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2018年4月

2018年4月13日 (金)

ママたちが非常事態⁉ (NHKスペシャル取材班 ポプラ社)

子育てをしている人たちが疑問に思っていることを科学的に解明した本です。私自身も子育ての経験がありますが、目からうろこが落ちた気がしました。

『・・・動物の赤ちゃんは運ばれるときは泣き止むという習性を持っています。その名残が、実は人間の赤ちゃんにも残っているのです。
・・・他人の子の泣き声では、母の脳で反応するのはごく一部です。しかし、我が子の場合は、反応する場所が明らかに多くなり、複数の場所が・・強く反応していました。・・実はこの脳の反応こそ、・・自分の子が泣いたときだけ母親たちが感じた「ざわざわした」「切ない」といった感覚の正体だったのです。
・・・出産したことのある人なら、妊娠時になんともいえない幸せな気持ちを味わった経験があるのではないでしょうか?なぜ女性ホルモンにこんな働きがあるかといえば、母に子を持った喜びを感じさせることで、これから訪れる大変な育児を頑張る準備をさせるために生まれた仕組みだと考えられています。ところが、出産と同時にこの女性ホルモンは急降下、一気に通常レベルに戻ります。
・・・調査中、チンパンジーと森の中で出会ったら、とにかく目を合わせないようにしながら、じりじりと間合いをつめて安心させるのだといいます。いきなり目を合わせることは、野生の世界では攻撃や威嚇を意味するのだと。
・・・みんなで協力しておこなうこの子育ては「共同養育」といわれています。実はこれこそが、多くの子をちゃんと育て上げていくため、700万年前に私たちの祖先が獲得した子育て戦略。つまり、人間本来の子育ての形だったのです。・・共同養育を求める母の体の本能と、現代の孤独な育児環境、そのギャップに母たちは苦しむ。それこそが”現代ニッポンの母の7割が育児に感じる孤独”の正体だと考えられるのです。
・・・「我が子を愛おしいと思う気持ち、母性というものは、もともと女性の脳に備わっているわけではなさそうです。赤ちゃんに実際に触れ、育児を経験する中でそのスイッチが入り、どんどん育まれているものだということを、今回の研究結果は示しているのだと思います。」
・・・胎児は30~40分ほどの長さの浅い眠りと深い眠りを交互に繰り返します。そして、浅い眠りの間に数回目を覚まします。・・胎児は昼よりも夜の方がよく目を覚ましている・・夜によく目を覚ますという胎児特有の睡眠は、母に負担をかけないための仕組みなのです。
・・・人間は、動物界で最も脳を大きく発達させた頭でっかちの動物です。二足歩行によって産道が狭くなったため、人間の赤ちゃんは脳がまだ小さく未熟なうちに生まれたこざるをえなくなったのです。脳が未熟であるがゆえに、筋力や視力、睡眠のリズムなど基本的な体の機能も未熟なのです。そして、それが夜泣きにもつながっているのです。
・・・「脳波を見ると、まだ睡眠の最中です。乳児は眠っているのに動いたり、声を出したり、眼を開けることもしばしばあるんですよ」・・実はここにも、人間の赤ちゃんが持つ未熟な脳が深くかかわっています。・・寝ているにもかかわらず、体が動いたり、声をあげたり、眼を開けたりするのです。・・「夜、寝ていた赤ちゃんが動いたり、声をあげたりして目を覚ましたように見えても、・・10秒間、様子を見守ってみる。そうすれば、赤ちゃんが本当に目を覚ましたのかどうかがわかるはずです」
・・・一般に野生動物は目を合わせることはほとんどありません。なぜなら、目を合わせるのは相手をを威嚇し、攻撃するときだけだからです。それゆえ、動物には目を合わせると脳の扁桃体が反応し、恐怖心が生まれる仕組みがあります。・・しかし、脳が未熟な赤ちゃんには恐怖心を抑え込む前頭前野が未発達です。・・それゆえ、赤ちゃんは視線を合わせたときに沸き起こる恐怖心を抑え込むことができません。だから泣いてしまうのです。つまり、人見知りは、単に相手のことが怖いのではなく、相手に興味を持っている証拠なのです。・・最初は視線を外しながら、徐々に赤ちゃんとの距離を縮めていくのがおすすめです。
・・・イヤイヤ期の子どもたちは、目先の欲求を我慢できない・・イヤイヤ期の子では前頭前野の活動が一様に低かったのです。前頭前野は、脳の中でも最も高次元の機能を担っている”人間らしさを生み出す脳”といわれています。その大切な機能の一つが”抑制機能”と呼ばれるものです。・・抑制機能の発達には個人差があるのです。・・実は叱られて我慢させられているとき、脳では恐怖の中枢、「扁桃体」が激しく反応しています。その恐怖で欲求を無理やり抑え込んでいるにすぎないのです。子どもがなぜ我慢しなければいけないかを考え、自主的に我慢しなければ、抑制機能は働かないというわけです。・・本人の将来にとってプラスになる目標を理解させて我慢させることが大切だということです。
・・・オキシトシンは脳に働きかけることで、ペアを造ったり、子育てを夫婦でするという愛着行動を作り出していたのです。・・オキシトシンには、パートナーや子供に対して愛情を感じさせる働きがある一方で、子供に危害を与えたり、子育てを邪魔しようとする者に対しては、攻撃性を増すという働きもあるのです。・・現在、研究者たちの多くは、オキシトシンは感情を強める増幅器のような働きをしていると考えています。
・・・女性の脳は、赤ちゃんの泣き声に敏感に反応するのに対し、男性の脳は女性ほど赤ちゃんの泣き声に敏感ではないことがわかったのです。
・・・みんなで子育てをするように進化した人間の女性は、特にコミュニケーション能力、共感性に優れています。とりとめのない会話は、子育てのための共同養育相手と仲良くなり、絆を結ぶためのツールです。
・・・男性の脳も、育児を経験することで、我が子を愛おしいという気持ちなど、父性のスイッチが入ることがわかりました。
・・・すでにパートナーガいる場合、オキシトシンは他の女性に近づきたいという男性の意欲を奪うのです。つまり、妻以外の女性を遠ざけようとするのです。』

