仏教、本当の教え -インド、中国、日本の理解と誤解 (植木雅俊著 中公新書)
仏教について学び、またインドを訪れてみて、日本の仏教は中国を経由し、また漢字のお経に大きく依存しているので、本来の仏教とは異なってきているのではないかと強く感じていました。本書は、そのことを論証してくれています。また、仏教の信者としての生き方に示唆を与えてもらいました。
『・・男尊女卑の儒教倫理を重んずる中国では女性を平等に見ることに抵抗があったのか、女性を重視することが説かれた箇所は翻訳改変されたりしていた。このように、同じ仏教でも受け入れる態度に大きな違いが見られた。
・・インドのサンスクリット原典から読み直ししてみると、インド、中国、日本の間で、同じ仏教とはいえ、その受け容れ方に微妙な違いあった。仏教はインドで生まれた。そのインドで生まれた仏教が、中国で漢訳されて、その漢訳されたものが日本に伝わった。そういう意味では同じ仏教が中国でどのように漢訳され、どのように受け容れられたのか、また日本でそれがどのように受け容れられたのかということを比較すると、これは面白い比較文化論ではないかと膝を叩いて喜んだ。
日本、中国、インドのことを指して、昔は「三国」という表現がなされた。「三国一の花嫁」という褒め言葉があるが、これは世界一の花嫁ということである。当時、この三国というのは本朝、震旦、天竺といわれていた。
唐の時代には、(中国は)自国を「漢土辺域」と呼んでいた。仏教の中心地であるインドに対して敬意を払って、自らの所をへりくだって呼んでいたわけである。
インド人はみな北枕で寝ていたのだ。「これは縁起が悪い寝方ではないですか」と尋ねると、インドの人たちから「何を言うのだ。これが一番いい寝方なのだ」と言われてしまった。インドで最もいい寝方が、日本では縁起の悪い寝方にされてしまった。「涅槃経」という経典に釈尊がなくなられるシーンが描かれていて、「そのとき、仏陀は頭を北に向けて、顔を西に向け、右の脇腹を下に向けて休まれていた」といった文章が出てくる。それを読んだ日本の仏教者が、頭を北に向けて寝るのは、人がなくなるときの寝方だと勘違いして、それを「北枕」と呼んだ。ところが、インドでは北に理想の国が、南に死に関する国があると考えられていて、インド人にとって頭を北の方角に向けて寝る北枕は生活習慣だったのだ。釈尊も、生活習慣として日ごろから北枕で寝ておられたのであろう。
インド仏教の歴史は、次のように要約できる。①釈尊在世(前453~前383)のころ、および直弟子たちによる原始仏教(初期仏教)の時代。 ②前3世紀、アショーカ王の命でセイロン(現、スリランカ)に仏教が伝えられる(後野パーリ聖典の原型)。 ③前世紀末ごろに部派仏教(後に小乗仏教と貶称される)の時代に入る。 ④小乗仏教に対して、紀元前後ころに大乗仏教が興り、大小併存の時代が続く。 ⑤7世紀以降、呪術的世界観やヒンドゥー教と融合して密教が興る。
・・(バッタチャリヤ)博士は次の三つの特徴を挙げられた。第一に、仏教は徹底して平等を説いた。第二に、仏教は迷信やドグマや占いなどを徹底して排除した。第三に、仏教は西洋的な倫理観を説かなかった。・・仏教は、むしろ、行為(karman、「業」と漢訳)によって人の貴さが決まると説いた。・・最古の経典とされる「スッタニパータ」(短い経の集成)には、「生まれによって賤しくなるのではなく、生まれによってバラモンになるのではない。行いによって賤しくなるのであり、行いによってバラモンとなるのである」(23頁)とある。
出家することは、本来、世俗の名誉、名声、利得など一切をかなぐり捨てて、社会の最底辺に置かれた人たちと同じ立場に立つことであった。外見や生まれによってではなく、行いによって、最高の清らかさを得る在り方を求めたのである。
仏教とは最後までカースト制度を承認することはなかった。中村先生は、カースト制度の支配的なインド社会において、仏教が永続的に根を下ろすことができなかった理由の一つとしてこの点を挙げておられる。(「大乗仏教の思想」546頁)
・・釈尊の言動の根底には、「法」(dharma、真理)の下には釈尊も弟子も平等であるという考えが貫かれている。釈尊は、世界で最初に法を覚った人である。
