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2017年10月

2017年10月28日 (土)

頭が突然鋭くなる瞑想法 ブッダが悟りを開いた人類最高の英知 (アルボムッレ・スマナサーラ長老著 日本テーラワーダ仏教協会)

たびたび掲載している著者の本です。また新たに知ること、意を強くするところがたくさんありました。

『・・・ブッダは、「知識と知恵を集めれば幸福になりますよ」と言われました。「私たちからぜったいに離れない財産は知識と知恵である」という言葉もあります。私たちが死ぬとき、来世に持っていくことができるものが二つだけあります。一つは自分の行為、「人間としてどのように生きた来たか」という自分の生き方からもたらされるエネルギーです。自分の善行と悪行の結果によるエネルギーを、私たちは来世に持っていきます。もう一つは知恵と、そして知識の一部です。生きている間に、人生や生き方の心理を何か理解したならば、その理解は来世に持っていけるのです。・・私は、「知識とは、概念の積み重ねである」と定義をします。・・概念を覚えるだけの人は、ものはたくさん知っているのだけれども、せっかくのその知識が役に立ちません。知識がありすぎて整理ができないと、頭の中で混乱してしまいます。・・少ないことでもきちんと知って、それを自分のためや社会のために上手に使えることこそ、ほうとうに評価できるのです。・・そういう歩く図書館とか、歩く百科事典のような人がいます。とくに昔は多かったようです。そういう人々は知識を伝えるためには役に立ったかもしれませんが、本当の仏教の師ということはできません。ですから知識だけの先生はよくないと言って、仏教ではそういう人たちを厳しく批判しています。・・「たくさんの知識がなくてもいい。少しの知識でも、それを実行しなさい。知識を実行する人こそ真の知識人ですよ」とブッダは言われています。
・・・概念には、論理的概念と経験的概念の二種類があります。
・・・言葉とはなんでしょうか。考えてみると、言葉というものも経験からつくられたものなのです。何かを経験して、それを言い表す方法、手段として名前をつける、それを言葉と言っています。
・・・何かを言われた瞬間に「ほんとうにそうか、そうではないか」とサッと自分で経験してみる。その経験が大切なのです。
・・・本を読むときも、なるべく自分の経験になるように読むコツがあります。どうするかというと、自分で書いた本を読んでいるつもりで読むのです。
・・・できるだけのことを考えながら本を読む方法です。完全に本の内容に集中している状態で、同時にあれこれ、それについて考えるのです。・・常に動きたがる頭の働きを逆に利用するのです。読みながら、他のことではなく、本の内容について考え突くままに分析したり、理屈をつけたりしながら読むのです。・・考えるときは、肯定する立場と否定する立場の両方から考えてみます。・・そのように読むと、読むスピードは遅いかもしれませんが、内容についてはとてもよく理解できます。
・・・経験的知識は、後の詳しく述べる知恵につながる知識なのです。経験の伴わない論理だけの知識は、私たちが生きていく上であまり関係ない知識です。私たちは生きることで精一杯なのだから、経験的な知識を得るだけでいいと思うのです。
・・・仏教では「自分のためになる勉強、人のためになる勉強は、いくらでもしてください。そうでないものは、やめなさい」と言っています。私たち僧侶は、星占いや手相など、占いの勉強は禁じられています。なぜなら、人々の吉凶禍福を占ったところで、なんの役にも立たないからです。
・・・同じ教育を受けて同じ知識を詰め込んでも、ある人は役に立つし、ある人はまったく役に立たない。その違いは、知恵の働きがあるかないかによって決まるのです。
・・・世の中が思う通りにいかないことは当たり前のことなのです。
・・・知識の世界では、自分の分野をどう成立させるかということしか考えません。そういう世界で私たちは生きています。ですから、仏教の立場からみれば真の法に則って生活している人は誰もいません。真の法というのは、普遍的な法則のことです。人は皆そういう法を侵して生きてるのです。・・ブッダは、人々の幸福、生命の幸福のためにならない知識や論理は捨てなさいと言われています。・・仏教では論理と倫理は表裏の関係にあります。倫理のない論理は捨てなさいという立場なのです。また、論理のない倫理も認めません。
・・・仏教では、「知識は生き方によって完成されるのだ」と言います。知識の完成は道徳にあって、道徳の完成は知識にあるのだというのです。人間の生き方として、その二つをきり話して考えることはできません。
・・・人々の幸福のために生きることを人生の目的にしてほしいのです。どんな人間でも、たとえ子供でも、「自分はみんなのために生きているんだ、みんなに何かいいことをしなくてはいけないのだ。それが自分の仕事だ」と考えるべきなのです。
・・・知識は使えなければ何の意味もありません。何かのために生かされてこそ、知識の意味があるのです。
