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2014年9月 1日 (月)

蜩ノ記 (葉室麟著 祥伝社文庫)

先月は一度しか更新しなくて、大変失礼しました。

さて、この書は映画化されたものですが、美しい自然や四季の風景と、見事な人々の生き方を描いた秀逸の作品でした。

『「武士は名こそ惜しけれと申すが、名を捨ててかからねばならぬのが、ご奉公というものであろう」 秋谷はそう言い置いて背を向けた・・・

「・・いざとなれば襲ってきた百姓を突き落すという覚悟を示したのだ。それだけの覚悟を持ちながら、そうならずにすむように懸命に働き、国を豊かにするのが郡方というものだ」 秋谷は厳しい口調で言った。

「若かったころの自分をいとおしむ想いかもしれませぬ」 しみじみとした口調で秋谷は答えた。 「さようですね。わたくしも、あのころのわたくしをいとおしく思います」 かろうじて、お由の方は言葉を返した。

牢問いとは、取り調べる者に石を抱かせるなど拷問を加えることで、体が弱ければそれだけで命を落とす者もいるという。

数日後、向山村に来たのは原市之進だった。市之進には藩内で出世しつつある男の際立った威厳があった。

「しかし、それでは父御(ててご)は無宿人になって、もうこの村に戻れなくなるぞ」 「そうじゃろうね。けんど牢問いにかけられて殺されるよりましじゃ。家族は生きてさえいてくれたら、ありがてもんよ」 源吉はにこりと笑った。 「父御がいなくなれば、これからが大変だろうな」 郁太郎が気がかりそうに言うと、源吉は手を振った。 「おとうとお春はおれが守るけん、心配いらん。おれは男じゃから」 源吉は何でもないことのように言って郁太郎に頭を下げ、再び薪割りを始めた。郁太郎は離れたところからしばらく源吉を見ていた。源吉の体が大きく、男らしいものに感じられた。やがて郁太郎は踵を返すと家に向かって歩き出した。

「源吉の奴、お春坊に悲しい思いをさせたくなかったんだ。だから命の際まで笑い顔を見せた---」 郁太郎の目から大粒の涙が次から次へと流れ落ちて止まらない。秋谷は、「まことに武士も及ばぬ覚悟だ」とつぶやいて合掌した。秋谷の後ろで庄三郎が慟哭した。

「武士(もののふ)の心があれば、いまの郁太郎は止められぬ。檀野殿は郁太郎を見守るつもりで追ってくれたのであろう」 薫は息を詰めて目を見開いた。 「それでは、郁太郎が大それたことをしでかせば、庄三郎様にまで咎が及ぶのではございませんか」 「檀野殿は武士だ。おのれがなそうと意を固めたならば、必ずなさずにはおられまい。檀野殿の心を黙って受けるほかないのだ」 秋谷の物言いはゆるぎのないものだった。庄三郎に対してたしかな信頼を、知らず知らずの間に秋谷が持つようになっていると薫にも伝わる言葉だった。

「御家の真(まこと)を伝えてこそ、忠であるとそれがしは存じており申す。偽りで固めれば、家臣、領民の心が離れて御家はつぶれるでありましょう。嘘偽りのない家譜を書き残すことができれば、御家は必ず守られると存ずる」

「ふたりとも、わからぬことを申すではない。子のために身を捨てるのは、親の苦になりはせぬ。まして、わが命を延ばすために藩の大事を使うては、武士の誇りが廃れる」 』

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