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2017年11月 5日 (日)

忍者はすごかった 忍術書81の謎を解く (山田雄司著 幻冬舎新書)

忍者そのものというよりも、一流の忍者になるために必要なことが書かれており、当然それは他の世界でも一流になるために役立つものでした。

『・・・忍びは「乱波(らっぱ)」「透波(すっぱ)」「草」「奪口(だっこう)」「かまり」など、地方によりさまざまな名前で呼ばれていました。「忍者」という呼び名は、昭和30年代に小説などを通じて定着した新しいものです。
・・・忍びの本は「正心」である。忍びの末は陰謀やだますことである。それゆえに心が正しくコントロールできないときは、臨機応変の計略を遂行することができないのである。・・いわゆる正心とは仁義忠信を守ることにある。仁義忠信を守らなければ、強く勇猛なことをなすことができないばかりか、変に応じて謀略をめぐらすこともできないのである。
・・・武勇の心掛け方については、「血気の勇を捨て去り、『義理の勇』を心掛けよ」と述べています。同じ武勇といっても義理の勇がなければ君子の勇ではなく、血気の勇で、一時の怒りによって剛強を働かせることができても、次第に怒りが薄くなるにしたがって、ずっと剛強の働きを心底に保つことはできないとしています。さらに義理の勇とは、やむを得ず起こす勇であり、この勇はいつまでも冷めることなく、ことに私心がないためにまず己の欲心に克ち、前後を思案して、なおかつ必死ならば即ち生ずということを心の守りとして働く
・・・実際には、人と仲良くなって情報を聞き出す陽忍の方が多かったようです。
・・・まずそのことを言わず、それとなく他のことより語りてそびけば、向こうよりも思わずいうものなり。
・・・忍びは、人に追われて逃げることを恥と思ってはいけない、刀・脇差・諸道具を捨てて帰ることも多いので、名前や印が付いている道具を持ってはならない。ただ敵を知ることが肝要だと思い、自分の命を軽んじて忠義を果たすように
・・・利口(方便)というものは、聞いているときはおもしろいけれども変化するものである。道理は大きく広く、かつ慎ましやかで明白なものだ。利口はこれに劣るものであり、受けが良い内容のため、人はこれを喜び聞く。
・・・常にアンテナを高く張っておけば、周囲には多くのヒントが隠れています。自分と同じような人だけでなく、さまざまな人々と関係することにより世界が広がり、多種多様な知識が得られ、生きていく上での大きな糧となります。
・・・旅にて愛情を用いれば、相手は自分のことをよく思うものである。良く思えば取り入れいやすい。・・旅では日ごろ隠していた自分の本心が現れるものです。そうしたときに温かい対応をされると、心の中にスッと入ってきます。そうすれば、その相手とは固い信頼関係を結ぶことができるようになり、そこからさまざまな情報を得ることができます。
・・・会話する場合は、「聞き上手」であるべきで、自分の言いたいことは少し心の中にとどめておいて、相手が心中に思っていることを引き出す会話術が必要となります。
・・・「敵になる」という教えがあるが、これは敵の立場になって敵の心を察することである。・・あるいは「敵の心を取る」という教えは、こちらがこのようにしかけたときは敵はこのようにする、こちらがこのように語ったならば相手はこのように話すというように、敵の心になって考えるということである。・・「敵に離れる」という教えもある。これは「我は我、敵は敵」と考え、その利は異なっているとみて、敵の立場になることなくして、ついには必ず勝つということは上手のなせるわざである。通常と敵と離れては益がないとされている。
・・・必ず逃げ道を作っておいて、絶妙なバランスで厳しくすることと寛容にすることの両方を用い、良好な関係を築いていく必要があります。
・・・「追従軽薄」を取捨すること。人に対して自分の気に合わない場合でもへつらい、自分が好きでないことも好きなように振舞うことは、人に気に入られるためである。・・このようなことは士たるものは一切しないことであるけれども、用いることがある。これを用いなければ、気儘気随者ということで人との交わりは難しい。ただのちょっとだけでも用いないと心に決めていたのでは害がある。時により場により人により合わせる必要がある。
