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2014年6月

2014年6月24日 (火)

砕かれた鍵 (逢坂剛著 集英社e文庫)

大へん面白く、引き込まれました。しかし、あくまでもフィクションであり、特に書き残したい文はありませんでした。

2014年6月22日 (日)

英語の早期教育・社内公用語は百害あって一利なし (渡部昇一著 徳岡書店)

分かりやすく、すいすい読めました。大いに参考になりました。

『①英語の勉強は「知力」を鍛えるという、じつに重大な意味を有している。 ②したがって、「使える英語」という視点だけから英語教育を論じるのは完全なる誤りである。 ③よって、大学入試から英語を外すことも間違っている。 大きくいえば、私の意見はこの三点にまとめることができます。

そうして、以下の二点を強調されるのです。 ①ボキャブラリーを増やすこと。 ②身につけた語彙を上手に組み合わせれば英語でコミュニケーションをとれること。 中嶋さんは結論として以下のように提唱されています。《英語をマスターしたければ、文法やスペルから入るのではなく、まず耳から聴いて英語を体にしみこませることが大切です。》と。

我が国においては、神話の時代から皇統が続いていたため、祝詞や宣命といった、最も重要な文書には大和言葉しか使われなかったからです。また和歌においても、原則として外来語は一切使われませんでした。

ところが、ドイツにルター、フランスにカルヴァンが登場して宗教改革の機運が高まると、それをきっかけに、公用語としてのラテン語は衰退していきます。ラテン語衰退の原因の一つとしては、「聖書を自分たちの言葉で」とい運動が盛んになったことを挙げることができます。

世界の学界ないし研究者はアメリカで認められることを基準にしているのです。だから、みんなが英語で発表をする。勉強するうえでも、英語で書かれた文献が学会の潮流を示していますから、英語の論文を読まなければ何も始まらない。・・さらにいえば、英文を読む人の数は気の遠くなるほどです。

英語にはこのような”二つの顔”があるということを、まず、しっかり認識しておく必要があります。整理しておけば、 ①公用語としての英語と、そこから派生したピジン・イングリッシュの世界。 ②じつに豊穣な古典的著作を収めた”宝庫”としての英語。 そうした”二つの顔”をもっているのが英語なのです。

①自分の英語が通じない驚き。 ②しかし、しばらくすると本場の先生を驚かせるような英語力を発揮する。 この二回の”驚き”を体験した人でないと、本当に英語を総合的に論じる資格はないのではないかと、私は考えています。

当時、すぐに役立つ教育は「読み・書き・ソロバン」でした。さしてむずかしくない日本語を読み、そして書く。それから、ソロバンを使って数を数えること。これができれば商家の番頭ぐらいにはなれました。そうした教育を行う寺子屋の一方には、漢学塾というものがありました。っこでは「読み・書き・ソロバン」とはまったく別次元の教育をほどこしていました。主として武士階級、あるいは非常に豊かな地主階級の秀才が受けたエリート教育ですが、この漢学塾ではやはりすぐには役に立たない勉強をさせていました。しかし、この漢学の伝統があったからこそ日本の知力が高まっていたことを忘れてはなりません。幕末・維新に際して、西洋の文化をスッと取り入れることが出来たのは武士階級の間に漢学で培った知力があったからです。・・・「読み・書き・ソロバン」の人たちばかりでああったら、西洋文化を取り入れることは絶対に不可能でした。しかし、一見役に立ちそうもない漢学を学び、そして知力を鍛え上げていた日本人がいたからこそ、オランダ語などの解読も出来て、蒸気船だけでなく、さまざまな西洋文明を吸収することが出来たのです。

西洋文化がアジアにわたってきたとき、事前科学を背景とした西洋文明をマスターできたのは日本一カ国だけでした。我々日本人だけにそれができたのは、漢文をバラバラに腑分けして正確に読むという漢学の伝統があったからです。そのおかげで、ペリーがやってくると、直ちに自前で蒸気船を建造できたことはすでに述べたとおりです。

