかねない。
・・・普通の人に適用されるルールは自分には適用されないという特権意識が強いほど、「自らの道徳的堕落と他人の道徳的堕落は別物だ」という考え方に傾きやすい。したがって、特権意識を抱きやすい高学歴エリートほど、罪悪感なしに自己正当化の達人になりやすい。
・・・もっとも、現状には満足していないらしく、難関資格取得のための勉強を続けている。優秀なだけあって、いくつもの難関資格を取得しているのだが、コミュニケーション能力も協調性も足りないせいか、取得した資格を生かした仕事に就くことができないでいる。・・高学歴であるがゆえに、「自分は優秀で何でもできるはず」という万能感を捨てきれないが、目の前の現実は自分自身の万能感を満たしてくれるほど甘くない。そのため、傷ついた自己愛を、難関資格の取得によって補完しようとするのだろう。だが、いくら資格を取っても、自己不全感を払しょくできない。だからこそ、取得した資格を自慢して友人の仕事の価値をおとしめることによってしか、自分自身の価値を確認できない。
・・・こういう人はどこにでもいる。若い頃は謙虚な努力家と周囲から見られていたのに、実績をあげ出世していくにつれて、傲慢な言動が目立つようになり、しかも無自覚である。・・他人の気持ちを想像するには頭をしぼらなければならず、それなりに疲れる。だから、面倒くさいと感じることは誰にでも多かれ少なかれあるだろう。当然、そうせずにすむ立場になれば、やめてしまうわけである。
・・・世の中には、めぼしい実績などないのに、ちょっと肩書がついただけで、特権意識を抱いて特別扱いを要求する人がいる。その特権意識の根拠になると本人が思い込んでいるのが学歴であることも少なくない。
・・・周囲の容認によって鈍感になりやすいのは、難関資格を取得して「先生」と呼ばれるようになった人たちもそうである。これは、その資格を有していないと業務ができないので、丁重に扱われるうえ、しばしば高収入が保証されているからだろう。
・・・弁護士の場合は、司法試験合格者の増加によって需要と供給のバランスが崩れ、平均所得がこの10年間で半減する事態になったのに対して、医師の場合は、逆に需要が増え続けている。
・・・アメリカで自尊心への関心が高まったのは1960年代である。心理学者のアブラハム・H・マズローは、人間の欲求を階層化し、欲求階層説を樹立したのだが、最上層に位置づけたのが自己実現の欲求であり、その一つ下に位置づけたのが他者からの承認と自尊心の欲求である。
・・・親が叱らないだけでなく、教師も叱りたくても叱れないのが現在の日本の教育の現状だ。その結果、少々のことは許されると思い込み、自分の過ちは決して認めない子供が増えている。当然、自己正当化の傾向が強くなるが、同時に何でも他人のせいにする他責的な傾向も日本社会に蔓延しているように見える。
・・・自信過剰と拒絶過敏性は、一見正反対のように見えるが、実はコインの表と裏にすぎない。その核心にあるのは、自尊心が傷つくことへの強い恐怖心なのである。
・・・他人のささいな言動を否定的に受け止め、批判や非難と解釈するのが拒絶過敏性である。・・問題は、この拒絶過敏性ゆえに、周囲の人を責め、人間関係がうまくいかなくなることで、その結果うつになる患者が増えている。
・・・高学歴モンスターとはできれば関わりたくないが、上司だったり同僚だったりすると、付き合わざるを得ない。そういう場合、次の二つの点を踏まえておくべきである。① 学歴を過大評価してはいけない ② 高学歴モンスターを変えるのは無理・・学歴は記憶力、理解力、思考力などの基本的な能力の代替指標にはなるが、仕事で必要とされる能力の指標となるわけではない。実際に仕事で必要とされるのはコミュニケーション能力や協調性、臨機応変の対応力やアイディアを生み出す創造力などだが、そういう能力は学歴では測れない。また、管理職になるのに必要なリーダーシップも、高学歴だからといってあるとは限らない。
・・・性格の核になる部分というのは、本人が生きるか死ぬかの経験をしない限り、ほとんど変わらない。「三つ子の魂百まで」という諺のとおりなのだ。
・・・罪悪感などみじんも覚えず、汚れ仕事を平気で部下に押し付ける上司は、だいたい「無自覚」のナルシストである。こういうタイプとつき合うには、利用価値のある存在になるか、きっぱりと断るか、二つに一つしかない。・・こういう上司との会話は録音しておくことも、ときには必要だろう。そこまでするかと驚く読者もいるかもしれないが、「無自覚型」のナルシストに対してはこれくらいしないと、自分の身を守れない。・・他人への感謝も共感もないわけだが、これは二つの理由による。まずナルシストの頭の中には、結局自分のことしかない。また、特権意識が強く、「自分は特別な人間だから、これくらいやってもらって当たり前」と思い込んでいる。
・・・「別の人の同意」を得ることによって自己愛を守り、補強しようとするのがナルシストというわけだが、実際この手の戦略に長けた人がナルシストには多い。これは、総じてプレゼン力が高く、自己アピールが得意なためと考えられる。
・・・「高学歴なのに辻褄が合わないことを言う」「高学歴の割に知識がない」「高学歴にしては仕事ができない」などと感じたら、パッと感じた直感を大切にすべきである。
・・・加藤一二三氏は、盤面を見た瞬間にパッと浮かんでくる直感の手と、ずっと考えていて浮かんでくる手が甲乙つけがたい状況では、どちらを選ぶかについて、次のように述べている。「最初にひらめいた手と後から考えた手の両方とも成功しそうな局面では、私は最初にひらめいた手を選択して成功しています。なぜならひらめいた手は『無心に考えている』からです。
・・・加藤氏がよく色紙に書くという「直感精読」を実行すべきだろう。「直観で浮かんだ手をよく精読し、裏付けをもって指す」ことらしいが、これは、高学歴の「無自覚型」ナルシストに対する対処法にも応用できる。
・・・逃げるような真似はしたくないという気持ちが強いかもしれない。しかし、離れることによって、心身の状態が改善する可能性が高いのであれば、その決断をすべきだと私は考える。
・・・出世願望と自己保身は、高学歴であるほど強い。いい大学に入るために犠牲にしてきたものが大きいほど、その見返りを求めるし、高学歴であることによって手に入れたものを失いたくないという気持ちも強いからだ。』