2018年4月10日 (火)

夫婦脳 (黒川伊保子著 新潮文庫)

このブログを始めた頃に描いた黒川女史の書籍です。興味深い事項が多数ありました。50代の私としては勇気づけられる部分もありました。

『・・・そもそも男と女は、ものの見方が違うのである。女性は、ものの表面を舐めるように見る癖があり、男性は空間全体をまばらに眺める癖がある。
・・女は、それが何であれ、着目点に共感してほしい生き物。
・・・フェロモンには役割がある。異性には、遺伝子情報(免疫抗体の型)を匂いで知らせているのだ。動物たちは、なんと、生殖行為に至る前に、互いの遺伝子の生殖相性を、確認しているのである。
・・・ヒトのメスの生殖サイクルは、妊娠、授乳期間があるので約3年。したがって、女性は、恋に落ちて3年間だけ、相手の男性に「あばたもえくぼ」状態になり、3年以内に生殖に至らないと、急に相手のあら捜しを始めるようになる。恋の終わりに、女たちは「彼は変わった」というのだけど、変わったのは、たいてい女の脳の方なのだ。
・・・右脳(感じる領域)と左脳(言語機能局在側)の連携が良く、感じたことが即ことばになる女性脳。だから、女たちは、感じたことを感じるままにどんどんことばにしていくのである。逆に言えば、脳に溢れることばを口から出さないとストレスが溜まる。
・・・人間の骨髄液は7年で入れ替わる。毎日少しずつ入れ替わるのだが、まるまる入れ替わるのに7年かかる。すなわち、満7年以上前の細胞は残っていないのである。
・・・男性脳には、鈍感力がある。目の前の人の表情変化になんか心を惑わされずに、強い集中力を、長く継続する力だ。
・・・女性脳には、「長い文脈」を一気に把握する才能がある。・・だから、女性は、年を取って、経験の数が増えるほど、とっさの判断に揺るがなくなる。見た目よりも、押の強さで、女の年齢は知れるのだ。
・・・「全体を見通せて、かつ、今自分が全体の中のどの位置にいるのか」をつかめないと、男性脳は疲弊する。すなわち、男性脳は、ゴールが見えない事象に対する耐性が、女に比べて著しく低いのだ。
・・・「彼女にキレられたとき、どう対処したらいい?」・・対処法はただひとつ。「君を傷つけているの?申し訳ないことをしたね」と、その傷に優しく触れて、真摯に癒すことだ。
・・・女性の対話は、男性のそれとは、目的が違うのである。女たちは、感じたことを語り合い、共感することによってコニュニティの核を作ると共に、互いに感じたことが似ていることを確認しあって、自分の感性が群れからかけ離れていないことに安堵する。計測機器のゼロ点調整のみたいなものである。
・・・男女雇用機会均等法以後、この国の職業婦人から消えたのは、この覚悟だったのではあるまいか。・・覚悟をした方が自分の心が清々しくなるので、生きることが楽になる
・・・脳裏に過去の知識を総動員し、今の状況に対応する知恵をダイナミックに創出する女性脳は、状況の変化にびくともしない。逆に、予定を細かく決められると、「対応の最適化」がしにくくなるので、しんどいのである。・・女性脳の真骨頂は、臨機応変さにある。
・・・女性脳は、客観評価には、それほどの価値をおいてはいない。・・女性脳は、気持ちに触れてもらうと、自分自身を認めてもらったような気がする
・・・脳科学から言えば、結婚30年を越える頃には、見るのも嫌だった夫に、徐々にいとおしさが戻ってくるはずである。結婚35年目ともなると、今までにない一体感を経験するはずだ。
