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2016年5月

2016年5月25日 (水)

武士道の逆襲 (菅野覚明著 講談社現代新書)

これまで「武士道」について疑問に感じていたことを明らかにしてくれました。ただし、軍人勅諭などについての考察はかなり浅いと感じました。

『はっきりいえば、今日流布している武士道論の大半は、明治武士道の断片や焼き直しである。それらは、武士の武士らしさを追究した本来の武士道とは異なり、国家や国民性(明治武士道では、しばしば、「武士道」と「大和魂」が同一視される)を問うところの、近代思想の一つなのである。

・・用例数だけから見れば、「武士道」は明治時代の言葉なのである。その点からすれば、「武士道」は、明治人が「武士」の名を借りて作った新しい日本精神主義のことであって、近代以前の武士たち自身の思想とは関係がない、と言う言い方も一応は成り立つであろう。

・・「武士道」と言う言葉が使われ始めるのは、およそ江戸j代の初めころのことである。

・・武士道ももちろん、ある種の道徳を含み持っている。だがそれは、一般人の道徳とは大きく異なる道徳である。平和の民にはおよそ想像を超えた異様な道徳。それが、武士道の道徳なのである。

・・戦国乱世の戦闘者の思想「武士道」に対して、太平の世が新たに生み出した武士の思想。それが、儒教的な「士道」なのである。

・・「死狂ひ」とは、戦国乱世の戦闘者の精神そのものであり、常朝が理想と仰ぐ鍋島歴代最強の主君、鍋島直茂のお墨付きの言葉である。

・・鎌倉の材木座海岸から、新田義貞軍と鎌倉幕府軍の戦いの戦死者と考えられる、多数の人骨が発掘されたのは、有名な話である。そうして、そのうち、相当数の図外国に顔の皮を剥いだ際にできたとみられる削り傷があったという。山本博文はこれを、「敗戦の中で大将の首を敵に確認させないため、従者が自害した主人の顔の皮を全て剥いだ」ものと推定している。

・・その発生以来、徳川の泰平に至る五百年以上の間、武士なるものの基本イメージは、とにもかくにも、「鬼のやうなる」ものであったといってよい。

・・武士道の根源は、本当の実力とは何かという問いになる。自己の実力だけが、自分の存在をささえる武士の世界にあっては、この問いはまさに自己の生命を懸けた問いであった。

・・求めているのは説明ではなく、事実である。説明に命はあずけられぬ。自らと一族の存亡を懸けられるのは、ただ一つ、事実だけだ。これが、「長武者」の思想であり、さらには武士道全般の判断基準でもある。

・・武士の実力とは何か。それは、自己の持っているものすべての力である。腕力、武芸はいうのおよばず、知識、才覚、身体能力、財産、家族、肩書はじめ、容貌、性格、気質から、はては運勢まで、およそ自分に属するあらゆるものが、他を制する力として使われるならば、それこそがその人の実力である。要するに、自分のすべてを力に換算したものを、実力と呼ぶのだ。

・・自分の身や妻子にひきずられては、おくれをとってしまう。物を恐れぬというのは、身を思わず妻子を思わないことをいうのだ。

・・武士の世界のバランスは、過不及を削った適度としての中庸のことではなく、一人の文物が過激な両極端を矛盾なく体現するところの中庸なのである。両極端を足して二で割った常識ではなく、両極端をそのまま包み込む、いわば両極端を超えたところにある常識なのだ。

・・合戦の場では、どんなに大事なこと、複雑なことでも端的に口頭で伝達せねばならない。いちいち公式文書をつくったり、解説をつけたりしている場合ではない。あいまいなこと、裏表のはっきりしないこと(「うろんたる事」は、武士の武士たることが最終的に試される合戦の場では一切通用しない。

・・武辺・情け・慈悲は、いわゆる徳川家の三引付(家憲)とよばれるものであるが、この「御代々の引付、三つの物」が一つでも欠ければ、お家は成り立たないと忠教はいう。

・・「現在の名利」に生きた武士たちは、自己を貫き通すため、自己の所領や妻子を守るため、あるいはこの私がこの人と頼んだ主君のために、戦い、死んでいった。しかし、士道論の立場は、こういういわば「私の義理」(荻生徂徠「政談」巻之四)に死ぬことを正当なものとは認めない。武士の刀は、人の道を正し、守るためのものであって討ち死にもまた道のため、公のために死ぬことでなければならないのだ。武士は、正義・不義を正し分かつ存在であり(義)、主従関係は上下秩序の道徳(忠)である。武士の刀は、武辺ではなく、一つの徳目(勇)なのだ。

・・今日なお一般に広く流布している、「義のために死ぬ」武士のイメージは、むしろ「孟子」の大丈夫のような儒教的求道者のそれなのであり、余五将軍平維茂や大久保彦左衛門忠教に本来の姿をみる本書の武士道イメージとは相当なずれがあると言わざるを得ない。

・・黙々と主君をとりつつっみ、ことあればさりげなく前へ出て討ち死にする。あるいは、主君の何気ない一言を聞いて腹を切る。為政者・役人としての武士像とは対極にあるこうした家来こそが、戦国乱世の「頼もしき家来」の流れをくむものなのである。

・・根本は、あくまでも「人斬らんと」するところにある。よく磨き立てて刃をつけ、いつでも抜けるようにしておくこと。これが「脇指心」の基本である。しかし、その人を切る心構えは、通常は表に出してはいけないと弾正は言う。重く冷たい刃、すなわち人を切るという意志はさやのうちに隠されていなければならないというのである。

・・日頃公儀などをいくら無難に務めていようとも、「即座の働」ができなければ何の意味もない。生きて恥をさらすよりは、腹を切るほうがまだましだ。これというのも、「武士とは何としたるものやら、夢にも存せず、うかうかと日を暮らし罰と云物」だと常朝はいう。

・・命を捨てるというのは、死地に向かって積極的に踏み込んでいけるように、自らの心身を習慣づけておくことなのだ。常朝の考えは、そういうことである。

・・心身のあらゆる能力が武器として働く合戦においては、言葉もまた第一義的にはぶきでなくてはならない。戦闘者たる武士の言葉に求められるのは、したがって、何よりもまず武器としての威力であり精度であった。たとえば、言葉は簡潔・明瞭に、かつ大きな声で発せられねばならない。合戦の場では命令はすべて口頭で発せられる。だから、武士の物言いは、普段から「少しもうろんたる事」がないようにせねばならない。一発で決まる要を得た文句は、それ自体優れた武勇である。

・・一生とは、ある意味で些事の連続である。人の一生が重いものであるとすれば、それは些事の積み重なった重みであろう。・・死の覚悟とは、そこであらわになる些事の重さを先取りすることである。そして、死の覚悟によって先取りされた些事の重さを、生きている今ここの一瞬一瞬の立ち居振る舞いにおいて意識的に感じ取れること。それこそが、「武士のたしなみ」と呼ばれるものに他ならないのである。』

2016年5月 9日 (月)

人斬り半次郎 賊将篇 (池波正太郎 角川書店)

明治政府の苦労と欠陥の一端を知ることができました。また、人の上に立つ者の「器」というものを強く感じました。

『この時代に、聖者のような純白な心で世の平和を願い続けていたのは、あるいは、孝明天皇と将軍・家茂の二人だけであったかも知れない。
・・なるほど、いつの時代にも、革命前夜の闘争には血が流れる。これは古今を問わず、東洋西洋の区別なしに、そうなのだ。そうして、革命の後には、腕力で働いたものにかわって頭脳で働いたものが中央へ押し出される。
・・幕府方も、これには一言もなく、翌年から朝廷の経費を増やしたという。このうらみは、天皇よりも公卿たちがわすれていない。井伊大老のころまでは、幕府も朝廷もなめてかかっていたことは事実である。・・「このたびの、幕府へ対する長州や薩摩のうらみというものは、二百何十年もの間、くすぶりつづけておるのじゃ」と、西郷はいう。「ことに、長州藩のうらみは、すさまじいものじゃ」・・幕末となってから長州の勤王志士たちは、他の志士たちに比べてもっとも多く、幕府の弾圧を受けて死んでいる。「うらみ」はさらに燃え上がり続けた。
・・西郷の遺訓の一つに、次のようなのがある。 一 万民の上に位する者、おのれを慎み、品行を正しくし、驕奢(おごり)をいましめ、節倹をつとめ、職事に勤労して、人民の標準となり、下民、その勤労を気の毒に思うようならでは、政令は行われがたし。
・・お秀は、かたわらのランプを指し、「こないな便利なものはでけても、人のすることに変わりないものや」
・・桐野どん。談判をひらくちゅうのは戦争などせぬためにやるのじゃ。下らぬことを言いふらしてもろては、西郷な、困りもす」桐野が取り付く島もないほどに不機嫌であった。
・・官位は政治家にとって必要なものであるから、それだけでよい。月給なぞは、一汁一菜の飯と身にまとう軍服さえかなうことができれば、それで充分である・・・・と、西郷は、いつも思う。・・新時代というものは、その新時代が内蔵するエネルギーによって、動かされる。人は、そのあとからついていくのである。
・・ここまで手をつくした上で、なおも、わが言をいれずして無礼をはたらき、もしも、わが全権使節を害することでもあれば、公然、その罪を万国に問うて、これを討てばよいと思もす」
・・「西郷、ボタンが外れておる」天皇は、西郷の下半身を指されて、「妙なものが見える。気を付けよ」と言われた。さすがに、この時の西郷は、真っ赤になった。ズボンのボタンが全部外れていて、下帯からはみ出した巨大な一物の一部が見えたというのだ。諸官一同、思わず吹き出してしまったらしい。宮中における御前会議も、明治初年のころは、こうした雰囲気があったのである。
・・台湾は、清国に属している。だが、台湾には土着の蛮人がいて、これが台湾へ入った日本人に危害を加えること、しばしばであった。「我が国は、すみやかに台湾の罪を問わんと思うが、なれど蛮人住居の地と貴国が統治せる地域とは相接しており、万一、いささかなりとも、貴国との摩擦がおきては困る。何とかしていただきたい」との言葉に、「朝鮮も、台湾の蛮族も、すべてわが清国とは関係のないものである」と、清国政府は相談に応じない。
・・全国士族の一割ほどが新政府へ「仕官」できただけだ。他の九割は、農民になったり不慣れな商売をはじめたり、散々な目にあっていたし、ことに旧幕臣たちは、よほどにうまく立ち回らぬ限り惨憺たるもので、旧旗本の娘たちが、廓に売られたり、夜の町で男の袖をひいたりすることは、もう当然のことで・・
・・権力というものは自然に備わってゆくもので、無理につくりあげるものではない。むかしの大名や武士の権力をうばいとっても、それにかわった新政府の権力が不自然なものとなってしまっては、維新の革命なぞ、してもしなくても同じことである。これが、西郷の信念だ。・・西郷は理想家であり、詩人であり、そうして教育家であったといえよう。むろん軍人でもない。
・・「機を逸しては、どうにもならぬ。今こそ正々堂々、朝鮮へ対して談判ができる時なのじゃ。世界の誰の目が見ても、我が国が談判を仕掛け、朝鮮の暴慢をいましてめてやることが正当であること、こりゃいうまでもない」
・・諸方における農民一揆も激化するばかりである。これは、いずれも「徴兵反対」とか「学校設立反対」のスローガンをかかげているが、そのことによって、農民層に負担がかかることが、彼らの不安を呼び、怒りをよんだわけだ。
・・官軍は---政府は、ここまで薩軍の出方を考究し、万全の手を打っている。しかるに、薩摩軍はどうか---。本拠の鹿児島を空にし、ろくに兵糧も武器もそなえず、しかも九州から東京までの長道中を歩いて進もうというのだ。これは、「西郷先生さえ出馬すれば、敵の反抗など大したことではない」 どの敵も、みんな、進むについてわが軍に合流するであろうという、桐野利秋の甘い考え方に支配された薩軍であったからだ。
・・「雨はふるふる人馬はぬれる。越すに越されぬ田原坂」とうたわれた俗謡の文句そのままの風景が、眼前に展開されてきた。越すに越されぬ・・・・とは、官軍の進撃を指したものだ。
・・明治新政府は藩閥と化し、その勢力のあらそいのみにくさは、すぐ先年までこれが共に倒幕のため命をかけてはたらいた同志たちのなすべきことがあろうか・・・・これが、西郷の嘆きであり、怒りである。』