・・・知恵と道徳はどういう関係かと言いますと、道徳を守らずいい加減な生活をしていると、精神的に乱れます。そうすると、確実に知恵が働かなくなるのです。ですから、知恵のためにも道徳は必要です。
・・・付き合いで、さすがゴッホですねぇとかなんとか適当に言っていればいいのです。でも、心の中ではしっかりと自分自身の判断で評価をする。そういうことをしていると、抜群な知識人、知恵の人になれます。そしてストレスもありません。自分で判断することはとても気持ちがいいのです。知恵が生まれるとストレスなどぜんぶ消えてしまいます。
・・・知恵のためには次の三つが必要です。まず自分に元々ある知識。次に社会から入る情報。それに自分でああだこうだと考えた自分だけの考え。その三つを自分の中に並べておくと、パッと何かが浮かぶのです。それが知恵なのです。
・・・私たちは自分のできる範囲でパターンにはめられないように生きなければなりません。
・・・精神的な問題の場合は、原因を探っていったらきりがないのです。・・会社でヒステリーを起こしてキィキィと言っている人がいれば、何かちょっと他のことを頼めばいいのです。・・ものごとの配列というか、なぜこういう状態になったのかということを見て、それに答えを出してその状態を抑えるというのは、知恵による問題の解決です。
・・・人は皆余計なことを考えすぎます。社会というのは理屈で割り切れる世界ではないのです。そこに理屈でいろいろと考えてしまう。ですから、何か問題が起こったときに知恵が現れるためには、なぜこういうことが起きたか、どうすればこういう現象が消えるかと冷静に見て、すぐにその場を収める知恵を働かせるのです。
・・・子供は自分のことをほんとうに心配してくれる人に対しては、きちんと反応するのだということです。自分のことを本当に考えてくれる人のことは裏切ってはいけないということを、本能で知っているのです。
・・・問題の解決法は、その場の状況を理解して判断することから生まれてくる。そして言うべき時にすばやく必要なことを言わなければならないのです。
・・・知恵を働かせるための考え方として、物事には両面があるということを知らなければなりません。どういう論理やどういう考え方にも、その逆の面、逆の立場があるのです。姓があれば、そこには必ず負の面があります。
・・・たいがいの宗教では、永遠の命を約束しています。それが人間の希望なのです。人は死にたくないのです。でも、確実に人は死にます。
・・・なんでもやることが遅いというのは、無駄が多いということと同意語だということを理解してください。・・無駄のない行動をするというのは、どういうことでしょう。一つには、待つべきところではしっかりと落ち着いて待つ。待ってはいけないところでは、瞬時にしてやる、ということでしょう。
・・・この世の中には早いも遅いもないのだ、ということです。あるのは、一つ一つのものにはそれなりに時間の特性があるのだというだけのことです。その品もの、その現象、その仕事なりに時間の特性があって、我々はその時間に我々の方から合わせていかなければならない、ということなのです。
・・・子どもには子どものスピードに合った勉強の方法があるし、大人には大人のやり方がある。・・私が皆さんにスローモーションということを勧めるのは、そのなかにものごとにはすべからく時間の特性があり、その法則を理解しなければ、頭も回転し始めないし、活性化もできない、ということなのです。・・スローでやるためには、そこに途轍もない知恵が必要になるのです。知恵を使わないことには、ものごとはスローにはできません。それと、余計なことを考えてもできません。余計なことを考えると、すぐ早くなってしまいます。余計なことは何も考えずに、集中してやらないとスローにはならないのです。
・・・知恵の世界というのは、何が起きても焦らない世界なのです。焦るということ自体、無知である証明なのです。
・・・私に言わせれば、、プロという人は物事の順番を知っている人のことなのです。その道のプロという人は、その道の順番を知っている人。・・順番を知る人に焦りはありません。無駄もしないし、失敗もしません。ところが、順番を理解していない人は、とにかく失敗ばかりするし、やることなすことに無駄が出る。
・・・人間というものは、小さいときほどこの観察力が旺盛で、貪欲です。それだけ、なんでも見る見るうちに知識となり、知恵がついていきます。ところが大人になると、その観察力が衰えてきて、ボケてしまうのです。・・ブッダは、「一生、観察する仕事だけは忘れてはならない」と諭します。見る、聞く、この観察だけは、決して忘れるな、と言うのです。・・人間は、この観察能力がないと死ぬまで不幸で苦しいのです。・・観察することによって、ものの時間と順番というものが分かってくる。ですから、ものの時間と順番を理解した人、つまり観察能力の秀れている人というのは、仕事をしてもそれこそだれよりも早いのです。ただ焦っても仕事は早くはできません。・・スローモーションにやるというのは、決してのんびりやれということではありません。それは理屈の世界ではなく、知恵の世界なのです。スローモーションというのは、訓練なのです。
