軍事のリアル (冨澤暉著 新潮社)
元陸上幕僚長の著作。前半は一つのテーマについての論述、後半はエッセイ的な印象を受けましたが、目からうろこのような印象もありました。
『…1999年にも国連軍参加についてまったく同様の答弁があったと聞くが、これらの答弁で2つの点が明確にされた。一つは、内閣法制局が国連軍・多国籍軍・PKFに参加し武力行使をすることを、「すべて集団的自衛権に関わる問題だ」と誤解ないしは曲解していることであり、次に「武力行使というものはすべて我が国防衛のための必要最小限を超えるものであってはならない」と盲信していることである。
・・・本来、自営における反撃の限度は侵害の程度に応ずるものである。だから、通常兵力1個師団で攻撃された場合の反撃の限度と、核兵器で攻撃された場合の反撃の限度は明らかに異なる。つまりこれは、その時の状況・相手に応じた部隊運用上の限度なのであって、一定量として表現できないはずのものだ。にもかかわらず、日本に許された自衛・反撃の限度が総じて「必要最小限」、といういかにも一定量であるかのように思わせて、それを防衛力整備とか、集団安全保障とか、集団的自衛権行使の可否等というまったく無関係な分野のことにまで及ぼす。そして結局は、その言葉の意(量)を話す人・聞く人の同床異夢に委ねてしまう。こんな曖昧で意味のない言葉で議論することは直ちに止めなければならない。
・・・ようやく1974年に国連総会が侵略の定義に関する決議を採択した。この定義は8ヵ条からなるもので、無論完璧なものとは言えないが、ケロッグやパルの時代に比べれは大進歩といえる。・・この74年の国連総会は、侵略概念を武力攻撃に限定・確定したのである。
・・・正当防衛は国内法上の言葉であり、自衛は国際法上の言葉ということで、その区別は完全に定着している。ところが、国際的には困ったことが残っている。日本、中国、ロシア、ドイツ等の国々では、国内刑法上の正当防衛と国際法上の自衛とが別の言葉として確立しているのに、米国、英国、フランス、スペイン等の国々では、国内刑法でも国際法で、self-defense(英・米)、legitimadefensa(スペイン)、といった同一語で表現するのである。そのため、外国依存、特に米国依存度の強い日本に、要らぬ誤解と混乱をもたらしている。・・米国の国民の多くは国際法上の自衛(self-defense)という言葉を知らない。・・その彼らから言わせると自衛隊(self-defense force)というのは、「護身隊」とか、「正当防衛隊」と聞こえるらしい。世界秩序や国家を守る軍隊ではなく、もっぱら自分の身を守る部隊、というのは彼らの理解を超えたものである。
・・・刑法の正当防衛なら無論、憲法の認めるところのものだ、ということで、この条項を武器を保有する海上保安庁巡視艇(船)は勿論、米国を含むすべての友好国艦艇等にも適用できるように修正したらしい。集団的自衛権行使に反対する人々が、この条項を「憲法違反だ」と訴えても通じないようになっている。
・・・自衛と正当防衛をself-defenseのような同じ単語で表現する国々があるために、「自衛と正当防衛は同じものだ」とする誤解がなお消えずにいる。しかし「自衛と正当防衛とはやはり違うもの」なのである。「自衛」は国際法上の問題だからその権限と責任は国家にあり、「正当防衛」は個人の刑法上の問題だからその権限と責任は個人にある。
・・・かつて小野寺五典防衛大臣は「情報は共有しても指揮権は日本にあり、他国に譲ることはない」と語ったが、技術の進歩は、各国最高指揮官をパスし、自動的に集団安全保障措置をとれるところまで来ているのである。当然その事前設定は各国の最高指揮官が決心することだが、ことほど左様に今や集団的自衛権で特定の国を護るのではなく、集団安全保障で世界、地域全体の秩序・平和を守る時代なのだ、ということである。
