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2018年2月 8日 (木)

軍人が政治家になってはいけない本当の理由 政軍関係を考える (廣中雅之著 文春新書)

航空自衛隊の元将官の著作でした。納得できない部分もありましたが、現在の日本の憲法は勿論法律に、国家機構における自衛隊の位置づけが明記されていないということについては、まったくその通りだと思います。現在の日本で、誰が日本の主権を外国から守ることは明記されていません。多くの国民は自衛隊だと思っているのでしょうが、法令的に曖昧だと思います。国家における武力、実力集団の意義を明らかにするような憲法改正の議論を期待していますが、現状を見ると、期待薄です。
『・・・最も重要なことは、第一に民主主義国家の国防組織は、憲法及び国内法制の下で国家機構の中に国防を担う専門的な職業集団(profession)として明確に位置付けられなければならないということである。このことは、政権のトップ、国防省(防衛省)、法執行機関及び軍隊の指揮官が、国家機構全体の中で、権限と責任を、どこまで負うことになるかについて、明確にしておくことを意味する。
・・・民主主義国においては、文民統制は絶対的な原則なっている。政治は、軍事にかかわる政策決定の最終責任を負い、軍隊の指揮官は政治指導者に対して軍事的な助言を行うとともに、政治目的を達成するための軍事的手段を提供することのみを行う。しかしながら、一般的に、この政策決定の結果が明らかになるまでの過程において、政治指導者と軍隊の指揮官との間ででは対立と協調が生じ、その過程を含めて如何に適切に管理していくかが、政軍関係を考える目的となる。・・文民統制は、政治指導者の最終的な政策決定に対する軍隊の徹底的な服従という「過程」であり、政軍関係の一機能でしかないことを正確に理解する必要がある。
・・・軍隊が実力を行使して政治体制を変えるクーデターは、米国が大切にしている民主主義の原則に反すると米軍の指揮官は正確に理解している。英国においても、議会制民主主義の下で民主主義を追求していることから、17世紀以降、軍隊がクーデターを起こしたことはない。
・・・政治指導者と自衛隊の指揮官の間の信頼関係は、あった方が良いではなく、緊急事態における率直な意見交換を実現するためには、絶対的な信頼関係が必要条件となる。
・・・「任務ですから、いつものとおりやってきます。大丈夫です。お任せください」。第一ヘリコプター団長は、少しも気負うことなく、統合幕僚長に報告した。当日、CH-47ヘリコプターでの対処を実際に命じた統合幕僚長以下の自衛隊の各級指揮官及び現地部隊の隊員には高いリスクを負う覚悟ができていた。
・・・しかしながら、「統合幕僚長に決心してもらった」という第三者的な発言に、多くの自衛官は戸惑った。自衛隊のあらゆる作戦行動は、防衛大臣の行動命令によって行われる。正に、防衛大臣による指揮監督権の行使であり、政治指導者である防衛大臣には、自らの決断を部下に命じ、その結果責任の全てを背負う覚悟が必要である。それぞれのレベルで持つべき重大な責任を負う覚悟を部外者である米軍幹部でさえ十分に理解している。北澤防衛大臣の発言では、政治指導者が持つべき強い覚悟が現場の自衛隊員は伝わっていない。
・・・本来、自衛隊の指揮官の主たる任務は、緊急事態に際し、政治指導者に対して政策決定のための軍事専門的な見地からの作戦上の選択肢を提示することである。そこには、基本的に政治判断が入る余地はない。自衛隊の指揮官が、緊急性、公共性及び非代替性を考慮した上で、政治指導者に対して選択肢を提示することは、軍事専門性が曖昧になり、期せずして提示する選択肢の中に政治的な判断が加わることになおそれがある。
