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2016年7月

2016年7月22日 (金)

巨人への遺言 プロ野球生き残りの道 (広岡達朗著 幻冬舎)

私が成人する前に有名な監督でした。まだご健在とは意外でしたが、参考になることが多々ありました。

『私が新監督の言動を見て不満なのは、就任にあたって「私はこういう野球をしたい。そのためにはこういうチームを、こうして作る」という独自のビジョンが見えないことだ。
・・野球の勝敗は70%が投手で決まるというから、監督に最適なのは捕手出身だろう。次が、試合展開に密接にかかわる内野手で、外野手は捕手からも監督の椅子からも一番遠い。
・・私にもヤクルトで経験があるが、新監督は慣れるまでは大変なことが多い。まず試合が始まると、すべての責任は監督にある。攻撃の時は、一球一球、瞬時に戦況を判断し、「盗塁、バント、ヒットエンドラン、待て、ディスボール(このボールで作戦実行)」など、さまざまなサインを出さなければならない。
・・DeNAが前半快進撃した理由はいろいろあるが、新加入・ロペスのバットと堅実なプレーが若いナインを刺激し、爆発させたと私は見ている。
・・弱小球団の監督は、巨人時代にはなかった苦労をする代わりに、選手を育てるという貴重な経験と勉強をすることができる。巨人だけで野球人生を終えるより、弱いチームで選手を育て、再生させることができれば、原はこれまで以上の名監督になれるだろう。・・弱小球団には、巨人のような贅沢な選手層はないのだ。つまり弱いチームを再建するには、試合の指揮を執るだけでなく、汗にまみれて選手を育てるしかないのである。
・・清原の扱いにてこずり、将来を心配したコーチたちが森昌彦監督に「一度、社会常識などを厳しく教え込むべきではないか」と進言したが、森はこれを無視して放任したという。
・・監督は若い選手を実家の親から預かっている。野球の技術を教えるだけでなく、社会人として立派に育てる責任がある。・・西武や巨人の監督・首脳陣がまっとうな式と教育をしていたら、清原もいま、こんなことにはならなかったかもしれない。
・・王や秋山が鍛え上げたV2ホークスを、工藤がいかに工藤らしく進化させるか。勝より守り、さらに強くさせることのほうがいかに難しいか。工藤はこれから、監督としての本当の試練を受けることになる。
・・私はなんでも大リーグの猿真似をする風潮には大反対だが、日本のプロ野球があらゆる面でメジャーリーグに及ばない現実も知っている。
・・勝てば忘れられるミスも、負ければ監督の責任が問われる。勝負は厳しく、監督とはそういうものだ。
・・日本はいつからこんな無責任社会になったのだろうか。日本人は責任の取り方を知らない。責任は組織のトップがとるものだ。
・・楽天については、シーズン中から「三木谷浩史オーナーが現場に口を出しすぎる」という批判が上がっていた。・・信じがたい話だが、三木谷オーナーは新聞のインタビューで現場介入について否定せず「フロントと現場の一体化、協調ですね」と一蹴した。・・これはオーナーとフロントと現場のあるべき関係を理解していないワンマン経営である。
・・プロ野球では結果を出すには手順というものがある。手順とは、まずドラフトで獲得した新人選手をしっかり育てるということだ。これには年単位の時間がかかるが、チームの将来を担う新人を育てる能力と根気のあるコーチがいるのか。こうしたチーム強化の手順を無視して短期間の勝利だけを求めても結果がでるものではない。
・・最近おかしいな、と思うのは、指揮官の側近で右腕であるはずのヘッドコーチをコロコロ代えるチームがあることだ。・・ヘッドコーチにも問題がある。彼らは監督の補佐役としての責任と任務を果たしているのか。つまり、チームを統括する責任者として監督や球団にいうべきことを言っているかということだ。
・・監督はクリンナップ、とりわけ主軸の4番はよほどのことがない限り代えない覚悟が必要だ。コロコロ代えるのは、本人のやる気とチームの士気にも悪い影響を与えるからだ。・・つまり、監督は4番のプライドを大事にしなければならないということだ。
