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2017年7月

2017年7月29日 (土)

天才 (石原慎太郎著 幻冬舎)

かつての政敵の手による著作であることもあり、田中元首相に対する印象が大きく変わりました。また、著者の目を通した世の中の見方にもハッと思わされるところがありました。

『・・・金の貸し借りというものが人間の運命を変える、だけではなしに、人間の値打ちまで決めかねないということをその時悟らされてような気がした。以来、俺は人から借金を申し込まれたら、できないと思ったときはきっぱりと断る、貸すときは渡す金は返ってこなくてもいいという気持ちで何もいわずに渡すことにしてきた。その流儀は今でも変わりはしない。手元を離れた金はもう一切俺に関りがないということだ。
・・・後年、俺が上京するとき、母親は三つのことをいってくれたものだった。「大酒は飲むな。馬は持つな。できもしないことはいうな」と。その言葉は今も忘れずにいる。
・・・何だろうと土方という、この世で一番末端の仕事をしている人間たちの力こそが、この世の中を結果として大きく変えていくのだという実感があった。
・・・この世をすべてしきっているのは、大なり小なりお上、役人たちが作っている縦の仕組みなのだ。
・・・政治家には先の見通し、先見性こそが何よりも大切なので、未開の土地、あるいは傾きかけている業界、企業に目をつけ、その将来の可能性を見越して政治の力でそれに梃子入れし、それを育て再生もさせるという仕事こそ政治の本分なのだ。
・・・福田外務大臣時代に厄介なことが起こった。ドルショックとアメリカの日本を無視した頭越しの中国への大接近だ。特にアメリカの日本を無視した頭越し外交は日本にとって大屈辱だった。沖縄返還をとりつけ鼻の高かった佐藤の面子は丸潰れで憤懣やるかたなかったに違いない。言い換えれば福田外交の大失態だった。これは福田の責任というより、もともと無能で腰抜けの外務省という役所の限界の露呈としか言いようがない。
・・・政治の出来事には表のお降り一遍ではすまぬことが多々ある。要は商売の取引の兼ね合いに似ていることが多い。駆け引きには裏があり、そのまた裏の裏が必ずしも表ではなしにまた違う裏ということさえあるのだ。そこらの駆け引きは口で説明しても埒が明かず、あとは目をつむってやってのけるしかないこともある。
・・・誰か相手を選ぶときに大事なことは、所詮人触りの問題なのだ。・・特に身近な相手にかかわる冠婚葬祭には腐心し手を尽くしてきた。何よりも人間にとって生涯たった一度の死に関する行事である葬式の折には精一杯の義理を果たしてきた。・・「たとえ見知らぬ者でも、その人間の一生の意味や価値は傍には計り知れぬものがあるに違いない」といったそうな。なるほどなと俺は思ったものだったが。
・・・他人の冗談には笑って感心してやるのが何よりなのだ。
・・・ロッキード事件という日本の司法を歪めた虚構を知りつつ、それに加担した当時の三木総理や、トライスターなどという事例よりもはるかに大きな事件の山だった対潜哨戒機P3C問題を無視して逆指揮権を発動し、それになびいた司法関係の責任者たちこそが売国の汚名のもとに非難糾弾されるべきだったに違いない。
・・・古参のアメリカ人記者が、アメリカの刑法では許される免責証言なるものがこの日本でも適用され、それへの反対尋問が許されずに終わった裁判の実態に彼等のすべてが驚き、この国の司法の在り方に疑義を示していたのを覚えている。そして当時の私もまた彼に対するアメリカの策略に洗脳された一人だったことを痛感している。
・・・役人天国を支えているおよそ非合理極まる単式簿記などという会計制度を国家全体として是正し一般の企業並みに発生主義複式簿記に直して(東京都だけでは何とか実現はしたが)、税金の無駄遣いを是正するといった大改革が成し遂げられたのではないかとさえ思うが。
・・・私は自分の回想録にも記したが、人間の人生を形作るものは何といっても他者との出会いに他ならないと思う。結婚や不倫も含めて私の人生は今思えばさまざまな他者との素晴らしい、奇跡にも似た出会いに形作られてきたものだった。』

2017年7月28日 (金)

戦国の合戦 (小和田哲男 学研新書)