・・・自分から声をかけることによって先を制することができ、自分のペースで事を運ぶことができるようになります。
・・・人に理のあることを言わせて、なるほど道理ですねと感心して見せれば、相手は必ず先にいい気分になって、自慢をするようになるものである。そのときに相手が秘密にしていることの兆しが、注意していれば見つかるものである。それを取り出して、たたみかけて質問していくと、相手はそこから逃れることができずに必ず弱くなるのである。
・・・自ら慎んで抑えなければならないのは、「利口」「利発」である。内に蓄えておけば、自分が賢いということを外に示したいときにいつ何時でも自由に出すことができる。であるから、知識を蓄えておくことが肝要である。
・・・常に酒、色、欲の三つを堅く慎み、これにふけって楽しんではいけない。酒、色、欲の三つはもとより自分の本心を奪ってしまう敵である。・・忍びは禁欲的である必要がありますが、逆に相手を術中に陥れるためには、好きなものを渡したりして心を奪うという方法があります。
・・・何でも心に望み欲することは皆欲である。これを忍ぶことは難しい。ことに忍び・間者はこれをよく忍ばなければ大いに害がある。
・・・相手の懐の中に入るために、酒、淫乱、博打などを利用し、相手の油断を誘います。しかし忍びたる者、それによって自分自身を失ってはなりません。・・こうしたものに心を奪われていたのでは、冷静沈着な行動を必要とする忍者は命を落とすことにつながります。しかし、逆にこのような手段を利用することによって人を油断させて自分の思い通りに利用するようにするのです。
・・・総じて人の衰亡は、皆欲心によるものである。・・取り入ろうとおもうのなら、まずその人の大欲小欲無欲のものは何かを判断して取り入るのである。
・・・酒の席では、酔った勢いで普段は言えないことも言えるようになるし、聞く側も酒の席だからと容赦してくれます。ゆえに、それを利用して言いたいことを言うのもよいと書かれています。しかし、これは相手や内容次第のところもあるので、状況判断が必要です。
・・・人を知って自分を知られないようにするのが、忍びの者の中でも巧者である。
・・・何事も思いの外のことには心を取られ、落ち着かないものである。忍び、間者はこのようなことで人の心を縛ることがある。・・言葉によって相手を縛ることもできます。相手から想像だにしていないことを言われると、そのことが頭から離れず呪縛されることになります。
・・・修行というと、滝に打たれたり絶食したりということを思い浮かべますが、忍者にとっての修行は総合的能力を高めることにあります。・・どのようなことが起きてもすぐに対応できるように、日ごろからそれに備えておく必要があります。それが修行なのです。・・忍びにとっては、これから修行するぞ、と思って特別な修行をするのではなく、日々の生活すべてが修行であり、それがすべて自らの命運にかかわってくると心得て、毎日を過ごす必要があるのです。
・・・心は水や鏡のようである。水と鏡の本体は本来不動で清明なものであるけれども、外物の塵芥泥土のたぐいに汚される。あるいは風や人が外から動かすときは、本来の清明不動を失って、万物が対しても映ることはない。本心も同様に清明不動であり、向かう者の善悪邪正、是非の情、その他すべてが、水や鏡が物を映すように、明らかに現れないということはない。しかし、六塵を六根に引き入れたなら、必ず心が濁って清明でなくなり、さまざまな状況に応じてよく物が映るようなことはなくなってしまう。
・・・忍術の三病は、一に恐怖、二に敵を軽んず、三に思案過ごす。この三つを去りて、電光のごとく入る事速やかなり。
・・・武士はあやぶみなきぞよかるべし まへうたがひはおくびょうのわざ (武士たる者、危険だと思わない方が良い。事を起こす前から心配に思うのは臆病のなすわざである)
・・・剛勇か臆病かは話す内容にて知ることができる。「一日戦いについて話をすれば、三日間心が強くなる」といって、常に武勇を好む話をする者は心が強い者である。・・己の落ち度を指摘されても顔色を変えない者は、心が強い者である。怯える者はその逆である。
