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2015年7月

2015年7月25日 (土)

君は、世界がうらやむ武器を持っている 海外に出ることだけがグローバル化じゃない (田村耕太郎著 大和書房)

元国会議員の著者が、日本の将来に向けての提言を述べています。非常に参考になり、前向きな気持ちを持てました。

『本当に大事なのは「グローバルな視点」を持ちながら、これからの日本社会をデザインしていくことだ。メディアの「日本悲観論」に惑わされがちだが、まだ日本には世界で戦える余地が残されており、豊かに生きていける可能性がある。

韓国やシンガポールの人々がグローバルに競争せざるを得ないのは、なにも彼らが生まれつき意識が高かったり、競争力があるからではない。簡単なことだ。彼らの国には内需がないだけなのだ。耕す畑や掘る鉱山が国内にはない。我が国は内需を舞台に勝負できる稀有な国なのだ。

外に出る日本人と国内を掘っていく日本人。このコンビが各々の持ち場で真剣に頑張れば、日本の総力は間違いなく向上する!

日本経済は、何よりバランスがいいのだ。新興国にありがちな「資源頼みのモノカルチャー」だったり、外資頼みだったりしない。日本には幅広い日本発の産業がある。

フローで500兆円ほどのGDPと、金融・不動産合わせて3000兆円を超える個人資産を持ち、国家として253兆100億円と年間GDPの半額規模の世界最大の莫大な対外純資産もある。

・・日本には莫大な内需とユニークな消費者が存在するからだ。ゆえに私は、日本人なら軸足を国内におきながら、グローバル化に対応することも可能だと考えている。これは内向きということになるだろうか。これも内向きというなら、それでいいではないか?内にチャンスがあり、それを生かすなら、それは内向きではなく、「戦略」なのだ。

なかでも高齢化対応という市場はこれから巨大化していき、多様なチャンスを生む。・・彼らは医療や健康というサービスを買いたい意欲は強く持っている。

国を挙げて英語教育やグローバル化に取り組むシンガポールや韓国と違い、皆が英語を勉強し世界を目指す必要はないのだ。

確かにこれからの日本の人口は減り、市場は縮小していく。しかし、日本の人口減少のペースは年率で1%未満というゆっくりしたものだ(総務省「平成25年人口推計」)。逆に医療技術の発達や食生活の変化でさらに寿命が延びていけば、人口減少率が下がる可能性はあるし、国の政策によって少子化の下げ止まりを実現したフランスのような例もある。これくらいのゆっくりしたスピードなら、対応することは可能だろう。

また、新興国の多くも日本に敬意を抱いている。そして、同盟国であるアメリカも、その新興国の台頭を抑える意味で日本に期待する。しかし、日本が経済力を徐々に失い、その反発力に期待できなくなる一方で、新興国が日本以上のグローバル化対応に成功し、急速に経済力や技術力を獲得した場合、相対的なパワーバランスが変化し、隣国の日本を見る目が変わる。

アメリカのいい高校は信じられないくらいの質と量の勉強をさせる。課外活動やスポーツからもリーダーシップを学べる。そこで、勉強でもスポーツでもアメリカの同世代と激しくやりあった経験がなければ、トップの組織でチームを作り、率いることはできない。

しかし、世界と戦うための選択肢は一つではない。「将来のために、日本で戦う準備をする」という選択はガラパゴスではない。長期的な視野に基づく、合理的な戦略だ。日本にはそれだけのポテンシャルがある。

当事者である日本人よりも、海外のほうが日本の良い点、悪い点を客観的に評価している。世界がチャンスを求めて日本に集結しつつあるのだ!

日本のような土地や人件費の高い場所なら、付加価値の高い食材を作るべきだろう。同じ面積でもコメを作るか、トマトを作るか、イチゴを作るか、肉牛を育てるか、土地あたりの付加価値は変わってくる。

「計画を立てた後、それを正確に実行させるのは日本人が世界一だ」と彼は言う。わたしもそう思う。つまり、「再現性」に関しては日本が世界一なのだ。・・「計画を立てることや、計画を機動的に変更していくことは、日本人は苦手だと思うか?」と私が問うと、「全部求めてはいけない。そんな何でもできる国は世界にはありはしない。自分の強みに立脚し、弱みは他者を利用することで補うのだ。それが戦略だ。何でも自分でやろうとすると失敗する」という。

・・日本人は自虐的だが、英語に関してもそれなりに通じる。シンガポールほどではないが、上海やソウルよりよほど通じる」という。

本当の安定を求めるなら、変化に対応する力を持つべきで、それはピンチをチャンスと変えることから始まる。なぜピンチはチャンスなのか?以下にその理由を列挙してみた。大変化がもたらすピンチのおかげで、・自分の能力が覚醒される ・自分の考えや行動を正してくれる ・自分の心を鍛えてくれる ・通常では来ない順番が回ってくる ・真の友人と新たな支援者を見つけさせてくれる

