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2014年9月

2014年9月10日 (水)

私本太平記04 帝獄帖 (吉川英治著 青空文庫)

『南河内には、古い習慣がある。--嫁に行く折、柿の苗をもってゆき、嫁いだ家に植えるのだった。--やがて子を産みつくし、働きつくし、かつての花嫁も婆となって死ぬと、共に老いたる柿の木も伐って、薪とする。そして、その薪で火葬に付されて終わるのが、女の一生と約されていた。

「--合戦の慣い(ならい)です。一旦の勝負に一喜一憂なされたはなりません。正成一人生きて在りと聞し召すあいだは、お心丈夫にいつかは聖運の開かれるものと思し召しあっておよろしいかと存じまする。」 たしかに、彼に勝算などはなかったろう。

一揆とは、一式の意味である。

「いくら北条氏の怨敵とはいえ、きのうまでは、万乗の天使と、幕府も立てていたお方を、この冬空に火桶一つ許さぬなどは、下種の復讐し(しかえし)にも似て、武家根性が卑しまれる。決して高時公のお為にもならぬ。」』

2014年9月 7日 (日)

自宅で楽しむ発電 (中村昌広著 ソフトバンク新書)

エネルギーについての基本を学べました。

『①バッテリー充電器を使ってバッテリーを満充電する。 ②バッテリーにDC-ACインバーターを接続。 たったこれだけで、家庭用電源(AC100V)を取り出すことが出来るのです。

・・低い電圧で大きな電流を流すエジソンの直流送電方式は、髙い電圧で小さな電流を流すウェスティングハウスの交流送電方式に比べ、送電による損失が非常に大きい・・

近年、特に大震災以降には、日本の民間会社の考えた蓄電技術にも目覚ましい進歩がありました。その一つは、日本ガイシが世界で初めて実用化したというメガワットクラスの電力貯蔵システム「NAS電池」です。日本ガイシによれば、「NAS電池」はナトリウム(Na)と硫黄(S)の化学反応で充放電を繰り返す蓄電池で、昼夜間などの電力需要の格差を解決する手段として、東京電力との共同開発で生まれたそうです。ビルや工場向けに開発され、50~2000キロワット級のシステムが運転中です。

「毎時平均500w」これだけの電力があれば、一般家庭の電気は賄えるといいます。

長続きする遊びは(趣味は)できることから始めるのが一番。あまり難しく考えず、とりあえずやってみることです。

風車や水車を作ってそれに発電機をつけるなら、低回転でも効果を発揮できるハブダイナモをお勧めします。

・・オルタネーターに充電が開始する回転数まで上げることができれば、効率よく発電を開始してくれます。構造的にはハブダイナモ(永久磁石)とちがって電磁石を使用しています。発電を開始するためには、オルタネーターに12Vに電気を流して、オルタネーター内に寺領を発生させる必要があるのです。

発電機に使えそうなモーターの探し方は、モーターに永久磁石を使用しているかどうかです。ですから、残念ながら扇風機は発電機としては使えません。

太陽光パネルが発電した電気は直流の電気です。発電した電気が直流ならば、バッテリーに直流充電することが出来ます。しかし、発電電圧が20Vを超えるような太陽光パネルを使用する場合、接続には注意が必要です。バッテリーとの電位差(電圧の差)が大きいままで充電すると、バッテリーを痛めてしまうことがあるからです。そうならないためには、発電電圧が15~20V程度の太陽光パネルにする必要があります。

発電出力は「電圧と電流の積」です・・

自動車用バッテリーの特徴は、「常に満充電の状態で使われる」ということです。・・自動車用バッテリーを自然エネルギーで使用する場合は常に満充電の使用環境にはありません。・・こんな時は、特に過放電(使いすぎ)が心配です。放電終止電圧を何度も下回ると、バッテリーが復活不能になってしまいます。ですから、過放電を保護するコントローラーは、自動車用バッテリーにはなくてはならないパーツなのです。