・・「涅槃」と音写されるニルヴァーナは、・・煩悩の炎が吹き消された状態といえる。そして、それは智慧の完成による「安らかな境地」のことである。
釈尊は、生物の種・類による違いは認められても、人間同士には本来、差別はないと述べている。釈尊は、男女の差異ということよりも、人間という視点を持っていたのである。
ここには、在家も女性も軽視していない原始仏教の人間観がうかがえる。ただし、釈尊滅後100年たったころから顕著になり始める教団の権威主義化に伴い、在家や女性は軽視され始め、小乗仏教と貶称された保守的・権威主義的な教団を代表する説一切有部などにおいては、経典の自分たちに都合の悪い箇所を削除して、改変するという操作も行われた。その痕跡が、男性出家者のみに限定された「十大弟子」であろう。・・釈尊は托鉢(乞食)の当番からはずれていることになる。小乗仏教による釈尊の神格化の一環であろう。
多くの日本仏教を見ていると、迷信的なことが多いように見受けられる・・身の回りの仏教を見ていると、こういうレベルのものが結構目に付く。中村先生が、「日本の仏教は、シャーマニズムの域をほとんどでていない」(「日本人の思惟方法」455~470頁)とおっしゃっていたことを思い出す。
人に不安感を与えるのではなく、安心感を与えるのが本来の仏教であった。人に恐怖心を与えて布施を強要することなど、あり得べからざることであった。
・・ホーマの術など、当時行われていたと思われる迷信が一つ一つ列挙され(67~70頁)、それぞれの末尾で、「このような畜生の魔術から離れていること---これが、またその人(修行僧)の戒めである(70頁)と結論する言葉が繰り返されている。「ホーマ」は、漢字で「護摩」と書かれ、真言密教に取り入られた。しかし、釈尊はこの「ホーマ」の儀式を否定していたのだ。
バラモン教は、人間の心の外側のことである火の儀式を重視して、形式的な儀式中心主義に陥っていたといえる。釈尊は、それに対して心の内面を輝かせる「火」こそ重要なものであり、それを「永遠の火」(niccaggini)であるといっていた。ところが、後に仏教がヒンドゥー教の影響で密教化するにつれて、このホーマの儀式が仏教の中心的なものであるかのようになってしまうのである。・・こうしたことが、原始仏典に記されており、仏教は迷信じみたことを徹底して批判していたのである。
シャーリプトラが、「六つの通力(六通)を得ることを目的として仏道を修行しているのではない」ということを自ら明言した・・
「正しく」とは、人や生き物を犠牲にしたり、因習に囚われて無批判に追従したりするといった道理に反した在り方を否定しているのである。このほか、「中道」や「四聖諦」が説かれたのも、通力や、おまじない、迷信、占い、呪術などの誤った考え、不合理な因果のとらえ方などを正すという意味合いがあったと思われる。
原始仏典には、次のような言葉が見られる。 すべての生き物は暴力を恐れる。すべての生き物は死におびえる。わが身に引き比べて、殺してはならない。また他人をして殺させてはならない。(「ダンマパダ」)「彼らも私と同様であり、私も彼らと同様である」と思って、わが身に引き比べて殺してはならない。また他人をして殺させてはならない。(「スッタニパータ」)
原始仏典を読んでいると、「自己に目覚めよ」という言葉が多数出てくる。・・何か実体的なものを事故として想定し、それに執着することを戒めたのである。・・何かに執着し、何かに囚われた自己にではなく、「法に則って生きる自己」に目覚めさせようとしたのが仏教であった。その自己は、法に則っているが故に、「真の自己」なのである。
ダルマは、・・・事物を事物たらしめ、人間を人間たらしめ、社会を社会たらしめるものという意味であり、「真理」「道徳」「規範」「法則」「義務」「宗教」などの意味を持っている。さらにはそうしたことについて説かれた「教え」という意味でも用いられる。
自己を制し、他人を利益し、慈しみに満ちていることが法である。それは、今世においても、後世においても、果報を生み出す種子である。(「プラサンナパダー」第303偈)・・漢訳には訳出されていないが、原文には「法」がいかなるものかが論じられている。
