霖雨(りんう) (葉室麟著 PHP文芸文庫)
爽やかな時代小説を読みたくて、選んでみました。期待どおりでした。
『(中斎は、敬天の心が薄いようだ) 万物を創った天を敬い、天からの命を知った時、ひとは美しく生きられのではないか。おのれの心にのみ問いかけ、そこからすべてを知ろうと知れば、実際には我意だけが生じてしまう恐れがある。
つまるところ、わかってもらいたいという気持ちがおのれの欲なのでありますまいか。その欲を捨てて、為すべきことを為していくのがひとの道だと思うようになりました。
・・どこにでも信じている人は必ずいるのです。」 久兵衛の言葉はやさしく力強かった。
「そうじゃとも。この世に正しきこと、尊ぶべきことがあると知れば、ひととして生きてよかったと心底思える」
だが世間は、過ぎ去った人々の生き方を説く者を重んじても、同じ世に生きている者が何をなしているかをしっかりと目を見開いて見ようとはしない。
学問をする者は、時に自らの志に酔う。世間を睥睨し、自らを高しとするあまり、現実の物事が見えなくなってしまう。
・・この長きにわたった苦痛は、ひとの痛みを分かち合い、ともに生きよと命じる天の諭しではなかったかと考えるようになった」・・・「・・・たとえ霖雨の中にあろうとも進むべき道を誤ってはなるまいとな」
先格因循とは古い習慣や、先例のみにしたがって物事をおこなうことだ。一時しのぎに終始し、改革はできない。文盲不学とは、学問がなく、変化に対応できない状態をいう。
〈仕法〉とは藩の財政改革をやり遂げる方策のことで、二宮尊徳の〈報徳仕法〉が名高い。
ひとの暮らしとは、心身を労して休まずに地道に歩み続けることだと、教えられた気がする。たとえ悲運が雨にように降りかかろうとも、日々の務めをおろそかにせず、歩みをとめないで一足でも前に歩を進めれば、やがて前方にほのかな明かりがみえてくるに違いない。
ひとの心を動かすのは、つまるところひとを生かしたいとの想いなのだ。
「武備は国を保つ要務であり、いかに武士道の志があろうとも、戦う者がいなけrば大敵に勝つことはできない。・・・
屠龍の技とは、「荘子」の「列禦寇篇」にある、龍を殺す技を苦心の末に身につけても、実在しない龍に出会うはずもなく、役立てる機会がない技の謂だ。
「亡くなられた父上は、止まぬ雨はない、と仰せられたが、止んだ雨はまた振り出しもしようし、そうでなければ作物は育たぬであろう。この世に生まれて霖雨が降り続くような苦難にあうのは、ひととして育まれるための雨に恵まれたと思わねばなるまい」
すぐに結果が出ないと不満が出るのは、いつの世も同じです。だから現実と格闘していくのは大変なのです・・・
咸宜園の教育方針である「ことごとくよろし」つまり「鋭きも鈍きも捨てがたい。使いようだ」という話をされ、少々頭が悪くてもいろいろな生き方があるのだから頑張れと励まされもしました。
「心は高く、身は低く」という家訓がありました。志は高く持ちつつも、いろいろな人の意見に耳を傾け、感謝の気持ちを忘れずに、ということだと思います。
』
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