茶の本 (岡倉天心著 村岡博訳 青空文庫)
坐禅と関係があることがよくわかりました。
『・・南方の禅を研究するために渡っていた栄西禅師の帰国とともに我が国に伝わってきた。彼の持ち帰った新種は首尾よく三か所に植え付けられ、その一か所京都に近い宇治は今なお世にもまれなる名茶産地の名をとどめている。
日本の茶の湯においてこそ始めて茶の利用の極点を見ることができるのである。1281年蒙古襲来に当たって我が国は首尾よくこれを撃退したために、シナ本国においては蛮族侵入のため不幸に断たれた宋の文化運動をわれわれは続行することができた。茶はわれわれにあっては飲む形式の理想化より以上のものとなった。
・・物のつりあいを保って、おのれの地歩を失わず他人に譲ることが浮世芝居の成功の秘訣である。われわれはおのれの役を立派に勤めるためには、その芝居全体を知っていなければならぬ。個人を考えるために全体を考えることを考えることを忘れてはならない。
柔術では無抵抗すなわち虚によって敵の力を出し尽くそうと努め、一方おのれの力は最後の奮闘に勝利を得るために保存しておく。
禅は梵語の禅那(Dhyana)から出た名であってその意味は静慮である。精進静慮することによって、自性了解の極致に達することができると禅は主張する。
祖師を除いて禅僧はことごとく禅林の世話に関する何か特別の仕事を課せられた。そして妙なことには新参者には比較的軽い勤めを与えられたが、非常に立派な修業を積んだ僧には比較的うるさい下賤な仕事が課せられた。こういう勤めが禅修行の一部をなしたものであって、いかなる些細な行動も絶対完全に行わなければならないのであった。
茶道いっさいの理想は、人生の些事の中にでも偉大を考えるというこの禅の考えから出たものである。道教は審美的理想の基礎を与え禅はこれを実際的なものとした。
茶の湯の基をなしたものはほかではない。菩提達磨の像の前で同じ椀から次々に茶を喫むという禅僧たちの始めた儀式であったということはすでに述べたところである。・・禅院の仏壇は、床の間--絵や花を置いて客を教化する日本間の上座--の原型であったということである。
席次は待合で休んでいる間に定まっているので、客は一人ずつ静かにはいってその席につき、まず床の間の絵または生花に敬意を表する。主人は、客が皆着席して部屋が静まりきり、茶釜にたぎる湯の音を除いては、何一つ静けさを破るものもないようになって、始めてはいってくる。
茶室や茶道具がいかに色あせて見えてもすべての物が全く清潔である。部屋の最も暗いすみにさえ塵一本も見られない。
利休の求めたものは清潔のみでなくて美と自然とであった。
我が国の古典的屋内装飾はその配合が全く均整を保っていた。しかしながら道教や禅の「完全」という概念は別のものであった。彼らの哲学の動的な性質は完全そのものよりも、完全を求る手続きに重きをおいた。真の美はただ「不完全」を心の中に完成する人によってのみ見出される。人生と芸術の力強いところはその発達の可能性に存した。
茶室においては重複の恐れが絶えずある。室の装飾に用いる種々な物は色彩意匠の重複しないように選ばなければならぬ。
傑作というものはわれわれの心琴にかなでる一種の交響楽である。
宗匠小堀遠州は、みずから大名でありながら、次のような忘れがたい言葉を残している。「偉大な絵画に接するには、王侯に接するごとくせよ。」傑作を理解しようとするには、その前に身を低うして息を殺し、一言一句も聞きもらさじと待っていなければならない。
茶人の花は、適当に生けると芸術であって、人生と真に密接な関係を持っているからわれわれの心に訴えるのである。この流派を、写実派および形式派と対称区別して、自然派と呼びたい。茶人たちは、花を選択することでかれらのなすべきことは終わったと考えて、その他のことは花みずからの身の上話にまかせた。
宗教においては未来がわれらの背後にある。芸術においては現在が永遠である。茶の宗匠の考えによれば芸術を真に鑑賞することは、ただ芸術から生きた力を生み出す人々にのみ可能である。
美を友として世を送った人のみが麗しい往生をすることができる。大宗匠たちの臨終はその生涯と同様に絶妙都雅なものであった。彼等は常に宇宙の大調和と和しようと努め、いつでも冥土へ行くの覚悟をしていた。
・・利休はその器を一つずつ一座の者へ形見として贈る。茶碗のみは自分でとっておく。「不幸の人のくちびるによって不浄になった器は決して再び人間には使用させない。」と言ってかれはこれをなげうって粉砕する。』
« 新聞記事から (【視線】編集長・井口文彦 警視総監と新聞記者 産経新聞(26.10.27)朝刊 | トップページ | 中国最大の弱点、それは水だ! 水ビジネスに賭ける日本の戦略 (浜田和幸著 角川SSC新書) »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- ハイブリッド戦争 ロシアの新しい国家戦略 (廣瀬陽子著 講談社現代新書)(2022.07.09)
- 賢者の書 (喜多川泰著 ディスカバー・トゥエンティワン)(2022.05.30)
- ウクライナ人だから気づいた 日本の危機 ロシアと共産主義者が企む侵略のシナリオ (グレンコ・アンドリー著 育鵬社)(2022.05.29)
- 防衛事務次官 冷や汗日記 失敗だらけの役人人生 (黒江哲郎著 朝日新書)(2022.05.16)
- 古の武術から学ぶ 老境との向き合い方 (甲野善紀著 山と渓谷社)(2022.05.08)
« 新聞記事から (【視線】編集長・井口文彦 警視総監と新聞記者 産経新聞(26.10.27)朝刊 | トップページ | 中国最大の弱点、それは水だ! 水ビジネスに賭ける日本の戦略 (浜田和幸著 角川SSC新書) »
コメント