・・・「駆けつけ警護」も「公海上の他国軍艦艇の防護」なども「集団的自衛権行使」に似てはいるが、全く違うものである。これは国際法上の国権に基づくのではなく国内法上試験に基づくものだから、責任は国になく個人にある。それでも諸外国のとっては歓迎すべきものなので、外交上は成功であった。問題は、この現場の自衛官たちにとって(1)奇襲攻撃を待ち受けるまでの忍街、(2)正当防衛についての国家に替わる個人の責任、がどこまで受容できるのか、ということである。
・・・集団安全保障とは戦うことが目的ではない。諸国連合で「何時でも戦える」という姿勢を示しつつ、まず話し合い、次に経済制裁を加え、相手が先に武力行動をとった時に初めて諸国の力を合わせて武力制裁する、というものである。
・・・歴代の米政権は、採用はせずとも多様な政策提言を許容し、かつ国益を守るための検討材料としている。そのことを承知の上で米国戦略家たちから学ばなけれならないのである。
・・・米戦略国際問題研究所(CSIS)シニアアドバイザーのエドワード・ルトワックは、(1)財務省とウォール街は「親中」である、(2)国務省は「親中」と「反中」の間をゆれる、(3)国防総省は「反中」である、と言っている。
・・・各種軍事協力で日本だけが他国と違った行動をとることは、その中で孤立するだけでなく、チーム全体の力を殺ぐことになり好ましくない。自衛隊他員たちの多くが、現場で努力しそれなりの成果を上げつつも、その「手足を縛るような」任務付与については、帰国後・退官後に不満を漏らしてきた。・・国内では「自衛隊は憲法により外国軍とは違う」が通じても、国際的な現場ではそれが説明できない。
・・・状況判断能力については、部下とともに訓練し、数々の現場を部下たちとともに踏んできた後輩指揮官たちをより信頼したい。ただ、現職自衛隊指揮官方にお願いしたいことがある。自らが訓練し自信を持っていることだけを実行してほしい。訓練していないこと、訓練してもできないことについては、恥ずかしくても「これはできません」と正直に言わなければならない。
・・・筆者が防衛大に入港した1956年には、米軍の陸軍中佐が防大校長の顧問として存在していた。
・・・統合作戦というのは、積極的に我が戦力を集中できる攻勢作戦において極めて効果的なのだが、防勢作戦において敵の自由意思に基づく攻撃を待ち受け敵の一つ一つを排除するには不便極まりない。
・・・統合軍が、米国において発展したのは、軍の大きさや活動領域の広さのためでもあるが、軍事技術、特にミサイル・IT(情報技術)の進歩のためだと言われている。要するに陸・海・空全てのプラットフォームが目標情報を共有し、どのプラットフォームから発射するのが最適かを選び出すコンピューター技術が自動的・効率的な指揮を可能にしたためである。
・・・日本は1954年2月に調印した「国連軍地位協定」に基づき、これら参加各国軍を在日米軍基地7か所(横田、座間、横須賀、佐世保、嘉手納、普天間、ホワイトビーチ)において支援しなければならない。これは「軍事による国際協力」であり、一つの「連合作戦」参加と見なされる。国連安保理決議に基づく多国籍軍への自衛隊の参加は2004年6月、イラクにおいて既に実現している。司令部からの情報提供は受けるが、武力行使に関わる指揮は受けないという条件はついているが、その実例は既に国際法の一部になっている。
・・・これらの「連合」は、すべて集団安全保障措置に関わるものであり、集団的自衛権行使とは関係がない。
・・・今、「国連中心の集団安全保障」と、「米国中心の集団安全保障」が併行して存在するかに見える。しかし、先にも述べたように、国連はもともと米国一極を公認するための組織であり、米国と国連は世界秩序維持のための車の両輪なのである。現在、世界の有力国はすべてこのことを認めているが、大量破壊兵器を拡散させ、テロ・ゲリラなどで世界秩序を変えようとする一部の国(またはグループ)だけがこれを認めていない。
・・・米国一極体制を長続きさせるため、日本の軍事がなすべきことの第一は、米国中心の軍事行動への参加である。それは戦争への参加ということではなく、戦争予防のための「集団安全保障」への参加である。・・まず(1)話し合い、次に(2)経済制裁をかけ、やむを得ぬ場合に(3)軍事制裁をかける、というものだが、ここでの軍事の本来の目的は、その存在により(2)の経済制裁を有効にし、さらに(1)の話し合いに拍車をかけるものであることを理解しなければならない。
