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2015年8月16日 (日)

(新訳)南洲翁遺訓 西郷隆盛が遺した「敬天愛人」の教え (松浦光修著 PHP研究所)

原書は読んだことがありますが、訳文のほうがやはり私にはすっきり理解できました。満年齢で50歳にも達しないで、このように素晴らしい人間性をもった人物がいたからこそ、日本は列強の植民地にされることがなかったのでしょう。

『自分の心の中に、いつも公正な判断基準を保ち、自分が正しい道を行うとともに、優れた人材を抜擢し、さまざまな仕事をなしとげる能力をもった人たちを引き上げ、その人たちが思うぞんぶん力を振るえるようにしてやること・・・それがつまり、天のご意志だよ。

政治で大切なことは、大きくいって、”文”を興隆させ、”武”を実践し、”農”を振興する・・・という三つに絞られるだろうね。政治では、まずこの三つが優先されなければならない。
そんな具合で、政治はうまいことを言って、なんとか税金を取ろうとし、納税者も、うまいことを言って、なんとか税金を逃れようとする。それで、お互いにウソの言いあいになって、だんだん憎い敵同士のようになる・・・・。そして、最後には政府と納税者の心はバラバラになり、国家が崩れてしまうんだよ
・・・会計や出納というのが、すべての政策の中心にあることなんだから、このことは、慎重の上にも慎重に考えておかなければならないことだね。では・・・・、その会計や出納を取り扱う際の、基本的な心構えとは、どういうものかというと、それは”収入の分しか支出しない”ということ以外にはないよ。
税金を搾り取って、国がどんどん発展しているように見えるとき、その一方で、じつは国の底力は、どんどん消耗していってるんだね。そして、ふと・・・気が付いた時には、もう手の施しようがないほど、国の底力が失われている・・・・、そんなことになるんだよ
やたらと軍備を拡張して、無意味な虚勢をはったりしてはいけないね。普段から軍人の士気を高めておいて、”えりすぐりの精鋭ばかり”というような軍隊にしておけば、たとえ兵隊の数は少なくても構わないんだよ。平時において外国と交際していくうえでも、有事において敵国からの侵略を防ぐうえでも、軍隊というのは、それで充分なんだよ。
国民の上に立って、政治に携わる者は、つねに慎みの心を持って、どこにいても品行正しく、ぜいたくをしないように心掛け、自分の仕事に一生懸命に取り組むような・・・つまり人の手本になるような人でなければならないね。政治家たちが、そういうふうに一生懸命に仕事をしている姿を見て、納税者たちが、「あんなに身を粉にして働いてもらって、お気の毒に・・・・」と思うくらいでなければ、政治の命令に、納税者たちが納得して従う・・・なんてことはないよ。
まずは、我が国の”我が国らしいところ”をしっかりと固め、国民の道徳心を高めて、そのあと、外国のよいところを、静かに取り入れていくことだね。それとは逆に、何の考えもなく、むやみに外国のマネをしていったら、我が国の”我が国らしいところ”は、だんだん消え、国民の道徳心も、だんだん衰えて、その結果、我が国は、どうにもこうにも、救いようのない国になってしまうだろうね。
20世紀の初めになると、なんと地球の陸地の89%が欧米の国々によって支配されている、というありさまでした。
そのことは、左内の死を見て、幕府の高官が、「井伊大老が橋本左内を殺したということ一つで、もう徳川幕府は、滅びるに値する罪を犯したことになる」と語ったことからもうかがえます。
「・・・洋学ばかりに専念して勉強させていると、やがては自然に、その学生の学識が、偏りのあるものになる危険性があるので、将来的には、教授陣がしっかりと人を見極め、儒学の哲学者を、何か一つマスターした学生に、それぞれにふさわしい洋楽の専門科目を学ばせるようにしたいものです。」何という見識の高さか・・・と嘆息するほかありません。しかも、これが、24歳の青年の文章というのですから・・・もう唖然とします。
”文明”というのは、どういうことかわかるかい?それは、道徳心が人々に広くゆきわたって、それが実践している国の様子を、称えて言う言葉なんだ。けっして宮廷が大きくて立派だとか、人々の服装が美しくて綺麗だとか、そういう外から見た、ふわふわした華やかさを言うのではないよ。
節操や道義・・・恥を知る心、こういうものを国民が失ったら、国は、とても持たないね。これは、西洋でも同じことだよ。たとえば、政治家や官僚や公務員などの上に立つ者が、国民から利益を得ることばかりを求めて、社会正義を忘れてしまったならば、どうなる?国民もその真似をしてその心は、どんどん拝金主義に向かい、いやらしい貪欲な心が、日を追うごとに国民の間に広がっていくよ。
