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2017年3月 1日 (水)

忍者の掟 (川上仁一著 角川新書)

初めて知ることも多く、いろいろと参考になりました。

『・・・印を結んでからストレスを負荷したときの脳波と、印を結ばずにストレスを負荷したときの脳波を調べ、比較した。結果は、印を結んだ時のほうが明らかにストレス耐性が高いということが示された。また、印を結ぶと初めの十分間ほどは集中力とリラックスの度合いが高まることが、脳波から分かった。
・・・伊賀流と甲賀流は二大忍術流派といわれ、両派は敵対関係にあったと思う人が多いのだが、実際には協力関係にあったことが多かったと考えられる。
・・・忍術とは、四季があり複雑な地形をした日本の国土や、人と自然を一体と考える日本独特の風土や文化・心性のなかで、長い時間をかけて醸成されてきたものである。武術のイメージが先行しがちだが、もっと広く、諜報、謀略、奇襲を行うための軍用技術だ。・・忍術はあくまでも日本の古典的な軍事手段として認識すべき・・
・・・なにごとにもじっと耐え忍び、心は鉄壁で動揺せず、内には残忍の意味合いを秘めながら、争いを避け、人々と和合していく心こそが、忍びの根本なのである。
・・・互いに腹の内を探り、談合をするなど、最小の力で相手を制する方法がとられ、できるだけ戦いを避けようとした。そのためには相手の弱点を探る情報収集、相手の戦力を低下させる調略・攪乱活動などが重要な意味を持つ。相手の状況を探って自己と力量を比較し、弱点を突くのが効果的な手段であり、お互いの人的、物質的な損失も少なくてすむからだ。
・・・「伊乱記」(天正伊賀の乱の戦記)には、伊賀の人々の日常生活の伝承が記されている。それによると、天正の中頃まで、人々は午前4時ころに起床して正午までは家業に精を出し、午後から日暮れまでは武芸、兵法の稽古をし、特に忍術の鍛錬を行っていたようだ。
・・・忍術装束の一つだと思われている覆面や黒足袋はじつは、当時の野良仕事の作業着だったのだ。
・・・忍術の道具にはふさわしくなく、合戦などで手裏剣が使われたことは、100%とまでは言わないまでも、まずありえない。もしあったとしたら記録にでてくるはずだが、そうした信頼のおける忍者の記録は今のところ見つかっていないのである。
・・・陰徳や謙譲は日本特有の美徳だ。忍者の精神は、その最たるものなのである。古来、「伊賀の忍者は石になる」とも言われた。また、忍術には「隠形之術」という敵から隠れる術があり、目立たぬよう身を隠し、叩かれても蹴られても突かれても微動だにしない。なにごとにもじっと耐え忍ぶ。忍者を象徴する技と称されるゆえんだ。「万川集海」には、恐れ、侮り、考えすぎは忍者の三病だとかかれている。恐れは臆病者が、侮りは慢心者が、考えすぎは頭の良い者が陥りやすいという。
・・・忍術の基本原理は、武術や兵法と同様に、「機を捉まえて間隙を衝く」ところにある。瞬時の判断と行動が肝要だ。武術ではこれを間合い、気合、拍子を表現する。
・・・人間は感情の生き物なので、相手の「七情(喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲)」や「五欲(食・色・物・風流・名誉)」を熟知しなければならない。五欲のうちの風流欲とは趣味のこと・・
・・・私は先代からそういうときには、あえて否定するなと言われた。「自分で『できる』というと嘘つきになるから、否定も肯定もせず、知らん顔してぼやかしておけ。そうすると、できるということで話は広まっていく。虚実転換之法の一つだ。」
・・・楊枝隠れ、扇子隠れ・・・つまようじや扇子を飛ばし、相手が気を取られているすきに姿を隠す。些細な事でも工夫して相手の注意を惹けば数寄を作り出せるという教訓的な意味合いもある。
・・・クレ染や藍染めは布が真っ黒に染まらず、夜に紛れて見えにくいのも都合がよかった。夜でも月や星があれば、真っ黒な衣装は光の加減でかえって目立ってしまうのだ。
・・・忍者修行は、心身の健全な発達を妨げないように、成長の段階に応じて徐々に厳しくなるよう工夫されている。また、誰もが学ぶのではなく、適性を選んで指導される。・・四〇歳を過ぎていくと衰えるため、能力を維持するのは至難なことである。老いは若い頃より始まるから、摂生して贅沢をしてはならない」 なお、丹波では忍者が担う役割も年齢に応じて異なっていたとされるが、伊賀、甲賀ではあまり意識されていなかったようである。
