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2014年11月

2014年11月30日 (日)

私本太平記 6 八荒帖 (吉川英治著 青空文庫)

『「お汝ら(おことら)は、なぜ痩せるかとおもっていたが、あまり心を労しすぎるせいだったの。食は楽しんで喰べねば意味がない。食は全て天禄だ。・・・」』

2014年11月14日 (金)

新聞記事から (【話の肖像画】書家・齋藤香坡(77)(4)紙の上に「命」を託して 産経新聞(26.11.14) 朝刊)

味わい深い記事でした。

『 〈大胆かつ繊細な筆運びで行草の世界に独自の華麗な書体を開拓。平成21年に文化庁長官表彰を受ける。近年は字に水墨画を添える「書画一体」の世界に挑戦している〉

 書は(芸術で)一番遅れている世界。いつも過去ばかりみている。昔の人がやったことから逃れられない。言葉を伝えるという意味から抜け出せない。ところが絵は自然を相手にして、しかも青い空を絵描きによっては違う色で描いたって、文句はないよね。中国では「書画一致」という。日本と違って書と画を分けていなかった。何千年も歴史を持つ中国がそうなんだから、「俺もやってみよう」と思った。

 最初に絵に興味を持ったのは、元鎌倉市長で仏画家としても知られた小島寅雄さん(平成14年死去)のところによく遊びにいって、仏像を描くのを見せてもらったから。

 何か一つだけ描ければいいと、最初はとっくりを描いた。次は土瓶と、自分に課題を与えていった。すべて空想画の世界。あの花びらは何枚で、葉っぱはどんな形だろうか、と想像する。子供のころ、大船から北鎌倉の円覚寺あたりまで山をかけずり回ったから、松とか梅とか知らないうちに自然というものを吸収していたんだろうね。何でも小さいうちに経験を踏んだほうがいい、というのはそこなんだ。

 書も小学生や中学生の間にしっかり基礎を作っておけば、10年後にまた始めたときすぐ元に戻れる。基礎は崩れていない。でも30代、40代で始めたら、基礎は作るのが大変。基本だけで10年、20年かかるんだから。自分の我(が)、くせが出てくるから、意識して書かなきゃならない。でも意識していたら疲れちゃうでしょ。子供のときに書を学ばせるのは、しつけと同じです。

 〈書道界は指導者が高齢化する一方、流派や会派に属さずメディアや海外を舞台に活躍する若手作家もでてきた〉

 いいと思いますよ。その人と自分との戦いだから。ところが最初から自分との戦いだと限度があるの。プラスアルファがないのよ。いくらかっこいいことを言っても、人の中でもまれていかなければ、本当のものは得られっこない。

 書の世界でも、本当にいい人はどっかに品を残していくんだね。その品って何だ。生まれながらにしてのものもあるけど、品はやさしさではなく厳しさの中に育っていくものじゃないか。書いて、書いて、書きまくっても、同じ一本の線には薄っぺらいものと奥深いものがある。型に追われるだけではどうしても表面的になる。だから、最後は心だよ、と。紙の上に自分の魂を託さなければ成り立たない世界だから。それが書の怖さでもある。

 だから弟子たちには言うの。点を打つときに「あ・り・が・と・う」って気持ちを込めれば、何かが違ってくる、と。全神経がその一点に集中する。これが筆を通して紙の上に「命」を置いていくってことなんだよ。(聞き手 渡辺浩生)』

2014年11月 8日 (土)

中国最大の弱点、それは水だ! 水ビジネスに賭ける日本の戦略 (浜田和幸著 角川SSC新書)

少し古く、同意できない部分もありましたが、参考になりました。

『「水ビジネス」の市場規模は、2025年には現在の約1.7倍にあたる100兆円規模になると試算されている。

日本は、企業がモツ水処理技術と、行政が持つ水道施設運営ノウハウを一体化させれば、世界の水ビジネス市場で十分に戦っていけるのだ。

2025年には、安全な飲用水と基本的な公衆衛生サービスを持たない人々が世界人口の3分の2に上がると見込まれている。・・地球上には水が約14億立方キロメートルあるという。しかしそのうちの97.5%は海水であり、淡水はたったの2.5%。しかもその大半は氷や地下水なので、人間が容易に使える水は全体のわずか0.01%にしかすぎない。

国連では、1993年から3月22日を「国連水の日」に定め、そのつど、各機関が調査レポートを発表して世界に警鐘を鳴らしてきた。こうしたレポートによると、現在、世界人口の3分の1以上が、水不足に直面しているという。そして、2020年までにわれわれ人類が使う水の使用量は、現在より40%以上も増大するという。さらに2025年までには、世界人口の3分の2が、必要な水が十分利用できないウォーターストレス状況に陥っているという。