吉田松陰にも、こういう和歌があります。「備えとは 艦と砲との 謂(いい)ならず わが敷島の やまと魂」 歌意はこうです。「国防のために備えというのは、根本的には、軍艦や大砲などの装備の問題なのではない。日本人に、断固として自国を護ろうとする精神があるのかどうか、ということが問題なのである」
・・今の世界の国々が、どういう関係になっているのか、これからどう動いていくのか、日本はそれにどう対処していけばいいのか・・・、そういったことも、漢籍の「春秋左氏伝」を熟読して、そこから得た知恵を、さらに同じく漢籍の「孫子」で補えばいいのさ。そうすると、いまの国際情勢の動き方も、それらの古典に書いてある時代の国際情勢の動き方と、ほとんど変わらない・・・ということがわかるはずだよ。
岡田英弘氏は、こんなことを言っています。「われわれが認識している中国人すなわち漢族は、後漢時代の2世紀で消滅してしまっている」(「この厄介な国、中国」ワック)
世の中の多くの人々は、ことが行き詰まったら、その時になって、なりふりかまわず、その場しのぎの策略を用いがちで、「とにかく、いま目の前にある大きな問題さえなんとかすれば、そのあとは、その時その時で、工夫次第・・・・」などと思うものだけれど、あとになって必ず、その策略のひずみが出てきて、その結局のところ、何もかもダメになるのさ。正しい道を選んでそれを実行する・・・・というと、一見すると、まわりくどくて現実的ではないように言えるかもしれないね。けれど、あとになってふりかえってみると、その方が、結局のところは、早く確実に成功する道だった・・・・ということが分かるはずだよ。
どれだけ制度だとか、方法だとかを議論したところで、そこに”人物”がいなければ、ものごとはうまくいかないよ。”人物”がいて、そのあと制度や方法が活きてくるものさ。だから、”人物”というのが一番の宝なんだよ。そういうと、「人物がいなくて…」と、こぼす人がよくいるけれども、そんなグチを言う前に、何よりも、まず自分自身が、そのような”人物”になるよう、心がけなければいけないね。
”正しく生きる”という覚悟を、普段から固めて生きていない人は、何か突発事態が起こると、うろたえ騒いで、事態に正しく対処できないものだよ。
策略を、平和な時の日常生活で使ったりしてはいけないよ。策略でやったことは、あとからその経験を振り返ると、まちがいなく後味の悪いものになるし、それに必ず、あとで弁解ができないような失敗がつきまとうものさ。ただし、戦争という非常事態の時には策略は必要だよ。これは戦略とか戦術などと呼ばれるものだね。
人を言いくるめて、こそこそと陰で事をなそうとするような者は、たとえそれで、さしあたっての懸案を処理できたとしても、ものごとを見抜く力のあるものから見たら、まあ・・・その醜いことといったらないね。人と交渉するときは、私心などにとらわれることなく、公正な心を持って、ひたすら真心で当たっていけばいいのさそうでなければ、世間で英雄と呼ばれるような偉大な人物と、心をかよわせることなど、けっしてできはしないよ。
自分も聖人とか賢人とか・・・・、そう呼ばれる人物になろうという、高い志がなくてはいけないね。ところが、そういう人物のことを聞くと、すぐにこういう人がいるだろ。「いやー、私なんかには、真似をしようと思っても、とてもできませんよ・・・」それはね、戦いに臨んで、すぐに逃げ出すよりも、もっと卑怯なことなんだよ。
吉田松陰は、「松下村塾記」で、「学問というのは私たちが、人としてどう生きるのか、という知恵を学ぶことである」と言っています。
世間の人たちから見たら、単に”運がいい”としか見えない人でも、じつは合理的に考えつくしたあとの行動があったり・・・・、そういう世間の人の目には見えない才能や努力や勇気が背後にあって、成功している人のほうが多いものなんだよ。
天下というものは、誠がなければ動かないし、才能がなければ治まらない。本物の誠があるものは、世のために動くとなると、その行動は早い。多様な才があるものは、世を治めるとなると、その治める範囲は広い。そのような才と誠が合わさって、そのあと、初めて事業は成就する。
文というのは、単に紙筆のことをいうのではない。文は必ず、さまざまな事態に対処する才能とともにあらねばならない。武というのは、単に武具のことをいうのではない。部は必ず、敵の力量を見極める知恵とともにあらねばならない。そのような才能も知恵も、もとをただせば、一つのところへゆきつく
”こういう事態にはこう対応する”ということは、普段の何事もない時に、黙って座り、静かに考える時間をつくって、そういう時に心の中で決めておかなくてはいけない。そういう具合に、ふだんからの心の準備をしておくと、何か突発事態が起こっても、十くらい準備していたことの、九つか八つくらいは、実行できるものだよ。
ちなみに、一斎は、朝起きてまだボンヤリしているときに、心静かに正座して、その夜の胸を思い出して反省することを人々に勧めています。
