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2018年1月

2018年1月 7日 (日)

洞察力 弱者が強者に勝つ70の極意 (宮本慎也著  ダイヤモンド社)

プロ野球に入った当初、ここまで活躍できるとは予想されなかった著者が、正しい努力により輝かしい成果を収めることができた、その理由を知ることができ、参考になりました。

『・・・一方で、実際にチームという組織を動かす点でいえば、やはり現場にいた方が勉強になる。
・・・「チームはエースと4番だけでは成り立たない。目立たない脇役でも、適材適所で働けば貴重な存在になる。主役になれない選手は「脇役の一流」を目指せばいい」初めてのキャンプで言われた際には、身震いしたのを覚えている。
・・・数字で評価される主役とは異なり、脇役の評価はどれだけ首脳陣からの信頼を得られるかで決まる。
・・・だが、組織の中で脇役が主役になれるかというと、そうではない。主役には主役なりの、脇役には脇役なりの役割というものがあるからだ。
・・・自己分析が何よりも重要なのは、一般社会でも同じだろう。どんな人間でも自分がかわいく、実際よりも高く自己評価してしまう。それでは自分の役割を正しく理解することはできない。一方で自己評価が謙虚過ぎれば、実際の能力よりも低いところから始めなければならず、力を発揮することはできない。
・・・PL学園では、人が嫌がることにも率先して取り組む重要性を教えられた。基本にあるのは人間としての成長が野球にも必要な目配り、気配りに通じるという考え方だった。
・・・私が見てきた印象では、勝負強いとされる打者は、腹が据わっていると感じさせる選手が多い。・・好機に成果を残す大前提として、技術は必須である。そのうえで、持っている技術を重圧がかかる場面でも発揮するには、勇気と経験による割り切りが必要になる。
・・・もちろん、努力が報われるとは限らない。シーズンが終わってからの3か月間にどれだけ計画的にトレーニングをしたとしても、翌シーズンんで良い成績を残せる保証はない。ただ、やらなければ絶対に良い結果は出ない。
・・・気力を維持することは特別な才能の一つだと感じている。若々しい気力を保ちながら、子供ほど年の離れた選手と共に汗をかき、息の長い現役生活を続けた。これはもう、「あっぱれ」としか言いようがない。
・・・注意してみなければ気づかないような細かな仕草にこそ、人の本質があらわれる。
・・・優勝経験がある中日の選手たちは、自分たちがやるべきことを明確に理解していた。優勝するために必要なことが、経験で分かっていたというべきだろうか。結果を先に考えるより、今すべき自分の仕事に集中することができていた。だから、緊張状態でも普段通りのプレーができた。
・・・棋士の羽生善治さんが著書で次のように書いている。良いパフォーマンスを出せる精神状態というのは、一番はリラックスして楽しんでいるときで、二番は重圧を感じて緊張しているときだと。重圧がかかる状態というのは、能力が引き出されるときでもあるという。そして、重圧を感じる中でよいパフォーマンスを出すには、やはり練習量が重要だとも書かれていた。極限状況の中では練習量が心のよりどころになるのは、どんな世界でも同じのようだ。
・・・結果はコントロールできないが、どう準備するかは自分でコントロールすることができる。準備を整理することで、打てなかったらどうしようと結果を考える思考の隙間が少なくなっていった。
・・・大きな目標ばかりを設定しても、苦しくなって妥協する部分が出てきてしまう。一方で小さな目標だけでは、スケールの小さな選手で終わってしまう。
・・・わずかな目配り、気配りの積み重ねがプロフェッショナルの仕事では大きな差を生む。
・・・物事を決断する時に一つの物差しにしていたのは、自分の損得は考えないということだった。
・・・野村克也監督は「変化を恐れないのが一流」と話されているが、私は、「変化」とは「勝負」を懸けることだと思っている。安全を確保しては本当の意味で変化することはできない。丁か半かの勝負を懸けなければ、大きな成果を得ることはできない。・・周りを見渡してみると、実績のない人ほど過去の小さな成功体験から離れられないように感じる。・・ただ、忘れてならないのは、変化の前には自己分析が必要ということだ。自分の力量がどれほどあり、何が不足しているのか。現状を分析できていなければ、変化しようにも回り道になってしまう。
・・・ボールを相手の胸に向かって投げる。キャッチボールというのは守備の基本動作である。兼任コーチとして指導する中で痛感したのは、ボールを投げられない選手はいくら守備の技術を練習しても上達しにくいということだった。それならば、守備の技術練習に入る前にとことんキャッチボールをさせた方が良い。最近ではそう考えるようにさえなった。