中国は世界総人口の20%の人口を擁しているが、その淡水資源は世界全体のわずか6%にすぎず、これを補うために地下水資源が大量にくみ上げられている。これが、地下水の危機を引き起こしている。地下水を含めた水危機は中国にだけ存在するものではないが中国は世界のどの国・地域に比べてもきわめて深刻な状況にある。

中国政府は、この南水北調計画を進めるに当たり、一切の懐疑的意見を聞こうとしてこなかった。共産党一党独裁体制の国では上からの指示がすべてである。計画通りに事態が進めば、これほど効率の良い国家運営もないだろう。しかし、大きな落とし穴はチェック・アンド・バランスの機能がないことである。

・・「気候変動の影響で2050年までにアジア地域の小麦と米の生産はそれぞれ21%と16%減少する」と伝えている。・・いずれにせよ、大量の水がなければ、欧米式の食生活は続けられない。とくに、肉類の確保は難しくなるに違いない。

・・近年は生産高を増すために遺伝子組み換え作物が普及するようになってきた。こうしたハイブリッド種から育つ作物は、伝統的な地場の作物と比べ、大量の水を必要としている。そのため、世界各地で地下水を大量にくみ上げ、灌漑用に使うケースが増えてきた。

ボトル水が世界の流行として広く普及した結果、一般の水道水に対する関心やインフラ整備に投入できる資金が先細ってしまった。最も深刻な被害を受けているのが、低所得者層と途上国の貧困層である。・・たとえば、オレンジジュースをコップ一杯飲むことを想像してみればいい。たった一杯のオレンジジュースをつくるために、じつは850リットルもの水が必要とされるのである。また、工業用の半導体1キロを生産するためには、洗浄用の水が1600リットルも必要とされる。

・・毎日4500人の子供の命が、不衛生な水が原因とみなされる病気によって奪われているのである。

「水道統計」(厚生労働省)によれば、1人が1日に使う水道水の量は、1年で平均すると364リットル、夏のいちばん暑い時期には443リットルとなっている。これは、10リットルのバケツで約30杯分(夏の暑い時期は約43杯分)ということになる。ところが、そのなかで引用に使っているのは3リットル程度と言われている。つまり、家庭で使っている全体量の100分の1にも満たない。

超純水とは、イオン類、有機物、生菌、微粒子などを含まない純度の高い水のことであり、不純物の量が10億分の1といったレベルの限りなくH2Oに近い水だ。半導体生産ばかりか、医療品、バイオ製品の生産などにも使われている。

家康はまず、小石川附近の湧水を江戸市中に引いた。これが最初の江戸上水で、小石川上水と称された。続いて、井の頭池や善福寺川の流れを取り入れ、神田上水へと発展したが、3代将軍家光の時代になると江戸は大きく発展し、新たな上水が求められるようになった。そこで4大将軍家綱の時代になって多摩川から上水を引く計画がたてられ、庄右衛門、清右衛門兄弟によって開削されたのが多摩川上水である。

緩速濾過は、原水中の懸濁物質、細菌、アンモニア性窒素、臭気、鉄、マンガン、陰イオン界面活性剤、フェノール類刀を浄化する能力がある。しかし、この方式は1950年代半ばから始まった水道の普及拡大の時代にどんどん消えていき、急速濾過方式にとって代わられた。なぜならば、緩速濾過は広い用地を必要にするため、急激な水道の需要に対応するには、効率の良い急速濾過に切り替えていかざるを得なかったからだ。また、緩速濾過は微生物の働きで水を処理するため、きれいな原水を得るところが望ましく、急激に高い濁質が流れ込んでくるところや、汚濁が進んだ河川には適応できなかった。・・緩速濾過との大きな違いは、急速濾過では薬品をもちいて水を浄化するということ。薬品と言うのは凝集剤のことである。・・急速濾過の濾過速度は、1日に120~150メートル。なんと、緩速濾過の40倍であり、同じ水量を得ようとすると、緩速濾過の用地の40分の1ですむ。・・しかし、メリットがあればデメリットもある。それは臭気、合成洗剤、農薬、藻類などの除去能力が弱く、それらの影響が水道水に残りやすいという点だ。

・・今の日本の水道ビジネスは、浄水施設の設備刷新と水道管の取り換えを進めつつ、日本がこれまでに培ってきた世界でも有数の須藤技術をもって世界に進出していくということを、同時に進めて行く必要があるのだ。

水メジャーは、上下水道事業を含むあらゆる水処理事業に参入しているが、とくに技術的優位性があるわけではない。優位性があるのはその規模と実績であり、設計・調達・建設から運営・管理までのj行を一貫して元請け可能なマネジメント力、長期にわたる事業の理クス管理能力、さらには大規模案件に自らリスクマネーを投資する資本力を有することは、日本企業の比ではない。