2016年5月 8日 (日)

凡人を達人に変える77の心得 (野村克也著 バレーフィールド発行)

かなり前に読み終えていたのですが、記載していませんでした。再度読み直し、やはりいろいろと参考になることがありました。

『結果が出なくても努力を続けた者だけが、夢や目標を達成できるのだ。
・・辞める時、「これ以上頑張れなかった」と言える自分を目指して努力すれば、道は開けたはずだ。
・・努力の先にあるものに価値があるのであり、努力そのものに価値はないのだ。
・・確かに、基礎や基本は、明確な言葉で教えることができる。しかし、プロ野球の一軍選手として通用するための「コツ」は教えることができない。監督時代、誰もが理解できる言葉で表現するように努力してきたつもりだが、実現できたかは疑問である。なぜ、コツが教えられないかというと、それが感覚で成り立っているからだ。
・・努力をする、というと無我夢中で何かをすることのようなイメージがあるが、それだけではない。必死に感じる力を使って発想を広げるということも努力なのだ。
・・経験則から、絶対的に言えることもある。それは、「その分野の本質を知らない人は大成できない」ということである。・・本質が分かっていない人間は、間違った方向に努力をし続けてしまう。
・・困難にぶつかったときは、「我慢する力」を育てるチャンスと考えてほしい。
・・なかなか結果が出ないとき、失敗が続いたとき、誰もが自信を失ってしまう。しかし、若ければ若いほど、可能性が秘められている。どんなことがあっても、自分自身に見切りをつけることだけは避けるべきだろう。すべてがそこで終わってしまう。
・・最終的にすべての人間が、「自分は不器用だ。だから、努力や研究をしなくてはならい」と思わなくてはならないのだ。
・・「褒められて伸びるタイプ」と自分自身で口にする人間さえいるようだが、そのような意識できる限り、プロフェッショナルには一生なれない。プロフェッショナルを目指すなら、そんな甘い気持ちは今すぐに捨てるべきだ。・・あなたのことを上司が本当に評価しているのであれば、褒めるといった面倒なことをする必要はまったくない。黙って見守っていて、必要な時に叱ったり、注意すればいいだけの話だ。・・私がよく使う言葉に、「人間は、無視、賞賛、非難という段階で試されている。』というものがある。これは人材育成の原理原則である。レベルがあまりに低い状態のときは、「無視」される。ちょっと可能性が出てきたときは「賞賛」される。組織を支える存在になったときは「非難」される。
・・正しいプロセスを踏む過程には、もう一つ、「準備を怠らない」という要素もある。私の監督時代の口癖は、「一に準備、二に準備」だ。大工の世界には、「段取り八分」という言葉がある。準備段階で完成度の8割が決まっているということだが、これと全く同じことだ。・・先にあげた「当たり前の努力の継続」。そして、ここで解説した「準備を怠らない」。地道ではあるがこういった正しいプロセスが人を成長させるのだ。
・・あなた自身が生きる世界の「当たり前のことは何か」を一度点検してほしい。それを継続的に実行することで、自分をどこまでも成長させられるのだ。
・・4年目以降は、打率、ホームラン数の両方を伸ばし、ホームラン王、さらには三冠王をとるバッターに成長できた。では、この3年目と4年目以降のどこに変化があったのかといえば、「小事を気にするようになった」のである。・・三流の人は、何度も同じ失敗を繰り返す。二流は、二度繰り返す。そして一流は、同じ失敗を二度と繰り返さないものだ。人間の最大の悪は何であるか。それは「鈍感」である。
・・ものごとというのは、自分自身も含め、常に変わっていくものである。自分の視点だけしかもっていない人は、その変化についていくことができない。相手や環境の変化に対する視点を持たない人は、たとえ、一時的に結果を残せても、長期的に結果を残すことはできない。
・・データというものは、わずかな量を一時的に見ても、得ることは少ないものだ。長期的にデータを見続けることで、視野が広がり、今まで見えなかったものが見えてくるものなのだ。
・・情報は、各自にメモさせることでしっかり定着するのだ。
・・失敗した時、なぜ人は言い訳をしたがるのか。これは失敗と正面から向き合いたくないからである。失敗から逃げ出しているのだ。だから、同じ失敗をまた繰り返す。私はよく講演や著書の中で、「失敗と書いて、せいちょう(成長)と読む」と言っている。この意味は、失敗を多く経験すれば、成長するということではない。失敗した原因究明をし、それを次の機会につなげれば、成長の糧になるということである。・・「言い訳は進歩の敵」なのである。
・・個人の成長という視点では、処世術にたけることで出世の階段を登っていける反面、人間性の成長が失われてしまう。
・・本番に臨む前は、このような結果を得たいとイメージしてもいい。しかし、いざ本番では、目の前のことだけに力を注ぐ。このように思考することで、欲から解き放たれ、ある程度、プレッシャーを抑えることができるはずだ。
・・チームの中心となる選手は、すべての面において手本となる必要がある。ゲーム中の言動はもちろん、グランド外でのふるまいや服装も含めて自らを律さなければならない。
・・しかし、本人は「現状に満足していること」を自覚していないケースがほとんどだ。「一生懸命やっているつもり」になっているのだ。あからさまに手を抜いているわけではないが、どこかで「これくらいやれば十分だろう」「これ以上はできない」といったブレーキを踏んでいる。その結果、その人の可能性は限定され、閉ざされてしまう。
・・短所から逃げている限り、大きな壁を超えることは一生できない。長所は伸ばそうと意識しなくてもよいものである。長所はもともと持っていた資質から生まれる。だから、多くの場合、それほど努力しなくても自然にできてしまうのだ。一方、短所のほうは放置していて強制されることは絶対にない。本人が「短所を克服しよう」と強く思い、日々努力を重ねることでしか克服できない。
・・ある世界で自分が生きていくためには、理想を追うだけでなく、自分の特性を知り、それを「一芸」の域に高めることも必要だ。
・・技術の限界の先は、「頭を使うこと」で突破するしかない。頭を使うことを具体的に言えば、この章で話した「小事を大切にする」「変化を見る目を持つ」「データを活用する」「メモをとる」「長所を生かすなどになるだろう。・・技術の向上によってプロフェッショナルの入り口までは行けるかもしれないが、真のプロフェッショナルになるには、頭を使うことが絶対条件になるのだ。
・・「怒りもしなければ、喜びもしない」監督として試合中、ベンチにいる私の様子を一言で表現するとこのようになるだろうか。・・これは性格の影響も大きいと思うが、それ以上に「選手と同じ視点で試合を見てはいけない」と自分を戒めていたからである。・・監督が喜べるのは、買って試合終了となった瞬間だけである。たとえ今日の試合に勝っても、次の試合がある。今シーズンが終わっても、来シーズンがある。監督でいる限り、心の底から大喜びできるシーズンはそうそうないのだ。
・・人よりも大きな成果を出すには、時間を上手に使うしかない。「忙しい」「時間がない」を言い訳にしていたら、いつまでたってもそこにリーダーとしての成長はない。
・・リーダーが、すべての局面で部下に本心をぶつければいいというわけでないが、重要な局面、とくに部下に本気で変わってほしいという思いを伝えるときには、勇気を出して本心をぶつけることも必要である。部下を本気でよい方向に導きたいと願うなら、相手から逃げてはいけない。その真摯に向き合う姿勢こそが、リーダーの真の愛情と言える。
・・昨日の常識が今日の常識とは限らない。昨日の常識が今日の誤りということだってあるのだ。