・・・実際、政治指導者から、もっと人が出せないのかとの圧力がかかる中、自衛隊は、全力で災害派遣活動を行いつつ、警戒監視活動などの防衛・警備にかかる諸活動については、レベルを下げることなく強靭に継続した。とりわけ、沖縄や九州方面の部隊には、増加する周辺国の偵察活動に対し警戒監視活動のレベルを上げるように指示した。
・・・そもそも、福島第一原子力発電所は、日本人の生活のための電気の供給を行っており、その事故に対しては、あくまでも日本が主体となって対処すべきであり、米国が米国民の保護のために如何なる行動をとろうと、うろたえるべきではない。残念ながら、我が国の政治指導者には、明らかに当事者意識が不足していた。
・・・栗栖陸将は、文民統制上、不適切として政治指導者に更迭されるという結果になったが、栗栖陸将の発言は、軍事専門家としての強い問題意識に基づき専門的な意見を述べたものに過ぎなかった。日本に適切な政軍関係が構築されていれば、とりたてて問題となるようなものではなかっただろう。
・・・依願退職の理由として、「防衛庁長官の信を失ったので退職を決意した」と誠に潔い一分のみが認められていた。政治指導者と自衛隊の指揮官の間の信頼関係が壊れれば、政治指導者が自衛隊の指揮官を更迭するのは当然である。栗栖統合幕僚会議議長が自ら退職を願い出たことで、政治問題化の様相を呈しつつあったこの問題は速やかに沈静化している。政軍関係が未熟である日本において、、栗栖陸将の出処進退は見事であった。
・・・複数の指揮官職への配置を通じて得られる様々な経験は、自己犠牲を伴う高い精神性を養う絶好の機会となる。
・・・田母神空将は、部下統率に優れた優秀な指揮官であり、また、極めて能力の高い幕僚であったが、将官として持つべき健全な精神性を育む過程において、唯一、最も大切な民主主義国家における政軍関係に関して深く考察する機会が不十分であった。
・・・何故、問題が起きたのか。結論を言うと、自衛隊の指揮官が過早な政治判断をしているためである。・・自衛隊の指揮官は軍事専門家的な立場から軸足を外さず、政治指導者に率直に報告すべきであり、それを怠ったところに問題がある。・・政軍関係上、重要な視点のひとつである政治指導者と自衛隊の指揮官の間の率直な意見交換の前提となる信頼関係が全く築かれていないことを明確に示している。
・・・自衛隊は、国内法上、行政組織の一部として位置づけられたままとなっており、国家機構の中で高度な専門家集団である国防組織として位置づけられていない。このことは、我が国の国民に現実から目を背け、安全保障や軍事問題に真剣に向き合わなくてよいという空気を期せずして与える大きな要因となっている。
・・・自衛隊の指揮官は、安全保障に関する一般的な知識は十分に持っているものの、政軍関係にかかわる概念や原則的な事項を学ぶ機会はほとんどなく、政治指導者との距離感をつかみかねている。
・・・政治指導者と自衛隊の指揮官の距離は、統合幕僚長が国家安全保障会議に、防衛大臣とともに常に陪席できることとなったことから格段に縮まっている。しかしながら、米国では、1986年以降、統合参謀本部議長は、国防長官とともに国家安全保障会議の正規メンバーとして、軍隊の意見を代表して国家安全保障会議における軍事政策の決定にかかる採決に加わることができる。我が国の状況は、ようやく30年前の米国に近づいたということかもしれない。
・・・政治指導者に代わって文官官僚が自衛隊を律する文官統制は、冷戦時代のように自衛隊が精強な組織として「存在」することのみに意義があり、自衛隊の実際の「行動」を想定しなくてもよい時代においては、政治が軍事からできるだけ距離をおくための安全弁として一定の役割を果たした。もちろん、防衛省内部部局の軍事専門性の不足は、文官統制の問題だけに起因するわけではない。我が国では、諸外国の陸軍省、海軍省及び空軍省に相当する専門性のある行政組織がなく、事実上、防衛省内部部局のみがそれにあたっている。そのため、本来、専門性の高い組織のいてそれぞれ検討されるべき国防政策・戦略が、主として調整機能しかもっていない防衛省内部部局によって扱われる状況となっている。防衛省の文官官僚の軍事専門性の不足は、この組織構造に起因する問題が最も深刻である。