漢学をシナ語教育だと誤解している人にはわからないと思いますが、何度もいうとおり、漢学とは日本語教育だったのです。抽象概念を掴み、ボキャブラリーを増やして漢文を正確に読み込む。そういう訓練をする。それが漢学です。いってみれば、漢文を読むことによって日本語のほうも磨き上げていったわけです。

英語の授業で訳読の訓練を一週間に何時間やったか、やらなかったか。そういう訓練をやった人の知力はグッと上がります。英語の訳読や英作文をすることは、気障な言葉を使えば、精神が精神と出会うことなのです。まったく構造の異なる言葉を訳したり、まったく別の言葉で自分の思いを伝えようとする努力---そうした訓練を通じて初めて精神が精神を見るというプロセスに入れるのです。

・・こらからの英語教育では「どんな人が教えるのか」という問題が非常に重要になってきます。 ① 発音は大事ですから、ネイティブ・スピーカーの先生や留学帰りの先生は確かに必要です。しかし、それだけでは足りません。 ② 漱石のように英文を正確に解釈し、それを明快に説明できること。英語の訳読、英作文というものは知力を鍛えるという任務も担っているわけですから、そうした能力を有する人でなければなりません。 ③ さらにいえば、英語と言う日本語とは異なる言語を教えるわけですから、英語に興味を抱かせるような授業のできる先生が望まれます。学生や生徒たちに「英語って意外に面白いぞ」と思わせる工夫も必要となってくるのです。

漱石が学問に取り組んだ時代は、ほとんどすべての課目が、すべて英語で行われました。・・・漱石は外国語でなされる講義に出席しながら、すべての学問が外国語でおこなわれるというのは独立国としては一種の屈辱である、と考えていたのです。だから、多少、英語の力が低下しようとも、自国語で学問をできるほうがいいではないか。それが独立国としては「当然のこと」ではないか、と喝破したのです。

要するに、正確に捉われないのが会話のコツなのです。

・・ここに、日本人が英語ができない、ひとつの大きな理由があります。ボキャブラリーがあまりに貧弱すぎるのです。逆に言えば、ボキャブラリーが豊富であれば話は通じやすいと言うことになります。

暗記=記憶力増強といった努力を放棄したら、記憶力は伸びず、根気も養われず、長時間机に向かう習慣もつかず、したがって学科全般にわたって日本人のレベルを引き下げる結果におちいることでしょう。私はそう考えてきましたから、年齢を重ねても記憶力が老化しないようにと、ラテン語文章の暗記に努めたことがあります。

・・・外国語会話というのは毎日しゃべるようになれば聞く力、話す能力共にめきめき回復してくるものです。その意味でも「継続は力なり」と心してください。』

2014年6月16日 (月)

幻の翼 (逢坂剛著 集英社e文庫)

百舌シリーズの第2作目だそうです。大へん面白く引き込まれました。また、これが書かれたのは、昭和63年ころで、北朝鮮の不審船事件が発生する前で、もちろん拉致問題が明らかになる前でしたが、筆者は独自の調査でそれらを明らかにしてこの作品に書いていました。とても驚くべきことです。しかし、一方でこのシリーズで警察権力の独占を狙う政治家を悪玉として登場させ、その危険性を指摘していることには、やや筆者の考えの浅さを感じます。警察権力の独占は確かに危険ですが、そのようなことが起こりようのない日本で、このように警察権力を過度に牽制するような風潮が、まさに北朝鮮の拉致、不審船事案を助長し、また日本とは比較にならない警察権力の独占をしている中国での人権問題に、日本が口を出せないような状況を作り出したのです。筆者がそういったことに気付いてないのならば浅はかですし、気づいていてあえてやっているのならば、私にとっては相いれない人でしょう。

『「たとえばウスターソース。あれはイングランドの、ウスターというところで生まれたソースなんです。イギリスはそういう良質のソースをもったために、いわゆるイギリス料理なるものを持てなかったといわれています」

かなりの乗客が降りる。李春元は宗田の5メートルほど後ろから改札口を出た。人が多いときはなるべく離れないのが尾行の鉄則だ。手提げかばんの中には、簡易着脱式のネクタイやメガネ、マフラーなど外見を変えるのに必要な小道具がいくつか入っている。人間の印象はちょっとしたことで、ひどく違って見えるものなのだ。

