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2014年12月27日 (土)

私本太平記09 建武らくがき帖 (吉川英治著 青空文庫)

『元々、新田と足利とは、犬と猿だ と世間もいっているほどだが、鎌倉入りの目標だけにはそれが完全な一つにうごいてきた。けれどその目的をとげ終わるやいな、勝者と商社の仲は、また本来の水と油の遊離をさっそく見せだしていた。

「・・・そもそも、武士はどういうものかといえば、元来、代々の朝敵である。それなのに、はからずも天皇のお味方に参じ、その家々を失わないですんだだけでも、皇徳というべきだ。しかるを、多少の忠をいたし、労を積んだからといって、功にほこり、恩賞の不足を鳴らすなど、怪しからんことといわねばならん」 これは、「神皇正統記」の著者ひとりの考え方ではなかった。当時の公卿思想そのものを代弁したものといってよい。

なにしろつい昨日までは、式部宮とか神祇官であった公卿が、一朝、天皇親政の謳歌にのって、”俄か政務宮”となったのだから、なんら行政的手腕があるわけでもない。事務の渋滞はもちろん、採決のまちがいなどもたびたびで、ただもう、てんやわんやの新政だった。すると、朝に夕に、綸旨が変わるような乱脈さを見透かして、たちまち、偽綸旨がはやり出した。

・・・尊氏はわけて気疲れをおぼえていた。---こういう故事式目の連続には何の興味がないのみならず、ささいな過失にもすぐ尖る公卿や僧官根性、うんざりさせられたせいだろう。

このてん武家と公卿とはあべこべである。都へ入ると武将はみな一様に大宮人の生活や装いをまねしたがり、堂上の若公卿ばらは、逆にかれら武人の鞍上の姿だの、小鷹を据えたり、弓矢を飾り持つ風俗などに大かぶれの有様なのだ。それが建武の往来に描かれ出した時世粧の特徴みたいなものだった。

陽は、新政府の公家政治に失望して、元のぶけによる武家政治を取り戻そうとしているのだ。---尊氏はそこを冷静に観ていた。彼の目はいつも遠くを観ている。』

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