・・・諸外国の国防省は、長官官房に所属する文官と統合参謀本部に所属する軍人のふたつの系列で構成されている。文官と軍人の所掌事項は、軍政事項(予算、部隊の編成、募集など)と軍令事項(作戦計画の立案、実施及び訓練など)に明確に区分されている。そして、文官といえども、高い軍事専門性をもっている。
・・・新たに出された文民統制に関する政府統一見解でも明らかなように、引き続き、諸外国では例がない「文民統制について内部部局の文官が防衛大臣を補佐する」とされており、未だに文官統制の残滓を引きずっている。自衛隊を適切に使うための制度改革は、道半ばである。
・・・米国憲法は、大統領に軍隊の最高指揮官として強大な権限を付与するとともに、併せて、連邦議会には宣戦布告の権利と軍隊の募集、編成と維持に関する権限を与えている。
・・・大統領および国防長官の高級将官の任命権に関する上院の関与は、実質的に行政府に属する政治指導者からの高級将官に対する過度の影響力を排除し、軍隊の政治的な中立を守る機能を果たしている。
・・・米海軍大学のリンゼイ・コーン准教授は、「米国においては、一般国民は政府をあまり信用していないが、軍隊に対しては絶対的な信頼を寄せている。また、国民は国際情勢にはほとんど関心を持っていないにも関わらず、軍隊の指揮官の判断には絶大な信頼を寄せている」と指摘している。
・・・何故、国民の軍隊に対する高い信頼度が維持されているのかについては、軍隊の実際の軍事行動(performance)、軍事専門性(professionalism)及び説得(persuasioon)の三点があると指摘されている。
・・・大学卒以上の教育水準の高い国民は、あまり軍隊を信用していないのに対し、高卒以下の低学歴の国民の軍隊に対する信頼の度合いは高い。・・第2次世界大戦後のベビーブーマー世代の国民より、ベトナム戦争後に生まれたいわゆるミレニアム世代の方が軍隊に対する信頼度が高く、所得の高い国民に比べて所得の低い国民の方が軍隊を信頼している。・・軍隊に対する支持が低いのは18~29歳が60%、民主党寄り、リベラルな立場が58%となっている。
・・・何故、オバマ政権の対外政策にかかわる政策決定が不適当だったのか。専門家、研究者の批判を総括すると、その最も大きな理由は、大戦略がなく、状況対応型の政策決定を繰り返しているためである。
・・・マレン統合参謀本部議長も、軍隊は政治的中立を守るべきとして、米軍の機関誌上で、「軍人は、現役、退役を問わず、常に中立的、非政治的でなければならず、常に国家全体の利益を考えて行動するべきである」として軍人の政治活動に対して強い警鐘を鳴らしている。
・・・退役将官の一般企業への再就職も、政治活動への関与と同様に潜在的な問題となっている。米軍人を含め、諸外国の軍人には、退役後は恩給制度が適用され、退職後、直ちに恩給の支給が開始されることから、基本的に生活に困窮することはない。米軍の場合、35年以上の勤務を経て退職すると(中将、大将の昇任者に相当)、一生涯、退役時の年棒100%の恩給が支給される。英国軍においても、条件により若干の違いはあるが、退役時の年棒の90%以上の額の恩給が生涯支給されている。ちなみに、自衛隊は軍隊ではないため、恩給制度は適用されず、自衛官は年金を受け取ることとなる。
・・・一般的に辞職は政治指導者のリーダーシップに対する抵抗と受け取られる。従って軍隊の指揮官は政治指導者の最終判断が本当に受け入れられないかを感情論を抜きにして自問できる適切なバランス感覚を持つべきであると多くの米軍の高級将官は考えている。