「日本はハイテクが強い」という論調もありますが、日本が本当に強いのは、「ややこしい設計」。だから「半導体で負けても、節水のための設計が複雑になる便器では勝てる」といってことがありうるわけです。そういったものを作る日本のチームワーク型のモノづくりの現場は、多くが健在です。

工場化された農業は容易にまねされますが、日本の農家一軒一軒が持つ強みと独自性、このバラエティこそ競争力だと思います。安易に大規模施設園芸に走って競争力をおとしてはならないと思っています。大切なのは品質、つまり味と安全性なのです。

東京大学高齢社会総合研究機構の秋山弘子教授によると、日本では高齢者のうち、その70~80%が健常者だといわれ、70歳くらいまでは、問題解決能力や認知能力は向上するという。さらに日本の高齢者は90歳以上でも健康を維持した人が11%もいる。高齢者は有望な消費者としてだけでなく、かなり期待できる働き手だ。・・幸せな加齢のための条件が科学的に解明されるつつある。ジェロントロジー(老年学)が提唱するその条件は、1 栄養、2 運動、3 人との交流、4 新しい概念の受容性、5 前向きな思考 この五つの条件が満たされれば、健康で幸せに加齢することができるという。

「和食のおかけで日本人は長寿である」という誤解があるが、それは間違いだ。日本人の寿命を延ばしたのは栄養の改善と医療の発達である。

急速に人口増加を続けたインドやアフリカでも、人口増加は経済発展とともにやがて頭打ちになり、人口減少&高齢化が世界のトレンドになってくる。日本はその先頭に立ち、彼らが高齢化社会を想定し始める前に、高齢化社会の運営を行っている。世界は日本を後追いしてくる。もし世界に先駆けて、より安定して発展し、皆が希望を持てる高齢化社会モデルを日本が作り出せれば、日本は再び世界のモデルとして注目を集め、貢献できるのである。

投資家のマイケル・ミルケンは「医学と食事による人々の若返りは引き算ではなく掛け算である。われわれは過去の人たちの年齢の7掛けだ。80歳なら56歳、70歳なら49歳、60歳なら42歳」といっている。

・・高齢者世帯の年間所得(厚労省「平成22年国民生活基礎調査」)で見ると、その平均値は307.9万円である。全世帯の平均値が549.6万円なので、半額とは言わないが、平均の56%である。平均ではなく中央値で見ると254万円となる。100万円から300万円の範囲で最も人数が多く、このことから「高齢者間の格差」が問題になってくる。・・60歳以上の4分の1は金融資産ゼロだという。一方で、3000万円以上保有する高齢者が全体の16%もいて、彼らが平均を押し上げているのだ。この格差は今後の大きな課題である。

日本が高齢者対策先進国としてモデルにしてきたのが、スウェーデンだ。北欧をあたかも「理想郷」のようにいう識者の意見も多い。しかし、東京大学の秋山弘子教授によると、いまその北欧は日本をモデルにしているという。スウェーデンには高齢社会担当大臣がいるが、毎年のように30人くらいの議員団または政官民のグループで日本に視察に来ているという。

アメリカ暮らしが長い秋山教授も、「昔はアメリカのほうが、高齢者に対する配慮は進んでいると思っていた。でも今では日本のほうがずっと対応が早い。いま、世界一元気に活動しているのは東京の高齢者なのではないか」と語っている。

田村 出口社長が今、大学生だったらどのような準備をしますか? 出口 平凡ですが、「体を鍛える」「英語」「読書」の3つですね。

出口 ・・年功序列という価値観は、「高度成長」と「人口の増加」という2つの前提があってしか成立しない、ガラパゴス的な世界観だという認識を持つことですよね。第2次世界大戦以降の極めて例外的な世界観です。

現在の中国の大学生数は2000万人を超えるといわれている。ちなみに、日本は280万人(文科省「平成24年学校基本調査」)。・・しかし、中国大学入試においては、厳しい地方差別がある。中国は学生の出身地によって、大学に合格する点数が違うのだ。例えば、北京出身の高校生が北京大学に合格する点数と、他の地域出身の受験生が合格する点数が違う。もちろん、北京出身者は地方出身者よりも低い点数で合格できる。

・・死ぬまで自分の食い扶持を稼いでいかねばならない時代となるだろう。公的年金ができてからおよそ50年。日本の長い歴史の中では、死ぬまで自分で稼いでいく時代が当たり前だったわけだ。その時代に戻っていくだけだ。