日本における戦いについて、思い込みが多かったことを痛感しました。

『・・・水田耕作の全面的展開となると弥生時代ということになる。ちなみに、弥生時代は、紀元前3世紀ごろから紀元3世紀までの期間をいう。

・・・この戦いによって、中央政界における武士の地位は飛躍的に高まり、特に清盛の勢力は大きなものとなった。しかし、その時点では、平氏と源氏の力は拮抗し、並立する状態であった。ところが、それに続く平治元年(1159)の平治の乱で清盛が源治の棟梁源義朝を破ったことにより、平氏圧倒的優位の状況が生まれることになった。
・・・この二度にわたる蒙古襲来は、日本に集団戦法という新しい戦い方を広めるもととなったわけであるが、鎌倉幕府崩壊を早めることにもなった。それは、それまでの戦いでは、戦いに参加することで恩賞をもらうことができたのに対し、このときは、敵を撃退しただけで、幕府としても、戦いに加わった御家人たちに恩賞を与えることができず、御家人の窮乏が進んだからであった。
・・・応仁年間よりも文明年間の方が長く、そのため、従来の応仁の乱といういい方に代わり、応仁・文明の乱と言われるようになったのである。・・東軍細川勝元に属すか、西軍山名宗全に属すかの二者択一を迫られ、結局、東軍16万人、西軍11万人、合わせて27万人もの大群が京都に上っている。この軍勢の数は、「天下分け目」といわれた関ヶ原の戦いよりも多いのである。・・敵の陣地である大名の屋敷や寺に放火する放火合戦の様相を呈していたからであった。そのため、京都は焼け野原と化してしまったのである。
・・・意外なことに、応仁・文明の乱が終わっておよそ10年ほどは、地方でもこれといった大きな戦いはなく、文明18年(1486)の出雲守護代尼子経久による下克上が特筆される動きである。
・・・守護代・国人クラスの武将たちが歴史の表舞台に登場し、文字通り、戦国乱世に突入したことがはっきりわかる時期である。
・・・儒教的武士道徳がまだ一般化されていない戦国時代は、むしろ、自分の能力に応じた待遇を与えられるのを当然としていたので、働きに応じた待遇をしてくれていないと思えば、使えていた家を飛び出し、他家に仕えるのが当たり前であった。そのため、主君は、家臣たちをつなぎ留めておくため、常に恩賞を与え続けなければならなかったのである。このことが、戦国時代、合戦が続くことになた最大の要因であった。
・・・私が一番注目しているのは、「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝事(かつこと)が本にて候事」という部分である。「武士は、相手から犬といわれようと、畜生といわれようと、とにかく勝つことが大事である」といった意味で、勝つための工夫が必要だし、勝つためにはどのような手段を使ってもよいという意味にもなる。・・合戦である以上、負けてしまったのでは元も子もないわけで、相手から卑怯者呼ばわりされてでも勝たなければならないというのが、そのころの武将の共通した認識だったものと思われる。
・・・死を恐れるということは、戦国武将も現代のわれわれも同じであろうが、死に対する考え方は現代人と決定的に違っていた。それは、一言で言えば、「死んで名を残す」という考え方である。「名をあげる」「名を惜しむ」という言い方も同じである。
・・・当時の武将たちにしてみれば、まさに「名を残す」行為だったわけで、事実、ここで死んでいった12人の「城将」の子孫は、上杉家において重用されているのである。見事な死に方が子供たちへの遺産となっていたことがわかる。
・・・戦国時代とはいっても、ある場所に限定すれば、毎日毎日戦いが続いていたわけではなく、戦いのない日もあった。つまり、戦いのときは武士として出ていくが、戦いのない時は農民として農作業に従事していたのである。・・大道寺友山の「落穂集」が参考になるのではないかと思われる。そこには戦場において死者が1000人あった場合、侍はそのうちの100人か150人で、あとは農民や下人だったと見える。
・・・兵農未分離の段階における戦国大名家臣団の主力は地侍、すなわち半農半士の土豪だった・・侍のもとに多数の農民が組織され、戦場に出ていった
・・・戦国時代のある段階まで、合戦の主力はこのような一領具足に代表される半農半士の地侍、すなわち土豪たちによって構成されていた。彼ら地侍を寄子とし、専業武士である上層家臣を寄親とする寄親寄子制が軍団編成の基本であった。その仕組みを大きく変えたのが織田信長である。もっとも信長も、ある時を境に、兵農未分離の家臣団を急に兵農分離に変えていったわけではない。少しずつ変えてゆき、いつの間にか兵農分離になっていたという状況だった。信長が兵農分離の踏み出す一つのきっかけは、親衛隊の組織化である。・・親衛隊の中には兵農未分離の家臣が含まれていたかもしれないが、注目されるのは、信長が、地侍クラスの二・三男以下の者を親衛隊としていた点である。これは兵農分離の第一段階に位置づけられるもので、”兄弟の分離的対応”とよんでいる。