・・・ハンチントンの「軍隊の軍事専門性を高めることにより、政治指導者は軍事作戦に関し方針的な事項のみを示し細部についてはできるだけ軍人に任せる客観的な統制が可能になる」とする考え方は、今日でも政軍関係の理論の主流になっている。
・・・現役、退役を問わず、米軍の将軍の多くが最も尊敬する米軍人はジョージ・マーシャル陸軍元帥(1880~1959年)である。・・米軍の将官の尊敬を一身に集めている理由は、国務長官、国防長官としての実績ではない。それは、陸軍参謀長代理だった若き日のマーシャルの軍事専門家としての適切な行動である。・・マーシャル元帥は、未だ政軍関係の基礎理論が構築されていなかった時代にあって、軍人は、本来持つべき軍事専門性を最も大切にすべきとの信条を持ち、実践した軍隊の指揮官であった。
・・・この民兵制度は米国の正規軍(常備軍)の制度よりも古い歴史を持ち、米国民が最も大切にしている自主独立精神の源泉として、今日でも国防に対する考え方の基調となっている。
・・・マーシャル元帥は、政治的な活動に関わらないために、生涯、一度も選挙の投票に行かなかったと言われている。
・・・第二次世界大戦後から朝鮮戦争の間、マスコミを通じて自らの意見を主張して政府の政策を公式に批判し続け、ついに、トルーマン大統領に解任されることとなったマッカーサー元帥の行為は、政治指導者と軍隊の指揮官との対立の象徴的な事案である。政治指導者の政策決定に対し公然と批判を繰り返したマッカーサー元帥の文民統制に対する明白な違反行為を支持する米軍人は一人もいない。
・・・ベトナム戦争は、リンドン・ジョンソン大統領、ロバート・マクナマラ国防長官をはじめとする文民が軍事作戦に細かい指示を出しすぎた結果、米国を敗戦に招いてしまったと言われている。
・・・複数の実質を伴う軍事的選択肢を確保することこそ、政治指導者の政策決定における軍隊に対する優越性を担保する鍵となる。
・・・ルート中将がホワイトハウスでの影響力を増していくことは、軍隊の意見を代表していないホワイトハウスの軍事補佐官が、オバマ大統領の軍事政策の決定に大きな影響を及ぼすようになることを意味した。・・軍隊の意見を代表していない軍事顧問が大統領に最も近いところにおり、その軍事顧問が、直接的、間接的に大統領に対し軍事政策にかかる助言を継続的に行うことの是非は再検討されるべきである。
・・・実際は、共和党には軍隊の指揮官の助言を真摯に受け止めない傲慢な政治指導者が多い。他方、民主党政権は軍隊に対する理解が浅く、基本的に軍隊を信頼していないため、やはり軍隊の指揮官の助言を尊重しない政治指導者が多い。軍隊の指揮官は軍事専門家であり、政治指導者とは判断基準が基本的に異なる。如何なる政権であっても、政治指導者と軍隊の指揮官の間には大きなギャップがあり、お互いにそのギャップを埋める努力をし続けることが民主主義国家における政軍関係のあるべき姿である」と苦悩しつづけた孤高のマレン提督は話してくれた。
・・・現在でも、内閣総理大臣、国防大臣と英国軍の指揮官は、少なくも毎週一回、定期的に会う機会があり、緊急事態が発生した場合には、日に何度も会う機会が与えられる。一般的に、英国軍の指揮官は、女王陛下の軍隊であることを誇りに思っている。英国においては、行政府の長である内閣総理大臣が、事実上、軍事政策の決定権を持っているが、英国軍の指揮官は、英国軍は女王陛下の軍隊であり、政治的に中立の立場を堅持しているとの思いが極めて強い。
・・・一般的に英国軍の指揮官は、米国の指揮官に比べて政軍関係に関する関心は低い。それは、英国では政治指導者と軍隊の指揮官の関係が極めて良好である証左でもある。
・・・英国の国家安全保障会議には相当数の軍人も所属しているが、彼らは軍事的な助言者とは認識されていない。内閣総理大臣に対する軍事的な助言者は、英国においては、法律上、国防大臣と統合参謀総長であり、この二人が軍隊の意見を代表して内閣総理大臣に助言をすることとされている。
