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2015年11月

2015年11月19日 (木)

 雑誌記事から (文藝春秋 2015年12月号)

真意いろいろと心に残る記述がありました。

『母が毎日綴っていた日誌の表紙裏には次のような言葉が書かれていました。「教師たる資格は、自分自身が進歩していることである。」 (「東大に行かなくてよかった」 大村智)
長い間練習して、試合で使ってみてようやくわかることってたくさんある。うまい子でも根性なしだったり、いざというときに役に立たんかったり。
・・思ったのは、シンクロの場合、女子は練習の時には仕上げないといけないけれど、男性はいざ本番となると力を出すということです。
駄目なコーチほど難しいことを難しく教えるんですよ。難しいことを簡単そうに教えるのが優秀なコーチ。いとも簡単に言ったら選手もプライドがありますから出来ないとは言わない。 (「いまどき女子選手を鍛え直す」  井村雅代、佐々木則夫)
日本人が海外で戦っていくためには、アメリカのように会社に入って何年か経ってから大学院で学び直すことが必要になってくると思います。勉強するのはリベラルアーツでもMBAでも何でもよい。常に新しい情報に関心を持ち、意識的に勉強をする習慣をつけることが大事です。そうすれば自然に頭に「アンテナ」がたつようになる。アンテナが立っていれば知的好奇心が様々な情報をキャッチすることができる。逆にこのアンテナが立っていなければ、世界各地から流れてくる情報も全て目の前を素通りしていってしまいます。そして仕事に関してはプロフェッショナルであること。これからの世の中では大企業の社員という肩書は価値を持ちません。問われるのは「何のプロフェッショナルか」ということです。私は日立の社員にも、「自分は国際会計のプロです。いまはたまたま日立に勤めています」といった自己紹介ができるようになってほしいと思っています。 (「ライバルは世界だ。甘えるな」 川村隆)
バブル崩壊後の20年余りあらゆる政権、あらゆる政策がデフレを解決できなかったのは厳然たる事実です。それはなぜか?2007年に最初の総理の座を持してからこの問題を考え続けてきた私は、批判を恐れ、リスクをとって思い切った政策を実行してこなかったからだと結論付けていました。
しかし、2度目の総理に就任して思うのは、1度経験したこと、挫折したことが、今あらゆる判断を下す際の大きな糧になっているということです。
・・若者もお年寄りも、女性も男性も、難病を抱えた人も障害がある人も、一度失敗した人も、みんなが活躍できる社会を作るために、それを阻むあらゆる制約を取り払いたい。そうした思いから生まれたのが「一億総活躍」なのです。(「アベノミクスの成否を問う 『一億総活躍』 わが真意」 安倍晋三)』

2015年11月17日 (火)

霖雨(りんう) (葉室麟著 PHP文芸文庫)

爽やかな時代小説を読みたくて、選んでみました。期待どおりでした。

『(中斎は、敬天の心が薄いようだ) 万物を創った天を敬い、天からの命を知った時、ひとは美しく生きられのではないか。おのれの心にのみ問いかけ、そこからすべてを知ろうと知れば、実際には我意だけが生じてしまう恐れがある。
つまるところ、わかってもらいたいという気持ちがおのれの欲なのでありますまいか。その欲を捨てて、為すべきことを為していくのがひとの道だと思うようになりました。
・・どこにでも信じている人は必ずいるのです。」 久兵衛の言葉はやさしく力強かった。
「そうじゃとも。この世に正しきこと、尊ぶべきことがあると知れば、ひととして生きてよかったと心底思える」
だが世間は、過ぎ去った人々の生き方を説く者を重んじても、同じ世に生きている者が何をなしているかをしっかりと目を見開いて見ようとはしない。
学問をする者は、時に自らの志に酔う。世間を睥睨し、自らを高しとするあまり、現実の物事が見えなくなってしまう。
・・この長きにわたった苦痛は、ひとの痛みを分かち合い、ともに生きよと命じる天の諭しではなかったかと考えるようになった」・・・「・・・たとえ霖雨の中にあろうとも進むべき道を誤ってはなるまいとな」
先格因循とは古い習慣や、先例のみにしたがって物事をおこなうことだ。一時しのぎに終始し、改革はできない。文盲不学とは、学問がなく、変化に対応できない状態をいう。
〈仕法〉とは藩の財政改革をやり遂げる方策のことで、二宮尊徳の〈報徳仕法〉が名高い。
ひとの暮らしとは、心身を労して休まずに地道に歩み続けることだと、教えられた気がする。たとえ悲運が雨にように降りかかろうとも、日々の務めをおろそかにせず、歩みをとめないで一足でも前に歩を進めれば、やがて前方にほのかな明かりがみえてくるに違いない。
ひとの心を動かすのは、つまるところひとを生かしたいとの想いなのだ。
「武備は国を保つ要務であり、いかに武士道の志があろうとも、戦う者がいなけrば大敵に勝つことはできない。・・・
屠龍の技とは、「荘子」の「列禦寇篇」にある、龍を殺す技を苦心の末に身につけても、実在しない龍に出会うはずもなく、役立てる機会がない技の謂だ。
「亡くなられた父上は、止まぬ雨はない、と仰せられたが、止んだ雨はまた振り出しもしようし、そうでなければ作物は育たぬであろう。この世に生まれて霖雨が降り続くような苦難にあうのは、ひととして育まれるための雨に恵まれたと思わねばなるまい」
すぐに結果が出ないと不満が出るのは、いつの世も同じです。だから現実と格闘していくのは大変なのです・・・
咸宜園の教育方針である「ことごとくよろし」つまり「鋭きも鈍きも捨てがたい。使いようだ」という話をされ、少々頭が悪くてもいろいろな生き方があるのだから頑張れと励まされもしました。
「心は高く、身は低く」という家訓がありました。志は高く持ちつつも、いろいろな人の意見に耳を傾け、感謝の気持ちを忘れずに、ということだと思います。

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