・・・兵農分離をすませた常備軍だと、その心配はない。いつでも戦いに出られるし、しかも長期滞陣が可能になった。・・まだ兵農分離が進んでいないときには、籠城しても勝つことができたのである。・・織田信長の後半、さらには豊臣秀吉の時代には、兵農分離で、将兵は何年でも城を囲むことができたため、籠城イコール敗北という認識が出来上がってしまったわけである。・・兵農分離後の常備軍団は決定的にちがう。鑓なら鑓、弓なら弓、鉄砲なら鉄砲というように、それぞれの持ち道具によって隊を編成し、鑓隊、鉄砲隊ごとに集団訓練ができ、その訓練を実際の戦いの場で生かしているのである。・・足軽は、応仁・文明の乱のころ登場してきたといわれるが、合戦の主力として重視されるようになるのは戦国時代に入ってからである。
・・・従来型の武田軍による小集団と、兵農分離後の織田軍による足軽戦法の戦いということになり、その意味で、長篠・設楽原の戦いは、足軽戦法が個人戦法を破った記念碑的な戦いと言ってもよいように思われる。
・・・信玄の「信玄棒道」は戦いのために軍用道路として作られたものであるが、信長の場合は単に軍用道路としてでなく、商品流通経済も視野に入れた富国強兵のための道路政策だったところに違いがある。
・・・信玄の関所撤廃の理由は、荘園領主・在地領主の収入源を絶つとともに、商人たちの自由な往来を保証したことにあった。
・・・出陣の日から3日分は、それぞれの兵の責任で兵糧持参が義務付けられていた様子がわかる。・・「三日分の腰兵糧」がなくなった4日目ごろから現地での兵糧の支給が始まるのである。・・小荷駄隊に動員されたのが農民だったことについてはすでに述べたとおりである。そして、兵糧の準備から、輸送の実務まですべてを差配したのが兵站奉行であった。
・・・兵器は、一部の名刀と言われる太刀や刀は別として、たいていは消耗品である。実際の戦いで使用した後使えなくなるものもあり、常に補給が必要だった。・・鑓は鎗、槍など字はいろいろに書かれるが、・・武器としての登場は元弘・建武の騒乱のころで、室町時代に入って急速に普及し始め、それまで、長柄といえば薙刀(長刀)をさしていたのが、鑓に代わっているのである。戦国時代はもっぱら鑓で、薙刀は女性の持ち道具となっている。・・名だたる名将のことを形容する言葉として「弓取り」がある。・・この言葉は、弓矢を使った戦いが一般的だった時代の名残であった。次第に鑓が主力の戦いになってくると「一番鑓の功名」とか「鑓働き」といった言い方が増えてくる。さて、その鑓であるが、はじめは柄の部分もそんなに長いものではなかった。二間(約3.6メートル)もあれば長い方だった。・・ついには「三間間中」つまり三間半(約6.3メートル)にまでなった。おそらく持ち手の腕力からしてこの三間半が限界だったのであろう。それ以上長い柄の鑓は出現していない。長鑓が使われることになった背景に前述した足軽戦法があった。・・長さをそろえた長鑓をもって最前列にならび、いわゆる「鑓衾」を作る。敵の騎馬武者がそこに来た場合、長鑓で突かれ「鑓衾」を突破することができず、逆に鑓隊に押し込まれる形となる。・・合戦場面で、圧倒的に多いのは、鑓と鑓の戦いである。
・・・おそらく、このころになると、刀は戦闘での武器というよりは、相手の首を取るときの道具として使われていたものであろう。
・・・具足は何らかの形でほぼ全員が身につけるとしても、冑、すなわち兜はそうはいかない。兜は「兜首」といういい方があることからも明らかなように、あるランク以上の者でなければかぶれなかった。・・直江兼続の「愛」の一字がある。これを愛情、人間愛の「愛」と思っているいる人が多いようであるが、愛染明王の「愛」であろう。・・武将たちがこうした変わり兜を用いたのは、目立ちたかったからである。戦場で目覚ましい働きをすれば、「あれは誰だ」ということになり、変わった兜をかぶっていればいっぺんに名前を覚えられる。
・・・「乱取り」といっても、戦いがはじまる前から「乱取りは自由である」といった許可がおりていたわけではなく、当然のことながら、勝ち戦になった場合の恩典ということになる。ある程度、勝利が確定したところで、「乱取り自由」の指示が出されたものと思われる。城攻めの場合には、全員討ち死にということもあるが、多くの場合は城兵の命は助けられることになる。しかし、待っていたものは悲惨な現実であった。男も女も、子供まで生け捕りにされ、売られてしまうのである。
・・・こうした勝鬨は凱旋のときの一種の儀式となっていて、それをリードしたのが軍配者、すなわち軍師だったのである。
・・・負けた場合の首の取り扱われ方であるが、全員が磔になったり晒し首にされるのはどちらかといえば例外的で、みせしめにされた場合に限られるようである。多くは、林薨とか水薨という形で死体処理がなされることになる。林薨は、そのまま野山に打ち捨てられるもので、土とか木の葉がかぶせられればいい方で、水薨は、川に流されたり、池にそのまま沈められるものである。
・・・「八陣」とは、魚鱗、鶴翼、雁行、長蛇、偃月、鋒矢、衡軛、方円の八つの陣形をいう。』