・・・転機が訪れたときに、好機に転換することができるか。訪れた転機をつかむためには、地道な練習を積み重ねるしかない。
・・・変化を受け入れ、新しい場所でどう成果を残していけるか。変化を続けられた者だけが生き残ることができる。
・・・日本人と積極的にコミュニケーションを取ったり、配球を研究したり、日本の野球に慣れようとする選手は成功することが多い。逆に「俺はこれでやってきたのだから」と自分のスタイルにこだわる選手は、結果が残せずに一年で帰国してしまう。
・・・どんな仕事であっても優れた成績を残すと周囲がチヤホヤし、厳しいことを言ってくれる人は少なくなる。環境に甘んじてしまっては、成長は止まってしまう。
・・・人間が勝てないものの一つに、年齢があるという。どんな天才でも平等に年齢を重ねるし、体力はいつか衰えてきてしまう。
・・・一つの球団の支配下登録選手は最大70人(育成選手を除く)と決まっている。誰かが入団すれば、一方で誰かが退団しなければならない。・・一つの基準になっているのはチームにおける年齢のバランスといえるだろう。・・(プロ野球の平均選手寿命は約9年で、平均引退年齢は約29歳とされている)。「高卒は5年目、大卒、社会人は3年目」。入団してから一軍に上がるまでの猶予期間として、球界でよく使われてきた言葉だ。
・・・現役時代、二軍暮らしが長い選手と話していた時に、こんなことを感じていた。戦力外を免れることができても「来年こそ頑張ろう」と本気で前を向ける選手は少ない。ほとんどの選手は「助かった。あと一年やれる」と胸をなで下ろすだけだった。まずは自分が組織の中でどの立場にいるのかを感じることだ。その感性がなくなれば、戦力外を通告されて初めて自分に足りなかったものに気付くことになってしまう。
・・・成功した投手に共通しているのは、登板時には信じられないほどの集中力を見せるということだった。
・・・チームに新しい選手が入ってきたときには、少し癖がある性格の方が期待できたものだ。少しぐらい生意気で「やんちゃ」と感じる性格の方が、選手として大成する可能性を秘めていると思うからだ。
・・・失敗は誰でもするもの。進んでしようとする人間はいない。だが、それを誰かや環境のせいにして逃げていたら、また同じことを繰り返してしまう。失敗の原因を考えて、次への対策を見つけることが反省である。
・・・合理性ばかりを求めていると、弊害が出るケースが多い。19年間の現役生活を経験した中で、一つ言えることがある。物事の結果をコントロールすることはできないが、プロセスはコントロールすることができるということである。・・相手がある以上、結果に至るまでの準備までしか、自分ではコントロールすることができない。言い換えれば、大切なのは結果ではなく、どういった準備をしたかというプロセスだともいえる。どんな世界にも通じる部分があるのではないだろうか。・・この一見無駄に見えることが、必ずしも無益だとは限らない。失敗を重ねる中で、当時の考え方は正しくなかったのだと反省したり、アプローチの仕方をかえてみようという新しい発想が生まれることもある。結局は無駄なことを経験してきたからこそ、次からは無駄を省けるようになる。無駄なことが、無駄だと気付くことができる。無駄を重ねることが、本当の力を身につけることにつながると思うのである。
・・・間近で見ていて、「本番に弱い選手」に共通していると感じるのは、試合に通じる練習をしていないということだった。
・・・努力と結果は必ずしも結び付くわけではない。なぜなのだろうか。よくよく観察すると、それは正しい努力をしているのか、それとも間違った努力をつづけているのかということなのである。
・・・マイナス思考自体は悪いことではないと思っている。・・マイナス思考を積み重ねて最後にプラス思考に変えるのは、準備として正しい順番だといえる。・・マイナス思考を積み重ねることで、最後には「あれだけ厳しい練習をこなしたのだから」とプラス思考に変えられるのである。
・・・「体」「技」の順番に鍛えていけば自ずと「心」も強くなっていく。そうして「体・技・心」がそろうのである。
・・・プロ野球の世界では、素質がありながら、集中力が持続しないために定位置をつかめない選手もいる。そういった選手は、おしなべて好不調の波が激しいものだ。
・・・以前、原辰徳さんの著書の中で、東海大学などで監督を務めた父親の原貢さんから「悩み事や考え事は、布団の中で考えてはいけない。暗い中で、良い案は浮かばない。電気をつけて部屋を明るくし、いすに座って考えなさい」と助言されたという話を読んだことがある。
