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2014年7月

2014年7月31日 (木)

私本太平記3 みなかみ帖 (吉川英治著 青空文庫)

『こんなときの男女に、死 は常に、魅力的である。死と恋との、悩みの中における両種の物の攪拌は、一そう強い甘美な酒を醸成する。

・・阿弥陀仲間の強い生き方を一年ほど見て、「--人間何をしても生きようとすれば、生きられる」自信だけは習びえていた。

たれでも人は、少し逆境の波間を泳ぐと、世に自分ほど不幸なものはあるまいと思いがちだ。いずくんぞ知らん。苦患(くげん)の世は底なしだ。下には下に想像もつかぬ不幸な人鐚が埋(うず)ンでおる。

しかも、つねに心の底では。どこにどう生きているのか。倖せであれ。どう零落(おちぶ)れても、倖せでさえいるならば。と、折にふれ、ひそかな祈りを内にいだいていた正成でもあったのである。--すると、この春、弟の正季の口から、彼女が舟芸人の良人と共に、藤井寺の六波羅屯所へ曳かれていると聞いて、愕然としたものだった。』

2014年7月28日 (月)

東京新聞亡びよ!

本日は、酔っ払っているので、あえて言います。

東京新聞、亡びよ。ついでに親会社の中日新聞もよろびよ。

プロ野球の中日ファンの方々、よく中日新聞を読みなさい。

その内容が国益に合致すると思うならばそのまま応援すればよい。

合致しないと思うならば、合致するように圧力をかけるべきです。

今のまま中日ドラゴンズを応援することは間違いなく、国益に反します!

2014年7月26日 (土)

鉄の骨 (池井戸潤著 講談社)

ハラハラドキドキ、でもハッピーエンドの話が読みたくて、池井戸氏の作品をまた選びました。間違っていませんでした。

『ゼネコンは何処でも建築と土木の両輪で成り立っている・・

人間、50年も生きていると、普段考えていることや性格が顔つきににじみ出てくる。陰険ね人間はやはり陰険な顔になって来るもんだといのは、母の八重子がいまでもよくいうことである。だからいつも笑っていなさい、というのが母の口癖だ。

「おそらく、民間工事で思うように利益が出なかったんで、公共工事に触手を伸ばしてきたんだろう。確かに体力はないかもしれないが、こういう会社こそ、むしろ必死で工事を取りに来る。たとえ赤字でも、着手金が入れば目先に迫った支払いを繰り回すことができるからな。その後のことはその後のことだ」

中堅のゼネコンといっても、長野の田舎から見れば大会社だ。東京の大学を出て、そんな会社に勤めていること自体すごいことだし、上場企業のサラリーマンになった平太は自慢の息子なのだった。田舎と東京では、それぐらい価値観が違うのだ。

「人間っていうのはな、目上の前では性格を隠す。だが、お前のような年若を前にするとついつい人柄を出してしまう。それが奴らの本性なのさ。・・・

生きるための談合のはずが、利益のための談合になったとき、それは真の犯罪になる。

「お茶はお茶。一期一会の集まりになにがあろうものか。ただ、うまいものを食ってくつろいでくれたらいい。それだけのこと。それがおもてなしというものさ」

「サラリーマンはよく、自分がいなければ会社が廻らないと思っているからな。お前のはそれと同じ発想だよ。それは世間が狭い人間の錯覚にすぎない。自分の代わりが務まる人間は、じつは組織には大勢いる。じゃあ、なぜ彼らが出てこないのか。こたえは簡単。自分がそのポストにいるからだ。いったんそのポストが空いたら、すぐに代わりの、じつはもっと優秀な人間が現れる。それは会社でも一般社会でもかわらない。世の中とはそういうもんだ。だから、廻っていくのさ」

「いまが一番いい。そう思うことが大事なんだ。過去を懐かしむのは構わない。だが過去を羨んではいけない。決してな」

設計図通りにやってもうまくいかないことは、現場では往々にして起きる。その設計図にない部分、余白の部分をどう処理するかによって、建築物としての出来はまるで違ってくるのだ。

「ゼネコンっていうのは、手形を切らないん業種なんだ。つまり、”不渡り”がない。工事の受注状況が悪化したり、資金の回収が遅れたりしても、資金が廻っている間は、なんとか生きていられるってわけだ。具体的に言うと、業績が悪化しても、銀行が支えてくれている間は大丈夫だってこと」

