ハラハラドキドキ、でもハッピーエンドの話が読みたくて、池井戸氏の作品をまた選びました。間違っていませんでした。
『ゼネコンは何処でも建築と土木の両輪で成り立っている・・
人間、50年も生きていると、普段考えていることや性格が顔つきににじみ出てくる。陰険ね人間はやはり陰険な顔になって来るもんだといのは、母の八重子がいまでもよくいうことである。だからいつも笑っていなさい、というのが母の口癖だ。
「おそらく、民間工事で思うように利益が出なかったんで、公共工事に触手を伸ばしてきたんだろう。確かに体力はないかもしれないが、こういう会社こそ、むしろ必死で工事を取りに来る。たとえ赤字でも、着手金が入れば目先に迫った支払いを繰り回すことができるからな。その後のことはその後のことだ」
中堅のゼネコンといっても、長野の田舎から見れば大会社だ。東京の大学を出て、そんな会社に勤めていること自体すごいことだし、上場企業のサラリーマンになった平太は自慢の息子なのだった。田舎と東京では、それぐらい価値観が違うのだ。
「人間っていうのはな、目上の前では性格を隠す。だが、お前のような年若を前にするとついつい人柄を出してしまう。それが奴らの本性なのさ。・・・
生きるための談合のはずが、利益のための談合になったとき、それは真の犯罪になる。
「お茶はお茶。一期一会の集まりになにがあろうものか。ただ、うまいものを食ってくつろいでくれたらいい。それだけのこと。それがおもてなしというものさ」
「サラリーマンはよく、自分がいなければ会社が廻らないと思っているからな。お前のはそれと同じ発想だよ。それは世間が狭い人間の錯覚にすぎない。自分の代わりが務まる人間は、じつは組織には大勢いる。じゃあ、なぜ彼らが出てこないのか。こたえは簡単。自分がそのポストにいるからだ。いったんそのポストが空いたら、すぐに代わりの、じつはもっと優秀な人間が現れる。それは会社でも一般社会でもかわらない。世の中とはそういうもんだ。だから、廻っていくのさ」
「いまが一番いい。そう思うことが大事なんだ。過去を懐かしむのは構わない。だが過去を羨んではいけない。決してな」
設計図通りにやってもうまくいかないことは、現場では往々にして起きる。その設計図にない部分、余白の部分をどう処理するかによって、建築物としての出来はまるで違ってくるのだ。
「ゼネコンっていうのは、手形を切らないん業種なんだ。つまり、”不渡り”がない。工事の受注状況が悪化したり、資金の回収が遅れたりしても、資金が廻っている間は、なんとか生きていられるってわけだ。具体的に言うと、業績が悪化しても、銀行が支えてくれている間は大丈夫だってこと」
「しがらみってやつはな、時として人間を小さく、みみっちくしちまうことがあるのよ」
「俺がどう思っていようと、そんなことは関係がない。汚れ役が必要ならば、買うまでのこと。それが俺に期待された役目だとあきらめるしかないのだろうな。・・・
「私も最近、人が死ぬってどういうことなんだろうって、考えるんです。すみません。ヘンなこと申し上げて」 「ヘンじゃないさ」 三橋はいった。「人は誰でも、そういうことを考える時期がある。人の生き様や死ときちんと向き合うのは大事なことだぞ、平太。そうしないと後悔することになる」』