けれども、人というのは、自分の事業が成功し、世間で名前が知られていくにつれて、いつのまにか、だんだんと”自分にとらわれる”ようになってしまう。そうなると、いろいろなことに対して、畏れる心とか・・・、慎みの心とか・・・、自分を戒める心とか、そういうものを失っていくんだね。
わが屍を山野にさらすことによって、民族の誇りを護り、次の時代の国民を支えることができるならば・・・と、そう信じて散っていった武人たちは、幕末から昭和に限っても、無数にいたことと思います。
自分の心のありようを、根本から”己に克つ”という状態に変えておくことだね。そうすれば、一つ一つの出来事に過敏に反応することもなくなるんだよ。
人の志を、大きなものにしようとするとき、もっとも邪魔になるものは、自分ンが人からもらえるものは、何でも自分のものにしようと思う心・・・・、また自分が人に与えるものは、なんでも惜しもうと思う心・・・。そして、そういう低俗な世界に安住しようとするこころ・・・。それらの心から脱却するための、もっとも良い方法は、立派な先人を尊敬し、自分もそういう人になろうと努めることである。ぶんの
自分の学問の”意味”について何も考えず、ただ細かい事象の詮索に終始している学者というのは、たとえて言えば、ジグソーパズルの小さなピース一つを、一生懸命磨いていながら、いったいそのピースが、パズルのどこに入るべきものか、まったく考えていない人と同じです。
人が正しく生きる道というのは、何も人工的に”つくられたもの”ではなくて、人の上に点があり、人の下に地があるように、ごく自然に、もとからあるものだから、人というのは、素直にそれにしたがっていれば、おのずから正しく生きることができるものなんだよ。だから、生きていくうえでは、ただひたすら、”天を敬する”ということを心がけていればいいのさ。天というのは、他人も自分も、同じように愛してくださるものだkら、私たちも、天の心と自分の心を一致させて、自分を愛するのと同じように、他人を愛することだね。
人を気にせず、天を気にして生きていくことだね。人生というのは、”天だけが本当に自分のことを知っている”と考えながら、今、自分にできる限りのことをしていけば、それでいいものなんだよ。
いろいろと善くないことはあるけれど、いちばん善くないのが、”自分に執着する”ということだね。
仏教でいう「愛」は、「貪り」とか「執着」などの意味で、否定しなければならない「煩悩」の一つです。・・古川哲史という日本倫理思想史の権威は、「日本倫理の究極」は、「克己以外の何物でもなかった」と書いています(『明治の精神』)。
失敗したことを、いつまでもクヨクヨと思い返し、”これからでも、なんとかとりつくろう方法はないだろうか・・・”などと心配するのは、たとえば、茶碗を割ってしまった後、そのカケラを拾い集めて”なんとか元にもどらないだろうか・・・”と、悔やんで眺めているのと同じで、まったく意味のないことだよ。
”正しく生きる”ということを貫こうとすれば、当然のことだけれども、困窮してしまったり、災難にあったりするものだよ。だから、どんなに苦しくつらい場面に直面しても、そんなことで動揺しないことだね。・・・大切なのは、そういう出来事に対して、”自分が正しく生きるといことを貫くことができたかどうか”というところにあるからさ。・・・”生きる”というのは、そういう”技術”のようなものとは、全然ちがうんだよ。もともと人というのは、全て”正しく生きる”ようにつくられているものなんでね・・・・。
朝には主君の寵愛を受けていても、夕方には主君から虐待される・・・・。人生の浮き沈みというものは、まるで夜と昼が、かわるがわるめぐってくるようなものである。しかし、たとえ日光が射して来なくても、ひまわりはつねに日差しの方向に向いている。私も、これからあと、たとえ運が開けることがなかったとしても、ひたすら誠の心を尽くしていこう。
式部は、「楠木正成という武将は、こういうことを言っていた」として、こう書き残しています。「君主を怨むような心がおかったならば、アマテラス大神のお名前を唱えなさい」(「奉公心得書」)
”正しく生きる”ということを決意したなら、世の中の人がすべて自分を貶そうと、そのことで、”自分はダメな人間だ・・・”などと落ち込んだりしてはいけないな。その逆に、世の中の人がすべて自分をほめても、”自分は、素晴らしい人間だ…・”などと舞い上がってもいけないよ。・・・問うの韓愈が書いた「伯夷の頌」という文章を繰り返し読むことだね。そうするおt、いつかきっと君たちも、自分の心の中に、自己肯定感を確立することができると思うよ。
世の中で、のちの世の人からまでも、信じて仰がれ、喜ばれて慕われるものとは、ただ一つ・・・本物の誠の心だけだよ。
西郷さんが亡くなったのは、数え年では51歳ですが、満年齢でいえば49歳です。』

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