英語の早期教育・社内公用語は百害あって一利なし (渡部昇一著 徳岡書店)
分かりやすく、すいすい読めました。大いに参考になりました。
『①英語の勉強は「知力」を鍛えるという、じつに重大な意味を有している。 ②したがって、「使える英語」という視点だけから英語教育を論じるのは完全なる誤りである。 ③よって、大学入試から英語を外すことも間違っている。 大きくいえば、私の意見はこの三点にまとめることができます。
そうして、以下の二点を強調されるのです。 ①ボキャブラリーを増やすこと。 ②身につけた語彙を上手に組み合わせれば英語でコミュニケーションをとれること。 中嶋さんは結論として以下のように提唱されています。《英語をマスターしたければ、文法やスペルから入るのではなく、まず耳から聴いて英語を体にしみこませることが大切です。》と。
我が国においては、神話の時代から皇統が続いていたため、祝詞や宣命といった、最も重要な文書には大和言葉しか使われなかったからです。また和歌においても、原則として外来語は一切使われませんでした。
ところが、ドイツにルター、フランスにカルヴァンが登場して宗教改革の機運が高まると、それをきっかけに、公用語としてのラテン語は衰退していきます。ラテン語衰退の原因の一つとしては、「聖書を自分たちの言葉で」とい運動が盛んになったことを挙げることができます。
世界の学界ないし研究者はアメリカで認められることを基準にしているのです。だから、みんなが英語で発表をする。勉強するうえでも、英語で書かれた文献が学会の潮流を示していますから、英語の論文を読まなければ何も始まらない。・・さらにいえば、英文を読む人の数は気の遠くなるほどです。
英語にはこのような”二つの顔”があるということを、まず、しっかり認識しておく必要があります。整理しておけば、 ①公用語としての英語と、そこから派生したピジン・イングリッシュの世界。 ②じつに豊穣な古典的著作を収めた”宝庫”としての英語。 そうした”二つの顔”をもっているのが英語なのです。
①自分の英語が通じない驚き。 ②しかし、しばらくすると本場の先生を驚かせるような英語力を発揮する。 この二回の”驚き”を体験した人でないと、本当に英語を総合的に論じる資格はないのではないかと、私は考えています。
当時、すぐに役立つ教育は「読み・書き・ソロバン」でした。さしてむずかしくない日本語を読み、そして書く。それから、ソロバンを使って数を数えること。これができれば商家の番頭ぐらいにはなれました。そうした教育を行う寺子屋の一方には、漢学塾というものがありました。っこでは「読み・書き・ソロバン」とはまったく別次元の教育をほどこしていました。主として武士階級、あるいは非常に豊かな地主階級の秀才が受けたエリート教育ですが、この漢学塾ではやはりすぐには役に立たない勉強をさせていました。しかし、この漢学の伝統があったからこそ日本の知力が高まっていたことを忘れてはなりません。幕末・維新に際して、西洋の文化をスッと取り入れることが出来たのは武士階級の間に漢学で培った知力があったからです。・・・「読み・書き・ソロバン」の人たちばかりでああったら、西洋文化を取り入れることは絶対に不可能でした。しかし、一見役に立ちそうもない漢学を学び、そして知力を鍛え上げていた日本人がいたからこそ、オランダ語などの解読も出来て、蒸気船だけでなく、さまざまな西洋文明を吸収することが出来たのです。
西洋文化がアジアにわたってきたとき、事前科学を背景とした西洋文明をマスターできたのは日本一カ国だけでした。我々日本人だけにそれができたのは、漢文をバラバラに腑分けして正確に読むという漢学の伝統があったからです。そのおかげで、ペリーがやってくると、直ちに自前で蒸気船を建造できたことはすでに述べたとおりです。
漢学をシナ語教育だと誤解している人にはわからないと思いますが、何度もいうとおり、漢学とは日本語教育だったのです。抽象概念を掴み、ボキャブラリーを増やして漢文を正確に読み込む。そういう訓練をする。それが漢学です。いってみれば、漢文を読むことによって日本語のほうも磨き上げていったわけです。
英語の授業で訳読の訓練を一週間に何時間やったか、やらなかったか。そういう訓練をやった人の知力はグッと上がります。英語の訳読や英作文をすることは、気障な言葉を使えば、精神が精神と出会うことなのです。まったく構造の異なる言葉を訳したり、まったく別の言葉で自分の思いを伝えようとする努力---そうした訓練を通じて初めて精神が精神を見るというプロセスに入れるのです。
・・こらからの英語教育では「どんな人が教えるのか」という問題が非常に重要になってきます。 ① 発音は大事ですから、ネイティブ・スピーカーの先生や留学帰りの先生は確かに必要です。しかし、それだけでは足りません。 ② 漱石のように英文を正確に解釈し、それを明快に説明できること。英語の訳読、英作文というものは知力を鍛えるという任務も担っているわけですから、そうした能力を有する人でなければなりません。 ③ さらにいえば、英語と言う日本語とは異なる言語を教えるわけですから、英語に興味を抱かせるような授業のできる先生が望まれます。学生や生徒たちに「英語って意外に面白いぞ」と思わせる工夫も必要となってくるのです。
漱石が学問に取り組んだ時代は、ほとんどすべての課目が、すべて英語で行われました。・・・漱石は外国語でなされる講義に出席しながら、すべての学問が外国語でおこなわれるというのは独立国としては一種の屈辱である、と考えていたのです。だから、多少、英語の力が低下しようとも、自国語で学問をできるほうがいいではないか。それが独立国としては「当然のこと」ではないか、と喝破したのです。
要するに、正確に捉われないのが会話のコツなのです。
・・ここに、日本人が英語ができない、ひとつの大きな理由があります。ボキャブラリーがあまりに貧弱すぎるのです。逆に言えば、ボキャブラリーが豊富であれば話は通じやすいと言うことになります。
暗記=記憶力増強といった努力を放棄したら、記憶力は伸びず、根気も養われず、長時間机に向かう習慣もつかず、したがって学科全般にわたって日本人のレベルを引き下げる結果におちいることでしょう。私はそう考えてきましたから、年齢を重ねても記憶力が老化しないようにと、ラテン語文章の暗記に努めたことがあります。
・・・外国語会話というのは毎日しゃべるようになれば聞く力、話す能力共にめきめき回復してくるものです。その意味でも「継続は力なり」と心してください。』
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