〈ディープサイクルバッテリーの特徴〉 値段が高く入手できるところが少ない。過放電に強く、安心して使える。

国内の自動車用バッテリーはすべて「5時間率」で容量が表記されています。このバッテリー「40」の場合、容量28Ahは5.6Aの電流を5時間流せるという意味になります。

どんな家電品であっても、起動時には通常の何倍もの電流が流れます。デスクトップPCは他の物に比べ、より多くの突入電流を必要とします。

市販されている家庭用のLED電球も基本的な構造はまったく同じです。何が違うのかと言うと、本来直流の電気で点灯するLEDを、交流の電源AC100Vで使用していると言うことです。』

2014年9月 1日 (月)

蜩ノ記 (葉室麟著 祥伝社文庫)

先月は一度しか更新しなくて、大変失礼しました。

さて、この書は映画化されたものですが、美しい自然や四季の風景と、見事な人々の生き方を描いた秀逸の作品でした。

『「武士は名こそ惜しけれと申すが、名を捨ててかからねばならぬのが、ご奉公というものであろう」 秋谷はそう言い置いて背を向けた・・・

「・・いざとなれば襲ってきた百姓を突き落すという覚悟を示したのだ。それだけの覚悟を持ちながら、そうならずにすむように懸命に働き、国を豊かにするのが郡方というものだ」 秋谷は厳しい口調で言った。

「若かったころの自分をいとおしむ想いかもしれませぬ」 しみじみとした口調で秋谷は答えた。 「さようですね。わたくしも、あのころのわたくしをいとおしく思います」 かろうじて、お由の方は言葉を返した。

牢問いとは、取り調べる者に石を抱かせるなど拷問を加えることで、体が弱ければそれだけで命を落とす者もいるという。

数日後、向山村に来たのは原市之進だった。市之進には藩内で出世しつつある男の際立った威厳があった。

「しかし、それでは父御(ててご)は無宿人になって、もうこの村に戻れなくなるぞ」 「そうじゃろうね。けんど牢問いにかけられて殺されるよりましじゃ。家族は生きてさえいてくれたら、ありがてもんよ」 源吉はにこりと笑った。 「父御がいなくなれば、これからが大変だろうな」 郁太郎が気がかりそうに言うと、源吉は手を振った。 「おとうとお春はおれが守るけん、心配いらん。おれは男じゃから」 源吉は何でもないことのように言って郁太郎に頭を下げ、再び薪割りを始めた。郁太郎は離れたところからしばらく源吉を見ていた。源吉の体が大きく、男らしいものに感じられた。やがて郁太郎は踵を返すと家に向かって歩き出した。

「源吉の奴、お春坊に悲しい思いをさせたくなかったんだ。だから命の際まで笑い顔を見せた---」 郁太郎の目から大粒の涙が次から次へと流れ落ちて止まらない。秋谷は、「まことに武士も及ばぬ覚悟だ」とつぶやいて合掌した。秋谷の後ろで庄三郎が慟哭した。

「武士(もののふ)の心があれば、いまの郁太郎は止められぬ。檀野殿は郁太郎を見守るつもりで追ってくれたのであろう」 薫は息を詰めて目を見開いた。 「それでは、郁太郎が大それたことをしでかせば、庄三郎様にまで咎が及ぶのではございませんか」 「檀野殿は武士だ。おのれがなそうと意を固めたならば、必ずなさずにはおられまい。檀野殿の心を黙って受けるほかないのだ」 秋谷の物言いはゆるぎのないものだった。庄三郎に対してたしかな信頼を、知らず知らずの間に秋谷が持つようになっていると薫にも伝わる言葉だった。

「御家の真(まこと)を伝えてこそ、忠であるとそれがしは存じており申す。偽りで固めれば、家臣、領民の心が離れて御家はつぶれるでありましょう。嘘偽りのない家譜を書き残すことができれば、御家は必ず守られると存ずる」

「ふたりとも、わからぬことを申すではない。子のために身を捨てるのは、親の苦になりはせぬ。まして、わが命を延ばすために藩の大事を使うては、武士の誇りが廃れる」 』

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