2017年7月23日 (日)

ルポ 絶望の韓国 (牧野愛博著 文春新書)

朝日新聞ソウル支局長の著作で、私に言わせれば韓国人に甘めの記述だと思いましたが、それなりに参考になりました。

『・・・元議員の知人は語る。「韓国は圧縮成長した。欧州が百年、日本が五十年かけて築いた繁栄を我々は三十年で達成したと息巻いているが、その代わりに社会的な葛藤がたくさん生まれた。地縁や学閥があちこちある。だから、賄賂やコネ、圧力を使った社会不正がまかり通るのだよ」
・・・「韓国では両班文化がまだ息づいているのだよ」 韓国の人々の権力に対する執着を韓国の閣僚経験者の尋ねると、こんな答えが返ってきた。韓国の人々は食事をするときに、お茶碗を手に取らない。お茶碗を置いたまま、箸やスプーンを使って食べる。これも袖の長い韓服を着用した両班(朝鮮時代などでの支配階級)が、袖が汚れない食べ方をしていたことをまねたとされる。元閣僚は語る。「誰でも両班にあこがれる。人生に一度でいいから、両班になってみたいと思う。社会がまだ成熟していないから、発想が単純なのだよ。」
・・・韓国の大統領府や外交部で記者会見に臨むと気づくことがある。かんっくの記者団の質問に共通した特徴がある。質問が長いのだ。彼らは自分の主張をまず延々と語る。そして、最後に、「それであなたはどう考えるか」と聞く。だから記者会見の記録を見ると、圧倒的に質問の方が長かったりもする。
・・・議員になりたい人は後を絶たない。「人生の最後の花道、一度は自分もとあこがれる仕事が国会議員なのだよ」と、韓国政府の知人は語る。議員として活躍する人も多いが、権力のおぼれ、勘違いする連中も数多くいる。
・・・朴槿恵は、もともと歴史認識問題や慰安婦問題に強い関心があったわけではない。彼女にとっての最大の関心事項は、自身の政治権力をあまねく周囲に認めさせることにあった。
・・・慰安婦問題に限らず、日韓歴史認識問題では、韓国の保守勢力は常に進歩・革新勢力から政治攻撃されてきた。過去、歴史認識を巡って数ある日韓合意がなされてきたが、韓国内で唯一、依然批判されていない合意がある。1998年10月、小渕恵三首相と金大中大統領によって発表された共同宣言だ。
・・・「韓国人は、大統領を旧朝鮮王朝の王のような存在と考えている」(韓国政府元高官)という。元高官はその理由について「韓国は朝鮮王朝の後で日本統治を受け、さらに米国主導で大統領制を導入した歴史的な背景がある」と語る。韓国大統領府(青瓦台)の構造は、米国のホワイトハウスとずいぶん違う。ホワイトハウスは大統領の執務室と同じ建物の中に、大統領補佐官らの執務室があり、何かあればすぐに集合できるが、青瓦台の場合は秘書官たちの建物は別棟になっている。大統領府の勤務経験者の一人は「大統領に会いに行くためには、車に乗らないといけない。検問もあるから数分かかる」と語った。
・・・深刻に感じられるのは、韓国の外交官たちが異口同音に語る「国際社会における日本の地位が落ちている」という現状認識だ。口には出さないが、「日本は財政難や政局の混乱に加え、大震災まで起きて元気がない。本当に気の毒だ」という視線を日本に投げかけている。韓国「ジャパンスクールの落日」は、日韓の政治パイプに加えて、官界・外交パイプの先細りという現象を生み出している。
・・・「五年(大統領の任期)ごとに、政策が総入れ替えになる」という韓国政治の宿痾が、せっかくの数少ない朴槿恵政権の成果も押しつぶそうとしている。
・・・韓国の大企業は数の上では1%に満たないが、売り上げは6割以上を占めるとされる。就職難に直面する若者層がこうした社会構造に不満を貯める中で、オーナー一族による非常識な事件も後を絶たない。
・・・韓国では「同じ大学」「同じ学部」の先輩後輩の結びつきは、日本と比べものにならないほど強い。
・・・韓国には最も結束力の強いことで有名な三つの団体がある。「湖南(韓国南西部の全羅道地域を表す言葉)郷友会」「高大(高麗大)校友会」「海兵戦友会」だ。・・海兵隊OBには代々、「街中で後輩の隊員を見つけたら、必ず小遣いをやって元気づける」という不文律があるのだという。
・・・大統領との特殊な「人脈」があるというだけで、何の見識もない一般人が巨大な権力を振り回せたことが、韓国の人々の大きな怒りを買ったのだ。チェのような「コネ」を使うことは、韓国の人々にとっての「あこがれ」でもあるが、その貧弱な経歴と手に入れた権力大きさのあまりのギャップに、韓国の人々は嫉妬に似たような強い嫌悪感を抱いたのだ。
・・・精鋭部隊は、北朝鮮のなけなしの食料や装備を優先的に与えられるうえ、政治学習を徹底的に行うために忠誠心や士気も高い。兵役も10年と長い。韓国軍にも特殊部隊があるし、もちろん能力も優れているが、大半はわずか3年足らずで兵役を終える若い軍人だ。
・・・「核の共同管理」とは、米国が北大西洋条約機構(NATO)加盟国と行っているシステムだ。米はドイツ、イタリヤ、ベルギー、オランダの4か国に航空機搭載型の核爆弾を配備。4か国は警備などに協力しているとされ、核兵器使用について意見を言えるが、最終決定権は米国にある。
・・・韓国にとっての最大の外交課題は北朝鮮だ。韓国外交部を見ても、北朝鮮問題を扱う朝鮮半島平和交渉本部には同部のエリートと呼ばれる人材が集中して集められている。
・・・韓国は1965年の日韓国交正常化に伴い、日本から巨額の支援金を得た。北朝鮮との体制競争に勝たせるため、米国は韓国の安全保障の相当部分を負担するとともに、朴正熙政権の開発独裁路線を認めた。韓国人自身の努力が加わり、「漢江の奇跡」と呼ばれる急速な経済成長を達成した。ソウルを訪れる日本人の多くが、「ちょうど少し前の東京を見ているようだ」と語るように、経済や社会生活分野で、韓国はずっと日本の背中を追いかけてきたともいえる。
・・・韓国では近年、農村部が抱える「嫁不足」の問題から国際結婚が急増。2003年に約4万4千人だった外国人配偶者は、10年5月時点で約13万6千人に急増、このうち外国人妻は約12万人を占めていた。経済的な事情からベトナム出身者が多く、韓国人と結婚したベトナム人女性は当時、約3万2千人と全体の約四分の一を占めていた。
・・・韓国政府によれば、韓国の2013年の武器輸出額は約34億ドル(約4180億円)。10年前の12.8倍に達した。輸出先は米国や中東、東南アジアなど約80か国に上る。
・・・知る人ぞ知る話だが、豪州の仮想敵国はインドネシアだ。
・・・世界は今、米国でも欧州でも日本でも格差社会が広がりつつある。人々には不満やいら立ちが募っている。それをぶつける相手を探すとき、自分たちと関係のない集団がいればとても便利だ。周囲の共感が得られやすいからだ。それが、米国で黒人排斥運動に、欧州で移民排斥運動に、日本では嫌韓運動につながったと、私は思っている。・・今、韓国では日本の「失われた20年」よりも更に深刻な不況が迫りつつある。本書で書いたように、韓国の人々にも不満が溜まっている。・・釜山の少女像を取材したときに見たのは、「怒りのはけ口」を求めている人々の姿だった。

2017年7月22日 (土)

戦争にチャンスを与えよ (エドワード・ルトワック著 奥山真司訳 文春新書)