・・・自分で考えることを学ばなければ、変化していくことができない
・・・必要以上の重圧を感じることは、行動を制限することにもつながりかねない。
・・・スカウトの世界では「担当した選手が(入団時の)契約金を年棒で稼げるようになったら成功」といわれているそうだ。
・・・プレーヤー全員が同じ志を持てないのだとしたら、指導者が同じ方向を向く「役割」を与えればいい。たとえ個人が違う方向を向いてしまったとしても、「役割」を限定することでチームとしてのベクトルを同じ方向に向けることはできる。
・・・可能性があるうちは、「脇役」ではなく、チームの「主役」を目指してほしい・・小学生のように可能性が広がっているうちは全員がホームランバッター、エースといったチームの主役を目指した方がいい。いつかは、他者と比較する中で自分は「脇役」に徹しなければならないと気付くときが来る。それまでは、周囲が可能性を限定することはないのである。
・・・部下を指導する場面では、かける言葉には細心の注意を払わなければならない。・・そんな中で一つだけ言えることがあるとすれば、最後は選手本人に選ばせなければならないということである。
・・・結果を考えて逃げ道を作ってしまうと、本当の意味で前進することはできない。自分ではまっすぐに進んでいると信じていても、実際には斜めに進んでしまっていることもある。アプローチの仕方を間違えば、目的地から遠ざかってしまう。
・・・勝負の世界である以上、等しくチャンスを与えることが目標ではない。あくまでチームの勝利が目標だからだ。ここでコーチが考えなければならないのが、他の選手からの文句が出ない状況を作ることだ。・・特別扱いをするときには力関係を明確にした上で、明らかに上と思われる選手を選ばなければいけない。・・特別扱いには他の選手から不満が出てもおかしくはなかった。だから何よりも心がけたのは、山田には他の選手以上に厳しく接することだった。・・特定の選手にチャンスを多く与えるからには、周囲に「あいつなら仕方がない」と思わせる状況を作らなければならない。コーチには周囲を納得させるだけの理由と厳しさが必要になる。そのバランスを見誤ると、組織は崩壊してしまうだろう。
・・・選手の側もコーチを観察している。コーチに情熱があるかないかは、敏感に感じ取っている。情熱をもって指導してくれるコーチに対しては、選手も答えようとするものだ。
・・・部下に任せて、万が一の場合には責任を取る。星野さんの下で貴重な経験ができた。
・・・決断力があるかどうかは、能力の一つということができる。決断の遅い人間というのは、周囲に迷惑をかけてしまうことになるからだ。
・・・私自身、何か相談を受けた際には相談者の利益よりも、物事を大局的に考えて助言するように心掛けている。・・相談者の利益を優先すれば、結果的に不利益となることもある。
・・・部下を叱るタイミングは、いつがベストなのだろうか。私が心掛けていたのが、なるべく指導するべきプレーが出たその瞬間、その場で注意をするということだった。
・・・わざわざ若手を委縮させる必要はないが、委縮した中でも力を出せるようになることが、本当の実力につながることも多い。
・・・仕事に一生懸命取り組むのは、当たり前のこと。それ以上に何ができるかを考えて努力するのが、本当のプロとしての姿勢ではないのか。
・・・上司は部下の専門分野に強くなければならない。部下から質問を受けた際や、部下が壁にぶつかっているときには、「それは、こうした方が良い。なぜなら、こういった理由があるからだ」と部下が納得する理由とともに解決策を示すことができるのが、本来の上司の姿といえるからだ。
・・・「野村再生工場」と呼ばれることが多かった当時だが、移籍してきた選手たちは周囲にも良い影響を与えていた。チームとは異なった環境でプレーしてきた選手の考え方や言葉は、刺激になることが多かったからだ。
・・・勝負ことにこれをやっていれば大丈夫といった定石はない。そのときの最善の選択肢は何なのか。組織が置かれた状況や時期によっても、答えは変わってくるだろう。その時点でのベストを選択することができるのか。優れた指導者に共通するのは、最善の選択肢を選び続けられるバランス感覚ともいえる。』

2018年1月 2日 (火)

大手新聞・テレビが報道できない「官僚」の真実 (高橋洋一著 SB新書)

私がすでに知っていることも書いてありましたし、初めて知ることも多く書いてありました。さすがに元大蔵官僚だとも感じました。

