新聞記事から (【視線】編集長・井口文彦 警視総監と新聞記者 産経新聞(26.10.27)朝刊
土田氏のことは個人的にも知っていますが、改めて素晴らしい方だと思いました。自分が同じ立場にいた時にどのようにふるまうか、考えさせられました。
『情報は、得ることよりも、実際に紙面で記事化するほうが難しい。「知る」ことと、「書く」ことは次元がまるで違う。
例えば重大事件の逮捕が近いと報じるのは「知る権利」にこたえる重要なニュースだが、犯人を利する恐れもはらむ。書かれる側と書く側は衝突する。それでも意義あるスクープが登場するのは、書かれる側に報道への理解があるからこそだと思う。
5日、帝京大の福井惇(あつし)名誉教授(84)が逝去した。産経新聞記者時代、昭和50年5月19日付朝刊1面トップで「連続企業爆破犯グループきょう一斉逮捕」をスクープした取材班代表、警視庁キャップである。
昭和49~50年、東京・丸の内の三菱重工ビルなど11カ所を爆破、多くの犠牲者を出した連続企業爆破事件。極左過激派のテロが頻発する中で、群を抜き悪質な重大事件だった。その後の日本の治安のありようは、この事件で警察が犯人を逮捕できるか否かにかかっていたといってもいい。
50年5月半ば。福井率いる取材班は文字通り地を這(は)うような取材で、警視庁が追う犯人グループを割り出し、一斉逮捕が19日朝の予定であるとつかむ。書くなら「きょう逮捕」。超一級のスクープだ。じりじりとした思いで取材班は確認を続けた。
出稿する18日夜、福井は警視総監の土田国保(くにやす)(故人)を公舎に訪ねる。明日逮捕が間違いないかを確認するため。そして、不慮の事態が起きぬよう、「明日朝刊に載せる」と通告し対処を促すためである。
この4年前、土田は爆弾入り小包を自宅に送られ、夫人を亡くした。テロへの憎しみは強い。表情が豹変(ひょうへん)した。「相手はテロだ。爆弾が手元にあるとの情報もある。自爆し、一般人や捜査官を巻き添えにするかもしれん。輪転機を止めてください」
土田の必死の説得に、福井は揺れる。
…確かに産経が書いたために爆破が起きる可能性はある。だがこのニュースを見逃すのは新聞の自殺行為だ。社長や編集局長に人命を理由に待ったをかけられれば、新聞は屈服せざるを得ないだろう。「2人とも欧州に出張中です」。嘘(うそ)をついた。
後に福井はこう書いている。
《この日私は2つの嘘をついた。『出稿した』と過去形にしたこと、『出張中である』ということだ。良心がうずいた》
編集局長だった青木彰(故人)は、犯人らが住む地域への遅配を決断した。犯人に記事を読ませないためだ。「報道の使命」と「社会的責任」を両立させるための、ぎりぎりの判断であった。スクープは実現し、犯人グループは無事に逮捕された。
後日、警察幹部から土田批判が噴出した。「総監は産経に『明日の逮捕はない』と嘘をつくべきだった」。伝え聞いた福井は「確かに、総監から完全否定されれば、報道できなかったと思う」と吐露した。
《私の2つの嘘を見抜きながら、土田氏はあえて情報操作、情報統制をしなかった。戦争を体験したこの人には、言論の大切さというものを、官僚でありながら新聞人以上に自覚されていたように思う》
青木も後に書いている。《あの夜、総監は社長にも私にも一切連絡してこなかった。もし電話があったらどう答えようか、考えなかったといえば嘘になる。スクープでは完勝したが、土田総監には完敗したという思いがいまだに強く残っている》
報道の自由は、土田が示したような「無言の理解」に支えられてきたのだろう。「理解」は新聞の努力なしに続くまい。
福井名誉教授逝去の報に接し、39年前のあの夜に産経へ電話してこなかった警視総監の胸中を察すると、新聞人として、襟を正される思いになる。』