一見過激なタイトルですが、読んでみると納得させられる内容でした。

『日本は、世界の中でも独特な場所に位置している。世界の二つの大国と、奇妙な朝鮮半島の隣にあるからだ。・・日本にとってはほぼ利益のない朝鮮半島において、北朝鮮が、暴力的な独裁制でありながら、使用可能な核兵力まで獲得しつつある一方で、韓国は約5000万の人口規模で世界第11位の経済規模を誇りながら、小国としての務めさえ果たしていない。・・ベトナムは、日米にとって非公式だが強力な同盟国となりうるし、フィリピン、インドネシア、マレーシア連邦なども、潜在的な同盟国である。
・・・「戦争の目的は平和をもたらすことにある」ということだ。戦争は、人々にその過程で疲弊をもたらすために行われるのである。・・戦争が終わるのは、そのような資源や資産がつき、人材が枯渇し、国庫が空になった時なのだ。そこで初めて平和が訪れると、人々は、家や工場を立て直し、仕事を再開し、再び畑を耕す。
・・・なんと今日に至るまで、ボスニア・ヘルツェゴビナでは、いかなる「戦後復興」も行われていないのである。・・なぜか。「戦争が終わっていない」からだ。まだ「平和」ではなく、「戦争が凍結された状態」なのだ。「凍結されている」ということは、「まだ終わっていない」ということなのである。「邪悪な介入」のもう一つの形態は、難民支援だ。
・・・私は論文「戦争にチャンスを与えよ」を書いたのである。そこで主張したのは、「戦争には目的がある。その目的は平和をもたらすことだ。人間は人間であるがゆえに、平和をもたらすには、戦争による喪失や疲弊が必要になる」ということだ。外部の介入によってこの自然なプロセスを途中で止めてしまえば、平和は決して訪れなくなってしまうのである。・・外部の介入によって戦争を凍結すれば、かえって戦争が長引いてしまう。これが私の論文の主張であり、これは難民問題でも同様だ。・・介入してもよいのは、和平合意と難民移住などに関する責任をすべて引き受ける覚悟がある場合だけである。みずからの外交力によって和平合意を実現できないようなら、紛争に介入してはならない。
・・・もちろん、カダフィは、素晴らしいリーダーではなかった。それでも、無政府状態よりははるかにましだ。「介入のために戦争を開始すること」と「戦争を止めるために介入すること」は、同じ程度に避けるべきことなのである。
・・・戦略とは「生物」である。戦略は存在するものであり、それは戦争の結果を決定するものであるが、その働きは、普遍的で、どの時代のどの地域のどの文化にもあてはある。・・そして戦争には、紛争を何らかの形で終わらせることによって、平和をもたらす、という目的がある。
・・・国際的な軍事指揮では、参加国部隊の行動の質を維持するのが特に難しい(最低限のレベルのパフォーマンスにまで落ちる可能性がある)
・・・NGO活動の多くは、結果的に活動的な戦闘員を供給しているのである。・・NGOが彼らの支援のために介入することによって、敵側がけってき的な勝利を収めて戦争を終わらせる、というプロセスを構造的に妨害してしまうのである。・・このようなNGOは、「戦いの緩和」という彼らの表向きの目標などは実現できず、かえって戦争を長期化させてしまっているだけだ。・・今日では、あまりに多くの戦争が「終わることのない紛争」となってしまった。その理由は、外部からの介入によって、「決定的な勝利」と「戦争による疲弊」という二つの終戦要因が阻止されるからだ。
・・・ただ、これだけは答える。私が見たところ、安倍総理はまれに見る戦略家だ。
・・・「日本が尖閣についてどう考えているか」は、中国には全く関係がない・・問題になるのは、ただ「中国が尖閣をどう見ているのか」であり、「中国が尖閣で何をやってくるのか」だけである。・・中国の外交部(外務省に相当)は、私が知るほかのどの国の外務省とも異なる性質を持っている。外交部が集めた情報は、けっして 「中央」には到達しない。各国で集められた情報は、北京の外交部には届くが、そのボスである習近平には届いていないのだ。
・・・私は、戦略的な方向性として、日本の自衛隊を「自衛隊」のままにしておくべきだと考える。つまり、専守防衛の方向性で、このまま将来も進んでいくのが、基本的には最も正しいと思っている。ただし一つ問題がある。中国だ。・・今後、日本の自衛隊は、より迅速に作戦行動を行えるように体制を整えることが重要になってくる。そのために日本の自衛隊に必要なのは、「訓練」ではなくて「演習」なのである。・・「演習」で学ばなければならないのは、失敗した状態、つまり物質や人員が足りない状態の中でも任務を実行するメンタリティ(精神性)だ。・・残念ながら自衛隊の規模は、日本のような大きな島国を守るには小さすぎる。それらを解決するためには「改革」が必要である。
・・・「中国封じ込め同盟」への貢献という意味で、アメリカの日本への期待は高まるはずだ。
・・・北方領同に関していえば、私は決して楽観的ではない。プーチン氏は、「ロシア帝国」を修復するまでは領土拡大を続ける、と考えている・・それはもちろん、どれだけ経済制裁を科されても、クリミア半島を維持し続ける、ということも含んでいる。・・プーチン氏が自国民に発しているメッセージは、以下のようなものだ。「・・あなたがたは、世界最大の領土を持つ帝国の人間であり、これは誰に与えられたものではなく、戦争に勝つことによってロシア人自身が獲得したのである。前任者はロシアの帝国の多くを失ったが、私(プーチン)は絶対に領土を失うことはない。むしろ取り返すつもりである。だからその代わりにロシア人は耐えなければならない。帝国の人間として耐え忍んでほしい」
・・・世界一の人口を抱え、世界第二位のGDPを持つにもかかわらず、アフリカの小さいな独裁国家のように不安定なのが、中国の本質だ。彼らは、2000年代の16年間に、「平和的台頭」という協調路線から、「対外強硬路線」、「選択的攻撃」と、三度も対外政策を大きく変えている。・・こうした「不安定」な国を隣に抱えているのは、非常に骨の折れることだ。