・・・米国にとって今欲しいものは各軍の実力ではなく、出来るだけ多くの外国軍の共同の心と姿勢なのである。なぜならそれが「平和裏に米国中心一局秩序を維持する最大の推進力」だからである。
・・・朝鮮戦争は64年前に既に終わったと誤解している人が多いが、この戦争はまだ終戦になっていない。未だ講和条約が結ばれておらず、引き続き休戦状態にある。・・豪・加・英・仏・比・ニュージーランド・タイ・トルコの8ヵ国の駐日大使館駐在武官が国連軍派遣国・連絡将校として兼務(非常勤)で勤務している。
・・・金斗昇氏(韓国国防研究院主任研究委員、元ハーバード大日本研究所客員研究員)は、2002~2008年の間に在韓米軍司令官を務めたレオン・ラポート、パーウェル・ベル両大将の発言を紹介し「米国は、国連軍司令部体制を強化し、国連軍司令官の指揮権をなお有効とし、米韓連合軍司令部体制でない国連軍司令部体制だけでも朝鮮半島有事に対応することが可能であると考えている。つまり米国は米韓連合軍の指揮官の問題が揺れれているこの状況の中で朝鮮半島及び東アジアにおける自国の影響力を維持・強化するための一つの手段として国連軍司令部体制を活用し「北東アジア平和維持軍」を創設するという構想を持っている」「しかし、韓国はこの問題に対する十分な理解を関心を有しておらず、日本に至っては全く認識不足で、ただ日米同盟重視を言うのみである」との趣旨を述べている。
・・・国家安全保障戦略のここまでについては何の文句もなく、筆者にとっては「我が意を得たり」である。しかし、頭の部分は大変優れていたとして、首から下の部分が全くできていないところが問題である。「大量破壊兵器の拡散」が脅威だとして、それにどう対応していくのかという具体的方策がこの戦略には全く表現されていない。更に、この戦略を受けた「25大綱」にも関連策が示されていない。・・最大の脅威に具体的施策が全く伴わないというのでは、戦略としてはお粗末である。
・・・筆者は英国の核は米国核の分散配置に過ぎず、フランス・中国の核はいずれも「トリガー(引き金)核」だと理解している。「トリガー核」とは、「我が国も世界破滅の引き金を引ける」という自己主張であり、「滅多なことでは引き金を引かない」が故に「我が国も世界秩序(平和)を担う重要国家である」と宣伝しているの過ぎない。・・イスラエルの核は周りのアラブ諸国の攻撃を抑止することが目的であり、イランはこれに対抗して核開発を進めようとしている。
・・・米露の核が世界秩序(平和)の維持に役立っていることは確かだとしても、このようにイラン・北朝鮮のような国が核開発を進めると、世界の核使用のハードルが低くなり、全体の秩序が脆弱なものとなるので困る。それゆえ、これ以上の核拡散を止めようということになる。既核保有国の核を保全して、その他の国の新たな核保有を禁じることは確かに不平等な話である。しかし、世界の平和、即、各国の平和と考えるならば、これはやむを得ないことと考えなければならない。
・・・原子力工学に詳しい自衛隊OBにきくと、不可能ではないようである。ただ、すぐにできるというようなものではなく、何年というレベルの時間を要するらしい。2016年に331キロの研究用プルトニウムを米国に返納したが、ある程度時間をかければ核兵器用のプルトニウムを準備することも可能らしい。
・・・米国では騎兵の機能と部隊名を残し、その機能を継続できる新たな装備と訓練を探し続けたのだが、日本では騎馬という装備(ブツ)そのものに拘り、そのブツが陳腐化してなくなると同時にその機能そのものまでをも忘れ去ってしまった、ということである。