・・愛情から出たものであれば「叱る」になるし、そうでなければ「怒る」になる。リーダーはこの二つを取り違えないことだ。・・リーダーは「結果だけを見て部下を叱ってはいけない」とよく言われる。ここでいう結果とは、表面的な積極性、消極性のようのものではなく、「部下がどのような思考をしていたか」に着目すべきなのだ。そうでないとチームの中に「結果オーライ」の雰囲気が漂うことになる。
・・人間は弱いものだ、そんなとき、結果が出ない理由を他者に押し付けるものだ。・・なぜ人は責任転嫁をするのか。これは、自分の苦しみや痛みを和らげたいからである。結果が出ない現実と、正面から向き合うのが辛いからである。リーダー自身がこのような意識でいる限り、勝てるチームうなど作れるわけがない。
・・打率3割のバッターと打率2割5分のバッターの差は、100打席でわずかヒット5本である。このわずかな差が、選手の評価を大きく左右する。一流と言われる人と、二流、三流で終わってしまう人の差は、実はわずかでしかないのだ。では、このわずかな差がどこからやってくるかといえば、他のバッターがしなかった「小さな努力の積み重ね」や「小さな創意工夫」からである。
・・言葉による表現力を磨くにはどうしたらいいか。それには、本をたくさん読むのが一番だ。
・・選手を指導する真の目的は、「正しい考え方のエキスを注入すること」である。
・・しかし、だからといって、「素直に聞く気がない者は見込みがない」と切り捨ててしまうのは、リーダーとしては失格である。・・素直でない人間に対してどのように接するべきか。このような人間には、2種類ある。一つ目は、性格上、素直に聞くことができないという人間だ。もし、彼が何か光るものをもっていれば、リーダーはあらゆる手段を用いて、本人にそれを気づかせる努力をしていくしかない。・・二つ目は、その人独自の思想をもっているため、素直に聞くことができない人間である。思想は「仕事観」「人生観」と言い換えてもいいだろう。私自身、現役時代そうだったが、このようなタイプは、今は伸び悩んでいても、どこかで成長する可能性がある。その思想自体が、明らかに間違っているものでない限り、長い目で見守ることも必要だろう。
・・だからといって「意識改革しろ」とストレートに言い続けても意識は変わらない。ポイントになるのは、選手に「気づきを与えること」である。
・・気づきを与えるには、対象となる人の適性を把握し、活躍できる場を与えることだ。それいにより、その人の潜在能力が引き出されるのである。
・・私は監督をしているとき、自分のチームの選手とはプライベートで食事に行かないと決めていた。それは食事に誘われなかった選手の中に、「自分は誘われない」と気分を害するものが必ず現れるからである。・・監督とは、部下との食事一つとっても、それを周囲はどのように感じるかを想像できなくてはならない。小さな感情からチームはほころぶものなのだ。
・・強いチームにはあって、弱いチームにはないもの。それは「目的意識」である。ここでいう目的とは、いくつもあるものではない。たった一つの大きな目的に向かってチームの持っているすべての力を注いでいく状況を言う。
・・チームの「目的意識」を共有させ、個人の「目的意識」を持たせる。これだけでは、選手を成長に導く要素としてはまだ足りない。もう一つ加える必要があるのが、「問題意識」である。問題意識をわかりやすくいえば、自分を高めるための「個別の課題」となる。・・漠然とバッティング練習をしていても、試合で打てるようにはならない。・・意識をけるには「本質を見つめなおさせる」ことである。・・こういった本質を考えることで、問題意識をもつ習慣が育っていく。
・・人を育てるのに欠かせない要素には、「自信」もあげられる。選手に自信をつけさせることができれば、リーダーの仕事の大半は終わったといってよいだろう。・・いずれにしても、「自信をつけさせることが仕事」という意識を指導の真ん中においておけば、どんなアプローチにせよ、効果は徐々に出てくるものだ。
・・もし、あなたの部下が、いくら指導をしても成長しなのだとしたら、人間教育が足りないのだ。技術面への助言と並行して人間教育に力を入れるか、技術指導の前にまずは人間教育を進めるべきだろう。「人間教育なくして技術的進歩なし」である。言うまでもないことだが、リーダーは人間教育をするのだから、自らを律し、正義感で貫かれていなければならない。
・・チーム力は、個々の力の総合力から生まれるのではない。個々の力に、「適材適所」とい要素が加わることで、チーム力が生まれるのである。・・適材適所の配置は誰が行うのかというと、これはリーダーしかできない。適切な配置をするには、①個々の適性を見極め、②チームの目的意識を共有させ、③一人一人に自分の役割を理解させる、この三つがポイントとなってくる。
・・「野球バカ」や「仕事人間」には、良い仕事をすることはできない。仕事とは一体何かを知らない人間に優れた仕事をすることはできない。
・・価値観や哲学がない人間に、よい仕事ができるわけがない。なぜなら、価値観や哲学があるからこそ、プロフェッショナルの仕事ができるからである。
・・大切なのは、世間の目から見た「上下」の評価に惑わされないことだ。向上しよう、学ぼうという意欲さえあれば、どんな場からも得られることはたくさんある。
・・陰で支える役目がある。それによって、光を浴びる人が出てくる。世の中はそれで成り立っている。たとえ、主役となる人が感謝の言葉をかけてくれなくて、陰で支える仕事の価値は変わらない。
・・現役時代、師と仰ぐ評論家の草柳大蔵さんに、陰となることの多いキャッチャーという役割について愚痴をこぼしたことがある。草柳さんは、「良い仕事をしていれば必ず見てくれている人がいる。世の中には目利きがたくさんいる」と励ましてくれた。・・この私のエピソードをもとにすれば、「良い仕事していれば、必ず見てくれる人がいる。ただし、それが分かるには時間がかかる。
・・真面目一筋の人には、打たれ弱いという弱点もある。何かがうまくいかないと、考え込んでさらに深みにはまってしまう。どこかに不真面目さをもっていなければ、大きなトラブルや逆境にあったときに、心が折れてしまう。・・遊び下手は、度を越して遊ぶことで、仕事に悪影響を及ぼすタイプだ。遊び上手は、遊びと仕事が有効に連動しているタイプである。遊んでいるときも、何か仕事に役立てられることはないかなと探している、真のプロフェッショナルであれば、それくらいの気概は持ってほしい。
・・風格は、「風格をつけよう」と思って備わるものではない。また、生まれつき風格を持っている人もいない。責任感あるポジションにつき、そこで日々、自分を磨くことで、自然に備わってくるものである。・・風格とは、容姿や態度に自然に現れる品格である。
・・チャンスは、チャンスに見えない形であなたの前に現れる。どんなことに対しても、自分の責任を全うすることでチャンスを掴むことができるのだ。
・・組織から離れたとき、人は孤独になるが、そこで立ち止まっていては何も始まらない。次の場でも、自分らしい人生が送れるよう、前向きに孤独をとらえる姿勢も大切なのだ。死後地に全力投球し、いい仕事をしていれば、必ず見ている人はいるものだ。
・・現役引退後、指導者として長く活躍している人のほとんどは、人間的に魅力のある方々ばかりである。人間性が他者との縁をつくり、信頼につながっていくのだ。
・・人は、基本的に変化を恐れる。成功体験のある人ほど、変わることを恐れる。しかし、成功体験にしがみつくことは、自分自身の可能性を狭めていることにもなる。
・・私が考える「楽しい」というのは、みんなとわいわい騒ぐ、羽目を外して遊ぶといったことではない。自分がこれだ、と考えるものを見つけ、それに自分が持っているすべての力を注ぎ、その結果得られた充実感が「楽しい」ということではないかと考える。』