・・・電車やクルマのベテランの運転手は、なぜ失敗するのでしょうか。それは、傲慢さが出るからです。つまり観察することを忘れてしまうのです。プロと言われる人が、もっとも重要に考えてやってきた”観察”を忘れてしまう。慣れたもんだよ、こんなこと見なくてもできますよ、と傲慢な気持ちが出てそこで失敗してしまう。
・・・集中力というのは、興味なのです。
・・・仏教の専門用語に一境性(いっきょうせい)という言葉がありますが、これは集中していく度合いのいちばん深い状態を言います。こういう状態まで集中していくと、これまで見えなかったものの本質が見えてくる。
・・・病気をしても結構おもしろく過ごせるのです。何せはじめての体験ですから、いろいろ刺激があって観察できるでしょう。
・・・焦ってものごとを早くやろうとすることは、理性ある鋭い頭を持った人々には絶対の禁止事項です。これらはすべて無知につながってしまうことです。
・・・計画というものは、まずだいたいにおいてそのとおりに運ばないものです。ほんとうに計画どおりに行くというのは、ものの順番と時間の特性がわかったときだけです。・・観察能力が身についてくると先読みの能力なども自然についてきます。先見性がある人というのは、観察力の旺盛な人、確かな人であることはよくおわかりでしょう。
・・・ライバル意識をエネルギーにして仕事をしています。あれはよくありません。よくないし危険です。ライバル意識を燃やすというのは、怒りで自分を燃やしていることなのです。この燃やしているエネルギーはたいへんな消費量で、まさに浪費といっていいのです。・・ライバルのことなどきれいさっぱり忘れてしまうことです。相手がどんなにスピードを早くして仕事をこなそうと、どんなにヒット商品を生み出そうと、自分には関係ない。・・自分の仕事を淡々とやればいいのです。・・ブッダの教えはこうです。いい仕事というのは、そのライバルにさえも手を貸してあげて、助けてあげる。ライバルが自分よりいい仕事をやったのなら、自分のことのように喜んであげる。ライバルが苦しんでいるのを見たら、「何か手伝うことはありませんか」などと言って、慰めてあげる。前の章でも述べましたが、こういう態度でいると、自分ももちろん、ライバルだった相手のほうも心のなかにやさしい感情が芽生えて、二人のあいだには慈しみという最高の波動が生まれるのです。
ヴィバッサナー瞑想法は、ほんとうに大切なものは何垢ということを考え直す方法、ものごとを新しい角度で観る方法です。・・世界をありのままに観る必要があります。それをどうやって身につけるかという実践法が、ヴィバッサナー瞑想法です。・・サマタとは落ち着くということで、サマタ瞑想法とは精神的に落ち着くための瞑想法、落ち着いた静かな心をつくる瞑想法です。日本の禅やインドのヨガなどがとくに有名なサマタの瞑想法ということになります。仏教にもいろいろなサマタ瞑想法があります。一つ有名なのは、念仏です。きれいな声できちんと決まったやり方で念仏を唱えると、心が落ち着いてとても気持ちがよくなります。・・心が落ち着くと脳にα(アルファ)波という脳波が出るのです。β(ベータ)波が出ているときはいろいろ余計なことを考えているのです。α波が出ているときは心がリラックスして落ちついていますが、このα波を出すためには集中力が必要です。・・でも落ち着くということは、我々の最終的な目的ではありません。落ち着いた心で何をするかということが最も重要なテーマです。
・・・気づくというのは、具体的にはただ単に自分のすべての動作や感覚や心の動きを確認していくことです。
・・・歩きながら何かを考えている、それは今あなたが妄想の世界にいるということなのです。この、妄想の世界をさまようことこそ人間のもっとも困った現象で、脳細胞の弛緩した状態を作り出し、不安や心配、苦しみや悩みを生み出す元を作っているのです。この妄想世界から脱出して、今この瞬間に生きている自分に気づく、ということがほんとうの幸福になるためのもっとも確実な近道である、というブッダの教え
・・・私たちは、その時その時の状態や諸条件によって、好き勝手に客体を認識して判断して理解しているのです。ということは、私たちは自分勝手な認識に基づく誤った判断によって、自分の人格を変化させたり、生き方を決めたりしているのではないでしょうか。自分に気づいてラベリングをすること(サティの実践)は、いきなりというか、突然その人間の生き方のプロセスをカットするのです。つまり判断しないでありのままを観るということをさせるのです。