”人生7掛け説”から考えると、60歳の7掛けは42歳。実年齢は還暦でも、精神的にはバリバリのアラフォーとなる。今後はこれくらいの感覚で人生をデザインしなおすことが必要となってくるだろう。今の若者なら3ケタ人生を想定し、逆算して若いころから自分で稼いでいく準備を行うべきだ。

・・東京大学の藤本隆宏教授やライフネット生命保険の出口社長とお会いした際、「若者と外国人と女性が日本を変える」と語っておられた。全くその通りだと思う。日本がよくなるとすれば、若者と外国人と女性を活用した時だし、日本のためにはそうすべきだ。それに加えて、「失敗した人間の再チャレンジを寛容に促進する社会」をつくっていくことが急務だ。

これからは、過去「何をしてきたか」だけでなく、「今、何ができますか?」がより問われる時代だ。そして前述のように多様なバックグラウンドの人とやっていく時代である。

「ファンのためにプロとして真剣勝負するが、私怨はなしだ」という意味だ。これからはこういう感覚が求められるだろう。こういった感覚を持てば、もし上司が息子くらいの年齢でも、女性でも、外国人でもクールに仕事に徹することができるだろう。

15~64歳までの”起業活動率”が最も高い国は以外にもナイジェリアだ。次いで中南米国家が続く。ナイジェリアでは15~64歳までの人口のうち、30%以上が起業家活動を行っている。中国もその数字は高くて24%。起業大国というイメージがあるアメリカは以外にも低くて12.3%。大企業がなくて、雇用の受け皿が不足しているからであろうが、新興国のほうが起業家精神が高い傾向にある。

20世紀を通じて、科学系のノーベル賞受賞者の年齢は平均でも6歳上昇している。また、40歳未満で受賞した人物は非常に少ない。ジョーンズ教授は、コンピューター技術の分野では若くしてすぐれた才能を見せる人物がいるが、医学、薬学、バイオ、ナノテク、クリーンエネルギーなどの分野では経験あるものが有利たと実証研究から述べている。

組織にも多様性があったほうがいい。私が思うに、日本企業がグローバルな舞台でなかなか結果を出せない理由の一つに、日本企業の経営幹部の会議が非常に同質性が高いことが挙げられるのではないか。

・年上、年下双方が、お互いをプロとしてリスペクトする ・仕事が人生のすべてではないと割り切る ・プロとしてお互いのスキルを合わせて成果を目指す この3点が、これからの時代、最も成果を上げる秘訣だろう。

日本人ほど格差もなく所得の高い人種はそうそういません。食事もおいしいし治安も良い最高の国です。

日本語は偉大です。スーパー言語だと思います。言葉一つだけでボディランゲージもいらずにその先まで連想できるほど素晴らしい言語です。その言語のおかげでモノづくりの匠が生まれたと思うほどです。

妙なぜいたくな長続きはしないことがわかったのだ。バブルは崩壊したが、バブルが残した優れたセンスやタッチは、建物から衣類、食事まで、ある種の”文化遺産”として社会に残った。若い世代は、成金として気恥ずかしくなるくらいのぜいたくをしてきた世代を「なんだかなあ」と横目に育ってきた。これらの世代は、バブルから成金根性を抜いた。当時生み出された文化のエッセンスのみを享受しているのだ。

江戸時代も絢爛豪華な文化が栄えた時代だが、誰もがその豊かな文化を謳歌できる社会ではなかった。これだけ平均的に豊かで、センスのいいものに囲まれている時代は今までなかったのではないか?そういう意味で日本史上最高にセンスのいい日本人が生まれているのだと思う。

物欲でなければ、今の若者の”頑張り”の源は何なのか?今の若者世代には、私の頃と比較して「社会にインパクトを与えたい」「好きなことをした」「世の中に貢献をしたい」という”志”をモチベーションにしている人が多いのではないか。

志はとても立派だ。しかし、彼らに足りないのは、自分の土台を作り、しっかりと力を蓄えないとそんなことはできないという自覚だ。自らを救えない人間に他人は救えないし、社会にインパクトをあたえるためにはそれなりの存在にならないといけない。

・・儲からないと続かないし、たくさんの人を救い、社会にインパクトを与えることはできない。稼げない人間に世の中は変えられない」

職種や規模やビジョンにもよるが、これからは「専門職」と「部門のマネージャー」と「社長」を比較した場合、「誰が一番偉い華わからない」といっあフラットな組織づくりが求められるだろう。