『・・・筆者が財務省にいた頃、財務省幹部がある政策キャンペーンを行った。そして、担当部局の課長クラスに対して、新聞の論説委員クラスや、テレビ局のコメンテーターに根回しをさせて、どのような記事を書かせるか、あるいは、テレビでどう発言させるかを競わせたことがあった。その結果、翌日の大新聞の論調は、見事にすべてが同じになった。
・・・実は、森友学園問題には、主役である籠池理事長や、脇役である野党やマスコミが知らないところで重要な問題提起がされている。それは、一言で言うと、「日本の官僚と官僚機構が持つ重大な利権構造と弊害を、図らずも露呈した」ということになる。事態の深刻さに気付いているのは、もう一つの主役である財務省だ。
・・・私は値引き額8億円はかなり人為的につくられたものだと考えている。もし、まともにゴミの処理費用を算出すれば、10億円を超える可能性があった。それでは当初売ろうとしていた近畿財務局のメンツが丸つぶれである。そこで、1億円以上の売り上げが計上されることで近畿財務局の顔が立ち、また、小学校の建設を急ぎたい森友学園としても十分受けれられる「8億円」とした可能性がある。決して政治家に対する忖度で値引きしたのではなく、組織を守ろうとする官僚の”保身”のために、値引きが行われたのだ。
・・・筆者の推測では、近畿財務局の最大のミスは、そうした手順をサボり、ゴミの事実を隠して森友学園と随意契約をしてしまったことである。
・・・国の収入および支出に関して定めて会計法では、国有地の売却は、原則、競争入札と定められており、随意契約をする場合は、人命にかかわるなどの緊急性などに限定している。
・・・筆者は、役人時代、議事録は「お前が理解したことを書くのではなく、誰がどういう発言をしていたかを書け」と指導された。「概要」では書いた人の主観が入り込むため、資料としては二次情報の可能性があり、情報価値としては2流品、3流品である。
・・・官僚が、交渉相手になっている他省庁の官僚からの要求について、文書で大げさな表現を使うのは常套手段だ。ランクの低い官僚には、直接的に聞いたわけでもない「総理の意向」という言葉で物事を処理しようとするのは、よくあることである。文書が文部科学省のものでも「総理の意向」という発言があったのかどうかの証明にはまったく役に立たない。
・・・マスコミから見れば、役所から入手した「ブツ」は絶対的なもので、裏を取らなくてもいいもの、という過信があるのだろう。内容が正しいかどうかを判断する能力も、判断しようとする意欲もないのである。
・・・マスコミは、文科省文書が本物かどうかに焦点を当てている。筆者の感覚では、おそらく本物であると思うが、そうであっても、それらが作成されたのは2016年秋である。とっくに、文科省への宿題の期限(2016年3月)の後、しかも(2)の2016年9月の後でもある。はっきりいえば、勝負のついた後に、文科省は言い訳をいっているだけだ。・・文科省が、特区で内閣府・特区有識者委員会と交渉してきたのは、課長レベルである。交渉に負けたとき、負けた者は組織の幹部に報告するとき、いい加減なことを言う。筆者から見れば、それが「総理の意向」である。
・・・筆者が加計学園問題でこれまで述べてきたことは、いずれも単純なことだ。しかし、相変わらずマスコミはまったく真相にたどり着けていない。その理由は、目の前の現象だけしか見ていないからだ。一方の当事者だけから示された「文書」や「会見発言」を、金科玉条のように受け取ってしまっているから、加計学園問題には、「総理の意向」が働いていると思い込んでいる。このこうずは 森友学園問題と全く同じである。ゴミの問題を伝えずに売却をしようとした近畿財務局の担当者のミスで、国有地が安く買えただけなのに、そこに政治家の関与を匂わせている籠池氏と、規制緩和派との戦いに負け打だけなのに、安倍政権の関与を匂わせる前川氏は、完全にダブっている。
・・・天下りと特区による新規参入のような規制緩和の間には、密接な関係がある。許認可を厳しくした岩盤規制によって、天下りを受け入れざるを得なくするのは役人の常套手段である。・・天下りは、身内の役人という既得権に甘く、それ以外の人の雇用を奪う。新規参入の許認可も、既に参入している既得権者に有利で、新規参入者を不当に差別する。
・・・大統領制の場合、立法権のある議員たちは、大統領や閣僚などの行政府の要職を兼務することができない。大統領は国民によって直接選ばれるし、行政府の閣僚や官僚たちは、大統領に選ばれることになる。したがって、立法権が行使できる議員と、行政権が行使できる大統領や閣僚および官僚が分かれることになり、立法権と行政権の集中は起こりにくくなっている。三権分立の観点からは、大統領制のほうが権力のバランスはとれているといえるだろう。ただし、大統領と議会が対立してしまうと、政治や行政がスムーズに行われなくなるという弊害が起こる。