2016年5月 6日 (金)

真釈 般若心経 (宮坂宥洪著 角川ソフィア文庫)

真言宗のお坊さんが書かれたもので、専門的で難しい部分も多いのですが、サンスクリット原典をもとに解釈されたものなので、なるほど、と思える部分も多々ありました。

『この経典は中国の明代の小説「西遊記」で有名な唐の三蔵法師玄奘(602~664)がインドからサンスクリット原典を持ち帰って漢訳したものです。・・「般若心経」の原型はインドにおいて3世紀ころには成立していたであろうと推測されます。

・・13世紀初頭までにインド仏教は、インドに侵入したイスラム教徒によって滅ぼされてしまいました。無数の経典や論書を生み出したナーランダーやオーダンタプリーやビクラマシラーといったインド仏教の大寺院に所蔵されていたおびただしい経典類はことごとく焼き払われてしまったのです。・・「般若心経」に関しては、なんと日本はサンスクリット原典の宝庫なのです。
・・とりあえず今は、原典には尾題というかたちでタイトルが示されている、と考えて話を進めていきましょう。・・ここで注意すべきは、原典の尾題には「仏説」も「魔訶」もなく、なんと「経」という語すらもないということです。・・「仏説魔訶」とは「魔訶」は流布本として広まる段階で付け加えられた語だったのです。・・一般に聖人の語録を「経」といいます。この漢字は、慣用的に呉音で「きょう」と読めば仏教の典籍(釈尊の教えの記録)をさし、漢音で「けい」と読めば中国の儒学の典籍をさします。
・・「般若」と音写された「プラジュニャー」の意味は「智慧」です。・・「波羅蜜多」と音写された「パーラミター」の意味は「完成」です。・・以上の二語を合わせた「ブラジュニャー・パーラミター」は、とりあえず「智慧の完成」と訳すことができるでしょう。「智慧の彼岸に到ること」と訳すことも可能です。・・「般若波羅蜜多心」とは、「智慧の完成の心(または精髄)」という意味である、と結論付けることに何の問題もないように思われるかもしれません。・・ところが、そうではないのです。最大の問題は、そのように語義解釈をしてしまうと、「般若心経
」本文が伝える内容とかみ合わなくなってしまうのです。
・・釈尊が語るべきことを釈尊の意をくんで観自在菩薩が舎利子に向かって説く、というのが「般若心経」の中心場面となっていたわけです。・・観自在菩薩が行った深遠な般若波羅蜜多の修行とは、いったいどんな修行だったのか。これを明確にしておきましょう。それは「羯諦、羯諦・・・」のマントラを誦えることなのです。マントラを静かに、あるいは心の中で何度も繰り返して誦える修行を念誦法(サンスクリットで「ジャバ」といいます。その結果が、「五蘊は皆空なりと照見して、一切の苦厄を度せり」ということなのです。・・「般若波羅蜜多」の修行とは、マントラを誦えること以外にはありえません。
・・この「尾題」は、「般若心経」全体のタイトルなのではなく、「羯諦、羯諦・・」の句を受けて「これば般若波羅蜜多のマントラである」と訳すべき文なのです。この最終句までが、観自在菩薩の台詞と解すべきでしょう。
・・サンスクリットの合成語を解釈する厳密な方法によりますと、これは「智慧という完成」が正しいのです。そもそも智慧自体が完成されたものですから、それを完成させるということは意味を成しません。・・そうしますと、般若波羅蜜多の修行とは、般若(智慧)の完成を目指す修行ではなく、般若そのものに立脚した修行ということになります。
・・「般若波羅蜜多心」とは、経典の最後の「羯諦、羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提、娑婆賀」のマントラをさします。したがって、「般若心経」の経題は「般若波羅蜜多のマントラを説いて経」というのが正解です。
・・この経典の開幕のシーンは瞑想する釈尊のお姿です。釈尊の瞑想に感応して観自在菩薩が修行を完成した、というところからドラマが展開します。・・インド仏教の伝統的な瞑想の仕方には、シャマタ(止)とヴィバシュヤナー(観)という二つがあります。・・シュヤナー(止観)は、インド仏教におけるもっともオーソドックスな瞑想実践の方法でした。今でもタイやミャンマーなどの南方仏教では極めて重視されている修行法です。シャマタというのは、心を静めることです。背筋を伸ばして、肩の力を抜き、深い呼吸をこころがける。これ以外になんの特別な努力もしない。これがシャマタの実践です。・・ヴァイパシュヤナーの原義は観察です。何を観察するかというと、仏陀の示した法、すなわち仏法を観察するのです。これを観法とも言います。・・仏教において見るべきものは、仏陀の示した法、すなわち仏法にほかなりません。「般若心経」においても、法(ただし、法は複数なので常に「諸法」といいます)をどう見るかということが重要な課題となっています。すなわち、観自在菩薩が諸法をどのように観察したかということが、まさに「般若心経」の中心場面になっているのです。
・・数珠は本来、マントラを数えるための道具なのです。数珠は仏教が興る以前から、マントラを繰り返して誦際にその回数を数えるための道具としてバラモン教で用いられていたものでした。・・マントラの念誦とは、文字通りに「念じて誦する」ことですから、念ずる内容を瞑想しながらマントラを繰り返して誦するわけです。
・・「般若心経」においては、実は般若波羅蜜多そのものが本尊なのです。・・私たちにとって寺院に仏像が安置されているのはごく当たり前のことですが、実はこれは世界の宗教の中で異例のことなのです。世界の多くの宗教では、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教にしても、あるいは日本の神道でも、神を人間の姿に造形化してはいけないことになっていて、いわゆる偶像崇拝を禁止しています。
・・遥か未来性に出現する仏陀を目指し、仏陀の智慧を追求し、仏陀のように利他の精神を重んじ、慈悲を心がけようとする、そんな菩薩としての自覚をもって生きようとした人々が現れてきたのです。仏陀の智慧と慈悲の精神を重んじる新しい仏教、それが大乗仏教です。大乗仏教の出現により、伝承を遵守するだけの部派仏教は、一段と低い小乗仏教と呼ばれるようになりました。・・さて、大乗仏教の先駆をなした経典が、般若波羅蜜多経です。・・・「羯諦、羯諦・・・」のマントラは、仏母としての般若波羅蜜多に対する祈りの言葉だったのです。
・・観自在菩薩が般若波羅蜜多の修行を実践し、そのマントラを説き示すという、この経典の場面設定こそが、「般若心経」の際立った特徴なのです。・・結局「般若心経」はマントラ念誦法の指南書というべき性格の経典なのです。
・・人間の目は・・動いているものには敏感に反応するけれども、動かないものには鈍感で、そのままでは見えないので、動かないものを見るためには目のほうを激しく動かさなければならない。動かない活字を見るときなど、一秒間に百回近くの微振動を目のほうでしてくれているから見えるのだそうです。その動きで、目に映ったものを脳で識別し、そのうえで総合し、判断しているのです。私たちは目に映っているものがその通りに見えて、その通りにモノがあると思いがちですが、実は、目が見ているのではなく、心が見ているのでした。
・・自分とは何だろうか。自分を自分たらしめているものは何だろうか。それを突き詰めていくと、「体がある」「感覚がある」「イメージを持つ」「深層意識がある」「判断をする」、この五つがある。この五つが自分を自分たらしめている根拠だということを、まず知りなさいということです。この五つが「五蘊」です。・・言い換えれば、自分という存在は五蘊なのだ、ということです。・・体は自分そのものではなく、自分のいわば所有物なのです。体は自分を自分たらしめている根拠には違いありませんが、どうやら自分そのものと考えるのは無理のようです。感覚も同様です。・・表層意識としてのイメージや深層意識や判断も同様です。これらは「自分のもの」ということはできても、それ自体は自分ではありません。そうしますと、五蘊は自分の根拠だとは言えても、五蘊そのものは自分でない。つまり、自分は五蘊ではない、ということになりはしませんか。・・五蘊を別にして自分はやはりどこにもいそうにありません。でも、五蘊は自分ではない。・・不思議なことに、自分はどこにも見当たらないのです。・・自分を探求していくと自分はいなくなってしまいました。このことをどのように考えればよいのでしょうか。実はこの時点で無我の瞑想は完了するのです。・・五蘊は五取蘊(ごしゅうんともいいます。煩悩や執着(取)を生み出す条件でもあるからです。それゆえに五蘊自体は日常レベルにおける自己の総体に違いありません。しかし、それがそうだと知ること、すなわち「五蘊あり」と観察することは、もはや日常レベルを超えていることなのです。・・「無我」は何ら日常的な教訓のたぐいのものではないのです。むしろ真に自己を確立しえた人がさらにその上のレベルに至って見ることのできる高度な洞察というべきものなのです。
・・自分は存在しない、存在するのは五蘊だけである、と見極めるのが最初の段階。次に自分が存在するのではないように、五蘊も存在しない、と見極めるのが第二の段階。このような構造になっていることができます。・・「般若心経」は、徹頭徹尾、瞑想の指南書です。「このように観よ」と指示し、そのために念誦すべきマントラを指示した経典なのです。