・・私は監督として野球を教えるのが仕事だが、同時に選手の親から子供を預かっている。その大事な子供たちには、本業の野球だけでなく、社会人としてどこに出ても恥ずかしくない常識を身につけさせなければならないと考えている。
・・1960年(昭和35年)の水原監督時代、新人の堀本律男が投手陣の不調と駒不足をカバーして69試合に登板し、29勝18敗の大活躍をした。もちろん新人王の栄冠を手にしたが、この投げすぎがたたって間もなく肩を壊し、4年目に大毎オリオンズに移籍して1965年(昭和40年)に引退した。投手寿命は6年だった。・・現役時代、酷使による名投手たちの悲劇を目の当たりにした私は、「監督やチームのエゴで選手を殺してはいけない。能力のある選手を1年でも長く活躍させるのが監督の責任だ」と考えていた。それには一人や二人の突出した投手に頼るのではなく、長いシーズンを見通した投手陣の整備と起用が必要なのだ。
・・ドラフトで獲った選手を、次代のために育てるのはコーチの役目だ。それが育たなくて、巨人のようにあわてて40歳を目の前にしたベテラン捕手をフリーエージェント(FA)で獲ってくるこれでは、金の卵を孵化させられなったコーチの責任といわれても仕方がない。・・与えられた金の卵を試合で使うだけでなく、「辛抱しろよ。俺が言うことを信じて3年我慢すれば、きっと試合に出られるようにしてやるからな」と自信をもって指導すれば、未熟な選手でも必ず成長する。選手にこう宣言できる自信と熱意のあるコーチがどれだけいるだろうか。監督の傘の下にすがって暮らすイエスマンコーチはいらない。
・・技術を教えるときは、「こうしなさい」「こうすればうまくなるよ」という「How to do」を教えてやらなければ選手は育たない。
・・これはどのチームにもいえることだが、じっと黙っているのがいいコーチだという傾向が強いように見える。巨人などは「巨人のコーチ」という名前がほしい、ステータスがほしい、というコーチが多いように見えてならない。・・監督がこーり人を気心の知れたOBで固めるメリットは否定しないが、反面、なあなあ主義の身内意識によって緊張感を欠くこともある。コーチは適材適所、能力主義で編成すべきだ。
・・チームの現状と補強については、メジャーリーグでも、GMと監督が毎試合のように現状分析をし、強化方針を話し合う。監督の意思や方針を無視してGMが独断でトレードを進めることはありえないが、それでも補強が失敗したら真っ先にGMが責任を問われるのである。
・・メジャーには若くて有能なGMが多い。彼らは選手経験はなくても若いころから野球のこと、球団経営、スポーツビジネスのことをよく勉強している。GMの世界とはこういうものだということをよく勉強し、認識して満を持してGMになる。・・日本人はなんでもまねるだけ。GM制度も一部の球団で取り入れているが、GMも代表も役割分担があいまいだから、問題が起こった時の責任のとりかたもあいまいなのだ。つまり、GMの本質が分かっていない。
・・人間には生まれながらの自然治癒力がある。若い時は体力と自然治癒力があるからどんな無茶をしても大丈夫。少々のことでは病気にならないし、怪我をしても開発は早い。だが、40代、50代になると基礎体力が落ち、自然治癒力が衰えてもあちこちに異常が現れるのだ。・・激しい運動と瞬発力を要求される野球選手は自然治癒力の衰えが早く、30台で技術・体力の低下が始まる。
・・指導は点ではなく、長い線でなければならない。つまり教えるほうにも選手にも、根気と長い時間が必要なのだ。私が広島やヤクルトや西部で教えてきたのは、高度なファインプレーではなく、ひたすら基本プレーだった。天才集団であるプロ野球の選手に、「なぜこうしなければいけないのか」「どうすればうまくなれるか」を理解できるまで説明し、根気よく練習させた。教えるとは、そういうことだと私は思う。
・・圧倒的なスピードはなくても、(左打者の)外角低めに速球が投げられれば大リーグでも20勝できるのだ。
・・目をつぶって振らせる効果は、重心が下に来ること。重心をへその下に下げないと、バットなんか振れないからだ。つまり重心は下でないと倒れる。