・・・戦後、日本は、経済的自立と豊かさを至上命題として掲げ、行政主導で特定産業の保護や育成をしてきた。社会全体が経済活動に集中できる環境を、与党・官僚・業界が一体となって作りあげ、維持してきたといえる。この過程で、行政主導の産業政策が次々と推し進められた結果、行政権がどんどん肥大化してしまった。消長を動かしてきた一部の官僚たちが、実質的に政治的な権限を掌握するようになっていったのである。つまり、政治家が命令して官僚を動かすという政治主導にならず、官僚が主体的に法律案をつくって、実際に動かすという”官僚主導”ができてしまった。
・・・国が新たな政策を実現するには、「財源」と「法的根拠」が必要である。財源とは代さんであり、法的根拠は法律だ。国会で、その政策を国が行うことに値するかどうかが議論され、議員によって予算と法律が採決されなければ、政策は絵に描いた餅でしかない。
・・・「完全民営化」は民間が所有し、民間が運営する。しかし、「完全に民営化」となると、「完全を期して民営化する」という意味に解釈できてしまう。完全を期して民営化すれば、特殊会社でも特別民間法人でもOK、という結論になってしまうのだ。こういう巧妙な語句や言い回しの修正は、官僚が最も得意とするところである。こうした手法の積み重ねを通じて、官僚は裁量権を拡大してきたといっていい。
・・・官僚の作文をする能力は非常に高い。一見しただけではきづかない。巧妙な語句や言い回しを用いて、法律を自分たちに都合のいいように誘導してしまう。この作文能力こそが、官僚の最大の武器といっていいだろう。しかも、他に法律を書ける人材が極端に少ないため、法律作成においてはほぼ独占状態で対抗勢力がいない。放っておけば、好き勝手ができてしまうのである。そこでもうひとつ、官僚の強みを明らかにしておきたい。それは法律を作るテクニックである。ここで言う「法律をつくる」というのは、法律の条文を書くという作業とは別のものだ。どんな法案を作成するのか決めてから、それが国会で可決されるまでのスケジュールを想定し、滞りなく進行させるという一連の作業のことである。そこには、政治家を含めた関係各所への根回しも含まれる。優秀な官僚はそうしたマネジメント能力も高い。
・・・学者やジャーナリストを問わず、政府の審議会委員に選ばれるというのは、本人たちにとってみれば、非常に名誉なことだ。社会的な箔が付き、大した額ではないが報酬ももらえる。断る理由がないのである。したがって、審議会の場でも、役所の意向に逆らうことはない。はやりの言葉で言えば、役所の意向を忖度しているわけだ。
・・・ポチの中には、厚顔無恥というか抜け目のないというか、とんでもない人もいる。審議会で官僚が説明したことを、あたかも自分の意見であるかのように偽装するのだ。審議会では、「勉強になりました」などと言っておいて、そこで得た情報や理論を、その後、自分の論文として発表したり、本にまとめてしまうのである。情報をパクられて側の役所から抗議することは一切ない。官僚にとって都合がいい主張を世の中に広めてくれることになるので、むしろ歓迎していた。
・・・事務局が選んだ人物でも、実は反対意見を持っていたり、思いのほか自己主張が強かったりするケースがある。もし、そうした人物が、審議会で台本を無視して、役所の意向とは反対の意見を出してきたときはどうするか。発言内容を自分たちに都合のいいように変えて、議事録を残すのである。・・1人当たりの持ち時間は3分になる。このわずかな発言時間では、自分の主張をまとめて述べるだけで、議論などは起きようがない。議事録に残す発言記録も、いかようにでも修正できるだろう。面倒な委員がいる場合には、審議会委員の総数を増やす、という手もある。内容からいって20人程度が適当と思われる審議会に30人の委員を選んでしまえば、発言時間は2分しかなくなる。これで有意義な発言や議論をしろというのは不可能に近い。また、人数が多くなればなるほど、結論はまとまりにくい。すると、結論が出ないまま時間切れになり、「座長一任でお願いします」となる。・・結局、事務局がまとめることにある。まとめたものは、審議会が始まるときに作成したものとほとんど変わらないはずだ。