・・私たちは病気や怪我で苦しむこともありますし、日常の生活でもいろいろと悩み苦しみます。このような明白な苦痛・苦悩のことを、仏教では「苦苦」(苦の苦)といいます。・・どんなに楽しく思えることでも本質的には苦なのです。このような苦を「壊苦(えく)」(変容の苦)といいます。また、楽しく思えることでも、特に苦でも楽でもないことでも、つぶさに振り返ってみると、すべては無常であって生滅変化を免れることはできません。あらゆるものが移り変わっていくことを見て感じる苦を「行苦」といいます。これらは苦苦・壊苦・行苦の三苦といわれ、結局、この世にないものはない、ということで「一切皆苦」というのです。・・「苦」の原語「ドゥッカ」は「思いのままにならないこと」、すなわち「不如意」が原意です。・・仏教が「一切苦」を説くのは、このような現実の認識が大切だということなのです。
・・この四つのゆかりの場所は、そのままインドの四大仏蹟としても、今でも多くの巡礼者の訪れる聖地となっています。それぞれ誕生の地ルンピニー、成道の地ブッダガヤー、初転法輪の地サールナート、涅槃の地クシナガラがそうです。
・・インドでは古くから重要なことは三度繰り返して言うという習慣があったのです。
・・「空」と似た語に「無」があります。この二つはよく混同されがちですが、厳密には違います。・・無いのは容器ではなくて水です。インド人は、このことを「容器には水の無がある」と表現します。もし容器に水があれば容器は「水の場所」です。ないと、容器は「水の無の場所」です。「無の場所」が「空」なのです。・・「自性空」とは、それ自体を欠いている、ということです。つまり、五蘊は五蘊自体がない、すなわち、五蘊そのものがない、ということを言っているのでして、何かがからっぽということではないのです。「色即是空」における「空」も同じです。色はからっぽだということではなく、要は単純に、色はない、ということです。
・・だれでも自分自身のうちにもっと見晴らしの良い上層階があるにもかかわらず、私たちはそれに気づかず世間にあって悩み、苦しみから逃れるすべを知りません。しかし、自分自身の内なる高次の観点に到れば、あらゆる苦悩から解放されるのだ、ということを「般若心経」は伝えようとしているのです。
・・仏教が説いている無我の教えというのは、日常的な教訓ではありえません。むしろ自己を真に確立しえた人が、さらにその上に至って得られる高度な洞察なのです。・・そこに至って、自己は五蘊が仮に和合したものに過ぎないと観察します。自分なるものはどこにもない。つまり、ここでようやく、無我という真相を覚るのです。じつはそれはまだ小乗の段階ですが、舎利子はすでにこの段階に達しています。
・・仏教用語で「色」といえば、・・「姿かたちあるもの」のことです。・・受・想・行・識は、・・自分自身の根拠として、それぞれ「感覚がある」「イメージを持つ」「深層意識がある」「判断をする」と観察された項目にあたります。・・「行」ですが、・・いろいろなイメージを総合して集めて意識を意味出す作用、という意味になります。さて、そうしますと、おおざっぱに言えば、「知を主体とした形成作用」というのが、色受想行識の五蘊の総体であり、それが「自己」の正体であると結論付けても良いかと思われます。
・・この語(ダルマ)の原意は、「保持されるもの」です。「ダルマ」に多様な意味があるといっても、この原意からかけ離れたものは一つもありません。
・・一見非常識に見える「自分はない」という無我説は、単に自分はあるかないかを問うて、思弁的にないということもできる、というようなものではなく、世間のレベルを踏まえたうえで、それを超えた観点に導こうとする瞑想の指南なのです。
・・仏典を総称して大蔵経といいますが、蔵とは仏典を集大成したもののことです。経蔵(経典類)と律蔵(戒律類)と論蔵(論書類)の三つを合わせて三蔵といいます。
・・ここで(五比丘篇)で、色受想行識の五蘊は無常であり、苦であるから厭うべきものである、ということがきっぱりと述べられています。五蘊は苦の原因というのではなく、苦そのものであるといわれていることにご注意ください。
・・かつて人は自我の檻に閉じ込められていました。常識的には自我なくして、いかなる日常生活も送ることはできません。しかし、それはあらゆる苦しみが生まれる我欲の巣でもあります。釈尊はその檻の虚構を見破ることによって、無我という開放的な次元のあることを示してくれたのです。その鍵となる言葉がダルマでした。釈尊はダルマが生じ、かつまた滅す、その次第を観よといったのです。しかし、アビダルマ論師たちは、釈尊が示したダルマを重んじるあまりダルマを永遠に存在するものと考えるようになってしまったのです。・・やがてついに、ダルマの本質的なありようを示す決定的な一語を大乗仏教とは編み出します。それが「空」という言葉でした。「空」は、ほかでもなく「ダルマの解体」のために導入された言葉だったのです。
・・観自在菩薩の観点においては、そうした永遠なものはない、そもそも、いかなるものもないので、生じるとか滅すということもない、ということなのです。
・・もろもろのダルマは三階の小乗レベルのフロアにはあるのです。ある、というより、二回の世間のレベルを超えて三階のフロアにおいてダルマは観察されるのです。・・観自在菩薩は階下のすべてのフロアを通過して、つまり一つ一つ卒業して四階に至ったのです。この上位のフロアにおいては、いかなるダルマもない、どのようなダルマがないかということを示そう、というのが本段における伝授内容となっているのです。
・・「諦」という漢字は一般には「あきらめる」と読み、「仕方がないと思いきる、断念する」といった意味で使われますが、仏教用語として「諦」はそのような意味では用いられません。・・現在の学者はほぼ例外なくこれを「真理」と訳しています。
・・「般若心経」が否定しているのは、あくまでもダルマの実在性、それだけなのです。
・・四階のフロアは到達点です。到達点でありますが、このフロアに至って完了、ということではなく、このフロアで瞑想のプロセスを実践することが、「般若波羅蜜多の修行」なのです。観自在菩薩はその修行をして見極めたことを、舎利子に伝授したのでした。
・・「心に罫礙なし」とは、心に何の妨げもないという意味ですが、妨げとなるものとは、もろもろのダルマのことにほかなりません。四階のフロアにおいては、いかなるダルマもないのでダルマが妨げになることはないのです。・・結局、四階のフロアにおいては、心を妨げるものもなければ、妨げられるもの(心)もないということになるのです。
・・「般若心経」は「心の大切さ」を説く経などでは全然なくて、むしろその反対に、心というようなものはないのだ、ないということが観察できるレベルのフロアがあるのだ、ということを説いている、そんなそれこそ恐るべき経典なのです。
・・「涅槃」という語には、現代の日本の学者が考えているような「煩悩の」「燃え盛る火の」「吹き消された」「消滅した」といった意味はありません。これは「覆いのない」状態、ただそのことを指す語です。いかなる覆いもない、なんら妨げとなるものもない、もはやそこには心と呼ぶものすらない、自在なる「観」のみの、まったく開放された境地に菩薩はいる、ということが、ここで観自在菩薩によって告げられたのでした。
・・仏が仏であるゆえんは、ひとえに般若波羅蜜多によるものだということを述べていて、同じく「般若波羅蜜多による」という言葉を用いながらも、菩薩の境地をたたえた前の段とは力点の置き所が違っているわけです。
・・マントラとは常に祈りの言葉を指します。それは一種の呪文と言えるでしょう。・・インド人が何の断りもなくマントラについて語るときは、いつでもそれは「ヴェーダ」聖典の中の一節を指しています。「ヴェーダ」こそ、インド人にとって神々から授かった言葉であり、神々に捧げる言葉であり、神々を動かす力のある言葉でもありました。・・仏教のマントラは神々を動かして日常の願望を達成するための、そんな従来の単なる呪文ではありませんでした。自己を探求する高度な修行体系の中で活用され、智慧と慈悲を実践する菩薩の拠り所として尊重され、広く普及していったのでした。・・いかなる儀礼にしても修行にしても、周到な準備をしたうえで始められる、特定の、きわめて緊張した場面で誦られる聖なる音韻が、マントラです。それが何編も、時として何十万遍も繰り返し誦られることによって修行者の人格を調和的に揺さぶり、より高次の体験へと向かわせる「祈りの言葉」なのです。
・・観自在菩薩が「師」の役割を果たして、般若波羅蜜多の修行の成果を、「弟子」たる舎利子にくまなく伝授するというプロセスを経て、最後にマントラ伝授が行われるという、この形でなければ、「般若心経」はマントラを示す経典たりえなかったのです。
・・そもそもマントラは伝達のための言語ではなく、マントラを誦える修行者の体験にのみ深くかかわるものなので、いかなるマントラも、ごくそのものは他愛もなく、時として拍子抜けするほど、いたって単純です。
・・母よ、母よ、般若波羅蜜多なる母よ、どうかさとりをもたらしたまえ---。このマントラの全文の意味はおおそこのようなものでしょう。』