・・・私たちはさまざまなことで、悩んだり苦しんだりしています。・・それらすべての思いや考えは私たちの判断に基づいています。・・問題や悩みを解決するために、私たちはまず認識とはどういうものなのかをはっきりと知らなければならないのです。知るためには、観察することが必要です。・・音だ、見える、聞こえる、歩いている、感じる、触っている、考えている、などと気づきながら生活していると、心の中にさまざまな感情の波が生まれなくなってしまいます。そうすると、心の中に刺激はなくなってしまいますが、その代わりに生きる苦しみも消えてしまいます。その苦しみがないという状態が悦びなのです。悦びというのは特別なことではなくて、ただ苦しみがないということなのです。その静かな落ち着いた状態に悦びを感じ始めると、心のなかに感情の波が生まれてこなくなって、意識のレベルがかなり落ち着いてきます。・・心を落ち着けていると、存在願望のエネルギーはどんどん薄れていき、最後には完全に消えてしまいます。それが、実は解脱なのです。永遠に生きたい、死んでも死にたくない、という存在願望のエネルギーが消えること、それが悟りをひらくということなのです。それによって人間は、初めて輪廻転生を乗り越えることができるのです。輪廻からの脱出、つまり悟りの境地というものは、私たち俗人の認識レベルとはまったく違う出世間の認識レベルです。ですから、それを理解しりと言われても、私たちには無理な話なのです。・・しかし、存在欲のエネルギーが消えていくと、その代わりに知恵が現れてきます。その知恵によって私たちは、すべての存在は苦であること、無常であること、むなしいこと、実体がないこと、私たちはただ幻覚の中で苦しんでいることを、はっきりと理解します。それはすべて、この気づきの瞑想(サティの実践)によってのみ得られるのです。
・・・頭に判断させることを止めさせて頭を忙しくするために、自分がその時にしている動作を頭の中できちんと言葉にするのです。・・世間話や余計なことを考えるのではなく、頭をリラックスさせてください。頭を休ませてあげてください。我々の頭は一分も休んではいません。いつでも、欲で、苦しみで、燃えているのです。・・心が治るとすごく活発になって、どんどん知恵の方に心が行くのです。
・・・掃除や洗濯のときに、つまらないことをかんがえたりせずに、ただやるべきことに集中できる方法です。それはどうするかと言いますと、たとえば、拭き掃除をするときには「吹きます、拭きます、拭きます」と拭いている自分に気づく。拭いている行為の一挙手一投足の動きだけを認識していく。
・・・スランプというものは時間を掛ければいつかは直りますけれども、実はすぐに直す方法があるのです。それはどうするかというと、先ほどお話しした瞑想法を使うのです。つまり、自分の状態にいち早く気づいてしまえばいいのです。
・・・今この瞬間、自分に起こっているできこと現象を客観的に観察するという癖をつけるといいかもしれません。
・・・考えの中に入らずに、考えていること自体を客観的に見て、「考えている、考えている、考えている」と三回確認してから、「戻りまーす、膨らみ、膨らみ、縮み、縮み、・・」と戻ります。・・この瞑想はほんとうに自己が観察できる瞑想です。自分の今までわからなかった自分自身の性格や自分の心の中身がもう片っ端からでてきます。自分が見えてくるのです。
・・・瞑想をして、し終わったら、いきなりすぐに立ったりしてはいけません。この瞑想をしていると、自分では気が付かないのですが、心がすごく深いところに行っています。ですから、いきなり立ったりしてはいけない。瞑想を終えるときには、「瞑想を終わります」ときちんと頭の中で言います。・・瞑想を終えるときには、きちんと正しく落ち着いて終了してください。・・もし落ち着いて終わることをしないと、瞑想で得た段階は続かなくなってしまうことになるからです。さらにその後の瞑想がとてもやりにくくなってしまうので、気を付けてください。
・・・瞑想をすると、人は必ず妄想に悩まされます。・・私たちは妄想の中に生きている・・今の瞬間はぜったいにもう二度と戻ってこないのです。それなのに、今ここに座っていても心はもうこの場所にいないでのです。・・私たちの幸福を壊す私たちの最大の敵、私たちを悩み苦しませて不幸にする張本人は、だれでもない自分自身の妄想なのです。自分の妄想こそ、私たちが闘って、打ち勝つべき最大で最強の敵なのです。「今の自分に気づく」というヴィバッサナー瞑想法は、私たちの最大の敵である妄想と闘うための、もっとも効果的で優れた方法なのです。
・・・妄想をなくすというのは本当はかなりたいへんなことなのです。・・問題は、妄想が出たときにどうするかということなのです。それこそが大切なポイントなのです。妄想が出るたびに、「妄想、妄想、妄想」と確認して呼吸の観察にもどればいいのです。そこがいちばん大事なポイントです。
・・・妄想は、意識からも出ますけど、ほとんどは無意識のところから出てくるのです。深いところからいきなり出てきて、それについてフッと考えさせてしまう。ですから、私たちは自分の妄想を確認していくことによって、自分自身の無意識を観察しているのです。自分の無意識の観察をするということは、ほんとうの自分を知るということです。
・・・瞑想をずっとづつけると妄想をしない自分の心が現れます。無意識が落ち着いたら妄想は出なくなります。その心はとても静かで、平和で、荒波も渦巻きもない海の底のような平安な心です。
・・・結論を言いますと、妄想は抑えられません。私たちにできるのは妄想に気づくことだけです。そして妄想に気づけば気づくほど、ほんとうの自分が見えてきます。そして自分の性格の悪い部分が直されて立派な人格が形成されていきます。ですから妄想を怖がらないことです。』