・・・事前審査というのはあくまで慣行であって、政策の立案に不可欠の要素ではない。1962年から、自民党の要請を受けて始まったものである。それまでは、政府提出法案に対して、与党の議員が国会で議論を通じて反対意見を述べたり、審議の過程で法律案を修正したりすることができた。しかし、与党が政府提出法案に公然と反対してしまうと、行政府である政府と立法府で多数を占める与党との考え方が違っていることになってよくない、といわれるようになってきた。与党議員が与党の執行部に反発して国会審議で反対意見を述べれば、党内不一致を露呈することになり、野党にみすみす攻撃材料をあたえることになってしまう。それによって、審議が紛糾し、国会運営にも支障をきたすことが目立つようになっていった。そこで、国会で与党と政府が対立しないようにするために、政府提出法案を事前に与党に提出して、与党の審査を受けるようにしてはどうか、というアイディアがでてきた。1962年、当時の自民党の総務会長だった赤城宗徳氏が、官房長官だった大平正芳氏に持ち掛けたのである。
・・・族議員が増えてくると、部会では真っ当な議論や審査は行われなくなる。政治家が官僚にさまざまな要望をぶつけ、法案にどれだけ反映させることができるかが目的になってしまう。・・族議員の台頭によって、自民党の事前審査のシステムは、次第に、官僚がつくったシナリオに政治家が注文を付け、それをどの程度反映させるのかを調整する場となっていった。
・・・事前審査がもたらした弊害はまだある。それは国会審議の形骸化だ。
・・・事前審査が政治主導の阻害要因になっているというのは、次のようなことである。自民党の慣行上、党の事前審査と機関決定を通過しない限り、総理大臣をトップとする内閣といえども、法案を閣議決定できないことになっている。したがって、内閣や担当大臣の意向に沿って法案の原案が作成されたとしても、事前審査によって、内閣不在の状態で、与党と官僚によって法案が修正されてしまうという事態が起きてしまうのだ。内閣は、与党の事前審査及び機関決定が終了するまで、閣議決定をすることができない仕組みとなっており、総理大臣、閣僚といえども、いったん機関決定された内容を再度修正するというのは非常に難しい。
・・・予算関連法案を策定するには、予算編成権を握っている財務省の主計局との折衝が欠かせない。つまり、主計局も立案の命運を握っていることになる。省庁の中でも、財務省の主計局が最強の権力を握っているとされるのは、こんな理由もあるのだ。
・・・内閣法制局は政権の擁護をするだけではない。ときとして、内閣に対して、”拒否権”を発動することもある。たとえば、首相や閣僚が、憲法や法律の解釈あるいは見解について、過去に示したものから逸脱するような動きをした場合、法律の解釈を駆使して、逸脱しないように説得することがある。
・・・省庁の地方機関は、正式には「地方支分部局」と呼ばれる。・・中央省庁と地方支分部局を合計すると、およそ60万人の国家公務員と280万人の地方公務員がいる。したがって、最広義の意味での官僚は、日本に約340万人いることになる。・・キャリア官僚とは、国家公務員採用試験の「総合職試験」に合格して、中央省庁の本省に採用された人を指す。本省とは、霞が関に位置する省庁のことである。・・総合職試験の合格者は年間700人程度にとどまっている。国家公務員60万人のうち防衛庁などの特別職を除く一般職員は30万人程度であり、そのうちの数%程度がいわゆるキャリア官僚でである。
・・・キャリアとして入省すると、海外留学や地方勤務、他省庁への出向などを経験して、同期入省のほぼ全員が本省の課長クラスまでは、だいたい横並びで昇進することになる。財務省の場合、キャリアの1~2年目の新人は係員と呼ばれる。3年目ぐらいに海外留学し、5~7年目は係長となる。係長となると、政策立案をサポートする仕事が多くなってくる。・・30代前半で課長補佐になる。課長補佐は、自分で新しい法律の草案を書いたり、審議会の運営をするといった、政策立案における中心的な役割を担うようになる。実質的に法案を作成しているのは、30代の課長補佐たちなのである。・・40歳までには課長になる。課長は所属する課の政策立案に関して責任を負い、省内および他省庁との折衝、政治家への根回しといった仕事が増えてくる。キャリアは昇進するにつれて、そうした政治的な仕事が中心的な仕事になってくる。
・・・むしろ、自分の同期の中から、誰かが官僚トップである事務次官になって欲しいというのが、同期に共通する願望となっているものだ。・・飛ばされた期には優秀なキャリアがいなかったということになってしまう。それだけは何としても避けたいと、同期全員が思っているのである。・・課長まで昇進するノンキャリアは限られており、かなりの数の人がベテランの課長補佐のままで退官することになる。