・・・中国の第二の特徴は、社会は急速に変化しているのに対して、独裁制はそれほど変わっていない、という点にある。・・現在、北京政府は、イデオロギーの継続的な減退とともに、経済の急成長や国民の収入の上昇を望めない事態に直面している。これは習近平の仕事が日ごとに難しくなってきていることを意味している。・・ここに第三の問題が加わる。権力を最大限集中化させるために、習近平が胡錦涛の信奉者の粛清を決心したことだ。
・・・「核心的リーダー」とは、「決してリタイアしない人物」のことだ。・・毛沢東や鄧小平のような存在だ。政治的任務を終えた後でも、「引退」はせず、終身的リーダーとして生きる、ということである。
・・・さらに厄介な問題がある。中国は、隣国を完全に見誤る伝統を持っている点だ。2014年に起きたベトナム沖の海底油田をめぐる事件が、その典型である。・・中国外交には、組織的欠陥がある。・・政策を実質的に決定する部門が、国外の理解や自国が置かれている情勢についての認識を欠いてしまうのである。そのために、対外政策において、不安定さと無能さを露呈してしまうのだ。
日本がEEZ内での中国漁船の操業を許している、という状態自体が、中国に「あいまいさ」を伝えているからである。こうした「あいまいさ」こそ、日本側は避けるべきなのだ。・・「あいまいな態度の日本」と「隣国すら誤解する中国」というのは、最悪の組み合わせと言える。というのも、日本の「あいまいさ」が、中国の「誤解」の余地をさらに大きくしてしまうからだ。これこそが、現在の日中間に存在する決定的な問題なのである。・・日本は、武装した人員を常駐させるべきである。名目は、「環境保護」など何でも構わない。「海底保護調査団」でも、「サンゴ礁・漁業保護調査団」でもよい。しかし、必ず武装させておくことが重要である。こうして日本は、「あいまいさ」を排除できるからだ。
・・・クレムリン周辺の人々は「ノヴォロシア」という概念を今日に復活させようとしている、ということだった。・・ウクライナの一部を切り取って、「ノヴォロシア」という共和国として独立させ、ロシア連邦に組み込む、という考えだ。
・・・CIAは、アメリカの政府機関の中で最も仕事のできない機関だ。CIAの人員は、言語や文化を学ぶのに忙しく、インテリジェンスの肝心なところで失敗を繰り返してきた。米国民全員が知っていることだが、アメリカは、外交や軍事と比べて、インテリジェンスがはるかに不得意なのである。
・・・国際問題に関するロシアの対処法は、古典的なやり方にのっとっている。大国は、いきなり部隊を動かしたりはしない。まずその発する言葉に大きな意味を持たせるものである。この点、中国は異なる。・・中国のように、「尖閣だ、尖閣だ」と叫んでおきながら何もしないようなことは、ロシアは決してしない。ロシア人は、言葉に重みのないリーダーを軽蔑するからだ。
・・・フィリピン国内には、二つの要因がうごめいている。第一は、フィリピンがアメリカの植民地であったという歴史に起因する・・第二は、フィリピンの支配層やエリート層の多くが、人種的には中華系で、裕福である上に、中国とも深い関係を持っており、フィリピンという国にそれほど忠誠を誓っているわけではない、という点だ。・・要するに、フィリピンには、「政治的なまとまり」というものがない。そのため、ベトナムのようには行動できないのだ。
・・・フィリピンは、「反中同盟」からすでに脱落した、ということである。しかし、フィリピンの脱落は、「反中同盟」にとって必ずしもネガティブなことを意味しない。というのも、日本、インド、ベトナム、それにインドネシアやマレーシアの部分的な参加による「反中同盟」は、フィリピンを含めた「反中同盟」よりも、はるかに強力だからだ。
・・・人々は、平時には、脅威を深刻なものとして考えられないものだ。平時に平和に暮らしていれば、誰かの脅威に晒されていても、空は青いし、何かが起こっているようには思えない。・・平時には、誰も備えを必要と感じない。むしろ戦争に備えること自体が問題になる。・・そこから戦争がはじまるのだ。
・・・北朝鮮の軍事関連の技術者を侮ってはならない。彼らは、他国の技術の5倍以上の生産性を有している、と答えるからだ。たとえば、イランは、核開発に北朝鮮の5倍もの時間をかけながら、一発の核兵器に必要な核物質さえ作り出せていない。人工衛星の技術もない。要するに、北朝鮮の軍事開発力は、きわめて危険な域に達しており、真剣に対処する必要があるのだ。
・・・北朝鮮のミサイルは、侵入の警告があれば即座に発射されるシステム(LOW)になっているかもしれない、という点だ。このシステムでは、アメリカの航空機やミサイルが侵入してくれば、北朝鮮側の兵士が自動的に発射ボタンを押すことになる。LOWとは、レーダーからの警告に即座に反応することを意味する。
・・・人間というのは、平時にあると、その状態がいつまでも続くと勘違いをする。これは無理もないことだが、だからこそ、戦争が発生する。
・・・戦略の規律が教えるのは、「『まあ大丈夫だろう』という選択肢には頼るな」ということだ。なぜなら、それに頼ってしまうことで、平和が戦争を生み出してしまうからである。
・・・日本には「降伏」、「先制攻撃」、「抑止」、「防衛」という四つの選択肢がある。ところが、現実には、そのどれも選択していないのである。
・・・すべての軍事行動には、そこを超えると失敗する「限界点」がある。いかなる勝利も、過剰拡大によって敗北につながるのだ・・大国は、中規模国は、打倒できるが、小国は打倒できない。小国は、常に同盟国を持っているからだ。小国は、規模が小さいゆえに脅威を与えない。だからこそ、別の大国が手を差し伸べるのである。・・戦略のパラドキシカル・ロジックは、紛争が発生するところで、必ず発動する。そして優れた戦略家なら、そのパラドキシカル・ロジックを正面切って克服できるのだ。