2016年5月 4日 (水)

中国(チャイナ)4.0 暴発する中華帝国 (エドワード・ルトワック著 奥山真司訳  文春新書)

 極めて参考になる書でした。

『第一の「逃れられない現実」とは、13億人のための意思決定が、たった7人の意向で決まるということであり、さらにはそれが、次第にたった1人の手にゆだねられつつあるということである。
・・全イスラム教国のおよそ15%の人々は、自分たちの宗派に改宗させるための宗教闘争に熱心であることが示されている。ところがいまや共産主義のイデオロギーは死滅し、13億人の中に狂信主義者は圧倒的少数で、むしろ豊かな才能を持った人材もでてきており、単に富だけでなく、人道的な徳を求める人々も次第に増えてきている。
・・その国がいかにおとなしくしていようと、あるメカニズム、つまり「戦略の論理(ロジック)」というものが発動するようになる。つまり規模が大きくなり経済的に豊かになり、軍備を拡張するようになると、何も発言しなくても、他国がその状況に刺激されて周囲で動き始め、その台頭する国に対して懸念を抱くようになる。
・・ある国が台頭する場合、大きく分けて二つのことが起こる。一つは「バランシング(balancing)」である。これは自国のリソースを使って軍備を増強する動きである。もう一つは外国との同盟関係を増強することによって抑えこもうとする動きだ。前者を「内的バランシング」、後者を「外敵バランシング」と呼ぶ学者もいる。とにかく台頭する国に対して、通常は大きくわけてこの二つのパターンの動きが発生する。
・・(中国の)第一の錯誤は、経済力と国力の関係を見誤ったことだ。
・・ここで覚えておくべきなのは、経済力と国力の間には「先行(leads)」が存在するということだ。経済力が弱体化しているのに影響量は強いという例が、歴史上にいくつも発見できるのである。
・・ある国の大統領が他国の領土に対する信仰を自軍に指示できるというのは、「大国」(great power)」である証拠だ。これこそ公式な「大国」の定義に当てはまる。
・・近代史を見ていくと、おそらく経済力の「先行(リーズ)」と、国力の「遅れ」の間には、50年から100年の差があるように見える。
・・第2の錯誤は、2008年に米国経済が急降下して、その状態が2009年まで続いたために、中国のリーダーたちが経済学入門コースの学生のような間違いを犯してしまったことだ。その間違いを端的にいえば、「線的な予測」ということになる。・・「線的な予測」には二つの特徴がある。第一の特徴は、その結末を簡単に予測しやすいということだ。100が1005になり、その次に110になるというように。第二の特徴は、それが人間社会にこれまで決して存在したことがないということだ。ローマ帝国が誕生して以来、人間社会の経済活動では、全く同じ状況が5年から7年続くということはなかったのである。
・・北京周辺の人間たちは、胡錦濤は中国のパワーを十分に行使していないという見方をするようになったのである。そしてこれをきっかけとして、中国は、突然、古文書や資料などにあたって、領土や領海の面で強硬な主張を始めることになった。
・・最後の「第3の錯誤」は、他国との「二国間関係」を持つことができると思い込んでしまったことだ。・・もちろん中国が弱小国であったなら、このような二国間関係を持つこともできる。・・ところが中国が強力になり始めた瞬間に、そうした他国との関係は単なる「二国間」にはならなくなるのだ。
・・要するに、中国が大きくなればなるほど、それに対抗しようとする同盟も大きくなるのだ。
・・これは現在のスリランカが、まるでインド全域の領有権を主張するようなものだ。その場合、スリランカは根拠として、こう主張するだろう。「双方ともイギリスに支配されていた」と。そして、イギリスが去った今、「インドを支配する権利はスリランカにあるのだ」と。そのくらい現在の中国の尖閣や沖縄に対する主張は荒唐無稽なものだ。
・・「戦略」というものを理解しない者は、まず最初の一手を繰り出して、そして次の手、そしてその次の手を繰り出していけば、それが最終的に勝利につながると考えがちだ。ところが実際には、自分が一手を繰り出すと、それに対してあらゆる反応が周囲から起きてくる。相手も動くし、状況も変わり、中立の立場に委託にも動くし、同盟国も動く。そこにはダイナミックな相互作用があるのだ。
・・「ロシアは戦略を除いてすべてダメだが、中国は戦略以外はすべてうまい」」というのは私の持論だ・・
・・彼らはここで「チャイナ2.0」をやめて、新たに「チャイナ3.0」を始めたのだが、これはいうなれば「選択的攻撃」とでも呼べるものだ。なぜかというと、彼らは抵抗のないところには攻撃的に出て、抵抗があれば止めるという行動に出たからである。・・彼ら(フィリピン)はアメリカを忌み嫌っており、だからこそ中国に非常に親近感をもっていて、元来は、フィリピン全土に中国の影響力を発揮してもらいたいと期待している。・・中国は南シナ海へと進出し、小島を占領するという愚かな戦略をとることによって、かえってフィリピン群島全体への影響力を獲得するチャンスを逃してしまったのだ。
・・中国のような巨大国家は、内政に問題が山積して、外政の満足に集中できない。同じような社会発展レベルにある周辺の小国と比べて世界情勢に継続的に注意を払えなくなるのだ。
・・ロシアが尖閣諸島の領有権を主張していたとしよう。ロシアはまず最初にやるのは、島の補強であろう。しかも中国が南シナ海でやっているような目立つようなやり方はさけ、しかも実際にははるかに強力な補強を行うはずだ。・・中国の場合には、尖閣について大騒ぎをする割には何も起こさない。つまり、軍事面では自体が動かないといううことであり、中国はただ騒ぐだけなのだ。これはロシアと中国の大きな違いだ。「ロシアは戦略を除いてすべてダメで、中国は戦略以外はすべてうまい」」という私の格言も、このことを言い表している。大国というのは、ある要求をする前に、それが成功するかどうかを見極めるものだ。そしてロシアがそうであるように、いったん要求を表明すれば、そこから動きを止めることはない。成功するまで行動し続けるからだ。ところがここで見られる中国の例は、その逆だ。
・・糖の反腐敗運動の次に起こっているのは、人民解放軍との戦いである。・・軍の内部で反腐敗闘争と粛清を開始したという意味で習近平は非常に大胆である。だが同時に、これはきわめて危険な行為だ。
・・このままいけば、汚職で共産党自体が崩壊してしまう、という危機感だ。だからこそ、この極めて勇気ある政治家は極端とも呼べる方策をとっているのだが、これはまるで超高層ビルの間で綱渡りを披露しているようなものだ。・・彼はこの機会を利用して人民解放軍の30万人削減を発表したのだが、その背景には、国防費のほうが、経済成長よりも速いスピードで増加しているという事情もある。経済が鈍化して成長率が6%ほどまでに低下しているのに、国防費は10%の伸びなのだ。
・・ここで重要なのは、世界に大きな影響を及ぼすほどの巨大な間違いは、それなりに高い水準の社会やテクノロジーをもった国家でないと犯しようがない、ということだ。巨大な間違いを犯すには、そもそもそれだけの能力や資源が必要だということである。
・・ではなぜ日本は間違ったのか。真珠湾攻撃という間違いの根本原因は、日本の軍部が「現実には存在しないアメリカ」を「発明」したことにある。「彼らが発明したアメリカ」というのは、「真珠湾にある軍艦を失っても何も反応せず、日本に見向きもしない。そしてその間に日本はオランダ領インドネシアを攻撃して石油を確保できる」というありえない想定の存在であった。
・・実はアメリカも、これとまったく同じような間違った決断を2003年に行っている。・・小規模の兵力で十分と判断してしまったのは、戦争を推進するものたちが、「民主主義を待ち望んでいるイラク人」という存在を「発明」したからだ。彼らの頭の中では、サダム・フセインという存在さえ取り除けば、民主主義を待ち望んでいる国民によってイラクの民主化が進み、幸せが訪れるはずだった。サダム・フセインこそイラクの諸悪の根源であり、彼さえ排除すれば素晴らしき民主的なイラクが誕生するというわけだ。・・イラクでは誰も民主主義などに興味を持っていなかったのだ。クルド人も、独裁者的なリーダーの下での独立しか考えていなかったし、シーア派の人々も、やはり独善的なリーダーの下でまとまるしか考えていなかった。
ではなぜ、優秀な人材があふれているアメリカ、日本、中国のような大国で、特に国策を誤るような事態が起きてしまうのか?それは冷静な考えが最も必要とされる瞬間に、突然の感情の激流、つまり「疾風怒濤(Sturm und Drang)に人々が襲われてしまうからだ。
・・日本の侵攻といった「百年国恥」の積年の怨みとフラストレーションを晴らす時が来たと感じたのである。そして、それを晴らすのに必要だったのが、パワーの誇示であった。だからこそ、彼らは胡錦濤を批判し始めたのである。もちろん中国の人々も、「胡錦濤が経済政策や安全保障で失敗した」とはいなかった。だからこそ、代わりに「胡錦濤は中国が本来持っているパワーを十分に行使していない」と批判し始めたのである。彼らは「中国が世界政治の舞台に登場して剣を抜いて振りかざせば、みんなが逃げて隠れると本気で思い込んだのである。
・・中国の最大の弱点は、この国の歴史の長さ、規模の大きさ、そしてその複雑性から生じる、慢性的な「内向き」の成功になる。この性向は治癒が不可能なほど根深いものだ。・・「チャイナ3.0」は、大きく分けて二つの要素から成り立っている。第1の要素は、反撃してきた側への攻撃をやめることである。ベトナムと日本との関係がその典型である。第2の要素は、ヘンリー・キッシンジャーから贈ってもらった「馬」に乗って、それを乗り回すというものだ。この「馬」とは、習近平が使い続けている「新型大国関係」という言葉である。これを別の言葉で表現すると「G2]になる。
・・アメリカ国民は、ソ連や中国のような国との「G2」を、どのような状況の下でも受け入れない。自国を独裁国家と同じにされることを嫌うからだ。これがイギリスとの「G2」であったら、書いては民主主義国家なので受け入れるかもしれないし、フランスでも大丈夫であろう。ところがソ連や中国との「G2」だけは絶対に無理なのである。・・「G2」ができると、双方が抱える同盟国のパワーがカウントされなくなるからだ。アメリカには多数の同盟国があるが、中国には(以前はミャンマーもそうだったが)パキスタンやカンボジア、それ北朝鮮くらいしかいない。よってアメリカの同盟国は、中国が民主制の超大国になっても「G2」に反対するだろう。アメリカにとっても「G2」は好ましくない。カードをたった一枚に限定することになるからだ。「G2」によって「40か国以上の同盟国」というカードを無効化してしまうのである。
・・つまり人間の歴史が犯罪と愚行の歴史であるのは、人間の頭脳の冷静な働きが発揮される期間が、それだけ短いからだ。
・・実際のところ、アメリカ政府はキッシンジャーの「G2」論に反対し、それを破棄したからである。なぜアメリカが「G2」をそもそも体質的に受け容れることができないから・・アメリカの活動のエッセンスは三つある。第1に、アメリカが存在することだ。第2に、アメリカが静かな国ではなく、「騒がしい国である」ということだ。第3に、この「騒がしいアメリカ」は、世界中の国々を不安定化させるシグナルを無意識に送り続けているということだ。
・・私がここで強調したいのは、2015年末の現時点で、アメリカには、一緒になって中国共産党を破壊しつつあるパートナーがいるということだ。そして習近平こそ、そのパートナーなのだ。・・つまり、彼らは、汚職によって多くのカネを得る一方で、経済発展の重要な担い手となりながら、共産党に忠誠を誓ってきた人々だ。そのカネを習近平は取り上げようとしている。・・そもそもミハイル・ゴルバチョフの狙いは、ソ連そのものを改革するところにあった。しかし結局、ソ連全体を崩壊させてしまった。そして習近平も同じ道を歩んでいる。習近平は中国共産党を改革しようとしているのだが、その向かう先には、党の崩壊が待ち受けているからだ。なぜ崩壊するのか?反腐敗運動が、党を動かす「エンジン」そのものを取り除いてしまう運動でもあるからだ。