・・・心の鍛錬としては呼吸法が大事だ。呼吸により体内に気を充実させ、頑強な体力気力を養うことができる。・・正座し、吸う息を線香の煙のように細細と鼻より腹中に収め、いったん止めて、その気を全身に巡らせるよう意識する。吐くときも同様にして息を鼻より徐々に吐き出す。これを、音を出さないよう静かに行うのだ。
・・・神遊観は、特に寝る前に練習する。実際には動かないまま、布団から起き上がって戸を開け、一歩二歩三歩と外へ出ていき、最初は家の近くを歩いて戻ってくることをイメージする。徐々に距離を伸ばして遠いところまで行き、その間に見るものをイメージし、戻ってくる。
・・・単純な腹式呼吸よりもこの二重息吹をするほうが、臍下丹田(へその下一寸半のところ)に力がみなぎってくることを自覚するのが早くなる。二重息吹は鍛錬なので、修行の時しか行わない。
・・・伊賀流では、闇夜に目を慣らすために目の周りに墨や竜脳(清涼剤の一種)を塗った。目の周りを墨で黒くすると、すぐ目の周りの白っぽい皮膚反射がなくなり、目がよく利くとされ、竜脳は眠気覚ましの効果もあるとされた。
・・・韮や野蒜や葱など臭いの強い植物は、腹痛によく効く。私も、ちょっと下痢したくらいなら、韮や野蒜を食べればすぐに治った。
・・・けがを防ぐために躊躇せず飛び降り、着地では地面を転がり着地点を増やして衝撃を吸収するか、両手両足をついて着地の衝撃を分散させる。現代のスタントマンもやっていることだ。
・・・大道芸人は警戒されないので、忍者は奇法妙術を大勢の人前でやって興味を惹き、それで人心を誘導した。
・・・石田先生から、「体重は60キロを超えないように」と教えられた。体重が増えると動きが遅くなるし、必要以上に体が大きくなると、高所から飛び降りた時のダメージも大きくなるからだ。・・忍者の世界では、ハト麦をとると筋肉が閉まり、忍びの活動に駅があるといわれる。ハト麦は蛋白質、カルシウム、鉄分、ビタミンB群など栄養が豊富で、昔から滋養強壮に効果があるとされた。
・・・忍者の世界では「一器万用」が大事とされる。一つの技や道具を万に用いることで、「そのために日頃から本を読み、いろいろなことを学べ」と言われる。忍者というのは、「何でも屋」の部分も持つスペシャリストなのである。
・・・柔道や剣道を一つ習うだけでもたいへんなのに、こんなにたくさんの武術ができるようになるのかと、今の人は思うだろう。しかし、昔の武術は総合武術で共通の理屈の中に成り立っていたから、いくつかの武術の型を習得すれば、他の武術も比較的容易に会得できるようになるのだ。
・・・ふつう、川や池の中に隠れるときは、「水草を頭に載せて潜り、鼻だけ出していろ」と教えられる。これを「狐隠れ」という。狐は体臭が強いので、臭いを消すため水中に逃げる習性があるらしく、そこからついた名だ。私の経験では竹筒より狐隠れのほうが断然効果的だ。
・・・江戸時代前期に編まれた「軍法侍用集」には、荒唐無稽なものはなにもなく、夜討や松明など単純なものしか書かれていない。それが本当の忍術だと私は思う。
・・・「動物の肉はなるべく摂るな。肉食すると血が濁り、感覚が鈍る」と、私は石田先生から教えられた。
・・・忍術は、生存のための総合的な生活術であり、渡来人や帰化人のもたらした兵法のそまざまな技術、知識なども吸収しながら、日本独自の風土や心性、文化のなかで培われていった。単なる武術や戦略だけでなく、生存のための知識や実践の技術が、鍛錬により一体化し、職能として体系化された古典的軍用技術が忍術なのである。
・・・日本人はむやみに争わず、常に相手の心情を測りながら事に当たり、戦う際は効率よく、相互の損失を少なくしていく特質がある。
・・・大宝律令(701年)の軍防令では、この内容を詳細に想定している。それによると、烽火(のろし)は四十里ごとに置き、昼夜を分かたず様子を伺い、外敵の多寡により烽火の程度を区分。烽火の材料や作製法、定員まで事細かく規定している。・・のちには狼の糞を混ぜると煙がよくたつため、「狼煙」と書くようになり、火薬が伝来すると、より効率的に煙を上げる各種の狼煙が工夫された。
・・・役小角は、古代よりの山岳信仰を中心に据え、雑蜜(密教)と融合した、道教の要素を含む日本独自の神仏不二の宗教、修験道を開いた。修験道は、山岳修行を旨とし、国内の霊山や里を跋渉する修験者(山伏)は呪術を行い、医療知識、観天望気(空の状況を観察し、天気を予測すること)の術、武術などを身に付け、相互の情報網も構築していた。