2017年10月10日 (火)

稼ぐまちが地方を変える 誰も言わなかった10の鉄則 (木下斉著 NHK出版新書)

町おこしについて、目からうろこが落ちるような内容でした。

『・・・従来にはなかった「予算をもとに何ができるか」という議論がなされるようになり、それを執行するための業務を誰が担うのかという話になっていきました。・・こういう動きが出てきたことで、それまで善意で手伝ってくれていた人々の士気が一気に下がりました。・・言い方は悪いですが、補助金とは麻薬のようなもの。それまで真面目に生きてきても、一発チュッと打たれただけで一斉におかしくなってしまうものなのです。
・・・一つは、全員の意見を聞くのではなく、自分で考えろ、ということです。・・みんなの意見を聞く前に自分の頭で考え、行動することが決定的に足りていなかった・・反対に全員の意見を聞き、全員が納得することを優先していると、自分で決断することが難しくなる。悪い方向に向かっていることに薄々気づきつつも、「誰かがなんとかするだろう」と全員が無責任になります。・・甘い夢を掲げて仲間集めをしてはいけないということです。
・・・甘い見通し、無責任体質、他力本願、独善的な発想などはまちづくりだけでなく、日本の多くの組織で見られる現象であるとも思います。
・・・手元資金の多い少ないに関係なく、やろうと思えば絶対にできます。できないと思うのは、最初からそう決めつけているからです。
・・・アメリカの地域再生に取り組む人たちから学んだ最大のことは、まちづくりは官主導ではなく民間主導、特に不動産オーナーを基本に据えて考えるということです。現地で不動産オーナーと話をすると、誰もが積極的に地域に投資をしている。それはなぜかと言えば、「自分の資産価値を高めるため」だと即答。・・アメリカで驚いたのは、地域の公園や学校の校庭さえ、住民たちがつくっていたことです。
・・・環境整備の作業全てを業者に委託することもできますが、莫大なコストがかかります。しかし大人数の市民が参加すれば、あっという間に天然芝のスペースが誕生するのです。コストも浮いて、市民にとっては自分たちがつくった広場という意識も生まれる。
・・・よく「あたたかいまち」「心が通い合うまち」といったフレーズをきくことがありますが、これらは全て無責任な”きれいごと”です。稼がなければ、衰退するしかない。これは歴史が証明しています。
・・・どんな問題も、切り分けていくと解決策が見えてきます。
・・・とかく不動産持ちは不労所得で楽だと思われがちです。しかし、実際はそう楽ではありません。清掃もしなければならない。エレベーターがあればそのメンテナンスも欠かせません。大抵のオーナーは、ビルと建てるときに借金をしているため、その返済もしなくてはなりません。守るものが多く、投資回収機関も長い事業をしているため、不動産オーナーは保守的になりがちです。
・・・仕事のうえで相手に信用されたいなら、「最終的には儲かりますよ」と口説いてもダメ。「自分の利益を確保したうえであなたにお金を払いますよ」といってもダメ。まずは、事業をつくり、相手に三回得をさせれば、信用してくれる。自分より先に、相手に恩恵を受けてもらう。
・・・コスト削減したものを単に不動産オーナーと会社で折半しただけでは、その場の利益で終わってしまいます。必ず三分の一は未来に向けた投資基金として積み立て、地域に再投資するというルールにしているのです。
・・・地域で目立つ事業をやればやるほど、地元から反発を食らう可能性は高まります。まちづくり業界においては、新しいことは常に非難されるのです。どれほど優れた事業で、地域にメリットをもたらしても関係ありません。悲しい話ですが、これが現実です。だから先手を取って、きっちり筋を通しておく必要があるわけです。こちらが筋を通しておけば、何を言われてもどーんと構えていればよいのです。
・・・重要なのは、こういうシステムを作りあげたり、必要に応じて臨機応変に組み替えたりすることです。最初はエネルギーが必要ですが、その仕組みがしっかりしていれば、実践するメンバーが入れ替わったり増えたりしもうまく回ります。・・日本の組織によくあるパターンですが、リーダーがいなくなった途端、ガラガラと崩壊するのではないでしょうか。
・・・まちを本気で活性化させたいなら、まち会社はまず第一次顧客である不動産オーナーに向けてサービスを提供し、その事業が黒字になることが大前提です。その効果が、第二次顧客、第三次顧客へと波及していくのですから。
・・・BIO(Business Improvement Distinct)のポイントは、・・不動産オーナーが単独ではなく連携している点です。
・・・私たちが旨としているのは「自前主義」。何でも人任せにせず、自らの現場を持つメンバーがやれる範囲で結果を出しながら、その分野全体の発展を目指します。これこそが、他力本願が続いてきた地方活性化において大切なことだと思っています。
・・・重要なのはお金ではなく、覚悟です。お金は一緒に稼げばよいですが、覚悟はそれぞれの方が自分で決めるしかありません。・・まちを変えるのに必要なのは、100人の合意よりも、一人の覚悟です。99人が諦めていても、一人が覚悟を決めて立ち上がってくれれば、私たちも覚悟を決めて歩みだすことができます。・・動き出さないまちの人たちに共通しているのは、「自分たちのまちは他とは違う」という、特別な意識をもっていることです。
・・・まちづくりにおいては、往々にしてコンセプトの中途半端な店や施設が生まれることがあります。・・これは、何も言っていないに等しい。起案者に利用者の明確なイメージがない施設は、誰も寄り付かない。結局、オープン当初から閑古鳥が鳴き、やがてひっそりと閉鎖されてしまいます。重要なのは、強烈な個性。ユーザーにとって、「これは自分の生活に足らなかったもの」と思わせる何かです。
・・・民間ベースでやるからこそ、誰にも気兼ねすることなく、方向性もターゲットも絞ることができる。小さく始めれば、資金規模も身の丈に合った適正なものになり、ムダに大きなものは必要なくなります。
・・・重要なのは、まち全体で多様性をいかに創出していくかということです。