大杉は首を振った。「あそこまで危ない橋を渡りながら、おれたちは何を手に入れたんだ。何も手にいれてないじゃないか。森原が死んで世の中が変わったかね。だれかがどこかへ吹っ飛ばされて、べつのだれかが新しいポストに就いただけだ。何も変わっちゃいない」話しているうちに、情けなくなる。実際変わったことといえば何もない』

2014年6月14日 (土)

私本太平記(一) (吉川英治著 青空文庫)

恥ずかしながら、太平記を一度も読んだことがなかったのですが、無料で入手できることが分かり、早速読んでみました。

『気のおけぬ若い主というものは、家来にとって、よいものらしい。

「小事小事。かかることは一切小さい。大事は前途にある。良い子になりたい新田なら良い子にさせ。婆娑羅の道誉には、存分、婆娑羅の欲望でも誇りでも振舞わせておけ。大丈夫の大事を成す道。それはすべて遠いものだ」と、胸をなでていたのだろう。いや、置文の声が彼に命じていたといってもよい」 』

2014年6月13日 (金)

柳生非常剣 (隆慶一郎著 講談社)

紙の本を持っていますが、電子書籍版が出ていましたので、購入し再読しました。

『「魚になるのが楽しいだけだ」 「魚になる?」 兵助が呆れて云った。 「泰山を仰ぎ、江淮を泳ぐ。島陰をめぐっては、水底に潜み、また花影のただよう水面に浮上する。人間には魚の楽しみがないな」 「泰山ですって、この小さな岩が? この池が江淮といえますが」 「魚は大小を忘れて楽しんでいる。観ずれば仮山水もまた真の山水となる。お前には魚の気持ちはわからん」

兵助は熟睡しながらも、尚、目覚めていた。これは兵法者に限られた特技ではない。どんな人間でも、危険にさらされれば、自然にやってのける、いわば防衛本能に従った行為である。

介者剣術とは戦場で重い鎧を着た者同士が闘うために編み出された、実戦一点張りの剣法だ。ほとんど全身を鎧でかためているのだから、当然防御は鎧に委せ、攻撃一辺倒の剣になる。それも狙うところは四箇所しかない。鎧の効果の及ばない所、つまり眼、咽喉、右手の親指、最後に睾丸である。この四箇所に向かって猛烈極まる攻撃を休むことなく加えるのが、介者剣術の恐ろしさだった。新陰流をはじめ、近世の剣術のすべて、この介者剣術の否定の上に成立している。介者剣術のゆきつく先は結局術ではなく力である。躰が大きく、長い刀が使え、膂力に優れたものが勝つ。そんな当たり前の論理では、平凡な体躯の持ち主は常に殺されるしかなくなってしまう。その貧弱な体躯をもってしても勝てる術が近世の剣法だった。

秀忠の汚い蔭の仕事を人知れず果たすことで、その懐刀と云われてきた。今、それが裏目に出ようとしている。

昔から柳生の門弟には、伊賀の忍びが多かった。ほとんど隣り合った土地のためだ。その在地の伊賀忍びを組織することで宗矩はいわゆる裏柳生を作ったのである。

平安の昔から我が国に導入された中国の房中術は、公卿の独占する智識であり、武士にまでは及んでいなかった。

新次郎はこの徒歩部隊の隊長だった。隊長がまっ先駆けて走らなくては、部下は誰一人ついて来はしない。部隊の全員を引っぱり、酔わせ、狂気にとりつかせるのが隊長の役目である。引っぱるだけで酔わせることができなければ、隊長は一人だけ突出することになり、確実に死ぬ。部下に自分の熱と狂気を伝染させねばならない。殺人への渇望に燃え上がらせなければいけない。すべては隊長の気力一つにかかっていた。

〈今日は色が見える〉 そう思った。初陣の時には、こうして敵と向かい合った瞬間、すべての色が消えてしまったのを今でも明白に覚えている。色が消え、すべてが城と黒に変わってしまったのである。