・・・【忍術心がけの条々】 ・武士の役のこと多しと云へども、忍の役は万人の上の闕目、(かけめ)油断を見付て気を付け、誤りの無きように心を附ける役なり。 ・昼、人中を通り歩行候とも、我が心を帯したへ下し、気を強く張り、他の右の拳に目を付け通るべき事。
・夜は窃盗強盗類、火事類不慮の事あるべしと、不断心がけるべきこと。 ・平人と違い候上は、天下静まって国に居り候とも、明朝にもふと旅立ち、他国へ行くべしと心得て、万事旅用意絶やす間敷きこと。 ・金銀類路銭と心得、不断の着物、家の道具以下も、成程粗相に致し、明日にも軍陣と申すときは、上に一重羽織、大小と草鞋、股引、上帯、下帯、死場の晴れ道具を用意仕り、嗜み申すべき事。
・・・一揆とは、契約を取り交わして統一行動をとる地域連合体の事である。
・・・楠木氏や南朝方は吉野を本拠とし、吉野や熊野の山伏を味方にして戦った。奈良から伊賀、甲賀を経て連なる修験の道を通じて情報を伝達しながら、独自の戦法や戦略も研鑽されて、編まれていったことだろう。・・南北朝の戦いを記す「太平記」は、1300年代に成立したとされる軍記だ。初めて「忍び」の語が用いられたのは、まさにこの書で忍びの行動も載っている。
・・・「淡海温故録」などによれば、甲賀、伊賀の忍びが有名になったのは、長享元年(1487)年に起きた鈎の陣からだという。鈎の陣は、足利幕府が、荘園や幕臣領を横領する近江守護佐々木六角氏をを誅伐する戦いだったが、佐々木側に味方した甲賀、伊賀の武士が神妙奇異の働きをし、国中の者がそれを見聞したため、一躍其の名が高まったとされる。
・・・伊賀、甲賀では、当時の忍びの諸家に伝わった技術を集大成し、万の川の水が海に集まるようにと「万川集海」と名付けて整理された。「万川集海」には、それまでの術ぎが「忍びの者の百科事典」ともいえるほど驚くべき規模で網羅されている。
忍び働きをする際には、敵地に潜入する前に、「視・観・察」で相手の全体像を把握し、状況を判断していた。視は部分的に細やかに分析すること。観は、全貌を大局的に判断すること。察は、現れた現象の深層を探ることだ。
忍びの調略術は、本質的な人間の心の弱さを突いて攻撃し、情報を主とした大切なものを奪い取る術だ。
・・・相手に信頼させながら自分の心を読まれにくくする。・・・相手の眉間の辺りを見る。相手は真剣に目を見られているように思って信頼してくれるが、こちらは目を見ているわけではなく、目の辺りを見ているので、心を読まれにくくなる。
・・・二星之目付は、相手と戦うときに、二つの目(二星)で相手の肩か手を見ることだ。よく、武術では相手の目を見ることが肝心と言われれるが、目を見ると相手にこちらの動きを読まれる可能性があるし、足元をけられそうになっても気づきにくいので、相手の手や肩に目をつけておくのがよい。これが二星之目付で、武術の極意書にも書かれている。
・・・地震の時の対処・・・忍者の心得の一つに「外を歩くときは建物の際を歩け」がある。建物から少し離れて歩くより、すぐ際を歩くほうが敵に囲まれにくく、上から物を落とされた時にも有効だからだ。
・・・火や煙への対処・・・身を低くして伏せ、濡らした布で口を覆うのが昔からの基本だ。
・・・火を起こすときに一番重要なのは火口(ほくち)だ。火打石で打ち出した火を移し取るもので、昔はそれにフーフー息を吹きかけてから行燈などに火をつけていた。火口がないと、薪などに火はつけられない。忍者は火口を前々から準備し、打竹などに入れて欠かさず持ち歩き、それを火種にしていた。火口としては麻の黒焼きがよく、そこに硝石を混ぜておくと、なおよい。
・・・雨合羽の代わりにポリ袋を地面に置いておけば、表面に水滴が溜まってくる。水の無いところではわずかな水滴があるだけでもありがたい。
・・・町中で馬が暴れているところに卜伝がやってきたので、人々は卜伝がどうするかと思いみていたところ、避けて遠回りしていったという話もある。名人はそうやって用心し、危険な場所には近づかない、という心得を示す話だ。
・・・手足の指を動かす・・・忍者修行では、敵を捉まえたり、塀によじ登ったりするための鍛錬として行う。
・・・質素倹約の健康生活法・・・贅沢をせず、満腹になるまで飲み食いしない。飽食の時代には難しいかもしれないが、これを日常生活で意識するだけで健康増進ができると私は思っている。・・必要最小限のもので済ませる生活を普段から癖にしておこう。さらに、健康に支障がない程度の断食を経験しておけば、数日間何も食べられなくなったしても、心に余裕が持てるはずだ。』

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