・・・まちにとってプラスかマイナスかの判断は、人がどれくらい集まったかではなく、その取り組みに参加した事業者や、場所を提供した不動産オーナーや公共セクターがどれくらい利益を出せたかにかかっています。そこをしっかりと検証する必要があります。・・活性化とは、「事業を通じて経済を動かし、まちに新たな利益を生み出すこと」に尽きるのです。それには、従来とは違う構造を生み出すことが欠かせません。
・・・本当に必要なのは、成功以前の、試行錯誤の段階を共に乗り越えられる仲間です。精神的に追い込まれたときに、一緒に笑える人です。つらい時期に逃げ腰になったり、チームから距離を置こうとする人とは、とても信頼関係は築けません。そして、それでは成果を生み出せないのです。
・・・私は、地域活性化事業に「全員の合意」は必要ないと思っています。そもそも市民参加型まちづくりでも、そこに参加した一部の住民が同意しているだけで、すべての住民が同意しているわけではありません。それは「見せかけの同意」にすぎず、合意した意見からして、誰も自分でやる気はない中で出た、無責任なものとも言えます。
・・・賛同者として必要なのは、自分で考えて自分で責任をとれる人。賛同者は「馬車」に乗る客ではなく、一緒に「リヤカー」を引く同士なのです。
・・・事業の立ち上げで失敗しないコツの一つは、すべてにおいて「営業」を優先することです。
・・・補助金を使った中心市街地活性化事業の大いなる誤りの一つに、ムダに大規模に設備投資をするパターンがあります。・・重要なのは売り上げではなく、利益です。そして、売り上げ規模ではなく、利益率です。
・・・共通しているのは、モノやコンテンツを自ら作って売っていること、つまり「製造小売型」であるということです。それぞれの売り上げは小さくても、粗利は50%以上になるものです。低売り上げでも、付加価値をつけることで高粗利になることが大切なのです。
・・・原資が地元の資本なら、誰かの消費が同じ地域の誰かの利益になります。それが地域での新たな事業への再投資に向かえば、利益は地域内で循環しながら複利で膨らむわけです。これは地域経済を豊かにするうえで大変重要なポイントです。
・・・私は、だいたい三か月を一区切りと考えて、何らかの結論を出すべきだと思っています。小さな投資案件でも、長くても二~三年で全額回収できなければダメ、基本的には、初年度から黒字にならなければダメです。
・・・まち会社の場合、特定の誰かが、年間を通じてフルタイムで行うべき業務はありません。一方、参加者が共同で副業的にできる事業は山ほどあります。・・まち会社の非効率的な雇用をつくって人を雇ったところで、それは望ましい雇用創出ではありません。まち会社が仕掛けた事業の先に雇用が生まれることが重要です。
・・・基本的に最初に、利益分配のルールを決めておきます。「儲かってから決めればいい」と先送りしてしまうのが最悪です。事業を始める前にさくっと決めてしまえばいいのです。
・・・これまでのまちづくりがうまくいっていなかったのは、「官」が今の時代では経済的に回らない仕組みに投資していたからです。・・民間がいつまでも国や自治体の投資で、何のリターンもない取り組みを「まちづくり」などと称してやり続ける限り、その地域は活性化しません。財政赤字は拡大し、域内収支は悪化する。・・小さな取り組みであっても、市場とまっすぐ向き合って稼ぎ、次なる事情に再投資して、利益を地域に還元していくことが大切なのです。
・・・鍵となっているのは、「消費」を目的としない集客を先に固めたこと。まちの人たちは、各種手続きや調べものなど、公共サービスを利用するために公共施設を訪れます。
・・・これこそが、民間の力です。つまり成立しない事業は実行できないから強いのです。
・・・競争過多の市場で消耗戦に挑むのではなく、希少性のある施設にすることで逆に全国から人を集めることができます。
・・・中途半端な多目的施設をつくるよりは、事業を仕掛けるチームが営業可能な分野に徹底的に絞り込んだものにする。私たちはこのような手法を「ピンホール・マーケティング」と呼んでいます。
・・・お金については民間が自立して取り組みながら、規制緩和や制度変更、民主的な進め方については、政治・行政が担っていくという、公民連携における理想的な役割分担がなされたからこそ、オガールプロジェクトが実現したといえます。
・・・規制緩和のルールをしっかりと守り、そのうえで実績をあげる民間の姿勢。それをサポートすべく規制緩和を進めていく行政の姿勢。この二つが組み合わさって、10年前にはできなかったことがどんどん可能になっているのです。・・すべては民間がやりたいと考え、実行したことを行政のお金に頼らず実現しています。行政が予算で支援するのではなく、可能な限り規制を取り払い、民間が動きやすくすることで、これらの事業はもっと活発になるでしょう。
・・・なぜならば、民間が稼ぎ、行政をも潤す関係ではなく、行政から民間にお金が流れる仕組みになっているからです。資金の流れが逆なのです。「第三セクター」は全国に多数ありますが、そのほとんどは赤字です。・・行政も民間も、誰も責任を取りたくないからです。
・・・一歩間違えば、民間と行政は、すでにユルい依存関係に陥ってしまいがちです。そういう意味では、公民連携というものは、極めて危うい関係でもあり、緊張感をもって臨まなければならないのです。
・・・なぜ民間がやるほうが安くなるのか。効率的に業務を行うようになるから、というのもありますが、一番の理由は「人件費が抑えられるから」です。
・・・外貨獲得で重要なのは、「営業」です。そこだけでしか手に入らない特産品を地域外に出していくにしても、画期的な技術やアイディアを地方にもってきたとしても、営業ができなければ、宝の持ち腐れです。「売れている地域」は、消費地に先回り営業を行い、販売ルートを開拓してから、生産に着手しています。
・・・民間は、事業に取り組んでいるだけでは不十分だということです。・・現場で取り組んでいる実践者が自ら、政府や学術機関に様々な政策提言をしていくことが重要です。さらにいえば、提言だけではなく、現場で実証を示すところまでやる必要があります。
・・・これからの時代には、「民間には高い公共意識」、「行政には高い経営意識」が求められているのです。この意識が一人一人に備わったとき、いかなる課題も解決できる、須原いいチームが地域に生まれることでしょう。』

