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2017年7月29日 (土)

天才 (石原慎太郎著 幻冬舎)

かつての政敵の手による著作であることもあり、田中元首相に対する印象が大きく変わりました。また、著者の目を通した世の中の見方にもハッと思わされるところがありました。

『・・・金の貸し借りというものが人間の運命を変える、だけではなしに、人間の値打ちまで決めかねないということをその時悟らされてような気がした。以来、俺は人から借金を申し込まれたら、できないと思ったときはきっぱりと断る、貸すときは渡す金は返ってこなくてもいいという気持ちで何もいわずに渡すことにしてきた。その流儀は今でも変わりはしない。手元を離れた金はもう一切俺に関りがないということだ。
・・・後年、俺が上京するとき、母親は三つのことをいってくれたものだった。「大酒は飲むな。馬は持つな。できもしないことはいうな」と。その言葉は今も忘れずにいる。
・・・何だろうと土方という、この世で一番末端の仕事をしている人間たちの力こそが、この世の中を結果として大きく変えていくのだという実感があった。
・・・この世をすべてしきっているのは、大なり小なりお上、役人たちが作っている縦の仕組みなのだ。
・・・政治家には先の見通し、先見性こそが何よりも大切なので、未開の土地、あるいは傾きかけている業界、企業に目をつけ、その将来の可能性を見越して政治の力でそれに梃子入れし、それを育て再生もさせるという仕事こそ政治の本分なのだ。
・・・福田外務大臣時代に厄介なことが起こった。ドルショックとアメリカの日本を無視した頭越しの中国への大接近だ。特にアメリカの日本を無視した頭越し外交は日本にとって大屈辱だった。沖縄返還をとりつけ鼻の高かった佐藤の面子は丸潰れで憤懣やるかたなかったに違いない。言い換えれば福田外交の大失態だった。これは福田の責任というより、もともと無能で腰抜けの外務省という役所の限界の露呈としか言いようがない。
・・・政治の出来事には表のお降り一遍ではすまぬことが多々ある。要は商売の取引の兼ね合いに似ていることが多い。駆け引きには裏があり、そのまた裏の裏が必ずしも表ではなしにまた違う裏ということさえあるのだ。そこらの駆け引きは口で説明しても埒が明かず、あとは目をつむってやってのけるしかないこともある。
・・・誰か相手を選ぶときに大事なことは、所詮人触りの問題なのだ。・・特に身近な相手にかかわる冠婚葬祭には腐心し手を尽くしてきた。何よりも人間にとって生涯たった一度の死に関する行事である葬式の折には精一杯の義理を果たしてきた。・・「たとえ見知らぬ者でも、その人間の一生の意味や価値は傍には計り知れぬものがあるに違いない」といったそうな。なるほどなと俺は思ったものだったが。
・・・他人の冗談には笑って感心してやるのが何よりなのだ。
・・・ロッキード事件という日本の司法を歪めた虚構を知りつつ、それに加担した当時の三木総理や、トライスターなどという事例よりもはるかに大きな事件の山だった対潜哨戒機P3C問題を無視して逆指揮権を発動し、それになびいた司法関係の責任者たちこそが売国の汚名のもとに非難糾弾されるべきだったに違いない。
・・・古参のアメリカ人記者が、アメリカの刑法では許される免責証言なるものがこの日本でも適用され、それへの反対尋問が許されずに終わった裁判の実態に彼等のすべてが驚き、この国の司法の在り方に疑義を示していたのを覚えている。そして当時の私もまた彼に対するアメリカの策略に洗脳された一人だったことを痛感している。
・・・役人天国を支えているおよそ非合理極まる単式簿記などという会計制度を国家全体として是正し一般の企業並みに発生主義複式簿記に直して(東京都だけでは何とか実現はしたが)、税金の無駄遣いを是正するといった大改革が成し遂げられたのではないかとさえ思うが。
・・・私は自分の回想録にも記したが、人間の人生を形作るものは何といっても他者との出会いに他ならないと思う。結婚や不倫も含めて私の人生は今思えばさまざまな他者との素晴らしい、奇跡にも似た出会いに形作られてきたものだった。』

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