・・・ヒトの脳には、感性の7年周期があり、その4倍の28年間で、正反対の感性に向かう。この28年という単位で世の中を見ると、大衆感性のトレンドが見えてきてとても面白い。
・・・人生で一番頭が良いのはいつか、ご存じだろうか。実は、50代の半ば以降なのだ。ヒトの脳のありようからみれば、人生のピークは、意外にも遅くにやってくる。50代半ば、人の脳は、連想記憶力を最大にする。これは、ものごとの本質や人の脂質を見抜く力である。・・単純記憶力で生きているうちは、人生の基礎工事をしているに過ぎない。・・単純記憶力が翳りを見せ始める20代後半、脳はやっと狂ったような情報収集を止め、クールダウンする。すると、脳の持主は、周囲が見え、社会的自我が立つ。・・混沌の30代の終盤、40歳直前になると、誰の脳にも、めでたく”物忘れ”が始まる。これが、意外にも脳の大事な進化なのである。脳は、単純記憶力を連想記憶力にシフトしていくにあたり、余分な記憶をリリースする。
・・・女性たちのフェロモンセンサーの感度のピークは25歳といわれる。女性は、視覚や味覚など、他の感覚器の感度も25歳にピークを迎える。理由は、20代が最も出産に適した年齢だからだ。
・・・女性は、客観的評価ができないのではなく、客観的評価に興味がないので、それに付き合うのにうんざりするのである。・・組織に「いい隙」がなければ、ちゃんとした品格ある大人の女性が、のびやかに活躍することはかなわない。逆に言えば、そういう女性が存在するならば、その組織には、「いい隙」がある、ということになる。
・・・ヒトの脳の感性とは、まことに度し難い。主観と客観がより合わさるようにして、自己実現感をつくっている。それは、他人から見たら何でもない誇りに支えられるかと思えば、人もうらやむ境遇にいても、虚しかったりする。
・・・熟年離婚は、ボディブローのように後から効いてくる。たしかに、離婚した直後は、せいせいして重しが取れたような気持がするだろう。しかし、やがて、圧倒的な敗北感が襲ってくる。なぜなら、熟年離婚とは、長い人生時期を否定する行為だからだ。
・・・妻の脳は、「たとえ夫が逆側を指さしても、私はオレンジのバッグが買いたいのだろうか?」という自問の命題に挑戦しているのである。無意識に、だけど。・・夫が、自分の決めた側を指さしたら、かえって意気消沈してしまうのが、妻という生き物なのである。
・・・女の恋には、浮気というのは案外少なく、「深い確信」→「嫌気」→「次の深い確信」と
・・・健全な脳は、健全な睡眠が作るといっても過言ではない。
・・・この夏、あなたも、爽やかな印象を残したいのなら、Sのことばを駆使してみよう。
・・・一流のリーダーとは、実に自然で、気持ちのいい存在であるに違いない。あるべきところに物事を納め、流れに逆らわず、かといって流されない。その極意は、流れを先に読み、次の流れを自ら創り出すことにある。実のところ、世の中の、本当に脳の働きがいい人は、「頭がいい」だなんて褒められてはいない。たいていは、「運がいい」と言われているのである。「流れを先に読み、次の流れを創っている」ことに、一般の人は気づかないからね。ダンスの名手のように自然なので。
・・・年をとると、身体は動かなくなるけれど、意識のコントロールは豊かになる。この一体感は、昔は到底わからなかった。・・リーダーが、全責任を負う覚悟で「主たる背骨」をまっとうする一方で、パートナーは、彼の一部になる覚悟で、彼の背骨を、自分の背骨だと知覚する。ダンスの至上のパートナーシップというのは、どうもそういうことらしい。』