・・・何事も順調にいっているときは勇敢に見えても、順調な時期を過ぎたときにそのような態度を保っていることはできないため、本来の性格が表れてきます。
・・・人は平常時には自分の心を制御できますが、非常時には制御できずに本心が見えてくるので、そこから性格を読み取ることができると述べられています。他の個所では、一緒に旅をすればその人の性格がわかるとされていますが、これも、大変な局面の際に人の持っている本来の性格が表れるということです。
・・・「相見」とは、何事でも人の見たこと、人の言ったことを、自らもそれを見て、その人の言うところと自分が見たところを引き合わせて、虚実の分量を量ることである。
・・・人を外見やその人の職業などで判断してはいけないという教えです。さまざまな人の意見を聞くことが重要です。人の重要性はその外見ではなく、内面であるということを示しています。
・・・忍びは平常心を保っていなければならない。それは、いつ何時であっても忍ぶ心が大事だということである。
・・・水の中で足をバタバタさせていても水上では物静かな水鳥のように、心の内はどれほど忙しくても、表面上は心うららかにすべきである。世の人はさまざまに騒いでいても、忍びの道を守る人物が誠を大事にする様子は、あたかも聖人とも悟道者ともいうべきであろう。
・・・撰む事。忍びの者の性質に、大業をよくする者あり。小業を得し者あり。その生得を撰みわけて遣う事。總司の肝要なり。不得手なる事をなさしむべからず。
・・・要の大事。伊賀伝に曰く、十本の扇の骨も要一本にてしまりつかわれるなり。間人数千百人もこれをつかう総大将一人による事なり。
・・・江戸時代末期の風流を描いた牧墨僊「写真学筆」には、武士が手裏剣打ちをしている場面が描かれています。江戸時代には、武士の嗜みとして手裏剣術が行われており、手裏剣は忍者のものという認識が作られていくのは昭和になってからのことのようです。
・・・忍の一字。この一字至て大事也。字の心は刃の下に心を書。心は胸也。胸に白刃を当て物を問ひ、決断に逢ふ心也。
・・・味方の中に敵の忍びが交っていないかどうか見つけ出す「立ちすぐり・居すぐり」という方法があり、これは決めておいた合言葉を言って、人々が同時にさっと座り、さっと立って、紛れ込んだ敵を選び出すための方法でした。これによって見つけ出されて殺された例もあります。
・・・それ忍の本は正心なり。忍の末は陰謀・佯計(ようけい)なり。これゆえにその心正しく治まらざる時は、臨機応変の計を運らすことならざるものなり。
・・・この道を業とする者は、一戦の折から主君の為に大忠節を尽くし、大功を立てんとのみ欲して、主君の安否、国の存亡、我一人の重任と心得るべし。
・・・皆が考えつくような方法では、対策がとられていて忍び込むことはできません。そのため発想を転換させ、相手が考えないような方法を駆使することによって意表を突き、初めて忍び込むことができるのです。・・状況は常に異なっているので、その場に合った方法を即座に判断し、臨機応変に対応を変化させていく必要があります。
・・・忍びの術は奥深いもので、一朝一夕で身につけられるものではありません。心の修練を欠かさず、継続的な努力が必要です。また、事を行うに当たってはちょうどよい時期というものがあるので、それを逃してはいけません。
・・・聖ばかりで侫がなければ事は成り立たず、直であって曲がなければ、人の偽りを信じて害を被ってしまう。俗に言う「阿呆律儀」である。聖直侫曲の四つを合わせて、人により用いるのである。
・・・人の真偽を黙識して人に欺からるるべからざる事。
・・・此の道を業とせん者は最も顔色をやさしく和らかにして、心底尤も義と理を正しくすべき事。・・恐い顔をしていたのでは誰も寄り付きません。常に柔和な顔をして人に安心感を与えることによって打ち解けるようになり、さまざまな情報も得ることができるようになります。逆に、穏やかな顔をしている人を信用してだまされることもあるので、気を付けなければなりません。』

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