人は、他人をあざむいてはならない。どこにおいても、だれであっても〔他人を〕軽蔑してはならない。怒りと憎悪の思いから互いに他人の苦しみを望んではならない。・・愛は憎しみに転ずる可能性が否定できない。それに対して、慈しみは愛憎の対立を超えた絶対的な愛である(中村元著『原始仏教の思想』762頁)・・このように、他の人にとっても、事故はそれぞれ愛おしいものである。だから、自己を愛するものは他の人を害してはならないのである。(「サンユッタ・ニカーヤ」第1巻、75頁)
仏教は「道に迷ったもの」に正しい方角を指し示すものであって、道を歩くのは本人であるという前提があるということだ。また、仏教は暗闇の中で燈火を掲げるようなものだとも言っている。その明りによって「色やかたち」をもつものをありのままに見、自己をも如実に見ることができるのである。
仏陀によって説かれた真理としてのその「法」は、男女を問わず、だれ人にも開かれたもので、それを覚れば、だれでもブッダ、すなわち「目覚めた人」(覚者)になることができるものであった。何に目覚めるかというと、人間としての真理(法)、真の自己に目覚めるという意味である。だから真の自己に目覚めた人、あるいは法に目覚めた人は、ブッダだったのだ。それが原始仏教というか、歴史的な人物としての釈尊が説こうとした基本的な内容だったわけである。それが、釈尊滅後、すでにインドにおいて権威主義化して、在家や女性が差別されるようになったり、さらに中国、日本へと伝わってくるにつれて変容していく。
玄奘は、「翻訳名義集」でインドの言葉を中国の言葉に翻訳しないで音写する理由を五つ挙げている。・・秘密の奥義は別の言葉に翻訳するのが困難であるからということだ。・・「多義を含むが故に」は、一つの言葉が多くの意味を持つ場合、一つの意味を訳すと他の意味が抜けてしまうから翻訳しないということだ。第三の「ここになきが故に」は、中国には存在しない動植物や固有名詞は訳しようがなく、音写するしかないということである。第四の「古に順ずるが故に」は、・・これまでの伝統にしたがい翻訳しないということだ。第五の「善を生ずるが故に」は、・・有難味が薄れるからということだ。
漢訳される段階において改ざんされたり、改変されたりすることもあった。それはチベット語訳がサンスクリット語の単語と逐一対応させた訳であるのと全く異なっている。
原本が散逸してしまっている。わずかな原本が残るのみで、ほとんど現存しない。漢訳した後は、サンスクリット原典よりも漢字になった訳文のほうに重心を置いてしまい漢訳の独り歩きが始まったのである。
蓮華というのは、汚い泥から出てくる。その汚泥に染まることなく清らかな花を咲かせる。あるいは、蓮の葉というのは、撥水性があって、水をはじく。決して水に染まることはない。そういう性質をインド人は愛でたのである。
中国仏教というのは、大まかに見て、注釈的な性質が強いようだ。・・経典に展開されているストーリー全体よりも部分の文字のほうに注目していたといえよう。
日本だけ事情が異なっていた。漢訳のままで受け入れて、大和言葉に翻訳されることはなかったのである。しかも漢文の経典は、音読みで読まれていたから、多くの人はそれをきいても意味が分からない。そんな状況が続いてきたわけである。
・・仏典においては、それが語られて時代には、その前提が暗黙の了解事項であって省略されていることがある。それを我々が読む。前提条件を知らない。しかも、聞きなれない仏教用語が並んでいる。こうして、「aイコールb」と読んでしまうことになりやすいのである。
・・日本語の持つ曖昧さに加え、漢字の多義性、漢訳仏典が音読みされてきたことなど、日本人にとって仏典を理解しにくい条件が多数重なってきたといえよう。
・・日本には、「わからないこと」イコール「有り難いこと」という変な思想がある。一部の宗教者たちにとって、それは都合のいいことだったかもしれない。・・彼らの権威づけに用いられた点も否定できない。