2018年4月 7日 (土)

シリア 戦場からの声 内戦2012-2015 (桜木武史著 アルファベータブックス)

今や泥沼化しているシリア内戦の初期の頃のルポです。内戦の戦場の様子がよく記されています。諸外国を巻き込む内戦の現場となった国の悲惨さをつくづく感じます。同情するなどと軽々しいことは言えません。しかし国際社会に期待などできません。このような状態に陥らないよう自ら努力していくしかないのだと強く思いました。

『・・・シリア国内に目を転じれば、勢力争いに明け暮れる様々な集団が絶えず戦火を交えている。その戦火を鎮めるどころか、ガソリンを注いでいるのが、ロシアによるシリアへの軍事介入だった。2015年9月30日から開始されたロシアの空爆はイスラム国だけでなく、反体制派組織にも向けられた。2015年初頭から劣勢を強いられていたアサド政権はロシアの参戦により再び力を蓄えつつある。
・・・シリアではジャーナリストはテロリストと同様に要注意人物として指定されているのである。
・・・大半の一般市民はシリアの政治には口を出さない。中央政府への不平不満は封殺され、友人、親族、家族に至るまで徹底的な言論統制が敷かれていた。壁に耳あり障子に目ありである
・・・「アサド政権の些細な悪口、たとえそれが冗談だったとしても、秘密警察の耳に入れば、刑務所にぶちこまれるんだ。誰が秘密警察かもわからないから、友人の間でさえ互いに疑いの目を向けていた。それが革命前のシリアだよ」私は信じられない思いで彼の話を聞いていた。「反政府デモが今、シリアのあちこちで起きてるけど、僕にとっては本当に信じられない光景だ。ただ秘密警察の締め付けは革命前より厳しい。捕まったら命さえ奪われかねない。デモの参加者は命がけでアサド政権に立ち向かっている」・・アサド大統領はイスラム教徒ではあるが、シーア派ら分派したアラウィー派に属している。そのためシリアでは12%ほどのアラウィー派が76%近くを占めるスンニ派を押しのけて、優遇されているという側面が強い。
・・・「たった一言、大統領を批判するだけで、3か月から4か月は監禁される。拷問され命を落とす者も少なくない。仮にうまく逃げられても、人物が特定されれば、ある日突然、逮捕されて、刑務所に送られる」隣にいた白髪交じりの初老の男性が私に話しかけてきた。
・・・ドゥーマの住人が中国人を嫌悪するには理由がある。以前から中国人の評判が悪かったわけでは決してない。しかし、民衆が立ち上がり、アサド大統領の退陣を迫ると、中国は真っ先にアサド政権に与した。それを明確に示したのが、2011年10月4日の国連安全保障理事会の席上である。
・・・市街戦の怖さは戦闘地域と非戦闘地域との境界線が入り乱れていることにある。不用意に外に出れば、双方から狙われる可能性が高い。
・・・彼に限らずここで暮らす住民の大半が国際社会への憤りをあらわにする。経済制裁により一年前と比べて物価は約二倍に跳ね上がった。・・アサド政権への経済制裁も火の粉をかぶるのは国民だった。
・・・ある日、突然、一発の銃弾で命を奪われる人々が発生する。彼らの多くは一般市民であり、正当な理由もなく撃たれる。ただ撃たれて殺されているだけである。理由があるとすれば、ドゥーマで暮らしている人間は全てテロリストとしてみなされる。女性だろうと子供だろうと関係ない。外国人の私も例外ではない。
・・・「この200mは緩衝地帯だ。どちらかが10mでも前進すれば、即座に銃撃戦になる。これはドゥーマに設けられた規則だよ。別に不思議なことじゃない」運転手は当たり前のように説明した。12日の停戦以降、この規則は両者によって守られている。しかし、強制力があるわけでもなく、破られるのは時間の問題だった。4月24日、政府軍による大規模な攻撃が開始された。緩衝地帯を犯したのは政府軍だった。
・・・とにかく国連がアサドの軍隊をドゥーマに誘導したことは確かだ」彼の話を聞いて、にわかには信じられなかった。しかし、同じような話は彼以外からも多く聞かれた。監視団は何もすることなく市内を駆け抜けていった。その直後に政府軍が突入してきた。ドゥーマの人々がなぜ国際社会に不信感を抱いているのか、その理由を今になって私は深く理解した。