鉄砲の出現によって甲冑は昔より簡単になり軽くなったが、その分堅固さも増し、兜や胴丸の部分などは一枚鉄で刀が通りにくくなっている。だから刀で斬る部分はきまっている。顔、首、腕、脚、股間の五カ所だった。勢い斬撃の方法も限られたものになる。要はどれだけ成果kにどれだけ迅く太刀が振えるかにかかっていた。

「返事が要るんですか」 暫くして新次郎が訊いた。 「わしには要らん。だが宗には要る」 「好きなように、とお伝えください」 突然、石舟斎の顔に朱が刺した。怒りに違いなかった。だが新次郎の冷然たる表情を見ると、急速に平静に戻った。 「変わったな、お前」 嘆きではない。ただの確認だった。 「変わりました」 新次郎の言葉にも何の感情もない事実を伝えただけだ。

仕掛杖など児戯に類すると云っているのだ。新次郎は冷然と応えた。 「健やかならざる者も、生きねばなりませんから」 そのまま礼もせず、相変わらずひょこたんひょこたんと戸口へ向かった。その背を見つめていた石舟斎の顔に、僅かに驚嘆の色が浮かんだ。その背は斬ることが出来なかった。平衡を失っているぶんだけ次の動きの予測がつかないのだ。

新次郎は42歳。柳生の者たちに知られることなく、秘かに磨き上げてきた独自の剣法はようやく円熟の期に達しようとしていた。この頃になって、新次郎はやっと父の気持ちが分かってきた。己れが骨身を削る思いで磨き上げてきた剣法が、受け継ぐ者とてなく、己れ一代で絶えるという思いは、堪えがたい寂寥感を生むのである。

石舟斎と新次郎は、兵介を媒介として、お互いの業を見極め、お互いの隙を見定めようとしているかに見えた。兵介の躰が二人の立合いの場だったとも云える。

猶子とは「猶お子の如し」の意で、つまりは養子のことなのだが、姓名は実家のものを名乗っていいというような微妙な差があったらしい。

活人刀とは敵に充分に技を出させ、その裏をとって勝つ剣であり、殺人刀とは敵に技を出す余地を与えず、こちらから積極的に打って出て勝ちをおさめる剣だ。もっとも新陰流にいう殺人刀はそれほど単純ではない。これは本来敵が守勢に廻って技を仕掛けて来ない場合の剣だ。

この当時の歴史を見ると各地で同様の事件が起こっている。若い苦労知らずの二代目主君が、初代藩主と苦労を共にした古い家臣を邪魔にしこれを排除しようとして戦いになる。いずれも旧臣側が一族一党と共に屋敷に籠り、昨日までの同輩に囲まれ、これと闘って全滅している。一つの時代の大きな変わり目だったのかもしれない。』

2014年6月12日 (木)

百舌の叫ぶ夜 (逢坂剛著 集英社e文庫)

ドラマがなかなか面白かったのですが、シーズン2はWOWWOWでしか放映されないので、1作目からの原作本を買うことにしました。原作もよかったのですが、ドラマとはほとんど別物と感じました。原作は、冷戦の最中で、まだ極左の内ゲバなどが起こっている時代の雰囲気がプンプンしています。それはそれで楽しめました。

『倉木も力なく笑った。「まったくですね。しかしわたしは大杉さんがうらやましい。とにかく奥さんも娘さんもこの世にいるんだから」 「おっしゃるとおりです。しかしわたしはときどき思うんですよ。女房も子供もいなかったらどんなに気が楽だろうと、そんな風にね」

大杉は津城があなたという言葉を使ったとき、室井の目に不愉快そうな色が浮かんだのを見逃さなかった。あなたは敬称のようではあるが、目上の人間のよびかけには用いられない。

倉木は室井を見つめたまま首を振った。 「無駄だ。われわれ個人の力で、巨大な警察組織にどう立ち向かえるというのかね」 大杉はぐっと詰まった。大杉自身それは百も承知ではなかったか。しかし倉木に室井を撃たせるわけにはいかない。もし撃てば、室井だけではなく、倉木も終わりだ。そして倉木がそれを望んでいることは、痛いほど分かった。自分はやはり女房に惚れていたのだと思う--そういった倉木の言葉が、今更のように耳の底に蘇る。大杉は両足を踏みしめた。 』

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