・・・最も重要なことは、民主主義国家の軍隊は、憲法および国内法制の下で国家機構の中に国防組織として明確に位置付けられなければならないということである。このことは、政権のトップ、国防省、法執行機関及び軍隊の指揮官が、国家機構全体の中で、軍事政策にかかわる権限と責任を、どこまで負うことになるかについて明確にしておくことを意味する。
・・・この対外的な防衛の目的は、国家に対する脅威の排除、主権の維持及び国際的な平和維持である。災害救助、国家建設支援、麻薬取締などは、軍隊の役割としては主体的に行うべきではなく、あくまでも支援する立場にある。
・・・軍隊の指揮官は、常に軍事専門的な観点に軸足を置きつつ、政治指導者が考える政治目的を的確に理解し、政治目的と作戦目的の合致を追求する必要がある。そのことは、政治目的を達成するためとして作戦行動の選択肢を安易に妥協させることを意味しない。
・・・最終的に政治指導者による政策決定が行われる直前まで、考え抜いた軍事作戦の選択肢を政治指導者に説き続けることは、軍隊の指揮官の義務である。
・・・たとえ、軍隊の専門的な判断が100%正しく、政治指導者の判断が100%間違っている場合(実際には51%と49%の違いかもしれないが)であっても、最終的に政治決定がなされると軍隊は徹底的にその命令に従わなければならない。
・・・米英では、退役将官の発言は、軍隊の意見を代表する発言であると理解されている。
・・現役将官はもとより、退役将官は、いかなる状況にあっても政治的な発言はするべきではないという重要な教訓を示唆している。米国では、法律上、退役将官を含む、軍隊の指揮官は政治的中立性を保つ原則を尊重しなければならないこととされている。・・第二次世界大戦前の米国においては軍隊の指揮官が政治活動に関与することは一切なかった。しかしながら、現在、退役将官の政治活動が活発化しており、軍隊が政治的な中立性を確保することが、より難しくなっている。
・・・何より大事なことは、軍隊が政治的な中立性を保っていることを明確に示すことである。つまり、軍隊のあらゆる献身的な行動は、主義主張、党派を越えて国民のために行われているという明確なメッセージが国民に伝わることにより、初めて軍隊が国民から信頼される必要条件を備えるということである。
・・・自衛隊法は、自衛隊並びに自衛官の行動を律するための法律であり、国家機構の中でも自衛隊の位置づけを明確にするものではない。
・・・自衛隊の指揮官の軍事専門性に常に軸足をおいた行動は、国民から信頼を得る鍵となる。言うまでもなく、軍事専門性を追求し続けることは、自衛官の生涯にわたっての目標であり、それこそが、制服を着る「誇り」の源泉である。
・・・自衛隊の指揮官は、政治指導者と意見が違う場合にも政治指導者による最終的な政策決定に至るまで、職を辞さないという覚悟をもって真摯に軍事的な助言をし続ける必要がある。
・・・内閣府国家完全保障局に配置されている自衛官の越権行為は厳に慎む必要がある。
・・・米軍の中将以上への高級将官の昇任に際しては、議会証言が求められ、また、作戦部隊指揮官には随時に議会証言の機会が与えられるが、そこでは自己の信念を率直に述べることが許されている。しかしながら、そのような場であっても、まず軍隊の指揮官は、あくまでも専門家として軍事的観点からの意見のみを述べること、さらに、政治的な問題とは努めて距離を置くことが求められている。
・・・将官にまで承認して退役した自衛隊の幹部は、一生涯、現役将官と同じ、国家に対する責任を負うことを自覚すべきである。
・・・自らが関与した作戦行動の意義、思考過程及び結果について、国民にきちんと言葉で説明し、理解を得ることができなければ、自衛隊の指揮官として失格である。』

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