・・・財務省には6つの局しかないので、局長になれるのは6人だけ。その6人を除いた他の同期は退官することになる。局長へ昇進する年齢はだいたい50代前半なので、50代前半もしくは40代の後半から、退官するキャリアが出てくるのだ。・・この慣行は必然的に「天下り」をもたらす。・・天下りのシステムこそが、官僚に省庁への忠誠心を誓わせる原動力になっていることは、ある程度官僚を経験している藻のであれば、誰でも知っていることだ。・・幹部クラスのOBともなれば、数年ごとに関連する団体を渡り歩き、その都度、高額の退職金を手にする人もいる。これは「渡り」と呼ばれている。
・・・主計局長の下には、主計局次長が3人おり、・・主計局では、課長の他に課長級のポストの主計官が全部で11人いる。主計官は、それぞれ対応する省庁が決まっている。実は、主計官のところだけポストの呼び方が少し違うのだ。課長は主計官、課長補佐は主査と呼ばれる。主計局が財務省の中枢であるという自負があるのだろう。
・・・政府において、財務当局の力が強いのは日本だけではない。海外では、法律上、財務当局の格が他省庁よりも一つ上とされているケースがある。さらに、財務当局の大臣が副総理クラスとなっている国もある。予算を握っている省庁というのは、海外でも大きな権力を持っているのだ。ただし、アメリカだけは例外で、アメリカの財務省は予算編成権をもっていない。歳入や通貨の管理についての裁量権しかない。アメリカで予算編成権を持っているのは、政権内の行政管理予算局というところなのだが、最終的な予算案をつくり上げるのは議会なので、行政管理予算局にはそれほどの権限はない。
・・・主税局の特徴は専門性の高さだ。キャリアは財務省内の他局に異動したり、他省庁に出向したりするが、ノンキャリアの場合は、ずっと主税局にいて、税制の専門家になっていく人も多い。・・主税局は、全国11の国税局と524の税務署のネットワークを活用することができるのだ。税務署は個人及び法人の所得に関する膨大なデータを持っているので、強大なネットワークといえるだろう。
・・・理財局はさまざまな国有財産を管理し、有効活用するのが主な仕事である。・・国有財産は「行政財産」と「普通財産」にわかれる。行政財産は行政に使うため、売却ができない国有財産のことで、国会議事堂や裁判所、防衛施設、皇居などを指す。一方、普通財産は、行政財産以外のすべてを指し、独立行政法人などへの出資が大半を占めている。このほかには、地方自治体へ貸し付けている財産や未利用の国有地がある。・・理財局が管理する財政投融資は、国の資金を使って行われる投資や融資のことだ。「第二の予算」とも呼ばれ、第一の予算である一般会計予算が税収や国債によって資金調達を行い、歳出された予算は使い切られるのに対し、財政投融資は貸し出しが基本だ。つまり、返済が前提となっている。投資の場合は、返済はないが、事業によって得られる収益の還元が期待されている。
・・・国際局の業務は幅広い。国際経済の調査・分析から始まって、国際機関との連携・交渉、途上国支援の企画・立案をてがける。また、為替政策も国際局の仕事で、ときに為替相場への市場介入も行う。・・財務省には、トップの事務次官と同格とされる財務官というポストがある。国際局長は財務官になることはできるが、事務次官が主計局、主税局、理財局ほかの分野を所管するのに対し、財務官は国際局と関税局の一部を所管するのみ。事務次官に比べると財務官は格下であることは否めない。G7(先進7か国蔵相会議)をはじめとする、経済関連の国際会合には、財務官と国際局の次長クラスが随伴する。外交における経済的な交渉については、外務省よりも国際局の権限の方が大きいと言えよう。
・・・財務局は、地方支分部局と呼ばれる財務省の出先の機関だ。・・財務省の地方支分部局は3つの部署があり、財務局の他に、税関と沖縄地区税関がある。・・管轄地域での予算の振り分けや、地方公共団体への貸付業務などを行っている。また、財務省とは別に、金融庁からの委託業務も行っており、人事交流もある。財務局は、財務省本省とは別に、国家公務員採用試験「総合職試験」の合格者を独自に採用している。しかし、主要な財務局のトップである財務局長は、本省採用のキャリアが就くことになっているので、生え抜きは財務局長にはなれない。本省に出向することは多いが、本省で中枢のポストに就くことはできない。財務局の最終ポストは、地方支分部局であれば中小の国税局長、財務局長、税関長で、本省であれば通常は課長補佐まで、課長にまで昇進するのはごく少数だ。