「しがらみってやつはな、時として人間を小さく、みみっちくしちまうことがあるのよ」

「俺がどう思っていようと、そんなことは関係がない。汚れ役が必要ならば、買うまでのこと。それが俺に期待された役目だとあきらめるしかないのだろうな。・・・

「私も最近、人が死ぬってどういうことなんだろうって、考えるんです。すみません。ヘンなこと申し上げて」 「ヘンじゃないさ」 三橋はいった。「人は誰でも、そういうことを考える時期がある。人の生き様や死ときちんと向き合うのは大事なことだぞ、平太。そうしないと後悔することになる」』

2014年7月 9日 (水)

私本太平記 2 婆娑羅帖 (吉川英治著 青空文庫)

恥ずかしながら、毛利氏の祖先が太平記に登場することを初めて知りました。

『登子は氷った花のように、まじろぎもしなかった。といっても、たましいを失った色ではない。女性が真底から真剣に事故を研ぎ澄ましてみせるときのあの姿なのである。』

2014年7月 7日 (月)

戦略的思考とは何か (岡崎久彦著 中公新書)

読売新聞に著者の回顧文が連載されていましたので、ざっと読んでみました。

『外征を不徳とする中国の思想が確立するのは、じつは、日本が統一国家として歴史に登場する隋唐の頃からなのですが、この思想が確立する主たる原因は漢民族の抵抗にあったといっても言い過ぎではありません。

一般的に弱者同盟というものは力の上であまりプラスにならないうえに、強者を「しゃらくさい真似をする」と言って怒らせて、危険が増大する恐れがあります。

私はつくづく明治の人は真剣だったと思います。小村意見書にしろ伊藤意見書にしろ、指導者自ら政策を書き下ろし、指導者が集って議論をするのですから密度の高い政策ができます。いまでは大臣はおろか局長でもこんなことはしません。

そして、米国については、伊藤は、「余が甚だ懸念に堪えぬのは、米国は世論の勢力が強大であるから、一度世論が動くと、政府当局者がいかに衷心から日本に同情を寄せていても、やむを得ず世論に適合する政策をとるに至ることである」と指摘しています。

・・ある会合で、日本は憲法解釈上集団自衛権は行使できない、という話をしたところが、ヨーロッパの主要国大使までつとめてことがあり、現在は一流大学で教授をしている人が、「日本はそんなに縁の薄い仲間なのか」といって怒り出したことがありました。米国のインテリの中で日本の特殊な事情が分かっている人は、日本に専門的に関与したことのあるごく少数の人で、それ以外は、他の先進民主主義国と日本は同じだと思って判断するのですから、日本がいくら特殊事情を説明しても、こういう反応が国民的反応になってしまう可能性があることだけは将来の見通しの一部に入れておく必要がありましょう。

・・文革前の中国という国はアジア・アフリカの憧憬の的でした。自力で抗日戦争を戦い抜いて中国本土を統一し、そのうえに朝鮮戦争では世界最強の米軍を相手に互角に戦ったという実績を背景にしていたのですから、アジア・アフリカの有色人種は、共産党だけでなく、各種の民族解放運動に至るまで無条件の尊敬を払っていました。それが文革によって失望から幻滅、さらには軽蔑と嘲笑に変わっていったこと・・

戦後の日本には戦略論というものは存在しません。あるのはアメリカの戦略論の翻訳・紹介だけでした。戦後の日本の思潮の中における軍事問題アレルギーもその一つでしょうが、その最大の理由は必要がなかったからでしょう。戦後長い間アメリカが圧倒的に強かったので、アメリカとの同盟さえしっかりしていれば日本の安全を脅かすものはありえず、日米安保条約を結ぶということで国家戦略論が完結しえたからです。

正しい国家戦略を見出すこと、これは今後の日本の国民的課題でありましょう。それはつまるところ、指導者と国民が、世界の情勢を曇りのない眼で見つめ、国家目的の中に非現実的な感情や理念を導入することを極力抑制し、日本国民の長期的な安全と繁栄を確保するのが政策の重要な目的であることを決して見失わず、つねに常識的で、危なっかしくない判断をすることによって生まれます。』

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