・・藤平(とうへい)先生は「心身統一合氣道」の創始者で、何事も心と体が一つになる「心身統一」が必要と説いている。心身統一合氣道は「心が体を動かす」と説く中村天風理論を手にしており、「①臍下の一点に心をしずめて統一する ②全身の力を統一する ③体のすべての部分の重みをその最下部に置く ④気を出す」を4大原則にしている。
・・私はヤクルト時代から付き合いがある整体の専門家から「筋肉には太くて短い筋肉と細くて長い筋肉がある。力士やレスラーなど、力が強いほどいいスポーツには太くて短い筋肉が必要だが、野球選手に必要なのは長くて柔らかい筋肉だ」と教えられたことがある。
・・三遊間の厳しいゴロでもできるだけ正面に回り込もうとすれば、自然に守備範囲も広くなる。それでも間に合わないときは逆シングルで止めるのも仕方がないが、最近の選手は、正面で捕れる球でも安易に逆シングルで捕ろうとし、失敗してエラーになるケースが多い。こういう安易なプレーを繰り返していると、守備範囲は知らないうちに狭くなり、補給の技術も低下する。・・コーチは日頃からしっかり指導し、正しいプレーを教えないと選手のためにならない。・・アマチュア選手や子供たちはなんでもプロのまねをする。プロ野球は正しいプレーを見せる責任があることを忘れてはならない。
・・後輩の斎藤佑樹(日本ハム)も早稲田時代に31勝を挙げているが、ほとんどは快速球クローザーの大石達也(西武)が終盤をきっちり抑えたおかげである。完投できないエースの斎藤も、終盤の2,3回しか投げなかった大石も、プロ入り後は5年たってもパッとしない。分業制に甘えて大学時代の投げ込み、はしりこみが足りなかった報いというほかない。
・・デッドボールや自打球が痛いのは、大リーガーだって同じなのだ。それでもできるだけ痛そうな顔をしないのは、負傷で欠場したらすぐライバルにポジションを奪われることを知っている闘争本能と、「ファンに弱弱しい姿を見せたくない」という、メジャーリーガーのプライドである。痛いのを隠してやるのがプロであり・・
・・選手に教えたことが試合ですぐできると思ったら大間違いですよ。選手は頭で理解しただけで、それを試合で実行するには、教えたことを時間をかけて練習して、体に覚えこませなければならない。教えたことを今シーズンできなくても、根気よく続けてやらせなさい。そうすれば、来シーズンかその次のシーズンには勝てるようになるでしょう
・・私は、このいまわしい事件が発覚する前から、一部のコーチに「いいか、平時こそどんな不祥事が起きるかわからんのだから気をつけろよ。常に選手の動向に目を光らせ、おかしな点があったら、悪事に手を染めないように指導してやれ。」と忠告していた。
・・かつて警視庁にいた平塚八兵衛(故人)という名刑事がいた。私の知人の新聞記者によると、「落としの八兵衛」といわれた彼は生前「ホシ(容疑者)は命がけで嘘をついている。自白したら死刑になるんだから当然だ。そんな凶悪犯に真実を吐かせようと思ったら、こちとらだって命がけで証拠を集めて真剣勝負をしなくちゃいけねえ」と語っていたという。
・・私の経験から言えば、指導者は選手に技術を教えるだけでなく、試合中も試合後も、そのプレーや行動に不自然なところがないか目を配る必要がある。・・選手がおぞましい事件に巻き込まれていないか気を配り、不審な行動があったら即、ひざ詰めで話し合って八百長や野球賭博に手を染めないよう未然に防げということだ。
・・メジャーには「リーグの共存共栄のため、戦力の均衡アップを図る」という明確な哲学とビジョンがある。自分のチームの利益しか考えない日本のくじ引きドラフトはお笑いだ。
・・私はこれまで、コーチ・監督として「指導とは何か」を追求してきた。その結果、「指導は点ではなく、継続」であることを体感した。教えるとは頭で覚えさせるのではなく、体で覚えさせること。そのためには、長い時間と、指導者の根気と選手のやる気が不可欠である。・・長い間、野球の現場を見て痛感するのは、日本の野球には「教育とは何か」の視点がないことである。
・・私に言わせれば、選手を育て、与えられた戦力で試合に勝つのが名監督だ。』