2017年10月 1日 (日)

新聞記事から (【緯度経度】「朝鮮半島有事」への教訓 黒田勝弘、【日曜経済講座】衆院選・北朝鮮問題を考える 真の脅威は中国の膨張主義) 産経新聞朝刊 29.9.30、29.10.1)

2件とも、傾聴すべきものだと思います。

先ごろ日本で天皇、皇后両陛下が埼玉県日高市にある高麗神社を訪問されたというニュースを、韓国のマスコミは写真付きで大々的に伝えていた。この神社が古代・朝鮮半島の高句麗から渡ってきた渡来人を祭っているということで、両陛下が古代史における朝鮮半島の日本への影響に強い関心を持たれていることを歓迎し、大喜びしているのだ。

 このところ韓国人との会食でよくこの話が出る。陛下は日韓共催のワールドカップ・サッカーを前にした2001年の誕生日会見でも「(奈良時代の)桓武天皇の生母は百済王の子孫」という「続日本紀」の記述を紹介され「韓国とのゆかり」を語られている。したがって天皇陛下は韓国では“親韓派”と思われているのだ。

 韓国人は古代史というと朝鮮半島が一方的に日本に恩恵を与えたように思っていて、いわば“先輩気分”で意気揚々となる。今回もそうだ。そこで韓国人にいうのが7世紀、日本が百済復興の支援軍を派遣した「白村江の戦い」だ。

 百済・日本連合軍と唐(中国)の支援を受けた新羅・唐連合軍の戦いだったが、日本軍は大敗し水上で壊滅する。そのときの派遣兵力は「最低でも3万7千余」(中村修也著「天智朝と東アジア」NHKブックス刊)にもなる。あの時代にこの数はすごい。

 日本にはそれほど百済への“義理”があったということだが、この故事は韓国ではまったくといっていいほど教えられていない。最近、旧百済の遺跡を観光旅行してきた日本の友人は「どこにも何の記念物もなかった!」と怒っていた。

 日本には高麗神社のほか百済神社や新羅神社などが大昔からある。佐賀県の有田焼の里には「陶祖」として朝鮮陶工を祭った100年前に建てられた記念碑もある。韓国人は与えた恩恵や自らの被害はいいつのるが、支援されたことには全く知らん顔で伝えないというのは、古代史ばかりではないようだが…。

 朝鮮半島をめぐる戦争の歴史としては、「白村江の戦い」の後、13世紀の「元寇」はモンゴル族の元(中国)が高麗を手先に日本に侵攻してきた。16世紀の文禄・慶長の役(韓国でいう壬辰倭乱)は、最後は朝鮮半島侵攻の豊臣秀吉の日本軍と朝鮮支援の明(中国)との戦いになった。

 下って19~20世紀には日清、日露戦争など朝鮮半島を舞台に日本は清(中国)やロシアと戦っている。1950年代の朝鮮戦争では、北朝鮮・中国連合軍の侵略と戦う米(国連軍)韓連合軍を支援する後方基地となった。

 この後方支援があったから米韓軍は何とか北からの共産主義侵略軍を撃退し韓国は国を守れたのだが、韓国では「日本は戦争特需でもうけて経済復興した」という話ばかりで「日本の支援」の効果など全く無視されてきた。

 最近の北朝鮮の弾道ミサイルや核開発は日本への軍事的脅威でもありその備えは当然、必要だが、コトの本質は朝鮮半島の南北の内部対立であり「朝鮮半島有事」の問題である。その際、来るべき日本の関わり方は歴史的に見て、どのパターンになるのだろう。