そもそも日本社会が歴史的に豊かで安定した背景にはこのような「他人をうらやましがらない気質」があるのではないか。

これからの時代に有利な日本人が持つ美徳は以下の通りだ。 ・規律ある行動がとれる ・相手の立場に立って考えられる ・感性が豊かでセンスがいい  これらに磨きをかけ、活かせば、国内で十分戦える。そして、やがては世界がほしがる人材になるだろう。

・・過剰に英語を気にしすぎる必要はない。優先順位でいえば、自分が生きていく専門分野の能力のほうが大事だ。プロとしてそれにしげんを投入すべし。

現実の人生に存在するのは”合わせ技”の勝負だ。日本人は他の人種より器用なので、”合わせ技”勝負が向いていると思う。短所は長所、長所は短所なのが人生だ。

国際舞台では日本の対応は「空気が読める行動」だとは評価されていない。自分の思惑とはまったく違うシナリオを作り出してしまい、結果的に日中の外交関係だけではなく、経済関係も損ない、日本経済に深刻なダメージを与えた。なぜこんなに日本人が空気が読めなくなったのかというと、それは自立し、自ら責任を取る形で国際社会に向き合ってこなかったからだ。アメリカに「おんぶにだっこ」のままで、自分の決断の結果責任が自分に降りかかってくるとの危機感を持って、外交戦略を決断する訓練をしてこなかったからだ。

私の議員時代、中国共産党の幹部が来日し、ある興味深い本音を吐露してくれた。「こんな言い方をしたら悪いが、20年間ゼロ成長でも、街頭で反政府デモ一つ起きない日本が羨ましい。「社会の安定」こそ、われわれが目指すものだ。そのためにはひたすら成長をしないといけないのだが、いつまでも成長し続けることはできないだろう」

最後に私のモットーを読者の皆さんに送りたい。「明日死ぬ覚悟で生き、永遠に生きるつもりで夢見て計画を立てよ」というものだ。これは私が敬愛するアメリカの80代半ばの現役投資家から頂いた言葉だ。・・「明日死ぬかもしれない」との覚悟で生きていると、誰かにあっても、この機会で吸収すべきことは、全て得ようと思える。そして、全力を尽くし、一秒単位で時間を有効活用しようという動機が強まる。

10年間あるテーマで研究すれば、博士号をとってコンサルタントもできると思うし、中国語やスペイン語に打ち込めば、仕事でつかえるレベルになるだろう。陶芸でも料理でも農業でも、10年間打ち込めばその道で稼げるくらいになる。大事なことは、たとえ長期計画でも、一瞬一瞬を最高に活用するために「明日はない」との覚悟で向かうことだ。

言語文化は英語ですらそう簡単に世界中に広がらない。だから、「日本で芸や専門性を極める」ことと「グローバル化」はまったく矛盾しないのです。

必要なのは「富士山」型人材でしょう。富士山の頂上を高めるように自分の専門分野を追求すると同時にすそ野も広げるような人材です。そのためには、自分の専門分野を追求したうえで、プロテクトしないでオープンマインドになることが重要です。

横山 江戸時代の日本人が、今の感覚で何時まで働いていたかというと、実は14時まで。後は将棋をやったり賭け事をしたり、趣味に熱中したり、それが江戸っ子の生活でした。・・ヨーロッパやアメリカと違って、貴族に対する憧れもない。かつての日本で尊敬されていたのは、僧侶や学者そして篤農家や「教養ある商人」です。

戦前の帝国主義を肯定するわけでは決してありませんが、帝国の時代において、否応なく他者と向き合うことで鍛えられた、「開かれた構想力」があったのは事実です。無論、それは「暴力」という形をとる「帝国」というシステムを、反省的に振り返ったうえでの話ですが。

「知識」もしくは「情報」はどんどん増やすこともできますが、しかしそれらを持っているだけでは性がありません。それらを「知恵」を媒介にして繋ぎ、意味のプロ説に組み込むことがより求められるのです。』

2015年7月22日 (水)

いのちの輝き フルフォード博士が語る自然治癒力 (ロバート・C・フルフォード  ジーン・ストーン著 翔泳社)

東洋の思想に通じた米国医師の著作で、やはりヨガや禅などを連想するものがありました。また、日常生活で参考にしたいことも書かれていました。

『仕事を通じて拾いあげてきた教訓の第一は、からだのシステムとこころのシステムは一つに結ばれているということだ。

・・からだが活発に動くエネルギーの、入り組んだ複雑な流れによってもできているということだ。そのエネルギーの流れがブロックされたり圧迫されたりすると、われわれは本来あたえられているからだとこころのしなやかさ、つまり流動性を失う。そのブロックや圧迫が長くつづくか、または短時間でも深刻なものであれば、不快や痛み、病気の症状となってあらわれることになる。