・・しかし彼が持っていないものがただ一つある。彼に真実を伝えてくれる人材だ。誰も彼に真実を伝えていなのである。・・正確な情報をフィードバックするシステムが存在しないのである。・・アジアの国々がアメリカに求めているのは「善人」でいることではなく、「強者」としてのアメリカだ。彼らは、中国に対抗できる「強いアメリカ」を求めているのである。したがって、アメリカの強さを批判する中国のプロパガンダは、実質的にアメリカを助けることにもなるのだ。そのことを中国はあまり自覚できていない。・・ヒットラーが最後まで政権を握ることができたのは、正しい情報のフィードバック・システムがあったからだ。ところがソ連にはそのフィードバック・システムがなかった。・・中国政府内で外交部があまりに軽視されているという問題もある。また、インテリジェンス機関の人間も、正確な情報を伝えていなかった。彼らは「金(かね)がものをいう」という理屈を、そのまま支持するような情報しか伝えていないのだ。「ミャンマーは貧乏な国でわれわれの資金を必要としているが故に、われわれにはぜった逆らえない」と。
・・米韓同盟は先細りしつつある。なぜなら韓国はゆっくりだが確実に、アメリカの影響圏から中国の影響圏に入りつつあるからだ。しかも韓国自身、自分たちが独立することにさほど魅力を感じていない。彼らは米国に対する現在の依存状態を、中国のそれへと取り換えたいだけなのだ。彼らは中国の「天下」に入り込みたいと熱望している、世界で唯一の国なのである。彼らは独立を恐れている。
・・小国にふさわしいのは、イギリスの首相が訪米した時にもわかるように、ひたすら要求を主張していく態度だ。要求ばかりを並べた、イスラエルのビンヤミン・ネタミヤフ首相のオバマ大統領に対する態度からもわかる。これが小国が生き残るためのルールなのである。
・・日本の謝罪問題についても一言言っておきたい。日本は韓国に対して既に十分すぎるほど謝罪したし、これからも謝罪し続けなければならないだろうが、それらは結局、無駄である。なぜなら韓国がそもそも憎んでいるのは日本人ではなく、日本の統治に抵抗せずに従った、自分たちの祖父たちだからだ。・・ヨーロッパにも似たような例がある。オランダだ。ナチスドイツが侵攻して来た時、レジスタンスはあったが、オランダはほとんど抵抗せずに従った。にもかかわらず、戦後の1960年代まで、ドイツのことを激しく嫌っていた。・・ところがその反対に、ユーゴスラビアのダルマチア地方(現在のクロアチア)では、ナチスドイツとの激しい戦闘が行われ、双方に多数の死者が出たのだが、戦後の民宿には、「ドイツ人は無料」という看板が出ていた。それほどドイツ人の観光客を歓迎していたのである。
・・おおよそ英国の対外政策は30年ごと、ドイツの対外政策は50年ごと、ソ連の対外政策は30年ごと、プーチンの対外政策は20年ごとに変わっているのに対し、中国の対外政策は15年間で3度も変わったのだ。これがまさに「不安定」であるということだ。・・独裁者は毎月政策を変えることができる。それでいて、独裁者が死んだら、誰がそのあとを継ぐのかわからない。だからこそ私は、このような中国の特異な性質を見据えた、より現実的な政策をとることを日本に進言したい。現在の中国が抱えているリスクにきちんと向き合うべきなのだ。
・・まさに僻地という奥地の住民にも、アメリカの情報だけは行き届いていたのである。ただし彼らがまったく知らされていなかったことが一つある。自国の経済情勢についてだ。「アメリカに行って少し働けば、自分たちもアウディのような大きな高級車が即座に買える」と彼らは勘違いしていた。・・僻地の中国の国民たちが共通して知っていたのは、アメリカ人は自分たちでリーダーを選べるということだ。
・・プーチン大統領は、世界中から「独裁的な人間だ」というイメージを持たれている。たしかに彼を「独裁者だ」ということも可能だろう。ところが彼は、単なる独裁者ではない。国民の支持を獲得するための努力を徹底しているからだ。
・・中国がシベリアの資源を獲得してしまうと、自己完結型の圧倒的な支配勢力となってしまう。シベリアを当てにできない中国は、船を使って天然資源を輸入する必要があるため、海外に依存した状態となる。この場合、必ず「アメリカの海」を通過しなければならない。・・中国は空母を20隻建造しようとも、「制海」は不可能だろう。なぜなら彼らがどこにいようとも、すべての港にはアメリカ軍が存在して、その奥に陸地にはアメリカの航空機が駐留し、アメリカの友好国や同盟国に囲まれることになるからだ。・・ところがロシアを吸収できれば、中国はその弱点を克服できる。・・誰が日本の対外政策を担当しようとも、その人物はロシアとアメリカとの間のデリケートなバランスをうまく管理するしかない。
・・中国の強大化によってもたらされるのは、中国が日本を支配する事態である前に、ロシアが仲間を変えるという事態だ。この時点でロシアには他に選択肢はない。日本及び日米同盟と、歩調を合わせるほかないのだ。・・短期的には、今日の日本政府の日常業務の中で、アメリカとの連携は最優先事項だ。そういう中で同時に長期的な視点も見据えながらロシアとの関係も構築していくのは骨の折れる作業だが、日本にとって極めて重要なのは明らかだ。
・・「チャイナ2.0」は日本にとって大きな挑戦であった。これが、日本の領土の保全に対する挑戦でありながら、日本は国家安全保障面でアメリから独立していないからだ。だからこそ、中国からのあらゆる圧力は、アメリカ側にそのまま受け渡される形となった。いわば、アメリカへの「バックパッシング」つまり「責任転嫁」である。ここで、日米関係に厄介な問題が生じることになった。「中国の脅威から積極的に守ってくれ」という日本からのアメリカに対する要請が、微妙な問題を生じさせるからだ。・・率直に言って、アメリカは、現状では日本の島も防衛までは面倒を見切れないのである。
・・もっとも致命的なのは、日本が実際の行動を始める前に、アメリカに頼って相談するというパターンだ。もちろん日本政府がアメリカに事実を伝えるのは重要だが、相談してはならない。それでは「日本がアメリカに助けを求めている」という形になってしまうからだ。・・自国の小さな島すら自分で守れないこと、日本がこのような「独立的」な機能をもたないことが、むしろ日米同盟を悪化させる方向に向かわせるからだ。・・アメリカ側は「・・島嶼奪還のような能力までは期待されても困る」と。これは日本が自分で担うべき責任の範囲なのである。・・ここで肝に銘じておくべきなのは、「ああ、危機が発生してしまった。まずアメリカや国連に相談しよう」などと言っていたら、島はもう戻ってこないということだ。ウクライナがそのようにしてクリミア半島を失ったことは記憶に新しい。・・私がここで提案する「チャイナ4.0」が中国にとって究極の最適な戦略であるということだ。と同時に、現在の中国にはおそらく実行不可能ということだ。そもそもこれを中国に提案すれば、反発を受けるのは間違いない。彼らには想像もつかないアイディアだからだ。「チャイナ4.0」が中国にとって最適な政策となるには、習近平が対外政策において次の二つを実行する必要がある。一つは、例の「9段線」、もしくは「牛の舌」の形で知られる地図をひっこめること。つまり南シナ海の領有権の主張を放棄することだ。
・・一般に外国についての理解度は、国の大きさに反比例する。基本的に国の規模が大きくなれば、外国についての理解度も落ちるのだ。さらに中国の場合にはそこに「天下」という世界観、「冊封体制」というメンタリティーが付け加わる。そのため彼らはますます外国を理解できなくなるのだ。
・・ロシアの国家としての歴史的な経験は、次のようなものである。ロシアは世界最大の国土を持ち、ソ連崩壊でかなりの国土を失いつつも、相変わらず世界最大の国である。・・彼らは多数の民族を支配下に置いており、しかもその支配は効果的で最小限度の暴力で統治されている。つまり彼らは、「成功した帝国」であり、それを自らの力で獲得した。ではどのように獲得したのかといえば、彼らの奇妙な習慣、つまり「戦争すると必ず勝つ」という習慣によってである。たとえばドイツ人は・・戦争では必ず負ける。ドイツは戦争に負け、ロシアは戦争に勝つ。それが歴史の教訓だ。・・ただその彼らも日本だけは打ち負かすことができなかった。・・ここでも実は、「戦略の逆説的論理」が大きくものを言っているのである。「大国は小国に勝てない」のであり、当時のロシアは大国で、日本はまだ小国であった。ロシアもこの原則から逃れることはできなかったのである。・・日本は世界中からサポートを受けたのだが、それは日本が小国だったからである。・・ロシアの「戦略文化」というのは、帝国主義的な性格をもっており、プーチンが国民に対して発するメッセージに明確に示されている。「我々はフランスのようにエレガントになれない。イタリア人のように食事を楽しめない。アメリカ人のようにリッチになれない。それでも我々のロシアは「帝国」なのだ。私は「帝国」の大統領であり、その領土を失うような失敗はしない。そして、これにロシアも同意している。
・・戦略文化が弱いのは、それなりの理由がある。中国の場合、その原因は(A)内的なコンセンサスの欠如と(B)外的な理解の欠如にある。
・・ドイツは、外国とどのように付き合ったらいいのか、本質的にわかっていないのだ。彼らは友好国を作ろうとして敵国を作ってしまうのである。自分が助けた国からも嫌われる振る舞いをしてしまうところにドイツの「戦略文化」の一端が表れている。
・・「シーパワー」の上にはもう一つの上位概念がある。それが「海洋パワー」だ。これは、「シーパワー」だけで決まるものではない。自国以外の国との関係性から生まれるものだ。代表的な海洋国家であるイギリスの圧倒劇な影響力は、狭義の軍事力だけでなく、友好国との軍事的、外交的、経済的、文化的な関係などに基づくもので、これらが組み合わさって「海洋パワー」という総合力を形作っているのだ。・・中国は海軍力を増強して、「シーパワー」を手に入れたが、代わりに「海洋パワー」を失ったのである。・・今日には例外もある。港を必要とせず、世界中に航行できる原子力潜水艦は「シーパワー」をそのまま「海洋パワー」に直結できる存在だと言えるだろう。
・・戦略の逆説的論理からわかるのは、小国を倒せるのは中規模の国家であるということだ。大国は小国を倒せない。・・中規模の国家が小国を攻撃する場合には、勝利できる可能性がある。中規模国家を恐れる国はそもそも少ないので、周囲がそれに対抗しようとはしないからだ。
・・では具体的に日本はどう対処すればよいのか。最も効果的な対処法は、「封じ込め」である。「封じ込め」とは、極めて受動的な政策である。意図的な計画は持たないままに、ひたすら「反応する」ことに主眼を置く政策だ。・・外務省も、中国を尖閣から追い出すための独自の計画をもたなければならない。中国が占拠したばあを想定して、アメリカ、インドネシア、ベトナムそしてEUなどへの外交的対応策を予め用意しておくのだ。たとえば中国からの貨物を行政的手段で止める方策なども有効であろう。
・・現在の中国のような国家に対処するには、いわゆる「標準作戦手順」(SOP)のようのものが必要だ。これはあらかじめ合意・準備された行動計画のことである。慎重で相談しながらの忍耐強い対応は、相手もそれができる政府でなければ逆効果なのである。・・現在の日本は、アメリカと同盟を組みながら中国に対峙しているが、ここで決定的に重要なのは、日本側からは何もしかけるべきではないということだ。つまり逆説的だが、日本は戦略を持つべきではないし、大きな計画を作るべきではないし、対応はすべて「反応的」のものにすべきなのである。
・・私(訳者)も個人的に経験したことがあるが、アメリカは移民の国であり、そうであるがゆえに人種的、文化的なバックグランドを(とりわけ公式の場で)表明することは、あまり歓迎されない。・・「人種差別主義者」というレッテルは、アメリカでは、とりわけ知識人にとって、ほぼ「死」に値する。・・さらに文化の違いを論じることを過度にタブー視する風潮が重なるとなればこれがアメリカの他国についての理解を妨げる要因になっているのかもしれない。
・・確かに「孫子」は「兵は詭道なり」として、互いの騙し合いを基本としていて、中国もそのような政治文化を持っているのだが、ルトワックによれば、これは中国の漢族同士の場合にしか通用しないという。・・中国のように自国の文化圏の中だけで通用する自分たちに都合のよい孫子像を崇め奉っているだけでは、百害あって一利なしと批判している。孫子自身は、優れた戦略家であったとしても、総体的に「中国は戦略が下手である」とルトワックは見ている。』