漢訳仏典の恣意的な解釈もしばしば行われた。それはストーリー全体から論じたものではなく、一字一字を区切ったり、一句を拾いだりしての解釈である。・・漢訳仏典の一部分を取り出してきて、自分の主張したいことをそれに織り込んで展開していくということが、日本ではよくなされた。
・・釈尊は現在の重要性を次のように語っている。過去を追わざれ。未来を願わざれ。およそ過ぎ去ったものは、すでに捨てられてのである。また未来はまだ到達していない。そして現在の事柄を各々の処においてよく観察し揺らぐことなく、また動ずることなく、それを知った人は、その境地を増大せしめよ。ただ今日まさになすべきことを熱心になせ。(中村元訳)
今日、雅楽として宮中に伝わる林邑学(りんゆうがく)もインドからもたらされてものだ。
インド人たちは月に兎が住んでいると考えていた。それが仏教に取り入れられ、菩薩の行いの物語としてアレンジされ、それが日本にまで伝えられたわけだ。
中村先生は、常々、インド仏教では、国王を泥棒と同列に見ていたという話をされていた。国王をあまり尊敬していないのである。・・仏教の考えは社会契約説である。人類が生まれて、人の集団ができ、次第に社会ができた。そこにおいて悪い人が出てくるから治安を守るためにだれかを選んで任せる。それが、たまたま国王である。そういう考えである。
・・ところが日本の仏教は、最初から国家のためという鎮護国家の思想で始まった。ここが、インドや中国と、日本との大きな違いである。・・本来の仏教の目指したことは、「真の自己」に目覚めることであったが、わが国では、その点は最も遠かったのではないかとすら思えてくる。
「諦める」という言葉、これは「真理を明らかに見る」という意味である。ところが、「帰属する集団で自分の目上の人、あるいは自分より立場が上の人の意思に反するとき、自分の目標を断念する」という意味で用いられることが多い。
大乗を釈尊が実際に説いたかという問いに対しては、「説いていない」というのが歴史的事実であろう。ただし、大乗仏教は、いわば「釈尊の原点に還れ」という運動ともいえるものであり、平等の思想など、原始仏典の思想と共通するところが多数である。その意味では「仏説」と言えないこともない。
・・これが中国に来ると「人」を重視する傾向が出てくる。けれども、あくまでもそれは「法」を体現した「人」に対する尊敬であった。だから、中国においてはある特定の人を法主として崇拝したり、個人崇拝みたいなことはなかった。ところが日本に来ると、「法」よりも特定の「人」のほうに重心が移る傾向が顕著になってきた。聖徳太子を信仰対象とする太子堂が各地の寺院に建てられ、弘法大師信仰が日本のあちこちに存在している。
・・中村先生は、「仏教における信仰とは、仏の法を信じて、心がすっかりしずまり、澄み切って、静かな喜びの感ぜられる心境を言うのである」、「もろもろの真理を認知すると同時に、それによってすっかり疑いのはれた澄み切った精神状態を言うのである」とおっしゃられ、「真理を見ることが信仰の本義なのである」、「解脱とは智慧によって覚醒することなのである」と結論されている。
「法華経」本来の理想とする菩薩は、私たち「自らが菩薩になって利他行に努める」ものであった。
結論から言えば、仏教のジェンダー平等の思想は、男尊女卑の儒教倫理を乗り越えることはなかった。したがって、観音菩薩はジェンダー・フリーの象徴などではなく、むしろ男尊女卑の儒教倫理に悩む人たちがすがるものであった。女性の地位を向上させることや、女性自らの価値や、平等意識、あるいは女性を自立に目覚めさせることから遠くかけ離れたものだった。それは日本でも同じといえよう。
草木は衆生の中には含まれておらず、草木の成仏・不成仏はインドでは考えられていなかったのである。・・インドにおいては、動物と人間はたいして変わりないものとみられている。・・ところが中国のテイン大州で、「草木国土悉皆成仏」ということが言われるようになった。草木や国土、山や川までもが成仏できるというのだ。日本ではそれがさらに徹底され、「草木不成仏」と言われた。「成仏しないのか」と思われるかもしれないが、違うのだ。「草木はもともと成仏しているのだから、改めて成仏する必要はない」という意味なのである。