つまり、オステオパシーがいちばん大切にしているのは、健康の基盤がさまざまな身体システム間の正しい関係の維持にあるという信念なのだ。

大人は子供に比べてエネルギーの発散量が少ない。全力投球しても反応がいまひとつ鈍く、こちらが消耗してしまうのだ。

オステオパシーは思想であると同時に、アートでもある。アートとは、何らかの活動をするための技量または力である。また、オステオパシーは科学でもある。科学とは、自然および物質界に関する秩序だった知識である。

宇宙すべてのものは、まるでひとつのものであるかのようにつながりあっていて、そのさまざまな部分は、われわれ人間の臓器や器官のように、たがいに依存しあっている。どのひとつのささやかな変化も全体に影響を及ぼす。人間の生命活動はその宇宙に支えられている。したがって、人間はたんに地球の住人であるだけではなく、目に見えるもの、見えないものをふくむ、宇宙のすべての部分の住人でもある。

一時期、科学者たちがその生命場をしらべ、皮膚から一センチ弱ほどのものを検出したことがあったが、最近の研究では皮膚から80センチ以上あるということがわかっている。この生命場は肉体に生命力をみちびきいれ、その人にスピリット(霊魂、気力)を供給している。けがをしたり心を痛めたりすると、生命場はそのショックを、エネルギーの消耗というかたちで肉体に表わす。

エネルギー・バランスの取れている人は炉湯手の電位が交流電流のように等しい波を描く。

生命力の流れの多くは心によって調節されている。後で説明するが、こころがからだをコントロールし、感情的な反応がからだを締め付けたり、ブロックしたりしているのだ。そういう人は理性ではなく、動物的な本能のおもむくままに生きている人だ。

その普遍的な生命力こそ、創造主といわれる神の別名である。だから、神はエネルギーというかたちをとって、われわれひとりひとりの内部にいる。

・・ヴァレリー・ハント博士の研究によれば、その固有の周波数はからだの潜在能力の指標でもあるという。つまり、周波数が低い人はフットボールや重量挙げのようなスポーツの分野で活躍する可能性がある。だが、周波数が中程度の人のからだはそれよりデリケートで、頭脳労働向きであり、思考力にすぐれている。直観力にすぐれた人のからだは周波数が高い。周波数が高くなればなるほど、霊的な境地が高くなる。

自分のからだの最適の振動率に気づいている人がほとんどいないのは残念なことだ。いつも思うのだが、それを知るのに最高の方法は瞑想である。瞑想しているとき、人はこころが静まり、内部のリズムに気づくことができる。

呼吸は宇宙とつながる手段だ。呼吸がなければ意識もない。呼吸は肉体の組織づくりをし、修復し、からだにとって必要なものと不要なものとのバランスを維持している。

自分がちゃんとした呼吸をしているかどうかを知るには、鼻のしたに鏡を置いて、その表面の曇り具合をみればいい。左右の鼻の穴がつくる曇りが均等ならたいがいいい呼吸をしているといっていい。

からだがストレスにさらされ、疲れを感じた時はいつでも、鼻から深く息を吸って、そのまま何秒か息をとめ、やはり鼻から勢いよく吐き出すと、不快な感覚をからだから取り除き、バランスのとれた、すっきりした状態にすることができる。・・息をするときは、口からではなく、鼻からすることが望ましい。というのは、空気が嗅神経の末端にふれて、それが脳を刺激し、脳に呼吸の自然なリズムを思いださせるとこに役立つからだ。鼻から呼吸をしないということは、ある意味で、半分しか生きていないことになる。

・・妊娠中、きわめて深刻な精神的・感情的トラウマに耐えたことのある親は、その結果として生じた否定的な想念が胎児のからだに根を下ろし、生まれた後に原因不明の身体的・心理的症状を呈する場合があることを知っておく必要がある。

われわれはだれしも、想念という衣装をまとっている。そして、われわれのエネルギーの特質は、こころに思い浮かべる想念のパターンによって形成される。想念とはまさに、物質なのである。

呼吸の働きはガス交換だけではない。それは人間存在にまつわる物質的・精神的・霊的な局面とそれぞれ密接につながっている。

アロパシーの医師、つまり現代西洋医学の医師は、からだをひとつの全体としてみようとしない。からだは個々の部分の寄せ集めであると、かれらは主張する。したがって、どんな病気であれ、病んでいる部分だけを治せば病気は治ると考える。

生命力がブロックされると、呼吸がほどよく全身にめぐらず、健康状態を全体的に低下させる。そして、そのブロックの主な原因がトラウマである。

・・検査したさまざまなリスクファクター(危険要因)のうち、出生時のトラウマがいちばん顕著だということだった。出生時のトラウマはまた、自殺との関連性が一番高いということもわかった。

