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2015年4月 3日 (金)

銀漢の賦 (葉室麟著 文春ウェブ文庫)

読み応えのある時代小説でした。

『侍身分は石高によって、はっきりと分かれる。家老など藩の重鎮につく上士は300石以上であり、100石以上が平士(ひらざむらい)、100石に満たない者は下士である。
「花の美しさは形にありますが、人の美しさは覚悟と心映えではないでしょうか」
・・この場合の漢とは、男という意味ではなく、漢江、すなわち大河のことだ」
・・武士は恨みで刀を抜くものではない、義によって斬るのだ」
一揆は刀を持つことはほとんどなく竹やり、鍬、鎌などが武器だが、日頃、農作業で使っている鎌などで傷を負えば、破傷風となって命取りになる恐れがあった。それでなくとも、肉体労働で体を鍛えている百姓に対して、武術の腕を誇れるような武士はわずかにしかいなかった。戦闘になれば数で勝る一揆のほうが強いのである。
(人が生きるということは、このようなことかもしれん、何を得られるというほどのこともない。ただ、虚しさと格闘するだけだ) と思った。河原が夕日に赤く染まっていた。生きたことの意味は死ぬ時にわかればいいのだ、と思うのだった。
(銀漢とは天の川のことなのだろうが、頭に霜を置き、年齢を重ねた漢(おとこ)も銀漢かもしれんな)と思っていた。いま慙愧の思いにとらわれている将監は、一人の銀漢ではあるまいか。そして、わしもまた、--銀漢 だと源五は思うのだった。
「唐詩は酒、宋詩は茶」と言われる。杜甫を始め唐詩は恋哀に満ちているが、宋詩は同じように悲哀がありながらも、これに酔わず、乗り越えようとする気概があった。 』

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