インドでは現象としての「ものごと」よりも、「ものごとをそうあらしめている、その背後にある実在」を見ようという傾向が顕著である。・・普遍的な心理に関心が強いのは、インド人の国民性であって、そういう国民性がサンスクリット文法の特徴にも表れている。それは、サンスクリット語が世界でもまれにみるほど抽象名詞が多い言語だということとも関連している。
現象よりも普遍的実在を重視するためか、歴史のような事柄に対する関心は希薄なものになる。古代インドの人たちは、地理にもあまり興味を持たなかった。・・歴史に強い関心を持つのはギリシアと中国である。・・中国人、あるいは日本人もそうであるけれども、現実に極めて関心が強い。
現象として「諸法」があって、その背後に普遍的な存在として「実相」があるという二重構造を内包した訳であった。ところが途中から、「諸法は実相」という一重構造で解釈され始めた。これも漢文の独り歩きである。「現象そのままが実相である」ということになると、現実肯定の思想になってしまう。日本に来ると、さらに「現象即実在」が強調された。
インド仏教では、飲酒は禁じられていた。「長阿含経」巻11には、酒がいけない理由として、①財産を失う、②病気のもとになる、③争い事を起こす、④評判が悪くなる、⑤怒って乱暴になる、⑥智慧が失われる---の6つを挙げている。・・釈尊は「お酒は止めなさい」ということを言っていた。東南アジアのタイヤミャンマーの僧侶たちは、独身を貫いているし、お酒も一切飲まず、日本の僧侶が結婚していることを非難している。
日本では、随所に仏教の権威主義化が見られる。例えば「錦の袈裟」という言葉がある。これは形容矛盾である。「袈裟」というのは、サンスクリット語のカシャーヤを音写したもので、「薄汚れた色」という意味である。なぜ薄汚れているかというと、死体が捨てられる場所で拾ってきた布切れだからだ。・・カースト制度の最下層に位置づけられるチャンダーラと言われる人たちが身にまとっていたものだった。・・出家をするということは、権威や名声の一切をかなぐり捨てて、チャンダーラと呼ばれる人たちと同じ立場に立つということを意味していた。
出家者が手に持つ払子も同じである。これはインドでは、虫を殺さないようにそっと払うための、柔らかい毛でできた刷毛のようなものだったのだ。ところが日本では払子を持つことが一つの権威を象徴するものになったのだから面白いことである。
釈尊の時代には仏教と葬式とは関係ないものであった。・・注目すべきことは、こうした葬儀が出家者ではなく、在家のやることとされていたことである。・・戒名という言葉も仏典にはでてこない。我が国で近世になって広まったものである。
現在のような葬送儀礼が定着したのは、江戸時代の檀家制度の影響である。
原始仏典には、死者の救いは葬儀のいかんによるのではなく、亡くなった人自身の徳によるとしていた。したがって、釈尊は出家者が葬儀にかかわることを禁じていた。ところが、中国では道教や儒教の先祖供養と習合して、出家者たちも葬送儀礼を行うようになった。位牌も儒教の影響によるものであり、「四九日」の間、七日ごとに七回供養することも行われた。
われわれのものの見方は、諸法と実相のどちらか一方に偏りがちである。・・中国というのは、その両方を併せ持ち、いずれにも偏しないという見方である。あらゆるものは実体がなく、仮のものでいつまでも存続するものではないというものの見方と、現実というものを見据えていく見方、この両方を踏まえなければいけないというのである。その意味では、これは「諸法」と「実相」のいずれかに偏るのではなく、諸法に即して実相を見、その実相を諸法を通して表現するというように、両者が相依ってあるべきだと言っているととらえていいと思う。
仏教では、人として何をするかという「行い」が重視されているのだ。ところが日本では、これまで見てきたように自然観、文学論、芸術論の方面に相当に影響を与えてきた半面、人としての「振る舞い」、「行い」という面が弱かったのではないかという気がする。』
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