・・・「本腰を入れることはないのだから、前捌きに集中しよう」ということである。「海のISR(情報・監視・偵察)重視」もこれで理解できる。数年前に沖縄海兵隊外交政策部(G-5)次長であったエルドリッヂ博士から、「海兵隊とは騎兵隊のようなものです。陸上自衛隊も海兵隊のようにしてはどうですか」という提言を受けた。「海兵隊は騎兵」には全く同意である。しかし、海兵隊が騎兵の役割を務めることができるのは、米陸軍という主力(本腰)が後ろに控えているからである。自衛隊全てが騎兵になった時、主力(本腰)は米軍が務めるとでも思っているのだろうか。また、諸外国の状況をみるに、「国家間決戦なき時代」ではあっても、「外国力」の背景として「本腰」の力が大きく働いていることは明白である。
・・・統率力は一般に、指揮官の「人格」と「能力」によって構成される。「人格」と「能力」のどちらに比重をかけるかは人によって違うが、少なくとも片方がゼロという人に統率はできない。
・・・統帥は当初、部隊運用(軍令)に限られていたのだが、この軍令と軍政の混乱が、帝国陸海軍に大きな誤りをもたらした。・・ところが、軍政は軍令の要求に従うべきものであり、軍政が軍令の要求を入れないことは参謀総長(陸軍)や軍令部(総)長(海軍)の統帥権を干犯するものだ、という動きが起こる。・・これらは、実際は大勝利とは言えなかった日露戦争の反省が不十分なままに、大正デカダン(軍事不要)という風潮の中で、天皇という玉を掴み取ろうとした陸海軍の過ちであった、と筆者は考える。明らかな贔屓の引き倒しで、極めて不敬なことであった。
・・・スイスは1648年のウェストファリア条約で独立した小国(現人口842万人)であるが、独立以来永世中立国であり、その中立政策を守るため370年間、徴兵制を続けている。しかし、国防関係者が「冷戦の終結により外敵からの侵略の危険性が減少したことで、現役総定員17万人は過大になった。故に装備の近代化と職業軍人の増加で軍隊のプロ化を進め、兵指数も12万程度にする」との方針を発表し、これまでに3回の国民投票が行われたが、3回とも否決された。3回目(2013年)の結果は反対票73%で、その最大の理由は、「職業軍人だけの軍隊になるとNATOやEUとの関係が強いものとなり、中立が保てなくなる」であったと聞く。
・・・イタリア軍は1860年代から徴兵制度を続けてきたが、2000年に徴兵制廃止を決定、2005年から完全志願制の軍隊となった。徴兵制廃止の最大の理由は、「90年代のソマリア内戦に国連多国籍軍として参加したときに、余りに弱く役立たなかったので、訓練練度の高い精強部隊を作るため」と伝えられている。
・・・「もっとも効果的な情報入手手段は「人間交流による情報(ヒューマン・インテリジェンス=Humint)」であり、最高の情報とは「相手(敵)の意図を自分の意図に一致させること」である。それができたときには戦わずして勝てるのだ」という結論が出る。藤原は自らの魂(愛情と誠意)によってそれを実行した稀有の情報将校として歴史に残る。
・・・米軍の将校たちが「戦場で状況判断をするときに、最小限考えるべき要素」として教えられてきた「METTT(メッツ)」という略語を紹介する。それは次のような意味を表している。M(Mission):任務、E(Enemy):敵、T(Troops):我が部隊、T(Terrain):地形、T(Time):時間
・・・現在の日本には、この「3戦」に応じ当方からも「3戦」を仕掛ける所管官庁がない。それが最大の問題なのだが、筆者は国家安全保障局が遠からずその中核であろうことを期待している。
・・・(A)「演繹法的収集」と(B)「帰納法的収集」について考える。(A)は当方の任務・行動を原点とし、・・(B)は敵方だけでなく、互いの友軍の動きや広い世界の動きなどが定まらず、当方の行動方針の目安も経たない段階で長期戦略的な判断に資する情報を探るものである。・・当面の作戦に備える戦闘情報では(A)が多用されるが、その場合でも(B)で補完しより確実を期すことが大事である。最近はコンピューターの発達により大量のデータを短時間で解析できるようになったらしいので、(B)の方法が戦闘情報にも活用できるようになるかもしれない。』
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投稿: ルイヴィトンバッグ | 2020年3月10日 (火) 02時45分