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2017年5月 5日 (金)

勝ちきる頭脳 (井山裕太著 幻冬舎)

私も下手ですが囲碁を趣味にしています。七冠保有の井山棋士の本著は、囲碁に限らず間違いなく人生に通ずるものを伝えてくれる内容でした。その考え方は、仏教と共通のものを含んでいると思います。弱冠20代でこの境地に達しているとは、本当に脱帽です。

『・・・「打ちたい手を打つ」という行為は、僕が自分に課している信念で、これを棋士人生の中でつらぬいてきたからこそ、今の僕があるのです。もし無難な手を優先したり、リスクを恐れて回避してばかりいたら、七冠はおろか、一つのタイトルも取れていなかったに違いありません。
・・・囲碁というゲームは、二〇〇手を超えて終盤を迎えた場面でも、たった一手のミスで優勢をフイにしてしまうことがあります。・・百問百答を繰り返した結果、「あとで後悔するような手だけは打たない。常に自分が納得できる手だけを打つ」という、自分に対する決め事のを作ったのでした。・・一手一手、目の前にある局面で最善を尽くすということです。・・着手をする際、「この後どんなことになっても、それを受け入れる」という覚悟を持つようにしました。これが「納得した手を打つ」ということ
・・・トップを争っている人たちは例外なく、そうした「形勢が悪い時の踏み込み」が抜群に鋭いわけです
・・・自分の打ちたい手、最善と思う手を選択することを貫いているうちに、見えてきたものがありました。それは「リスクがあっても、最善と思う手を選択している方が、勝ち切れることが多い、という事実です。
・・・やるのは本人ですが、その本人をやる気にさせたり、子供の特性に合わせて気持ち良く行動できる環境を用意することが、周囲の大人にとっては何より大事なことなのだと思います。
・・・囲碁の目的は「最終的に勝つこと」なので、自分が余裕をもって優勢な場合「正解」は複数あるということです。・・最も大きな差で勝てる手段のことを言い、勝利という最終結果は同じであっても、僅差で勝つよりは大差で勝つ方が「最善」というわけです。「正解」は複数存在しますが、「最善」は一つしかありません。
・・・そこでものを言うのが、譲歩であれ決行であれ、自分の選択しようとしている道が「本当に正しいのかどうか」の裏付けをとるための「読み」です。読みを入れてみて間違いないとなったら、それを実行する---囲碁というのは結局、この繰り返しをしていくよりほかないのではないでしょうか。
・・・大きな勝負であればあるほど、どうしても「安全な手を選びたい」という気持ちがわきがちなのですが、じつは勝負においてこの心理こそが最も危険である---このことを僕は過去の敗戦で学んできました。いつも平常心を保ち、自然体で碁盤に臨んでいれば、そこの勝負の大小という要素が入ってくる余地はありません。
・・・勝負の先行きに関しては楽観的に見て、現局面は悲観的に捉えるといったところでしょうか。
・・・「ヤマ勘」が明らかな当てずっぽうで根拠がない選択であるのに対し、「直観」には確実に根拠がある・・その根拠とは何か?人によって微妙に回答が変わるかもしれませんが、僕は「経験と流れ」だと答えます。
・・・日々の勉強で棋譜ならべがありますが、僕はこの時、ただ漠然と手順を追って並べるのではなく、割と意識的に「普通では気が付かないような別の選択肢はないか?」と探すことにしています。この訓練が、人が廃案とするような手を「直感」の班内に残しているのではないでしょうか。・・「直観」だけでは不利な形成を打開できないので、もうひと絞りして「ひらめき」にたどり着く---こうした思考順序だと思います。
・・・「読み」とは「先を見通す力」なのですが、この能力には当然ながら差があります。・・中国や韓国では、強い棋士を養成するために若いうちから、というより若い時だからこそ、読みの力を徹底的に鍛え上げます。読める局面、つまり正解が存在する局面で正解を出せることこそが、勝てる棋士を養成するにあたっての最重要課題だとみているからです。・・囲碁では「直観」が占める部分も大きいのですが、この分野はなかなか伸ばすことが困難でもあります。対して「読み」は鍛えれば鍛えるほど伸びる傾向が強いので、中国や韓国は、そうした鍛えられる部分を徹底した伸ばしていこうという方針なのです。・・「読み」に限って言えば、プロならそれほど大差はありません。皆、ある程度のところまでは等しく読むことができるのです。ただしそれには「時間がたっぷりあれば」という条件が付きます。・・囲碁において最も重要なのは、その「読み」によって導き出した無数の出来上がり図を、どう判断するかなのです。プロの間でも差が出るののは、この「判断」の部分であると言っていいでしょう。
・・・「序盤における直観は好みである」とも言えます。それに対し、石が混みあってくる中盤以降では、石の生死や地の計算といった要素が入ってくるので、はっきりとした正解手が存在する局面が増えてきます。
・・・でも人間ですから、ミスをするのは仕方がありません。ミスは出るものだとして構えておく必要があり、そのうえでどう対処するかが、勝負において非常に重要なテーマになってくるのです。・・目の前の局面を「どういう状況であっても、なるべく同じ心理状態で見る」ことが大切でしょう。ミスをした、しないは関係なく、今この局面での最善手は何かということだけに意識を向けるのです。・・ミスをしたことは分かっていても、何とかその手に意味を持たせたい、完全に見捨てたくはないという心理で「顔を立てたい」と思ってしまうのです。しかしこれは、傷口をさらに広げる結果となる可能性が大と言わざるを得ません。ミスと言っても大した損ではなかったのに、そのわずかな損を惜しんだあまり、一局の碁を失ってしまった---これはともよくあるケース