・・・ドゥーマには政府軍からの離反兵が自由シリア軍として戦闘に従事している。その中の幾人かは異口同音にシャッビーハの残虐性を指摘した。「兵士の中には民衆に銃口を向けるのを躊躇う者もいる。シャッビーハはそんな彼らに銃を突き付けて『さっさと撃て。撃たなきゃ、お前が死ぬことになる』と脅すんだ。実際に撃たれた者もいる」
・・・「医師は政府軍にとって格好の標的だ。なぜなら我々は、市民はもちろん戦闘員の手当ても行っているからだ。医師だけじゃない、看護師も薬剤師も、そしてこの病院すらも攻撃の対象にされている」
・・・彼に限らず、自由シリア軍の多くがクルド人に対して好意を持っていない。クルド人はアサド側と協力して我々を叩き潰そうとしている。そう言って、敵意をむき出しにする者もいる。
・・・自由シリア軍とヌスラ戦線は共闘関係にあった。現時点での目的がアサド政権の打倒にあることで互いに共感しあっているのである。しかし、アブ・オバイダが語るような「デモクラシー」と真っ向から対立するのがヌスラ戦線だった。彼らが最終的な目標に掲げているのがシャリーア(イスラム法)に基づいた統治形態をシリアで実現することにある。
・・・政権側の人間は反体制派にとっては動物か道具か、そのどちらかである。
・・・ファーティハは殉教者旅団の活躍には一定の評価を下しながらも、モラルの低下に憤っていた。ハーレムで戦っている殉教者旅団にはよそ者も多数含まれている。主に略奪をしている人物はよそ者と言われている人物だと彼は言った。
・・・ハーレムの住民の一部は殉教者旅団の横暴に不満を抱えていた。ファーティハはその一例にすぎない。政府軍が撤退した都市や町で略奪が行われ、自由シリア軍の名を借りて銃をちらつかせて住民から金品を巻き上げているという噂も耳にする。
・・・アラウィー派はアルコール類に関して寛容だし、髪を覆い隠すヒジャブを着用しない。・・アラウィー派の他には、中流階級、上流階級がアサド大統領の支持基盤である。彼らの一部はビジネスを手掛けており、民衆蜂起により経済が落ち込んだ現状に不満を抱いていた。そして経済停滞の引き金となった反政府デモに怒りの矛先を向けている。
・・・自由シリア軍の名を借りた盗人だよ。そんな連中がアレッポにはウヨウヨしてる。・・当初は自由シリア軍を歓迎していた市民も半年ほどが経過すると、政府軍の無差別な攻撃に絶望するようになる。自由シリア軍が支配した町や村は激しい空爆にさらされる。そのことを恐れる住民は自由シリア軍を疎ましく感じるようになっていた。
・・・シリアでは何が正しくて、何が間違っているかの判断が難しい。
・・・アレッポのスークは世界遺産にも登録されている。しかし、現在は政府軍と自由シリア軍が熾烈な戦闘を繰り広げていた。スークは破壊され、古代遺跡のように風化していた。「こんな町になるんだったら、革命なんて起きなければ良かったと思うよ。たくさん人が死んで、盗人ばかりが増える。でも今さら後戻りはできない」彼はハンドルを握りながらしんみりと語った。
・・・自由シリア軍は町からの撤退を決断した。彼らが立ち去れば政府軍からの攻撃が止むだろうという算段が自由シリア軍にはあった。しかし、その考えは甘かった。包囲網を打ち破った政府軍約3000人が撤退を拒否した一部の自由シリア軍と共に町に残る住民を一網打尽に殺害した。
・・・タルトゥース県の虐殺には宗派間の抗争が凄惨な結果を招いた。・・立て続けに起きた虐殺事件は海外のメディアでも大きく報道された。しかし、国際社会の反応は冷淡だった。アメリカに拠点を置く人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチが詳細な報告書を作成しているが、虐殺の実行犯は野放しにされたままだった。
・・・シリアでは反体制派は一枚岩ではない。無数の組織が乱立しており、互いに共闘したり、仲たがいしたり、統合や分裂を繰り返している。
・・・死が間近に存在すれば、生は強い輝きを放つ。その光に私は吸い寄せられた。人間として生きた証を残したい。そして、誰かに見てほしいと思うのは当然のことかもしれない。
・・・シリアとトルコを結ぶ正規の国境は開放されている。しかし、通過できるのは有効期限が切れていないパスポートを所持している者だけが対象である。