2016年5月 2日 (月)

「死」は幸福のキーワード ~「死随念」のススメ (アルボムッレ・スマナサーラ著 日本テーラワーダ仏教協会編)

「死」に対する考え方が変わりました。

『仏典によれば、神々も死ぬことになっています。「神であっても死ぬし、死に対しては神々でさえも相当心配して、恐くなって困るのだ」という話が、仏典の物語の中にもけっこうあります。

どんな言葉にも反対語が成り立つわけではありません。・・しかし、「机ではありません」とは言えますし、その言葉が指す具体的なものはいくらでも、無数にあります。つまり、肯定語よりは否定語のほうが、かなり自由がある、広がりがあると言えるのです。
不安をごまかしてくれる「永遠」という言葉に、人々は簡単に飛びついてしまいます。「永遠」はとても人気があります。
生きることは、ただでさえ苦しいのです。人間は、その苦しみに一生懸命、付加価値として耐え難い苦しみを付け加えます。他でもない人間自身が作るのです。なぜだかわかりますか?「人間は死なない」という、ありえない希望を抱いているからです。そのありえない希望がどこから現れたかというと、「死にたくない」「死ぬのは怖い」という気持ちからなのです。
無常に逆らうよりは、無常を観察して、無常を理解したほうがいいのです。そうすれば、心に安らぎが生まれます。
どんなに偉い人でも何年かは憶えていても、じきに忘れ去られてしまいます。いつまでもそういうふうに、死について観察してみることです。
ポイントはその方ではなく、「その方を見てあれこれ考えている自分」なのです。いろいろ考えている自分も、死から自由だ、解放されているのだ、ということはありません。その方を前にあれこれ思ったとき、「では、自分はどうなんだろ?」と考えられるはずです。そこで、「私の番も来るのだ」と自分の死を観察してほしいのです。
元気で、まだぴんぴんしているときに、死の観察、死の瞑想をするべきなのです。
私たちは、自分を奴隷にして、支配して、独裁的に押さえつける、縛りつけるものが現実に見つからないと、頭で作るのです。作ってまでして、その奴隷になります。頭で作った概念の奴隷になってしまうのです。・・お釈迦さまは徹底的に立証することが大事だと、立証されることなら認めてもよろしいとおっしゃいました。
あれほど爆弾発言ばかりをしたお釈迦様がなぜ大成功を収めたかといえば、その秘訣はユーモアです。我々の悪いところについては厳しく指摘しながらも、「私」を馬鹿にしないのです。いつでも慈しみで語られます。
会ったとき、お釈迦さま厳しい言葉をかけたのです。「そんなものです。あなたはその子のことが大好きだったのですから。好きなものというのは苦しみの種なのだと、よく覚えておきなさいよ」と。
我々も、ユーモアをもってよく笑ったほうがいいのです。「死ぬのは恐い」ではなくて、よく笑ってユーモアたっぷりに過ごせば、けっこう楽に生きていられます。どうせ死ぬのですから、そんなに人生を真剣に受け止める必要はないでしょう。一日、泣いたら損でしょう。「短い時間しかないのだから、一日も損しないぞ」と考えて、笑って生きることです。
「死」という現象があるからこそ、死ぬからこそ、毎日、明るく生きていられるのです。有益な人生が送れるのです。無益なことは絶対せずに済むのです。
「老いるのは当たり前だと思えば楽しい」ということです。・・確実に、明るい、幸福の扉を開けたければ、暗証番号は、「死の観察」ということになります。頑張ってみてください。観察するたびに心は清らかになります。欲が減っていきます。怒らなくなります。それだけで最高の徳なのです。
なぜ生まれてきたのか?この問いへの仏教の答えは、身も蓋もありません。「バカだから生まれてきた」もです。・・答えは経典にはっきり書いてあります。なぜ私たちがこの世の中に生まれたのかというと、「お前はバカだから」なのです。無智で無明で、貪瞋痴で、ロクでもない心があったのだから生まれたのだということです。何か計画があって生まれたわけではないのです。経典には、お釈迦様の言葉で、「無明と渇愛に覆われている生命は限りなく輪廻転生するのだ」と記されています。
80歳まで生きていなくても、20歳で死んでしまっても、死を観察した人が人生の成功者です。この点についても、お釈迦様のきつい言葉が発句経(ダンマパダ)にあります。「愚か者は百年生きていても意味がないのだ」「智慧がある人の一日には敵わないのだ」と。
ですから我々は「いつでも死ねる」という状況を作ることです。死ぬときに、「このまま死んだら困ります」という状態ならかわいそうです。私は「あなた、今、死ねる?」と問いかけます。「ああ大丈夫。別にどうということはない。準備OKだ」といえるなら、とても素晴らしいことです。きちんと「死」を知っている、最高の幸福に達することのできる人間だという証拠なのです。・・死は感情的に観察するものではありません。感情で死を見るのは、俗世間のやり方です。そうすると、恐くなったり、精神的に問題を起こしたり、暗くなったりします。客観的な事実として、日々、理性によって「死」を観察して生きるならば、究極の幸福に達することも不可能ではないのです。』

2016年5月 1日 (日)

吉田松陰式 リーダーの育て方 (加納聖士著)

吉田松陰を研究している人の著作でキンドル限定のようでしたが、いろいろと参考になることが書いてありました。

『松下村塾が実質的に松陰の手によって開かれたいた期間は、安政3年(1856年)9月から安政5年(1858年)12月に至る、わずか2年4か月の間。そして、門下生の数はわずか92人です。
優秀な部下を育成する最重要項目は、「人間教育」です。
世界三大聖人は孔子のほかに、釈迦、イエスが加わり、世界四大聖人となるとソクラテスが加わります。
親が子を愛するような無償の愛である「仁」と、自分を犠牲にしてでも常に正しいことを行おうとする「義」の心をもて、ということです。これを孟子は、「仁は人の心なり。義は人の路なり」というように、仁の実践が義であると強調しています。
「陽明学」とは、15世紀、明の時代の儒学者・王陽明が唱えた思想です。陽明学は「孟子」の思想を色濃く受け継いでいますが、より実践性を重んじるので、「行動哲学」とも呼ばれています。
・・これに対して松陰は「できもしないことをいうな。物事を論じるにはそれぞれの立場がある。お前は医者だから医者の立場で物事を考えよ。このようなできもしない文章を書く人間は大嫌いだし、軽蔑する」と玄瑞を完全否定するような手紙を送り返したのです。
このように、松陰は、門下生に、「読書をせよ。だが学者になってはいけない。勉強は知識を得るためのものであり、人間は行動することが第一である」と、学問とは学者になるためにするものではなく、それを実行するためにするものであると、ひたすら説いていたのです。
・・松陰は、歴史を読むには、「自ら歴史中の人物にならなければいけない」といい、楠正成を読めば彼の心持になるよう指導しました。
彼は、学問の道は死ぬまで続けるもので、もしまだ死んでいないうちにやめてしまったら、今まで積んできた学業を全部捨てたことになると考えていた・・
松陰は志とは何かについて、こう言っています。「志というものは、国家国民のことを憂いて、一点の私心のないものである。その志に誤りがないことを自ら確信すれば、天地、祖先に対しても畏れることはない天下後世に対しても恥じるところはない。
地位や名誉にこだわらずに本分を尽くせば、必ずその志を継ぐ者が後から出てくる。一介の士にすぎぬのに、天下の先駆けになろうというのは、身の程を知らぬもののようであるが、思えば孔子も孟子も同じ人間であって、一介の士でありながら、天下・後世の手本となった。政道を正すためには、諌死も辞せず、である。
武士の行いは、質素、実直、人を欺かないことが肝要である。思うに、人を欺き、自分を飾ることは恥だとせよ。公正で私心がなく、正しく堂々とした態度は、みなここから生ずる。
松陰は学問をすることの肝心な点は、「自分を磨き、高めること」としました。「学問の道」とは、人と禽獣とではどこが違うのかを知ること。その違う点とは、五倫(父子の道・君子の義・夫婦の別・長幼の序・朋友の信)、五常(仁・義・礼・智・信)を守っているかどうかです。
立志とは、自分の才能を発揮することが世の中の人々のために役立つ言う道を見つけ、その道を志すということ。
「対話」というのは、教育の原点、あるいは基本。・・一方的に話すだけでなく、対話を心がけ、弟子たちに議論させるようにしました。
このように松陰は弟子たちに口だけではなく、「行動できる人材」に育てようとしました。したがって、できもしないのに大言壮語をしたり、あるいは知識をひけらかすだけという姿勢を常に戒めたといいます。また実践的学問を重んじようとしたら、現実から目を離してはいけません。そのため時代がどう動いているのかを知る、時流というものを見極める必要があります。
才能はその人物の中に秘められていて、放置しておいては、表に現れることはない。
一方的に押し付けるのではなく、塾生の各人に考えさせ、自覚させ、判断させる。これが世界と日本の歴史を動かした松下村塾の教育スタイルだったのです。
松陰が門下生に教えたことは、「生命も大事だが、その生命を犠牲にしても正義は貫かねばならない」ということ。
話を佐久間象山に戻しますと、彼は兵法を学ばせるとき、必ず道徳も一緒に学ばせました。その理由は、「兵法は凶器になるから」です。この「凶器」を「仁義の技」にしていくには、道徳に精通した人間でなければ使いこなすことができないと考えたからです。
松陰は、「普段、主君に対して、諫める言葉を吐けない者は戦いになっても真っ先に敵陣に切り込んで手柄を立てることはできない」と考えていたのです。
松陰は厳冬でも、うすい羽織しか着なかったといいます。逆に真夏でも決して裸にはなりませんでした。それはいざというときに際し、寒暑に体を慣らしていくためだったといいます。
松陰は年少のころから本の内容を正しく理解して、自分の血肉とするために、どうしたらいいかを探求していたといいます。そして出した結論。それは、本を読むときはそのエネルギーの半分を筆記に費やすということでした。つまり本を読むとき、重要なところを書き写しながら読むということでした。
松陰が意識したのは教育とは、「炎を燃え上がらせるということで、入れ物を満たすことではない」ということでしょう。』

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