例えば、あなたが100ドルの収入のうち5ドルを貯めて、それを投資に回す、というのは、「一般常識の世界」ではよくあることあ。これはこれで、極めて正しい選択となる。ところが、「戦略の世界」、要するに大規模戦争のような「戦略の世界」ではいくら「戦術レベル」で大成功を収めたり、戦闘で目覚ましい勝利を収めたり、作戦に成功して「戦域レベル」で相手国領土を占領できたとしても、「大戦略」のレベルですべてが覆ることがあるのだ。最終的な結果は、最上位の「大戦略」のレベルで決まるからである。・・「戦略の世界では「成果を積み重ねることができない」。これが、戦略の第一のポイントだ。戦争に直面して戦略を考えるときに、最初にやるべきは、「常識を窓から投げ捨てる」ことなのである。・・「戦略の世界では矛盾や逆説だけが効果を発揮する」ということである。理解が容易な「線的なロジック」は、常に失敗するからだ。・・「戦略の世界」では、敵が存在する。この敵が、あなたを待ち換えているのだ。すると、「直線で最短距離を行く」のは、最悪の選択となる。う回路だったり、曲がりくねって運の方が良いのだ。・・「戦略の世界」では、・・常に奇襲が狙われるのだ。奇襲を受けた側は、まったく準備ができていない状態で寝首をかかれることになる。
・・・「戦略の世界」では、勝利が敗北につながるように、敗北も勝利につながる。・・「戦略の世界」では、すべてが常に移り変わるのである。
・・・「戦略」において、「常識」は敵であり、「通常の人間的な感覚」は敵であり、唯一の味方は「紛争の冷徹なロジック」なのである。そして、「紛争の冷徹なロジック」が最も重要になってくるのは、主に外交のレベルにおいてだ。
・・・実際にイギリス人は、アメリカ人のひどい仕打ちを繰り返し受けた。しかしイギリスは、それに黙って耐えたのである。これが「忍耐力」だ。・・フランスは、100年以上争った相手だ。そして当時も、アフリカ、インドシナ半島、マダガスカルなど、およそ17件の植民地・領土係争案件を抱えていた。ところが、イギリスrは、交渉ですべてを素早く解決したのである。しかもイギリスは、すべての案件で譲歩した。フランスの完全勝利だ。これによって初めて、大英帝国とフランス帝国の協力関係が構築されたのである。
・・・なぜイギリスは、最終的に勝利できたのだろうか。それは、彼らが「戦略」を冷酷な視点でとらえることができたからである。要するに同盟関係は、自国の軍事力より重要なのだ。
・・・しかし、「戦略」の観点で言えば、外務省が権力を保持していることは、極めて重要あ。そうでないと、「戦略」のレベルで、すべてが覆ってしまうからである。
・・・「戦略の世界」では、「規律」が物を言う。ここで言う「規律」とは、「戦略のロジックを出し抜くことはできない」という認識能力のことだ。・・イギリスは、強力な「規律」を持ち、「戦略」にそれが不可欠であることを知っていた。「大戦略」のためには、特に極めて不快なことも受け容れる必要があることを知っていたのである。
・・・なぜイギリスのエリートたちは、こうした政策をとりえたのだろうか。それは、英国の貴族の土地の管理を通して、金と権力をよく理解していたからだ。・・ラグビーやウォールゲームといったスポーツを通じて、貴族は暴力というものを学ぶ。
・・・「ルトワックさん、お宅の息子さんは、まだ英語がうまくしゃべれないようですし、どこまで授業についてこれるかわかりませんが、それでも彼は大丈夫です。彼は自分の世話を自分でできるからです」・・ミラノの学校では退学処分になり、イギリスの寄宿学校ではむしろ評価されたことだ。告げ口をせず、独力で問題を解決しようとしたからだ。この文化がイギリスをイギリスたらしめている。彼らは、「暴力」「戦争」「平和」、そして「同盟」が何たるかを理解しているのだ。・・暴力のポジティブな側面を理解し、暴力の存在から目を背けない。これが、イギリスの強みなのだ。
・・・「戦略のパラドックス」だ。なぜこうなるかと言えば、戦略においては、常に「他者」が存在するからだ。・・奇襲の目的は、一時的に敵の反応を奪うことにある。・・それが有効なのは、敵の反応を奪うことで、「パラドキシカル・ロジック」の発動を抑えられるからだ。
・・・いかに戦術的勝利を重ねようとも、その勝利を完全に相殺してしまう、より高次の戦略が存在する。それが「同盟」だ。私の見るところ、戦国日本で、このことを最も理解していたのは徳川家康だった。そもそも、国の運命を左右するような大戦略レベルにおいて重要なのは、まず人口と経済力、そして国民の団結力である。・・適切な同盟相手を選び、戦術レベルでの敗北に耐え続ければ、100回戦闘に敗れても、戦争に勝つことができる。
・・・信長の真の卓越性は、このハイレベルの「規律」を必要とする作戦を計画し、実行したことなのだ。
・・・「作戦」よりも「同盟」の方が、戦略としては上位に位置する。ここでも参考となるのは、徳川家康のケースだ。彼のような人物でさえ、城を明け渡したり、戦闘で負けたり、裏切り者がでたり、と非英雄的なことをも耐え忍ぶ必要があった。ところが、その「規律」こそ、戦略に必要なのだ。
・・・現状以上のアメリカを望めないなら、現実のアメリカと付き合うしかない、ということだ。この「規律」こそ、大戦略で必要となるのである。・・もう一つ忘れてならないのは、「同盟」という戦略は、しばしば不快で苦難を伴うものでもある、ということだ。
・・・当時のヨーロッパの人々の思想にとって、根本的な位置を占めていた書物がある。「オヂュッセイア」と「イーリアス」の二冊だ。・・今日のひょーろっぱでは、クレフェルトのいう「生命の法則」が拒否されている。「生命の法則」とは、端的にいえば「男は戦いを好み、女は戦士を好む」というものだ。もちろん、この法則をあざ笑う人もいるだろう。ところが、この法則が拒否されている国で、少子化が起きているのだ。戦いを嫌う国では、子供があまり生まれていないのである。
・・・イスラム教を「アクシデント的に生まれた宗教」と尚氏のには理由がある。・・要するに、その当時には強力な敵となる帝国が周囲にいなかたために、イスラム教は急速に広まったのである。