悲嘆にくれることがなぜそれほど有害なのか?なぜなら、そうした心理パターンが神経系のなかに特定の想念の回路をつくりあげ、それが全身の複雑な生理作用に影響するからだ。・・わたしはときどき、からだのシステムは巨大なドミノ倒しに似ていると感じることがある。たったひとつの駒を倒しただけでも、次が倒れ、その次が倒れていくのである。

感情的な苦痛はほとんどといっていいほどにからだの苦痛となって、あたまから足までのどこかに現れるものなのだ。

からだに症状がある人は、自分の感情生活をじっくりと振り返る必要があるということを覚えておいてほしい。

観念は頭の産物であり、知的な活動から生まれるが、信仰はその人の霊的な側面から、霊的な身体という自然な本質から生まれるものであって、それが治癒というプロセスをすみあかに発動させるのだ。

しかし、愛のある態度はかならずしも結果を保証するものではない。肌で親しく接することに抵抗する者もいれば、肌を接しても手技がやりにくい患者、ときには全くできない患者もいる。

人体は弱い電気を帯び、電場や磁場を作っている。電場や磁場にはプラスの側面とマイナスの側面とがある。

東洋には、意思の力だけで体温や脈拍をはじめ、からだの不随意作用をコントロールするヨーガ行者がいくらでもいるが、それは一日に10時間も瞑想をしている人たちだ。・・西洋文化の弱点は、みずからの欲望の犠牲になっている人があまりに多すぎるところにある。その欲望が健康を左右する意思を妨げているのだ。

ただし、一般的には、各種のビタミンやミネラルを個別に飲むのではなく、マルチビタミン剤を毎日のめばいい、というのがわたしの意見だ。・・マルチビタミン剤を選ぶときにいちばん重要なのは、完全に天然のものかどうかを確かめるということである。合成ビタミン剤には天然素材でつくったビタミン剤にあるような生命力が含まれていない。

カリウムは心臓と脳の働きに欠かせないミネラルのひとつ・・

流行する治療法はまず消えていくのが普通だ。そのほとんどは暗示効果でしかなく、はっきりいえば、健康に対する関心を利用した、だれかの金儲けの手段である。

激しい運動を続けていた人がそれをやめるときは、くれぐれも注意してほしい。運動をする日数、時間数、力のいれかたをゆっくりとへらしていき、週に一度、月に二度になり、月に一度にまでもっていってからやめるのだ。急にやめてショックをあたえずに、からだをあたらしいリズムに慣れさせるわけだ。

私の経験では、運度の中で一番いいのはストレッチである。呼吸のリズムとからだの動きに注意を配りながら、毎日10分間のストレッチを続ければ、心身がととのい、健康的な運動パターンが身に付く。・・ストレッチをおこなうとき、わたしはつねに自分の呼吸に注意を集中し、その音に耳をかたむけ、両方の鼻腔から出ていく空気の量が同じかどうかをたしかめている。また、胸郭にも注意を払い、胸が音もなくふくらんだり縮んだりしているかどうかをたしかめている。・・だれもが必要としているものがある。それが呼吸とストレッチングを促進する運動である。・・運動でもっとも重要なのは量ではなく持続である。毎日、わずかでも運動のために時間を割き、節度をもってつづければそれでいい。

からだのバランスを左右する三大要因は気圧・感情の高ぶり・食生活である。・・最良のアドバイスは「バランスよく食べる」、そのひとことにつきる。

個人の特殊性を無視した、万人に通用するたべかたや完全な食事などというものはありえない、。自分の特殊性が判明するまでは、感覚をみがき、からだの反応に注意を払いながら、おいしいと感じるものを食べていればそれでいい。

からだによくない食べ物にたいする欲求を克服する最善の方法は、からだにもっと生命力をとりいれて、細胞の活動パターンを変えるという方法だ。

腹いっぱい食べてもさほど心配しなくていい食品群がある。それが野菜と果物だ。野菜と果物は自然が人間に与えてくれた最高の贈り物だ。たべておいしく、われわれを元気に健康にしてくれる栄養素がいっぱいふくまれているだけではなく、生命力というおまけもついているのだ。一株の食物の中では幹や根よりも花や実のほうが周波数が高く、生命力に富んでいる。・・生命力の摂取方法の一つが呼吸だとしたら、もうひとつの方法が野菜や果物の摂取である。