・・・一部の特権階級が私服を肥やすのはシリアだけに限らない。アラブの春が吹き荒れた要因は様々あるが、その一つが賃金に関する国民の不満だった。
・・・アサド政権のパイロットは操縦が下手くそだ。だから俺たちに落とすはずの爆弾が味方の陣地に堕ちるのさ。だから爆弾は落とさない
・・・特殊なドラム缶に火薬や石油類を詰め込んだだけの簡素な作りだが、ヘリコプターから投下される樽爆弾は辺り一帯を瓦礫の山と化す。鋭利な金属片も含まれており、着弾した途端に爆風によって金属片は無数の刃物に姿を変える。一発の樽爆弾で6階建てのマンションが倒壊するほどの威力があり、飛び散る金属片で周囲は八つ裂きにされる。
・・・ある男性はこんな言葉を口にした。「反体制派の戦闘員はアレッポを破壊するだけ破壊して、仕事が終われば自分の村に帰る。アサドから俺たちを守るなんて偉そうなことを言っているが、やっていることは破壊行為と同じだ。市民を殺さないだけマシだが、我々のことを何も考えていない」
・・・彼に限らず全てのシリア人が生まれ故郷に深い愛着を抱いている。
・・・残忍な手法は多くの人々に嫌悪感を抱かせる一方で、一部のイスラム教徒には超大国アメリカに屈しない姿勢が好感を呼ぶことになる。
・・・事実は少し異なる。共存というより互いに干渉しないという了解の下で暮らしているという方が正解なのである。仮に双方どちらかが相手の支配地域を侵せば敵としてみなされる。しかしアサド憎し一辺倒で結束している反体制派にとってはアサド政権と妥協しているクルド人のそうした姿勢が許せなった。・・ISはクルド人と戦火を交えていた自由シリア軍とヌスラ戦線を駆逐し始めた。それはクルド人を手助けするためでなく、クルド人地域を支配するための下準備に過ぎなかった。・・宗教的にISとクルド人は水と油の関係にある。厳格なイスラム法の適用を目的としているISとってはクルド人をイスラム教徒として認めるわけにはいかない。女性が戦闘員として加わり、頭を覆い隠すヒジャブも着用しない。喫煙もするし、踊り歌う。クルド人の中には無神論者も多数存在する。
・・・ISが世界のイスラム教徒を魅了するように、クルド社会は民族、自由、解放を求める世界の活動家を奮い立たせた。・・大敵であるISに果敢に挑むクルド人の勇姿は巨大な政府に立ち向かう民衆による革命を連想させる。
・・・1960年代、クルド人の人口増加を懸念したシリア政府は一部のクルド人を近隣諸国からの密入国、不法滞在と断定し、シリア国籍をはく奪した。約12万のクルド人が「外国人」、もしくは戸籍から抹消され、現在ではその数は約28万人に達する。
・・・国家の建設を掲げるクルド人は、トルコ政府にとって自国の領土を脅かす存在として映る。ISを利用して、YPGを叩き潰そうと考えても不思議ではない。なにより多くのクルド人がISが国境を通過しているのを目撃しているのである。エルドアンとダーイッシュは盟友さ、そう揶揄する声を私は至る所で耳にした。アサド大統領に敵対するエルドアン大統領を称賛するまではいかないまでも、多くのシリア人は好意的に見ている。それがクルド人にとっては悪役の対象でしかない。・・2015年7月20日、トルコの南部の町スルチの文化センターでISの犯行と思われる自爆テロが発生し、30人以上の死者を出した。これがきっかけとなり、トルコはISへの締め付けを強化した。
・・・何千人というISの遺体はそれぞれ一塊にして穴を掘って埋めたと彼は説明した。・・死人に口なし。ISの遺体は何も語らなかった。ミイラ化した遺体、乱雑に埋められた遺体、アメリカの空爆で灰になった遺体、私は朽ち果てるだけのISの遺体を前にして、どこか切ない気持ちが胸の内に込み上げてきた。
・・・シリア情勢は複雑怪奇な様相を呈している。誰が味方で、誰が敵なのか。アサド政権、イスラム国(IS)、反体制派、クルド人、それぞれが互いに反目している。
・・・2015年11月13日、フランスの首都パリではイスラム国の犯行により130人以上の市民が無差別に殺戮された。同月24日にはロシアの戦闘爆撃機がトルコの戦闘機により撃墜された。領空侵犯と主張するトルコ政府にロシアは事実無根だと反論している。』

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