・・・ヨーロッパが成功していたのは、ヨーロッパが戦場であった時代だ。「戦争のないヨーロッパ」は、「ガソリンの入っていない車」のようなものなのかもしれない。いずれにせよ、ヨーロッパのダイナミズムが戦争によってもたらされてきたことは明白だ。・・ヨーロッパ人は、「イーリアス」をもはや読んでいない。ところが、アメリカ人はまだ読んでいる。そして中国人たちも読み始めた。ここ五年間で、五つの版が出版されているほどだ。
・・・ロシアもヨーロッパの国の一つであるが、ここで、この国の三つの特徴を指摘しておきたい。第一は、「戦略は上手だが、それ以外はすべて下手だ」という点だ。・・ところが、彼らは、経済がまるで分っていない。これが第二の特徴だ。・・「大きな規模(スケール」で考えることができる」ということが、ロシアの第三の特徴だ。・・空間だけではなく時間的にも大きなスケールで考えることができる。空間的にも、時間的にも大きな視野を持っているのだ。西ヨーロッパの人々には残念ながら、そのような能力は備わっていない。
・・・ヨーロッパの活力は、常にその多元性から生じていた。フランス、ドイツ、イタリア、ポルトガルといった、それぞれ独自な国家同士が鎬を削っていたからこそ、ヨーロッパは活力に溢れていたのである。
・・・結論を射よう。ヨーロッパの将来は、財政要因や経済要因で決定されるものではない。それを決定するのは文化だ。ところが、ヨーロッパの人々は、もはや「イーリアス」を読んでいないのである。
・・・政治の混乱状態が続くと、たとえば、元大阪市長の橋下徹やドナルド・トランプのような現象が起こってくる。このような人物が登場してくる背景として、行政府と議会が相いれない状態にある、ということが言える。そして、国内政治の混乱故にこそ、アメリカの対外政策もマヒするのである。
・・・家康は、「戦略」にとって重要なことをすべて体現していた。それは、武田信玄の「風林火山」という言葉で示されるものとは、すべて正反対のものである。たとえば、林のように静かに動かしてはならない。外交によって「同盟」を築くためには、すべての人々と話をする必要があるからだ。「同盟」を形成するには常に語る必要があるし、時間がかかるのである。
・・・戦争は可能な限り避けよ。ただし、いかなる時にも戦争が始められるように行動せよ。・・戦争準備の最大の目的は、戦争開始を余儀なくされる確率を減らすことにある。・・敵の情報を心理面も含めて収集せよ。また、敵の行動を継続的に監視せよ。・・攻撃・防御両面で軍事活動を活発に行え。ただし戦闘、特に大規模な戦闘は、よほど有利な状況でない限り避けよ。・・武力行使を最小限に留めることは、説得に応じる可能性のある者を説得する助けになり、説得に応じない者を弱体化させる助けになる。・・消耗戦や他国の占領ではなく、機動(詭動)戦を実施せよ。電撃戦や奇襲で敵をかき乱し、素早く撤退せよ。目的は、敵を壊滅させることではない、なぜなら、彼らは、のちに我々の味方になるかもしれないからだ。・・同盟国を得て、勢力バランスをシフトさせ、戦争を成功裏に集結させられるように努めよ。・・もっとも有用な同盟国は、敵に最も近い国である。彼らは、その敵との戦い方を最も熟知しているからだ。・・政権転覆は、勝利への最も安上がりな方法だ。・・戦争が不可避となった場合には、敵の弱点を衝く手法と戦術を適用せよ。
・・・相手のメンタリティを理解できて初めてその行動が予測できる・・すべての敵は、潜在的な友である。現在の友も、潜在的な敵なのだ。・・正面からぶつかり合うような戦いは避けるべきなのである。なるべく詭動を使うべきであり、迅速な攻撃と撤退を繰り返すのだ。ここでの目的は、「敵の封じ込め」であり、「敵の破壊」ではない。
・・・戦争の目的の一つは、戦争が終わった時点で自らの立場を優位に置くことにある。だからこそ、外交が重要となるのであり、これは戦時のおいても変わらない。・・「常に狙うべきは『調略』である」ということだ。
・・・相手の弱みに徹底的につけこみ、敵が弱体化するまで忍耐強く待つべきである。
・・・「勝利に真に必要なのは、戦争での勝利ではなく、外交と調略である」という戦略的教訓
・・・「構内の政治体制が整うまで大統領の権限は大きく制限される」
・・・もし私が大統領顧問だったら、彼に何を提言するだろうか。その一つは、「プーチンを侮辱するのを止めて交渉する」ということだ。・・そのためには、まずNATOを「統一した勢力」として扱うのを止める必要がある。NATO加盟国の足並みをそろえて統一政策を実施するのは、無理があるからだ。
・・・「ウクライナの国土統一」は「アメリカの国益」ではない。ところが、「アメリカに協力的なプーチン」は、「アメリカの国益」である。私だったら、まずプーチンと交渉する。そして中国問題に集中するようにプーチンに持ち掛けるのだ。
・・・日本の立場は極めて特殊である。・・世界には200近くの国が存在するが、そのなかで、日本は大国以外でトップの位置を占めている。それゆえ、日本は、他の大国同士のバランスを常に気にせざるを得ない立場に置かれている。
・・・中国という国は、大国であるにもかかわらず、恒常化した不確実性のなかで運営されている。国内体制が、政治的、経済的に極めて不安定なのである。
・・・県局がホワイトハウスから連邦議会に移る、ということであり、行政の力が弱体化する、ということだ。習近平はいつでも失脚する可能性があり、アメリカ大統領の権力も弱まる。この二つの要因から、日本は、極めて奇妙な状況に置かれることになる。唯一安定した大国がロシアとなるからだ。
・・・個人的な見解だが、日本は、長年にわたって誤った国連対策を取り続けている。・・日本は、常任理事国入りの戦略として、「誰もよくしないプラン」を追求してきたのである。・・「6席もいりません。ブラジルやドイツはかんけいありません。われわれが欲しているのはたった1席です。これをインドと共同で得ることです。2,3年ごとに交代で日本とインドで席を分け合うのです。』こうなれば、インドはロシアから強い支持を得るだろう。日本もアメリカから強い支持を受けるはずだ。』

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