 歴史的経験として「白村江の戦い」の直接派兵はもちろん、直近の後方支援でさえ感謝されていないのだから「朝鮮半島有事」の際の支援の在り方には慎重を要する。過去のように“深入り”して逆に後世に禍根を残してはまずい。(ソウル駐在客員論説委員)』

『朝鮮半島危機の中で衆院選を迎えるというのに、争点がぼやけている。北朝鮮問題とは何か、国連による対北制裁の効力はなぜ乏しいのか、そもそも何が日本の脅威なのか、を再確認しよう。

 1950年1月30日「われわれには鉛が大幅に不足している。もし指示した量の鉛を送ってくれるなら、多大な支援を行う用意がある」

 同3月9日「われわれが示した通りの量の鉛を送るとの連絡を受け取った。支援に感謝する。あなたの要請通り、武器、弾薬および技術設備を提供する」

 以上は、ソ連のスターリン共産党書記長から北朝鮮の金日成(キムイルソン)首相への極秘電報で、ワシントンのシンクタンク、W・ウィルソン・センター収蔵の「スターリン文書」から拾い出した。

 この年の6月25日、ソ連の軍事支援の確約を取り付けた北朝鮮軍は暗号命令「暴風」を受けて北緯38度線を越えて侵攻を開始した。悲惨を極めた朝鮮戦争(53年7月休戦)の始まりである。

 上記電文のキーワード「鉛」は核兵器の原料、ウランの隠語である。ソ連は49年8月に初の核実験に成功したが、当時ウラン資源は国内で見つかっていなかった。スターリンは東欧産に加えて北朝鮮からも確保し、核で米国に対抗できるようになった。

 金日成はウラン提供の見返りに、スターリンから核技術協力を得た。子の金正日(キムジョンイル)、孫の金正恩(キムジョンウン)が執念を燃やす核兵器開発は、金日成後継の正統性の誇示でもある。いくら国際社会から非難されようとも、後ろには引かない。

 今年9月3日、北は6回目の核実験を強行した。大陸間弾道ミサイル(ICBM)などミサイル開発の進化に合わせている。

 国連安全保障理事会は11日、対北制裁強化を決議した。目玉は対北石油輸出の制限だが、輸出のほぼ全量は中国からである。米国は全面禁輸を提案したが中国とロシアの反対で譲歩し、原油は現状維持、ガソリン、重油など石油製品は年間200万バレル(1バレルは約0・135トン)という上限を設けた。メディアの多くはその「厳しさ」を伝えたが、とんでもない解釈だ。

 グラフは中国当局公表の北向け石油製品輸出実績である。昨年末までの年間の総量はこれまでの最高水準で、200万バレルどんぴしゃり。今年8月までの年間では147万バレルまで落ち込んだが、これからは国連の容認のもとに白昼堂々、輸出を増やせるではないか。

 もう一つ、目を引くのは中国からの対北輸出の急増だ。石炭など北からの輸入は減っているので、中国の輸出超過額がうなぎ上りだ。国内総生産(GDP)が日本の最貧県程度でしかない北朝鮮は外貨不足で、貿易赤字分を払えないはずだが、中国の銀行が信用供与すれば可能だ。

 トランプ政権はそのからくりを見破り、北と取引する企業・銀行を制裁すると言い出した。そのターゲットはもちろん中国だ。米国から名指しされた銀行は米銀からドル資金を調達できない。つまり、国際金融市場から締め出されることになり、信用パニックに見舞われかねない。

 今月18日からの共産党大会を控えた習近平政権はあわてて、中国人民銀行を通じて大手の国有商業銀行に対し、北朝鮮関係の口座封鎖を命じた。これなら北を経済的に封じ込められそうだが、実際はどうか。

 まず、石油。平壌ではガソリン価格が高騰しているという。米軍情報筋に聞くと、「強欲な中国の輸出業者のせいではないか。中国側はこれまでにも北向けの輸出価格を国際相場よりも2割程度高くしてきた」との答えだ。朝鮮戦争以来の「血の友誼(ゆうぎ)」など無関係だという。

 高く売りつけても、相手が代金を払えないなら、当然貿易取引は止まる。ところが、相手の弱みにつけ込むのが中国商法だ。米軍筋は「中国は債権の担保に北の鉱山利権を確保する」とみる。これまで中国資本は、かつてスターリンも瞠目(どうもく)した豊富な北の鉱物資源獲得を狙ってきたが、金正恩政権のナショナリズムに阻まれてきた。制裁によって困窮している今こそ好機だ。

 習氏が目指す現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」の東の終点は朝鮮半島だ。特に半島北部には金や銀、戦略物資であるウランや希少金属が埋蔵されている。ロケットマンこと金正恩氏の命運を問わず、日本などにとって中国という脅威が増大することだけは間違いない。

 総選挙では、与野党を問わず候補者たちに冷徹な危機感を持ってほしいところだ。』

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