・・・棋士背後を勝負事としてだけではなく、作品として捉えている部分があります。人に見られて恥ずかしくない棋譜を残したいということです。
・・・棋譜はやっぱり、人を映す芸術作品なのです。自分らしい手や自分にしか打てない手を打つことが、今の僕の大きなモチベーションになっています。
・・・心技体とよく言いますが、まさにこれは三位一体---どんなに高い技術を身につけて心境が澄んでいようとも、身体が弱っていてはすべてが台無しになってしまうのです。
・・・棋士ならば誰もが、自分の打った碁を並べ直し、反省を行っているはずです。この復習なくして、成長はありません。・・中国や韓国の棋士が共同研究で生まれた結論を多用し、10代から早々に活躍する反面、30歳を超えると皆揃って衰退していくのは、この「情報に頼りきり」という一面があるからではないでしょうか。
・・・自分の対局手順を覚えていないということは「着手に必然性がなく、軽い気持ちで打っていた」ことになる
・・・囲碁で必要なのは、学業的な能力ではないのです。求められているのは、ある局面を見て「あ、以前に似た局面があったな」とか「こういう形の時は、ここが急所であることが多い」などと察知する能力---応用力とか適応力であり、刺激的な表現をすれば「嗅覚」と言ってもいいかもしれません。
・・・定石とはあくまでもマニュアルであり、それ以上でも以下でもありません。使い方次第で、薬にも毒にもなってしまうからです。・・「部分的な打ち方のマニュアル」に過ぎないのです。・・「定石通りの手を打つ」ことよりも「その定石が全局にマッチしているかどうか」という判断のほうが重要となってくるのです。・・簡単な定石でいいので、その一手ごとの意味を考えるようにしてみてください。
・・・負けた事実はもう消すことができないので、同じ失敗をしないよう、自分がさらに成長するしかありません。今より少しでも上に行きたい---この探求心があれば、いつまでも挫折しているわけにはいかないのです。
・・・今の中国・韓国の若い棋士の実戦量たるや、それは凄まじいものです。尋常ではない実戦の数をこなし、そのなかから自分で何かを得たり覚えたりして、強くなっていくスタイルなのです。
・・・90年代前半までは「日本のナンバーワン=世界のナンバーワン」で間違いありませんでした。しかし90年代後半にその座がやや怪しくなってきて、2000年代になるとついに韓国がナンバーワンに。そして10年代になる頃から中国も肉薄してきて、現在は「中国と韓国の2強」という情勢です。日本は残念ながら3番手と言わざるを得ません。・・日本には聖徳太子の時代に、仏教とともに伝来したことは確かなようです。その日本の囲碁が飛躍的な進歩を遂げたのが江戸時代でした。徳川幕府が囲碁(と将棋)を保護し、家元を作ったことで、技術的な研究が大いに進んだのです。・・日本碁界全体が油断したという一面はあるのでしょう。しかし、それ以上に「駐豪と韓国が国を挙げて強い棋士を育成し、日本に追いつき追い越した」と見るべきでしょう。・・僕が対戦していて特に感じるのは、読みであったり計算であったりと言った「答えの出る分野」での正確さが際立っているという点です。
・・・江戸時代に家元が作られてからたゆまぬ精進を続けてきた日本の囲碁は、そんなにヤワなものではないという思いもあります。日本の囲碁には独自の良さがあり、それを前面に押し出し精進していけば、再び中韓を抜き返すことも不可能ではないと考えているのです。では、その「日本の囲碁の良さ」とは何か?それはやっぱり「碁は自分一人の力で精進していくもの」という日本の伝統的な考え方ではないでしょうか。・・中国・韓国棋士の最大の強みは、安定した中盤から終盤の力です。この力は卓越した読みと計算の納涼によって支えられており、脳が素早く働く若さが原動力です。瞬発力と言ってもいいでしょう。だからこそスポーツ選手と同様、瞬発力に陰りが見え始めてくる30台になると、衰えてきてしまうのです。・・日本の棋士はこのように活躍の期間が長いのかと言えば、これは若いころに「自分で自分の碁を創り上げてきた」からでしょう。
・・・朴さんに限らず世界の超一流は、相手がひとたび守りに入ったら、徹底してそこに付け込んできて、最後には逆転を果たしてしまいます。
・・・僕が、若手のどこを見ているのかというと、公式戦でも練習碁でも、実際に対局していて「大事なところに石が来るかどうか」です。僕が「ここに打たれたら嫌だな」と思っていた所に打ってくるかどうかということですが、今は粗削りで結果が伴っていなくても「急所、急所!」に石がくる子は、やがて必ず頭角を現してきます。
・・・最後には結局「自分は囲碁というゲームを通して、井山雄太という人間を表現しているのだ」という考えに行き着くのです。・・羽生さんの真の偉大さは、七冠達成自体にあるのではなく、その後二〇年以上にわたって、今なおトップの座にあり続けているという事実にあると思っています。』

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