私が目安にしている計算方法はつぎのようなものだ。自分の年齢を二で割った数値が、その人の一日に必要とする水の最小オンス(一オンスは約30cc)になる。

ではストレスにはどう対処すればいいのか?息を深く吸って、思い切り吐き出すことだ。息を深く吸えば、四つのタイプの呼吸が残らずからだのなかにはいってくる。それがからだをリラックスさせ、生命力をよみがえらせ、バランスのとれた状態に戻してくれる。立ち上がり戸外に出て歩くのもいい方法だ。歩くことは全身の筋肉の活動を促すのに役立つ。

瞑想の利点は意識を内側に向けるところにある。それこそが、健康を増進するために必要な状態なのである。瞑想をすると心が静まり、自分の習慣的な想念パターンに気づくようになる。・・ただ座り、目を閉じて、日常生活のあれこれについて考えるのをやめ、こころを澄ましていくだけでいい。

それはただ、すべてを手放して、ものごとが流れていくに任せることである。ものごとはたえず流れている-流れていなければだれもいきてはいけない-が、われわれのほとんどはそれに気が付かない。だから、瞑想はその流れに気づき、それをこころにとめておくための技法でもあるのだ。・・何も考えないようにするには訓練がいるが、けっして不可能なことではない。雑念が浮かんでも、それに気を取られなければいい。

ほとんどの人は朝型か夜型のどちらかで、わたしの推察では、それは生まれた時の時間帯によるものだと思われる。

飛行時間にもよるが、一回の飛行による疲労からからだが立ち直るには、24時間から36時間かかる。飛行後は自分のからだの声に耳をすまして、その要求に従う必要がある。

風呂に入ってリラックスるすることも大切だ。お湯が電磁場のくるいを中和し、疲れた心身をなぐさめてくれる。(入浴は精神の復活に役立つ。生命は水の中で生まれたのだから、入浴によって生命の原郷を思い出し、やすらぐのは当然のことである)

あたまにある脳は図書館とかコンピュータのようなものだ。記憶をたくわえておき、神経系を通じてその人の欲望や意思の実現を助ける。ところが、太陽神系叢は情動の中枢であるばかりではなく、腹腔臓器の働きを維持し、バランスをとる仕事もしている。そこからのびる神経は胸壁・生殖器・腎臓などへの血液供給も支配しているので、怒り・喜び・悲しみ・憎しみなどの感情が生じると、太陽神系叢は臓器間のバランスを維持するため、その感情によって機能不全を起こした臓器の修復をしなければならない。・・新生児はあたまの脳より腹の脳のほうが発達している。ことばはしゃべれないが乳は飲み、消化する。針でつつけば痛みを感じて泣く。頭の脳が発達してくるのは三歳近くになってからである。腹の脳の声に耳を傾けてほしい。

からだがじょうぶであるだけでは健康とは言えない。健康とはあたまもこころもしっかりしていて、人生全般にわたって配慮が行き届いている状態を意味している。

相手にたいしてしたことは、最終的にはその人にもどってくる。好むと好まざるとにかかわらず、われわれのこころは他者のこころとつながっているのだ。自分だけはなににも依存することなく、すべて自分の思い通りにやれると信じている人がいるかもしれない。だが実は、われわれはみんな同じ一つの生命力を分かち合っているものであり、だれかにあたえ、また与え返すことによってわれわれは自分の生命力の成長を助けているのである。

私の経験では、なんといっても最初の三年が一番重要だ。とくに、食生活が決定的に重要な時期があるとすれば、最初の三年こそがその時期にあたる。まずいえるのは規則的な哺乳の重要性だ。

子供はあまり早い時期に歩かせないことだ。生後11か月から12か月頃で歩き始めるのが普通だが、これにも個人差がある。ところが、少しでも早くから歩かせようとして、椅子につかまらせたり、テーブルの上で手を引いたりする親が多い。それはやめてほしい。子供には這うという発達段階を完了させる必要がある。

最後にもう一つ。子供が転んでけがをしたときは、泣き叫ぶままにしたやってほしい。大声で泣くのは呼吸を安定させ、最大限の呼吸を確保することに役立つ。・・それをさせないと、体がトラウマを固定してしまう恐れがある。

学ぶためには必ずしも学校が必要なわけではない。尊敬できる人に推薦してもらった本を、自分のペースで、著者の思想に耳をかたむけながら読むのだ。通説に従うのではなく、書かれている内容の意味を自分で理解しながら読むのだ。そうしているうちに、人は何を考えているものかがわかり、自分のことがもっとわかってくる。読書ノートをつけたまえ。一冊読み終わったら、ノートを読み返して、その本から得た感慨をあらたにするのだ。