・・・財務省の権力の源泉は予算編成権と徴税権だ。いずれも他の省庁及び政治家にとっては脅威となる。実は、もうひとつ、財務省は他省庁に強い影響力を行使できる権力を握っている。人事権である。国家公務員の人事を管理している課はいくつかある。給与の金額を管理している財務省主計局給与共済課、各省の人事を管理している人事院給与局第2課、国家公務員の数を統括している総務省行政管理局などである。この三つは別々の組織ではあるが、財務省から出向した財務官僚が課長ポストをすべて押さえているのだ。特に、総務省行政管理局管理官は、全省庁のその年の公務員の増員または減員の査定を行っている。霞が関官僚の定員を調整する権限を握っているのだ。
・・・財務省に限らず、官僚の行動原理は「省益第一主義」という言葉に集約できると思う。いかに、多くの予算を獲得し、OBを含めた自分たちの利益を確保するか---。この省益の確保と追及という行動原理が官僚を支えているのだ。財務官僚には、これに加えて、「財政至上主義」という原理が加わる。現状では「財政再建至上主義」と言い換えてもよい。
・・・財務官僚のこうした考え方の背景には、自分たちのことを「国士」だと思っているフシがある。国士とは、身命をなげうって国家を支える憂国の士を意味する。悪者になってもいいから、あえて国民に不人気な増税という選択を我々はするのだ。それが、結局は日本のためになる---筆者が財務省にいた頃は、そうした雰囲気が省内に充満していたのである。おそらく、それは現在も変わらないであろう。
・・・今はグローバリズムが世界の隅々まで浸透した結果。状況の変化が短期間でおき、先を見通すことが難しくなっている。こうした状況では、首相が政治判断をし、トップダウンでスピーディに具体的な指針を示すことが求められよう。そのためには、政策決定のメカニズムを、官僚主導から政治主導に転換しなければならない。
・・・しかし、日本政府は巨額の資産を持っている。政府の関連会社の資産も考慮すると、資産額はおよそ600兆円以上あることが分かっている。・・実質的な借金は400兆円程度となる。この金額は、日本のGDPの約8割に相当し、他の先進国の対GDP比率と比較しておm、突出して高い水準とはいえない。・・政府資産の中身についても、先進諸国と比べて、換金可能な金融資産の割合がきわめて大きいのが特徴となっている。日本政府の借金は、少なくとも、すぐに消費税を増税しなくてはならないほど深刻な状況ではまったくないのだ。
・・・特殊法人や独立行政法人を、廃止あるいは民営化することで、出資金及び貸付金を回収することが可能となる。その結果、政府のバランスシート上の負債も大きく減る。・・日銀を連結対象とする「統合政府」のバランスシートを作ってみると、日銀が金融市場から国債を購入しているため、実質的な政府の負債は解消に向かいつつある。すでに、財政再建は終了してい可能性がある。その証拠に、先の5月1日、金融市場で国債の売買が成立しなかったという、”事件”が起きている。・・もし、日本の財政が危機的状況であれば、国債の価格は下がり続け、暴落が起きるかもしれない。しかし、現状は、国債の価格は高止まりしている。これは、統合政府でみれば、日本政府の財政再建が終わっているという筆者の認識と合致しているのだ。
・・・社会保障制度を維持するためには、まず「歳入庁」をつくるべきだと考えている。歳入庁というのは、国税庁と日本年金機構の徴収部門を統合した組織である。歳入庁をつくることで、税金や年金保険料を効率的に徴収でき、徴収コストを劇的に下げることができるからだ。
・・・歳入庁はいいことづくめといえるのだが、日本では創設に向けた動きが一向に盛り上がらない。それは、歳入庁に断固反対している勢力がいるからだ。財務省である。
・・・道州制の直接的なメリットは、中央省庁のスリム化ができるところだ。ただし、公務員の数自体は純減しない。削減された20万人の国家公務員はそのまま地方公務員にスライドするため、地方政府の地方公務員は、減った国家公務員の数だけ増えることになる。それでも、中央省庁のスリム化によって、コスト削減効果は出てくるはずだ。・・一方、道州制の導入によって懸念されることもある。新たな利権構造ができる可能性だ。中央省庁が握っていた予算や許認可などの権限を、地方政府が持つことで、地方政府の官僚が利権の中心に座るおそれがある。それに対しては、地域住民の監視が何よりも大切になるが、手が届きにくい中央省庁で起こる問題ではなく、より身近な地方政府での問題なので、監視はしやすくなるはずだ。監視するための組織をつくり、仕組み作りを準備しておきたい。
・・・筆者は、議員立法によって重要法案が多数つくられるべきだと考えている。官僚には書けないような、日常生活に密着した法案こそ、議員立法が担うべき分野である。議員立法の数を増やすことが、政治主導を取り戻すことにつながるといっていい。』

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