現在、淡水化のプロセスには多くの電力が必要とされ、また、塩分を除去する過程で大量の廃棄物がうまれるので、コスト的には淡水化は見合わないという見方がある。しかし、これらの欠点を補う新技術が加われば、日本の淡水化技術は未来を切り開くパワーを秘めている。・・海水を淡水化する技術は豊かな資源を持つ中東産油国にとっては欠かせない技術である。中東にとどまらず、オーストラリアやスペイン、中国、インド、そしてアメリカといった国々でも近年、海水の淡水化プラントが相次いで建設され稼働し始めている。』

2014年11月 3日 (月)

茶の本 (岡倉天心著 村岡博訳 青空文庫)

坐禅と関係があることがよくわかりました。

『・・南方の禅を研究するために渡っていた栄西禅師の帰国とともに我が国に伝わってきた。彼の持ち帰った新種は首尾よく三か所に植え付けられ、その一か所京都に近い宇治は今なお世にもまれなる名茶産地の名をとどめている。

日本の茶の湯においてこそ始めて茶の利用の極点を見ることができるのである。1281年蒙古襲来に当たって我が国は首尾よくこれを撃退したために、シナ本国においては蛮族侵入のため不幸に断たれた宋の文化運動をわれわれは続行することができた。茶はわれわれにあっては飲む形式の理想化より以上のものとなった。

・・物のつりあいを保って、おのれの地歩を失わず他人に譲ることが浮世芝居の成功の秘訣である。われわれはおのれの役を立派に勤めるためには、その芝居全体を知っていなければならぬ。個人を考えるために全体を考えることを考えることを忘れてはならない。

柔術では無抵抗すなわち虚によって敵の力を出し尽くそうと努め、一方おのれの力は最後の奮闘に勝利を得るために保存しておく。

禅は梵語の禅那(Dhyana)から出た名であってその意味は静慮である。精進静慮することによって、自性了解の極致に達することができると禅は主張する。

祖師を除いて禅僧はことごとく禅林の世話に関する何か特別の仕事を課せられた。そして妙なことには新参者には比較的軽い勤めを与えられたが、非常に立派な修業を積んだ僧には比較的うるさい下賤な仕事が課せられた。こういう勤めが禅修行の一部をなしたものであって、いかなる些細な行動も絶対完全に行わなければならないのであった。

茶道いっさいの理想は、人生の些事の中にでも偉大を考えるというこの禅の考えから出たものである。道教は審美的理想の基礎を与え禅はこれを実際的なものとした。

茶の湯の基をなしたものはほかではない。菩提達磨の像の前で同じ椀から次々に茶を喫むという禅僧たちの始めた儀式であったということはすでに述べたところである。・・禅院の仏壇は、床の間--絵や花を置いて客を教化する日本間の上座--の原型であったということである。

席次は待合で休んでいる間に定まっているので、客は一人ずつ静かにはいってその席につき、まず床の間の絵または生花に敬意を表する。主人は、客が皆着席して部屋が静まりきり、茶釜にたぎる湯の音を除いては、何一つ静けさを破るものもないようになって、始めてはいってくる。

茶室や茶道具がいかに色あせて見えてもすべての物が全く清潔である。部屋の最も暗いすみにさえ塵一本も見られない。

利休の求めたものは清潔のみでなくて美と自然とであった。

我が国の古典的屋内装飾はその配合が全く均整を保っていた。しかしながら道教や禅の「完全」という概念は別のものであった。彼らの哲学の動的な性質は完全そのものよりも、完全を求る手続きに重きをおいた。真の美はただ「不完全」を心の中に完成する人によってのみ見出される。人生と芸術の力強いところはその発達の可能性に存した。

茶室においては重複の恐れが絶えずある。室の装飾に用いる種々な物は色彩意匠の重複しないように選ばなければならぬ。

傑作というものはわれわれの心琴にかなでる一種の交響楽である。

宗匠小堀遠州は、みずから大名でありながら、次のような忘れがたい言葉を残している。「偉大な絵画に接するには、王侯に接するごとくせよ。」傑作を理解しようとするには、その前に身を低うして息を殺し、一言一句も聞きもらさじと待っていなければならない。

茶人の花は、適当に生けると芸術であって、人生と真に密接な関係を持っているからわれわれの心に訴えるのである。この流派を、写実派および形式派と対称区別して、自然派と呼びたい。茶人たちは、花を選択することでかれらのなすべきことは終わったと考えて、その他のことは花みずからの身の上話にまかせた。

宗教においては未来がわれらの背後にある。芸術においては現在が永遠である。茶の宗匠の考えによれば芸術を真に鑑賞することは、ただ芸術から生きた力を生み出す人々にのみ可能である。

美を友として世を送った人のみが麗しい往生をすることができる。大宗匠たちの臨終はその生涯と同様に絶妙都雅なものであった。彼等は常に宇宙の大調和と和しようと努め、いつでも冥土へ行くの覚悟をしていた。

・・利休はその器を一つずつ一座の者へ形見として贈る。茶碗のみは自分でとっておく。「不幸の人のくちびるによって不浄になった器は決して再び人間には使用させない。」と言ってかれはこれをなげうって粉砕する。』

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