地上にいる間、われわれにはパーソナリティがあるが、それは死とともに消滅する。パーソナリティは物質界の創造物でしかない。ところが、われわれにはもうひとつ、生命力がある。・・生命力は我々が死んでも存在し続け、ならんらかのかたちをとって地上に戻ってくる。どんなかたちになるかは、わからない。私はそう信じているので、死ぬことをおそれていない。・・もはや自分で自分の責任がとれない人を機械的に生かしておこうとするのは残酷でしかない。

年齢・人種・国籍を問わず、地上にいるすべての人は完全に純粋な存在である。だれしもが同じ一つの本源からやってくるエネルギーを受けているからだ。・・純粋で、いのちをあたえる宇宙エネルギーの流れをブロックし、自己の存在から遠ざかるとき、人は悪になる。つまり、悪とは霊的な力の欠如のことなのだ。

こころから満たされた思いで人生を終えるには、目的を見つけ、その目的を果たすしかない。人が目的を果たす時、目的がその人を完成にみちびいてくれる。・・目的をもちたいのだが、生きるのに精一杯でそれを見つける余裕がない、とこぼしている人が多い。だが、遅すぎるということはないし、必要な情報はどこにでもある。

目的を見つけること以外に、霊性に近づく方法はなにか?横断歩道をわたる弱者に手を貸し、、必要としている人にバスの座席をゆずることだ。無条件で、すすんで人に与えるたびにいのちが少しずつ輝きだす。与えられた人が与え返すことを考え始め、礼と返礼の法則きざしてくる。外に出て樹木に手を触れ、地面に座って花の美しさをたたえることだ。わたしはその方法を、友人でIBMの技術者、マーセル・ヴォーゲルに教わった。自分にとって特別な木を一本選び、木からのエネルギーが手に感じられるようになるまで、毎日、その木を両手で抱きかかえるという方法だ。しばらくつづけたら、わたしにも気のエネルギーが感じられるようになった。

霊性を高めるもう一つの方法は、美術館に行くことだ。そこでは、展示してある唯一無二の作品を創造し、無から有を生じさせた作家たちの圧倒的な生命力に触れることができる。その経験は自分自身の生命力を刺激することに役立つ。

ライヒは浅い呼吸が感情の抑制に直接結びついていることに気づき、情緒の不安によって呼吸が制限されるのは腹部の緊張によるものだと考えていた。そして、腹部の緊張が呼吸を浅くするメカニズムや、ショックを受けた時に腹部の筋肉の異常な緊張によって呼吸が一時的に停止するメカニズムをあきらかにした。』

2015年7月19日 (日)

般若心経秘鍵 (空海著 加藤精一編 角川ソフィア文庫)

これまで何冊か般若心経の解説書を読みましたが、最もわかりやすく感じました。真言宗流の解説かもしれませんが、それでも読んでよかったと思いました。

『迷うのも悟るのも自分自身なのですから、自分が仏心に向かう心を発(おこ)しさえすれば自然に目的に近づけるのですし、道に明るいとか暗いとかいうのも、結局は自分自身が原因んなのですから、正しい教えを信じ、かつ努力さえすれば、必ず正しい目的に到達できるのであります。

・・この世の中に多くの仏教の教えが存在するのは、大日が種々の相手に応じて、教えを用意してくれている、と理解するのである。

・・一体どうやって乗り切って彼岸に渡ったらよいのでしょう。その実現のために必要なものはただ二つ、心を静めること、そして正しい智慧を養うことなのです。すなわち、禅定と智慧は、先に挙げた文殊・般若の二菩薩のお心そのものなのです。

・・「五蘊」(色・受・想・行・識)は各宗で空(くう)じるべき迷いの心を総称し、「三世の諸仏」は各宗で仰ぐ理想の仏陀の総称であります。このように心経を広く理解していけば、心経の中には仏教すべての宗派の行果(修行と成果)が含まれ尽くしていることになるのです。

第一の人法総通分では5つのことが説かれております。因・行・証・入・時と覚えてください。・・すなわち、仏教各宗の修行者は、それぞれの修行を行じて、それぞれのめざす境地を証し、それぞれの功徳を得ることができる、そのために要する時間も、長短いろいろである。

次に第二、分別諸乗分にも五つあります。建・絶・相・二・一と覚えるのが良いでしょう。

・・相(姿)と性(性質)を対比させ、現象は心の投影だと断じ、現実世界を仮有とみなして、実在するのは唯識のみなりと主張するのです。

・・法身大日如来の実在を知りさえすれば、自心のいまの状態で、最も確実な悟りの境地に居ることがわかるのです。法身大日とともにある自分こそ間違いなく人間本来の面目に到達しているのであります。

このように、深い趣旨に気づくか気づかないかは、誰のせいでもない、その人の眼力によるのであります。「心経」に密教的深旨が含まれているというには、見る人がいわゆる密教眼を持つことが大切なのです。』

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