2016年7月 3日 (日)

熊撃ち (吉村昭著 筑摩eブックス)

以前にアップした「熊嵐」が生まれるきっかけとなった短編集です。熊撃ち猟師の厳しい猟の様子、羆の恐ろしさを改めて思い知ることができました。同時に、そのような恐ろしく、憎らしい熊も、命を持った生き物なのだと感じました。

『羆をしとめる折りの条件は、千差万別で同一のものはない。気に臨んでそれに応ずる勘と決断力を持たなければ、羆をたおすことはできない。
・・用心深い熊は一度身を憩わせた場所には再び近づかない。そうした習性を知っている朝次郎は、ためらうことなくその場へ歩み寄っていった。
・・熊は、驚くほど賢い動物で、人間の頭脳をうわまわる知恵をはたらせて自らの棲家を猟師の目からかくそうとする。
・・雄は、母熊から乳離れすると常に単独で行動する。
・・熊は、穴の中で冬ごもりしているとは言っても絶えず穴の中で動いている。羆の穴は、あぐらをかいて坐っても天井まで30cmほどの余裕があり、そこには熊笹が厚く敷かれている。熊はその中でかなり動き回るらしく、穴の中で仕留めた熊の体毛は、普通15,6cmも長いのに2cmほどにすりきれている。穴の中には埃が積もり、熊は冬の間も時折穴から外に出るらしく、穴の周囲は中から排出される塵埃で黒く汚れているのが常だ。
・・ただ一つ与三吉は、父から厳重に言われて守っていることがあった。それは、山中で天候の変化にあったときに決して動いてはならぬということであった。「山というものは、天候が良い時に歩くことができる場所だ。もしも天候が悪化したら、山は人間の歩ける場所ではなくなる。さからわずに動かぬようにするのだ」と父は言った。
・・熊は、人間の子供がするような遊びを楽しんでいた。高いところへ登っていっては、尻をつけて雪の斜面をすべり下り、また斜面を登るとすべり下りる。そうしたことを飽きることなく繰り返していた。
・・かれは、ライフルというものがあまり好きではなかった。速射には効力があるが、近い距離で発射するとその射出力が強いため弾丸は羆の体を貫通し、死にまでは至らせない。つまり羆を危険な手負い熊にさせてしまうおそれがある。
・・かれの結論は、羆は動物中最も賢くそして獰猛な野獣だということだった。羆は人に追われていることを知ると、樹木と蔓のからみあった場所や人間の歩くことの困難な傾斜を選んで歩き、機をみて人を襲ってくる。樹木の上でネグラを作り休息をつくっている羆をみたこともある。
・・羆は、人間や家畜を餌としてねらうが共食いも激しいようだった。・・また雌争いに勝った羆が、相手の雄羆と同時に雌羆さえも殺して食べてしまった光景を見たこともある。羆は、生きているものならなんでも食う肉食獣なのだ。
・・熊は、用心深い動物だ。人の声がすれば、身の危険を感じていち早く逃げる。熊が人間に危害をあたえるのは、突然出逢った時で熊はその鋭い爪で人間の体を引き裂く。しかし、それも熊の恐怖心がそうした行為をとらせるだけのことで、本質的には人を恐れている。
・・熊を倒すのには、熊の習性をよく知った者のみでやらねばならない。余りにも素人が多かったことが、二人の男に傷を負わせることになったのだ、と思った。人々は、熊が三十貫もある大熊だと口々に言い合っていた。
・・その話を聞いた熊撃ちの名手小山田菊次郎だけは、政一の話は事実にちがいない、と言った。羆はたしかに獰猛な野獣ではあるが、その反面臆病な性格をもっているともいう。小山田の話によると、銃声におどろいて糞をたれ流しながら逃げていった大きな羆がいたという。
・・「羆だって必死だ。必死なものを斃すのにはこちらもそれだけの心構えがいる。熊とりにゆく時は、銃も弾丸も点検するのが常識だ。政一もおれの息子も点検を怠った」と、低い声で言った。
・・熊撃ちには豊かな知識と経験が必要で、一人前の熊撃ちになるためには謙虚な気持ちで先輩の猟師から教えてもらうことが先決である。
・・山には土、岩、植物があるだけではなく、多くの動物たちが山とともに生きていることも強く感じるようになった。羆は、山という大自然の懐に抱かれ棲息して耕平も自分が山と密接な関係を持ち始めていることを意識した。
・・ころげまわるのは上機嫌な折りにみせる羆の習性で、羆は満腹感にひたっているのだろ。
・・羆と一度も対決したことのない俊一にそのような役割を課すことはできない。息子の仇を討ちたいという強い願いを持ってはいるが、羆は、猪や狸と本質的に異なった獰猛な野獣なのだ。
・・その時、かれは、ふいに絶叫を耳にした。それは、激しい恐怖にかられた人間の叫び声であった。かえrは、岩陰から俊一が走り出すのをみた。俊一は、林の中に叫び声をあげながら駆け込んでゆく。
・・熊撃ちの猟師の中には誇張した話をする人が多いらしいが、私が会った人たちの中には、そのような人はいなかった。必要以上に自らを律すること厳しく、自慢話などはしない。それがいかにも猟師らしく、その人たちと会った後の気分は爽快だった。
・・羆は月の輪熊とは比較にならぬほど大きく、5百キロを越すものさえある。襲われた数頭の牛の写真を見たことがあるが、最初に牛の頭を殴って殺したらしく、牛の首が一様に直角に折れ曲がっているのを眼にし、その力が強大であることを知った。内地の人間には、熊は愛らしく思えるのだろうが、熊は恐ろしい猛獣なのだ。』

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